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ユカリの書 第2話 優しさ ― 6 ―

「うっ、うわああああぁぁぁぁぁっ!!」


 私は立ちあがって、道場を裸足のまま全速力で出て行った。


 怖いっ! 理解できないっ! あの女が怖いっ!


 小野寺家の門を抜けて、山の中の道を走って行く。


「っいた!」


 しばらく走っていると、右足の裏に激痛が走った。

 痛みに走れず、その場に止まると足の裏が切れて血が出ていた。道に落ちていた何かで足を切ったのか。

 私はよろけながら、近くにあった木へ寄り掛かった。


「はぁ……はぁ……、ひぐっ……」


 その時初めてわかった。目に手をやると泣いている。


 よくわからなかった。

 なんの感情だこれ?

 怒り? 恐怖? 悲しみ?

 色んな物がごちゃごちゃになって、自分でもなんで泣いて、悔しい気持ちになっているのかが分からない。


 なんで花音はあんなにも殴られても、私を慰めようとする。

 普通の人なら憎むはずだ。嫌がるだろう。怨むだろう。

 なのに、なんで優しくする。


 私だってアレだけされたら怨んで、そいつを殴り返す。なのに花音は……。


 ズキンッ!


 傷ついた顔でも私に微笑む花音を思い出し、胸が痛んだ。

 なんで……。こんな嫌な事をした気持ちになる……。

 あんな女、気持ち悪いだろう。変人だ。イカレてる。


「……家に帰りたい」


 もう約束とかそんなものどうでもいい。

 私は家に帰りたい。そしていつもの生活に戻りたい。


「……あ」


 私はミックスジュースが入っているカバンを道場に置きっぱなしなのを思い出した。

 ここから歩いて家に帰るにもコンビニ以上に遠い。


 そしてこの足だ。帰れるはずがない。


 今、腕につけているマジックリングの中身は、武器や防具ばかりで、怪我を治療する道具とかは入っていない。


 なら一端、道場に戻らなければならないのか。あの花音が居る道場に……。

 ……戻って出会ったら、どうしよう。

 無視すればいいだろう。けど、そんなのお構いなしに花音は迫ってくる。

 私が出て行くと知れば、抱きついて放さないだろう。


 スマートフォンで誰か呼ぶ方法も、カバンが無ければできない。


 今、私は八方ふさがりか。

 悩んでも結果的に、小野寺家に戻らなければいけない選択しかなかった。


 昨日からずっと私の思い通りにならない……。

 あぁ、もう嫌になる……。


「うっ……、つぅっ……!」


 痛む右足の裏をかばいつつ、立ちあがって歩き出す。


 最初は全く意識していなかったので分からなかったが、砂利がある舗装(ほそう)されてない地面を歩くのは慎重に歩いていても痛い。


 どれくらい距離を走ってきたっけ? それもわからない。


 痛い……。


 私はしばらくして、すぐにその場に座り込んでしまった。


 もう何もかも嫌になった。

 私の人生、どうしてこうも酷いんだ……。


 ヤクザの組長の娘。


 母は私を捨てた。


 父は酒ばかり飲んで、私が気に入らない事をするたびに暴力を振ってきた。


 両親に見離される中で、兄さんだけは私を守ってくれていた。

 しかしその兄さんは13歳の時に、学校の先生を半殺しにして児童福祉施設へ入れられて、離れ離れになってしまった。

 だがその時、木花師匠に見いだされた兄さんは、何をしたのかしらないけれど施設を出る事ができて、木花家で暮らすようになった。

 兄さんとは会いに行こうと思えば会えるのが救いだった。


 でも、家に居ても私を見てくれる人は居ない。


 組に居る下っ端の中には私を心配する者もいるが、刑務所送りになるか、死んでしまうかですぐに私の元から居なくなる。

 組に居る下っ端のアイツらは使い捨ての道具。そう思わないとやってられない。


 私はずっと1人。


 そうであれば、人を思う事も必要が無く、傷つくことが無い。

 そう思っていた。それが正しい選択であると。


 その考えとは間逆の人間が花音だ。


 自ら傷ついても、優しさを失わない。笑顔を絶やさない。

 なんで……。そんなに他人を思う事ができるんだ……。


 バサバサバっ!


 私の目の前に突然、1羽の大きなツバメが降り立った。


「よかった! 心配したよぉ。家に居ないってわかって外に出て来たけど、すぐ近くにいたね」


 すぐ近くだったんだ……。


「裸足で出ていっちゃったよね。あ、あぁーっ! 酷い傷っ! 早く治さなきゃっ!」


 傷を見て慌てる花音。


 マジックリングから変身解除薬を取りだして飲んだ。花音の姿が元に戻る。

 変身前の姿に戻るので、花音の顔の傷はそのままだった。


「回復魔法はお母さんが得意だから、すぐに行かなきゃ。ほら、背中に乗って」


 そう言って私の前に(かが)む。


「…………」

「ほら、早く。あ、それとも掴まれない程に痛いの? それじゃぁ……」


 花音はバックからミックスジュースを取り出して飲んだ。


「あっ……」


 そんな疲れている中で連続で飲んだら……。


 花音は先ほどのチャイナ姿になると、くらっとふらついた。


「あららら、ちょっと連続すぎたかなぁ……」


 メタモルフォーゼは、かなりの疲労感にあう。

 ダメージ量や運動で疲労した分も残ってしまうので、メタモルフォーゼが終わった後は、最低でも5分から10分は休まないと体がもたない。


 疲れても無理にメタモルフォーゼをすると、その場ですぐに気絶して元に戻って、何週間も意識不明になる恐れもある為、連続使用は原則してはいけない。


 花音は私から致命傷を負う程のダメージを受けた後でもあるので、本当に休息が必要だ。

 それに休まずくすぐりあって、私を探すのに飛んで来てと疲労感も半端じゃないはず。


「えーいっ! しっかりしないと!」


 顔をパンパンと叩いて気合を入れる。


「それじゃ、痛かったら言ってね」

「あっ、ちょっと……!」


 私をお姫様だっこして歩き出した。


「大丈夫? 痛くない?」

「…………」

「大丈夫だね。すぐに家に付くからね」


 あんな事したのにも関わらず、花音は私に笑顔を絶やさない。


「どうして……」

「ん?」

「どうして花音はそんなに優しくする? 私は花音に酷い事をしてきた」


 殴り蹴る以外にも、私は全校生徒の前で裸にまでしたのだ。

 それなのに……。


 なんでこんなにも優しくする。


「助けたいの」


 花音の表情を見ると、いつにもない真剣な顔をしていた。

 それは黒堂組に乗り込んで、父を説得した時と同じ表情だった。


「ユカリちゃんの境遇を木花師匠の元で今も修行している海斗(かいと)お兄さんから聴いたの。あっ、海斗お兄さんは、ユカリちゃんのお兄さんの兄弟子だよ」


 知っている。私も兄さんに会いに行く時に会っている。


「ユカリちゃんの事を知っている私は悔しかったの。何もユカリちゃんの事を知る事をしない、救いの手を差し伸べないままに、見離す事にする生徒会や先生たちが許せなかったの。ユカリちゃんが学校で暴力をふるっていた時に見せる表情は、楽しんでいるよりも、つらそうな顔だった。きっと、自分が本当に望んだ結果じゃないけれど、そういう風にしかできない環境や知識しか与えられてないんだって。ユカリちゃんは、皆の様に楽しい事をして、過ごしたいんだって。助けを望んでいるんだってわかったの。だから私はユカリちゃんを助けたかったの」


 私は……そんな表情をしていたのか……。


「もし分からない事があったら私が何でも教えてあげるよ。良い子になるって事は、恥ずかしい事でも何でもないからね。むしろ、知らないまま育った方が恥ずかしいんだから。楽しい事は教えるからね。悪い事があったら叱るからね。辛い事があったら私と分け合って共に乗り越えるからね。私は、ユカリちゃんの1番の味方だよ」


 こんな人……。今までいなかった……。


 ずっと1人だった。


 1人で居ればよかった。


 優しくなんてされる程、自分の今の状況が(みじ)めで悔しかった。


 だから周りを不幸にしてやりたかった。


 自分を認めず、周りを同じようにして自分と釣り合いを持たせようとしていた。


 力こそが自分の支えにしていた。

 信じる事が出来る唯一の物だった。


 もう全員が私を哀れに見て避けているから……。


 ヤクザの娘だけで忌み嫌われてきて、誰も周りに居なかった。


 こんな自分が嫌だった。けれど、これしかなかった。


 信じる物が何もなかったから。



 私は…………。



 わ……たし……は………… っ!




 そんな私からっ! 誰か私を助けてほしかったんだっ!




「……め……さい」


 ぽろり……。


 目に涙をためていた。

 止める事が出来ず、あふれ出た滴が顔を流れ落ちて行く。

 気持ちを抑えられず、泣き叫んでいた。


「ごめんなさいっ! ごめんなさいっ!! 酷い事してごめんなさいっ! ごめんっ、うぃっく! なさいっ!」

「うん、ちゃんと謝れたね。良い子だよ。私は大丈夫だよ。ユカリちゃんの辛さがいっぱいわかったから、気にしてないよ。私がその辛さを無くしてあげるからね」

「あぁっ! うあーあーあーっ! うあああぁぁぁっ――――――――っ!」





 私はその日から改心した。


 花音の事をヤクザの世界で言う、姉御と言って慕おうとしたが、嫌がられた。

 その代わりにお姉様と呼ぶ事は許してくれた。

 お姉様を誰よりも慕い、敬愛する人となった。


 いつしか私はお姉様の側で、お姉様の理想の為に働く事が幸せとなっていった。


 お姉様に褒められて行く事がとても嬉しい。


 そして私は変わり始めていった。


 もう人を傷つけない。大事な人を守りたい。

 そんな人になっていた。


 犬の様にお姉様にじゃれつく毎日が幸せで、今までにない安らぎの生活となっていた。

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