〈6〉
「・・・今時あんなナンパする奴等いるんだな・・・。」
呆れたように息を落としながらカフェモカのストローを吸う。
「・・・」
ブリジットは答えない。
さっきの一件があってから、ぼくらは場所を変える事にした。フロアを横断し、連絡通路を経由して隣接するララガ(この言い方が適切なのかどうかは甚だ疑問だ)に移動し、目についたカフェに入った。
その間中ブリジットはずっと押し黙り、殆ど喋っていない。
「ずいぶん大人しいけど・・・大丈夫? 意外に気が小っちゃいんだなきみは。」
前半は素直に心配しながら。後半は揶揄うように。そう言ってみせる。
「・・・声が大きい人は苦手なんだよ・・・。」
角砂糖をスプーンの先でいじりながら聞こえないくらいの大きさで零すブリジット。その口調はいつもよく聞くような、ちょっと拗ねているようなムッとしたようなものだが、その力がとても小さいせいもあってまるで叱られた子供がいじけて甘えているように聞こえる。
──前に言っていたな、そう言えば。不意に思い出す。
ブリジットは声が大きい人が苦手だと言っていた。普通に喋っているだけでも威嚇されているみたいに感じるからと。
自分が小柄だから尚更そう思うのだろうか、あるいは子供の頃の嫌な思い出が起因しているのか、それは与り知らぬ処ではあるが、今の彼女を見ればそんな事はどちらでも関わりない事だ。
怯えている・・・わけではないと思うけれども、すごく、気落ちしているように見える。目の前のドーナツや温かい紅茶にも殆ど手を伸ばしていない。
正直言って、ブリジットがこんな顔をするなんてとても思わなかった。
ぼくの知っているブリジットは、基本的に元気で快活で、人を見下し、笑顔が絶えず、人を困らせることに貪欲で、アウトを恐れず突き進み、人をバカにし、いつも楽しそうで、人を貶める事に躊躇無く、──けれど、ちゃんと、可愛い。
そう言う子だ。
そんなブリジットが、恐らくそう珍しい事でもない何気ない日常的な「他人による干渉」に、こうまで困惑し、こうまで落ち込み、──もしかしたら傷ついているのかも知れないなんて、思いもよらなかった。
そう言われれば、確かに。
──ぼくは、ブリジットの事を知らない。
彼女がどう言う事が好きで、どう言う事が楽しくて、どう言う事が嫌いで、どう言う事を恐れるのか。
ぼくは、殆ど知らないんだ。
意外に落ち着きがなくあちこち目移りしがちだって事も。
年上のお姉さんに話し掛けられてわたわたした表情も。
実はピアノが得意だったって事も。
意外と嬉しがりの子だって事も。
不躾な初対面の人間に、恐怖に近い感情を抱くって事も。
今日、初めて知った事だ。
ぼくはスタジオで見る彼女の印象で彼女の全てを見て知って理解した気になっているだけだったかも知れないな。
「──日本語解らないフリすれば良かったのに。」
「え?」
ブリジットが素っ頓狂な声とともに顔を上げる。
「きみ自身かなり忘れがちだと思うけど、きみって見た目は100%外国人なわけだからさ。怪しい人に話し掛けられたら日本語喋れないフリすれば良いんだよ。」
ぽかんとした顔つきでぼくの顔を見つめるブリジット。そんなにおかしな事を言ったつもりは無いのだが・・・。
小さく咳払いを落として視線を外し、傍らのカフェモカを口に寄せる。
と、不意に、ブリジットが小さく吹き出したように聞こえた。
目線だけそちらを向けてみる。ブリジットは手元に視線を落として俯いている。前髪に隠れたその表情は良く見えないが、口許はやや緩んでいるようにも見えた。
前髪の隙間から覗く頬が微かに赤みを帯びて見えるのは、店内の照明の故か、あるいは温かい紅茶の故か。
パッと顔を上げるブリジット。良くするような、ちょっと人を小馬鹿にしたような笑顔を見せる。
「ワタシニホンゴワッカリマセェーン。」
「今かよ。」
驚くほど流暢に片言の日本語を放つブリジット。イントネーションもボディランゲージも腹が立つくらいテンプレ過ぎて完璧だ。
「だって怪しい人に話し掛けられたらそうしろって阿部さん今言ったじゃ〜ん!」
「ぼく怪しい人認定!?」
「怪しいよ〜! 1人で夜道を歩いていたら電柱1本ごとに職質されるレベルだよ〜!」
「夜迂闊に出歩けないレベル!!」
ぼくのツッコミに悪戯っぽくニッと笑うブリジット。
──ぼくは、ブリジットの事を知らない。
だから、このどうでも良くてありきたりで下らなくてバカバカしい会話で彼女が元気になれたのかどうかも判らない。
「・・・ぼくらって、傍目にはどう見えるかなぁ?」
追加でオーダーした3つめのドーナツを飲み込みながふとそんな事を訊いて来る。この子はさっきから食ってばっかりだな。
とは言え、うーん・・・。ぼくは思わず腕組みしながら思索を巡らす。何とも深遠な疑問だ。
10代半ばと思しきブロンドツインテの小柄な少女と、明らかに良いトシしたさえないオッサンと言う組み合わせ。
街中を歩いていた時もぼくらはそれなりに奇異の目に晒されていたが、彼らはぼくらをどう言う関係だと思っていたのだろう。
「恋人同士・・・と言いたいとこだけど、まぁ、ちょっとそうは見えないだろうねぇ。 」
冷静な分析眼を披露する。常識的な見解から言って犯罪である。この見方は除外すべきだ。ぼくは臭い飯には興味が無いのだ。
「やっぱりパパかな?」
「そう、それ! 酷いよきみ! 何て事言ってくれるんだよ! いろんな意味できっと誤解されたよ!」
思い出した。これはちょっと糾弾しておく必要がある。
どう考えたって先祖代々純度100%のネイティブ日本人であるぼくの遺伝子からブリジットみたいな娘が生まれるわけはない。
第一、多分、親子と言うほど歳が離れているわけではない・・・と思う。恐らく。
ブリジットに声を掛けたあの不躾な少年たちがどう思ったかは知らないが、少なくともあの時ぼくらを遠巻きに見ていた周囲の人々は、ブリジットのパパ発言に一瞬ざわっとなった。「あぁ・・・そう言う方面の・・・」とでも言いたげな空気が充満していた。
軽々しく名前を呼ばない方が良いと言う状況だったのを素早く察知してくれたのは良かったとは思うが、それでもよりによってパパでなくても良かったんじゃないかと。ぼくは強く訴えるわけです。
「ん〜〜〜・・・じゃあ、純真無垢な若い少女を騙す悪いオトコ?」
「酷い誹謗中傷だ!! もっと悪くなった!!」
臭い飯ルート確定かこれは。