〈4〉
地下鉄に揺られる事10分程度。目的の駅に到着した。
ここから先はもう終着駅しか無い。まばらに乗っていた乗客も大半がここで降車した。
改札を出ると人の流れは左右に分かれる。ざっくりと分ければ、右側にはオシャレなブティックが数多く入るララガ(笑)に向かうオシャレでキレイなお姉さんがたが、左側には幅広い年代・性別向けのお店が揃うモールへ向かう男性や家族連れが多い印象だ。
女子力アップを志すブリジットは迷わず右へ・・・行かないんだ、これが。
「あれ、モール行くの?」
「テントとか寝袋とかランタンとか欲しくない?」
「ガチでインドア派のきみが?」
行動原理が全く分からない。
地下鉄構内から直接店舗に接続されている長いエスカレーターを昇る。
気圧の関係的なアレのせいか風が吹き抜ける。
ブリジットの長い髪とともに、生地の薄いフレアスカートの裾が風をはらんで大きく広がる。何となくブリジットの真後ろに立っておいた。
エスカレーターの段差を含めてもまだブリジットの方が少し小さいくらいだ。この子は本当に小柄だ。
店舗に入ると数多くのブランドのショップが賽の目状の通路に沿って所狭しと並んでいるのが目に入る。人が多い、と言う程ではないが、閑散としていると言う印象はない。
ブリジットは早速あちこちのショップを覗き込んでいる。気に入った服を手に取り、生地やデザインを確かめ、そして値札をチラッと見て「おっと・・・」みたいな顔をして、さも「あんまりこう言うの好きじゃないなぁ」とでも言いたげに小首を傾げて見せて、そそくさとハンガーに戻す。あるある。
金髪碧眼の小柄な美少女と言う風体はショップの店員さんたちにとっても多少扱いに苦慮するところがあるようだ。
普通の女性のお客さんと同様、興味のある素振りを見せればここぞとばかりに近寄ってきていろいろオススメする店員さんと、何と無く話し掛け辛そうに少し距離をとって彼女を見守っている店員さんと、パッと見半々と言ったところだろうか。
ぼくがこう言うオサレなショップに足を踏み入れようものなら、ものの3分で店員さんのセールストークの餌食となりおサイフから諭吉先生が数人旅立って行くのが常なのであるが。
結局ブリジットはフラフラといろんなお店を冷やかすだけ冷やかすだけだった。
アパレルのお店だけでなく、バッグや雑貨のお店、さらには「そこは男もののお店だよ?」と言う所にも目移りする始末だ。
そうではあるが、これと言ってまだ買い物らしい買い物はしていない。
「せっかくここまで足を伸ばしたのに良いの? 予算とか気にしなくて良いんだから・・・」
「そうは言ってもニートにたかるのは気が引けるわけ。」
「ニートじゃねっての。」
相変わらず失敬千万だ。会話の中で相槌を打つような気軽さでぼくを貶める事にかけてはブリジットの右に出る者はいないと断言できる。ブリジットさんマジブリジット。
「それに、いきなりいろいろ買っちゃうと荷物になっちゃうかなって。せっかく遊びに来たんだからいろいろ見て回ろうよ」
どうもこの「お出掛け」に対する捉え方がぼくとブリジットで若干の差がある模様だ。チャチャっと買い物を済ませてハイ終了。じゃあまた明日。と言う簡単な話ではないらしい。
楽しげに鼻歌なんかを鳴らし、あたりをキョロキョロしながら先を歩いて行くブリジット。彼女の気分の赴くままに立ち止まったりちょっと駆け出したり、たまにこっちを振り返って「これどうかな?」なんて言いながらニコッと笑う。
見る人によっては「ハイハイ爆発爆発。」と舌打ちとともに恨み節を投げかけられないシチュエーションのようにも思えるが、どちらかと言うと巨馬にまたがり朱槍を構えて都を悠然と気侭に闊歩する主に付き従う捨丸のような気分だ。たららん。
連絡通路を通って別棟へ移動する。
通路を抜けると右側には楽器屋さんが広がっていた。
ギター、ベース、ドラム、鍵盤、金管、木管、それにDTM関連機器やスコアや教則本などが所狭しと並ぶ店舗敷地の1番手前にあるのはデジタルピアノのコーナーだ。
おもむろに椅子に座り、ぽろろんと鍵盤を鳴らし始めるブリジット。
ウォーミングアップのように規則的な音符の並びを奏でていたかと思いきや、不意にオタマジャクシたちが優美なダンスを踊り始めた。
繊細で優しく叙情的なハーモニー。ゆったりとしたメロディ。空気の流れが変わったようにすら感じる。
音楽の授業とかTVとかで聴いた覚えのある曲だが・・・。
「ぼくにぴったりなタイトルの曲だよ。」
穏やかな旋律を休め、顔だけこちらに向けて小さくそう言うブリジット。
「え? 『腹黒で性悪で嗜虐的な少女の残忍な微笑み』とか?」
「酷っどいなぁ阿部さん! そんな曲ないでしょっ! 『亜麻色の髪の乙女』だよっ!」
確かに・・・ピッタリだ。
「ヴィレッジ・・・」
「そっちじゃなくて! 古いね阿部さん!? そっちにしてもそっちチョイス!? ドビュッシーだよ!」
あぁ、そうだったそうだった。『月の光』。うん。教科書レベルの知識。と言うか厳密にはドビュッシーの方がもっとずっと古い。
にしても、ちょっと意外だ。ブリジットがピアノが弾けたなんて。
「何でそんなの弾けるのさきみ・・・?」
「フランス人だもんさ!」
得意げに胸を張る。だが圧力に乏しいのが不憫でならない。
そう言えばブリジットによればフランスの幼稚園では数字の数え方よりも先にマルセイユ・ルーレットを教わるそうだから、ドビュッシーやラヴェルなんて子供の嗜みだろうし、画用紙に落描きをさせればどの子でもゴッホやルノワールの如き印象画が出来上がるのだろう。フランスパネェ。
「シューマンとかも弾けたりする? 『子供の情景』ぼく結構好きなんだけど。『トロイメライ』とか。」
「弾けるわけないじゃん。シューマンはドイツ人でしょ。」
「何だよそのこじらせたナショナリズム!」
「『幻想即興曲』とかなら弾ける。」
「何で『幻想』弾けて『トロイメライ』弾けないんだよ! シューマンの方が遥かに簡単じゃんか! 第一ショパンはフランスで活躍したけど生まれはポーランドだからね!?」
何だかもう、色々とめちゃくちゃだ。
上階へと続くエスカレーターに乗る。
この上はシネコンになっている。ポップコーンの甘い匂いが漂って来た。
壁に貼り出されているポスターを吟味するブリジット。あんまりピンと来てない様子だ。
ぼくとブリジットの間に、映画はほとんど話題に上がらない。劇場版アニメとかなら話は別だが。普段からブリジットは映画はあまり観ないらしい。
今は、探偵がバーに入り浸る的な作品が話題になっていると言う話だ。
きっとモジャ毛の探偵がカブで工事現場に突っ込んだり周りの人々に酷い料理をお見舞いしたりする映画なのだろう。
ひとしきりロビーを見て回ったあと、ブリジットは肩を竦める。
「今日は映画はいいや。映画なんて2時間座ってるだけじゃん、時間が勿体無いよ。」
「あぁ、そう?」
「・・・って昔桂先生が言ってた。」
「良く覚えてるなそんなの。」
その作品が連載されてたのって余裕でブリジットが生まれる前のような気がするのだが。