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【揺花草子。】(1)  作者: 篠木雪平
第5話『リトル・プリンセス』
22/30

〈3〉

「『おひめさま』は、ぼくと同じ言葉がしゃべれるんだね。」


 もらったドロップを口の中でころころさせながら、ぼくは右隣に座ってる『おひめさま』に聞いてみました。

 『おひめさま』は、自分がそう呼ばれるのが少し恥ずかしそうでしたが、


「きっと、ブリジットが私のお話を聞いてくれようとしてくれているからね。」


 そうニコッと笑いました。

 『おひめさま』の言ってる言葉の意味はよく分からなかったけど、たぶんほめてくれたんだと思います。


 そこは裏手にきれいな小川が流れる、森の中に隠されたような古い建物でした。

 崩れた壁の穴や窓の隙間から植物が伸びていて、マーガレットによく似た白い花が咲いていました。

 ガラスは割れていて、窓からまっすぐに差し込む光が床の上に散らばったガラスに反射してキラキラしています。

 いくつか並んでいる木の長椅子はどれも脚が折れていたり穴が開いていたりで、子供のぼくでも座ったとたんに壊れてしまいそうだと分かります。

 高いとんがり屋根もぼろぼろで、さっきちょっと降ったにわか雨のせいで床があちこち濡れていました。

 大雨になっちゃったら大変じゃないのかなあと思いました。


「『おひめさま』はずっとここにいるの? ママンやパパンはどこにいるの?」

「私は、私とお話したいと思っている人のところに行くのよ。」

「えぇ〜? よく分かんないんだけど・・・」


 『おひめさま』はまたとんちみたいなことを言いました。たぶんぼくが困るのを面白がってるんだと思います。


「──それからね、黒い服を着たおとなのひとたちがいっぱいところに行ったの。」


 雨上がりの優しい日差しが注ぐ建物の片隅で、ぼくは『おひめさま』といろんなお話をしました。

 「日本」ていうところから来たとか、「ひこうき」っていう乗り物に乗ったとか、幼稚園の友だちとかママンのこととか。

 それに、この何日かのママンの様子とか。


「ママンはね、ここに来てからすぐ泣いちゃうようになっちゃったの。

 あんまり泣くもんだから、『なんで泣いてるの?』って聞いてみたの。

 そしたらママンは『神様が来てくれたからよ』って教えてくれたの。」


 『おひめさま』はぼくがしゃべるのを静かに聞いていました。

 ふわふわに揺れる髪とドレスがほんとうにきれいです。


「神様が来ると泣いちゃうの? 神様がママンにいじわるしちゃうのかな?

 神様はわるいひとなの?」


 そう尋ねると、『おひめさま』は少しだけ悲しそうな瞳をして、優しくぼくの頬に触れました。

 暖かい手。

 そうっとぼくの目尻を指でなぞると、『おひめさま』の指先に光る水滴がつきました。

 ぼくもいつの間にか、泣いていたみたいでした。

 神様が来たわけじゃないのに、おかしいなあと思いました。


「神様はわるいひとじゃないのよ。

 ただ、滅多に会えないから、きっとブリジットのママンもびっくりしちゃったのね。」

「ママンをいじめに来たんじゃないの?」

「もちろんよ。神様は──赦しに来たの。」


 はじめて聞いた言葉でした。


「ごめんなさいってね。ママンが言うのを、聞きに来たのよ。」

「ママンは悪いことなんてしてないもん!」

 

 怒りながら立ち上がるぼく。

 『おひめさま』はぎゅっとグーにしたぼくの手をそっと取り、


「──もちろん。」


 優しく微笑みながら、なにかをぼくの手に握らせました。

 珠みたいな鎖のようなものがついている、小さな小さな十字架。細かい装飾がとてもきれい。


「・・・かわいいペンダント。でも首にかけるのには鎖の長さが足りないかな?」

「首に下げるものではないのよ。

 いつも見えないところに身につけていて、あんまり見せびらかしてはダメ。」

「こんなにかわいいのに?」

「女の子は少しぐらい秘密があった方がミステリアスでいいのよ。」


 『おひめさま』がそう笑います。

 なんだかよく分からないけど、とてもどきどきしてきました。

 すごく、おとなのひとみたいなことを教えてもらった気がします。


「──ねえ、ブリジット。

 帰ったら、ママンに言ってあげて。」

「え?」

「『ママンはもう赦されていたよ。』って。」


 ふしぎな言葉です。

 聞いたことのない言葉なのに、なぜか心が暖かい風で満たされるみたいな。

 とても嬉しくなる言葉。

 ママンも、きっと、同じ気持ちになってくれるかな?

 ──ママンは、もう一度、笑ってくれるかな?


 ・・・だけど・・・。


「難しい言葉・・・ちゃんと言えるかな・・・」

「大丈夫。」


 『おひめさま』はまた優しくぼくの頬をなでてくれました。


「その十字架を触りながら、目を閉じて、私のことを思い浮かべながらゆっくり三つ数えてご覧なさい。」


 『おひめさま』の言うとおり、そっと目を伏せて、小さく三つ数えるぼく。

 ふしぎと、心が静かになってきました。

 風が吹き抜け、木々の葉が揺れる音。小川のせせらぎ。鳥たちのさえずり。

 そして、暖かい光。

 それらがぼくを優しく包み込むような。


「とっておきの、落ち着くおまじない。──秘密よ。」


 『おひめさま』はまるでいたずらっ子のようににっと笑いました。

 その笑顔があまりにも素敵だったので、ぼくはまたどきどきしてきました。

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