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【揺花草子。】(1)  作者: 篠木雪平
第1話『指先の星』
2/30

〈2〉

「阿部さんダーッシュ! はっしれ〜!」

 元気良くそう言うや否やブリジットが駆け出す。

「ちょっ! 待って!!」

 慌てて追いかける。

 スタジオの入っているビルから外に出ると、初夏の燦々と降り注ぐ昼下がりの陽射しの合間を縫うようなにわか雨が降っていた。

 天気が崩れるなんて聞いてなかったけど。光る雲の向こう側でほくそ笑んでいるであろうお天気の女神様に軽く悪態をついたところで意外に大粒の雨は一向に収まらない。

 (たったの)1、2分待っても回復しない天気に業を煮やしたブリジットが、信号の変わりばな、アーケードまでダッシュ決め込んだのだ。

「阿部さん早く早く!」

 早くもアーケードの軒下に辿り着いたブリジットが吹き出しながらぼくを急かす。

 ほんの100メートルかそこらだけれども、こんな全力ダッシュなんて日頃なかなか無い。

 ようやくアーケードに辿り着くも、

「ちょっと・・・ブリジット・・・ま・待って・・・」

 もう死にそうだ。

「もう、阿部さんだらしないなぁ〜! 絵に描いたような引きこもりだね!」

「う・・・うるさいよ・・・オッサンの体力なめんじゃないよ・・・」

 ぜーぜー言うぼくの顔を覗き込みながら悪戯に笑うブリジットに精一杯の皮肉で返す。

 と言うか皮肉にすらなってない所が我ながら情けない。

「あ・・・止んで来たね・・・」

「だからもうちょっと待てば良かったのに・・・」

 ようやく息が落ちついて来た。アーケードの陰から空を見上げて苦笑するブリジットに、少しだけ咎めるような口調で応える。

「まぁまぁ。過ぎたコトはいいじゃない。覆水ボンボヤージュってね!」

「申し訳程度にフランス人キャラ出すのやめてくれよ。それに若干イミが通らないよ。」

 ぼくよりよっぽどオッサン臭い事を唐突に言い出すから実に質が悪い。

 

 一瞬空に掛かった雲は早くも霧散した。

 雨上がりの街並に明るい陽射しが戻る。まだ少し濡れているブリジットの色素の薄い髪が陽の光を照り返していっそう明るく見えた。

 少し紅潮した頬の上でキラキラ弾ける光。

「・・・ん? 阿部さんどうかした?」

「えっ!?」

 ──不覚にも見とれていた。ぱっと視線を逸らして小さく咳を払う。

「い・いや・・・けっこう濡れちゃったなって思って・・・」

「だからゴメンってば〜! そんな言わないでよ、もうっ」

「あ、いや、別に責めてるわけじゃないよ・・・」

 わざとらしく甘えるように拗ねるブリジットに少し慌てて弁解する。

「あっ、じゃあもしかして見とれてた〜? まぁ、しょうがないよねえ! 水も滴る良いブロンドツインテ少女ってね〜!」

 揶揄うように笑うブリジット。微妙に新しい日本語が生み出された模様だ。

「・・・んで? きみの女子力アップのためにこれから何を買いに行くわけ?」

 ちょっとだけ呆れた表情を装って改めて目的を問い直す。

「そうだね〜・・・まぁやっぱりまずはカタチから入るわけですよ。服とかアクセサリーとかコスメ的なアレとか買いに行こうよ。」

「えぇ〜? そこからなの? 道のり遠いなぁ・・・」

 もういっそ密林とかオークションとかで手っ取り早く『女子力』とか買えないものだろうか。

「あのねぇ阿部さん。スターは1日にしてならずだよ? 手売りとか握手会とかお渡し会とか経て知名度上げてくんだよ。」

「何をお渡しするんだよ。」

「そう言う努力の末に夢とか目標は現実に出来るってこと。千里の道も一歩からって言うじゃん?」

「いやそりゃ言うけど。言うけどもさ。」

 じゃあ何か、ブリジットが女子力を獲得するまで千里も歩かなきゃいけないって事か。遠いにも程があるだろ。

「母をたずねて海底二万里とかさ。」

「お母さん深海魚かなんかなの!?」

「イヤイヤ、アトランティス人。ブルーウォーター的な。」

「地球人ですらなかった!!」

 そんなお母さんとはいっそ親子の縁を切ってしまえばいいと思う。

「涓滴岩をも穿つって言うじゃん。最近の若者は拙速に結果を求めるばかりでホント嘆かわしいよ。そんなことで大事を成せるものか!」

「きみの方がぼくよりずっと若者だよね!? しかもそれぼくさっきおんなじような事言ったよね!?」

 相変わらず思いついた事を適当に言い並べるばかりのトークスタイル。安定の軽口プリンセスぶりだ。

 だがまぁ努力を重視する姿勢は評価して良いとは思う。

 

 午後の火照った空気をさっと冷ました通り雨がアーケードの縁からぽたぽたと垂れる。

 ぼくらの住む街は地方の中枢都市ではあるが、決して目も眩むような大都会と言うほどではない。

 街の中心部にある駅の西側、縦横に結ばれるアーケードを外縁とした1キロ四方かそこらの狭い範囲で凡そ買い物らしい買い物は全て済ませられるほどの、こじんまりとした作りの街だ。

 尤も、その領域内にブリジットが欲しがる『女子力』が売られているかどうかは何とも判断がつかないのであるが。

 商店街をブリジットと並んで歩く。小柄な彼女は歩幅も小さい。ぼくの歩くスピードも普段より少しゆっくりだ。

 特にどこに行くと決めているわけではなく、なんとなく目についたお店の入り口から中を覗き込んでみたり興味が引かれたらちょっと中まで入ってみたりと言った具合だ。

「阿部さん阿部さん! 見てこれかわいくない?」

「ほら阿部さん! これすっごいよ! 面白〜い!」

「ねえねえこれどう? 似合うかな?」

 行く先々でこんな調子だ。

 服のお店だけでなく、靴屋さん、帽子屋さん、アクセサリーショップ、さらにはどう考えても女子力とは関係無さそうなケータイ屋さんや林檎屋さんと、ブリジットの興味はどうにも拡散しがちだ。

 面倒臭い気持ちが顔に出ないように取り繕いながらブリジットについて歩く。

 けれどさすがにアーケードの角のランジェリーショップに一緒に入って行くのは躊躇われるので出来れば今日は遠慮して欲しい。


「なんか今日ちょっと人多いね?」

 いつの間にか買っていた(買わされた)抹茶ソフトをぺろぺろしながらブリジットが周りを見回す。

「今日土曜日だもんさ。」

 そう応えるとブリジットは「あぁ〜」と気の抜けたような返事をする。

「阿部さんは真正引きこもりだからこんなに人がたくさんいると呼吸困難になるんだよね?」

「きみは一体ぼくの事何だと思ってるのさ! どんだけ対人恐怖症だよ!!」

 流れるように人を腐すこの会話術は悪い意味でさすがと言わざるを得ない。

 とは言え、確かに、今日は普段の街とは何か違う感覚だ。ごくごくありふれた休日の午後である筈なのに、微かに這い寄る謎の違和感。

 だがその理由は探るまでもなく明白だ。ぼくは雑踏の片隅でその「答え」を横目でちらりと見やる。

「ん? なに?」

 ブリジットはきょとんとした表情で小さく小首を傾げる。その可愛らしい仕草にわざとらしさは無く、普段の大概な口ぶりとは裏腹に素の彼女がそれなりに自然な品の良さを備えている事を仄めかしている。

  ブリジットは余り気付いていないみたいだけれど、実はぼくらはけっこう道行く人々の注目を集めている。なんだかんだ言って清楚可憐な金髪美少女、その様は街角に咲き誇るマリーゴールドに似て・・・と言うと少し褒めすぎかも知れないが、まぁ人々の目に止まりやすいのは間違いない。

 そして、そんな明眸皓歯の金髪美少女とさえないオッサンと言う組み合せは確かに目立つようだ。すれ違う人々は一様にブリジットの佳麗さに一瞬目を奪われ、次いで並んで歩くぼくの姿に猜疑心を隠さない表情を見せていく。

 なんだか少し、くすぐったい。

 ・・・と言うか、むしろ、むず痒い。

「阿部さん、はいっ」

 言いながら抹茶ソフトをぼくに差し出す。クリーム自体は綺麗に食べられており、コーンだけが残っている状態だ。

「コーン食べないの?」

「その方が女子力高そうじゃん?」

 根本的に女子力を履き違えてる気がする。だが、余り中途半端な事は言わない方が良い事は経験上良く知っている。


「・・・歩き疲れたのです。」

「早いな。そしてなんで敬語?」

 ご存知シアトル系コーヒーチェーン店でものっすごい値の張るフラペチーノにストローを立てながらブリジットがぼそっと呟く。

「て言うかそれなに? すっごいトッピングしてたけど・・・」

「え? ホワイトチョコレートモカフラペチーノのグランデに追加でキャラメルソースヘーゼルナッツシロップチョコレートチップエキストラホイップのエスプレッソショット1杯だけど。」

「スラスラ出るな!! なにスペシャルだよ!!」

 このまるで呪文のようなオプションをそらで言い放つぐらいにはマニアックらしい。

「疲れたって、まだ何も買い物してないよ? いいだけ冷やかしてるだけのただのイヤなお客さんだよ?」

「だってあんまりピンと来るもの無かったんだもんさ〜。」

 そう不貞腐れながらテーブルに顎を乗せるブリジット。顎を支点にして左右にフラフラ頭を動かすたびにふわふわのツインテが揺れる。

 今日のブリジットは透け感のあるパステルカラーのチュニックにふわっとした花柄マキシ丈スカート、足元は花のコサージュが可愛らしいウェッジソールのミュールと言う出で立ちだ。

 ここまで立ち寄って来たいくつかのショップで同じようなものをいくらでも見たような気がするけれども、今ブリジットが着ている服との違いは良く分からない。なんでブリジットが気に入らなかったのかも皆目見当がつかない。げに奥深きかなファッションのセカイ。

 ともかく、オシャレ力アップと言う当初の目的は何一つ果たされていない。消えモノで予算を使い切るわけには断じていかないのだ。

 駅前にいくつかある所謂ファッションビルにでも足を向けるか・・・。それとも古着屋さんとかどうかな・・・? でもスーパースターが古着ってやっぱりナシか・・・?

 ソイラテをちびちびと啜りながらそんな事を思っていると、

「ねえ、モール行かない?」

 不意にブリジットが顔を上げる。彼女も彼女なりにいろいろ考えを巡らせていたらしい。頭をころころさせながら。

「モール? 何でわざわざ?」

 地下鉄で移動しなければならない程の所に行くまでもなく、街中で大概の用は事足りる。

「せっかくのお出掛けだしさ。ちょっと遠出とか楽しそうじゃん? 遠足みたいでさ!」

 おどけた笑顔を見せるブリジット。

 遠足ならおやつは500円までと相場が決まっている。既に彼女の目の前にあるフラペチーノで充分予算オーバーだ。

「遠出ならモールよりもアウトレットパークの方が良くない? 電車1本だよ。」

「ララガあるしね。」

 その表現が若い子の間では一般的な略称なのかどうかは不明だ。

「映画館もあるしさ。」

 映画をおごるのも経費と言う名のぼくの出費になるんですか。

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