〈3〉
「立ってないで座りなよ、阿部くん。」
帽子に促されるままに、とりあえずソファに腰を下ろす。差し出されたお茶のペットボトルを一息に飲み干した。
「えっと・・・、まずきみは・・・。」
──いや、違うな。順番が違うな。大人として。
「聞いてるかも知れないけど、ぼくは阿部です。」
「阿部さん。」
「うん。」
「ウホッの人ですよね?」
「違うよ!?」
『ですよね』ってどう言うコトなの。マジでこの子なんなの全然イミが分かりません。
「あれ? でもガチホモニ次元キモオタクソニートって・・・」
「どこ情報だよそれ!?」
こんな穢れを知らないような清楚可憐な外国人少女が口に出して良い筈がない単語がさっきからボロボロ零れてるような気がするんですけど一体これはどう言うコトですか。
「中の人が。」
中の人って何? もう何なの5秒おきに疑問が増えて行くんだけど。バイバインを駆逐できるレベルの増殖効果なんだけど。
「ここではぼくの事は『中の人』って呼んでくれよ。」
帽子のドヤ顔が腹立たしい。それちょっとイミ違うくないですか。
「或いは『チェシャP』で。」
「いや『中の人』で。」
「いや『中の人』で。」
不思議とこの少女と声がユニゾンした。
この謎の少女との初めての共同作業はプロデューサー気取りをツッコミと言う名のケーキナイフでぶった切る作業でした。
「阿部さん、下の名前はなんですか?」
・・・まぁ、聞くよね、そりゃ。
面倒臭い思いが頭を過りつつ、軽く居住まいを正す。こう見えても若い子には優しくしたいと思っているのだ。特に女の子なら尚更だ。ただ問題は優しくする機会が少ないと言う事だけだ。
「『あさお』だよ。『阿部麻生』。」
テーブルの上に転がっていたペンを手に取り、傍らのメモ用紙にさっと書き殴る。
「ふーん・・・。」
あべあさお・・・。ぼくの書いた汚い文字に視線を落としながら、独り言つように小さく反芻する少女。
次に来る言葉を脳内シミュレートしながら、愛想とも呆れともつかない笑顔を返す準備は万端だ。
・・・だが、そのシミュレーションは敢えなく瓦解した。
「ローゼン的な?」
「ビックリだなそう言う訊き返され方は初めてだわ!!」
ホントに何なんだこの子は。
「ホントに何なんですかきみは。」
あ、言っちゃった。
「え、ぼく?」
きょとんとした表情の少女。軽く小首を傾げる仕草にはだが決してわざとらしさが滲んではない。
「うん、ぶっちゃけその一人称から問い質したいんだけどそれは次のターンに取っておくとして。」
「ぼくは、ブリジットです。」
ぴょんと立ち上がったかと思うとぺこっと丁寧にお辞儀をして、顔を上げてニコッと微笑んでそう答える少女。
明らかに『Brigitte』ではない、バリバリカタカナで『ブリジット』と大変滑舌良く発音しました。
「あ、フルネームはブリジット・シャルロット・バーキンね。フランス人です。」
ソファに座り直しながら付け加える。
「日本語上手だね?」
「幼稚園入る前から日本で暮らしてるからね。」
こんな若いフランス人の少女が遠く日本のこの片田舎の地方都市で暮らす事になった経緯は、ぼくの貧困な想像力では生憎と想像が及ばない。
「えっと・・・ブリジットちゃんは・・・」
「あ、ブリジットで良いですよ? 長いし。」
いやでも初対面の子をいきなり呼び捨てってのはちょっと・・・。
「なんなら尊敬と親愛の念を込めてアントワネットでも良いです。」
「最終的にはギロチン食らうハメになる件については構わないの!?」
とは言えまぁ、そう言うなら。
「その・・・ブリジットは・・・」
「あっ! ちょっと待って!」
言葉を選んでいるうちにパッと両手を突き出してぼくを制止するブリジット。
「ターン制なら次はぼくが質問する番ですよね?」
何だそのルール。誰が言い出した。あ、ぼくか。
「う、うん。そうだね。じゃあどうぞ。」
ブリジットは満足気に大きく首肯する。
「阿部さんはライトボウガン使いだと伺ってますけど絶対的な火力不足にはどう対処してるの?」
「初対面の人に最初に訊く質問がそれなの!?」
そりゃマジレスすればクエスト前に狩猟対象の弱点属性弾を速射できるボウガンに持ち替えるとか弾と調合素材はMAX持つとかワナや爆弾も持てるだけ持つとかそんなんですけどね。問題はそこじゃないですよね。
「ち・ちなみに参考までにブリジットはなに使ってるの?」
「ぼくは根っから大剣使いです。男のロマンですよ! ティガ5分針余裕です。」
「男のロマンって言うか、きみ女の子だよね? て言うかすごいなきみ!!」
と言うかなんでこの外国人の少女はゲームの話題でこんなにドヤ顔出来るんですか。
・・・と言うか。
「女の子・・・で良いんだよね・・・?」
念のため訊き直す。
「ちょっと! チラッと視線下げながら言わないで!!」
「ささささ下げてない!! 誤解だよ!!」
「うっそだぁ〜! ちょっとエロいカオしてたも〜ん!!」
胸元を押さえながら真っ赤な顔でそう言い放つブリジット。これは看過できない誹謗中傷だ。
「い・いや、きみ自分のこと『ぼく』って言ってるから、まさかとは思ったけどさ・・・」
「『ぼく』はキャラだよ!」
キャラなのかよ!! マジでか!! 言い切るのかよ!!
「あ、いや、キャラ作ってますのキャラじゃなくってね? そう言う個性ですってイミだからね? 子供の頃からそうだったからずっとそのまんまなだけで・・・」
・・・なんだかすごいなこの子は。
ブロンドツインテに小柄貧乳にボクっ娘か。詰め込み過ぎにも程があるだろ。
「お望みとあらばメガネも吝かじゃないけど?」
「いやお望みません。」
「じゃあ無口クールとか?」
「それはもうここまで話しただけで絶対無理って解った。」
「ん〜〜〜・・・じゃあ、じゃあ・・・」
いや、て言うか何で萌え属性上乗せの話になってるんですか?
「あっ、帰国子女とかは?」
「おい外国人!!」
本当にこの子は何なんだ。何なんですかこのあざとさ重視のブロンドツインテは。
「・・・いやー、早くも息ピッタリじゃないか。この分なら何も心配いらなそうだな。」
ぼくらの会話を壁に寄りかかりながら黙って聞いていた『中の人』がそう笑う。
少しだけ癪に障ったので、
「ぼくにこんなツッコミスキルがあったたなんてぼく自身今の今まで知りませんでしたよ。」
そう大袈裟に肩を竦めてみせた。
「良かったね阿部さん! そうやって少しずつ自分の可能性を広げて行こうね! そしていつの日か自分と言う名の檻をブチ破って社会復帰を果たそうね!」
「人を落伍者みたいな言い方しないでくれる!? きみ初対面の相手にも容赦ないね!?」
ぼくの必死の抗弁に対して少しだけ気恥ずかしそうにニッと白い歯を見せて笑うブリジット。
「・・・そんじゃま、早速録ろうか?」
言いながら『中の人』がコンソール前のチェアに座り直して傍らのヘッドフォンを身につける。
「え!? まだろくに説明らしい説明受けてないんですけど!? 何をどうすれば良いのかまだ全然飲み込めてないんだけど!?」
「大丈夫だよ阿部さん! ちょっとずつ自分のペースで頑張って行こうよ!」
「だからもうそのペースが終始乱されてるんだっつの!!」
何だこの空間はぼくの言葉が無効化される結界でも張られてるのか?
「それじゃ、これからヨロシクね、阿部さん!」
ブリジット・シャルロット・バーキン。
見目麗しき清楚可憐な金髪碧眼の美少女。
その印象を3回ぐらいひっくり返してもまだ足りないぐらいに。
ものすごく大概で。
ものすごく小癪で。
ものすごく鬱陶しくて。
──でも。
「なんかぼく、これから毎日すごく楽しくなりそうな予感だよ〜!」
この日から始まったぼくの毎日は。
騒がしくも。
腹立たしくも。
面倒臭くも。
──本当に楽しくも、ある。




