〈10〉
「毎日暑いねぇ〜!」
そう唸りながら身体を仰け反らせて天井を見上げるブリジット。
「声デカイなぁおい。ちょっとは慎しみを持ちなよ。」
少し呆れがちに咎める。
「うぅ〜〜〜・・・乙女の柔肌にこの陽射しはキツイんだよう・・・。」
今度はスライムのようにテーブルに突っ伏す。このままゲル状に溶けて行きそうな勢いだ。
言っても室内だけどな。バリバリ蛍光灯だけどな。
ブリジットの女子力アップと言う目的のもと2人でお出掛けをしたあの日から、早くももう1ヶ月程も過ぎていた。
7月ともなるとさすがに朝晩と言えども堪え難い暑さに苛まれ、ギラギラと刺すような陽射しは容赦無く我々インドア派の心身を削り取る。ブリジットではないが、確かにこの光の下に身体を晒すのは可能な限り避けたいとぼくも思う。
そんな熱波の巣窟である街のうらぶれたビルのスタジオで、今日もぼくらは『揺花草子。』の収録だ。
尤も、今は本日2本目の収録を終えてしばしの休憩時間である。
目の前には夏らしい涼しげな葛餅と冷えたお茶が供されている。
「あのさぁ、心頭滅却すれば火もまた涼しって言うじゃん?」
「あぁ、うん、言うねぇ。」
葛餅を一口味わい、お茶で流し込んでからブリジットが唐突にそんな事を言い出した。口にものが入ってる時は喋らないと言う程度の行儀の良さはきちんと持ち合わせている。
「でもさ、この暑さを涼しいって感じるためには相当なレベルで心頭を滅却しなきゃいけないと思うんだよね。」
「まぁ・・・うん、確かに、それ相応の覚悟じゃなきゃダメだろうねぇ。」
「心頭を滅却しすぎて涅槃に入るレベルが求められちゃうよね〜!」
「それはもういろんなものからの脱却だよ!! 暑さ寒さとか関係ないレベルだよ!!」
相変わらず突拍子もない事ばかり言っている。
「あっ、ねえ、今のちょっと面白くなかった? 次の収録のネタにしようよ。」
「えぇ〜・・・? 言うほど面白かったか・・・?」
ブースの向こうで作業中の『中の人』を窓越しにチラリと見やれば、左手でオッケーのサインを出している。採用らしい。適当だな本当に。
「葛餅美味しいね〜!」
「そうだね。でも和菓子珍しいよね。ブリジットは洋菓子専門だと思ってたよ。」
「そんな事無いよ〜! きな粉で飾った葛餅を見てるとニヤニヤ笑顔が零れちゃうよ! 黒蜜の香り大好きだよ!」
「何こまーけっとだよ。どんだけおもち大好きなんだよ。」
ネタの拾い方が強引に過ぎる。
「まぁおやつは涼しげでも暑い事には変わりないけどね。」
「まぁ、確かにね・・・ここだって冷房入ってはいるけど暑いは暑いよね・・・。」
ポケットから取り出したハンカチで額の汗を拭う。
「・・・あっ、そのハンカチ・・・。」
不意に目を止めるブリジット。怪訝に思い手元のハンカチに目を落とす。
黒とグレーのストライプに赤い差し色がシックなタオル地のハンカチ。
あの日の帰り道、ブリジットに貰ったものだ。
「・・・使ってくれてるんだね。」
ちょっとだけ気恥ずかしそうにしながら目を細めて笑うブリジット。
「う・うん・・・まぁ・・・」
思わず言葉に詰まってぷいっと顔を横に向ける。もう少し冷房を強くして貰えないだろうか。
「このネックレスもあの時買ったやつなんだよ?」
そう言いながらブリジットが白い胸元を指差す。
トパーズ然とした(本物かどうかは判らない)黄色の小さな石を包む、手の込んだ金細工のチャームは控え目だがそこそこに存在感があり可愛らしい。
「今までも何度か付けて来てたんだよ? 阿部さん全然気付いてくれないんだもん!」
うう・・・そう言われるともう返す言葉もない。言われるまで気付かなかった。
「これお店で見てすぐ気に入っちゃったんだ〜!」
「そう言えば、確か見た瞬間に『あ〜これ欲しい!』言ってたね。」
「うん! なんかマミさんっぽいなって思ったからさ!」
「何ジェム!? て言うかそう言うチョイスの仕方!?」
「ホラぼくって魔法少女で言ったらマミさんのポジションじゃん?」
確かに両者にはブロンドツインテと言う共通点はあるが、共通しているのはそれだけではなかろうか?
同じツインテとは言えブリジットは縦ロールではないし。紅茶とかケーキとかは好きかも知れないけどあの優雅さは欠けてるような気がするし。
特に局所的には気の毒な程に似ても似つかない。
当然そんな事を言ったら無数のマスケット銃をブッ放された挙句にアベ・フィナーレしてしまいそうなので曖昧な笑顔で誤摩化しておく。
「ア・アクセサリーに気付かなかったのは申し訳ないと思うけど、あの時買った服は着て来てないよね?」
いくらオシャレ力の乏しいぼくと言えども、さすがに服なら気付くはずだ。
「うん、着て来てない。と言うか買ってから1回も着てない。」
「えぇ〜? それはちょっと、ショックだな・・・」
勢いに任せて買ったは良いけれども、善く善く考えたらそんなに気に入った訳でも無かったと言う事だろうか?
ぼくのささやかな落胆を感じ取ったブリジットは、だが小さく笑う。
「だってあれはオシャレ着だよ? 普段は着れないよ。」
あぁ、なるほど・・・そう言う事か・・・。内心軽く胸を撫で下ろす。
「ここぞ!って言う時の勝負服だよ! デートの時とかね〜!」
揶揄うように笑うブリジット。
「あ・ああ・・・そう・・・それはそれは、何て言うか、もう・・・」
もう上手いことツッコミも出来ない。本当に冷房が入っているのだろうか?
さっきから明後日の方向を見まくっているぼくの顔をブリジットがテーブル越しに下から覗き込む。このニヤニヤ顔が小癪な事この上ない。
──とは言え、まぁ。
彼女の言う通り、あの時買った服が『デートの時の勝負服』なのだとすれば。
ぼくがあの服に身を包んだブリジットの姿にお目に掛かる事はもうこの先きっと無いだろう。
とびきりの勝負服として恋人がデートに着て来た服が他所の男に買って貰ったものだと知ったらそのデート相手もたまったものではないだろうが、そこまでぼくが責任を負うべき事でもない。そこはブリジットと、そのまだ見ぬ(そして見る事も無いであろう)彼女の恋人との間で解決してくれれば良い話だ。
「なので、せいぜいタンスの肥やしにならない事を期待します。」
「イヤそれはきみが頑張る話だろ。」
そっぽを向きながら吐き捨てると、さすがにブリジットもムッとした様子で椅子に座り直した。
唇を尖らせ、なにやらボソッと呟いたように見えたが、その声は余りにも小さくぼくの耳までは届かない。
そのまま口を噤んでしまったので、ぼくの方から沈黙を打破しておく。
「・・・イヤ、て言うかさ。趣旨が違うじゃんか。」
「え?」
「取っ掛かりはさ、スーパースターを目指しますよって話だったじゃん? そのために女子力アップですよって事だったよね?」
「あぁ〜・・・うーん・・・え〜っと・・・」
何故か言い淀んでいる様子のブリジット。バツの悪そうな笑顔を見せたかと思うと、
「スーパースターはもう良いや。」
「えええええええ!! それ言っちゃうんだ!?」
余りにも衝撃的な発言にぼくはすっかり絶句する。
「もう良いって言うか、ぼくってもう割とスーパースターなんじゃないかって思い始めた。」
すごいなどんな妄想の世界に生きてるんだこの子は。現実歪曲フィールド過ぎだろ。
「スターって言うか、愛されキャラ?」
「愛され?」
「阿部さんとかにねっ!」
っっっ。
そう言ってブリジットは悪戯っぽく笑う。
「なーんてね! 冗談だよ〜! てへぺろ☆」
安定のあざとさ。大変腹立たしい。
結局、今回もこうだった。
「スーパースターになりたい。」
思い付きで唐突に言い出したブリジット。
気まぐれで、支離滅裂で、周りを振り回す。
そして結末は「もう良いや。」だ。
──もう、笑うしかない。
きっとぼくは、ブリジットに振り回されることにかけてはかなりのベテランさんだ。
だってアレだもんな。
「まあ良いか。」って思っちゃってるもんなぼく。
あざとさ重視のブロンドツインテ。
ブリジットをブリジットたらしめる絶対基本要素。
そのアイデンティティを今日も守ってあげられたとか思っちゃえるもんなぼくぐらいになると。
「・・・さっ、阿部さんそろそろ3本目行こう?」
「あ、うん。もう始める?」
「え? なにそれはもう少しぼくとお喋りしたいってコト?」
「うるさいよ。さっさと済ませて帰りたいよ。暑いんだよ。」
わざとらしく可愛い仕草をしながら軽口を叩くブリジットをピシャリと諌めておく。
こう言うところ所があるから。
ぼくの天敵にして愛すべき仲間、ブリジット・シャルロット・バーキンと言う清楚可憐な金髪碧眼美少女は。
実に、限り無く、ただただ、全く以て、偏に、どこまでも、この上なく。
──この子は、本当に、質が悪い。
あと、スタジオの備品のマイクスタンドにオッサンがてへぺろしてる大変キモいプリを貼るのは地味にダメージがデカいので出来ればやめて欲しい。




