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幕末奇譚 『志士 狂桜の宴』  作者: 夏月左桜
奇譚二十ニ幕 大政奉還
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其之二 大事之前の小事

 夏の暑い盛り。

新撰組から袂を分かった伊東甲子太郎率いる御陵衛士は、老中板倉勝静、山陵掛の柳原前光らに長州の寛大処分を建白。その後、伊東は新井を伴い太宰府へ向かうため京を出立した。

「京を留守にして大丈夫でしょうか」

 伊東の後を足早に追う新井が声を大にする。

 足を止めた伊東は、少しの間を置いてから首だけを後ろへと回した。

「我らが居ようが居まいが時は流れ続けている。胡座をかき、頭を巡らせおれば良いと言うものではない」

「はあ・・・」

「上に立つ者に必要なのは思慮深さと決断力。それに、扇を広げたかの如き視野を持たねばならん」

「扇、ですか」

「風を起こせ、口元を隠せる。時には相手を打つ凶器ともなる。便利な物であろう?」

 顔を戻した伊東は再びその足を進めた。

(しかし・・・)

 名のある書生とも、剛腕な剣士とも思えなかったあの顔が頭から離れない。なのに、放たれた剣気に一瞬肝を冷やした。

 ぞくり、と背筋を撫でられる。

(あの者は、何だ?)

 京を立つ2日前。

 中岡の元を訪ねようと、仲間には告げず京の町に足を向ける。

 幕府が二度に渡って長州征伐に失敗した。その知らせは幕吏の報告よりも早く京から江戸へ駆け抜けた。

 治安維持にと、日々見回りを続ける新撰組に対する風当たりも強い。大通りを闊歩しても、以前の様に家へと駆け込まない。それ所か、一挙一動を観察するように、その姿が消えるまでジッと見つめている。

 反対に、御陵を守護する御陵衛士の評判は悪くない。

 町人だろうが商人だろうが態度を変えない。飲み食いに掛かる金払いもいい。刀をやたら滅多ら抜くこともない。二本差しなのに出来た人物が多いと声も高くなっていた。

 同じ黒の羽織りを身につけていても、新撰組と御陵衛士では町人達の対応に雲泥の差ができていた。

 辺りを見回し気配を探ってから、身を隠すように細い路地に入った。

 直ぐの角を曲がれば目的地の裏口だが、何処にどの様な姿で新撰組が見張りを置いているか知れたものではない。今一度辺りを伺ってから後、伊東は木戸の中へ滑り込んだ。

「相変わらず不用心だな」

 脱藩罪を免除され、藩籍を取り戻して油断が生まれていると伊東は鼻に縦皺を寄せる。

 横長の裏庭を左に進むと、屋内に入るための木戸が在った。

 トントン、と二度打ち鳴らすと、すぐさま戸が開き、見知った顔がひょっこり出てきた。

「ど、どうしたんですかいきなり」

「近くを通ったものだからね。少し顔を見せておこうと思ってね」

 中岡の慌てぶりに思わず声を漏らす。

「ここでは人目に付く。中へ通してもらえると助かるんだが」

「あ、ああ! 取りあえず此方へ」

 小振りの引き戸を更に開け、後ろに立つ伊東に中を示した。

「不用心極まりない。もし私が刺客だったら、君は今頃ここに寝ているよ」

 笑みのない顔が中岡の眼を捉える。

「返す言葉もありません」

 伊東が殺気を出していれば背後を取らせる事はなかった。しかし手練れの剣士ともなれば、気を隠すことは容易く出来る。身近にそう言った者達が大勢居るのにも関わらず、注意を怠った。

「慣れ親しんだ者が最後まで味方だという保証はない。常から用心しておく事は無駄ではないよ」

「伊東さん?」

 木戸を潜り、暗い空間が声を潜める中を灯りもなく歩みを進める。

 中岡の気配が前へと出ると木擦れの音が響き、外の光が暗闇になだれ込んだ。

  外へ出ると小さな坪庭が在った。四角い敷地の左手に一本の楓が植えられ、その根元から苔がびっしりと地面一杯に糸を張り巡らしている。楓の木の対角線上には、小犬程の歪な円錐形をした石がポツリと置かれていた。

「簡素な造りだが、よい庭だ」

 立ち止まった伊東を中岡が奥へと急かす。

 この空間で、一人だけが喧しいと伊東は内心で舌を打った。

 中庭は建物の影で外から覗き見られることはない。それでも人目に付かないようにと焦る中岡が滑稽に思えたのだ。

 庭を巡る小道から廊下に上がり、せかせかとした足取りで前を行く背中につていく。

 陸援隊の全てが伊東の存在を知っている訳ではなく、ごく限られた幹部のみが素性を知っているに過ぎない。ひとたび外に出れば伊東は敵陣の人間であり、幕府に通じる男となる。

 その焦りが中岡の失態を招いた。

「っちゃあ」

 あろう事か、武市の使いで来ていた和奈が待つ部屋に伊東を通してしまったのだ。その羽織には長州の家紋が入っている。

「どうやら私が考えているよりももっと、薩長は事を前に進めているようだね」

 ニコリと笑顔を浮かべて入って来た伊東を見据えながら、和奈は脇に置いてあった鞘に手を伸ばす。

「いい剣気だ」

 その言葉で、和奈が気を逸らしたのを見逃さなかった伊東は、中岡の横を通り和奈の前へと座すと鞘に伸ばした手に自分の手を重ねた。

「!」

「見るもの全てが敵ではない。その様に簡単に剣気を出していては、何れ己が命を失う事になると肝に命じよ」

「い、伊東さん」

 名前を口にした中岡は、しまったと両手で口を塞いだ。

「君たちは肝心なところが成ってない。若輩者と笑われても仕方ないな」

「返す言葉もありませんが、来るなら来ると知らせを出して頂けませんか」

 伊東は被りを振る。

「こんな世だ。どこから話が漏れるか知れない。今は君達との繋がりを知られる訳には行かぬゆえ、常々心して居るのだ」

「伊東・・・御陵衛士盟主、の方ですよね」

「我らの名は町人でも知る所だが、私が盟主だ知る者はまだ少ない。貴殿の発言はそれ相応の立場に居る者であると私に伝えた事になるのだよ?」

 その言葉に和奈の体が硬くなる。

 和奈から離れた伊東は、上座になる場所へと腰を落ち着けた。

「会津の動きが活発となっている。薩摩と土佐の動きを誰からか得ての事と推測する」

 ふと、和奈は龍馬の顔を思い浮かべた。

 此方の動きを知り幕府にも枝を持つ人間。

 思い出せる限り出会った顔を浮かべては消し行っても、龍馬の笑顔だけは消えずに残った。

「二人とも心当たりがあるようだね」

「我々の情報を流していると?」

 食いついたのは和奈である。

「彼は勝海舟殿の駒だ。皆無であると言う根拠はない」

「ありえません」

 そう言い切ったのは中岡である。

「同郷だから。同じ道を歩んで来たから。などと馬鹿げた言葉は無しに願おう。彼に在る信念と、君達の掲げる信念とは別物だ。その良い例が海援隊の存在ではないか」

「海援隊が?」

「まだ定まらぬ時勢の中で、何故カンパニーなどと称する組織に重きを置く?」

「それは」

 銃器の運搬を担っているからであって、とは流石に口にできない。

「勝殿の手元には新撰組に出戻った男も居る」

 和奈と中岡の目が合った。

 二人の反応に、伊東が音を立てて息を吐き出した。

「やれやれ。中岡君が悪いんだよ。余りにも無警戒過ぎるので説教じみてしまったじゃないか」

「えええ! 僕のせい!?」

「此方の御仁のせいではないよね?」

 未だ警戒心を解かない和奈に笑いかける。

「そりゃあまあ、そうです」

「さて、用件を済ませてしまうよ」

「用件なんてあったんですか!?」

「油を売るためにわざわざ危険など冒して来るものか」

 御陵衛士の伊東と中岡が以前からの知り合いだと解ったものの、その立場が立場だけに納得仕切れない感情を抱かざるを得ない和奈は、複雑な心境のまま二人の話に耳を傾けた。

「太宰府へ?」

「幕臣は保身に駆け回るばかりで現状を打開するために頭を使わない。会津お抱えの新撰組も、幕臣に取り立てられたと浮き足立っている。この機会を逃す手はない。朝廷の権威を復興させ、主導権を幕府から取り上げての新しい国政を願っている。そのために役立つならば、いくらでも骨を折る」

「その、三条公に会われると?」

「それは教えられないね」

 フッ、と伊東は口元を上げる。

「幕府に付かぬと仰せならば、何故我らと共に行動されぬのでありましょうか」

「ん?」

「最早溢れる水の如く時期は満ち、進むべき道は足元に続いております。その時に在って、なぜ貴方は其処に居られるのかと聞いているのです」

 雰囲気がガラリと変わった和奈に伊東は体を向けた。

「薩摩、長州と共に、と?」

 中岡は和奈がまた変貌したのではと二人の間に割って入る。

「伊東さん、今日は此までに願えませんか。隊士達もそろそろ戻って参りますし」

「私が表立って君達と関わらないのは、志すものが小なりとも違うからに他ならない」

「だからと、裏で関わる由にはなりますまい」

「・・・では私も問おう。薩長と志を全く同じにしてはおるまい? それはどう説明する? 人の志は皆々似て非なるものであろう。組みせずと言う者を異なる者と思い込むのは愚の極みだ」

「確かに個々の志は少しの違いがありましょう。ですが、たどり着こうとする先は同じであると見ております。その先が貴方と違えると仰るならば、私は貴方を斬らねばなりませぬ」

 伊東の膝が僅かに動いた。

 自分の気づかぬ間に、和奈が刀の濃い口を切っていたのだ。

(この私が、ね)

「ちょーっと待てって!」

 伊東をその背に隠すように体を動かした中岡は、和奈が持ち上げた刀を畳に押し付けた。

「中岡さん?」

「どうか今日は此までに」

 首を後ろに傾けた中岡の表情は見えなかったが、声色は有無を言わせぬ色を含んでいる。

「野暮な男だと言われないかね?」

「野暮で結構です、今は。この度の無礼はお詫びしますから、なにとぞ」

「君がそうまで言うなら仕方ないね。しかし・・・」

 この者は何だ?

 その問いを伊東は喉の奥へと飲み込んだ。

「機会があれが、是非とも今の話の続きをしたい。それが条件で良いかな?」

「ずるいですよ」

「割り込んだ代償だと諦めたまえ」

 立ち上がった伊東は部屋を出る前に足を止め、抜刀の構えを崩さないままの和奈に視線を向けた。

「君は自分の命を軽んじ過ぎる。死して志を叶えようなどと、まかり間違っても思わぬように」

 後ろ手で障子を閉めた伊東は、そのまま来た方へと戻って行く。

(あの殺気)

 握った拳が汗ばんでいる。

 鍛えられたら身体が本能的に恐怖を感じ、反応した結果だ。

 動向の探りを入れるつもりだったが、思いもよらぬ対面に話半分で退席となった。が、不思議と不愉快ではなかった。寧ろ、爽快に違い。

(中岡君には申し訳ないが、素性を調べてみるか)

 骨を折る間でもなく、何者かは手配書ですぐ調べが付いた。

 大久保とも関わりがあり、長州の筆頭である桂に近い存在。加えて坂本龍馬とも縁があるようだ。そして後ろに見え隠れする影。

 変わらぬ景色を眺めながら、ククッと声を出す。

「うかうかしてられぬ」

 本音である。

 京へ出てきた時とは様相が随分と違っている。それこそが時の流れだと伊東は溜め息を吐き出す。

「如何なされました?」

「世の中、面白い事があるものだと」

「何か御座いましたか?」

 キョロキョロと辺りを見回すが、伊東を面白がらせるような物など無いように見える。

「ただ歩くばかりが旅ではない。考えてを巡らせ歩くのも、旅の醍醐味の一つなにだよ」

 気の抜けた返事が聞こえたが、もう伊東は自分の世界に戻っていた。

(天の理か、それとも・・・)

 和奈の事がどうしても頭から離れない。

 長州征伐に於いて、あの土方を後退させた剣士。その時の状況を藤堂から聞いたときは我が耳を疑った。

 人が鬼になどなれるはずもない。

(あれが敵となったら、私で相対せるか)

 一度手合わせしてみたいと、剣士としての自分が騒ぐ。

 突如、眼に前に殺気の混じった剣気を放つ和奈立ちふさがり、伊東も足を止めて腰にある刀に右手を掛ける。

 一撃で仕留めねば、殺られるのは己だろう。そう確信するほど、相手の剣気に押されていた。

 刹那、和奈の顔が眼に前に現れる。

 急に立ち止まったかと思えば、目の前に誰かが現れたかの様に身構えると、そのまま動きを止めてしまった伊東を、固唾を飲んで見つめていた。だが、なんの変化もない。

「なっ!」

 突然の声にびくりと体を震わす。

「い、伊東さん!?」

 新井の声に、伊東は現実へと引き戻された。

「新井くん・・・か」

「は、はい。一体何事に御座いますか!?」

「いや、何でもない。驚かせてすまなかった」

 濃い口を切った刀を戻し、早鐘を打つ心臓の音を悟られまいと距離を取る。

(弁も立つかも知れぬ。だとすれば、会うにはそれ相応の心構えが必要だな)

「あと一刻もすれば町木戸が閉まります」

 かなり時間が経ってしまっている。陽はもう地平線に近くなり、直ぐに暮れてしまうだろう。

(薩長にはあの様な者が大勢いるのだろうか)

 もしそうなら、策を講じる時になって支障になりかねない。排除する難しさが頭を重くするが、それでも志を遂げねばならぬ。その意気込みだけは揺るがない。

「よし、先を急ぐとしよう」

 訳が解らぬという顔を隠すでもなく、新井は足を速めた伊東の背中を追った。

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