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幕末奇譚 『志士 狂桜の宴』  作者: 夏月左桜
奇譚二十ニ幕 大政奉還
86/89

其之一 落つれば同じ谷川の水

 四候への勅答が下された日、龍馬は松平春嶽より預かった書簡を、大坂土佐藩邸に居る大監察の佐々木高行に手渡した。

「松平殿が火急にと仰せられたならば、早急に大殿へ手渡さなくてはならん。よって、詳しい話は船中で伺うこととする」

「はっ」

「乾の周旋に、反すべき内容であればと、願うばかりだがな」

 佐々木は手にした書簡に目を落とす。

 龍馬は少し顔を上げて佐々木を見る。その目と上げられた佐々木の目がぶつかった。

「その顔をみれば、杞憂に暮れるわい」

 再び顔を下げ、辞去の言葉を述べた龍馬は、急いで文を認め、白川に屯所を置いた陸援隊の中岡に出した。

「怒るろうか、怒るろうな」

 己が選んだ道は、中岡だけでなく、桂や大久保と路線を異にするものだ。

 武力を以っての政権交代はなんとしても避けなくてはならない。そうでなければ、幕府と諸藩との間に戦を起こしてしまう。現に大久保も桂も武力集結に力を注ぎ始め、西郷までもがその案に賛成してしまっている。進発をと考えているのは薩長のみならず、芸州、十津川郷の考えでもある。そんな状況下の中、武市も桂の側で行動を同じくするだろう。

「武力はなんちゃーじゃ生まん。これまでの事変を見れば明らかとゆうがやき、それが武市たちにゃ判っちゃーせん」

 否。

 自分に判断できる事だ。皆も判っているに違いない。それでも敢えて武力で幕府を制し、新体制を築こうとしているのかも知れない。

「富国強兵を望むなら、幕府諸藩が手を取り合って新時代を迎える必要があるき。なきそれが偉いもんにゃ判らんのか」

 怨恨。

 長州も薩摩も、徳川幕府に対し積年の恨みが有る。

 長州はそれが特に強い藩であると言える。

 戦国の世の終わり、当時五大老であった徳川家康、前田利家、宇喜多秀家、上杉景勝、毛利輝元と、五奉行の前田玄以、浅野長政、増田長盛、石田三成、長束正家なとでの制度を整え、実子豊臣秀頼に対して臣従を誓わせた。

 慶長三年八月。豊臣秀吉がこの世を去ると、石田三成ら文治派と武断派(どちらも豊臣政権における派閥)の加藤清正、福島正則、細川忠興等との間に対立が生じ、深刻な問題へと発展。徳川家康が武断派に急接近したことにより、慶長五年(一六〇〇年)九月、徳川家康を総大将とする東軍と、毛利輝元を総大将に掲げた石田三成が中心となった西軍が関が原に布陣、合戦の火蓋は切られた。この戦いで徳川家康は、豊臣に仇なす者であるとして成敗を掲げ、東軍に義がある事を主張する。

 西軍から東軍へ願える諸大名が続出してことで、西軍は敗北を記し、この合戦終了後、徳川家康が知略を経て政権を掌握。西軍に加わった大名らは処罰の対象とされた。西軍東軍で覇権を争った大国長州も例外ではなかった。

 石田三成の策略により、担ぎ出されただけの毛利輝元の進退を危惧した吉川家は、東軍と内通。戦終了後に毛利家の安堵を徳川家康家臣に約束させていたが、反故にされている。

 西軍の総大将として掲げられていた毛利輝元は布陣せず、大坂城留守居となっていたが、安芸広島(百二十万石)から萩長門(三十七万石)へ減封され、本戦に布陣した毛利秀元は周防山口(二十万石)から長門府中(五万石)に。同じく本戦に布陣した吉川広家は東軍と内通し、周防と長門を知行されるはずだったが、広家の嘆願により毛利家に知行となり、出雲富田(十四万石)から周防岩国(六万石) へ減封となった。本戦に参加していたにも関わらず、薩摩鹿児島(六十万石)の島津義弘は、井伊直政の周旋で本領安堵を得たが、徳川幕府からの圧力がなかった訳ではない。

 京都守護職についている会津も、当時は西軍として伊達・最上軍と交戦しており、合戦後の処罰は長州と同じ、陸奥会津(百二十万石)から出羽米沢(三十万石)に減封となった。

「だぁぁぁぁ!」

 頭を掻き毟り、地団駄を踏む龍馬。

「ほんに、わしは力がのうていかん」

 中岡が公卿と懇意であることを利用し、幕臣である勝の力も利用してて来た。郷士の身分ながら、薩摩長州の重鎮と顔見知りとなれたのも、武市や中岡のお陰であるし、松平春嶽などとの謁見が叶ったのも勝がいたからこそである。

「武市ぃ。わしはどうしたらえいが」

 もはや時勢は自分の手に余るところへ来ているが、幕府がすんなり大政を返上し、それで良しと薩長が考える手立てを模索しなければならない。内戦ともなれば、また多くの命が失われるし、海外へ向けての対策も遅れる。


 中岡は翌日の五日、三条正親町実愛に拝謁。勅答についての論議を交わした後、土佐藩邸に居る福岡に会った。

「このままで済むまいな」

「そうでしょう」

 肩を落とした中岡の顔には、屯所移転や公卿らへの接見などによる疲れが浮んでいた。

「少し働き過ぎであろう。しばし休息をとるがいい」

「ありがとうございます」

「中岡よ」

「はっ」

「あまり動き回るな。脱藩したおまえが赦免を受け、白川にて大手を振って居られるのも土佐藩あってのものだ。それを忘れるでないぞ」

 未だ持って、薩摩や芸州との繋がりがあると知っての言葉に、中岡はただ頭を下げることしかできなかった。

 福岡の心配は土佐藩邸の心配と同義だ。

 翌日の六日。島津久光と伊達宗城の両名がそろって抗議の建白書を幕府に提出。これを受けて慶喜は、暇乞いを願い出ている会津藩松平容保に在京を直々に懇願した。


 京都の空気は、日を追うごとに蒸し暑さを増している。

 赤井は自隊を引き連れ、傾きかけた太陽の日差しが照りつける市中を警戒していた。

 喉元に吹き出る汗を手の甲で拭いながら、足元から登る熱気に舌を打つ。

「舌打ち止めてほしいもんだなあ。そう苛々されたんじゃ、こっちまで我慢できなくなるってもんだ」

 後ろから声を掛けてきた伊藤鉄五郎は、赤井が四番隊の組長についた頃からの仲間だ。もう一人、林慎太郎が居たが、第二次長州征伐の折、芸州口の戦いに於いて、豹変した和奈に命を奪われている。

「耳を塞いどけ、耳を」

「いいんすかぁ。新撰組がこぞって耳塞いで見廻りしてたって、土方さんの耳に入っても」

「誰が告げ口するんだ、だぁれが!」

「志士らの動向を探ろうと、耳目集めてる隊士も居るんすよ?」

 ニヤリとした顔が赤井の横顔に近づいてくる。

「むさ苦しい顔を近づけるなって!」

 近づく伊藤を左手で押しのけた赤井は、向けた視線の先に移った人影に目を奪われた。

(あれって)

 少し俯き、目の端で自分たちを見咎めた影が、慌てるように路地へと消える。

「鉄さん。悪いがこのまま見廻りを続けてくれ」

「ん?」

「ちょっと用事を思い出した。すぐに追いつくから」

 そう言い、伊藤が問う間もなく、赤井は走り出してしまった。

「ちょっと!」

 いきなりの事で状況を掴めない伊藤は、路地へと消えて行った赤井見送るしかない。

「あーあ。組長が隊ほったらかしてどうするよ」

 だからと見廻りを放棄する訳にも行かない。

「仕方ねぇなあ」

 すぐに追いつくと言った言葉を信じ、伊藤は隊を連れて再び歩き始めた。

 見間違えるはずはない。

(あれは村木に違いない)

 背格好だけでなく、垣間見えた横顔を見間違えるはずがない。

(追っかけて、どうするってんだ?)

 腕を斬り落とされた恨みを言いたいのか、それとも志士として捕まえるつもりなのか。

(どっちも、違うよな)

 腕を斬られたのは己の不甲斐なさが原因だ。新撰組と長州藩の立場を考えると、和奈に非がある訳ではない。あの場合、なるべくして、なっただけだ。

「たまんねぇよな」


 小松邸をこっそり抜け出た和奈は、辺りに注意を配りながら三条土佐藩邸への道を急いでいた。

 武市には黙って出て来てしまった。自分の姿がないと、今頃血相を変えているに違いない。

(でも、龍馬さんに会っておかないと駄目だ)

 会って、桂と武市が困らないよう説得するしかない。

(それしか方法はない)

 遅かれ早かれ薩摩も長州も動き出す。後藤象二郎が山内容堂を説得し切れなければ、土佐は敵に回る。そうなれば、武市は必ず名乗りを上げる。

 大通りから路地へ入り、暫く走った所で、和奈は背後を来る気配に気付いた。

(見つかったか?)

 新撰組の見廻りが盛んとなっている時期に、手配書に顔を連ねた自分を見咎められるかも知れない。その危惧よりも、武市の身の安全を考えた。

(振り切らないと)

 相手が土方や沖田、斉藤であったならば、逃げ切れる可能性は低くなる。

 しかし、背後に感じる気配に殺気はない。

 和奈は小走りのまま、狭い路地の角字を何度も折れて行く。

 夕日が次第に赤味を増して行くと、家屋の影が一層濃くなった。

(撒けない・・・か)

 気配を消す術が上達していないのでは、武市たちのように上手く行かないと苦笑を漏らす。

 もう少し行けば高瀬川へ出る。

 差した刀の鞘に左手を置きながら、路地から出た和奈は、高瀬川一之舟入を認めると、その方へと足を向けた。

 船入は伏見から市中へ物資を運び入れるために造られた、用水路、高瀬川に在る入江の呼称で、二条から四条の間に七か所 の舟入がある。和奈が見つけたのは二条大橋近くの一之舟入で、南側に、禁門の変で焼失した長州藩邸があった場所だ。

 丁度荷物を下し終えた高瀬舟が一隻在り、船頭と曳子二人が、船先を反転させていた。

「すまん、少々匿って欲しい」

 舟に飛び移り、懐から一両を取り出して、驚く船頭の手に握らせる。

「厄介事は勘弁でっせ」

「心配いらん」

 横ばいになった和奈の上に茣蓙が被せられた。

「恩に着る」

「お侍さん、何しはったん」

  船頭は路地から飛び出し、左右を見回す羽織の男を見てそう声を上げた。

「因縁をつけられただけだ」

 素知らぬ風で舟を操る船頭の足が、茣蓙の間から見えた。

「まあ、ええですわ。わしらもあいつらは嫌いやさかい」

 新撰組は京での評判が悪い。素行が少しでも怪しいと見れば、お構いなく御用改めと詰め寄って来る。

 ぐらりと船が揺れた。

 船頭が櫂を押し出したのだ。

「次の舟入までで勘弁でっせ」

「ああ」

 最初に逗留した長州藩邸の後は、炭と化した木材が綺麗に取り除かれていた。

(それでも武力倒幕をと言うのか、僕は!)

 稔麿はそう願っているが、果たして本当にそれが良いのかと言う、和奈本人の自責の念がある。

 舟が川を割く水音が途切れ、茣蓙が外された。

「すまなかった」

 念のため辺りを見回し、羽織の影が無いのを確認してから舟を下りる。

「命は大事にしなはれや」

 ペコリと頭を下げた和奈は、急いでその場を離れる。

 路地へ出た目の前に、妙満寺が在る。左へ折れれば本能寺。そのまま南下すれば土佐藩邸に辿り着ける。

 蒸した夜になりそうだと、噴出してくる汗を拭う。

「待てよ」

 踏み出そうとして上げた足が止まる。

「赤井くんだったのか」

「逃げるの、下手だよな」

 背後を取られた。

 距離は五六歩位だろう。赤井ならば、間を詰めるの苦もない距離だ。

「お互いの立場を考えれば、今は僕が逃げるしかないと思ったから逃げた」

 ちりちりと体に纏わりついてくる剣気を感じながら、一歩、赤井が足を踏み出す。

「おまえが居るってことは、武市さんも京入りしてるってことか?」

 くっ、と笑い声を上げる。

「新撰組にくれてやる情報などない」

「おまえなぁ・・・ちょっとだけでいいから、現実に戻んない?」

「異なことを言う。今が現でなくて何だと言う?」

 自分の知る和奈とは雰囲気がまるで違う。立っている姿は和奈に他ならないというのに、向けられてくる気が全く別人だと伝えてくる。そう気付いた赤井は顔を顰めた。

「どうしたんだよ、おまえ」

 厳島で桂が語った言葉を、赤井は思い出した。

 和奈の魂には、別の魂が宿っている。

「おまえは、誰なんだ?」

「僕が誰かなど、赤井くんに説く道理はない」

 振り向き様に刀を抜き放つ和奈は、笑みを浮かべていた。

 あの時と似て非なる顔に、冷や水が背中に落ちる。

「君が新撰組を選び取った時より、進む道を別っている。己が決めた道ならば、迷うことなく進めばいい。それが志を掲げた士が成さねばならぬことだ」

 和奈が赤井を前に左斜め前に体を捌き、相八相の構えを取る。

(おいおい。今度は神道無念流かよ)

 左腰へと右手が伸び、柄を握り締める。

(隻腕で、止められるか?)

 心形刀流を受け継ぐ伊庭から、隻腕での刀捌きを教わり、沖田や斉藤との稽古もこなして来た。だが、芸州にて、鬼神の如き立ち振る舞いで刀を振る和奈の剣術(それ)は常軌を逸したものだ。両手でもままならないと判っているのに、片腕で互角に斬り合うのは無謀と言える。

「!」

 一瞬で間合いを詰められた赤井の右手が弧を描く。

「っく!」

 寸での所で振られた刀を弾き返すると、赤井は左腰へ手を引き、八相に構えた。


 刀の重なる音が聞こえる。

 幕府目付、原市之進は目頭を押さえながら耳を澄ませた。

「相変わらず刃傷沙汰が多い町だ」

 不穏な空気が漂う京と大坂を行き来する徳川慶喜の腹心である原は、会津藩主松平容保の辞職を推し留めるため、藩邸へ伺った帰りだった。

 原は水戸藩士である。天保元年にこの世に生を受け、嘉永六年、昌平坂学問所に入学し文武を学んだ後帰藩。弘道館の訓導を任され、藩の奥右筆頭取に取り立てられた。

 徳川宗家を継ぐ前の一橋慶喜の側近に着任した原は、側用人一橋家家老平岡円四郎が暗殺された後、その役に就き、慶応二年に幕臣へと取り立てられた。

 長州征伐の折に家茂が大坂で崩御し、将軍職を継ぐはずの慶喜に対し、今、将軍宣下を受けるのは益が無い事と進言し、幕臣らから望まれての将軍職就任へと持ち込んだ。つまり、慶喜は嫌々ながら、仕方なく将軍に就くのを承諾した。という形を作ったのである。

「新撰組に相成りましょうか」

 護衛に付いていた侍が辺りを伺うように顔を巡らせる。

「市中で堂々と刀を抜くのは、あ奴らしか居るまい」

 長州勢が京から追放された後は、である。あの時より尊攘派の行動は沈静化しているのが事実。幕府要人を狙った暗殺が減って居るのも、これまた事実だ。

 原たちの前方に、刀を振り回す若い男二人が飛び出して来た。

「黒い羽織は、やはり新撰組か」

 徒党を組んで市中を跋扈するのが新撰組だったはずだが、どうやら男は一人だけらしい。しかもその左腕は無いように見える。

「如何居たしまょう」

「会津庇護下であるとは言え、我らが割って入る道理などなかろう」

 その会津藩主は今、守護職のお役御免を申してで居る。

「道を変えるぞ」


 和奈の剣捌きには躊躇がない。自分を見据える眼から一変の迷いは感じられない。

(どうしたってんだよ)

 話しを聞きたいのに、言葉を発する余裕が赤井にはなかった。

 気が殺がれた一瞬の間をついて、和奈の刀が赤井の腹部へと薙ぎを払った。

「ちっ!」

 赤井とて無駄に鍛錬をしてきた訳ではない。紙一重で刃を交わすと、後ろへ飛び退き間合いを取る。

「刀を引け、村木」

 素直に引いているなら、こんな事にはなっていないと、出た言葉に苦笑する。

「ここで引導を渡さねば、赤井くんは小五郎さんを斬る」

 厳島で、赤井が桂を斬ると言った言葉が、和奈が刀を抜いた原因らしかった。

「今でもそのつもりで居るのだろう?」

「さあ、どうかな。俺がそのつもりだったとしても、簡単に斬らせてくれる相手じゃないのは、おまえが一番良く知ってるんじゃないか?」

「確かに。だが、油断は災悪を招く」

「その油断で、左手一本失っちまったからな」

 ぴくり、と和奈の手が反応する。

「怨みを言うつもりはない。俺とおまえが置かれている状況と、高杉さんのあの状況を見れば、きっと俺も刀を抜いていた」

 人の声が和奈の耳に届く。

「時間を掛け過ぎちまったな。俺の戻りが遅ければ、隊士が何事かあったと探索に出て来る。市中には他の隊も見廻りに出てるんだ。ここに辿り着いたら、分が悪くなるのはおまえの方だぞ?」

「さあ、それはどうかな」

 嫌な笑みが和奈の口元に浮かび上がる。

(またかよ)

 駆け足の音が人の声に混じる。

「俺はおまえを斬りたい訳じゃない。ただ、話しをしたいんだ」

「なにを・・・」

「刀を納めてくれ、頼む」

 初めて和奈の顔に躊躇が浮ぶ。

「面どくせぇなぁ!」

 不意を突かれて間合いに飛び込まれた和奈の足が後ろへ一歩下がる。

「来いってば!」

 右手を掴まれ、振り払う間もなく走り出された和奈は、一度背後へと視線を向けた。

 高瀬川から西側の路地へと入る直前、見慣れた姿が和奈の視界に入った。

(武市さん!)

 身の危険も顧みず、小松邸をこっそり抜け出した自分を捜しに出て来たのだろう。

「放して」

 走る足に力を入れ、前を走る赤井の手首を掴んで引き寄せる。

「うおっ!」

 態勢を崩しかけた赤井の顔が間近に迫る。

「ちょっと!」

 慌てて掴んでいた手を放して胸を押しやったものだから、とうとう赤井は地面に尻餅をついてしまった。

「ってぇなぁ」

 あの時も、尻餅を着いていた。

「なんで赤井くんまで来ちゃったんだろう」

 見上げた顔は、さっきまでとは違う顔だった。

「そんなの知るか!」

「新撰組を抜けて」

「できん」

「なんで?」

「おまえがそっちに居たいと思うのと同じ理由だ」

「そうなんだ・・・赤井くんは・・・高杉さんが死ぬことを知っていたの? この先、幕府と薩長がどうなるのか・・・知ってるの?」

 聞きたいのは桂と武市の今後の事だろうにと、赤井は笑うしかない。

「奇兵隊を創った高杉晋作が、労咳が原因で死んだとは知らなかった。だが、幕府と倒幕を願う薩長がどうなるのかは知ってる」

「だから・・・新撰組に行ったの?」

「冗談きついぜ。俺たちが生まれた時代を考えてみろよ。武士の居ない時代。それが答えだ」

 和奈が息を飲む。

「それが理由か・・・」

 考え込んだ赤井に、

「なにが?」

「ふん。おまえに答える道理はない!」

「ひどっ!」

「最初にそう言ったのはおまえじゃないか」

「うっ・・・」

 人の気配が近づいてくる。

「もう時間がねぇな。一つだけ教えてやる。俺がこっちへ来たのは、おまえが来る時に巻き込まれたんじゃない」

「えっ?」

「物事の道理にには偶然などなく、あるのは必然だけだと、桂も勝さんも言った。なら、そう言う事だ」

「どう言う事!?」

「自分で考えな」

 立ち上がった赤井は通りの方へ顔を向ける。

「おまえはこのまま奥の路地へ入ってから、俺たちを撒いて帰れ」

「赤井くん」

「次に会ったら・・・遠慮なく俺を斬れ。おれもそのつもりで刀を抜くから」

 走り出した赤井の羽織が、起こった風にふわりと舞い、振り返らないまま通りの角を曲がって消えた。

「この馬鹿が」

 突然の声に体が硬直する。

 後ろから伸びた手が和奈の体を抱える。

「ここを離れる」

 聞き慣れた声に安堵しつつ、今度は武市に手首を掴まれたまま、和奈は路地を走ることになった。

「ひ、一人で走れます」

「また突飛もない行動に出られては困るからな、我慢しろ」

 気配を探りながら、行く路地から違う路地へと道を変え、二条辺りで再び高瀬川沿いへと出る。

「まったく。少し目を離せばこれだ」

「用事があったので・・・出ると言ったら、駄目だと言われるし」

「時期を考えろ。おまえが京に居るとあの男が土方へ告げれば、長州が動いていると知れる事になるのだぞ?」

「多分、赤井くんは報せません」

「どうやらおまえは龍馬と同じ穴の狢らしいな」

「違いますよ!」

「ならば、何故そう言える?」

「赤井くんとは、ここへ来た理由について少し話してただけです。それは新撰組にとって有益な情報ではないし、怪我もなく僕から逃げれたとあっては、きっと土方さんの追求を受けます」

「道理ではあるが」

「だから話すことはありません」

「・・・で、その理由とやらを、あの男は知っていたのか?」

 和奈は頷いた。

「本当か? ならば、理由とはなんだ?」

「教えてくれなかったんです」

 武士の居ない時代。それは即ち、幕府が瓦解した後の世の中に他ならない。

 その事で、赤井は理由に気付いた。

(武市さんにも言えないよなぁ)

幕府が無いのは、薩長の思惑道理に事が進んだ事を意味する。桂と高杉も、武市も龍馬もこれまで一つとして未来の世情を聞こうとはしなかった。だから武市にも桂にも伝える事は出来ない。

「先を越されちゃいましたね、僕」

「そうだな」

 幕府も新撰組も薩長も、進む道は違えど、この国の未来のために志を立ている。

(龍馬さん。龍馬さんは、幕府の味方なんかしないですよね)

 そうさせない様にと説得してに出てきたのだが、土佐藩邸に辿り着けず、龍馬にも会えずで、和奈は小松邸へと連れ戻されてしまった。

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