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幕末奇譚 『志士 狂桜の宴』  作者: 夏月左桜
奇譚二十一幕 鹿死誰手
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其之四 雷雨の前の曇り空

 疲れた顔の龍馬がとぼとぼと道を歩いて行く。

「なんだい、もう疲れたのかい?」

「勝先生も酷いお人やか。宇和島公の次に越前公とは、さすがに気づかれするがでよ」

「会っておいて損はないだろう? とは言え、おいらもすんなりと謁見を賜れるなんざ、思っちゃいなかったんだがよ。さすがに宇和島も越前も、随分と難儀してるってこったろぅな」

 ぱたぱたと扇子を仰ぎながら前を行く勝の背中へ、龍馬は小走りで駆け寄った。

「島津公はご立腹。土佐公についちゃあ匙を投げて、とっとと大坂へ引っ込む始末じゃあ、頭を抱えたくもなるってもんだ」

 伊達宗城は薩長よりの姿勢を見せて居るが、松平春嶽は幕府よりである。先の四候の決裂とも言える会議は、徳川慶喜の粘り勝ちと言える結末に終った。

 急を心配したのは春嶽である。島津久光が匙を投げたと言っても、家臣には小松帯刀と大久保一蔵がおり、薩摩藩士の筆頭を担う西郷吉之助が居る。この三人が、はいそうですかと、引きこもっているはずもないと、悩むのは至極当然とは思えた。

「だからと、手を講じるにも、相手のが一枚も二枚も上手ときてる」

 意味ありげな視線が龍馬を捉える。

「勘弁しとうせ」

「春嶽殿に託された書状を、ちゃあんと大坂の土佐公に届けなさいよ」

「無論、そのつりやか」

「その後はどうするんだい?」

「佐々木殿と大坂から船で長崎へ行くつもりやか」

 長崎の名を口にした龍馬の顔が、ぱぁっと明るく輝く。

「おまえさんは陸で動いてるより、よっぽど海が似合うさね」

 勝と別れた龍馬は、しばし郷国に思いを馳せる。

「あの頃とはせんばん変わってしもうた」

 京にて武市が周旋していた頃、まだ龍馬は表舞台にその名を出しては居なかった。脱藩の意思を決めたのも、勝の富国強兵に共感した所があってだけではなく、公武合体を貫く土佐に見切りを着けた、その一点が強い。

 だが武市は違った。

 土佐老公山内容堂は元々尊王思想が強く、安政の大獄にて隠居の身を仰せつかる。その志を受け継がんと、武市は公卿の間を周り、土佐藩の入京を朝廷が期待するまでになる。

 薩長に対すると同じ、「皇都警衛の叡慮」が伝えられた土佐藩は困惑一色となる。江戸在住となっている容堂へ伝えた後の回答と伝えたにも関わらず、三条実美はその回答を孝明天皇に即座に伝えた。

 参勤交代で藩主山内豊範が土佐を発った日に、孝明天皇より容堂のところへ土佐守入京の意向が届く。しかし容堂は、幕府を差し置いて直接諸大名に内勅を下すのは公武合体にて国体を強くしようというこの時期に良くない。だから京都の守護は幕府へ命ぜられるが良しとの返書を出した。あくまで幕府在ってのものでなくてはならない。

 尊王の意思が強いと言えど、山内家は幕府に恩義がある。土佐に封入し、現在の地位を山内家が獲得と得たのは、幕府からの恩恵があってこそのものだ。その点が、武市の誤算となる。

 朝廷が土佐藩入京に拘ったのは、薩長の覇権争いがあった。公武合体の藩論を持つ薩摩藩と、尊王攘夷派へと鞍替えした長州藩では、根底の思想が異なっている。朝廷としては、尊王思想の強い土佐藩を両藩の間に入れ、均衡を保ちながら権威の確立を画策したのだ。

 この頃、公卿の間では土佐に武市半平太在り。とまで言われるようになっていた。白石正一郎もどんな人物かと、大坂へ来た際に武市の人柄を見ようと京に上っていた。が、談義とまでは行かなかった。

 そして、政の舞台は江戸から京へと移る。

 朝廷から容堂入京の勅命が出る事を、京からの使者によって知った容堂は、迷惑千万という顔で聞き届けた。翌日、城へ登った容堂は幕臣らに、徳川家のこれまでの失態を認め上洛せし事と等、三つの提案を行なった。その後日、勅書を伝えられた容堂に、老中松平豊前守が上京を申し伝えるが、これは幕府との間を取り持つに足ると、朝廷が判断した事と、容堂の在府希望があった事で取り消しとなる。

 大坂に足止めされていた土佐藩主豊範が入京し、勅使付き添いの勅命を受け、小御所にて孝明天皇に拝謁となった。

 武市は公家の家司、雑掌となり、随行中は柳川左門の名を拝命し、勅使姉小路公知に付き従う筆頭家臣、緒大夫となった。

 土佐藩白札者が、公卿家臣となって東下し、幕府に対し攘夷を迫る場面に立ち会う事になるのだが、容堂との間には越えられぬ壁があると知らない武市は、やがて容堂によって追い込まれて行く。土佐に戻った容堂が土佐勤王党への弾圧を開始したのだ。

 禁門の変が起き、大津で捕縛の身となった。この時、武市の中にあった容堂への義は、音も無く崩れ去った。

「ほきも至誠を尽くしたいと思っちゅうはずだ、なあ武市よ」

 龍馬の拠り所はそこにある。薩長芸が足並みを揃える中、後藤を上手く引き込んだ所までは良かったが、ここに来てまた容堂の動きが危ぶまれる事態となっている。もはや公武合体と、幕府に寄りかかっていては土佐藩にこの先はない。それが解ったからこそ、後藤も動いたのである。

 龍馬は流れ行く雲を見上げ、大きくため息を吐くと、大坂へ下るために京の町を後にした。


 初夏を感じさせるむっとした空気が、まだ早朝だと言うのに足元から立ち上り体へと纏わり付いてくる。

(試合を見に京都へ来た時も、こんな暑さだったな)

 桂木に誘われ、練兵館で行なわれる試合を見に行った日が懐かしく思える。

(本当に、私は時を越えたんだろうか)

 非現実的な現象。

 時を越える事が本当に可能なのかどうか、立証する術など和奈にはなかった。幕末の世で時を過ごすことになって居るのだから、それ自体が証拠となるのだが、本来居るべき時間の記憶が曖昧になりつつある今、「時を越えた」現象など、どうでも良いことの様にも思える。問題は、「何故この時代に来たか」、その一点に尽きる。

 桂は必然だと言った。時分もそう思っているが、必然たる理由を説明できない以上、それを探さなくてはならない。

 吉田松陰の魂が内に在ると思っていたが、事実は吉田稔麿の魂らしい。松陰を感じたのは、稔麿の魂だからこそなのかも知れない。では、自分はなにをすべきなのだろうか。

「どうした?」

 笠を深く被り、周囲に気を配りながら歩いていた武市の声が届く。

「いえ。小五郎さん、もう着いてますよね」

 考えていても堂々巡りにしかならない原因追求を、和奈はあっさりと思考の外へと追いやった。

「卯の上刻には着くとの報せを受けているからな」

 薩摩藩邸に逗留して居る二人の下へ、長州から桂が出て来るとの報せが舞い込んだのは昨夜の事だ。文には上洛についての説明は書かれていなかったが、土佐の後藤と龍馬が京に入った事が理由だろうとの察しはつく。

 幕府は朝廷に対し、正式に薩摩・越前・土佐・宇和島、四藩について御用済みにて帰藩と相成ることを申し出、中川宮と徳川慶喜が、長州の官位復権はなし、の確認を行なった。

 その後日、土佐山内容堂は、大政奉還についての建白に内意を示した。

「才谷さんも来るんでしょうか」

「どうだろうな。祇園で会合めいた席に出た後、何処かへ身を隠したらしいゆえ、中岡が報せに行く事は叶わん。ならば姿を見せる事はあるまい」

 中岡は屯所設置で多忙となって居るため、和奈と武市が出向くこととなったのである。

「少し急ぐぞ。新撰組だけでなく、最近は見廻組みの市中警護が盛んとなっている」

「はい」

 歩く速度を早めた二人は、桂が入って居るだろう旅籠屋へと急いだ。


 徳川慶喜が大坂に下り、芸州の船越が再び京へと入った七月二十三日。長州処置通達を受けるため、周防岩国領領主吉川経幹嫡男の吉川経建(きっかわ つねたけ)と、家老宍戸親基(ししど ちかもと)が上洛していた。

 この年の三月三日、領主であった吉川経幹が死去していた。長州藩藩主毛利敬親はその死を公にせず、隠蔽するようにと岩国領へ通達している。

 その四日後、陸援隊は白河に屯所を置く事で決定となった。


 旅籠屋の周りを二周ほど回った武市は、入口のところできょろきょろと辺りを伺っている和奈の横を通り過ぎ、旅籠屋の中へと入った。

「いかにも怪しいと言わんばかりだぞ」

 うしろに続いて入って来た和奈に、小声で注意する。

「すみません・・・」

 置くから仲居が姿を見せると、逗留している桂の名を出して、二人は二階奥にある部屋へと上がって行く。

 泊り客は少ない様子で、話し声があまり響いてこない。

 少し厄介だと武市は眉間を狭めた。

「失礼仕る。こちらに新堀松輔殿が居られると思うが」

 襖が少し開き、見慣れぬ顔が武市を捉えた。

「桂木が来たとお伝え頂きたい」

 男は口を開かぬまま襖を締め、暫く経ってからまた襖が開き、和奈と武市は中へと促された。

 一つ目の部屋の右手に、扇子を片手に喉元を仰いでいる桂が座っていた。

「やあ」

 二人の姿を認めた桂は、パチンと扇子を閉じると、座るようにと畳を指し示した。

「急なことですまなかったね」

「まったく。この状況で、あなたまで京入りしたとあっては、警護につく者が休むに休めん」

「あははは。そう言わないでくれないか。僕も僕なりに考えて上洛を決めたんだ。あちらにもその旨、ご理解頂くよう伝えてある」

「だから私が使わされたのだが」

 武市は、桂の横に座る男にに注意を向ける。

「紹介がまだだったね。晋作が功山寺で挙兵折り、奇兵隊を集めるのに尽力した男だ。信頼に足る人物だから心配はいらないよ」

 福田はは物静かな物腰で頭を垂れた。

「お初に御目に掛かります。某、長州藩藩士福田侠平(ふくだきょうへい)と申します。高杉くんの挙兵では絵堂大田にて、第二次長州征討に於いては小倉口にて参戦仕っておりました。桂木殿と村木くんのお噂は、石川や山縣より聞き及んでおります」

「丁寧な挨拶、忝い」

 桂は視線を武市の後ろへと向けた。

「京の夏は堪えるだろう?」

「蒸し鶏になった気分です」

 人目を避けるために、部屋の窓は閉められていて、外気と遮断された空気が湿気と熱気を含んで、外よりもさらに不快指数をあげている。

「言い得て妙だね。蒸される鶏の気持ちがわかると言うものだが、才谷くんにとってみれば、鶏鍋をつつくのを止める由にはならないんだろうね」

 扇子を仰いでいたらしいとは言え、汗の一つも桂は浮かべていない。しかし、脇に座る福田の顔は心なしか赤く染まっていて、喉元が光って見えた。

「あいつは馬鹿の一つ覚えですから」

 確かにと笑う桂の顔が窓の方へと向けられると、立ち上がった福田が少しだけ障子を横へとずらした。

 微かな風の流れが部屋へと誘い込まれ、蒸された部屋の空気と入れ替わっていく。

「土公が大政奉還の建白を認めたと聞いた」

「ああ」

 桂は福田に目配せをし、退出を促した。

 何を聞くでもなく、一礼を一同に送った福田は部屋から静かに出て行った。

「歴代、徳川家に仕えてきた山内家が、とうとう匙を投げたと観るべきか、それとも・・・」

 笑っていない双眸が、事の真意を探るように武市の目を見つめ返した。

「龍馬が動いての事と、お考えか?」

「後藤殿が動いているのは承知しているんだ。となれば、彼も何かしらの動きを取っていると見て間違いないだろう?」

 桂はそれを聞き、慌てて上京して来たのだ。

「君は、どうするんだ?」

 一瞬、桂は言葉につまった。ここで武市が土佐への助力を申し出るとは考えられなかったが、久坂が止めるのも構わず、死罪を覚悟してまで土佐へ戻ると言い張った男だ。山内容堂への期待が少しでも残っていれば、戻ると言いかねぬのではと、一瞬躊躇ったのだ。

「近江で捕縛された武市半平太は、土佐で切腹となり、この身は長州にあれど・・・・」

「あれど?」

「必要であれば、土佐に出向く心積もりでいる」

「だめですよ!」

「おまえは黙っておいで」

「でも!」

「これが抱く心配を、君も十分理解していくれていると思うが?」

 不服と言わんばかりに肩を怒らせている和奈をちらりと見てから、桂は目の前の男に視線を戻した。

「・・・庇護を受けている以上、恩を仇で返すような真似などはせん。ただ、私の首ひとつで大殿様の助力を得れると申すのなら、私は喜んで土佐へ戻る」

 幕府への建前上、切腹となった武市が土佐へ戻っても、表舞台で政に関与することはできない。武市が首をと言ったのは、建前を事実にしてでも、土佐を薩長芸の進む道へ引き込みたいと言うことに繋がる。

「君の命一つで崩れる壁とは思えないね」

「何事もやってみなければ、結果は判らん」

「弾圧に対し、後藤殿が謝罪をと頭を下げた。これは僕もしっかりと見ているが、その事が土佐老公の耳へ届いているのかまでは、確証に至る事実もない。ただ単に、後藤殿があの場を逃れたい一心で執った行動やも知れん」

「十分に有り得るな」

「益も無い行動で君を失うのは避けたい。今は一人でも使える頭を残しておきたいんだ。僕も大久保さんも同意見なんだから、軽率な行動は無しに願おう」

「無論、長州藩上士としての立場は弁えているつもりだ。必要であればと、申し上げておく」

「そう言ってもらえると助かるよ」

 桂がにっこりと笑いを向けたのは、両手を握り締めたまま武市の背中を見つめている和奈へだった。

「おまえも安心おし。士とは斯く如き覚悟を常に持つものだ。言葉にしたからと、それをすぐ実行する阿呆でもないだろう?」

「阿呆って・・・でも、武市さんがそう考えて居るってことは、実行に移す確立が高いってことですよね。わざわざ小五郎さんに言ったのは、そういう事ですよね?」

 その言葉は桂にではなく、振り向きもしない武市の背中へかけたものだった。

 武市は動かない。

「武市さんが土佐へ戻っても戻らなくても、土佐勤王党への弾圧は同じく厳しいものとなったはず」

 桂の眉がぴくりと動き、漸く武市の顔も後ろへと向けられた。

「で?」

「老公は尊王派を一掃した。その事実は変わらない。情勢が今や公武合体から、西国諸藩の提唱する尊王主導へと向いたとは言え、土佐が幕府よりを崩していないのもまた事実。水面下で何かしらの工作を行なっているべきと踏まえれば、武市さんが戻っても進退は対して変わらぬと思います。ならば、薩長芸のこれからをまず第一に置き、最悪、土佐は切るべきが今の方向性と考えるのです」

「それは、坂本くんをも切る、という事に繋がるよ?」

「えっ・・・それは・・・龍馬さんは薩長のためにこれまで多くの橋渡しをしてくれました。話しをすればきっと賛同してくれると思います」

 ふぅー、っと長いため息が桂の口から漏れる。

「彼は武力による倒幕を良しとはしていない。それを忘れていまいね? 付け加えるなら、とある幕臣とも懇意の間柄だ」

「あっ・・・」

「おまえの言う言葉は、勿論、我々も承知している。事態の動きで我々の対応も無尽とならなくてはならん。今がこうだからと、全てを決めてしまうには時期早々なんだよ」

 武市はただ無言で和奈を見ている。

「もう少し頭を働かせることだ。それと、武市くん。君はこれまで一体何をして居たんだ?」

「・・・お叱りは御最も」

「逃げてばかりおらず、これにちゃんと向き合ってもらいたい。でなければ、和太郎をこのまま君の袂に置いておく事はできないよ」

「言い訳に聞こえるだろうが、逃げているのではない。多様な面で、こ奴らしからぬ言動が出て来る。政に関わらせまいと長州へ送り返しても、素直にじっとしているとは思えん。だからと、我々の側に置いていては、いつ何時、その牙を見せるやも知れん」

「模索が続いていると言う事か」

「和奈が・・・この時へ来たその理由がはっきりとしていない。度々出で来る別の意識も、本当に故人のそれなのか、何かしらで得た報を自分の記憶と誤認しての事とも言い切れる」

「ほう」

「それは、貴殿も同じ考えなのではあるまいか」

「僕は最初からその意見だよ」

 唯一、龍馬は時越えという事象を納得してしまっているようだと思っているが、高杉も然り。だが、人間がそんな簡単に時を越えて来るなど、楽天家でもない限り信用などできない。

「くくっ。晋作よりも、坂本くんの方が楽天家だったな」

「?」

「いや、独り言だ。ではこの件はこれまでに。おまえも、それでいいね?」

「はい・・・」

「納得できずとも、してもらわねばならん」

「承知しました」

「いい子だ」

 さて、と、桂が膝を武市に戻す。

「逗留についてだが、西郷さんも在京となっている故、小松殿の屋敷に移って頂けとの仰せを頂いている」

 くすりと桂が笑い声を漏らす。

「薩摩と会津によってこの京を追われてからまだ数年しか経っていないというのに、古くからの戦友の様に助け合う身になるとは、時とは本当に面白いものだな」

「ただ時が流れていくだけなら、これほど簡単なことはないのだが」

「如何にも」

「じゃあ、しばらくは京に居るんですか?」

「ん。坂本くんが動いているとなれば、油断は出来ないからね。芸州との連絡も緻密にしておく必要があるし、火急の事態ともなれば、こちらに居た方がなにかと都合が良いだろ?」

 和奈はにっこりと笑顔を浮かべた。

「身が落ち着けば、おまえともゆっくり話しができる」

 そう言われて、和奈は長州での事を思い出した。桂とゆっくりできたのは、高杉が存命の頃の事である。一つの部屋で共に眠ったあの夜以降、目まぐるしく動いて行く情勢下、ゆったりと出来る時間は少なく、よって桂と二人でじっくり話す時間などありはしなかった。

「そんな嬉しそうな顔を見れるなら、もっと早くに戻っていればよかったよ」

「尽きぬ話しもあろうかと思うが、新撰組の市中見廻りも厳しくなっている。早々にここを出て、小松殿の下へ移って頂きたい」

 見廻りの経路は決して新しいものではなかったが、見廻組は新撰組の横行を嫌っている。新撰組と見廻組の警備区域が接する場所を選んで行けば、鉢合わせ、という最悪な状況は防げよう。

「では、今から行くとしよう」


 新撰組と見廻組が対立する理由には、百姓出の多い新撰組との身分さがある。二本差しである見廻組と、一本差しである新撰組が同じ立場に居ないのは、そのせいなのである。

 双方の他に、市中にあつまる各藩の動向を具に集めている集団がある。伊東甲子太郎が盟主を務める御陵衛士。高台寺党と呼ばれる一団だ。

 その伊東は、七月二十七日、中岡の元を訪ねていた。

「さて、何の由があってそんな顔で出迎えられねばならぬのやら」

 両手を膝の上で固く握り締め、眼光きつく自分を見据えている中岡に、伊東は涼しげな顔で問う。

「そりゃ、こんな顔にもなりますよ。なんだって御陵衛士盟主が俺を訪ねて来るんですか」

「おやおや。大宰府の一件で、君とは懇意の間柄になったと思うていたのだが、私の早とちりだったかな?」

「あれで!? そんな無茶な」

「無茶なものかね。我らと君たちは志を同じくする者。ただ、出発点が異なっていただけに過ぎない。そうじゃないかね?」

 中岡は即答せず、伊東の真意を知ろうと黙したまま彼を疑視し続ける。

「やれやれ。では、一つ忠告だけして帰ることにしよう」

「忠告?」

「本日の将軍上洛、先の西国雄藩の実力者たちの入京で、新撰組が不穏な動きを強めている。その影で動く輩の存在は、烏合の衆と言えど、情報をかき集めれば自ずと判ってくる。事を進めるのならば、慎重に慎重を重ねたまえ」

 御陵衛士となったとは言え、元は新撰組幹部を張っていた男の言葉だ。すんなり中岡の姿勢が崩れないのも当然のことである。

「ちょろちょろと土佐の周りで動いている御仁にも、その旨は伝えてくれたまえ」

「虫じゃあ、ないんですから」

 と言った後で、中岡ははたと片手で口を押さえた。

「私を信用してくれていいよ。動向を探りに来たのであれば、もっと君を困らせているさ。それに、こんな危険を侵さなくても、方法などいくらでもあるじゃないか。敢えて直接会いに来た。その私の意志を、少しくらいは汲んでほしいものだ」

 新撰組に属す立場でありながら、大宰府を訪れて、勅命を出させる工作をしに来た男だ。頭が切れる者であると中岡も判っている。それ故に、油断のできぬ相手とも言える。

「私は私なりに徳川幕府を突く心積もりだ。それで大樹公がどう出て、薩長がどう出るか楽しみにしているんだよ」

「楽しみって、一体何を?」

「それは後日のお楽しみと行こうじゃないか。いや、本当に楽しみな事ばかりで、気の休まる暇もない」

「新撰組の出方もですか?」

 苦笑を漏らさずには居られない。

「それは別段気になどしていない。私は、だがね。彼らはただ会津藩の面目の為に、手柄を立てようと走り回っているだけだ。私の言った危険はそこに尽きる。ここで薩長に倒れられては、私の志も夢と消えてしまい兼ねない。だから、君に忠告しに来たと言う訳だ」

「伊東さんの志とは?」

 立ち上がった伊東は、振り向き様、笑顔で言った。

「私は元々尊王派だよ、中岡くん」


 入京した徳川慶喜は、英国公使のパークスと謁見。すでに幕府に統治能力はないと見限っていたパークスは、薩長の後ろ盾に就きながら、幕府に肩入れするフランスへの対策を練る必要があった。情勢が西国諸藩へと傾きつつある中、フランスと独自の交流を続けるというのであれば、イギリスも情勢介入を行わねばならぬと、遠回しであるが、牽制の意味をもって慶喜に意見を申し述べた。しかし慶喜は、あたりさわりのない回答で済ませ、謁見した事実だけを残すだけに終始した。

 八月四日になって、四候への勅答が下された。

 内容は、長州藩への官位復旧、兵庫開港の拒否であった。

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