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幕末奇譚 『志士 狂桜の宴』  作者: 夏月左桜
奇譚二十幕 破綻百出
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其之三 新撰組と御陵衛士

 慶応三年六月。

 幕府は京において功績を上げている新撰組に対し、格式を挙げてその功を称える必要があると、会津藩に対し命を下し、新撰組は見廻組格へと昇進することとなった。

 不機嫌な顔の土方に反して、上座に座る近藤の顔は晴天のように晴れやかな笑顔を浮かべていた。その二人を見つめる幹部や隊士達の顔も様々なものとなっている。

「この度新撰組は見廻組格として、幕臣に取り立てられるとのご内示を頂いた。土方歳三は、見廻組肝煎格七十俵五人扶持。見廻組格七十俵三人扶持となるのは沖田総司、永倉新八、井上源三郎、原田左之助、山崎烝、尾形俊太郎の六名。見廻組並四十俵、谷周平、大石鍬次郎、安富才輔、吉村貫一郎、岸島芳太郎、安藤勇次郎、茨木司、村上清の八名。その他の隊士についても見廻組御雇十人扶持が与えられる事になる」

 手にした書状を読み上げる近藤を横目に、永倉が原田の脇腹を小突く。

「七十俵だってさ」

 七十俵五人扶持とは俸禄のことで、知行取りと蔵米取りに分かれる。知行取りは知行地を持っており、その地から収穫される米の収入を得ている事であり、蔵米取りは、現物支給される米の収入を得ているという事だ。一俵の値打ちは米の相場によって変動するが、約四万円程。一人扶持は一日の食費で、一人扶持なら一日に米五合、五人扶持なら一日二十五合が支給される。この当時一年は三百六十日しかなく、二十五合掛ける三百六十日で九千合、つまり九石が俵に加算される。現金に換算すると、七十俵五人扶持で凡そ年俸七百六十五万円の収入となる。

「えらく出世したもんだな、俺たち」

「近藤さんは三百俵の見廻組与頭格だとさ」

「三百俵!? おいおい、そりゃあ・・・」

 格式が上がって喜んでいるのは間違いないだろうが、俸禄でしまりのない顔になっているのも間違いないように二人には思えた。

「それに将軍に御目見得えできるんだとさ」

「近藤さんが将軍に!?」

「うるせぇぞ、そこ!」

 土方の怒声が響き、永倉と原田は肩をすぼめて口を閉じた。

「京都所司代と奉行所は京都守護職傘下だが、新撰組は非公式な組織だったからな。これまでおまえらには片身の狭い思いをさせてきた。が、見廻組格となれば、見廻組とも同格になる。もう見廻組の連中に気遣いなど不要になるってことだ」

「歳、気遣い無用はいい過ぎだ。揉め事を起こしては松平殿に申し訳が立たんではないか。が、しかし。気遣いは必要ではあるが、頭を下げる必要はない。そう思ってくれていい」

「どっちも似たようなもんじゃねぇか」

「そうか?」

 至極嬉しそうな近藤に苦笑を漏らした土方は、今一度並んで座る隊士たちに、幕臣になったからには、これまで以上に気を引き締め任務に当たれと檄を飛ばした。

「幕臣、ねぇ」

 部屋に帰る途中の廊下で、沖田はそう呟いた。

「病人になってから俸禄もらえるなんて、幸せ者ですよね」

 それは嫌味かと土方も困るしかない。

「いい薬も買えるんだ、そこは喜んでおけよ」

「はいはい。あ、そうだ。今夜も行くんでしょ?」

「・・・ん」

「毎晩毎晩、よく飽きませんね。もしかして、遊撃隊に取り入ろうって算段だったりして」

「馬鹿言うんじゃねぇよ。馬鹿な武士どもの中で刀なんざ振り回したくもねぇ」

 じゃあ赤井に会いに行っているのかと聞いた後、沖田は小さく咳をする。

「大人しく部屋で寝てろ。ここぞって時に寝込まれてたんじゃあ、たまらんからな」

「わかってます」

 幕医の松本良順がはっきりと沖田の病状を労咳だと診断したわけではない。その可能性があると言う事だけだ。これまで数回吐血しているのは、胃の病気の可能性が強いとの診断だった。

(しかし、この咳。胃の病気なんかじゃねぇ)

 高杉が激しい咳を繰り返し吐血する姿を目の当たりにしている土方には、どうしても沖田が労咳を患ってしまっているとしか思えなかった。

「なんかあったら知らせを寄越してくれ」

「なーんにもなかったら邪魔しに来るなってことですね」

「嫌な言い方すんじゃねぇよ」

 沖田を部屋に送り届けた土方は、その足を祇園へと向けた。



 窓から眺める景色が次第に慣れたものになってくると、自分の心にわだかまる悶々とした気持ちに苛々するようになり、赤井は何度となく祇園に来るのを拒んでいた。

「じっとしてられない気持ちはよく判るんだが」

「そう思うなら、城に置いといて下さい」

 そうもいかないと伊庭は笑う。

「私一人で飲んでて、刺客に襲われたらどうするんだ?」

「隻腕の護衛なんていらんでしょう」

「だから、そう自分を卑下するな。今のおまえの腕なら、そこらに居る剣客よりは腕が立つんだ」

 伊庭から太鼓判をもらっても、そう言う当人にまだ一太刀すら入れることすらできないのだ。褒められても素直に喜ぶ事はできなかった。

 赤井は膳に置かれた猪口に手を伸ばす。

「なんだかんだ言って飲むんだから」

「他に何をしろと?」

「赤井くんたら、金猫でも相手にしてればいいのに」

「お金だして女を買いたくないだけです」

「だったら芸妓の一人でも」

「もう、それはいいですって!」

 金猫とは回向院の近くで商いをしていた下級遊女の呼称で、揚げ代が金一歩かかることからそう呼ばれる。また二朱(金一分の半額)の遊女は銀猫と呼ばれ、江戸では下町の町人がよく使う言葉だが、京ではあまり使われない隠語だ。

 芸妓と遊女は異なる。

 芸妓は「芸を売って場を取り仕切る」のを生業としており、舞踊や音曲・鳴物で宴席に興を添える。身持ちは硬く旦那以外の男とは床を共にしない。芸妓は置屋に籍を置き、茶屋を通して旅籠や船宿等から指名がつくと出向いて芸を披露するが、指名の大半は遊郭で、遊女が来るまでの場つなぎとして呼ばれることが多かった。

 遊女は「客を遊ばせる」のを生業としているため、金を支払えば自分の好みの相手と床を共にできる。遊女にも位が在り「太夫」と呼ばれる遊女が最高位で、格子・散茶・梅茶女郎と続いていく。見習いは「新造」と呼ばれ、水揚げした遊女の付き人・身の回りの世話などを任されている。高級遊女の大半は幼い頃から(くるわ)で育て上げられる女子や、遊女が妊娠して生んだ女子が遊女として育てられた女子がなることが多い。

 二人がやいのやいのと騒いでいると静かに襖が開き、土方の不機嫌そうな顔が暗闇から部屋の中をのぞき込んだ。

「やあ」

 声もかけられずに襖を開けたのだから、本来なら無礼と怒鳴られるのだが、伊庭は一向に気にする様子もなく土方を中へと誘った。

「ずいぶんと暗い顔ですね」

「幕臣のあんたなら、その理由を知ってるんじゃねぇのか?」

「新撰組の昇格ですか。喜ぶべき事だろうに、世の終焉だと言わんばかりの顔で登場する事はないでしょう」

 冗談じゃないと、入って来た土方は伊庭の前に腰を下した。

「文句が?」

「ある、って言ったらいいのか?」

「その顔を見ればね」

 くくっと笑う伊庭の膳から猪口を取り上げた土方は、その手を赤井に差し出した。

「飲むんだ」

「いいから注げ」

 大きなため息を吐いた赤井は、差し出された猪口に酒を注ぐ。

「で、あんたは毎日ここで金子を使いまくって、何やってんだ?」

「色々とね。君も気になる事があるから、好きでもない相手と酒を飲みに来ているんじゃないんですか?」

 ちっ、と舌を打つ音が響く。

「緒藩と雄藩が大樹公の奏上を後押しする形をとったことで、幕府は一応平静を保っています。しかし、薩摩と土佐の動きが気になるんですよ」

「土佐公は幕府寄りじゃなかったのか?」

「容堂公はそうですが、藩士たちの動きが活発となっています。見廻組も警戒と監視の目を光らせていますし、何かしら情報を得ておくのは今後のためにもなるでしょう」

 伊庭がそう断言するのなら、そのなにかしらの一つでも掴んでいる可能性があると言う事だ。

「で?」

 先を促すように目を向けると、伊庭は両肩を上げて酒を飲み干した。

「御陵衛士の動きですが・・・」

「伊東が何か?」

「朝廷から警護を拝命したと聞いていますが」

「ああ」

「・・・最近の薩摩は必要以上に公卿に接触しています。影に見え隠れする長州藩の志士たちも然り。どう思います?」

 腕を組み、顎に手をやった土方は思案に暮れる。

「こう言っては失礼ですが、御陵の警護についた彼らのはぶりの良さは目に余るものがある」

 顎に当てた手を放した土方は、目を細めた。

「それ相応の資金を提供する者が影にいる」

「それが薩摩藩、ってことか?」

「確証はありません。薩摩藩士が御陵衛士に接触を図ったところを見た訳じゃありませんし。ただ、可能性として挙げるなら、ない、とは言えないかと」

 伊東はがちがちの勤王派だ。水戸藩との繋がりもあるから、朝廷への伝手を取り付け易い。だからと言って、そこに薩摩が介入してくる意図が汲み取れない。

「推測の域を出ていませんから、新撰組として動かれては困ります」

「解ってるよ」

「新撰組隊士と御陵衛士の接触は?」

「伊東が脱退する時に禁止すると確約してる。隊士の引き抜きもだ。これまで双方が接触した気配はない」

 自分の知る限りはである。新参者が増え、隊士の監察も徹底させているものの、斉藤と藤堂を欠いた余波は少ながらず隊に影響しているのが現状だ。完全とまでは行かないのである。

「勅許が下れば、大樹公と揉めた薩摩も大人しくするほかはないでしょう」

 薩摩には大久保一蔵がいる。と、土方は薩摩藩邸で見た顔を思い出す。

(大人しくしているたまには見えないがな)

 会津藩と手を組み、長州を京から追いやった藩ではあるが、長州征伐に関しては反対の意見を建白して来ている。影で長州と繋がっているのではないかと睨む土方は、チラチラと見え隠れする坂本龍馬や、片目の男、長州藩士だと言い切った和奈の存在を捨てきれていない。それに、大宰府へ遊説に出向いた伊東の行動も腑に落ちない。近藤に語った通り、蟄居の身となっている公卿に接触し、御陵警護の勅命を下させたと考える方が道理に適う気がするのだ。

「私たち遊撃隊は近々大坂に戻るので、祇園散策もそれまでとなります」

「将軍警護はどうすんだ?」

「もともと援軍でしたし、西国の雄藩が京を出れば、大坂へ引っ込んでも差し支えないだろうと、上からの御達しでね」

 土方は黙って座って居る赤井に視線を向ける。

「勝殿は元気か?」

「江戸に帰ってます」

「そうか・・・もう一度会いたかったんだがな」

「赤井くんの新撰組復帰かな?」

 伊庭がくすくすと笑いを零し、赤井が頭を掻く。

「あんたに相談でもしたか」

「土方くんに惚れているらしくてね、どうか戻れないものかと相談を受けたんだ」

「惚れっ・・・・おまえなぁ、それいい加減に言うのやめねぇか! 誤解されるだろうが!」

「まあまあ。その気持ちが解らないでもないから、骨は折ってみるつもりだ」

 真顔の顔が伊庭を捉える。

「気風がね・・・赤井くんには似合わないんですよ」

「遊撃隊の?」

「ええ。型破りというか、礼儀しらずと言うか。武士として務める者たちの間では不人気で、新撰組の悪口を聞こうものなら、相手構わず食ってかかるんだ」

 赤井を睨みつける土方の目は、どこかしら優しいものがあった。

「隊規を乱されては、私としても処置に困る。多分、勝殿も見越していたと思うよ」

 隻腕となった赤井の復帰を取りやめにと申し出たのは勝だ。あの時はそうする他、謝罪に出向いた近藤の立場を組む方法はなかったのだろう。

「てめぇが戻りたいってんなら、ちゃんと正攻法で戻って来い」

「そのつもりです」

 赤井の言葉に迷いは無かった。

「残念だな。おまえなら遊撃隊幹部に昇進できる手腕もあるのに」

「買い被りですよ」

「そうかい? 現に新撰組では組長格だったんだろ?」

 そうなった理由があるだけだ。斉藤に剣術で勝って、実力でなった訳ではない。近藤は腕だけではないと言うが、大半の隊士たちが組長に望むものは力だ。だから四番隊は編成し直され、組長を張れる面子を集めたのだ。

「まあ、小難しい話はここまでとしよう。改めて新撰組の昇格に、おめでとうを言わせてもらう」

「見廻組と同格になるのは確かに嬉しいことだ。そこんとこだけ、礼をもらっておく」



 高台寺塔中にある月真院は、元和二年(一六一六年)北政所の従弟久林玄昌によって亀井豊前守の保護の下建立 された寺院だ。臨済禅宗建仁寺派に属している。御陵衛士を賜った 伊東ら一五名は、この月真院を屯所として「禁裏御陵衛士屯所」の札を掲げていた。

 新撰組が幕臣に取立てられたと報告に来た篠原泰之進は血相を変えていたが、伊東は動じもせず茶を啜っていた。

「伊東さん、なにを暢気に構えて居るんですか」

「おかしな事を言いますね。私からすれば、そんなに慌てて居る君の方が不思議に思えますよ」

「しかし、新撰組には茨木たちがおります。幕臣ともなれば、新撰組から離脱するのは困難となるのですよ?」

 御陵衛士として分離する際、伊東は志を同じくする者を数名残してきている。新撰組の内情探索が名目で、時々だが報せが届いている。

「幕臣になったと言っても、俸禄を頂き、これまでと同じ様に京の守護に当たるだけです。別に困る事ではないでしょう?」

「ですが・・・」

「それより、斉藤くんの行動が気になります。私たちと共に新撰組を抜けた彼の真意がまだ測りかねない。ここで新撰組の事をとやかく論議するのは得策ではないんですよ」

「藤堂は?」

「彼には彼なりの志がある。新撰組に願える事はありませんから、心配ないように。それと、茨木くんたちには自重するよう伝えてくれませんか。彼らの事だから、幕臣取立てに不服を申し立てかねませんから」

 御陵衛士として分離してきた隊士たち全てが、勤王派の真骨頂を持っていない。土方たち幹部を始めとする初期からの隊士たちが、京の治安維持という名目の裏で、志士だけでなく疑いがあるとして町人や商人までも切り捨てる所業に納得できず、伊東と共に分離して来た者も居る。ただ、誰もが御陵衛士としての誇りを抱いている。この点のみが、隊士たちの結束を促していると言える。

「もはや幕府に担がれても得などありはしないと言うのに、近藤くんは両手を振って喜んでいるんでしょうね」

 伊東は決して新撰組を毛嫌いしている訳ではない。京の治安維持のための組織であるならば、それはそれで必要な存在なのだ。ただ、時勢に流されず、会津藩や幕府に就く事に懸念を抱いている。

「会津藩が捨て駒として新撰組を抱えるならば、朝廷もそれに沿った組織が必要」

 伊東はその意見を聞き、共感を覚えた。朝廷に仕えると言う事は自分の抱いている尊王の志にも沿う。武力を持たない朝廷に、武力を。その魅力は捨て難いものだった。

「斉藤が間者としてこちら側に入り込んでいる可能性もあるのです」

「だからですよ。今ここで騒ぎ立てても得はないでしょう? それより、近藤くんに祝辞の一つでも贈ってあげねばならないでしょう」

「祝辞、ですか」

 篠原が苦笑する。

「新撰組が幕臣となった事は、御陵衛士を拝命した我らにとっても喜ばしいこと。それを忘れずに添えておいて下さいね」

 伊東は庭へと目だけを動かした。

(こそこそと鼠のように)

 気配が動くのを感じるが、こちらの話しが聞こえる位置ではない。

 恐らくは斉藤だろうと、篠原が部屋に入って来てからずっと、伊東は殺気に近い気を出して威嚇している。斉藤もそれを感じてこの部屋に近づけに居るのは、距離をつめて来ない所から間違いないと思われた。

 斉藤の、聖徳太子流剣術道場師範代になった腕前は現在も健在で、伊東はその腕が欲しかった。それだけでなく、新撰組のあり方に疑問を抱いていると伊東は見た。分離前に斉藤を説得しに訪ねた時も、思うところがある風だった。

(演技とも言えるが)

 人と言う者は眼だけは嘘がつけない。どんなに隠そうとしても、眼は正直なまでに人の心を映し出す。それを読み取る才があれば、語る言葉が虚偽か真実かを見極められる。伊東はその才がある人物の一人だと自負している。ゆえに、斉藤を信じきれないのである。

「さあ、今宵は此処までに。屯所での言動、外との接触には以後も細心の注意を怠るな。線を辿られれば我らだけでなく、相手にも火が移ってしまう。それは絶対に避けなければならん」

「承知しております」

 篠原が退出して行くと、外にあった気配もしばらく後に消えた。

 障子を開け、雨の降り出した空を仰ぎ見る。

「どう転んでいくか、楽しみと言うものだな」

 将軍慶喜が京に入り、新撰組が幕臣に取り立てられ、薩長芸土の動きも活発となってきている。御陵衛士として、朝廷側でなにが出来るか、伊東は思案を巡らせ始めた。



 伊東の懸念は的中し、幕臣取立てに不服を唱えるものが新撰組内部から出た。 

 諸士取調役兼監察方浪士調役の茨木司、平隊士佐野七五三之助、中村五郎、富川十郎らを主に、中井三弥、高野良右衛門、松本俊蔵、木幡勝之進、岡田克己、松本主税の十名は、幕臣になるのは、会津藩と幕府二つの主君を頂く事になり、それは武士として面目が立たないと近藤に直訴した。しかし近藤は茨木たちの反対を取り合わなかった。

 茨木は月真院に出向き、御陵衛士への加盟を要請するが、新撰組と御陵衛士との間に移籍を禁止する約定が結ばれいるため、伊東はその要請を断わったのだ。

「会津藩へ出向きます」

 伊東を前に、茨木は真剣な面持ちでそう告げた。

「いや、それは待て。君たちが近藤くんに異議を申し立てている以上、土方くんが何らかの工作を計っている可能性は大きい。会津藩へ出向けば、何かしらお咎めを受ける事になるかも知れない」

「しかし、このまま幕臣として新撰組に居る事は出来かねます」

 薩摩藩に匿ってもらうか、とも考えたが、脱退した者を大した理由もなく引き受けてくれるとは思えない。

 困った表情で茨木を見る伊東は、脱退できる策を考えるので、それまで我慢するように告げ、茨木を帰し、あらゆる方向から茨木たちの身柄を匿う術を考えねばと思っていたのだが、翌日の六月十三日、茨木たちは下売町の京都守護職屋敷に行き、新選組脱退の嘆願書を会津藩に提出してしまった。

 出頭した茨木たちに困ったのは会津藩もである。至急新撰組に知らせが走り、近藤と土方、諸士取調役兼監察方浪士調役山崎烝、文学師範尾形俊太郎、撃剣師範吉村貫一郎の五人が守護職屋敷に駆けつけた。

 用意された別室で、茨木らは入って来た土方たちを見上げた。

「馬鹿な真似して、会津藩に迷惑かけんじゃねぇよ」

「局長が脱退を認めて下されば、このような事は致しませんでした」

 脱退は如何なる理由があってもご法度が隊規だ。だが正当な理由や、会津藩が認めれば脱退も可能となっている。二つの主君は武士にとってあるまじきこと、それを茨木は強く説いた。

「幕臣として京の治安維持だけでなく、将軍の護衛の任にも就ける。俸禄も役職に見合った分が支給されるんだ。今までより楽になるだろう?」

「俸禄が欲しいわけではありません。主君に仕える、それが武士の道とこれまでやって来たのです。局長、どうか我々の願いを聞き届けてくれませんか」

 そう膝を突き出して声に出したのは佐野だった。

「おまえらの意見を通せば、後々同じ様に脱退を申し出て来る奴が出る。隊規が乱れる原因ともなる。すまねぇが、ここは我慢してくれ」

 怒鳴る立場でる土方も、場所を弁えて居るのか落ち着いた口調で茨木たちを諭しにかかってきた。

「どうあっても脱退はさせて頂けないと?」

「二つの主君と、おまえらは言うが、会津藩は親藩として幕府に仕えている。会津藩士からしたら、主君は二つなわけだ。それとどう違うってんだ?」

 この言葉に茨木たちは言葉を失う。

「解ったら、脱退の件は諦めてくれ」

「・・・いえ、やはり納得は出来ません。脱退を認めて貰えるよう、再度守護職上方に嘆願します」

 双方の意見は平行線を辿り、守護職屋敷で夜を明かした土方たちは脱退を認めず、対応に出た守護職の御用取次ぎも茨木たちの処遇に困り果てる始末となった。

 どうあっても脱退できない。昼を過ぎる頃、茨木、佐野、中村、富川の四名はそう結論に至った。

「武士としての信念を曲げるわけにはいかん」

 頷いた四名は、近藤と土方の居る部屋に出向くと、自分たちは幕臣として新撰組に残るが、他の隊士たちについては脱退を認めてやって欲しいと譲歩する姿勢を見せた。

「うむぅ・・・」

 近藤は土方を横目で見る。

「このまま突っぱねてても、会津藩に迷惑がかかるだけだ。この四人の他は平隊士だし、条件を飲んでやってもいいんじゃねぇか?」

「そうか、そうだな。解った。それで手を打とう」

 茨木は念書を書いて欲しいと、懐から矢立てと懐紙を取り出し、近藤に差し出した。

「会津藩にも、その旨は伝える。念書は」

「信用していないのではなく、他の者たちを安心させてやりたいのです。どうか、この通り」

 佐野も茨木も頭を下げる。

「仕方ないな」

 懐紙に隊士脱退の許可を書き、日付と署名の下に印を置くと、近藤は茨木にそれを手渡した。

「ありがとうございます」

 守護職に解決の旨を告げた近藤たちと共に屯所へ戻った茨木は、中井たち六人に念書を渡し、すぐに屯所からでるよう促した。

「茨木さんたちを置いては・・・」

「大丈夫。我々のことは気にするな。屯所を出たらそれぞれ国許にでも帰れ、いいな」

 わずかばかりの金子を手渡し、渋々と受取った中井らは簡単な身支度をして西本願寺を後にした。

「さて、我々の番だ」

 にぃっと笑った佐野に、茨木と富川、中村がああ、と頷いた。


 夕刻になっても顔を見せない茨木たちを呼びに、諸士取調役兼監察方浪士調役の島田魁が部屋へと足を向けた。

「茨木さん、おりますか?」

 中からの返事はない。

「そろそろ夕餉の時間です。見廻りの編成もあるので、ご同行願えませんか」

 しかしいつまでたっても人の動く気配がない。

「ん?」

 嫌な匂いがツンっと鼻をつく。

「まさか!」

 襖を開け放った先に島田が見たものは、切腹して事切れている四人の姿だった。

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