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幕末奇譚 『志士 狂桜の宴』  作者: 夏月左桜
奇譚二十幕 破綻百出
79/89

其之ニ 無逸という志士

 止んでいた雨が再び降り出したのは、大久保と小松が百万遍に在る土佐藩邸へ入ったすぐ後だった。

「やれやれ、濡れずにすんだようじゃな」

 庭先を濡らし始めた雨が次第に音を増して行く。

「お二方はすでにお見えになっておられます」

 玄関に出迎えに出て来た谷守部は挨拶を述べると二人を奥へと誘った。

 月の照らさぬ庭を横目に、大久保と小松の二人は灯りの灯った部屋の前で一旦立ち止まり、中の様子を伺ってから声を発した。

「失礼致します」

 座して障子を少し開け、さらに膝半分まで開いて顔を見せてから、残りの障子を押し開けた。

「薩摩藩家老、小松帯刀と申します。これに居りますのは大久保一蔵と申し、御小納戸頭取兼務する御側役にございます」

 上座に座す二人の男に頭を下げてから部屋へ入った二人は、ゆっくりとその場に腰を落ち着けた。

 正面に座しているのは松平春嶽、伊達宗城の両名で、その顔はこの天気と同様に曇ったものとなっている。

 昨日、摂政の二条斉敬(にじょうなりゆき)尹宮(いんのみや)朝彦親王(あさひこしんのう)山階宮(やましなのみや)晃親王(あきらしんのう)、前関白鷹司(たかつかさ)輔煕(すけひろ)、内大臣近衛忠房(このえただふさ)、権大納言一条実良(いちじょうさねよし)、同九条道孝(くじょうみちたか)、同鷹司(たかつかさ)輔政(すけさま)、議奏に復帰した正親町三条実愛おおぎまちさんじょうさねなる長谷信篤(ながたにのぶあつ)が朝廷側から、徳川慶喜(とくがわよしのぶ)、京都所司代桑名藩主松平定敬(まつだいらさだあき)、老中板倉勝静(いわくらかつきよ)、同じく老中の稲葉正邦(いなばまさくに)、若年寄で大多喜藩主の松平正質(まつだいらただまさ)と、先に慶喜と会議を行なった四候の内、容堂と久光は欠席し、松平春嶽(まつだいらしゅんがく)伊達宗城(だてむねなり)だけが朝議に参内し始まった朝議は、夜半を越え朝ももう間近という頃になってようやく、兵庫開港と長州寛典についての朝令が下り幕を閉じた。

 事は簡単ではなかったと、宗城が朝議の経緯を話し始めた。

「防長の件については、摂政二条殿より、上京しておる諸藩や我ら四公からも寛大な所置をと望む声が多く、慶喜殿からも同様の言上があったと、朝議にて寛典のお沙汰書を下されるよう進言なされた。兵庫開港については、先帝が止め置かれていた議案ではあるが、慶喜殿はすでに議論の余儀なき時勢だと言上し、諸藩の建白書ばかりか、四候の意見も同様に申していると申し上げられ、天皇はこれを止むなしとし、御差し許しに相成った次第である」

 朝議が休憩に入ると慶喜は春嶽を呼び出し、今日の奏上について、幾日かかるとも決定しないのであれば退朝する気はないと、脅しにかかった。それがただの虚勢でないことは春嶽にも解った。かと言って、久光や宗城の敵に回りたくもない。親藩としての立場もある。一番苦難を強いられたのは春嶽かも知れない。

 そして翌日未明にまでもつれこんだ会議に辟易したのか、二条は散会を申し立てた。

「二条殿は幕府より申し立たる、長防を寛大に処し兵庫開港をすべしとの趣意を、御同意と思っていらっしゃるなら、会議を続けるべきと思いまする」

 顔を鷹司輔政へと向けた二条は、その後居並ぶ者の顔を見回した。

叡慮(えいりょ)もこれを可と仰せであられる。二条殿も拠なき事と思っておられるのなら、速やかに勅命を下して然るべきでありましょう。大樹公の是非、願いを納れられずは因循となり、そのために大樹公が職掌(しきしょう)を勤め兼ねると辞職ともなれば、天下は直ちに動乱に及び 朝廷も恐ながら今日限りと存じまする」

「なんたる不心得であるか。朝廷がこれ限りとは、口が過ぎようぞ!」

 輔政の父である輔煕が息子の出すぎた暴言を嗜める。

「いや、誠に其の通りである。二条殿が此度の件を納めるおつもりがないと責められても、致し方ないではありますまいか」

 出揃った公卿らにまで非難の矛先を向けられた二条は、空が白み始めだした頃、漸く折れて兵庫開港と長州寛典を奏請することとなり、十五才の若さで踐祚(せんそ)の義を行なった睦仁天皇(むつひと天皇)に勅許を得る事で議会は終結した。

 翌日にまで及んだ朝議の内容を宗城が語り終えると、大久保は膝の上に置いた両手を固くし握り絞めた。

「よもやこうも四候のご意見が揃わず。慶喜殿の思惑通りに進められるとは」

「言うな。余とて歯痒いことこの上ないばかりじゃ。土佐公が欠席を続けられ、春嶽殿には仲裁に入られてしもうては手など打てようものか」

 宗城が責めるように春嶽へ視線を流す。

「余がニ公と意見を同じくしたとて、慶喜殿のご意見は変わらぬであろう。そう見て取っただけじゃ。それに長州藩への寛典は取り付けられた。征伐にならなかっただけでも良しとせい」

 欠席したとは言え久光は納得した訳ではない。土佐藩邸へ出なかったのは、西郷を使って事前に容堂の意志を確認したにも関わらず、この様な結果となった事に対し気分を害しての事なのは明白だった。

 庭に落ちる雨を忌々しげに見ていた大久保は、腕を組んで同じく庭へと視線を向けている小松の横顔に視線を戻した。

(正面から慶喜殿を屈服させられぬのであれば、手を変えねばなるまい)

 このまま幕府が政の座に付いていては、何れ西欧列国がこの日本に流れ込んでくるのは必至と見ている。そうなれば、内部の体制が一本化していないこの国では推し留めるどころか、さらに不平等な条約を締結してしまいかねない。現に幕府は押し切られているのだから。

(この国を夷狄の好きなようにさす訳にはゆかん)

「長州征伐を、よくぞ引き下げられましたな」

「慶喜殿も馬鹿ではない。兵庫開港の勅許を取り付けられるのであれば、雄藩を敵に回してまで征伐なぞしようとはお考えめされまい」

 久光がこの度幕府に腹を立てて居るのは、勅許も得られてないにも関わらず、兵庫開港の実施を日本に在中する各国公使に公約した事にある。

 朝廷からは二十二藩に対し、慶喜の上奏について意見具申するよう上洛の命を下していた。にも関わらず、慶喜は上洛して来た諸藩が意見具申する会議を開かせもせず公使に公約してしまったのだ。四候が今日に集った時にはすでに手遅れだったと言う事であり、初めから慶喜には四候のみならず緒藩の意見など聞くつもりはなかったと言う事になる。

「あの方が水戸藩のご出身であるとは、どうしても思われぬ」

 水戸藩は尊王の志が秀でて強い藩だ。水戸光圀(みとみつくに)公の姿勢から【幕府より朝廷尊奉に重きを置く】のが家訓ともなっている藩である。その家訓があったからこそ、水戸藩士たちは藩に迷惑が及ばぬよう脱藩し、井伊を討ったのだ。

「しかし慶喜殿と幕府との折り合いは決して良いものではない。どちらかと言えば幕臣に睨まれているお方だ。今度の兵庫開港についても、大老井伊殿らが強硬した政の後始末に過ぎん。内々はそれで済むが、諸外国へはこの道理を押し通すことは至極難しい問題であると解ってるがゆえ、開港について余は致し方なしと考えておる」

 春嶽が心根を語るが、大久保の心には残らない言葉だ。

(国の基盤がままならぬうちに、異国からの干渉を受ける開港を認めては、今後の日本はない)

 その思いだけが一番強い。現に開港された港では異人が徘徊し、藩の決めた条例を無視する言動もある。

 先に起こった生麦事件が良い例である。

 藩主の行列を横切る事はご法度。その仕来りを在中する公使にも伝えてあったのだが、イギリス人は騎乗したまま行列を横切ってしまった。無礼と、薩摩藩士が斬りかかっても咎める藩などありはしない。慌てたのは幕府だけだった。

「今ここで過ぎた事を詮議しても仕方なかろう」

「じゃが経緯も大切であろう。朝廷は我ら緒藩に対し意見を述べよと御命じになられたのだ。それを愚弄する所業に出たのは慶喜殿ではあるまいか」

 春嶽は出す言葉を失い、宗城は会話に参加せず座っていた容堂に対し、四候連名で抗議すべしと説いた。


 その様子を反対側の部屋から眺めていた谷守部は、頬杖をついたまま問いかけた。

「あれが薩摩の大久保公ですか」

 福岡と乾は互いに顔を見合わせ、振り向いた谷に頷く。

 上士の家系に生まれた谷は、江戸で飫肥(おび)藩の儒学者安井順作の門下に入り、帰藩後に藩校である致道館の史学助教授に就いた。武市とも既知であり、一時は尊攘運動で思想を同じくしていたが、長崎を訪れた際、夷国の文化を目の当たりにし攘夷は不可能と悟り、中岡が起こした陸援隊に加入を希望。以後は薩長のみならず他藩の志士らと倒幕のための周旋に駆け回っていた。

「お側におられるのは家老の小松殿だ。こちらもなかなか、捨てた人物ではない」

 乾の声が楽しそうに響く。

「朝廷への伺上書を出すって事ですが、我が藩は薩摩や宇和島、越前と事を進める気があるんですか?」

「あるからこうして集り、ない知恵を搾り出そうとしているのではないか」

「乾殿は容赦がないのぅ」

 福岡は笑うが、乾は至って真剣にそう思っている。

「容堂公は数日後に京を発たれる。それまでに土佐の同意も取り付けておきたいのだろうが、未だ大殿は首を縦に振られぬときた。困る以外の言葉など出んのは、私も大久保公も一緒だ」

「西郷殿からの要請は飲まれたと言うのに、四候会議では欠席続き。薩摩のご機嫌を伺えとは言いませんが、今後薩摩との交渉がやれずらくなるのは必至でありましょう」

「わざわざ老公お二方と、薩摩の重鎮が顔をそろえて居るのじゃ。土佐なくてはと思うところがあるからじゃろう。そう心配せんでも良い」

 しかし、と乾は遠目に見える大久保の姿を捉えた。

(このまま指を銜えて見ているほど、大人しい方ではあるまい)

 だから乾は念を押しに出かけたのだ。薩長芸に土佐を銜えておきたいと考えたのは、薩摩が何かしらの策を講じた後では遅いと思ったからだ。

「慶喜殿が四候を押し切った以上、京に留まっている由もない。帰り支度は整えておきたまえ、谷くん」

「私もですか?」

「残りたいと言うのであれば、それ相応の理由付けを考えたまえ。容堂公は影でこそこそ動かれるのが嫌いなお方だからね」

 はぁ、と気のない返事を返した谷は、中岡もかと尋ねた。

「彼には色々と動き回ってもらわねばならんゆえ、容堂公には京の情勢は必要であろうと許可を得ている」

「それに私も加えて下さい。ああ、なんなら、陸援隊の統率に必要とでも」

「陸援隊を出されては、嫌とは言えませんな、乾殿」

「私より福岡殿から大殿に進言して下さいませ。その方が通りも早いでしょうし」

 薮蛇だとしかめっ面になった福岡は、谷の背中を小突いて立ち上がった。

「しかと聞き届けた。貸しはちゃんと返せよ」

 にやりと笑った福岡は、肩を揺らしながら障子の向こうへと消えて行った。


 五月二十四日。摂政二条は、

「防長の件については、諸藩や四藩など各々寛大の所置あってしかるべくとのお沙汰を下されるように言上致した。これについては大樹からも寛大の所置の言上があった。天皇も同様に思し召されておるので、寛大の所置を取り計らうべき事。兵庫開港については元来不容易で、殊に先帝が止め置かれたが、大樹は余儀なき時勢であると言上。且つ諸藩の建白の趣もあり、四藩も同様に申し上げたので、誠に止むを得なく天皇は御差し許しに相成った。ついては諸事をしっかり取り締まるべき事を申しつける」

 と、四候会議の内容に対する結論を出した。

 二十六日。容堂が御暇乞いを申し立て、幕府がこれを承認したことにより土佐藩邸は帰り支度の忙しさとなり、容堂と共に福岡も土佐に帰藩するようにとの命が下った。そして翌日の二十七日。四候連盟で慶喜に対し、慶喜を前にして射すくめられた結果をつきつけられた四候は、

「この朝命は我々が建議したものとは大きな違いであり、我々四藩としては長州問題と兵庫開港を同時決定することに同意した訳ではない。本末転倒であり、驚愕に耐えない」

 との抗議文を送りつけたのだが、朝議で決定した事であり、幕府にも命じてあるのでよく幕府と話しをしろと諭す内容の返答が朝廷より下るに終った。事実上、双方で解決せよと朝廷は身をかわしてしまったのである。

 これを受けた容堂は、事は終ったとばかりに京を後にしてしまった。


 容堂と福岡を見送った中岡は、西郷のもとを訪れると、土佐藩小目付の毛利恭輔、谷や乾と議論を交わし、薩摩との盟約について賛同したと告げた。

「まだ油断は出来ません。参政のお三方と小目付役、中岡くん率いう陸援隊が賛同したに過ぎません。まだまだ安心でけんちゅうのがおいの意見でごわす」

 肝心の容堂の賛成を取り付けたわけではないのだ、西郷の心配も中岡にはよく判るところだ。

「長の志士も京に入って居うと聞いておいもす。そん者達と談義を重ね、武力倒幕への意思確認をせなんもはん」

 武力倒幕。大久保がすでに幕府を見限り、四候会議の失敗を経てそこにたどり着いているのは予想の範囲でしかなかった。だが西郷自らその言葉を口にすると言う事は、大政奉還が失敗する前提で動き出しているということに繋がる。

「やはり西郷さんも、慶喜殿が大政奉還を退けるものとお考えですか?」

「万が一を考えてでごわす。一蔵さあもおいも、そうなると決めとう訳ではあいもはん」

 大政奉還以外に、幕府に政権を返上させる手立てがあるなら、武力を以って敵対するつもりはないと西郷は付け足した。

「そいどん慶喜殿が素直に政権を返上すうとは考えられません。でくう事は長州や芸州と意見を合わせうのが必要と考えておいもす。中岡くんいもそんつもいで動いて欲しかと思っておいもす」

「勿論、助力は致します。在京する薩長藩士も、討幕決行の議を決定しています」

 ほぉ、と西郷の顔に笑みが広がる。

「さすがは中岡くん。やう事に卒があいもはんな」

「これには乾さんが同意を示しておいでです」

「土佐藩も一枚岩じゃなか、と言うこっじぁなぁ」

「残念ながら。薩摩や長州のようにはいかないんですよ」

 だから気苦労が絶えないのだと、中岡は肩を窄めた。

「列侯会議で幕府を抑えれんごっであれば、打つ手は限られてきもす。一蔵さぁもそんつもいで動くに違いあいもはん」

 西郷も同じ考えであるのかと中岡は尋ねた。

「幕府に義を見つけられん以上、進むべき道は一つと考えておいもす」

 こ大久保がなんらかの工作をすでに始めているのが明白となった以上、船越らとも再度談義を重ねる必要があると焦りを感じた中岡は、時間を割いてくれた西郷に礼を述べ、薩摩藩邸を辞去しその足を祇園へと向けた。



 なにが哀しいのかと聞かれても、今の和奈にはその理由を説明する言葉が見つけられなかった。ただ部屋の片隅で沈黙したまま、武市を横目に落ち着かない時を過ごしていた。

「・・・・・」

 何か言わなければと思うのだが、どう話しを切り出せばいいのか考えあぐねててしまい、結局何も口にできない。

「一人にしてやりたいが」

 和奈の困惑を感じ取った武市が、静かに口を開いた。

「今のおまえを一人にはできん」

「はい・・・あの、聞いてもいいですか?」

 いまの和奈は和奈なのだろうかと、視線を移した武市は探るような目を向けた。

「なんだ?」

「吉田稔麿さんって、桂木さんもご存知なんですか?」

「・・・池田屋事件は知っているな?」

「私がここへ来た時の事ですよね」

 逃れてきた二人の男が門外で自決し、藩邸の門を閉ざした事で桂は乃美を責めていた。その男の内の一人が吉田稔麿という名であった事は覚えていた。

「吉田くん個人と親しかった訳ではない。久坂くんや井上くん、桂さんらと会合を重ねてはいたが、表立った場所に出て来ることはなかった吉田くんと、話しをしたことはない」

 しばしの沈黙が流れ、和奈は一度天井を仰ぎ見た後、武市に顔を戻した。

「久坂は頭の切れる男だから、意志を同じくする者に時勢を説いて回った。私は家の事情もあり、京に出るのが遅れた。やっと京に出れた頃、すでに久坂が長州尊攘派の上に立つ立場になり、私が緒藩の方々と論じる機会もほとんどなかった。弁舌をふるうのが苦手な高杉でさえ、自ら行動することで自分の意志を皆に示した。だが、私は何をしたんだろう。松陰先生の死も救えず、同志たちも救えなかった」

 武市の顔が引きつった。

 目の前に座るのは、松陰から【無逸】の字を与えられた吉田稔麿、その男であるとその言葉から確信したのだ。

「武市さんも同じ思いでいらっしゃるのは、これまでを見てよく判っています」

「同じでは・・・ない。私は土佐という国で事を成し遂げたかった敗者に過ぎん」

「まだ終わりではありません。その志は消えておらぬのでありましょう?」

「・・・義を以って藩に仕え、薩摩や長州に勝ると劣らぬ国と肩を並べてやるのが、私の志だった。脱藩を勧められ、長州に亡命しろと言われても、あの頃の私はまだ容堂公を信じていた。その過信が多くの仲間を死に追いやるとも考えずに・・・そんな男に、志など」

 唇を噛み締めた武市は、まっすぐに向けられる目から視線を外した。

「脱藩して意志を貫くのが正道であると思いません。藩論を統一し、時勢の並に国を乗せようとしたあなたの志は立派だと思います」

「今更、過ぎたことを語るために、和奈の心に残っているのではあるまい?」

「大切なことです。井伊直弼の起こした安政の大獄からすべては始まった。いえ、ペリー率いる黒船が日本に来航したときより始まっていたのかも知れません。我が師はその眼で黒船を見た。そして国の存亡を危惧されたのです。あの頃の先生は、幕府を見限ってはいなかった。至誠を以ってすれば、富国強兵の道を幕府も歩むと信じていたのです。土佐勤王党を作った時のあなたの様に」

「俺と一緒にされては、松陰殿も浮ばれまい」

「・・・勅許もなく幕府が締結した不平等な条約を先生は憤慨なされた。そして幕府に義はなしと、長州一国を強くするために藩に働きかけたのです。しかし、至誠を貫いて成した言動のために、先生の名は井伊の耳に届くところとなった。周布さんも、大殿も先生の身を案じて投獄さなされたが、井伊の手は執拗に伸びてきた」

 そして松陰は江戸に送られ、幾度もの詮議をうけ、ここでも至誠を尽くしたばかりに斬首という結末を迎えるに至った。

「井伊が造り上げた幕府の汚点を拭わなくてはなりません」

「まさか・・・君がそれを成そうと言うのか?」

 そんな力があれば、自刃していないと和奈は笑みを浮かべた。

「ならば・・・その体より出てはくれまいか」

 一度は懇願した事だ。すんなりと聞き届けてくれないと知りつつ、武市はどうしてもそう言わずに居られなかった。

「この者が望めば・・・いや、私が望むべきなのかも知れない。しかし、今はその時ではない」

 足を踏み鳴らして立ち上がった武市は、和奈のそばに歩み寄るとその両肩を掴んで顔を覗き込んだ。

「これ以上、和奈に負担を強いるな! もう十分だろう!」

 困った顔で薄っすらと笑みを浮かべた和奈は、そっと武市の手に自分の手を重ねた。

「私は・・・誰なんでしょう」

「!」

「思いが自分のものなのか、松陰と言う人のものなのか、それとも吉田さんという人のものなのか・・・境界線が曖昧になってて・・・・・自分でもよく解らないんです」

 手の上に乗る和奈の手は小刻みに震えている。

「っ!」

 両手を放し、和奈の背中に回し引き寄せる。

「しっかりしろ。今のおまえは桂さんの甥、和太郎だろう?」

「桂さんの甥・・・」

「長州に戻ろう。村木殿もさぞ心配なさっておられよう・・・戻ったら、おまえは刀を捨てるんだ」

「でも」

「捨てて・・・女として生きてくれぬか」

「女として、ですか?」

 そもそもが女子なのだからと、武市は困惑する和奈に苦笑を浮かべるしかない。当の本人が女としての性別を意識していないというのも、これまた不思議なことなのだが、松陰の魂だ吉田稔麿の魂だと性格を豹変させてしまうのだから仕方がないようにも思える。

「上士身分をもらった身ではあるが、村木家から嫁いでくるのに不相応な家柄ではない。戻ったら、正式に村木殿へ話しを通す」

「えっ!?」

 驚く顔は自分のよく知る和奈のものだ。

「長州に庇護されてから、ずっと考えていた事だ。おまえはもう刀を持つべきではない」

 はい、と素直に聞き入れるとは考えていない。無理強いをしてでも刀を取り上げておくべきだったと後悔したから、今出した答えを引っ込めはしないと武市はすでに心を決めている。

「これについては、桂さんの了承も得ている」

「そんな!」

「俺では不服か?」

「不服とか、そう言うことじゃないです」

 ブンブンと顔と両手を振る。

「ならば断り文句などは聞き入れぬ。それに、おまえは武士の娘となっている。時として理不尽な命令にも従わねばならん時があると、心得ねばならん」

 意地悪そうに口端を挙げて笑う武市を、和奈はキッと睨み挙げた。

「怨んでくれても結構。もう決めた事だ、違えぬと覚悟としておけ」

 困り果てる和奈からは、もう稔麿の気配は感じ取れなかった。それに武市は一つの確信を得た。政から身を遠ざければ、和奈が和奈で居ることができると言う事を。

 和奈を連れて小川亭を出た武市は、その足を桂が逗留する吉田屋へと足を向けた。



 吉田稔麿、と桂は遠い記憶の底へと意識を沈めていた。

 吉田松陰から、宜しく頼むとの文をもらったのは、稔麿が三度目の東下となった時だ。江戸長州屋敷で相対してみれば、自分の意見をしっかりと持ち、時勢の流れを鋭敏に感じ取る才覚を持ち合わせている。その稔麿を、この頃の桂は抱えておくべき手駒の一人として、一目置くようになった。

 安政七年、井伊直弼が桜田門外で暗殺されると、尊攘派の支持は水戸藩と薩摩藩に流れ、長州藩は左に右にと変わる藩政のせいで志士達からは見放されつつあった。長州藩で尊攘派として頭角を現していた久坂も、巻き返しを図ろうと稔麿の情報収集に期待を寄せていた。

 桂と久坂の案により、稔麿を兵庫警護に参加させた後、兵庫で脱藩させ西国の情勢探索に向かわせたのもその一貫だった。百姓一揆の原動力を、京にも波及できないかと目論んだのである。約半年に渡って稔麿はコメの相場や百姓らの情勢を調べ続けた稔麿は文久元年、備前藩の陪臣である岡元某と共に東下し、備前屋敷に匿われの身となった。それだけなら良かったのだが、岡元が藩に仕えてはどうだと強く切望してると知り、桂と久坂は慌てた。なんとかせねばと、幕吏になりたいと言い出した稔麿を、長州藩邸に出入りしていた柴田東五郎に頼み込み柴田家へと移すことに成功した。柴田は旗本田中市郎右衛門の用人だから幕府に伝手がある。その策が功を奏し、知行五百石の旗本で幕府の奥右筆を務める妻木伝蔵に取り付くことができた。稔麿はここで監察を任され、その繋がりから妻木は長州に好意をもつ幕臣となるのだが、目付役に就いた妻木が幕府に対し長幕調停の具申をしたことにより失脚、隠居の身となり、稔麿の幕府介入は夢と消えた。

 しかし稔麿も桂たちも落胆はしなかった。時勢は日を追うごとに激変している。この頃になると幕吏になったからとて、内部から変えて行くのは至極無理と誰もが判る状況になっていたのだ。

 江戸では安藤対馬守が老中を退き、薩摩の島津久光が兵を伴い上洛して来た。沸きに沸いたのは尊攘派の志士達である。在京の志士たちは薩摩が立ったと誰もが疑わなかった。しかし久光には倒幕など念頭になく、側役となっていた大久保も公武合体を強いた後の倒幕しかないと考えていた。自然、志士たちとの間に摩擦が生じる。そして寺田屋騒動と呼ばれる薩摩藩士による薩摩藩士の鎮撫事件が起きた。

 伏見藩邸に滞在していた藩主毛利定広が朝廷へ伺候に出向く途中を狙い、帰参を願い出た稔麿は大罪を詫びると、帰参して罪を償いたいと上書を差し出した。

 安政二年十月の大地震があった時、江戸の藩邸で定広と稔麿は一度顔を合わせている。大地震だったにも関わらず、人命救助にと揺れを恐れもぜず、崩れた屋敷から下敷きになった者を担ぎ出していた稔麿は定広の目に止まるところとなり、名を知られる事となった。

 長州は藩士に寛大な藩である。学問に剣術にと精魂尽くす者や、有能な者には特に寛大となる。それは吉田松陰への待遇や、何度も脱藩を繰り返した高杉晋作を、いざという時には要職に据える事からも窺い知れる。言い方を帰れば、若者に甘い藩風なのである。

 無論、稔麿にもその寛大な処遇は適用された。

「おまえが言いたかったのはこれなのかい?」

 宙を見つめる桂は、在りもしない幻影をそこに描き出していた。

「おまえの気苦労の種を一つでも取ってやりたがったが、すまんな。俺はこの通り死した人間となった。あとは何とかしてくれ、小五郎ならできるだろ?」

「無理難題を言ってくれる」

「だが、いつでも難題をどうにかしてくれたじゃないか。あいつの事もどうにかできると信じてる」

「まったく。こんな大事な時に、どうして、おまえは側に居てくれないのか」

「阿呆が。小五郎くんがそんな弱音を吐いてどうする。今辛いのは和太郎だ」

 病魔に冒される前の、元気であった頃の高杉の顔がにやりと笑う。

「因果、とは言いたくないが、それ以外に何を以って説明すればいいのか解らん」

「一人じゃないだろ? そう気張るな。おまえにはやらねばならん事が山ほどあるんだ。一つくらい他人様に頼っても損はないぞ?」

 武市の事を言っているのは聞かずとも判った。

「和太郎には俺の心根を伝えてある。と言う事はだ。稔麿にもちゃんと伝わってると俺は信じる。だから小五郎、おまえも信じてくれ」

「心根?」

 それはなんだと問いかけようとした桂は、いつの間にか転寝をしていた自分に気付いて顔を上げた。

「・・・・・本当に嫌な奴だな」

 自分が望んだ想いで高杉が夢にと出てきたのか、それとも本当に高杉が語りかけてきたのか、桂には解らなかった。

 足音が廊下から響いて来た。

「失礼する」

 声の主は少し襖を開けて顔を覗かせた。

「どうした?」

 武市の後ろから和奈もひょいと顔を覗かせる。

「入りなさい」

 着物の裾をただし、膝を揃えて座った先に二人が腰を落ち着けた。

「長州へ共に帰っても差し支えはないか?」

 返事を口にする前に、桂は和奈をちらりと見やった。不服そうな顔が畳みに視線を落としている。武市に何か言われ、渋々顔になっているのは間違いないと見えた。

「山縣くんと弥二郎が京に滞在することになるから、君達を無理に引き止めておく必要はないよ」

「有り難い。同行して共に長州に戻る」

「和太郎も、だな?」

 武市は無言で頷いたが、和奈は納得しきっていない様子だ。

「君の判断を良しとするよ。和太郎、おまえも思うところはあるだろうが、ここは私と桂木くんに従ってくれ」

「はい・・・」

「いい子だ」

 近藤が狙いならば京に留めておくのは危険だ。付き添っていたのが一人で、腕がたたなかったからこそ武市が割って入り、その場から逃れる事ができたのだ。これが土方や斉藤といった腕利き相手なら、どうなっていたか知れたものではない。

 桂にまで釘をさされて諦めたのか、食事となる頃には和奈も笑みを浮かべて話しをするようになっていた。

 稔麿が経験したすべてを和奈が知っているわけではない。武市はホッと胸を撫で下ろした。

(話した事はないと言ったが・・・)

 稔麿とは会う機会が度々あった。話すどころか、天誅に及ぶ時に行動を共にしている。

 長井雅楽が唱えた公武一和に基づく「航海遠略策」を藩が採用し、公武合体を藩論とすると、久坂は十二箇条の弾劾書を藩に提出した。藩が勢力争いで二分されるような事態になればそれこそ大事と、毛利敬親(もうりたかちか)は長井に帰国を命じる。その一方で、久坂は朝廷にも働きかけ、公卿正親町三条実愛に長井が提出した建白書の中に朝廷を誹謗する内容があると進言。帰国した長井を、久坂と伊藤俊輔が暗殺のために追廻した結果、久坂は謹慎を言い渡された。

 久坂からの進言を受けた朝廷は、上洛していた藩主定広に対し【朝廷御処置聊謗詞に似寄候儀も有之】と遺憾の意を伝えると、長州藩は朝廷に対し陳謝の意を述べ、長井には中老職のお役御免が申し渡された。

 波紋は幕府と朝廷にも及び、航海遠略策を支持したとして下総国関宿藩主久世広周が老中を罷免され、正親町三条実愛も権大納言と議奏辞職に追い込まれた。

 敬親は重臣らと意見を交わし、破約攘夷を藩論とすることに決定し、これによって長井は藩を乱したとして切腹を申し付けられ、長州は攘夷路線を進み始めた。

 薩摩がイギリス人を斬った生麦事件をかわきりに、京でも尊攘派の活動が活発になり出していた。井伊直弼の下で尊攘派の弾圧に関わった者への天誅が毎晩のように行なわれ、その首が竹やりに刺され晒される光景も、京の市中に不穏な空気を漂わせる原因となった。丁度土佐勤王党が頭角を見せ始め出した頃である。

 久坂の謹慎が解かれた久坂に、武市はすぐさま接触を試みた。長州藩の尊攘派の主導的立場にあり、在京の藩士からも名高い評価を得ている男だ。会っておいて損はないと考えての事だった。

 そうして付き合いが始まった久坂から、吉田松陰の説く【草莽崛起(そうもうくっき)】の思想を聞いた武市は、松陰のこの思想に共鳴を覚えた。土佐藩上士が動かないのであれば、下の者が動いて藩を動かせばいい。そうすれば、時勢を考え藩主容堂も動くだろうと信じたのである。

「すでに緒候に頼むには及びません。草莽の志士を糾合し、義挙する他に策はないと、同志の中でも申し合わせております。失礼とは存じますが、尊藩も滅亡しても大義が成れば苦とはならぬでありましょう。両藩が共存しましても、恐れ多くも皇統綿々、万乗の君の御叡慮が相貫き申さずては、神州に衣食する甲斐はこれ無きかと存じます」

 長州にも薩摩にも、土佐は尊攘運動において遅れを取っている。その焦りが武市を暗殺という手段に走らせた。

 長井を糾弾し藩論を攘夷へと転換させた久坂。公武合体路線を強硬に貫こうとした土佐を尊攘派主導の藩政に転換させた武市。二人が巡り合ったのも時の運ではなかっただろうか。

 同志と共に京を発った武市、久坂らは、東海道を下り石部宿に入った。その数総勢二十名余り。土佐十数人の中に岡田以蔵もおり、薩摩藩田中新兵衛の姿もある。

 石部宿へ入ったのは、安政の大獄で、志士探索から捕縛に至って功績を上げた京の東町と西町奉行所与力の四名で、武市と久坂はこの四名に天誅を下すべく京から付けて来たのである。

 それぞれが打ち合わせどおり別々の宿屋に入り、夜半になってから四人の止まる旅籠屋を襲撃する手はずとなっていた。闇にまぎれて動く影の中に吉田稔麿の姿もあり、この天誅で冷静かつ武士として弁えた行動を取った人物として、同志の間でも評判の上がる事となった。

(人を斬って臆すはずもない)

 稔麿が刀を振るっていたとは思えないまでも、その感覚は和奈も共有しているに違いない。でなければ、落ち着き払った状態でそう簡単に日常に戻れるものではない。以蔵でさえ、初めて人を手に掛けた時は手の震えを止められなかったと言っていたのだ。

 桂も男装させた事を悔いている。松陰に稔麿の二人の魂が本当に和奈の心に宿っているとは今でも信じがたいことではあったが、知るはずのない事柄を口にしている以上、絶対に違うと言い切れたものではないのだ。頭痛の種は減るどころか増すばかりなのである。

「帰ると決まったら、すぐに発つ方がいい。中岡くんに、薩摩への連絡を頼むとして」

 桂は廊下と部屋を隔てる襖に顔を向けた。

「山縣くん。君たちにはすまないが、しばらく薩摩の庇護を受けてくれ」

 気配を消して近づいたつもりだったのにと、頭を掻きながら山縣と品川が姿を見せる。

「さて、どうしたものか。君たち間者まがいの行動に出なければならないような真似を僕はしたのかな?」

「とんでもない。身を案じての事です。ここは京ですよ。見廻組も最近は新撰組に負けず劣らずと志士の捕縛に力を入れているんです。加えて将軍の上洛で幕臣の銃部隊までもが大坂から京に入っている。落ち着いていろと言われる方が無理ですよ」

「気苦労をかけてすまない。が、私も桂木くんもおいそれと幕府に捕まる間抜けではないよ」

 腕は承知していると山縣は畳みに手を付いた。

「京には薩摩芸州だけでなく、幕府よりの親藩藩士も多く入っております。木戸さんはまだ手配者として名を連ねているんですし、長は朝敵のに汚名を被ったまま。自分らだけならまだしも、筆頭である木戸さんに何かあっては、高杉に申し開きが立ちませんから」

「うん。幽霊になって殴りに出て来そうだな」

 お化けは勘弁だと、寒気を感じたのか品川が自分の腕を摩った。

「ともあれ、京を出るまでは護衛に付きます」

「在京する君たちの安全の方がこれからは大事だ。自重してくれると助かるんだが・・・」

 自重していろと言っても聞く様子でない二人に、ため息を漏らした桂は伏見までならと警護の申し出を受けた。

 翌日の朝、知らせを受けた中岡は、数名の陸援隊隊士を伴い吉田屋へとやって来た。

「土佐藩なら京を出るまで堂々と市中を歩けます。山縣さんたちには申し訳ありませんが、別に手配した宿に移って頂きます。後日、薩摩藩で贔屓にしている旅籠屋に移れるよう手立てはつけてありますので、ここはどうか我らにお任せ頂きたい」

 土佐藩からの申し出を断るわけれにはいかないと、桂も中岡の好意を受けると言い、山縣と品川もそれならばと護衛に付くのを断念した。

「桂木さんの顔を知らぬ者ばかり集めましたから」

 中岡がそっと武市に耳打ちする。

「おまえが思慮深い男で助かる」

 へへっと照れるように笑った中岡は、部屋をでると顔を引き締めて隊士たちに細心の注意を払うよう念を押した。

 朝の賑わいが市中に活気をもたらす頃、和奈は桂と武市と共に京を後にした。

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