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幕末奇譚 『志士 狂桜の宴』  作者: 夏月左桜
奇譚十九幕 八方画策
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其之三 薩土密約

 中岡の泊まる栂尾亭へと場所を移した和奈は、窓際に座り一向に止まない雨空をぼんやり眺めていた。

「新撰組が長州へ・・・」

 武市から小郡草庵での顛末を聞いた中岡は、話しに加わらずに居る和奈をちらりと見た。

「俺も、同じ事をしたと思います」

 それでも和奈は顔を動かさない。

「聞かれたから答えただけだ。問題とするのは土方くんがなぜ京を出て長州に来たか」

 伊東の大宰府入りと何か関係があるのではないかと中岡は考えたが、御陵衛士の件で出て来た伊東と土方の繋がりが今一見えてこない。一方は勤王を貫くと言い、一方は非公式でも幕府に属する組織だ。大久保は一揉あると言った。繋がりがあると言うよりも、動向探索のために土方が京を出た。そう考えた方が自然である。

 懐から紙と矢立を取りだし、御陵衛士創設の経緯を簡単にか書き纏めると武市に差し出した。

「この士の事は新之助からも聞いているが、まさか寝返ったのか?」

「話した限りでは、愛想が尽きたって感じでした」

「会ったのか」

 火鉢の中で、チリチリと燃える紙が煙を立ち上らせる。焼けた臭いと、湿気を含んでカビたような畳の臭いが混ざり合う。

「新撰組内で伊東に賛同した隊士はすでに隊を抜けてます。近藤は会津や尾張などを周り、新撰組を幕臣に取り立ててもらうよう周旋に忙しいらしいですよ。副長の土方は、伊東の脱退後、従来の新撰組に戻すのに必死となってます」

 和奈は物思いから自分を現実へと戻し、中岡の顔をみやった。

 鳩尾あたりがそわそわと落ち着かない。

「勤王派である伊東殿が、ただ御陵を警護するために動いたとは思えんな」

「裏で薩摩が動いているんです。何かしらありますよ」

 小声で喋る中岡に頷き返した武市は、和奈の視線に気付いて顔を横へと動かした。

「どうした」

「いえ・・・なんか、落ち着かなくて」

 風邪でもひいたのかと中岡も心配そうに問いかけてくる。

「そうなのかな」

「どれ」

 側へやって来た武市の手が和奈の額を触る。

「熱はないようだが、今日は早く休め」

 そうしますと答え、和奈は用意された部屋へ移り布団を敷き、その上に寝転がった。

 夜着を被り、その中に顔を埋める。

(憎しみ? 誰に?)

 そう思うと同時に見知らぬ男の顔が浮かんできた。雰囲気がまったく違うので、松陰でないことは確かだ。

(誰なんだろう)

 きっとどこかで見たはずなのだが、何処で会ったのか、眠りに落ちるまで思い出すことはできなかった。



 五月十四日。二条城の徳川慶喜の前に四候が顔を揃えた。

 そもそも大久保らがこの四候会議開催に動いたのは、朝廷より兵庫開港をしてはならぬと通達を受けていたにも関わらず、今年三月に幕府がイギリス、フランス、アメリカ、オランダに対し、十二月に兵庫開港を行なうと確約した事に端を発する。勅許が下りていない開港確約と、二度に亘る征伐失敗の責任追及を行なえば、将軍辞職に追い込む事が出来る算段をつけていた。

 慶喜の辞職は、雄藩連合の共和政体を造り上げるための布石である。薩長芸土が連盟で建白し徳川幕府に政権を返上させた後、雄藩による政治主導の礎を築く事が、大久保や桂の狙いであり、同調した薩長芸藩主の目的である。

 縦長の顔に整った目鼻立ちを備えた慶喜は、並んで座る四人を見ながら開いていた扇子を閉じた。

「兵庫開港について」

 そう慶喜が言葉を発した後、島津久光は恐れながらと手を前に付いた。

「長州藩への寛典について、朝廷からは寛大な処置をと望む声がございますれば、藩主毛利敬親公が世子広封公へ家督を譲り、十万石の削封を撤回した上で、官位を復帰させてては如何にございましょうや」

 言葉を遮られた慶喜は、あからさまに嫌な表情を浮かべた。

「余は兵庫開港について話しをしておる」

「長州藩への処遇が先決でありましょう。夷国からこの国を護るために、長州藩の参政は欠かせぬものにございます」

 兵庫開港と長州の問題のどちらを先に議題とするかで、慶喜は頑なに兵庫開港が先だと言い張り、久光と宗城はそのためにも長州問題が先であると真っ向から対立してしまった。

 結局、この日はろくな話し合いなどできず、五人揃っての写真撮影をするだけに終った。

 十九日の議に、持病の歯痛が悪化したとして容堂は会議を欠席し、十四日とかわらぬ議論に終始し二日後の二十一日。容堂を除く三候が二条城に登城し、会議を始めたがまたもやどちらを先にするかで口論となった。

「薩摩藩と長州藩は夷国と戦をした経験を持っております。両藩が戦で得た経験を、夷国対策に用いるには、長州藩への寛典はなくてはならぬものと思います」

 久光に合わせ、伊達宗城もまずは長州問題と推して出た。

「兵庫開港には期日があるゆえ、長州は後でも良かろう」

「なんと仰られるか」

「四夷国に対し、幕府は十二月に開港を確約しておる。朝廷より勅許を下して頂くよう説得せねばならぬゆえ、第一の議とする」

 さすがにこれを受け入れる事はできない。慶喜の思惑で事が流れれば、最終的に自分達も朝廷に対し勅許を下すよう働きかけなければならなくなる。

「そもそも兵庫開港は、幕府が独断で緒外国と約束したものではございますまいか」

「確約を破棄致し、欧米列国と戦にあいなった時に、そちたちはこれを防げると申すのだな」

 一国相手に敗戦した過去がある久光は、慶喜の問いに答える事が出来なかった。仮に全藩が足並みを揃えて四夷国を相手にしたとしても、今の日本の兵力を以ってしても防ぎきれるものではないとよく判っている。

「兵庫開港は行なうべからずとの先帝のお言葉を無視なさり、勝手に条約を締結したのは幕府の責任ではありますまいか! ならばその責を負うのは幕府にございましょう!」

「余は今後の事を話しておる。すでに締結した条約の是非を問う議ではなかろう」

 すでに日本は兵庫を除く越後国の新潟、備前国の長崎、武蔵国の神奈川、松前藩が警備を担っている蝦夷地の箱館を条約通り開港してしまっている。残る兵庫の開港も文久二年に開港となるはずだったが、孝明天皇はついに勅許を下さず、英国と交渉の末に五年後に先延ばししてもらった。その期日は半年後の十二月七日で、慶喜としてはそれまでに是非とも朝廷の勅許を得なくてはならないのだ。

「二度に亘る上奏で、朝廷が許しを下さいないのを何と心得られておられるか」

 久光も食い下がるしかない。

「京に近い兵庫の開港を、先帝が危惧なされていたのは余も十分承知しておる。だが、破約となれば、その危惧は現実のものとなろう。どちらの道を選ぶのが最たる判断であるか、そちらにもよう判っておろう」

 これでは慶喜に辞職を勧告するどころの話ではない。宗城も久光も互いに顔を見合わせた。

「そちらも兵庫開港に異論はないな」

 口端に笑みを浮かべたけ慶喜は、否とも可とも答えられない四候を前に朝廷へ再度上奏すると告げた。



 四候会議の結果を受けた大久保は、手にした書簡を握りつぶした。

「やはり一筋縄では屈服させられぬか」

 十九日と二十一日の二回、容堂が病気を理由に登城しなかった事も、大久保の怒りを増大させた原因だ。長州を再び政の場に引き戻し、日本一国を以って兵庫問題に当たろうとした目論見も薄い影となりつつある。重要な政策についての最終的決断を諸侯会議によって行なう試みも同じだった。土佐が足並みを揃えない以上、慶喜をやりこむのは難しい。春嶽も慶喜と久光、宗城の仲裁に入るだけで、事実上どちらにも付かない姿勢を見せる結果に終った。

 外様大名の三名と違い、春嶽の越前藩は親藩だ。慶喜に立てつく事も出来ず、三名の敵に回る事もできなかったのだろう。一貫して長州征伐に反対したのだが、結局押し切られ寛典ではなく征伐で押し切られてしまった。

 久光らと共に慶喜を説得するはずの容堂も身を引いてしまった。これは薩長芸土の盟約を成す上で支障となるばかりか、悪くすれば土佐が外れる事になりかねない事態だ。

「後藤殿や乾殿が動いたとは言え、土佐公をこちら側に引き込むのは至難の業か」

「諸藩によう共和制がでけんのなら、もはや取う道は一つしかあいもはん」

 西郷の眼光が鋭さを増す。

「ここでまた長州征伐など、どれほど国益を無駄な戦につぎ込めば気が済むのだ、あの男は。もはや慶喜殿を取り巻く会津藩桑名藩を相手に、討幕以外にあの男を政権から引き摺り下ろすしか手段はない」

 国が内乱で揉め続ければ、幕府に肩入れしているフランスが内政干渉に乗り出してくるのは必至であると薩長芸は見ている。そうなれば清国の二の舞となり、日本と言う国は名ばかりの国となってしまう。

「そげなこっじぁなぁ」

「吉之助、やってくれるか」

「もとよいそんつもいで居もした。一蔵さぁ、共に新しか時代の為に進みもそや」

 西郷の同意を得た大久保は、すぐさま久光の元へ走った。藩父の同意を得て、長州と芸州にも討幕の必要性を説き、土佐とも同盟を締結させなくてはならない。その後で大政奉還を建白し、勅命を得て徳川慶喜の幕府を討つのである。



 乾退助は四候会議の結果を中岡から聞き、その眉間に皺を寄せたまま片足を踏み鳴らした。

「後藤殿は何をやっておるのだ」

 会議の結果を受けた容堂は、御暇願いを出して土佐へ帰る支度をして居ると言う。

「小笠原殿がお役御免となったのは痛いですよ」

「派手に動きすぎた結果だ。真っ向から向かって説ける相手なら、すでに私と佐々木殿、後藤殿でやっておると言うのに」

「後藤さんが上手く説得しきれたらいいんですが・・・」

「もし、大殿が幕府を見限らない場合、御殿の命で藩論を統一させるしかないのだが」

 乾の言う御殿とは現藩主である山内豊範だ。藩主にも関わらず、容堂の影響が強く、蟄居の身となってからも藩政を取り仕切っているのは容堂なのである。それは家老と中老職につく者の大半が山内家家臣からなっている事も大きな要因だが、豊範は長州に逃れた三条実美の従弟である事も影響している。

「大殿に取って代わるには御殿はまだお若い。歯痛が悪化でもしない限り、望みは薄いと言えよう」

「い、乾さん。藩邸で怖い事言うのはよしてください」

 中岡が血相を変えても、乾の顔色は一つも変わらない。

「これまでの事は御耳に入れてあるが、実権が大殿にある限り、我らが望む土佐を実現させるのは難しいな」

「・・・乾さん」

 真剣な面持ちで姿勢を正した中岡に、乾はなんだと膝を折り座った。

「西郷さんと大久保さんに会っては頂けませんか」

「それから?」

「大殿さまの欠席に次ぐ欠席で、恐らく薩摩は土佐への不審を募らせているはず。後藤殿が大殿さまの同意を得た時、薩長芸と遺恨なく事を進めるには、密約をしておく必要があると思います」

「確かにな。よし、中岡くん。すぐに行こうじゃないか」

「はっ? いや、ちょっと待って! いらっしゃるか確認をしてからにしては頂けませんか」

 キッと中岡を睨みつけた乾は、不在でもいずれは帰ってくるのだから行って来いと怒鳴った。

「ですが・・・」

 薩摩藩邸には武市が居る恐れもある。後藤が乾にその事実を告げたかとうか、武市の名が出てこないので知っているのか居ないのかが判らない。

(居たら乾さんが来るって言えるか)

 会う会わないの判断は武市に任せるしかない。大久保も居るのだ、なんとかなるだろうと中岡は土佐藩邸を出た。



「雨、やまないですね」

 薩摩藩邸へ続くぬかるんだ道を歩く和奈は、菅笠から染み出た雨水を拭った。

「小ぶりになって空も明るい。夕刻には止むだろう」

 笠の端を持ち上げ、空を仰ぐ。

「その頃には山縣さんも二日酔いから醒めてるかな」

 どうして長州の男は酒を飲んで騒ぐのが好きなんだろうと、首を傾げるしかない。昨夜も中岡に連れられ、土佐藩士毛利荒次郎が泊まる産寧坂にある明保野亭で、空が白み始めるまで飲んでいたのだ。

「土佐の男も酒好きが多いがな」

 毛利荒次郎と武市は、麻田勘七の門下で剣術を学んでいた頃から既知の仲だ。死んだはずの武市が堂々と姿を見せた時、荒次郎は真っ青な顔で念仏を唱えうろたえていた。事情を説明され、落ち着いた途端、飲めや飲めやになってしまったのだ。

「柳川さんは下戸なのに・・・」

 くっ、と息を飲む音が耳に届く。

「飲めぬわけではない」

 だが山縣や中岡らほど飲める訳でもない。

「上等な酒は、馬鹿飲みするものではない。それがあいつらには解らんのだ」

 和奈も大量に飲むほうではないので、その意見には同意することができた。

「酒好きに女好きな男ほど、性質が悪いもんはないですよ」

「そこまで言うか」

 途中、山縣と毛利が席を外し、しばらく還って来なかった。後で中岡から高くついたと聞かされ、何故かと聞くと女性と一緒にいたからだと言われた。

「一人に絞れっちゅうの」

 真剣に起こっている和奈を見て、武市は顔をほころばせた。

(そのまま、そのままで居てくれ)

「あれ?」

 和奈が小首を傾げて通りの先を指差す。

「石川か」

 中岡も二人を見つけたらしく、片手を上げて小走りで近寄って来た。

「やっぱり柳川さんだった」

「おまえも二本松か?」

「はい。ああ、ここで会えて丁度良かった」

 中岡は乾が大久保達との謁見を望んでいると伝える。

「乾さんが」

「ここではなんですから、とにかく藩邸へ急ぎましょう」

 辺りを素早く見回した中岡は、先導するように歩き出した。



 二条城は、寛永元年に尾張藩や紀伊藩などの親藩や譜代大名らが石垣の普請(ふしん)を担当し、後水尾天皇の行幸を迎えるための大改築が行なわれた後、将軍上洛時の宿所として使用されて来た平城だ。 

 東の堀川通に西の美福通、北の竹屋町通と南の押小路通に囲まれた二条城の呼称は幕府が使うもので、将軍の常駐がないこの城を朝廷は"亭"を用い二条亭と呼んでいる。

 東の大手門を入った右手の番所で届出を済ませた伊庭と赤井は、正面の塀を右手に折れ、奥に在る雑舎と連なる詰所へ隊士を連れて入った。

「来たか」

 入って来た伊庭に目を留めた桃井は、腰を上げて入って来た隊士らを出迎えた。

 桃井春蔵。旧名を田中直正と言う。十四歳の時に駿河国沼津藩より江戸に出て、士学館の門を叩いた三年後に初伝目録を得ると三代目桃井春蔵に腕を見込まれ婿養子となる。二十五歳で皆伝を受け、その二年後の嘉永五年に四代目を継いだ。安政三年に江戸へ出て来た武市の人柄と剣術の腕を見込み皆伝を伝授すると、塾頭に据えた男である。

「物々しいですね」

「まあ、そう言わんでくれ。将軍の上洛ばかりでなく、雄藩を含む二十一藩が上洛している。薩摩藩は兵を引き連れての上洛なんだ。家老連中が慌てるのも無理はなかろう」

 桃井が凄腕の剣客であると、赤井にも一目見ただけで判った。毅然とした態度と濁りの無い眼。鍛えられた身体はその辺に居る剣士のそれではない。

(この人に見込まれたのが武市半平太か)

 塾頭にまでなった武市は、長州で生きており桂と共に藩政に関わっている。それがもしバレたら、武市はどうなるのだろうか。

(確か、土佐藩も上洛してんだよな)

 朝敵となっている長州は上洛できない。よって武市がこの時期に京へ出て来る事はない。出ないのであればその身辺に危険が及ぶ事はない。それは共に居る和奈にも当てはまる。

 腕を斬られた事に怨恨を抱いてはいない。あの状況なら、恐らく自分も刀を抜いただろうと思う。腕を失くしたのは、勝の言うように己に力量がなかったからだ。

(俺っていい奴だよなぁ)

 桂に対しては恨みがあるが、武市や龍馬らには特別な感情はない。できれば刀を抜いて対峙したくない相手だ。

「どうした、早く来い」

 もう話は終っていたらしく、詰所の奥へ歩き出していた伊庭が後ろを振り返って手招きしていた。

「すいません」

 桃井に頭を下げ、伊庭の後ろへ駆け寄る。

「窮屈どころじゃないな、これ」

 旅籠屋の方がいいなと、部屋を見回しながら空いている場所を探す。

「仕方ないですよ、護衛なんだから」

 むすっとした顔の伊庭に額を小突かれる。

「桃井さんに相談して、隊ごとに纏めてもらうしかないか」

 他の隊との連携を考えるなら、その方が迅速に命令を伝達できる。

「皆は休んでいてくれ。護衛に付く順番も決めてくるよ」

 荷物を脇に置き、赤井はとりあえず人心地つこうとその場に座りこんだ。



 乾とは小松の屋敷で会うと承諾を得て、中岡はすぐに知らせて来ると土佐藩邸へ戻って行っていた。

「後藤殿はどうやら土佐公の説得に失敗したらしいな」

「乾殿と佐々木殿に後藤殿も加わっているというのに、容堂公を抑えられぬか」

 独裁的政治を行なってきた容堂が小笠原を帰国させたのは、事実上の更迭であり、薩長寄りの意見を進言し続ければ、三人も同じく帰国させられるのは目に見えている。

「土佐を省き、薩芸両藩での建白を行なう。伊予藩や宇和島藩にも協力を要請するつもりではある。幕府に政権を返上させた後、朝廷より勅許を得て京の守護に就く。その時に土佐が幕府へ付かないよう、下地を固めて置く必要がある」

「その為の陸援隊創設でしょう」

「だろうな」

 政権を返上させてしまえば、いかに容堂といえど軽はずみな行動には出ないだろう。幕府に肩入れしようにも、その幕府自体が無くなるのだ。問題はその後だ。薩長芸は倒幕から討幕に方針を変えた。長州に赦免が下りれば、長州の精鋭も京に入る。会津桑名と土佐が手を結んだとしても十分に勝算はある。

「ただ、幕臣にも少なからず頭の切れる者がいる。その人物がどう動くかで局面が変わる可能性も否定できない」

 腕を組んでいた右手を上げて顎をさする大久保の横顔に、武市は勝海舟と呟いた。

「永井殿も捨てた人物ではない。今回の会議で仲裁に徹した春嶽殿も同じ。まあ、安政の大獄以後、馬鹿な幕臣が増えた。それを上手く利用出来れば、勝殿とて単独では動けまい」

 勝の下には龍馬が居る。

「龍馬にも気を配っておく必要があるかと」

 龍馬は幕府を潰す手段として討幕を望んではいない。多方面に顔が利く以上、その動向を薩長が気にしたとしてもおかしくはないのだ。

「君からそれを聞くとはな。同郷とは言え、根本的思想は相容れぬか」

「そもそもあいつは自分から我々に組して来たのではない。中岡が誘い、私の遠縁だったから勤王派に説得されただけ。それも、勝殿に弟子入りするまでの話し。大久保さんや桂さん、私とは最初から抱える志が違う」

「油断できん男だな・・・吉之助からも、あ奴には注意するよう言われている」

「西郷殿が? それこそ意外です」

「そうか? 吉之助は私情で事を運ぶ男ではない。私以上にな」

「安心しました」

「君が土佐で、我らと同じ立場であったらと、惜しまずにはいられない」

「執政にしくじった男です。ご勘弁を」

 武市は龍馬より人の上に立ち先導して行ける才がある。でなければ土佐勤王党を作り上げ、一時とは言え藩政を掌握することなど不可能だっただろう。人望と政の才を両方兼ね備えているだけに、一旦道を誤ってしまえば修正をかけずらい。長州と薩摩がここまでこれたのは、明暗を担う者がそれぞれが居たからだ。

 反対に、龍馬は単独で動く事に才を持つ。政に長け、人を見る目が備わっている点は勝や松平春嶽が一目置くほどなのだ。また、中岡と同じく人と人を繋いでゆく素質がある。

「乾殿が来られたらどうする?」

 どうすべきか、乾の話しを聞いてから考えると武市は答えた。

「わかった。隣の部屋で聞いているといい。それと、小僧も連れて行くが、別室で大人しくしていてもらうぞ。長崎と同じ二の舞をしでかしてもらっては困るゆえな」

「承知」

 長崎で、和奈が後藤を斬ろうとした事を、中岡から聞いているのだろう。長州よりの中岡だから不利となる情報を出すことはないと思うのだが、一応の注意はしておかなくてはならないと思えた。

 中村半次郎を護衛に付かせた大久保は、二人を伴って小松帯刀の屋敷へと出向いた。

「小松殿、こ奴に部屋をお願いしたい」

「向こうの部屋が空いておる。好きに使うと良い」

 ここへ来る途中に話しには加われないと聞いていた和奈は、大人しく対面にある部屋に行き、武市は皆が集る部屋の隣りへ入ると静かに座した。

「失礼する」

 障子を開けると、吉井仁左衛門が西郷と並んで乾の前に座っていた。

「よく参られた」

「急で申し訳ない。だが、まったりとしておれなかったゆえ、ご無理を申しました」

「構いますまい。こちらもその方が今後を考え易い」

 コトンッと獅子脅しの音が響く。

 大久保は西郷の横へ座ると、その脇腹を小突いた。話しを西郷に進めろと言うのだ。

「乾殿も会議の内容は聞かれとうだろう」

「ええ。西郷殿が土佐にお出でになり、四候会議の趣旨を説明し納得しての上洛だと某も信じておりましたが、期待を裏切られました」

「文久の参預会議と面子がほぼ同じ面子から、慶喜殿と当藩主が激論となるのはある程度予測をつけてはいたが」

 腕を組んだ大久保の顔が険しくなる。 

「参預会議の瓦解を避けたいと、土佐公にな直々にお願いに上がったが、御公は幕府をいけんしても見限う事は出来ん人のようなあ」

「それでは時勢に追いつけぬと判っておられぬのです」

 郷士と上士の身分差が生む劣悪は、西国一と詰られても仕方が無かった。現藩主は傀儡となり果て、藩政に口を出す事もできない始末だ。それで致し方なしと見れたのは、幕府が長州に敗北する前までだと乾は考えていた。

「慶喜殿は自分の意見を通すだけの弁舌を持っている。それゆえ、長州寛典は如何ともし難い結果となってしまった」

「兵庫開港と長州再征伐に勅許が下るよう粘るのは必至。かくなる上は、大政奉還の建白書を提出して後、幕府を瓦解させ長州の恩赦を取り付ける意外に術は無いでしょう」

「それで、土佐公を抑えられもすか」

「私の心配するところもそこです。幕府が政権を返上した後、土佐は幕府寄りと薩長芸の敵となるのは避けたい」

「乾殿はあくまで我らに組したいと言われるか」

「もとよりそのつもりで動いて参りました。後藤も時勢が雄藩に傾き出したと知ったからこそ、薩摩と手を結ぶのが得策と考えられている。朝廷にも幕府にも逆らわずでは土佐の未来はありませんゆえ」

 乾はそう言い終えた後、両手を畳へつけて西郷と大久保を見上げた。

「もはや武力なくして幕府は倒せぬと至った上で、薩長芸が兵を挙げる時、土佐も足並みを揃えたい所存であると申し上げます。お二方とは違い、私は藩を代表する身分にはありませぬが、後藤と共に家老職の説得にあたっておりますゆえ、正式な場を設ける用意をお願いできますまいか」

「土佐が加わるのはもとより歓迎すべき事ゆえ、弊藩としても望むところである」

「有り難い」

「長州と芸州にもその旨は伝えおこう。乾殿の手腕、見せて頂くとしよう」

「中岡もおりますし、万事上手く行く手筈となっております」

「えええええっ!?」

「いい加減、その五月蝿い性格をなんとかしたまえ」

 耳の穴を指で塞いだ大久保は顔を顰めた。

「そや無理と言うものんそ。中岡くんにな中岡くんの良か所があう。五月蝿いと思っても我慢してあげもそや」

「さ、西郷さんまで・・・」

「わははははっ! 中岡、西郷の許可が出たんだ、そう落ち込むな!」

「申し訳ない、当方にも五月蝿い男が居たのを失念しておりました」

 大久保にそう言われた吉井は、肩を窄めて中岡の肩に自分の肩を寄せた。

「似たもの同志は仲良く大人しくしてくれると助かるのだが」

 それも無理だろうと西郷が豪快に笑い声を上げた。

「さて。話しも纏まったようだし、私はこれで失礼させて頂くとしよう」

「おいもまだ片付けう事があいもんで、これで失礼させて頂きもす」

 飲んで行かないのかと吉井が手を振る。

「乾くんとはまた別の機会に」

「ええ。私も隣に居る者とゆっくり語り合いゆえ、これで辞去致します」

 その言葉に、立ち上がりかけた大久保の動きが止まった。

「気付いておられたか」

 ふふっと笑った乾は、部屋を隔てる襖へと視線を投げかけた。

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