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幕末奇譚 『志士 狂桜の宴』  作者: 夏月左桜
奇譚十九幕 八方画策
75/89

其之ニ 伊庭の小天狗

 水と交じり合った手土が泥となり足元に飛び跳ねる。足袋の中はもうぐしょぐしょで気持ち悪いことこのうえない。

 早く草鞋を脱いで足を洗いたい。前を行く背中を見ながら、赤井はそんなことを考えていた。

「どうした?」

 耳に心地よい良いトーンの声が前から聞こえてくる。

「凄い雨だなと思って」

「梅雨だし、仕方ないな」

 体に纏わり突く空気も湿気を含んでいて、部屋の中であってもベタベタとして一日中気持ちの悪い日が続いている。

(京都も雨かなあ)

「急ぐよ。遅れたら高橋さんにまたどやされる」

 振り返った伊庭八郎は赤井を急かした。

 伊庭は心形刀流八代目宗家伊庭軍兵衛の嫡男で、元治元年に大御番衆として登用されてすぐ奥詰となり、講武所では教授方を務めた。今は遊撃隊の第三部隊の隊長となっている。

 遊撃隊は洋式軍隊として、講武所の剣槍方と奥詰めが改編統合された軍隊で、この旅の将軍上洛に伴い、江戸から上洛して来ていた。

「どやされるのは俺です。高橋さんは伊庭さんに甘いんだから」

 そんなことはないと振り返った伊庭は、泥が跳ね上がるのも気にせず歩調を速めた。

 

 新撰組復帰を断たれた翌日、赤井は勝と共に大坂へ下ると、玉造の臨時講武所へ立ち寄り高橋に引き合わせた。遊撃隊頭取で、改変される前の講武所では槍術教授方を務めていた。

 この臨時講武所には、同じく警護で上洛してきた士学館の桃井春蔵も剣術師範として詰めている。

「見事に斬られたもんだなあ」

 腕を無くした顛末を聞いた高橋は、顎を摩りながら感心するように言った。

「下手にぶら下っているよりましってもんだ。痛いらしいぞ、半端に斬れた腕を切り落とすのは」

 その言葉で全身に鳥肌が立った赤井は腕を摩った。

「威してもらうためにこいつを連れて来たんじゃないんだがねぇ」

 勝は左手首を摩りながら、何用で来たのかと訪ねる高橋に、遊撃隊に入れて欲しいんだと答えた。

「片腕じゃ簡単に銃など扱えんぞ?」

「その腕を使えるようにしてやってほしいのさ。洋式化したって言っても、接近戦になりゃ刀も役に立つだろう?」

 それはそうだがと、困った表情を浮かべる。

「これまで片腕の奴を指南したことがない。それに、遊撃隊には元奥詰めも居る。格式に拘る連中が多い中、元新撰組の男が入れば一揉めあるかも知れん」

「そう言や、農家の出ってことで講武所入りを断られたんだったな局長さんは。だが、格式なら立派なもんを持ってるから問題ないよ」

 ん? と赤井から視線を外す。

「こいつは天璋院様縁の男だ。疑うなら問い合わせてくれてもいい」

「ほう。しかしなんでそんな男が新撰組に?」

「土方歳三の男気に惚れたんだとさ。修吾郎が入隊したことについては天璋院様も承知して下さってるから心配ない」

「男気に惚れた挙句、長州に斬られて隻腕か。新撰組幹部はさぞかし慌てただろうな。まあ、あんたと天璋院様の知り合いなら、文句言う奴は出ないだろう。引き受けさせて頂く」

「有り難い。それから、指南なんだが、伊庭くんに頼めるかい?」

「小天狗を? まだとうして」

「こいつの流派は心形刀流なんだ。桃井殿より伊庭くんの方が適任だし、歳も近いから馬も合うだろうと思ったんだよ」

「そういうことなら話してみよう」

「助かるよ。礼と言っちゃあなんだが、またこいつでも一緒してくれ」

 酒を飲む仕草をした勝に喜んだ高橋は、今晩にでも早速と都合も聞かずに決めてしまった。

 翌日、酒の臭いが残る勝と高橋に連れられ、赤井は伊庭の所へと対面した。

「初めまして、伊庭八郎です」

 白い肌の眉目秀麗な青年。小天狗の異名を持つ剣客には見えない。それが赤井だけでなく伊庭を見た人が持つ第一印象だった。

「心形刀流門下生とあっては断るわけにいきませんね。僕でお役に立てるかわかりませんが、尽力致します」

「宜しくお願いします」

 そうして赤井は伊庭の下に付き、片腕での稽古を始めることになった。


 臨時講武所へ着いた赤井と伊庭は、汚れた着物を替えて稽古場へと足を運んだ。

 片手で鋼作りの刀を扱うのは容易ではない。両手で振る時よりも腕にかかる負担は倍以上である。

「真正面から受けることを考えるな。かわして相手の懐へ斬り込むことを考えろ」

 言うのは容易いが、手錬れとなれば難易度は増すばかり。相手の太刀筋を完全に見極めるだけでも至難の業だ。

 伊庭が振り下ろす太刀を左へかわし、残った右足を瞬時に後ろへ引くと重心を移し、懐へ切り込む。

「うん。足捌きはかなり良くなった。一太刀入れたら間合いを保ちながら移動しろ。絶対に一所に留まるな」

 息が続かない。右腕が重い上に、重しを付けられた左腕も痺れ始めている。

(くっそ。土方さんより容赦ないな)

 右腕の筋力と足の筋肉の強化に加え、左腕の筋力も必要だと、その腕に小石を詰めた袋を巻きつけさせている。重さは大体ニキロ程だか、動き回る時間が長ければ疲れも溜まる。

「左腕に期待するなよ。あくまで打ち合いをしない方法で相手とやり合う。それを忘れるな」

 二ヶ月間、毎日伊庭と打ち合っているのに、未だ木太刀をその体に打ち込む事ができない。

(教授方につくだけあるよなぁ)

 一瞬の隙をつかれ、左脇に伊庭の木太刀が食い込んだ。

「ぐっ!」

「余計な事を考えるとそうなる」

「すいません」

「少し休もう」

 二人が互いに挨拶を交わした所へ、高橋がやって来た。

「これから京へ行ってくれ」

「京へ?」

「二条城の警護だよ」

「桃井殿が付いているのでは?」

「将軍の警護入洛後、勤王派の動きが活発になっっている。何事かあってからでは遅いと、会津藩が新撰組を護衛にと申し出たらしいが、我らが大坂に居るのだ、わざわざ手を借りるまでもあるまいと桃井殿から要請が来た」

「そう言うことならば。赤井くんも連れて行きたいんですが、宜しいですか?」

「奴は君に預けている。好きにしてくれていい」

「承知。では直ぐに発ちます」

 乾いた服に着替えられたというのに、また雨の中に出て行かなければならないのかと赤井は肩を落とした。

「京に着いたら岡場所に連れてってやるから」

「! いいですよ」

「健全な男子が顔を赤くして何を言うのやら」

 女性経験がない訳じゃないだろうとからかう伊庭に、あたりまえですと答えながら、赤井は出立の用意をすると稽古場から逃げるように出て行ってしまった。

 一刻後、伊庭に選ばれた十五名の隊士は、雨の中京へと発った。



 慶応三年五月六日、四候は摂政二条斉敬邸に集り、最初に議題として上げたのは議奏の問題だった。

 朝廷では王政復古を望む公卿の台頭により、公武合体を薦めた議奏久世通煕(くぜみつさと)広橋胤保(ひろはしたねやす)六条有容(ろくじょうありおさ)、武家伝奏に就いていた野宮定功(ののみやさだいさ)が解任されていた。この四人の解任により欠員となった議奏の補充についてである。

 始まって間もなく、島津久光と二条斉敬の間で、就任させる人物を誰にするかで激論となってしまった。

 久光が推薦したのは大原重徳と中御門経之(なかみかどつねゆき)の二人だ。それに対し二条は長谷信篤(ながたにのぶあつ)と正親町三条実愛を推して来た。

「先帝は尊攘派の公卿を嫌われておった。そのお二方をこの度議奏に就任させることは、先帝のご意志に背くことゆえ、承諾しかねる」

 二条は大原と中御門の推薦を突っぱねた。

「先帝の叡慮(えいりょ)に従うと言われるのであれば、上様が上奏した兵庫開港も拒否なさるのでありましょうな」

 孝明天皇の意向を汲むという態度に出た二条に対し、久光も同じ手で出たのだ。

「余は兵庫開港についてではなく、議奏について論じておる」

「先帝のご意向を出されたのは二条殿ではごさいますまいか」

「それは暴論であろう!」 

「暴論とはいかなる趣意であらせられるか!  二条殿でもお言葉が過ぎよう!」

 緊迫した空気が漂い、このままでは水掛け論で終ってしまうと危惧した春嶽は、二人の間に割って入った。

「長谷殿も正親町三条殿も、幕府が独断で締結した日米修好通商条約締結について、条約案撤回を求め抗議した公卿である。公武合体を推し進めた公卿達が解任となった代わりとしては、このお二方を推しても問題ないと思われるが、如何か」

 八十八人の公卿が座り込み、勅許を下さぬよう抗議した事件である。この抗議により、孝明天皇は条約締結反対の立場を明らかにし、勅許を下さなかった。これを持ち出されては、久光とて否と通すことはできず、渋々ながら二条の提示したニ公卿の議奏就任を承諾したのである。



 船越と小林柔吉の二人が、祇園にある栂尾亭(とがのおてい)に逗留している中岡を尋ねていた。

「島の件、聞きましたよ。ご苦労様でした」

「いやいや、なんのなんの。なかなか面白い面々が集ってくれて楽しかった」

「面白い? 卿も一緒だったんですよね?」

「ああ」

「それで、誰が何をやらかしたんですか?」

 龍馬だろうなとの予想は付く。

「いや、何もしてない。というか、出来なかったみたいだ」

 船越は聞こえて来た会話の内容を中岡に話して聞かせた。

「木戸さんまで・・・」

「策士と名高いお方だから、どんな堅物が出で来るのかと思って身構えてたが、ぜんぜん。どこが策士で、どこが凄腕の剣客なのかと訝しんだほどだ」

「あはは・・・もう、才谷さんがいると絶対可笑しな事になるんだよなぁ」

 それは判る気がすると船越は相槌を打った。

「俺も行けば良かったなぁ」

 小林が至極残念そうに肩を落とす。

「まあ、機会はあるさ。それより、土の具合はどうだ?」

「いま必至で肥料を撒いてる所です。下地を上手く整えておかないと、芽がでるものも出ませんから」

「確かに」

 公卿にも渡りを付け、十津川郷士の面々とも談義を重ねていると説明する。

「暫く肥料を撒く手伝いができる。薩摩芋の種まきも、もっとやっておきたいからな」

「農場主の許可は?」

「ちゃんと取ってある」

 だから安心して滞在できると、船越は酒を注ぎ足した。

「吉は招くより手繰り寄せろってことで、方角は北東なんですが、明日行ってみますか?」

 船越と小林は顔を見合わせ、小さく頷いた。

「願っても無い申し出だ。ぜひ頼む」



 大雨となった十日の夜、和奈達は薩摩藩の二本松藩邸へと入った。

「奇兵隊の山縣狂介と申します」

 出迎えにと出て来た大久保に、菅笠(すげがさ)(みの)を取った山縣が頭を下げる。

「じめじめとした中、よく参られた。大久保一蔵と申す」

 しかし、と大久保は武市に向き直った。

「番傘くらい差して来たらどうなんだ?」

「そんな贅沢はできません」

 菅笠を取った武市は冗談もきついと大久保に言う。高値の番傘を三本も買っては顔を覚えられる危険があるのだ。

 江戸時代と言ってもちゃんと傘は作られている。竹骨に分厚目の和紙を張った番傘、傘の中央部と縁に青い土佐紙を張りその間に白紙を張った蛇の目傘、公卿や高僧といった身分の高い者が、後ろの従者に持たせる柄の長い端折傘(つまおれがさ)だ。だがどれも価格が高い。一番安い番傘でも二百文(約五千円)と値が張り、蛇の目傘ともなると小奇麗な長屋の家賃とほぼ同じ二朱(約一万二千円)の値がつく。雨が降ったからとそんな物を買って耳目を集める必要はない。

 下級武士や町人達の殆んどは、四十文(約千円)と価格の安い菅笠を使うのが一般的となっている。農業や旅に欠かせない代物だ。ちなみに戦闘などで使われるのは、漆が塗られた黒い陣笠だ。身体の防具という事で作りは頑丈になっている。

 菅笠も陣笠も安いと言う理由だけで武士が好んで使うのではない。両手が開く、その利点があるからに他ならない。

「まずは、その格好をなんとかしてこい」

 三人分の菅笠と蓑を建物の裏手に在る井戸の方へ持って行き壁に掛け、武市達が湯場を使った後でじっとりと濡れた体を洗い流した和奈は、半刻後、用意してくれた新しい着物に着替えて大部屋へ入り、不服そうな顔で大久保の前へと座った。

「大久保さん・・・なんで僕だけ着物なんですか?」

 着物の袖を広げながら、茶をすすっている大久保に聞く。

「愚問だな。裸で出て来るつもりだったのか?」

「頼まれたってそんな事しません!」

「貧相な体など、頼んでまで見たいと思わん」

「だっ、誰が貧相なんです! まさか、覗いたんですか!?」

「覗きに出向くほど相手に困ってもおらん」

「ぐっ・・・」

 横から武市の押し殺した笑い声が耳に届く。

「桂木さん!」

「いや、すまん・・・だが・・・」

 堪えきれず、腹を押さえて笑い出したのは山縣もである。

「酷い!」

「まあまあ、落ち着け。挑発に乗ったおまえも悪い」

 と言いながらも笑いを納められず、山縣は口に手を当てて顔を背けた。

「もういいです」

 女物を用意してくれたのは、大久保も女子だと知っていると言う事で、和奈はそれにうろたえたのだ。

「危険を冒して来た身を案じてやったのだ。その姿ならば、いくらかは誤魔化しもできよう。なぁ、桂木くん」

「ご配慮頂き忝い」

「君達だけと言う事は、木戸くんは出られなかったか」

「出ると言われてもお引き止め致しました」

「なるほど。直に伝えたかったのだが、致し方あるまい。谷潜蔵殿の逝去、心からお悔やみ申し上げるとお伝え願いたい」

 和奈は顔を落とし、山縣は確かに承りましたと頭を深く下げた。

「入洛した緒公の談義は始まっていると思いますが、進行は如何に?」

 初日は朝廷に於ける議奏人事についておおまかな流れを説明した大久保は、武市へ視線を投げた。

「一筋縄では行かぬか」

「土佐公は最初の対談に出席されたが、次の対談は病気を理由に欠席している」

「欠席した理由を如何にお考えか」

「この期に及んで仮病かとも思ったが、本当に体調を崩されたようだ。四日後、四候は慶喜殿と対談致すが、これに土佐公が出られるか、中岡くんに聞かねばならん」

「慎太郎は土佐藩ですか」

「いや。藩邸にはおらぬ。君達が来たと使いを出した。直ぐにでも飛んで来るだろう」

 大久保はじっと話しを聞いていた和奈の前へと膝を向けた。

「そうしていると、武家のご息女に見えなくもないな」

「どうせ似合っていないんですし、無理して褒めて頂かなくて結構です」

「だれも斯様にはいっておらぬではないか。これでは、桂木くんの苦労も耐えぬな」

「それはそれで、楽しいと思う事もあります」

「ふむ。岡村くんの事といい、こ奴の事といい、変われば変るものだな」

「痛い目をみれば、考え方も変わります」

 土佐勤王党への処罰が、武市に抱えて余りある罪を背をわせているのは間違いない。

(歯止めが小僧か)

 絶え間なく降り続く雨の音が一際大きくなった。もう梅雨の時期かと、和奈は雨音に耳を傾けた。

「土佐公の真意が未だもってわからぬ。小僧の言った通り、一筋縄ではいかん男だ」

 四候会議が始まり、島津久光にとって懸念となったのは、山内容堂が幕府擁護の姿勢を少なからず見せたことだ。議奏の問題でも、容堂はどちらともつかない態度しか見せなかったのだ。大久保が苛立つのも無理は無い。

「安芸藩より船越殿が入京している。土佐の動き如何では、坂本くんが何と言おうと薩長芸の三藩で政権返上へもって行くぞ」

「致し方ありますまい」

「安芸国がこの時期に倒幕に傾いた理由ってなんですか?」

 着物が変わっても、中身は変らんなと大久保は笑った。

「征伐時、芸州は長州への進軍の途上で重要な位置にある。一度目は石州と協力し長州への処罰を最小限に抑え、二度目に石州が長州に付いたことで、芸州は戦を回避させようと、解兵を進言した。だが、幕府は出向いて来た安芸国家老の辻殿と野村殿のお二方をその場で拘束、謹慎してしまったのだ。その処遇を不服とした芸州は出兵を拒否し、中立の立場に立たれた」

「石見国と安芸藩は、領地が接している事もあり結びつきが強い。恭順を示した藩への二度目の征伐に加え、芸州家老の幽因で、芸州が幕府に見切りをつけたとしても不思議はない」

 大久保の言葉に難しい顔となった和奈に、武市が簡潔に括った。

「話し合いでの解決はできないと考えたからか」

「そういうことだ」

 安芸国は、端だけとは言え領土が戦場となったのだ。幕府に義はないと判断を下したのも、当然と言えば当然の事だろう。

「なら、土佐が幕府側につくと予想した上で、土佐排除で事を進めるのが得策ではありませんか?」

「言うのは容易いがな、小僧。藩は個人ではなく一つの国だ。そこには多くの民が住んでいる。言い換えれば彼らは国力だ。敵に回わすより引き込む方が、我々にとって都合がいいのだ」

「ですが、容堂さんは足並みを揃えていないのでしょう? いくら下の者が一つの意見で合致しているとは言え、最終的に判断を下すのは藩主ではありませんか」

 目を少し見開いた大久保の顔が武市に向けられる。

「私に聞かないで頂きたい」

 質問する前にそう答えられては、大久保も言葉を飲み込むしかなかった。

「言われずとも、ある程度の予想は立てている」

「あ・・・そうですよね・・・すみません」

「小さい頭で良く考えたと褒めておこう。それより、待たせたな、そろそろ声を掛けても良いぞ」

 大久保は縁側の方へ向かって言葉をかけた。

「盗み聞きするつもりはなかったのですが、申し訳ありません」

 開かれた障子の向こうから姿を見せたのは中岡だった。

「中岡さん!」

「久しぶりだな、和太郎。って・・・なんでそんな格好してるの!?」

「無粋な男だな」

「こういう奴です」

「酷いですよお二方とも。和太郎が女装してるの初めて見たんですから驚きますって」

「元々こいつは女子だ。女装は変だろう」

 女子が女物の着物を着るのは当たり前だが、男と思っていたのだから女装になるんじゃないのかと考えながら、和奈に手を合わせた中岡はごめんと謝った。

「失礼致します」

 笑いまじりで中岡の後ろから出てきた船越と小林は、縁側で最敬礼した後、中へと促され下座に座した。

「先達てはご苦労だった」

「いえ。薩長と連携がとれるのです、苦労とも思いません。後ろに居るのは神機隊の総督を務めております小林柔吉と申します」

「お初に御目にかかります」

「こちらが薩摩の大久保殿と、そちらが長州表番頭の桂木殿・・・その横の方は、村木殿だ」

 大長村へ来たのは男装した和奈だ。たった今、女性と判っては困った顔で小林に紹介するしかない。

「女装の趣味がおありとは思いませんでした」

「えっと、これはそのですね・・・」

 言い訳に困った和奈は、ちらりと武市を見た。

「込み入った事情でややこしい事になっておりますが、長州藩士には違いない、それでご了承願いたい」

「考えてもなかった事だったので、つい。お役目があるのは承知しているのでご安心を。で、そちらの方は初めてですが」

「長州藩奇兵隊総督、山縣狂介と申します」

 奇兵隊の名前に二人の顔が明るくなる。

「訪ねさせて頂いた甲斐がありました。内政鎮圧と征伐戦、ご活躍の程はお聞きしております」

 恐縮です、と頭を掻く山縣に小林が目を輝かせている。軍を率いるものとしては、同じ場所に身を置き、功績を上げた者に羨望の感情を抱くのはどこの軍隊でも同じだろう。

 咳払いした船越が、今回の会議の進行状況を大久保に尋ね、その内容に眉を顰めた。

「後藤殿は、御藩家老小松殿に兵の上洛を約束した。だが未だ藩主はそれを認めていないと言う事か」

 否定する意見は中岡からも出なかった。

「坂本さんには土佐へ銃を運ぶようお願いしてありますが、時期早々だったようですね」

「今の段階では、まだ何とも答えられぬな」

 幕府の出方如何では武力行使に出るのも有り得ると断った上で、薩土同盟を持ちかけ、容堂はこれを納得している。もし土佐が幕府擁護を貫く姿勢を見せたとしても、敵に廻る可能性は低いと言えるが、可能性が無いわけではない。もし土佐を討つとなれば、薩長芸だけでなく、岩国、津和野も戦に参戦してくるだろう。徳島藩と岡山藩も説得次第では味方に転じるかも知れない。そうなれば、征伐で敗退した幕府も、確たる勝算が無い限り土佐に援軍を出すことはしないだろう。万が一出すと決めたとしても、着く頃には勝敗がついている。その自信が薩摩にはあった。征伐に於いても武器の新旧と兵法の違いが優劣を分けたのだ。

「ともあれ、慶喜殿と四候がどのような会談をするか、見守る以外にあるまい」

 大久保の言葉に一同が頷いた。

「土佐公のご病状は?」

「体調は回復しておいでですので、二条城へ登営して頂くよう、乾さんと福岡さんから説得して頂きます」

「乾殿も上洛しているのか」

 畳みに落ちた視線をそのままに、武市が呟いた。

「新撰組の警戒に加え、将軍護衛で遊撃隊が京と大坂に分かれ様子を伺っております」

 ご苦労な事だと、涼しげな顔の大久保は話しを中断し、昼餉の用意をさせると部屋を出て行った。

「おまえはどこに逗留している?」

「陸援隊の中には脱藩を赦免されなかった者も居るので、色々なところを点々としてます」

 土佐藩邸に容堂が居たのでは、隊士から話しを聞くどころか切腹を言い渡されかねない。無論、脱藩者がいるのは後藤や乾から聞いているだろうが、暗黙の了承となっている以上、中岡も影で動くしかないのだ。

「乾さんに、会われますか?」

 中岡の問いに、武市は目を伏せた。

「その件はまた後日。それより、お佳代さんは元気でいるのか?」

「そりゃあもう。毎日元気に走り回ってますよ」

 ほう、と武市が笑う。

「毎日藩邸に通うのも大変だな」

「あっ・・・」

「中岡くんのコレ、ですか?」

 船越が小指を立てる。

「その様だ」

「ちぉっとまったぁ! なんですかコレって! そんなんじゃないですよ」

 顔を赤く染めた中岡は、武市と船越の間でうろたえた。

「小林。土佐藩にも挨拶へ出向いてみるか」

 真剣な面持ちで船越が腕を組む。

「そうですね。藩邸の方と懇意になっておくのは、今後のためにも良いでしょうから」

「懇意!? 小林さん、何考えてんですか!」

「え、芸州と土佐の親睦だが、困るのか?」

「こ・・・困りません。どっちかって言えばそうなった方がいいんですけど・・・あれ?」

「周旋には長けているのに、それ以外となるとからっきし下手な男になるな」

 噴出した和奈を睨みつけた中岡は、余計な事を皆の前で言わないで下さいと武市に怒鳴り、背を向けてしまった。

「桂木殿も色々とご苦労なさっているとお見受け致しましたが、土佐に一手を出せるのなら、我々としては動いて頂きたい所存であると申し上げておきます」

 話しを逸らしたつもりだったが、船越はそれを流しはしなかった。

「船越殿がご推察した事を留めて置いて頂けるのなら、私に出来る事はするつもりで居ると申し伝えておく」

「はっ。私としても済んだ事をかき回したくはありませんゆえ、ご心配は無用と申し上げます」

 食えぬ男がまた増えてしまったと、焦りから顔色を変えた中岡に、阿呆がと一言言い放った。

 大久保が用意された膳が運び込まれ、話しに区切りをつけた武市は、なにやら考え込んでしまっている和奈に眼を細めた。

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