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幕末奇譚 『志士 狂桜の宴』  作者: 夏月左桜
奇譚十七幕 会者定離
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其之ニ 年の暮れ

 和奈達が薩摩へ渡った慶応二年十二月九日。家茂の正室であった和宮が薙髪し、号を静寛院宮と称した。


 江戸の暮らしは、赤井にとって退屈極まりない日々となっていた。

 薩摩藩邸で、西郷からの連絡を、今か今かと待っていた龍馬の気持ちが痛いほど解る。 

「学べと言われても、どうすりゃいいのか解らん!」

 畳に体を投げ出した赤井は、天上を見つめたまま長いため息を吐いた。

 とばっちりで時を越えて来たとは言え、生きて行くためには江戸末期に沿った生活が必要だった。最初の頃は、和奈と袂を別つなど考えもせず、ただ流れに身を任せていただけだった。それが、土方との出会いで新撰組に入る事になり、必然と敵対関係になってしまった。

 和奈に対する恨みは持っていない。その側に居る桂の行動が赤井には気に入らないのだ。

 志士。

 その言葉の意味すら十分に判らず、国という大きな存在の影で蠢く意志の数々すら赤井には解らない。

 武士になりたい。今、心に浮ぶのはそれだけだ。

(新撰組は時代の流れに乗って明治の世を迎える事は叶わない。だが、大久保と桂、この二人が居なければ、流れは変わる)

 なのに自分は江戸に居る。 

「皆、元気かなぁ」

 大石の豪快な笑い声と、土方の怒声が懐かしかった。

「時化た顔で何を呆けてるんだ?」

 はっ、と身を起こすと、顔を歪めて笑いを堪えている勝の姿が眼に飛び込んで来た。

「あ、お帰りなさい」

「おう。で、質問の答えは?」

「いや、その。京にはいつ帰れるのかな、と」

「おまえさんもか」

「え?」

 部屋の真ん中に、どんっ、と座った勝が二度肩を鳴らした。

「まだ広戸さんを斬るつもりでいるのかい?」

「はい」

 淀みの無い声色に、勝の顔が少し曇る。

「広戸さんは私利私欲で動く人じゃない」

「私利私欲でないなら、人を道具の様に使っていいんですか? そんな理由、俺には納得できません」

「もっともだ」

「だったら-」

「おまえさんの言いたい事はよく判る。駄目だと説いて頷く奴も居れば、志のためと首を振る奴も居るんだよ」

 ふと、勝の脳裏に薄汚れた男の顔が浮かんだ。眼をぎらつかせ、人を斬る事で人を守ると言い切った男の顔だ。

「ある時、才谷がおいらに護衛とつけた男が居た」

 そう、あれは雨の振る夜だった。

 京での事だ。夜更けとなり、帰ると腰を上げた勝に、龍馬が護衛をつけると言って連れて来た男が居た。

 背の高いがっしりとした体格と、人を射る様な眼つきの男には、血の臭いが纏わり付いていたのを覚えている。

 土佐脱藩の浪士、岡田以蔵。

 それが京を騒がす人斬りに数えられている男であるのは、勝もよく知っていた。

 以蔵は勝を見て幕臣と判ったのか、すぐさま殺気を漂わせたが、龍馬が一言、頼む、と言うと苦虫を噛み潰したような顔で目を閉じた。

 一頻り振った雨は、旅籠屋を出る頃には上がり、提灯を片手に先導する小僧の後を勝がゆったりと足を進め、その後ろをとぼとぼと以蔵が付いて行く。

 寺町通 りに入るやいなや、以蔵の足が速くなった。

 勝も気配に気付いて組んでいた腕を解く。

 暗がりから三人の男が飛び出したのはその直後だった。が、息を飲むまもなく、剣閃が走ると、一人が体を半分ほどまで斬られ地面に突っ伏していた。

「死にたい奴は来い!」

 下げた刀の刃を上に向け、状況が飲み込めず立ち尽くしている後の二人に怒鳴る。

 ザッっと一歩、以蔵が足を踏み出した瞬間、我に返った男は踵を返して暗い路地へと走り込んで行った。

「何も殺すこったぁねぇだろ。人を殺すのを楽とするのはいけねぇよ。ちったぁその血気を治める術も身につけな」

「・・・俺が出なければ、ここに転がっていたのはあんたの体だ」

 勝の顔を見ようともせず、刀を払い鞘へと納める。

 地面に死体となって転がる躯を見て、首を振りながら勝は止めた足を前へと踏み出した。

 人を守るために人を斬る。

「そうしなければ、守れない国なんざ、本来あってはいけねぇんだ」

「だから土方さん達は治安を守るために徘徊する不逞浪士や、幕府の人間を狙う志士達を取り締まっているんじゃないですか」

「新撰組とて、同じじゃないのかい? 幕府のためと、御用改めに押し入り、問答無用で志士を斬る。斬られる側は守るために刀を抜く。新撰組が悪いって訳じゃねぇ。幕吏だって人を斬る。皆、それぞれ守りたいもんのために刀を抜くんだ。本当に、嫌な世の中だよ」

「桂さんや大久保さんの頭があれば、人の命を奪わずに、幕府を変える手立てくらい思いつくでしょう」

「ったく。しょうがねぇな。この国に一体どれだけの人間が住んでいると思ってる。藩主の命があっても、抱えてる藩士に歯止めをきかすなんざできねぇから、佐幕だ倒幕だともめるんじゃねぇか。右へ習えで思想が一致するなら、揉め事なんざ起こりゃしねぇさ」

「・・・結局堂々巡りになる」

「そうだな」

 昭和でさえ、国会内部で派閥同士の反目があり、お互いを蹴落とし政治の筆頭に立とうとあの手この手を使う。だがそこに、刀という解決方法は存在しない。

 明治維新後になってこそ、国民が政治家を選ぶ時代となったが、それでも国の運営すべてに意志が反映される訳ではない。政治家と公務員、国民はそれぞれ別々に歩いているのが現状だ。

「何が正しいかなんて、今を生きる人間には判らねぇ。後々の世になって、あの武将が正しい、この武将が正しいと評論されて善悪が決められる」

「くそっ!」

「おっ!?」

 赤井は畳の上に腕を大にして体を投げ出した。

「判んねぇ!」

「おめぇに判ってりゃ、おいらはもっと良い手段を思いついてるさ」

 勝のその言葉は最もだと赤井は思った。


 赤間関の小さな草庵に、桂が姿を見せたのは陽が沈み、空が紫に染まり始めた頃だった。

「大丈夫か、晋作?」

 部屋の中央に敷かれた布団の上に、細長いものが横たわっている。それが高杉の体の線なのだと判るまでそう時間はかからなかった。

 桂の顔が一瞬、悲痛なまでに歪んだのを、高杉はその呼吸で感じ取った。

「ちょっと倒れただけだ。おまえが飛んでくる必要はない」

 こんなに弱々しく言葉を発する男だっただろうか。

「どうせまた無茶をして、おうのさんを困らせたんだろう?」

 ここ最近、朝から出かけては松陰の墓碑の前で酒を飲み、止めても聞いてくれないのだと、文には困り果てているおのうの様子が伺えた。何度か嗜める文を送ったが、返事が来ることはなかった。

 そして一昨日、大量の吐血と共に倒れ、意識が戻らないとの知らせを受けてやって来たのだ。

「薩摩と、正式な同盟の締結がなったよ」

 高杉は答えない。

「これからが厄介だ。土佐も動き出し、幕府は沈黙を守っている様に静かだ。おい、聞いているのか、晋作?」

 布団の縁から、太い棒のようだと見紛う位に細くなった腕が出ると、障子を指差した。

「開けるのか?」

 言いながら立ち上がり、両手で障子を左右に開け放つ。

「風は冷たいよ」

 振り返った桂は、嬉しそうに微笑む晋作の眼に庭が映るよう体をずらした。

「なあ、小五郎」

「なんだ?」

「桜が咲いたら、ここで花見をするんだとさ」

 首を傾げ、高杉の足元へと座を戻す。

「ああ、和太郎かい?」

「花見、するぞ」

「・・・なら、色々と用意が要るね」

「酒も大量に用意してくれ」

「ったく、おまえは」

 その体が春まで持つとは思えないほど、高杉は衰弱しきっている。食事も一日に採る量が減り、今では粥をさらにお湯で溶いたものを何とか胃に納めている、という状態だと、ここに着いた時におのうから聞かされている。

「・・・その和太郎だがな」

「ん?」

「松陰先生の心があいつの内にある。だが、同じ魂とは限らん」

「どういう事だ?」

「違うんだよ、俺の知る先生とあいつは」

「そんなの、当たり前じゃないか。和太郎は・・・」

 ずっと先の時代からここへ来たのだから。と、桂は続く言葉を飲み込んだ。

 受け入れる訳にはいかない。桂の性格からして、その事実を素直に取り込めないでいる。否定しきれる理由も、認められる理由のどちらもない。

「不思議な子だ」

「おまえを動かした奴だ。将来は大物になるかも知れんな」

 俯いた桂に、どうしたと問う。

 話すべきだろうか、和太郎が薩摩で語った言葉を。

「また、なんかやらかしたか」

「いや・・・あの子がね、政に関わってきたんだよ。それも孟子の論を持ち出してね」

 ずっと輪の外に居て、加わる素振りを見せなかったのにと肩を落とす桂に、

「側におまえや武市さんが居る。なんの不思議もなかろう」

 と事も無げに言う。

 雰囲気が変わったと感じたのは、長崎からここへ来た後だ。ならば、ここで何かあったはずだと桂は高杉に聞いた。

「なにも・・・ただ桜の話しをしただけだ」

 息を飲む音が聞こえた。

「そう。和太郎も同じ答えを僕にしたんだ」

 花見をすると言っていたのだ、確かに桜の話しはしている。だがそれだけで、和太郎が変わる切欠にはなりえない。

「どうして、吉田先生と違うと?」

「狂気の種が違うと思わんか?」

「おい、晋作。はっきり言え」

「先生の口にした狂気は、尋常ならざる心構えを指したものだ」

 本当に狂ってしまっては意味がない。

「普通、人を初めて斬った奴は、刀を持つ手に恐れがでる。何度か繰り返す内に、恐れは慣れへと変わり、そこで二つの道ができる。人斬りとなるか、殺さずにして刀を振るうか」

「和太郎が人斬りになっていると?」

「違う。あいつは最初が欠けている。刀に恐れを抱くどころか、自分から進んで振るう場に出で行っている」

「まわりくどいな」

「・・・ここで人をその手にかけるよりも以前に、あいつは人を何度か斬った事があるはずだ」

「何を馬鹿な!」

「もしくは、人を斬った記憶が生まれ変わっても、意識の奥底に残っているのかも知れん」

「・・・おまえ、一体何を言っている」

「松陰先生の思想を、最も正確に受け継いでいた男が居た」

「初期の松下村塾の門下生ならば、皆そうだろう? 久坂くん然り、吉田さん然り。おまえもその一人じゃないか」

「その中でだ」

「?」

「あの人は・・・俺や久坂とは違う」

 喋るのが辛くなってきたのか、吐く息に音階がついたように響く声は掠れ、その言葉は桂の耳に届かなかった。

「そろそろ休め」

 そう言ったのは、寝ているにも関わらず荒い息になり出した男を心配したからだ。

「魂の一部は先生かも知れんが、もう一人、別の魂があいつの内にある」

 今度は桂の耳にも聞き取れる声となっていたが、あえて問い返さなかった。

「・・・疲れているんだ。僕が居る間は禁酒だ。いいな、晋作」

 ちゃんと話しを聞けば良かったと後々後悔する事になるのだが、これ以上話しを続けても高杉の体力を消耗するだけの空論になると思い、あえて話しを打ち切ってしまったのである。


 師走独特の慌しさが漂う町を歩いていると、もう今年も終ってしまうのだという実感が沸いてくる。

「買うものはこれだけでしたっけ」

 正月の用意にと、もち米、昆布の干し物や里芋など雑煮を作るのに必要な野菜と、祝い酒となる日本酒の入った大徳利二つを買いに出て来ていた。荷物で両手が塞がったまま、武市が前を歩いている。

「不足してる物があれば、また来ればいい」

 馬を使ってと石川達に言われたのだが、歩いて行くと和奈を連れて出たのだ。

「重くないか?」

 野菜を抱えているだけの和奈は頭を振る。重さのあるもち米と大徳利は武市が持っているのだ、重いはずがない。

「一つ持ちます」

 両手が塞がっていては、何かしらあった時に刀をすぐには抜けない。そう思って言ったのだが、案ずるなと断られてしまっていた。

「聞くのを忘れていたが」

「はい?」

「いつ、孟子を学んだ?」

「いつ、って・・・」

 思い当たる節がない。

 なのに薩摩で孟子の言葉を口にした。

「あながち、世迷言と片付けられぬな」

「え?」

「おまえの内にある魂が、吉田殿のものかも知れぬ、という事だ」

 そうでなければ説明が付けられない、和奈も武市も。

「ならば、何をしに来たのだろうな、おまえは」

「・・・」

 偶然などはない、あるのは必然だけだ。

「成すべき時がくれば自ずと判る事だと思います」

 まただ。

「そうか」

「・・・桂さんが居たので言えませんでしたけど、桂木さんには、話しておきます」

「高杉くんと何かあったのだな?」

「あった、というより、言われたと言う方が正しいです。夕餉が済んだら、菊が浜に来て頂けますか?」

「よかろう」

 ざわつく心を抑え、後ろを付いて来る気配を確かめながら、武市は諸隊長らが集まっている屋敷への道を急いだ。

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