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幕末奇譚 『志士 狂桜の宴』  作者: 夏月左桜
奇譚十七幕 会者定離
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其之一 杞憂に暮れし者達

 京の土佐藩邸に入った参政福岡孝弟は、乾退助を前に苦渋の面持ちを浮かべていた。

「何も小難しい事を述べているのではないのだが」

 長い沈黙の後、口を開いたのは乾だった。

「斯様に申すが、容堂公が公武合体を全面的に否定したわけではござらぬ」

 大目付小笠原唯八は、ただじっと乾の顔を見つめている。

「後藤殿が動かれ、佐々木殿のご意向も吾となんら変わらぬ。なれば大殿様も何れや腰を上げられよう」

「利用できるものは利用すれば良い、と言われるか」

 乾が二人に告げたのは、龍馬と中岡の脱藩罪が赦免となった後、二人の抱える海援隊と陸援隊を土佐公認の組織として容堂に認めさせる、と言うものだ。

 二人の脱藩罪赦免について、福岡も異論はなかった。だが、倒幕に走り回る二人が台頭している隊を藩に加えるのは難題と言うよりも、無理に等しいのではないかと思うのだ。

 乾としては、薩長に劣らぬ軍を土佐で創り上げ、両藩と対等な立場で、朝廷を立てた倒幕へ赴きたいのだ。

「薩長が軍事同盟を締結するに至れば、必ずや幕府に対し威圧にかかるのは必至。両藩の動きは、静観を決め込んでいる西国諸藩を動かすものとなろう。これまで幕府よりを貫き、長征にまで出兵してしまった我が藩を、敵対と見なすやも知れぬ。両藩相手に、戦で勝つ力が今の土佐にあると思われるのか?」

「今のままでは潰されるであろう。そう考えたゆえ、洋式兵団の件については了承致したのだ」

「藩に力を蓄える事は、幕府にとっては面白い事ではない。いずれ圧力を掛けて来るのを見越しているからこそ、大殿様の同意も必要なのだ」

 土佐の三頭である後藤と乾、佐々木が動けば、確かに容堂の思想を揺らがせる事も可能かも知れない。だが、と一抹の不安は隠せない。

「心中察するところだが、あの後藤殿が動き、長州筆頭席である木戸殿とも会っておるのだ、何を危惧する事があろうか」

「!」

「誠か!?」

 福原は信じられないと行った様子だったが、小笠原は息を飲んだだけで、顔色を変える事は無かった。

「私は嘘は言わぬ」

 くすっと笑った乾は、 次は薩摩だと一言だけ添えると、驚愕のまま言葉を探す二人からし戦を外し、庭へと顔を向けた。

「大久保という男、どう見た?」

「一筋縄で論破できぬ相手と見ますれば、事を慎重に進めねば潰されるのは我らでありましょう」

 福岡の見解はそのまま小笠原の見解でもある。

「解り申した。薩摩藩との協議、ご協力させて頂こう」

 福岡は折れた。

 こうして、後藤と乾、佐々木の三名に、福岡と小笠原が加わり、薩摩藩との会合を開くよう提言した。

 容堂とて時勢を見る眼は兼ね備えていた。

 日に日に高まる幕府への失意の声も耳に届くようになり、このまま公武合体を強いて幕府寄りを貫けば、共倒れとなり兼ねない。それだけは何としても避ける必要があると考え、会合の許可を下した。

 そして福岡と小笠原は、容堂の命で使者として薩摩を訪れたのである。



 久光は、来訪した桂達を、大久保の家から鶴丸城の西に在る小松帯刀の屋敷へ移す様、大久保に命じた。

 逗留の用意がされた後、小松邸の一室に通された桂達は、共に来た大久保と談義を初めていた。

「四侯会議の開催は現実のものとなろうが、土佐が我らと同じ足並みであるかは、疑問とするところだ」

 この大久保の意見に、武市も同意を示すように頷く。土佐勤王党の弾圧を許可した男が、はい、そうですかと倒幕に傾くとは考えられないのだ。

「薩長土同盟の締結は必要とも思うが、容堂公の真意が解らぬのでは、腹の底から歓迎し得るものではない、と言うのが私の意見だ」

「右に同じ、と申し上げておく。しかし、土佐が足並みを揃えたいと出るのなら、拒む道理もこれまた有りはしますまい」

 大久保とは微妙な相違であはあるが、懸念材料となる、その点だけは合致していた。

「長州征伐軍に、土佐藩も出兵していたと高杉さんから聞きました」

 これまでならば、桂達の話しに首を突っ込まずただ座しているだけだったのに、珍しく言葉を発したものだから、皆の視線が同時に戸口に座る和奈に集まった。

「土佐藩主である、山内さんは幕府の味方をしていたのでしょう?」

「まあ、そうなるね」

 涼しげな顔の桂が、いつになく嬉しそうに答える。

 和奈はちらりと武市を見てから、膝を少し前へと動かした。

「薩摩藩と長州藩が目指すところは同じ様に見えます。でも、龍馬さんや武市さん達を、言い方は悪いかも知れませんが、蔑ろにして来た藩です。僕のような下っ端がとやかく言えた事ではないと思いますが、同盟には賛成できません」

 顎を引いて、目を大きく開いている大久保の前に、にこにことしている桂、その横では、眉間を狭めて半ば口を開きかけている武市の顔がある。

「何を学んだかは知らぬが、これはまた一興と呼ぶに値する出来事だな」

 同意を求めるように顔を桂へと向ける。

「一興って・・・酷いですよ大久保さん」

「私の小姓役を務める才を培ってきた、と言う事です」 

「いや、甘やかしては始末に悪い」

 そう言うのは武市だった。

「くくくくっ、面白い。いや、揶揄ではない、真面目に面白いことだ」

「もう。真剣に意見したのに」

「おまえの心配は良く判るが、私も桂くんも承知の上で同盟を成そうと言うのだ。考える心があるならば、表に見える事象だけでなく、根底に動く人の心理、時勢の流れも見極める心を培ってみよ。そうでなくては、見えているものも見えずに終始するぞ」

「見えているものが見えない、ですか」

「その一つがおまえの剣だろう」

 武市の指が綾鷹を指し示す。

「あ・・・なるほど」

「まったくもって退屈せんな」

「それはどうも・・・」

「ともあれ、土佐の件らついては後日吉之助が動く手筈となっておる」

「西郷殿が? またそれは如何なる由か」

「土佐が来たと伝えただろう。議の席にて、参政である福岡殿が吉之助に土佐へ来て欲しいと嘆願した。向こうから来てくれというのだ、この期は逃せまい」

「容堂公に四候会議の是を説き、上洛を提言すると?」

「然り」

「これについて、大目付である小笠原殿は了承している」

 福岡には話していないと、言葉の裏を読み取った桂と武市は、眼だけを交し合った。

「ここに薩長が手を結んだ以上、もはや足を止める事は叶わぬ。今後については連絡を密に取って行かねばならん」

「それについて異存はない」

 結構だと、大久保は満足した笑みを浮かべ、組んでいた腕を解いた。

「新兵衛は長州に預けておく。薩摩に戻しても、これに納得させれる待遇などしてやれぬのでな」

 微動だにせず、部屋の隅でじっと座っていた新兵衛に笑いかける。

「今消えられても困る。彼は岡田くんと並ぶ剣客として、隊の間では人気者になってしまったからね」

「ほう」

「いえ、その様な事は-」

「気にするな新兵衛。間者扱いされてはいまいかと気掛かりではあったが、これで心置きなく床に着く事が出来る」

 新兵衛は無言のまま頭を下げた。

「では、ゆるりと休まれるがいい。明日は吉之助が尋ねて来ようからな」


 

 人の気配が消えたのを確かめた桂は、座る顔を一度見回すとため息を零した。

「多々多様にして複雑極まりない」

 と、苦笑いを見せる武市に、そうだね、と短く桂は答えた。

「桂木さんは平気なんですか?」

 そう言葉を口にしてしまってから、そんなはずもない、と和奈は内心自分を叱咤する。

「平気とは?」

「薩摩も同盟については、両手を広げて歓迎してないんでしょう?」

 それは長州も同じなのだ。

「そうだな。平気だとは言えぬが、同盟の件が出た時に心は決めている。何を憂う事もあるまい」

 容堂が土佐勤王党の弾圧を容認した時、武市の中にあった藩主への期待は崩れ去っている。心を尽くして説けば必ずや容堂に誠意が伝わると、信を貫いた結果が招いたのは、同志達の悲惨な最期だったのだ。

「だからと言って、土佐を敵とはしておらぬ。共に立つと容堂公が動くのなら、時勢の流れと受け入れるだけだ」

 諦めでもなく、妥協でもなく、ただ純粋に理解を示した武市の思いを、和奈はそうかと納得できなかった。

 そんな和奈を見て、桂は胸のざわつきを覚えた。

(なんだ? なにを不安に思うのだ?)

 これまで、政の話しに自ら進んで首を突っ込んで来た事のない和奈が、ここに来て何かを考えねような顔で入って来た。

(まさか、な)

 松陰が如き様相を現したのは、剣を振るう時と高杉が側に居た時ぐらいだ。

 小倉口の戦い以降、和奈が豹変した覚えもなければ、武市からもそんな事があったとは聞いていない。先ほども今も、別段変わった様子もない。

「もし、土佐が裏切ったら・・・」

 武市と桂の息を飲む音が耳に届いた。

「色々な結果があるのは確かだ。だから僕達は不測の事態を幾つも考え、その時にすべき策を考える。今からあれこれと悩むは愚かなり。一つの結果に囚われ杞憂するよりも、眼前に置かれた事態にどう対処すべしか、それを考えて行かなくてはならない」

 桂の言うところは最もだとも思う。思うのだが、しっくりと心に落ち着いてはくれなかった。

「なにか気になるところでもあるのか?」

「いえ・・・」

 続く言葉を探しているのだろうが、当の本人にもそれ以上何を言いたいのか解らないのだと悟った武市は、やはり部屋の隅で黙したままの新兵衛に茶を持って来てもらいたいと頼んだ。

「おまえの内から、語るものがあるのか?」

 新兵衛が部屋から出た後、そう問いかけた。

「僕も一瞬、それを考えた」

 松陰は兵学者でもある。藩に留まらず日本という大きな国の未来を憂い、然るべき事をなさねばとその生涯を懸けて生きた士である。

 長州と薩摩が手を取り合い、幕府に対して義とはなんたるかを問う動き始めた矢先に、和奈が政へ少なからずの干渉を見せた。

「・・・孟子は云われた。管仲(かんちゅう)桓公(かんこう)を助くる、王道を知らずして覇術を行ふと云へり、と」

 孟子?

 武市と桂ははっ、として顔を見合わせた。

「管仲が桓公を助けた道理は、王道を知らずして覇道を行なったことにあります。王道は格物・致知・誠意・正心・修身・斉家より、治国・平天下に至るもので、この順序を見失ってはならぬものでしょう。一方、覇道はこれと反対のもの。彼の豊臣秀吉も、修身と斉家を忘れたために、後継ぎである秀頼の辿った命運も、二人の如くとなったではありませんか」

「何が言いたい?」

「長州は、王道を忘れずして、関が原の合戦より今日まで義を尽くして来た。それは毛利元就公以後、大義を重んじ、家臣や民に心を砕いたからこそのもの。ゆえに、今日の長州があると僕は思います。領土を削られ、長門・周防の二国となっても、藩祖の築いた基盤は少しも揺らぐ事はなかった。僭越至極ながら、豊臣公と比較しても、その優劣は知るが如きものでありましょう」

「故家、即ち旧臣の家なり。遺俗、即ち古来の風俗なり。流風、即ち風俗風習なり。これ即ち善き政なり」

 久坂玄瑞より、松陰の講和のいくつを聞き及んでいた武市は、記憶の底にあった言葉を引き出しから抜き出した。

 和奈はこりと頷く。

「国家がゆるぎなく治まり続けるために必要な四つだ。これを違えれた者は国賊となる」

 高杉がよく口にしていたものであり、彼の師が心に定めんと書き記した書物の一片にあるものだと、桂はも思い起こしていた。

「土佐との同盟は避けて通れないものであると、僕も理解はしています。しかし、長州藩の為とするならば、土台となる志を揺らぎあるものに変えてはなりません」

「まさか、おまえに諭される身になるとは」

「あ・・・すみません、出すぎた事を言いました」

 和奈には変化の片鱗も見られない。だとしたら、語った言葉は己の心から出たものだろうか。

 否。

 その心には松陰が居るはずだ。そもそも、これまで講和に近い意見など一度だりとも和奈は口にしなかった。

「それで、おまえは何をすると言う?」

 聞きたかった問いを、動揺も見せず武市が言ってのけた。

「・・・義を覆す者がいるならば、僕はその者を斬る」

「!」

「強いて剣を握る必要はあるまい」

「言葉で片付くなら、多くの命が散る事はありませんでした。違いますか?」

 そう言われては返す言葉を見つけられなかった。事実、武市は天誅と称し、岡田に人斬りを命じて来たのだ。

「それで解決するものでもあるまい」

 自己の経験がそう語らせているのは、和奈も桂も十分に知って居る。

「覚悟を、言ったまでです」

 下関から帰ってきてからと言うもの、いつも和奈なのだが、どこかが違うと感じていた桂は、高杉と会った時に何かあったのかを尋ねた。

「・・・何も。桜が咲く頃、皆で花見をしたいと話しただけです」

 それだけではない、と武市は高杉の家での事を思う。二人の間に何事かがあったのは言うまでもないだろう。問わずにおいたのは、和奈がそれを話すまで待とうと考えたからだ。

 だが桂は問いかけた。予想していた通り、和奈は話しをはぐらかした。

「ふう。まったく、おまえという子は。いいだろう。政に関わりたいと言うならば、その眼でしかと現実を見据えるがいい」

「桂さん!」

 武市はできるならそれを避けたかった。

「どう止めても、戦場へ出ると言い出した時の様に、この子は首を突っ込んで来るに相違ない。ならば半端に関わるより、間違った道を選ばぬよう全てに関わらせるに越した事はない」

 和奈の突出が松陰の導き手によるものなのか、桂は知りたいのだ。

「こうなると解っていて、小姓役に就けたのか?」

「先見の明に長けている訳ではないよ。今日を見て、答えを出したまでだ」

「謙遜か? 食えぬ人だ」

「君も、然りだろう?」

「あ、あの、困らせようとしたんじゃないんですけが」

 ピリピリとした空気を感じ取った和奈は、慌てて二人の間に割り込んだ。

「やれやれ。喧嘩などするつもりは毛頭ないから、そんな顔をしないでくれ」

「議論の何たるかすら解らぬのに、よくも政り事を口にしたものだ」

 こんどは二人に呆れ果てられてしまい、出した首を引っ込めなくてはならなくなってしまった。

「まあいい。論を議したいと言うなら、何時でも相手になろう。それこそ、一晩でも付き合ってやるぞ」

 楽しいと言わんばかりの顔を和奈に突き出す武市。

「いえ! それは遠慮しておきます」

 外に気配を感じた桂が、

「そろそろ入って来てもいいよ」

 と言葉を発すると、そろりと障子が開けられた。

 新兵衛がお茶の催促を受け、部屋を出ていたとすっかり忘れていた三人は、申し訳なさそうに入って来た新兵衛に、すまない、と謝り、運んできてくれたお茶に手を伸ばした。


 翌日、西郷を伴った大久保が訪れ、福岡が京から戻るのに合わせ、土佐入りすると桂に告げた。

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