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幕末奇譚 『志士 狂桜の宴』  作者: 夏月左桜
奇譚十六幕 七難八苦
63/89

其之ニ 薩摩と長州

 岩倉が水面下で動き出したのに合わせ、大久保は薩摩藩主島津久光に対して長州との連合締結を建言した。

 土佐の動きは、幕府に対して圧力を掛ける側にしてみれば、歓迎すべき進展と言えた。しかし、公武合体を貫いて来た土佐に対する懸念は、そう簡単に拭い去れるものではない。武力倒幕を目指す長州薩摩両藩とは歩んできた道が違うのだ。自ずと意見の食い違いは出ると考えた大久保は、薩長の同盟密約を確かものとしておきたかった。

 この同盟締結については、久光が難色を示した場合は説き伏せるとの事で西郷も了承している。


 頼まれた書簡を託したと報告しに薩摩藩邸を訪れていた中岡は、龍馬から預かった手紙を大久保に渡した。

「それにしても、中岡くん」

「はい?」

「何が哀しくて、通飛脚みたいなまねをしているんだ?」 

「最初に頼んだの、大久保さんじゃないですか」

「坂本くんから言伝を受けて来いとは言っておらぬ」

「後藤さんからも京へ戻れと言われたし、龍馬さんは長崎に居座っちゃうし、京に戻るついでだと言われたら 、受けない訳にはいきませんよ」

 大久保はぶつぶつ文句を言う中岡を見ながら、何やら思い出したようにポンっと手を打った。

「長崎には小僧も来て居たのだろう?」

「小僧?」

「武市くんご執心の、あの小僧だ」

 ニッコリと首を横へ傾ける。

「・・・和太郎ですか・・・小僧じゃわかんないすよ」

「あ奴を使えば良かったではないか」

「それ、本気で言ってます?」

「この私が冗談など言うものか」

 今度は真剣な顔で眉間に皺を寄せる。

「茶菓子もあるゆえ、茶を飲みながらゆるりと時勢を論じてやれたものを」

「茶菓子って・・・まったくもう」

 京から長崎へ急ぎ、後藤と桂、武市の対峙に疲れた足で戻り、一息つきたい気分なのに、大久保を相手に更に気疲れを覚えた中岡は、すいません、と断りを入れてから足を崩した。

「和太郎は手配書に乗ってるんだから、京なんか来れないですよ」

 君とて同じだろうと返される。

「それは、そうなんですが、ほら、あれだし・・・」

 女性だと知ったからには、そんな無茶をさせられたものではない。

「ふん! 誰も志士として来いとは言ってはおらん。着飾った小僧を相手に、茶を飲むのも一興と思ったまでだ」

 口をぱくぱくさせながら、大久保を見上げる。

「君は鯉か?」

「大久保さんも知ってたんだ・・・酷い、酷すぎる」

 山口で大酒を飲んだ時の様に、その場で酒を飲み干し、大久保にグチを吐きたい気分になる。

「気付かぬ者が悪い」

 この次は是非和太郎を寄越してくれと、大久保は楽しそうに念を押した。

「そんな事したら、武市さんに切腹しろって言われますよ、俺」

「ほう。そんな仲になったのか?」

「知りません!」

 顔を真っ赤にしてしまった中岡に、男女の仲を知らぬ者ほど手に負えぬものはないと、困って見せる。

「け、経験くらいありますってば!」

「ああ・・・お佳代さんだったか」

 絶句した中岡は、次の瞬間、土佐藩邸へ行くと立ち上がった。

「乾さんたら、何から何まで喋るんだから! じゃなくて! そんな間柄じゃないです!」

「さて。君をからかうのはこの位でやめておこう」

「!」

 いいから座れと畳を指さされ、大きなため息と共にどかっと胡坐を組んで座りなおす。そこにおみつが茶と菓子を持って入って来たので、やっと一息つけると喜んだ中岡は、真剣な顔で龍馬の手紙を読む大久保に難事かと尋ねた。

「いや。給金の催促状だ」

「大久保さんに!?」

「海援隊を創設させたのは小松殿ゆえ、この書状を出すのも然もあらんが。なぜ私に催促してくるのだあの男は」

「あははは・・・・はぁ~」

 心底疲れてしまって、突っ込む気力など沸いてこなかった。

「長州と正式に事を運ぶ前に、幣摩が間に立ち、肥後藩との和議調停を執り行う」

「あれ、成立したんじゃないんですか?」

「一時凌ぎだ。まだ三藩にて締結に至ってはおらぬ。それを済ませてから、長州との二藩連合を取り付けて後、土佐へ打診する手筈となっているから、君もそのつもりで動いてくれたまえ」

「解りました。後藤さんも薩摩と手を結ぶ以上、長州との会談も必要になると考えていらっしゃいます。乾さんにもその旨で報告しようと思います」

「薩摩と長州が連立しているとなれば、山内公も真剣にならざるを得まい。君も、苦労を重ねた甲斐があると言うものだな」

「まだ前途多難ですよ」

 桂と後藤が謁見したとは言え、それは正式な会見ではない。乾と連携して後藤を介し、藩主山内容堂を倒幕へと傾けたい思いであるが、後藤の藩政転換がどう功を奏すのか未だ解らずと言った状況である。不透明な状態の中、手探りで進むしかないのだ。

「では、俺はこれで失礼させて頂きます」

「乾くんには、くれぐれも宜しくと伝えておいてくれたまえ」


 長州との同盟締結について、大久保、小松、西郷の連名によって提出された建白書を受取った島津久光は、正式にこれを認め、黒田新太郎を正使として長州に派遣する事を決めた。

 黒田は前藩主藩主島津斉彬の目に止まり、西郷とも親交のある薩摩藩士だ。久光の決定を受けた西郷が、正使に適任と推して、今回の長州派遣となった。



 桜山招魂社へ続く長い石段を登り、拝殿に一礼し招魂場へ足を向けると、碑の前に座り酒を飲んでいる高杉が居た。

「やれやれ」

 わざと足音を立てながら、丸めた背中へと立つ。

「おのうさんが心配してましたよ?」

「お? なんだ、おまえか」

 振り仰いだ高杉の顔は赤く染まっている。

「僕ですみませんね」

 傍らに座わると、絶え間なく酒を口に運ぶ高杉の手から、持っていた銚子を取り上げた。

「こら!」

「こらじゃありません。そろそろ戻らないと風邪、ひきますよ!」

 風はもうかなり冷たくなっている。いくら着こんでいても、今の高杉には大きな負担となる。酒でいくらか体は温まるだろうが、不摂生を過ぎれば毒にしかならない。

 立ち上がって足がもつれ、思わず和奈の肩を掴んだ高杉は、しまったと言わんばかりの顔を向けた。

「そんな体で、よくあの階段を登れたもんですよ」

「いいか、俺はた-」

「はいはい、高杉晋作様ですよね。わかりましたから、ほら、ちゃんと歩いて下さい」

「・・・おまえ、本当に似てきたな」

「小言、まだ言われたいですか?」

 にっこりと笑う顔には暗い影はない。

(何か悟ったか、それとも)

 松陰の碑を一度振り返った高杉は、片腕を担がれたまま草庵へと戻った。


「お帰りなさいませ」

「おのう、こいつに俺の居場所を教えるな」

 それは無理ですと、手渡された銚子を受取り、そそくさと台所へ引っ込んでしまった。

「あいつの弱みでも握ったのか!?」

「そんな訳ないてじよう。さあ、部屋へ行った行った」

「お、おい、分かったから押すな!」

 半ば連行に近い状態で部屋へ押し込まれ、不機嫌な顔で布団へと潜り込む。

「・・・子供ですよね」

「五月蝿い」

 枕を抱え、庭を眺められるよううつ伏せになると、側に座った和奈に問いかける。

「なあ、そろそろ女に戻ってもいいんじゃないのか?」

「へ? どうしたんですか、いきなり」

「それだけの腕があれば、女とばれても困らんだろうと言うちょるんじゃ」

「言うちょる? 高杉さんが長州弁使うなんて、熱が出たんじゃないんですか!?」

「出てない! くそっ、全部おまえが悪い」

「人のせいにしないでください」

「もとい、だ」

「いいですよ、このままで。別に困る事ないし、今更って感じもするし」

「今更って言うな。大体おまえは-」

 和奈に詰め寄ろうと体を起こしたところへ、大きな足音が聞こえ来ると障子が勢いよく開け放たれた。

「小五郎さん!」

「居た・・・」

 和奈に駆け寄り、その肩を掴んで引き寄せる。

「おい、こら小五郎! いきなりなんで抱くんだ!」

「五月蝿い、黙ってろ」

 睨まれて押し黙った高杉は、不服そうな顔で起き上がり胡坐を組んだ。

「無事で良かった」

小さな声が耳元に響いた。

「ご心配かけました」

 腕を放し、眉を上げて和奈の顔をじっと見入り、桂は笑顔を浮かべて肩を叩いた。

「もう一人も着いたようだね」

 再びバタバタと足音が聞こえ、今度は武市が駆け込んで来た。

「和太郎!」

 止まる事無く、和奈の傍らに座すと腕を掴んで引き寄せる。

「ちょっと待ておまえら! 揃いも揃って抱きつくとはなんだ! 俺だって-」

「おまえは駄目だ!」

 真剣な表情で怒鳴る桂に、ずるいぞと、高杉はふて腐れてしまう。

「僕は甥の無事を確かめただけだ」

「何が甥だこの野郎! 『今夜は和太郎と過させてもらう』とかなんとか、ここぞとばかりに自分だけいい思いをしやがって!」

「いい思いってなんだ!? 大体、なぜそんな昔の事を今持ち出されなくてはならない! もう少し和太郎がここへ来た理由を真剣に考ててもいいんじゃないのかおまえは!」

「息継ぎして喋らんと、窒息するぞ?」

「!」

「掛け合い漫才は後に願おう」

「漫才じゃない!!」

 同時に叫んだ二人は顔を見合わせた後、桂の方がふいっと顔を背けた。

「何をそんなに慌ててるか知らんが、少し落ち着け」

「おまえ、話しはちゃんと聞いたんだろうな?」

 顔を戻し、そう高杉に詰め寄った桂は次の言葉を待った。

「ああ。面白い奴だぞ、こいつ」

「面白いで片付けるな!」

「大事はないから安心しろと言ってるんだ」

「なんの根拠があって、そう断言するのか説明してくれ」

 桂ばかりでなく、武市からも睨まれ詰め寄られる格好となった高杉子は、仕方ないと、和奈から聞いた話を手短に話した。

 話しを聞いたものの、一瞬で何十里もの距離を移動した事をどう考えればいいのか検討がつかず、武市と桂は答えを求めるように高杉を見下した。

「意見が聞きたいって顔だな」

「あるならな」

「時を越えて来たなら、場所を移動してもおかしくないだろう」

「真剣に言っているのか、それ」

「・・・こいつが時を越えたのは、俺のせいだ」

「どういう事だ?」

 今度は武市と桂が同時に声を上げた。

「武市さん達が萩へ来ると、おまえが知らせに来た日を覚えてるか?」

「ああ。あれは・・・春だ。そう、おまえが入口で寝ていて」

「そうそう。あの日、俺は桜に願いをかけたんだ。それで、桜が答えた気がした」

 満開だった普賢象桜を、真剣な面持ちで眺めていた姿を思い出す。

「ちょっと待て晋作。それで和太郎が来たと言うんじゃないだろうな」

「こいつは突然現われたじゃないか。しかも、大事を前にした小五郎くんがなぜか人助けに走り、和太郎を助けた。偶然とは考えにくいんじゃないか? 必然があったから、おまえは助けに入り、俺達の所へ連れて来た。それ以来、こいつは不思議に思う事なく剣を振るっている。俺達と共に居るからじゃない、自分で選び取り、なるべくしてなっているんだ。これが必然でないなら、なんなんだ?」

 前にも一度似た話しをした事があったが、高杉が桜の話しを持ち出したのは今回が初めてだ。語る言葉に声を失った二人は、横に座る和奈へと視線を移した。

「おい和太郎。桜だが、何か思い当たる節はないか?」

「桜、ですか・・・そう言えば、ここへ来る前、景色がぼやけた時に白いものが見えました。はっきりとした形じゃなかったんで、確かに桜だったとは言えません・・・あれ、桜だったのかな」

 錬兵館からこの時代へ来る事になったあの夜にみた白く大きな影が揺らいでいたと思い起こす。

「桜に願っただけで時を越えられるなら、是非僕も越えたいものだ」

「さすが小五郎、一筋縄ではいかんな。だがな、少しは頭を柔軟にするのも必要だぞ」

「無理を言うな」

「こいつが先生の言葉を語る理由なぞ俺にも判らん。が、ここへ来たのは、俺達に会う為だ、そう信じてる。その橋渡しをしたのが桜だ」

「柔軟どころか、おまえの場合脳が溶けているだけじゃないか。そう言いきれる自信は一体なんだ?」

「直感だ!」

 呆れ顔で武市を見やった桂は、何やら考え込んで俯いている男の顔を覗き込んだ。

「武市くん?」

 しかし武市は、かけられた声に反応しなかった。

「まさか、君まで心当たりがある、とか言わないだろうね」

 強い口調で我に返った武市は、はっ、顔を上げる。

「え・・・いや・・・」

「あるのか」

 否定しなかった武市に対し高杉が呟いた。

「ある、とは言えんが。土佐に戻っていた時の事だ」

 誰かに呼ばれた気がして庭に下りたが、誰も居らず、代わりにどこからか舞って来た桜がひらひらと手の平に舞い降りて来た。人恋しいと感じていたから、風の音が人の声に聞こえたのだろうと、さして気にする事もなく記憶の底に沈んでいたのだ。

「桜に竹林ね・・・だが、それでけでは理由にならない」

「確かに」

「何度も言わせるな。必然はあっても偶然はない、これはおまえの十八番だろう?」

 高杉の言葉に一瞬身を引いた桂は、やれやれと肩を揺らした。

「本当におまえは嫌な男だ」

「ともかく、和太郎は無事だった。今はそれでいい!」

 申し訳なさそうに武市の横で縮こまってしまっている和奈を見て、桂は詮索ま手を一旦止め、その頭に手を置いた。

「とりあえずは、だ。でも、本当に無事で良かったよ」



 桂が長州へ戻った数日後、高杉からの手紙を手に、すぐさま三島屋へと走った龍馬は、武市にすぐ発てと用意をさせた。

「おまえは来ないのか?」

「わしはいけん」

 プロイセン(ドイツ帝国・第二ドイツ帝国中心都市)の商人チョルチーニとの商談を整えており、今は長崎を離れられないと説明する。

「相分った。また知らせを出す」

 そうして武市と以蔵が長崎を離れた二日後、龍馬は西郷の前に笑顔で座わる事になった。

「一蔵から話しは聞いとう。薩摩が保証ひといなうのは良かとして、いけんして帆船が必要なのか聞かせてほしか」

海援隊名義で帆船の購入するため、その保証を薩摩にして欲しいと頼まれた小松が、京に向かう途中のついでと、西郷を大浦屋へ使わしたのだ。

「長州への輸送も増えたがやき、一隻じゃー事足りのおなったからやか」

 四境戦争後、桂が海援隊にミニエー銃の大量注文を出し、その輸送にユニオン号を当てた。

 この頃から、土佐藩も武器弾薬などを調達を始め、乾の依頼を受けた陸援隊から要請で、その輸送に追われるようになり、一隻で長州、土佐、薩摩間を賄うのが無理と考えた龍馬は、帆船の購入を決めたのである。

「長州と薩摩は正式に同盟を組んだ訳じゃーないがきね、ふとい声で薩摩の船を貸せとも、長州に貸してくれとも言えないろーう」

「脱藩した身じぁっしながら、土佐いも渡いをつけとうと聞く。肝っ玉が据わっとうのか、何も考えておらんのか解らんと小松殿も申していた」

 小松の名前を出した西郷は、そうそう、と懐から書付を出して龍馬に手渡した。

「京に居う自分に給金の催促をすうなと、一蔵が怒っていたぞ。そけ書かれとう給金については、小松殿から支払うとの事じゃっで、後で宿へ行くとよか」

 書付を受取り礼を述べると、西郷と共に小松が居る昇平丸へと向かった。



 和奈と武市を赤間関へ残し山口に戻った桂は、筆密の命を受けて長州へ赴いた黒田を出迎えるため、山口政事堂に出向いていた。

 薩摩藩と肥後藩が調停を取り持ち、門司(もじ)に於いて小倉藩と止戦条約を結んだ長州に対し、久光が正式に同盟締結へ動くと聞かされる。

「土佐の前に我が藩とかい?」

「深意はございません。薩長の密約は私も存じ上げております。その密約を正式なものとし、薩長の関係を確固のものにすべしと、久光公もお考えになられた。それだけです」

「言うは容易いが」

「木戸殿のご心中はお察し致しますが、正直、我が藩は土佐藩を信用しておりません」

「大久保殿も」

「如何にも」

 敬親に黒田と会えと斡旋したのは桂ではない。

 二回の長州征伐を経て、単独で幕府と対抗するのは無理至極と考えていた敬親のところへ、薩摩から同盟締結を示唆する書状が届いた。敬親も思案に暮れていた時期でもある、この締結に桂も賛成の意思を申し述べ、正使として来る黒田との謁見を許可したのだ。

「どちらにせよ、土佐が倒幕へと動くなら、それに越した事はない。多様な問題も多いだろうが、我が藩としても貴藩が旗を揚げるならば、足並みを揃える準備はできていると申し上げる」

「謁見の許可を頂いた事で、大久保殿からも恙無く話しを進める様にと仰せつかって来ております。土佐と手を組むより、長州と並んでこれからを考える方が得策と考えますれば、先ずは足固めを確実にしておきたいのは事実でありましょう」

「西郷さんは如何かな?」

「実直なお方ですが、時勢を見分ける眼はお持ちです」

 それゆえ、先の征伐では大久保に対し出兵拒否を貫くよう念を押していると、黒田は言った。

「お二方と一度、酒の席を持ちたいものだ」

「それは喜ばれるでしょう。ああ、川長楼の再現だけはお控え下さるよう願うばかりですが」

「・・・ここでそれを言うか」

「いや。実のところを言いますと、見てみたかったのですよ。あの大久保殿が、ですから」

「確かに・・・見応えがあっただろうね」

 周布政之助から聞いた話を思い出した桂は、思わず噴出してしまった。


 文久二年の事。江戸に滞在していた毛利敬親は、薩摩から勅使大原重徳に追従して江戸に出向いて来た島津久光と入れ替わるように、京へ発ってしまった。

 薩摩と幕政改革を推進めたいと考えていた周布は、事が荒立たぬよう、大久保と堀小太郎を江戸柳橋の料亭川長楼へと招いた。薩摩藩と親睦を深めるのが目的だった。

 長州側から参加したのは周布の他に来島又兵衛と小幡彦七である。

 大久保を前にした周布は、長州が私利私欲のために政治に関わっているのではなく、また主君の行動も久光を軽んじて取った行動ではないと必死に説いた。だが、大久保達の懸念をなかなか拭い去る事が出来ない。

 このままでは薩摩長州の関係修復はできぬと考えた周布は、他意のない事を示そうと脇差に手を置きつつ、二人に向かって決意を語った。

「違背した場合には、この周布政之助が腹を切って見せましょう」

 これを聞いて反応したのが、不愉快と言わんばかりの顔で大久保の横に座って酒をあおっていた堀だ。

「面白いじゃなかか。それならここで腹を切ってもらおう。おいがちゃんと検分してあげもそや」

 さあどうぞと、周布に向かって手を差し出す。

「やめんか!」

 それまで黙って座していた大久保は、周布の方を見た後そう一喝する声を上げた。いくら両藩の仲がこじれているとは言え、その行動は長州を挑発するものだ。

「周布殿は決意を申し述べられたのだ。それを煽るとは何事であるか!」

 酒が手伝っていたのか、大久保に睨まれても堀は態度を崩さなかった。雰囲気はますます悪くなる一方だ。

(この馬鹿者めが)

 そう思っても、久光の寵愛を受けている堀は権力を笠に着て、傍若無人な態度に出続けている。この時の大久保の立場はまだ低く、どれだけ嗜めても、堀は一向に聞く耳を持とうとしない。次第に周布の顔色が変わっていくの見て、大久保は思案に暮れた。

 周布とて、ここで揉め事を起こしては宴を開いて親睦を図った意味がなくなってしまうと、我慢に我慢を重ねていた。左右に座る来島と小幡の顔からも、宴が始まった時の笑みは消えてしまっている。

「長井殿の航海遠略策を退けたのに、公武合体を掲げう我が藩に並んで幕政改革を行んたいとは、やはい何か腹に秘むうもんがあっとではあいもはんか?」

「先ほども拙者が申し上げた通り、他意はござらん!」

 堀の言葉に恫喝したのは来島だった。それを見た周布は、堀を斬ろうと考えてしまった。

「双方それまでに。ここは一つ、拙者が余興をお見せ致しましょう」

 そう言って立ち上がった周布は剣を抜き、舞を踊り始めると、突然の余興に、さっきまでの雰囲気はどこへやら、堀も手を打ちながら笑い声を上げた。

 気が気でなくなったのは小幡もで、周布が徐々に堀へと近づいていくのを見て取り、斬るつもりだと焦った。事態を収めたいと来島へ視線を向けたが、舞いの意味を悟ったらしい来島も、脇に置いていた剣を引き寄せて堀を睥睨している。 

(まずい。ここで薩摩藩士を斬ったとなれば、長州にとって大事となる)

 何としてもそれだけは避けねばにらぬと、自らも剣を抜いて立ち上がり、同じ様に剣舞いを踊りながら、周布と堀の間に割って入った。

 舞いという趣ある芸の雰囲気など、もうすでに周布にも小幡にもない。堀もようやく斬られると気付いたのか、剣に手を伸ばしてしまう。

 一食触発となった場を窮した大久保は、無言で立ち上がり、周布と堀の間に立った。

 双方を睨み付けた大久保はその場に蹲る。

「薩摩の畳踊りをお目にかけん!」

 そう言い放ち畳をめくり上げ、手の平に載せて頭上に掲げると、クルクルと回し始めたのだ。

 呆気にとられたのは堀もである。まさか大久保がそんな行動に出るとは予想もしていなかったのだから、驚く以外にない。

「一蔵どん・・・」

 緊迫した状況を打開するためとは言え、いつも冷静に物事に対応かる大久保が畳を回したのだ。堀もこれでは上げた拳を下ろさずには居られなかった。

 大久保は幼い頃より虚弱体質であり、それを補うため武芸よりも柔術を熱心に習っていた。薩摩藩の古流柔術には、畳を潜ったり、四、五〇枚の畳をひっぺがして一箇所に積み上げる技などがあったため、とっさに畳を回すことを思いついたのかも知れない。その判断がなければ、恐らく周布と堀は斬り合いとなり、薩長の関係は政変前に劣悪なものとなっていただろう。


「その話しを聞いた時は、周布さんの冗談だと皆で笑ったものだが」

「薩摩でも有名になりましたよ。堀殿が真剣な顔で語ったらしいですが、真偽の程を本人に聞く事はできせん。結局、皆で西郷さんに聞いてもらいたいと頼み込んで、事実だと」

「大久保さんと酒を酌み交わす機会が訪れたら、私も畳を回してみるとしよう」

「・・・冗談だけにして下さい、頼みます」

 湯田御殿へ近くなり、世間話はここまでと笑いを殺した桂は、敬親に黒田を引見させるべく広間へと入って行った。

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