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幕末奇譚 『志士 狂桜の宴』  作者: 夏月左桜
奇譚十五幕 雑然紛然
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其之四 悪縁契り深し

 後ろに女性を従えて部屋に戻って来た龍馬に、後藤は何だと眉を顰めた。

「えっ・・・ええ!?」

 やはり驚くのは中岡一人である。

「な・・・なんで・・・」

「いいから、おんしはちっくと黙っとおせ」

 腰を下した龍馬は、怪訝そうな顔で桂を見ている後藤に手を付いた。

「どうしてもお引き合わせしておきたい方が居たがやき、ここにお連れ致しました」

「坂本。まさかおまえ、女をあてがってこの私を謀ろうと言うつもりか?」

「滅相もございません、此方は-」

 すっ、と桂が両手を付いて後藤を見据えながら頭を少し下げると、射すくめられる様な眼差しを受けた後藤はごくりと喉を鳴らした。

「私は長州藩加判役の木戸準一郎と申します。後藤殿が土佐より御出でになると聞き、僭越ながらご意見を賜りたく国許より参りました」

 身分に煩い土佐藩の人間に対し、役職を口上するのは対等な立場を維持するのに不可欠である。顔色を変えた後藤を見れば、その読みが正しいと知れる。

「どういう事だ、坂本」

「と、わしに言われても困るんですが」

「坂本くんに他意はないと申し上げておきます」

 長州藩加判役と言えば藩主直下の役職であり、側役である。すなわち、目の前に座る桂は、立場的に自分よりも上格になるのだ。その相手から、長崎に来た理由を聞かれているのだから、龍馬が困るより、後藤の方が困った立場になってしまっている。

「・・・長州の方が私に何をお聞きになりたいと申すのか」

「この度後藤殿が土佐を出られたのは、藩主山内公のご意向があっての事にございましょうか」

「・・・・・・」

「正直に申し上げますれば、私も藩主の許可を得て出て参ったのではございません」

「それに同じく、と申し上げる」

「では」

 にっこりと微笑んだ桂は、下げていた頭を上げた。

「ここよりは、国を憂う者としてお話し致したいと存じますが、如何でありましょう?」

「・・・異存はない」

「有難うございます」


 龍馬のため息が、襖を隔てて座る和奈の耳にも届き、ちらりと武市を見る。

「・・・」

 視線を感じた武市は、口に手を当てて笑いを堪えた。


「しょうまっこと冷や冷やさせてくれるお二人ぜよ」

「俺が一番冷や冷やしてますって」

 女装している桂から感じる気迫は並みの武士ではないと、後藤にも判っていた。長州で女装をする者と言えば、京で名高い剣客桂小五郎であるが、目の前に座る人間が同一人物なのかどうか、後藤に判断する材料はなかった。もし、桂小五郎ならば、下手には出れない。剣客としての名声も然ることながら、知略策謀家としても名を馳せているのだ。

「木戸殿がわざわざ長崎へ出て参られたのは、長州征伐に於いて我が藩が、幕府と足並みを揃え、討伐にと兵を上げた真意を問うためであろか」

「土佐が公武合体を国是としているのは長州も承知しております。幕府からの命に従い兵を出すのは、それに倣った対応ではありませぬか?」

「うむ・・・」

「私は後藤殿に恨み辛みを申し立てに参った訳ではございません。家茂殿が薨去し、徳川幕府は混迷を記すと推し量れる時にあたって、土佐藩が国是とした公武合体をどの様に捉えているのかお聞かせ頂きたいだけです」

 長崎で龍馬に会えと言ってきたのは乾である。そう薦めたのは、薩摩と長州が密約を交わし倒幕へと動き出している背景を慮ってのことだ。それは後藤も承知している。ここで薩長と足並みを揃えられれば、弱体化した幕府に大政を放棄させ、諸藩による新しい政治体制の中枢に土佐も加われるのである。

 非公式とは言え、長州重鎮がこうして出向いて来るのは、後藤にとって都合が良いものだが、容堂からは三藩連立で動く許可を取り付けておらず、即座に桂の質問に答える事ができなかった。

「どうやら、先走ってしまった様ですね」

 心を見透かされての言葉に後藤は顔が熱くなるのを感じた。

「過去に於いて、後藤殿は尊王攘夷を掲げた土佐勤王党を弾圧された」

 桂の言葉は、武市だけでなく隣に座る龍馬の顔色をも変えさせた。

「な・・・今、ここで、それを持ち出されるか」

「長州も尊王攘夷を掲げ、御国のため多くの命を失って参りました」

 勤王党の弾圧は、同じ志を持つ長州にとっても他人事で済む話ではない。

「それは薩摩に於いても同じにございます」

 もはや後藤は、桂の真意を探る余裕などなかった。

「貴殿は、何を仰りたいのか!」

「過去の因縁を捨て去る度量が、後藤殿にはございますか?」

「何を・・・」

「ご存知の通り、我が長州も、薩摩の策略によって京から追放を受け、禁門の変以降朝敵となりました。しかし、大事を前に捨て置かねばならぬ事もあると、苦渋を飲み今日に至っております」

「過去の因縁とは・・・」

「あなたの命によって死した者達の怨念は、まだ生きております」

 桂は立ち上がると背を向けて、襖に手を掛けた。

「ちっくとまっとうせ!」

 龍馬の制止も空しく、桂は襖を開け放ってしまった。

「なっ!」

 後藤の驚愕した顔が武市の視界に入って来た。

「た・・・武市・・・」

 片目を失ってはいたが、忘れられる顔ではなかった。その斜め後ろに座る武士の顔もまた、同じであった。

「薩摩と土佐が繋がる前に、過去の因縁を取り除く必要があると考えました」

 殺気を帯びた武市の気が後藤に向けられたので、龍馬は双方の間に入り中腰に身構えた。

「武市・・・なのか・・・?」

 大津で捕縛した土佐者の中に武市と岡田の名前が在ったが、送還されて来たのは間崎達三名だけだった。

 後藤は二人が逃走を図ったと追討を願い出たが、容堂はこれを拒否し、背格好の似た収監者二名を切腹とする事で勤王党への断罪を終らせたのだ。

 後藤の視線が桂へと向けられる。

 ひやりとした眼差しを受け、龍馬が庇うように目の前に座って居る事で、そこに立つ者が桂小五郎本人であると後藤は確信した。

 まだ信じられないと言いたげに、武市へと視線を戻す。

「生きて・・・いたのか・・・」

「後藤殿」

 武市の静かな声が響く。

「私は恨みを申すため、ここに座って居るのではありません」

「な・・・ならばなぜ」

「土佐にとって、私はまだ邪魔者でしかありませんか?」

「邪魔など、始めから思うてはおらぬ」

「ならばなぜ土佐勤皇党を断罪に処せられました!」

「あれは! あの時は・・・おまえ達を押し留めるには力を持ってしか術はなかった。叔父が暗殺された時、私にはそれしか見出せなかった。先に力に出たのはその方達ではないか!」

「私一人を見せしめとして処罰すれば良かったのでありますまいか!」

「馬鹿を言うな! そんな事をしてみろ、おまえを慕う党員共が血気に逸るのは目に見えているではないか!」

「そうと判っているなら、何故我々の話しに耳を傾けてくれなかった!」

「それは・・・」

「上士であろうと、郷士であろうと同じ人間だ。貧困に喘ぎながらも、土佐御国のためと思う者達を、東洋は・・・虫けらとあざ笑った!」

 東洋が土佐の中枢に居ては、身分のない者に未来はなく、また土佐の未来もないと、武市は暗殺を決心したのだ。

「土佐が、薩摩や長州に遅れている事を私は嘆いた。容堂公も尊王攘夷の志を持っておられた方だ。嘆願を続ければ何れ判って頂けると信じていた。決して、力で屈服させようなどと考えていた訳ではない。朝廷からの勅許を以って容堂公がお立ちになられれば、薩摩長州と肩を並べる事ができる。それが土佐の為だと思えばこそ、私は・・・」


 武市の悲しみが痛いほど和奈の心に伝わって来る。

(武市さんが、泣いてる・・・)

 大津で捕らえられていた人達は、武市にとって大切な人だったのだ。

 あの光りの中で感じた時と同じく、ここにも悲しみが充満している。


「おまえに信念があるように、私にも信念はある。容堂公も公武合体には反対されなかった。尊王のお心を捨てられた訳ではない。攘夷に対する見解が変わられただけだ。それを判ってくれれば良かったのだ」

「是非の心、人各々之にあり、何ぞ必ずしも人の異を強いて之を己に同じうせんや」

「!」

 和奈の剣を止めたのは龍馬だった。

「武市!」

 武市と桂は同時に動いた。

「な・・・」

 突然目の前に剣の煌きが見えた後藤は、その場に力なくへたり込んでしまった。

「っ!」

 武市の拳が和奈の鳩尾に入り、その手にしていた剣を桂が捥ぎ取った。

「なんどたとゆうんだ!?」

「前に言っただろうが!」

 龍馬が武市を気にして後藤の前に座っていなければ、その懐に和奈の剣が食い込んでいたのは間違いなかった。

 和奈を抱えた武市は、後ろの部屋の隅へと座り込んだ。

「一体、何が」

 桂は後藤の前に座ると両手を付いて頭を下げた。

「ご無礼の程、申し訳ございません。ですが、これが怨恨が続く理なのです。命を殺めれば、それを大事とする者もまた命を殺めに走る。その連鎖があるゆえ、私は剣を振い力で抑えるのを良しとは致しませぬ。然しながら、多くの者は剣に明日を託している。それが今の世と嘆かぬ為に、立たねばならぬ時期に来ているのです」

「・・・何も私は、自己の為に国是を公武合体へと推したのではない。朝廷に尽くし攘夷を払うその思想は良く判っていた。だが、幕府なくして国は成り立たぬ。徳川家が三百近くに渡り世を平定させて来たのは事実であろう!?」

「その幕府にとって、もはや朝廷は邪魔者でしかないのです。慶喜殿はまだ朝廷を立てるお志をお持ちだが、幕府に威勢を放てるお方ではない。家老によって運営される政権の危険性は、安政の大獄を見れば後藤殿にも判る事でありましょう」

 日本の混乱は、安政の大獄から始まったのだ。

「私が後藤殿にお聞きしたかったのは、過去の因縁に囚われず倒幕へと足並みを揃えるお覚悟があるか、その一点に尽きるのです」

「私が許したとしても・・・武市は・・・許してはくれまい」

「それはあなた次第ではありませんか?」

「っ!」

「心に蟠っていた想いを口にできたのだ、もう何も望む事はない」

 先ほどの激情ぶりとは打って変り、穏やかな笑みを湛えている武市は、言葉通り満足している様に見えた。

「・・・」

 立ち上がった後藤は、ゆっくりと武市の元へ歩き寄った。

「武市」

「恨みがないと言えば嘘になる。しかし、私は死して行った同志達の魂に報いる為、 これからを生きねばならぬのです」

 和奈を抱え、その顔に落としてた視線を後藤へと向けると、武市は目を閉じた。

「後藤殿、身分に拘らず土佐の御為と働く者達の声にも、どうか耳を傾けて頂きたい」

 後藤の目に映る武市は、もはや自分の知る武市瑞山ではなかった。

「すまん、武市! 本当に、すまんかった!」

 頭を畳につけてそう謝った後藤に一瞬驚いた顔を見せたが、武市は笑みを浮かべると、もういいと一言だけ呟いた。


 後藤との正式な会見は後日改める事になり、武市は意識を失った和奈を連れて大浦屋を後にした。

「けんど和太郎にゃたまげた」

「俺も」

 一階に下りて来た二人は、お慶が出してくれたお茶を啜っている。

「これで後藤さんが斬られちょったら、わしは切腹せんとならなかった」

「切腹で済めばいいですよ。長崎で土佐者が斬られてたら、今後の薩摩と土佐、長州の関係がどうなっていたか」

 そこで中岡は思い出した。

「ああっ!」

「いきなり大声を上げるものがやない。吃驚するやか」

「これこれ!」

 懐から手紙を取り出し、龍馬の目の前で振る。

「なんぜよ?」

「大久保さんから頼まれてたんだった」

 耳元で容堂に手渡すように言われたのだと囁いた。

「どうして大久保さんが容堂公に?」

「知りませんよ。俺だって中に何が書いてあるのか知らないんですから」

 かしてみろと、中岡の手から手紙を奪い取る。

「ちょっと、龍馬さん! 駄目ですよ!」

 肘で中岡を突付きながら、龍馬は手紙をばらばらと開けてしまった。

「ああ、もう!」

「・・・こりゃあ・・・おんし、たまげたぜよ」

 実は中岡も中身が気になっていたので、開けてしまったものは仕方ないと、龍馬の肩越しに文面に目を通す。

【乍恐一筆致啓上候 運を以て徳を不得致間敷候 民衆兵士有之改革無之処ニ君主と被申しか  酔わば勤皇覚めば佐幕と揶揄され候へば虚実の段ニ於てハ難量候 唯ケ様の一説なども有之迄の心得尤ニ候程察申 事是世が良君ノ御名を残被遊相願候 不脚してゐらば国が基盤を構築致すか選取可被成下候 然ニ死セざる者ニ於て寛大成る振舞を申上候】

「うわ・・・大久保さん、容堂公に喧嘩ふっかけてる」

「いや、違うぜよ。しまいの一節を見てみいーや」

「遠回しに、桂木さんを許してやれってことか」

 丁寧に手紙を直し、中岡に返した龍馬は腕を組んで首を捻った。

「とゆう事はだ、木戸さんが宗次郎を連れてここに来ると大久保さんは知っちょったが」

「なわけありませんよ」

「むう・・・」

「あれですよ。狐と狸の考えは似てるって事です」

 狐と狸? と、龍馬は笑い転げてしまった。

「僕達を放っておいて、何をしているかと来て見れば」

 二階から下りてきた桂は、店の中だと言うのに遠慮もなくはしゃいでいる龍馬の側へと立った。

「こりゃあー申し訳ないがで」

「僕の用件は終ったから、後は坂本くんに任せるよ。和太郎の事も心配だからね」

 和奈がなぜ後藤を斬ろうとしたのか、龍馬は判るかと桂に尋ねた。

「残念だが、僕にもそれは判らない」

 和奈が口にした言葉に付いてはどうかと聞く。

「あれは・・・吉田先生が書かれた要駕策主意の一節だよ」

「ほう。和太郎は吉田先生の教えを勉強しゆうがかよ」

「・・・近くに晋作も居るしね。桂木くんも、久坂くんから吉田先生の教えを聞いていた一人だ。和太郎が興味を持ったとしてもおかしくはないだろう?」

 そのはずがないと、桂は内心で声を荒げた。高杉にもそんな時間などない、武市とて松陰の書を全て聞かされている訳ではないのだ。

「後藤さんにゃ痛い一言じゃったろう」

「頑なな心を解くには、良い一手だったのは確かだね」

 それを意図して内なる者が発現したのだとしても、剣を抜く事の意味が掴めなかった。



 暗闇の中、微かに漂う武市の匂いに気付いた。

(武市さんだ)

 体に感じる温もりを感じたが、和奈の意識はそこで途切れてしまった。


「?」

 一瞬動いたと、武市は和奈の顔を覗き込む。

「まったく、人の気も知らずに」

 和奈は笑っていたのだ。

「しかし、龍馬が居てくれて助かった」

 土佐の動向が定まっていない今、後藤が死すれば容堂の反発を招くどころか、長州や薩摩に対する敵対心を抱かせる要因となっていただろう。

「皆は、俺を許してくれるだろうか」

 後藤との確執がこれで完全に無くなった訳ではないが、留まっていた時間が少し前へと動き出したのは確かと思えた。

 これから長州側で動いて行く上で、後藤との接触は容堂への足がかりとなった。

 土佐勤王党の汚名を返上し、同志の墓碑に花を手向けられれば、無念の内に死して逝った者への供養にもなるのではないか。

「和太郎?」

 抱えている体が少し軽くなったと、抱える体を見た武市の顔色が変わった。

「なっ!?」

 和奈の体を通り越し、自分の膝が透けて見えたのだ。

「なんだこれは!?」

 まだ体の感触はある。重さも温もりも感じ取る事ができる。

「おい、目を覚ませ!」

 揺さぶっても和奈は反応しない。

 武市の脳裏に、山口で聞いた言葉が蘇って来た。

【この時代の人間ではないんです】

「ま・・・待て!」

 抱えた体を抱き寄せる。

【帰れる方法があるなら・・・帰ろうと思います】

「駄目だ・・・・・帰るな!」

 そう叫んだ瞬間、和奈の重みが消えた。

「和奈!!」

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