其之一 三条制札事件
亀屋へとやって来た土方と近藤に、町で嫌な噂を聞いたと勝は切り出した。
第二次長州征伐の敗退は京にも届けられ、幕府が一藩に敗退したという噂が瞬く間に広まっていた暑い夏の日の事。三条大橋の西詰に立てられている制札が何者かによって引きぬかれ、加茂川へ捨てられていた。
「新撰組が警護に当たる訳か」
「はい。会津藩より警護の任を仰せつかりました」
ふむ。と勝は片手を顎に置いた。
「で、相手の検討はついてるのかい?」
「目下全力で調べております」
足が掴めないのは、ただの浪人じゃないと勝は言った。その制札には禁門の変後、朝敵となった長州藩の罪状が書かれていのだ。長州かそれに組する志士の可能性は高くなる。
勝の推察は土方も近藤に告げていた。
「潜伏する長州志士の仕業かと捜索を続けましたが、足取りが追えぬのを考えると、その線は薄いと考えました」
「朝敵とされた長州に肩入れする藩は少くなくない」
桂と取り付けた合議制の実現をもって、諸藩の矛先を幕府から幕政へと転換させるつもりだった勝だが、慶喜の独断専行により頓挫させられた。止戦という結果は同じだが、その後に続く展開が大きく変わってくる。静観している西国緒藩がどう動くかも、薩摩藩次第という状況に追いやられたのだ。
「加えて、二度に渡る征伐失敗で幕府の権威はがた落ちときた。諸藩が台頭せんと動くのも道理なっこた。まったく、情けねぇ」
新撰組の二人を前に堂々と幕政批判してしまった勝に、土方と近藤は顔をちらりと見合わせた。それを見て、赤井はまたかと肩を落とすしかない。
「徳川家のため、おまえさん達新撰組には頑張ってもらわなくっちゃなあ」
将軍職を継ぐであろう一橋慶喜にではなく、徳川家とあえて勝はそこを強調した。
「心得ております」
複雑な心境のまま、近藤はそう答えた。
「さて、お役目で大変だろうが、今夜はおいらに付き合っておくれよ」
そう言って銚子を近藤に差し出す。
「堅苦しいのは、抜きで頼むよ」
江戸を発つ前、仕事の区切りとして、勝は赤井を制札警護に就けてくれるよう土方に頼んだ。勝から言われてはと、土方もこれを承諾した。
久々に屯所へと戻って来た赤井は、羽織に袖を通して大石の所へ顔を出した。
「元気にしてたか修吾郎!」
入って来た赤井を、大石は嬉しそうに羽交い絞めにする。
「元気ですよ。背中の傷はまだ少し痛むんですから、乱暴しないでくださいよ!」
「そうかそうか! とにかく戻って来て良かった!」
大石のその言葉で、この警護が終ったら江戸に向かうと口に出来なくなってしまった。
「行くぞ!」
土方の大声が響き、三条大橋へ再び制札が立てられるその警護を行なうため、羽織をまとった一団が西本願寺を出て行った。
制札警備を命じられた新選組は、最初に制札が引き抜かれた日から、三条大橋を中心として三方にそれぞれ隊士を昼夜配置させていたが、その警護も空しく二度も警護の合間を抜かれて制札が引き抜かれてしまった。さすがに失態を繰り返すことはできない。とは言え、市中見廻りを欠かす訳にも行かない現状で、更に人員を警備に割く余裕もなく、よって隊士の疲労は日を追うごとに積み重なっていた。
一日も早い解決をと、土方や近藤ら幹部が躍起になるのも仕方がない。
制札を立て直した当日と翌日は、誰も制札場へ近づこうとはしなかった。町人や噂を聞いた旅人も、いらぬ嫌疑がかかってはと高札場のある場所をあえて避けて通るほどだった。
三日後の九月十二日。
土方は大橋の東にある長屋の一つに、大石達十名を、高瀬川東の酒屋に諸士調役兼監察の新井忠雄ら十二名を潜伏させ、原田が率いる十二名を三条会所に配置させた。
物見役として物乞いに扮し、橋の袂に座わる事になったのは二名。伍長橋本皆助は新井へ、諸士調役兼監察浅野薫は一番遠い場所に潜伏する大石へ報せに走る事になった。
「来ますかね」
ぼそりと赤井が呟く。
「さあなあ」
まんじりともせず、大石達は長屋の一つに待機している。
(困ったなぁ)
なにかと面倒を見てくれた大石には事情を話しておきたかったのだが、切り出す切欠を掴みあぐねていた。
河原町通りを橋に向かって歩いてくる影が在った。その数八名。
深夜に集団となってやって来るのだ、橋本も、まさかと思わざるを得ない。もし札を抜くために来たのならと、生唾を飲んで伏せ目がちに様子を伺う。
男達が高札場のところで足を止め、辺りを伺うように見回した。
間違いないと、橋本は腰を上げると気付かれないように角の宿屋の影に入り、裏手を回って新井達の居る方へと大急ぎで走った。
浅野もその男達の姿は見つけていた。だが、大石に知らせに橋を渡るとなれば、見つかる可能性もある。八人が相手ででは一人で防げるものではないと、橋を渡らず加茂川沿いに足を進めると、一気に北へ向かって走り出した。
会所は高札場に一番近い場所に在るが、そこからは直接大橋を見れないため、交代で三条通りを見に出ていた。
器に残っていた酒を一気に飲み干した原田は、腰を上げて外へと出た。
見張りの途中に酒を飲んでいたのは原田ばかりではない。制札を立て直してから二日、なんの騒ぎも起こらなかった事と、深夜となって気が緩んだのもあり、隊士の殆んどが酒を喉の奥へと流し込んでいた。
(ん?)
原田の視界に、橋の方へと歩いて行く男達の姿が入って来た。
建物の影に身を潜めた原田は、男達が通り過ぎるのを待ち、そっと通りへ顔を出した。
(来たか)
立ち止まった男達がきょろきょろと辺りを伺っているのを見て、原田は会所に取って返した。
「出るぞ!」
その言葉に、まったりとしていた隊士達が立ち上がり、各々腰に剣を収め飛び出して行く。
酒屋に居た連中も、原田達と同じく酒をあおっていた。中でも新井は無類の酒好きときており、隊士に止められたにも関わらず、すでに半升近を飲み干してしまっている。
そこへ血相を変えた橋本が飛び込んで来た。
「新井さん! 奴らです!」
泥酔に近い新井の側に行き、橋本はこれでもかというくらい大きな声を上げた。
とろんとしていた眼が焦点を定め、覚束ない足下で腰に剣を差すと、橋本は隊士達と共に酒屋を飛び出した。
高札場へ来たのは、土佐を脱藩していた宮川助五郎、藤崎吉五郎、沢田甚兵衛、松島和助、岡山禎六、早川安太郎、中山謙太郎と土佐藩邸詰めの安藤謙治である。
土佐藩上士の身分で土佐勤王党に入った者が三名が居たが、その内の一人はこの宮川だ。勤皇派旗本である長州藩が朝敵となると、尊王攘夷派の監視の目が一層きつくなった。主でだって動いては捕縛される危険もあり、脱藩の身でその様な事になって土佐へ送還となれば死罪は免れない。それは宮川だけでなく他の者もよく解っている。が、酒の力が宮川達を大胆にしてしまった。連日の制札事件に話しが及ぶと、幕府権威失墜をもっと市中に知らしめてやろうと、逗留先の瓢屋から安藤達と共に三条大橋へやって来たのだ。
藤崎は制札を抜こうと近寄った安藤を呼び止めた。
「ちっくと待て」
そう言って辺りを見回す。
「そう心配せんでもよか。辺りに気配が無いのはわかっちゅうき」
「馬鹿か。新撰組が警護に当たっているんだ。どこに隠れているとも知れんのだぞ」
「そう言っておったら抜くもんも抜けん」
宮川が安藤の肩に手をやり、ニヤリと笑って促した。
「幕府が政を台頭する時代は終ったがだ。新撰組も同じっちゅうことだ」
「じゃあ、さっさと抜いて引き上げましょう」
安藤が制札に手を掛けようとした時、背後から足音が響いて来た。
「てめぇら、動くんじゃねぇぞ!」
振り返った宮川は、抜刀しながら走ってくる新撰組の羽織を見て取った。
「ちっ!」
宮川達も一斉に剣を抜き放った。
「手向かうなら、容赦なく斬る!」
原田は一番外側に立って居た藤崎へと斬りかかった。
「くっ!」
藤崎は横に居た宮川に逃げろと叫ぶ。
「他のもん連れて行ってくれ!」
「逃がすか!」
西側へと駆け出した松島達は、橋本から報せを受けて駆けつけて来た新井に行く手を阻まれてしまった。
「わしが引きつけちゃる! 逃げれるもんは逃げろ!」
宮川はそう言うと新井に向き直り、中段から斬り込んだ。
「安藤、逃げろ!」
そう叫んだ宮川は、安藤の奥で奮闘していた藤崎の体に原田の剣閃が走るのを見た。
「藤崎!」
その隙を逃さず、新井は宮川の肩から左腕へと剣を振り下ろした。
「宮川さん!」
安藤の体にもすでに無数の斬跡があり、相手の剣をなんとか防いでいる状態だった。
「に・・・げろ!」
宮川の体が崩れ落ちるのを見た安藤は、踵を返すと一気に走り出した。
追いかけようと走り出した隊士達だったが、酒の回った体は迅速に動いてはくれず、何本かの通りを過ぎた所で安藤を見失ってしまった。
大石が現場へとやって来たのは、安藤達がすでに逃げ去った後だで、転がる死体と重傷を負った宮川を見れば、出遅れて捕縛に失敗したと言う事は明白だった。
高札場で、制札を引き抜こうとした土佐藩士八名の内、藤崎は即死。宮川は深手を負って捕まり屯所へと連行され、松島和助、沢田甚兵衛、岡山楨六、早川安太郎、中山謙太郎らは、何度か匿ってくれた薩摩の屋敷の一つに逃げ込んていたが、安藤は五人と共に行かず土佐藩邸へと戻って行った。
屯所へ戻った大石は、縁側で片膝を揺らし座って居る。
「大石さん」
「ああ? 修吾郎か」
「元気ないですよ」
「そりゃそうだろうが。ここぞって時に何もできなかったんだ、腹の虫が騒いで仕方ねぇんだよ」
大石に報せに走る浅野が遠回りした事によって、現場への到着が遅れたのである。そのせいで、新撰組は六名を取り逃がしてしまったのだ。
「くそがっ!」
足を思いっきり踏み下ろした。
江戸行きを話すのは無理だなと、大石をそのままに自室へと引き上げた赤井は、荷物を纏めるべきか否か、部屋の中央に座って考えてる事にした。
「居るか?」
土方の声だった。
「はい」
「邪魔するぞ」
気まずかった。それは土方も同じらしく、赤井の前へと座ったはいいが言葉を見つけあぐね、畳へと視線を落としてしまっている。
「あの、すみませんでした」
まずは謝るしかない。
「ん? ああ、あれは浅野が出遅れたせいだ、気にするな」
「いえ、それじゃなくて、その、勝さんの方なんですけど」
「! ああ・・・そうか」
「黙ってたのは、別にまずいとかそんなんじゃなくて、必要ないと思ったからで・・・」
上手く言葉が出てこない。
「ったく。勝安房守だけでも驚きだってぇのに、天璋院まで出されたんじゃあな」
「あの、戻って来ていいんですよね、俺」
「その気はあるんだろ? 勝殿も許可したんだ。いいだろうよ」
「ありがとうございます! あ、でも、この間の事は、お三方だけに留めてもらえませんか?」
「そのつもりだ。あんな名を言い振り回されて居座られたんじゃ、たまらんからな」
帰る許可はもらえたのだ、なら荷物を置いておく方がいいだろう。
「隅っこでいいんで、戻るまで頼みます」
「部屋はこのままにしておく。会津藩の命で江戸に上がった、と言うことにしといてやるから、ちゃんと戻って来いよ」
「はい!」
近藤は土佐藩へ使者を走らせると、その足を宮川が監禁されている部屋へと向けていた。土方も赤井の所に寄った後に姿を見せた。
「今、土佐藩へ使いを出した」
松本の治療を受けたとは言え、傷で体が痛むはずなのに正座で宮川は座っていた。
「なぜ制札を抜いた?」
「間違えてもらっては困る。我らは制札など抜いてはおらぬ」
「斬り合いをやらかしたのに、今更言い逃れか?」
「先に剣を抜いて来たのはその方らではないか。我らは身を守るため剣を抜いたまでだ」
ちっ、と土方の舌打ちが響く。
確かに制札が地面から抜かれようとした形跡は残っていなかった。安藤がただ制札に手を伸ばしただけなのである。これが、近藤と土方にとって宮川の処遇に困る事態となっていた。引き抜いた所を押さえていれば、奉行所に下手人と突き出す事ができたのだが、未遂で、しかも大立ち回りの原因が新撰組からとあっては、下手に奉行所へ引き渡す事が出来ないのだ。
身柄の引渡しについて土佐藩へ問い合わせたのも、そんな経緯があったからである。
「脱藩した身と言えど我は武士だ。武士たる者が生け捕りの屈辱を受け、あまつさえ土佐藩へ引き渡されて恥など晒すわけにはいかぬ! 直ちに我が首を刎ねよ!」
武士として屈辱を晒してまで生き延びるつもりはない、その言葉に土方までもが絶句した。
先の三件の制札引き抜き事件には関与しておらず、酒に酔って通りかかったところへ、新撰組が斬りかかって来た。という宮川の供述通り奉行所に報告された。
二日後の十四日。
制札が抜かれる事もなく幕府の面目も立ったと、新撰組に二百両の報奨金が出る事となった。
宮川の処遇について、土佐藩が出した返答は、脱藩した者の所業であるとし、引き渡されても困るので斬首にでもなんでもすればいい、というものだった。
この返答に近藤は困った。
「だからと、斬首にするわけにもいかん。脱藩前は土佐藩上士の身分だったと言うしな」
土方を前にして苦慮する近藤は、どうしたものかとため息ばかり吐いている。
「奉行所も引き渡せとは言ってきてないんだ、もう一度土佐藩に使者を出すしかないだろう」
「それはそうなんだが・・・」
「俺が土佐藩へ行って来る」
土方はそう言って部屋を出て行った。
「やれやれ」
土方を見送った近藤は、原田と新井の二人を部屋へと呼んだ。
「今回はご苦労だった。会津藩からも報奨金が出るそうだ。各自へ報奨金を手渡すが、その場にいたのは・・・原田の隊と新井の隊でいいんだな?」
「その報奨金、見張りについてた者も含め、皆に分けては頂けませんか?」
ん? と近藤は原田を見やった。
「六名も取り逃がしてます。俺も酒を飲んで、逃走する奴らを追えませんでした」
「それならば、私もです。いや、本当にすみませんでは済まない」
「そうか。おまえ達がそう言うならそうしよう」
全員に報奨金が分配されると聞いて怒ったのは大石だった。
「俺達は何もしてねぇよ、原田さん!」
「だから酒飲んでた俺達も悪いって言ってるだろう。素面なら、あんな奴ら取り逃がす醜態なんかしなかったんだしな」
「なら、浅野は外してくれ!」
見つからないように遠回りをした結果、大石達が遅れることとなり、宮川達を完全に包囲する事ができなかったのだ。原田と新井がいくら酔っていたとはいえ、包囲さえ出来ていれば残りの六人をみすみす逃さず取り押さえられていたと、大石は食って掛かった。
「だが、報せには走っただろう? 逃げた訳じゃないぞ、大石」
「それでは俺の気がすまん!」
「だったら近藤さんに直訴して来い。俺が決める事じゃない」
浅野が執った行動は、すでに隊内にも伝わり、影で誹り合う声も多くなり始めている。そこへ大石が顔を真っ赤にして来たものだから、近藤も待てと場を凌げなくなったのだ。
「確かに浅野の行いは新撰組として見るならば、臆病者と罵られても仕方ないが」
「これが大物だったら新撰組の面子は丸潰れです!」
「解ったから、そう怒鳴るな」
近藤は、浅野を新撰組にそぐわない者として追放すると決定した。勿論、会津藩から出た報奨金の分け前も分配される事は無かった。そして五日後の十九日。
土佐藩から祇園社近くにある栂尾亭に招きたいと、土佐藩邸留守居役の荒尾騰作からの文が届いた。
宮川の身柄については乾退助と会津藩の諏訪常吉の間で、土佐藩への引渡しが取り決められから、招きを出した。
乾としては宮川を町奉行に手渡すより、中岡の陸援隊に匿う意向だった。
「しかし、中岡の所へと言うのは考えものですぞ」
中岡も新撰組の手配書に載っている。制札事件に関わった宮川をその側に置くのは危険と、荒尾は注進した。
「会津も此度の件については納得してるんだよ。札を抜いたわけではないし、宮川くん達が先に手を出したわけでもない。元上士である彼を町奉行に手渡す義理などありはしないじゃないか」
「大殿に知れたら如何致すのですか」
「なに、それはそれ、これはこれ。心配には及ばぬ」
そう乾が強気に出れるのは、後藤象二郎が側に付いているからである。宮川一人の身柄を匿ったとて、後藤の説得があれば容堂も事を荒立てる事はない。
「私は表に出ぬゆえ、恙無く事を進めてくれたまえ」
「まったく、乾殿には適いませぬ」
荒尾は、乾から指示された通り事を進めると約束し、藩邸を後にして祇園へと足を運んだ。
栂尾亭にて饗応を受けるのは近藤と土方、伊東と諸士取扱役兼監察方の吉村貫一郎である。吉村は監察として同席を求められていた。
「遠慮なく奥へお座りになって下さい」
荒尾は近藤達を座敷の中へと招き入れると、上座へと勧めた。
「とんでもございません。こちらは荒尾殿が座るべき場所、我らはこちらへ座らせて頂きます」
やはりここでも伊東は口を出さずには居られない様だった。
荒尾は、それでは、と上座に座り、近藤達が座るのを待ってから口を開いた。
「此度の件、土佐藩としても遺憾を覚えておる次第と、まず申し伝えておきます」
そう言いながら、顔に苦渋の色を浮かべる。
「脱藩したとは言え、宮川は元上士。それ相応の対応をして頂いていると、会津藩の諏訪殿より聞いてもおります」
言葉は丁寧だったが、すでに土佐は会津と連絡を取っている。そう念押しされた形である。
「宮川の引渡しは一両日中にでも行わさせて頂くとして、まずは皆様に此度の謝罪と労いも兼ね、お招きさせて頂いた」
「出たのは我々ではなく、隊士です」
こら、と言わんばかりに伊東が土方を睨みつける。
「それは十分承知しております。本来でしたら隊士の皆さんを招きたいのが本音。だが、事が事だけに、局長である近藤殿にご無理を願い、参謀方と副長である土方殿をお招きしたのです」
「口が過ぎる男ゆえ、無礼が多いかと存じますが」
「なに、気になされず。酒の席です、ここは堅苦しい事は言わぬようにと、私も仰せつかって来ております」
それならば、と土方は逃走した六名についてどうなったのか、荒尾に問いかけた。
「事件のあった夜、安藤鎌次が土佐藩邸へと戻って参りました。事情を聞くと、酒に酔って高札場を通りかかり、新撰組の方々と斬り合いになってしまったと。事情はどうあれ、制札事件の事は安藤も承知していたはず。それを酔ったからと近寄ったあげく、斬り合うとは以っての外。脱藩していた者達も一緒だったとの事にて、後日、切腹を申し渡しました。あとの五名について、まだ潜伏先などは解っておりません。ああ勿論、土佐藩としても行方を追っております」
つまり、安藤は身内によって口を封じられる形となったのだ。他の五名にしても、居場所を知らないと言うも、納得できるものではなかった。
「潜伏先が解るようでしら、それ相応の処罰を致します。諏訪殿にもその旨、町奉行に伝えて頂くよう申し述べております」
会津を巻き込んでの対応では、宮川を責立て自白させる事も叶わない。
「荒尾殿も色々と手を尽くして下さった事ですし、この件はこれで終結、と言う事でよろしいんじゃありませんか?」
「参謀殿もこう言うんだ、異論はないでしょう」
怒気の篭った土方の声に、近藤は、ああ、と答えた。
伊東の言葉を受け、荒尾は今回の事件の話しをこれまでとした。
そして、悶々としたままの土方を後ろに、近藤は落ち着かない酒を、夜更けまで飲むことになった。
宮川の身柄引き渡しについて会津藩から報せを受けた町奉行は、老中の板倉勝静に報告を上げた。
しかし板倉は、いくら札を抜いていないとはいえ、下手人の手掛かりとなるかも知れない人物を引き渡す事はできないと、新撰組に拘留されていた宮川を町奉行所へ移してしまった。
宮川を京から連れ出す為に戻っていた中岡は、引渡しが拒否たれた事で肩透かしを食う事になり、暫くの間、土佐藩邸での滞在を余儀なくされたのである。