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幕末奇譚 『志士 狂桜の宴』  作者: 夏月左桜
奇譚十四幕 脚下照顧
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其之一 止戦協定

 厳島に着いたが、すぐ交渉とはならなかった。

 数日たっても知らせが来ず、遠翠楼で退屈な日を過ごしていたのだが、この二日ばかり、料亭の周りを、長州兵ではないかと思われる男達がうろつき始めた。

 お陰で赤井はなかなか眠れず、外を警戒しながら二回目の夜を明かしていた。

「落ち着くこった。向こうさんも、殺る気で来てるならとっくに襲って来てるだろうからよ」

 勝は暢気(のんき)にも、料亭の老婆に毎日髪を結ってもらっている。

 三日目となったこの日、大慈院を借りて止戦交渉を行うと、報せが届いた。

「やっときなすったか。修吾郎、おまえさんも付いてきな」

「和議交渉って、重要な話し合いですよね。俺なんかが行ってもいいんですか?」

「相手さんも三人だそうだし、いいんじゃないかい?」

 いざって時は守ってくれよと、勝は大きな笑い声を上げた。

「三人って、無理です」

 一度言い出したら引かないのが勝だと判ってきたので、素直に従う事にした。

「髪結ってる場合じゃないと思うんですが」

「おいらの首なんざ何時斬られてもおかしくないんだ。死に恥をかかないように、整えとくんだよ」

 その言葉に驚いた老婆は手を止めた。その手は震えてしまっている。

「ああ、すまんね、つまんねぇこと言っちまった」

 勝はいつ何時も慌てる事はせず、落ち着いて行動する。そんな勝が、斬られる覚悟でこの厳島に来ている事を、その時初めて赤井は知った。

「ほんと、縁起でもないですよ。勝さんが首取られるって事は、俺もう死んでるじゃないですか」

 追討ちを掛けてしまったらしく、老婆は結った髪を確かめもせずそそくさと部屋を駆け出して行ってしまった。

 用意が終って遠翠楼を出た二人は、ゆっくりと景色を見物しながら大慈院へと足を運んだ。


 直接交渉に当たるのは井上多聞と広沢兵助の二人だ。広沢兵助は桂の同僚であり、事前に桂と交渉の内容について話し合っている。

 武市と和奈は桂と共に隣室で話しを聞くだけとなる。が、勝の話しの内容如何では動くつもりでいた。


 勝が書院の一室に入ると誰も座っておらず、障子の開いた縁側で井上と広沢の二人が座しているを見つけた。

「なんでぃ、そんなところに座ってないで、こっちへ入っておくんなせぇ」

「いえ、我らは陪臣の身ゆえ、ここにて失礼させて頂きます」

 これには勝も困った。

 勝は負けた幕府の代表として、止戦交渉をするためにこの場に来ており、縁側に座すのは勝者となった長州の代表なのだ。このまま話しをする訳にもいかなかった。

「そんなとこじゃ難しい話しもできないだろ? おいらは腹を割って話しに来たんだ、遠慮なんざいらねぇよ」

「同席は恐れ入りますゆえ」

 どうしても二人は座敷へ入る気はないようである。

「そうかい。じゃあ、ちっと失礼させて頂くよ」

 そう言った勝は、足早に縁側へと出て行くと、井上と広沢の間にドンっと腰を下ろしてしまった。

 面食らったのは井上と広沢だけでなく、赤井もである。

 どうしたものかと思うが、ここは勝の行動を見守るしかない。長州の二人が動けば、斬れる位置にだけは近寄った。

「おいらはあんた達に命令しに来た訳じゃない。話しをしに来たんだ。座敷が嫌だというなら、ここで庭でも見ながら話すのもいいさ」

「これは困った」

 そう笑ったのは井上だった。

「春山さん、ここは中へ入ったほうがいいんじゃないですか?」

 広沢の声にも笑いが混じっている。

「では、失礼させて頂きます」

 無表情で縁側に座っていた二人は、一瞬にして表情を緩め座敷へと入ると勝と対峙して座りなおした。


 隣室に居た桂も驚いた。

 まさかこういう手で出てくるとは考えていなかったのだ。


「そうだ、確かあんたはあん時のお人だね」

 片眉を上げた勝は、座った二人の内の井上を見て考え込んだ。

「ああ、そうだ」

「その節は突然の訪問にも関わらず、諮詢(しじゅん)を受けて頂きました」

「そうそう、そうだった」

 アメリカへ渡米した際その海軍を目の当たりにして来た勝の持論は納得いく事ばかりで、勝の持つ知識の素晴らしさに感嘆したものだと、井上は当時の様子を思い出した。


 家茂が上洛した折、井上は海軍塾生が集っていた大坂北鍋屋町の専称寺で勝に会った事がある。

 幕臣であり開国論を唱える勝が、誰と構わず訪問する者に接し、海軍の必要性を説いているとの風潮を耳にして話しを聞きいてみたいと訪ねたのである。

 兵庫警衛についていた長州に、今は兵庫に長州兵を割いている場合ではなく、夷国船が往来する国許下関の守りを強化すべしと説いた。また、ロシアやフランス、イギリスがその港を狙っている対州についても同じだと言った。

「長州は自国の守りに徹しなさるほうが、今後を考えるなにいいにきまってやね。公儀に兵庫での御役御免を奏上し、下関と対馬が置かれている危険性を説いていると、おいらが言ってた申し上げればいい」

 兵庫はどうするのかと聞かれたら、摂海防衛については海軍局を創り、それに必要な造艦所などの施設も創るなどの策を講じるべし、と朝廷へ申し出てほしい。そう勝は井上に頼んだのである。

 井上は固く約束して専称寺を後にした。


 赤井は縁側よりで、勝の背中が見える位置に腰を落ち着けた。 

「横に居ますのは広沢藤右衛門であります」

「某は勝海舟と申します。後ろにいるのは随行の赤井修吾郎です」

 

 その名前に和奈と武市が顔を見合わせた。

 桂が言っていた面白い人物とは、赤井だったのだと知る。


「さて、早速だがおいらがここへ来た目的を遂げさせて頂くよ」

「この度の戦の止戦を締結したいとの事は聞き及んでおります」

「それなら話しは早い。止戦条件の一つ、幕府は小倉、芸州、石州から征長軍を撤退させる」

「それについては異存ありません」

「撤退の際、長州軍は追撃せず兵を引いて頂きたい」

 ここまでは桂も想定した内容だ。双方が兵を引けば自ずと戦は終る。

「兵を引く代わりに、浜田など、長州が占拠した領地を返還して頂きたい」

 これには井上も広沢も、桂の意見を聞くまでもなく難色を示した。

「諸藩は幕府の命に従って征伐に参加しただけだ。命とあっちゃ、動かない訳にはいくまい? 長州とて、無闇に諸藩の反感は買いたくないだろう?」

「その事については、私共の一存で返答できる内容ではありません」

「お二方は長州代表としてこの場に居なさるのだと、おいらは思って話しをしてるんだがね。違うと言うなら、話しの出来る人間をここへ連れて来てくれねぇかい」

 そう言い、勝は左手の襖に目をやった。

 桂がそこに居るのを、勝は知っているのだと井上は思った。

「おいらはね、いつまでも同じ国の中でいがみ合う時期はもう終わりだと、そう思ってるんだよ。列強国と対等に膝を付き合わせるには、各藩に勝手な行動を取らせず、合議制の実現を取り付けた上で、封建的分割を廃止して日本と言う国を一つしなくちゃならねぇ。そちらはそう思いなさらんか?」

 その言葉は明らかに桂に向けられている。

「幕臣である勝殿が、あえて幕政批判ですか?」

「批判じゃないよ。いや、批判になるのか。まぁどっちでもいいさ。さっきも言ったが、おいらは腹を割って話しがしたいと思ってる。そちらさんも、そのつもりで聞き耳立ててくれるなら嬉しいんだがね」


 すっ、と襖が開いた。


 勿論、桂が出るなど井上も武市も思っていなかった。話しの流れによっては、井上が席を外す手はずとなっていたのだ。

 赤井も桂が出て来たので目を丸くしている。そしてその目が、後ろにいる和奈と武市を捉えた。

 桂は静かに歩いて行くと、井上の横へと座った。

「やっと出てくんなすったかい」

「お久しぶりにございます、勝殿。この様な形で拝謁賜ります事、お許し頂きたく申し上げます」

「気にする事はないよ。立場が立場だろう? すんなり出てもらえるとはおいらも考えてなかったさ」

「しかし、非礼は非礼、その旨お詫び致したいと存じます」

 桂は手を付いて少し頭を下げた。


 井上が勝の所を訪れた翌日、桂と山縣が専称寺へとやって来た。二人にも井上に話したと同じく海軍の必要性を説く姿に、幕臣にはない思慮深さを持っているのに驚いた。

 開国論を唱える傍ら、夷国に対する準備は絶対不可欠だと説く。内を堅め、外敵からの攻撃にも屈しない力をつけなければならない。

「今夷国艦隊に攻撃でもされてみな、沿岸に設置されている砲台では、とてもじゃないが太刀打ちできたもんじゃねえ」

 夷国が攻撃などして来ても、数万の歩兵がいるのだから大事ないと何もせずに居れば、攻め込まれる。内事に力を入れ、海軍の増強を図り絶対防戦を敷けば、清国のように攻入むことは日本に於いては出来難いと攻めあぐねる。力には力で対抗し、同位の立場で今後の折衝を行わなければ、確実に日本という国はなくなってしまう。

「だから言って、奴さんの持つ技術は捨て置けるもんじゃない」

 アメリカやヨーロッパに下僕のように従うのではなく、対外との交易で益を生ませ、武器や航海術、軍艦の新技術の修得しそこに日本に培われてきた兵法を取り組み一大共有の海局を創らねばならない。

 出遅れている医術についても、蘭学・蘭方医学はもちろんの事、洋学・西洋医学も学び国学をもっと発展させる必要が有る。そのための開国を望んでいるのだと語る内容に桂も同意を覚えた。

 そしてさらに後日、桂の話しを聞き、尊攘公卿として名を馳せていた姉小路公知が、勝の話しを聞いて兵庫を巡視したいとやって来た。

 尊皇攘夷派だけでなく、家茂もまた、実際に蒸気船へ乗り航海する中、勝の話す海軍必須を痛感し、摂州神戸村に海軍局創設の許を下していた。

 家茂の全面的許可を得て創設神戸海軍操練所は、禁門の変後、保守派から疎んじられていた勝は軍艦奉行を罷免され蟄居(ちっきょ)の身になると、閉鎖へと追い込まれてしまっていた。

 

「話しは聞いていなすったろ?」

「はい。しかし、浜田藩と小倉藩で我が軍が占拠した領地については、現段階ではまだ返還できない、とお答えするしかありません」

「深意は解らないこともないが」

「勝殿はさき程、合議制の実現、と仰った。ならば両藩の領地返還はその実現を持ってお約束するものとしたい」

 抜け目がないと感嘆を感じずには居られなかった。

 大久保だけではない、この桂もまたこれからの日本を背負って立って行く男なのだと、そう思えた。

「なら、もう重ねて言う必要はないね」

「では、双方の撤退を持って止戦、それで宜しいでしょうか」

「ああ、責任をもってさせるよ。ああ、そうだ。捕虜になった幕兵だが」

「そちらも撤退に合わせお引渡しさせて頂きます」

「一手も二手も良く考えられていなさる」

「それは勝殿とて同じでありましょう。この度の会談、まさかあのように始められるとは、私も考えてはおりませんでした」

 ちりちりとした殺気が体に纏わりつく、と桂は少し口元に笑みを浮かべた。

 その殺気で、和奈と武市も動ける状態には居たが、桂までの距離が遠い。

「修吾郎、おまえさんはじっとしてなよ」

 釘を刺した勝は、正座していた足を崩し胡坐を組んだ。

「書付を用意するかい? 桂さん」

「できればそう願いたい。勝殿を信用していない訳ではありませんが、この場に居ない者には、口約束だけでは納得し兼ねるでしょうから」

 赤井、和奈、武市が神経を尖らせる中、勝と桂は幕軍と長州軍の双方撤兵を止戦条件として書留め、それぞれが朱印を押すことにより、この日をもって第二次長州征伐の止戦協定が締結された。

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