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幕末奇譚 『志士 狂桜の宴』  作者: 夏月左桜
奇譚十三幕 相即不離
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其之一 変転

 小倉城が火に包まれた日より時は遡る。


 長府下関から津和野の宿場町に戻った大石が土方の前に座ったのは、松島が発ったその夜の事だった。

「仏蘭西の軍艦だと?」

 もっと詳しく調べようと小倉へ渡ることを考えたが、戦時下である。往来する船一隻たりとも見つける事ができなかった。

「奴らにとってはいい稼ぎ時ってことか」

「それは難しいでしょう、仏蘭西と手を繋いでるのは幕府ですよ? 九州はもっぱら英吉利と仲がいい国柄です。肥後藩がいい例じゃないっすか」

「あの小笠原だ、何を考えるか解ったもんじゃねぇ」

 もしフランス軍に助力を申し出てたら、必ずイギリスも出て来る。下関で起こる戦禍の拡大は予想を超えるものとなるだろう。

「それだけは避けなきゃならねぇってのに、あの馬鹿家老が」

「ここだけにしてくださいよ、その馬鹿ってのは。それにまだ小笠原が援軍を頼んだとは決まってない」

「可能性はある」

「それはそうですがね。ああ、それより面白い事があります」

 大石がにやりと笑い、坂本龍馬ですよ、と言った。

「坂本だと?」

「ねたでもないかと、酒を肴に町人と飲んでたらいい気分になったんですかね、饒舌になりだして、土佐弁を使う浪人が下関の庄屋に出入りしていると言い出したんでさ」

「奴は馬鹿か?」

 聞く者によっては、土佐弁を堂々と使う、それだけで坂本龍馬ではないかと疑ってかかる。

「西郷伊三郎と名乗ってますが、特徴は一致するし土佐弁だし、ほぼ坂本に間違いないと思います」

「西郷ねぇ」

 大石の推論は当たっているだろう。

「ただ、確たる証拠はありません」

「十分だ」

「あ・・・」

 気の抜けた声を出した沖田は、天井を仰いだまま固まっている。虫でも見つけたのかと二人も顔を上げる。

「武市半平太」

「幽霊でも見えたか?」

「隻眼の男です・・・あれ、武市ですよ」

 以蔵の次は武市かと、なぜそう思ったのか土方が聞く。

「京で手合わせしたのが最初です。なのに、僕の太刀筋を知っていた」

 間合いを取らせてもらえず、芸州でもそうだったのだ。

「芸州ではご丁寧に僕の名前まで呼んだ。岡田が生きているなら、武市が生きていてもおかしくないでしょう?」

「土佐はそれを知ってる」

「だと思います。別人の首が晒され、公で死者となれば幕府からの追っ手はなくなる」

「裏で動かすには都合がいいか」

 藩ぐるみで偽証に走られれば、幕府とて嘘偽りだと責め立てる事はない。手配が解かれれば当人への監視も緩む。

「何を狙ってるかだな」

 長州と薩摩が繋がり、そこへ土佐が加われば静観している諸藩のいくつかは動くだろう。

「それが解れば苦労しませんよ」

 確たる証拠が要る。と土方は思った。大石の言う坂本も推論、沖田が語る武市にしてもその域を出ていないのだ。

「伊東さんの動きも気になるところですしね」


 大目付の永井尚志は、小笠原が宍戸に訊問する数日前、長州ニ家老らを招聘(しょうへい)しに長州へ入り、両家老が病のため代理である宍戸と共に芸州へと舞い戻った。

 その後は小笠原の独断場となり出る幕がなく、戦が始まって小笠原が小倉へ行ったと同時に、伊東を伴って京に帰ってしまっている。


「なんで伊東の野郎が大目付と一緒に仲良くやってるのか」

「こっちも裏がありますよ」

 ともかく推測じゃなにもできないと、土方は不満を顔に浮かべたまま横に眠る赤井に視線を落とした。

「大石、すまんがしばらくここで赤井を看てやってくれ」

「京に戻るんですか?」

「ああ。帰って近藤さんを安心させたいからな」

「承知。赤井が動けるようになったら戻ります。ちゃんと説明しといて下さいよ。戻るなり切腹沙汰になるのは勘弁ですから」

 翌日の早朝、土方は沖田を連れて津和野を発って行った。

「おまえとこうして二人になるのは久しぶりだよなあ」

 四番隊組長を引き受け、幹部扱いされた赤井が大石とゆっくり会うのは、個室をあてがわれから稽古以外ではなくなっていた。

「なんか、俺が怪我すると大石さんが看病する羽目になってますよね」

 そう言われたらそうだなと、嬉しそうに笑う。

「仕方ないだろう。万が一刺客なんざやって来てすぐ対処できる人間なんざ、隊にはそういねえんだ」

「刺客、ですか」

「そういやあ、なんで桂はおめぇを殺さなかったんだろうな」

 それはこっちが聞きたい。

「楠は桂の命令で動いておまえを狙った、これはほぼ間違いない。土方さんもそれは覆してない。いい場面だったってぇのに、首も落とさず背中を斬りやがった・・・そうか、動けなくするためか」

「?」

「あの状況じゃ、足手まといになるおまえは必然的に見捨てられる。そう踏んだ。まあ、相手が土方さんだからな、当てが外れたんだろう」

「つまり、土方さんが居なきゃ俺は今頃長州に居たってことか」

「だろうな。ほんとになんも心当たりがないのか?」

「あったら言ってますって。俺だって自分の命はおしいですから」

 だよなあ。と、顎に手を当てて考える大石だが、結局なにも浮かんでは来なかったらしく、ごろんと赤井の横に寝っ転がってしまった。

「あの長州のちび」

 ちび?

「ありゃあ、なんなんだ」

 和奈のことだろう。それを一番聞きたいのは赤井だった。

 芸州で見せた豹変を一番驚いたのも赤井だ。現代にいた頃の和奈は、あの剣捌きの片鱗すら露ほども見せた事がない。

(いや、一度あったじゃないか)

 錬兵館で一度、和奈の剣に驚いたことがある。あの時、朔月がなにかしら和奈に囁き、太刀筋が変わったのを思い出す。

(なんだ? 何を言った?)

 赤井はある事に気付いた。

(朔月さん、桂さんに似てないか?)

 物腰といい話し方といい、雰囲気が良く似ている。顔こそ違うが、シルエットだけ見ると見間違うかも知れない。

【剣を振るう身になったとしても、決して心を惑わすな。己の信じた想いを捨ててはいけない】

(まさか!?)

 朔月は、和奈が時代を超えて幕末に来る事を知っていた?

 仮説はいくらでも立てられる。仮説と言っても実際に時を越えてしまった以上、仮説が現実のものとなる可能性は大いに有る。

 あの時、桂の許に残るべきだったと、赤井はため息を天井へ向けた。


 京では諸藩の動きが慌しくなっていた。

 安芸国広島藩主浅野長訓や備前国岡山藩主池田茂政、阿波国徳島藩主蜂須賀斉裕などが、征長軍解体の建白書を孝明天皇に提出したのである。

 池田は水戸藩主徳川斉昭の九男であり、兄弟に慶喜が居る。また蜂須賀も、外様藩主の養子になったとは言え、徳川家斉の二十二男だ。

 水戸藩縁の者と徳川縁のものが(こぞ)って解隊の建白書を出してきたのだ、悩みの種となるのは仕方がなかった。

 建白提出には孝明天皇も頭を痛めた。

 朝廷では孝明天皇を始め、賀陽宮朝彦親王、二条斉敬が征長軍の続行を主張していたのだ。

 追討ちをかけるように、薩摩藩からも解隊の建白書が出された。


 大久保は薩摩に居る西郷と緻密な連絡を取り合い、久光が漸く同意を示し、この運びとなった。

 藩意が確定し、建白書を出した大久保は、洛北に在る岩村の許を訪れていた。

「愚たる所業に呆れてものも言えぬ」

 大久保を前に、岩倉はそう吐き捨てた。

 岩倉は諸藩と同じく長州藩との和解と征長軍の解体に賛同していた。

「逆賊となったとは言え、長州は勤王を掲げていた藩ではないか。禁門の変はまこと遺憾だが、事情を汲めば寛大な処置も必要であろう」

「暴虎馮河の兵たるのが、あの頃の長州でしたゆえ。しかし、事を逸るばかりが術ではないと悟った者もおります」

 俗論派討伐以降は桂が藩政に大きく関わるようになり、国是を倒幕へと傾けてからは、毛利敬親も慎重な動きを見せている。

「家茂公が薨去された事はまだ公にはなっておらぬが、いずれは知れる事也。そうなれば幕府内外問わず更に問題も出てこよう」

「そろそろお戻りになられる時かと存じます」

「言うのは容易いがな、大久保よ」

「時期を逸するのもまた否めませぬ」

「然もありなん、賀陽宮らの行いは承伏できぬ。賀陽宮のみならず一橋や松平の言葉をも孝明天皇は鵜呑みにされている始末なのじゃ」

「では、動かれると?」

「中御門経之殿もすでに賛同し、孝明天皇への働きかけを行うと申してくれた」

「しかし中御門公は倒幕派、二条様や賀陽宮様が孝明天皇への目通りを、そうすんなりと適えられるとは思いませぬ」

「何事も表だけでは、上手く運ぶものも潰れると言うものよ」

 何かしらの工作を既に岩倉が取っている、そう大久保は判断した。


 家茂の薨去後、一番大変だったのは幕府である。

 将軍後継に一橋慶喜が推されたが、田安亀之助(後の徳川家達)を推す大奥が中心となっている反慶喜勢力の存在と、水戸藩からの反感もあると将軍職を固辞したのである。

 ただし、徳川宗家の相続は受け入れたので、朝廷からの勅許は降りていた。

 老中らは毎日の様に将軍職に就いてくれる様に足を運んでいたが、慶喜の気持ちを変える事はなかなか出来ずにいた。

 ごたごたとした中、諸藩から征長軍解体の建白書が送られて来たのだ、老中達が苦難を極めたのは仕方のないことである。

 混迷の中、将軍職を固辞していたにも関わらず慶喜はどういう心境となったのか、勅許を得ると親征を示した上で、長州大討伐出征を宣言したのである。

 松平春嶽はこの大討伐に反対論したが、長州を屈服せねばならないという一念で、慶喜は反対論を退けてしまった。

 だが時はすでに遅く、長州での惨敗の影響がすでに出ていた。そこへ慶喜自ら出陣すると報せが届いたとしても、そう簡単に征長軍の士気が上がる事はない。加えて小倉での劣勢が伝わって来たのだ。益々士気は沮喪する。頼みの綱とも言える諸藩からの出兵も出ないという有様だった。

 そこに家茂の薨去の報せである。慶喜は手の平を返すように大征伐の延期を決定してしまったのだ。

 慶喜に天盃と節刀まで賜った孝明天皇は、延期に対して怒りを顕わにし、慶喜に味方した関白の二条斉敬や公家達は、西国と九州の劣勢を説き必死に宥めに掛かる日々となった。

 そんな事を知ってか知らずか、もはや幕府の威信は失墜していると悶々とかる日々の中、小倉城炎上の報が舞い込んだ。


 家茂薨去と小倉炎上の報告で懊悩(おうのう)とした時を半日は過ごしたある日、慶喜は一人の男を呼んだ。

「某に長州へ行けと仰せになるので?」

 慶喜の前に座したのは、勝海舟である。

「小倉城が堕ちた。外様藩らは出兵を拒否。となれば止戦しかあるまい」

 先日まで長州大討伐と口にしていただろうにと、勝は内心呆れた。

 そもそも慶喜とは馬が合わない。政に口を出そうにも、慶喜は勝の言う事に耳を貸さないと判っていたし、何よりも勝は家茂の方に好意を持っていたのだ。自然とそりが合わなくなるのも当然と言えば当然な事だった。

「これ以上の戦は幕府にとって損となっても益とはならぬ。家茂亡き後、世の平定が要諦であろう」

 ならば端から長州征伐などしなくていいではないか。とは、勝も流石に言えたものではない。

「上意にございますならば、お引き受け致します」

「そなたとは死するまで馬が合わぬな」

 将軍職についていない慶喜からの命を、あえて勝は上意ならと口にしたのだ。


 静観を決め込んでいたとは言え、勝とてこのまま戦が長引く事になるのは本意ではなかった。自国で揉めている場合ではないのである。

 すでにこの戦の影ではイギリス、フランスといった外国勢力が暗躍している。内政の混乱はそういった諸外国からの干渉を受け安い態勢を作ってしまうのだ。


 大坂城を後にした勝は、その足を寓居している専稱寺(せんしょうじ)へと向けた。

「やだねぇ」

 何回そう呟いただろう。

「徳川もこれまでだなぁ」

 聞き捨てならない事も勝は平気で口にする。家持が亡くなった時も、「徳川家、今日滅ぶ」と日記に書いたくらいだ。

 もはや幕府は諸藩の統率を欠いてしまっている。長州との戦を終らせるにはいい機会と思えた。

 空を見上げると青く晴れたいい天気だ。雲も風に乗り形を変えながら流れて行く。

「お天とうさんと同じだ。止まってくれないのが世の流れだねぇ」

 気乗りはしなかったが、数日後には長州へ向けて大坂を発った。

 山陽道へ入り、小田川沿いに在る十八番目の宿場町、矢掛へ入った勝は、そこで意外な男を見つける。

「確かおまえさん、梅太郎と居たね」

 宿を探していたのか、覚束ない足取りで道を進んできた赤井に目が止まり、勝はそう声を掛けた。

「お久しぶりです」

 頭を下げたその仕草が、どこかぎこちないのを勝は見逃さなかった。

 その二人の所へ大石が小走り駆けて来た。

「宿は空いてねぇな」

 その言葉に勝が、おっ、と言う表情を見せる。

「宿を探してるのかい?」

「え、はい」

「運がいいよおまえさん達。ほら、ついて来な」

 歩き出した勝の後を追いかける赤井に、大石は誰だと問いかける。

「勝安房守殿」

「はっ!?」

 その声に勝が振り返る。

「往来で話せない事もあるだろうから、後でゆっくりすりゃあいい」

 大石は面食らったまま、歩き出した赤井の後ろを追いかけた。

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