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幕末奇譚 『志士 狂桜の宴』  作者: 夏月左桜
奇譚一幕 黎明嚆矢
5/89

其之四 志

 朝の食事の時間となった頃、三人は和奈を置いて部屋から出て行って四半刻(三十分)後、一人戻ってきた桂は、和奈の前に桔梗色の半着と、濡羽色の馬乗袴の上にさらし乗せた物を置くと、その上に一振りの剣を乗せた。

「体格に合いそうな物を見繕った、これに着替えなさい。剣の方は少し重いかもしれないが、今はこれで我慢するよう」

「色々と、その、ありがとうございます」

「僕が面倒を見ると言ったんだ、気にする事はない」

 優しい笑顔は気持ちを楽にしてくれる。

「着替えた頃にもう一度来る」

 すっ、と立ち上がって廊下へ出た桂は、後ろ手で障子を閉めた。

 置かれた着物を、和奈はため息混じりに見下ろした。

 男として振舞えと言われても、自信などあるはずもない。だが拷問されて辱めを受ける事を考えたら、できませんと諦めていられない。やるしかないと思えた。

 ずれない様に肩からさらしを回し、きつめに幾重にも巻いて端を織り込むと、半襦袢の上に半着を着て、袴を穿いた。

「あれ?」

 微かに桜の花の匂いが漂ってくる。

「桂さんの匂いが移ったのかな」

 男性なのに立ち振る舞いが柔らかく、その顔も丹精で、スカートを履いていたら女性に見えるだろうなと、和奈はくすりと笑う。

 しばらくして、桂が戻って来た。

「刀の差し方はちゃんと習ったようだね」

 真剣の差し方には色々あったが、江戸時代後期は刃を上にし帯刀するのが一般的で、道場でもその差し方を教えられていた。

「さて、朝餉の用意が整っているから、皆の所へ行くよ」

「あさげって・・・」

「朝に食べるご飯だよ」

 その口調は、どこかからかい気味だった。

「皆の前へ出たら、僕の話に合わせるように、いいね?」

「はい」

 部屋を出て右手に続く廊下を行くと、突き当たった廊下で左右に分かれ、二人はそこを右に曲がる。

 六枚の障子を越えた所で立ち止まった桂は、そっと障子を開けると中へと入った。

「待たせて申し訳ない。甥を起こしに行っていて遅くなってしまった」

 桂に続いて部屋に入ると、膳を前にした武市達の視線が一斉に向けられた。

「申し訳ありません」

 和奈は頭を下げて謝った。

「昨晩騒がせてしまったから、謝るのはこちらの方です」

 武市がにこりと笑みを浮かべる。

「彼は?」

「不肖な甥でね。躾も兼ねて、母元からしばらく預かってほしいと頼まれたんです」

「村木和太郎と言います。よ、よろしくお願いします」

 それぞれ挨拶しながら名前を教えてくれた。

 武市半平太と岡田以蔵の名前は剣客名簿で見た事がある。

 確か岡田以蔵は四大人斬りの一人として名を挙げられていた人物だったが、実際の容姿からは人斬りを生業している様には見えなかった。

 中岡慎太郎は、高杉と同じく和奈の記憶には名前が乗ってなかった。

 桂から席を指され、高杉の横にちょこんと座り、ご飯と味噌汁、芋の煮付けに豆腐、小魚の焼いたもと漬物のが並ぶ膳を見下ろした。

 匂いが鼻をつき、忘れていた空腹を感じた和奈は、昨晩からなにも口にしていなかったのを思い出した。

「頂きます」

 桂の言葉と同時に、それぞれ何を喋るでもなく膳に箸を伸ばした。

「・・・こんなに人が居るのに、暗いぞおまえら」

 高杉は静かにする、という言動が苦手な男らしい。

「おまえが五月蝿すぎるんだ。食事時くらい静かに食べたらどうだ?」

 高杉と甥、二人の面倒を見るのは疲れます、と桂が文句をこぼすと、武市がそれは大変だと相槌を打つ。高杉は一緒にするなと吼えたが、以蔵と中岡は我関せずで食を進め、龍馬はけたけたと笑った。

「和太郎くんをこのまま置いておくがか、桂さん」

 龍馬がさっそく切り出して来た。

「斥候の情報を聞いてからだな。できるなら長州に帰す方がいいだろう」

 高杉が茶碗にお茶流し入れ、漬物を箸で押さえながらくるくると回しながら代わりに答えた。

 頷きながら、昼には出した斥候も戻って来るだろうから、それから考えると桂は言った。

「わしに出きる事があったらなんちゃーするき、言うとおせ」

「龍馬に任せると、余計危ない気がするのは俺だけか?」

 武市が睨みながら絡む。

 以蔵が、俺もですと続け、中岡もうんうんと頷く。

「おんしら、酷い言いようやき」

「その時はご助力を願います」

 おう、と嬉しそうに龍馬は胸を叩いた。


 池田屋から逃げ出し、身を潜めていた九名が長州藩邸へと駆け込んで来たのは、朝食を済ませて、今後の事を話し始めようとしていた時だった。

 高杉は玄関に倒れ込んでいる者達に駆け寄り、傷の手当てが先と座敷に皆を上げた。

「有吉、大沢、高木、よく無事で戻った!」

 沈痛な顔で高杉が三人の前に膝を付く。

「すまん、逃げるのが精一杯だった」

 それ以上嗚咽で言葉が続かない大沢逸平は、乾いた血がついた袖で顔を拭った。

「馬鹿野郎! 死んだら意味ないだろうが! 生きていてくれた、それで十分だ!」

 龍馬は一番後ろに居た男の元へと下りて行く。

「野老山は、会合に行かんはずじゃなかったがか」

 会合が開かれるのは知っていたが、詳しい日時を聞いていた訳でいなく、野老山吾吉郎は偶然、池田屋の前を通っただけだと言った。

「新撰組が居たがやき、土佐藩へ報せに行こうとその場から離れたち。しだで、幕吏に追われちゅう望月さんが見えたき、急いで後を追いかけたんけんど、見失ってしもうた」

 それ以降の言葉は、号泣と嗚咽とで言葉にはならなかった。

 それから後、斥候で出ていた藩士達が、市中に身を隠していた宮部の弟春蔵を見つけて共に藩邸へと戻って来た。

 高杉は春蔵の手当てをと叫ぶ。

「悲惨だった以外に・・・出す言葉がない」

 春蔵は手当てを受けならがそう言った。

 桂は斥候に調べた事を話すよう促す。

 新撰組が逃走した尊攘過激派を捜すべく、会津桑名藩らと連携し、市中掃討に繰り出ており、その捜索によって見つかった志士達は、潜伏場所で斬り合いとなり、現場は修羅場と化した。

 もう一人の斥候が進み出て来て、池田屋襲撃は、古高を捕縛した新撰組の拷問を受けた末、中川宮邸放火計画を自白させられての誤用改めだったと告げた。

「古高さんは!?」

 苦渋の面持ちで高杉が問う。

「拷問の後、斬首なったと!」

 高杉顔には怒り浮かび、桂も憤怒の形相で斥候を見つめている。

「京から脱出した者も数名居るようですが、安否は不明です」

「昨晩と今朝の襲撃で十四名が死亡。十三名が捕縛に至っています。入江屋、近江屋、和泉屋、丹波屋それぞれの主人と身内も同じく捕縛。町人にも何名か斬られた者が居るとの事です。池田屋主人も投獄の身となりました」

 語られる内容に、暫く誰も口を開こうとはしなかった。

「おめおめとわしだけ生き残って・・・」

 そうつ呟いた野老山は腰から脇差を抜き、止める間もなく自分の首に刃を突き立てた。

 血飛沫が人の首から放たれるのを、和奈はその目に捉えた。

「野老山!」

 龍馬が振り返り、武市が崩れる野老山の体に手を伸ばす。

「馬鹿が!」

 刃先の刺さった首から血が溢れ出るのを、武市は必死で押さえる。

「生き残った命をなぜ無駄にするか!」

 武市の腕の中で、野老山は口をぱくぱくと動かすが声にはならず、ただひゅーひゅーという音だけが漏れた後、顔が落ちた。

「馬鹿者が・・・」

 手当てを受けた志士達は、部屋を用意された後、絶対に自害するなと高杉に念を押された。


 夕刻になり、陽か沈むと行灯に火が灯された。

 奥の部屋に夕食が用意されたが、朝とはうって変わって静かな食事となり、さすがの高杉も真面目な顔で白飯を口に運んでいる。

(人が、死んだ)

 目の前の食事に手を付ける事ができなかった。鮮血が飛んだ光景が目に焼きついて離れてくれない。

「大丈夫か?」

 桂が優しく問いかけた。

「あ、はい」

「無理してでも、食べれる時にはちゃんと食べておきなさい」

 そう言われて箸を手にするが、なかなか口にご飯を運ぶ事ができない。

「後で握飯でも作ってやるから、無理に食うことはない」

「晋作」

「慣れないもん見たんだ、仕方ないだろう? 無理して食う必要はないって言ってるんだ」

「それはそうだが」

 すいません、と和奈は呟いた。

「食えるようになったら食え、いいな和太郎」

「はい」

 桂は何も言わなかったので、その言葉に甘える事にした。

 また沈黙が続いた。

「慎太郎を京から出したい」

 静かに龍馬が切り出した。

「中岡くんを?」

「のう、桂さん、高杉くん。このままじゃわしらは多勢に無勢、なんぼ藩士らがわしらに賛同してくれたとしても、幕府を相手にするがは無茶と言うものぜよ」

 確かに、高杉の奇兵隊も幕府と佐幕派藩を前に単独で攻め込めるほどの兵力はない。長州に下った藩士らも、七卿と共に沈黙したまま動かないのが現状である。戦力が乏しいのは重々承知していることだ。

「わしに考えがあるき。ただ、おまんさんらにとっては、はいそうですか、と快諾できる内容やないが」

 話の内容が飲み込めず、二人は顔を見合わせた。

「ここらで、薩摩と折り合いをつけやーせんか」

 これには桂が表情を一変させて憤慨した。

「薩摩が長州にした事を、無しにしろと言うのか!」

「そうは言うとらんし、無しにする必要はない。ここで考えてほしい。桂さんやき、解ると思っちゅう」

 龍馬が人差し指で頭をトントンと突付く。

「慎太郎を薩摩へやったところで、事がすんなり行くとは考えちゃーせん。けんど、やれる可能性があるのなら、わしは動いてみたいぜよ」

 幕府との兵力差は桂や高杉にとって懸念材料であるのは確かだったが、薩摩との和解を受け入れる理由にはならない。

「薩摩と長州は攘夷思想では共通しちゅう。なら、それを上手く利用する手立てもあるんじゃないがか?」

「薩摩が和解に乗り出すとは、僕には考えられない」

 桂の政治的思想で物事を考える性質に、龍馬は一矢を投じたようである。

「市中討掃に薩摩が参加しちゃーせんがは、新撰組と会津の横行に嫌気がさしちゅうからと、わしは見た。ならば付け入る隙はあるぜよ」

「・・・とんでもない事を思いつくものだ」

 桂は呆れるしかない。

「思いついたんは慎太郎やか。色々な可能性があるんじゃ、その道理を考えて行くのは無駄ではないがよ」

「その話は一応頭の隅に置いておく。が、今はそれよりも他にしなければならない事が山ほどある」

「おう、冷や汗もんじゃった。出で行けと言われたらどうしようかと、はらはらしたぜよ」

 高杉がふっと笑みを零す。

「いや、出てってもらうぞ坂本さん」

「晋作?」

 この言葉には武市らの血相も変わらざるを得ない。

「おまえらは出て行け、桂の甥っ子も連れて薩摩でも逃げ込め」

 言葉の意味を理解した桂は苦笑する。

「そうだね。出て行って頂こう。和太郎を今、長州に帰すのは危険だしね」

 おうおう、出で行ってやるわいと、龍馬は高らかに笑った。


 部屋へ戻った和奈は、気が抜けたように座り込んでしまった。

 ただ呆然とあの場に居るしかなかった。話の内容はよく判らなかったが、人が沢山死んだ事は解った。

 本当に幕末の時代に来てしまった、その現実が目の前に突きつけられる。

 おめおめと生き残って。そう呟いて剣を自分の首に突き立てて死を選び取った。それは現実離れした光景にしか思えず、なぜ助かったのに、自分を殺すような真似をしたのかが解らなかった。

 自ら命を絶つのは正しい事ではないと頭を振る。生きるためならば、どんな無様な姿を晒してでも生きて行くべきではないのかと。

 ふと気配を感じて和奈は横を見た。そこには心配そうな表情の桂が座っていた。

「声をかけたんだが、返事がなかったから入らせてもらった。大丈夫かい?」

 大丈夫かと聞きたいのは和奈の方だった。桂の目の下に、少し陰りがさしているのが判ったからだ。

「はい、なんとか」

 それは良かった、と桂は言う。

「さっきはすまなかった」

「いいえ。桂さんが言った事は理解できました。でも・・・」

「あれは僕も悪かった。晋作の言う通りだから、気にしなくていいよ」

 辛い気はずなのに言葉にもせず、自分を心配して無理に笑顔を作っている姿が、儚げに見えた。

「あの、ありがとうございました」

「ん?」

「助けて頂いたお礼を、まだ言ってなかったので」

 小首を傾げていた桂は、視線を和奈から逸らした。

「助けられる命もあれば、助けられない命もある」

 一瞬、その端正な横顔がくしゃりと歪んだ。

「私、人がああも簡単に死ぬのを初めて見ました。せっかく助かったのに、どうして死ぬ必要があったのか、考えてたんです」

「一言で答えて上げられるものではないね」

「ですよね。でも、それはいけない事だと思うんです」

「君の言いたいことは判る。無駄に散らす命ほど、哀れなものはないからね」

 自分の生まれた時代にも、自ら命を絶つ人はいる。その理由は様々あるだろうが、この時代の人達が自ら死に赴く理とは、ひどくかけ離れている気がした。

「命を賭けて立てた志を貫き通さねばならない。その志も貫けぬまま、自ら死を選ぶのは武士としてやってはならないことだ。けどね、彼の気持ちは良く判るんだ」

「仲間だった人が、死んだからですか?」

「それだけでは無い」

「命をかけて何かをする。それは大切だと思います。私の時代にも危険な仕事をする人は居ますから。でも、武士だから志に命をかける理由が、私には判らないんです」

「君には、理解しきれないと思う」

「はい・・・」

 確かに志だと教えられても、学べるものではない。

「武士が掲げた志に一度でも背いてしまったら、それまで刻んできたすべてが無意味なものになってしまう。仲間と共に築き上げたものならば、尚更その無念は大きいものだ・・・仲間が死に、自分だけが置き去りにされる」

 今にも消え入りそうな声だった。

「それが、怖かったのかも知れない」

「桂さん、泣いてる」

 目を大きく開いて和奈に視線を向けると、そっと自分の頬を触る。その手に、涙が伝わり落ちた。

 見られまいと下を向き、膝をついて座ると、ことん、と額を和奈の肩に乗せた。

「無様な姿を・・・見せてすまない」

 そのまま声も出さず泣く桂を横に、言葉も探せないまま、和奈はただ黙って座っている事しかできなかった。


 近藤に呼ばれた土方は、稽古を終えてから部屋に足を向けた。

 二人は試衛館に入門した頃からの付き合いである。その縁もあって、幕府が浪士組を募った時に試衛館から近藤、土方を含む八人が参加していた。

 武蔵国多摩郡石田村の豪農土方隼人の十男として生を受けた土方は、少年時代から武士になるのが夢だった。しかし思いとは裏腹に、江戸上野の呉服問屋松坂屋へ十四歳から二十四歳の十年間を奉公に時間を費やす事になる。その後帰郷した土方は、実家で作る薬を売り歩きながら様様な道場に通う日々を送っていたが、日野宿名主(村役人)佐藤彦五郎が自邸東側に日野では初めての出稽古用の道場を作り、この道場で試衛館から剣術指南に来ていた近藤勇と出会って、安政六年に試衛館へ入門した。文久三年に浪士組へ加わった近藤らと共に上洛して来た。壬生浪士組から新撰組と名を改めた後、新見錦を切腹に追い込み、芹沢鴨を暗殺した後、総長山南敬助、局長近藤勇、副長土方歳三の新撰組を作り上げた。

 この二日間で、新撰組隊士にも多く被害が出ている。思った以上に尊攘派の抵抗が強かったのと、潜伏を手助けしていた町人からの不意打ちも、被害が拡大した原因だった。

「近藤さん」

「おう、入れ」

 入って来た土方に席をすすめると、手入れをしていた刀を鞘へと納めた。

 土方と同じ国の農民の三男として生まれた近藤は、当時宮川勝五郎という名で、天然理心流剣術道場試衛館を開いた近藤周助の門下となり、二度の養子縁組を経て近藤家の養子となってから近藤勇と名乗った。万延元年清水徳川家家臣松井八十五郎の長女と結婚、翌年天然理心流宗家を継ぎ四代目となる。文久三年、清河八郎が将軍護衛のための浪士組を募集していると総長山南敬助から聞き、門下数名と共にこれに参加、上洛を果たした。壬生郷士八木源之丞邸宅を宿所として借受、会津藩御預かりとなった壬生浪士組時、芹沢鴨と新見錦と連名で局長として届け出た男だ。現在は新撰組の看板を掲げ局長を務めている。

「沖田はどうだ?」

 頓服を処方してもらい今落ち着いて部屋にいると聞き、近藤は安堵の笑みを浮かべた。

「風邪気味で出て、暑さにのぼせるなんざ、隊長としての自覚がなさ過ぎる」

「まあ、そう言うな。隊士にも隊長格にも無理強いさせるつもりはないが、あいつの事だ。残れと言っても聞かなかったさ」

「刀を振るってこその武士、沖田は人一倍その思いが強い」

 それはここに居る他の隊士も同じだと、近藤は思う。武士が刀を振るえずして、何をもって武士とするのか。

「・・・武士が活きにくい時代になってきたもんだ」

「それをさせない為に、俺達は-」

 みなまで言うな、と近藤が片手で制した。

「朝廷と幕府から、感状と褒賞金が届くそうだ」

「少しの間はここの生活も楽になるか」

 新撰組として活動していたが、その待遇は決して良いものとは言えなかった。

 農民が、楽な生活を送れると武士を目指したところで、藩士や武家出の者ほど楽ができる訳ではない。幾許か楽になる、その程度なのである。残してきた家族を養う余裕などないのが現状だ。

「それも一時、厳しい事に変わりはない」

 寄せ集めの浪士がいくら頑張ったところで、濡れ手に粟とはいかない。

 新撰組の創設は文久三年、庄内藩清河八郎の提案で、幕府が徳川家茂の警護に浪士組織浪士組を募った事に遡る。 

 元々清河は尊王攘夷志士だ。桜田門外の変でもはや幕府に義はないと考えた清河は、この事件後、自ら清河塾を開いた。ここに幕臣山岡鉄太郎、薩摩藩伊牟田尚平、彦根藩士石坂周造などの尊攘派が集り始め、山岡ら十五名が発起人となり、清河を盟主として虎尾の会が結成された。横浜外国人居留地焼き討ち実行し、尊攘を盛り立てるため倒幕を計画するが、文久元年に刃傷沙汰を起こし、幕府から追われる身となり数名が捕縛、残った清河らは京に潜伏し尊攘運動を続け、九州遊説の折筑後国水田天満宮に蟄居している真木和泉と知り合う。山岡鉄太郎を介し松平春嶽に急務三策として「攘夷断行」「大赦発令」「天下英材教育」を上書。尊攘志士の過激な行動に頭を悩ませていた幕府はこの上書を採用、長沢松平家第十八代当主松平上総介のもとに浪士組が結成された。

 上洛した清河達は浪士組を幕府から切り離し、急進的尊皇活動に利用すべく、浪士組全員の署名の入った建白書を朝廷へ提出しようと動き出すが、清河が江戸へ戻り攘夷を唱えると言う行動に不信感を持った芹沢鴨と、清河の身辺を調べいた近藤の知り所となり計画は頓挫する事になる。

 東下命令が出でると、清河ら一部の浪士組は江戸へ戻る事になったが、浪士三番隊と近藤や土方、山南敬助ら十三名はそのまま京に残る事を決意する。その彼らを、市中に潜伏する志士達の検挙に使うため京都守護職松平容保が会津藩預かりとしたのである。

 残留した浪士組の局長の一人芹沢は、庄屋に対して金策の横行を重ね始め、一部の隊士達と共に生糸問屋大和屋土蔵を放火するという事件を起こす。会津藩のお抱えとなった浪士組の狼藉は瞬く間に京に悪評を広げる始めた。これに懸念を抱いた会津藩は、近藤らに芹沢の粛清を命令し、当時局長の座の一人に就いていた新見錦を切腹させ、芹沢の寝込みを遅い暗殺すると、前川邸を松平肥後守御領新選組宿とし新体制の新選組の看板を掲げた。

「そうそう、清河さん達だが。江戸に戻った後幕臣の手で麻布一ノ橋で斬殺されたそうだ」

「ほう?」

「清河さんと共に行動していた同志達も捕縛されたらしい」

 意見の相違はあったが、同じ浪士組として共に京へやって来た仲間の訃報に土方は眉をひそめた。

「幹部ばどうだっていいが、下の浪士達はどうなったんだ?」

「江戸市中取締役の庄内藩預かりとなり、新徴組名乗っているとの事だ」

 土方は安堵の吐息を一つ吐いた。

 普段は感情をあまり出さないおまえがと、土方を見て近藤は笑った。

 これで、浪士組の名前は完全に消えてしまった。

「たまに忘れそうになるな、おまえも人の子だと言うのを。だが、危惧だったようだな」

 表情を見られまいと横を向いた土方に、近藤はあまり気張るなと言う。

「俺は、別に・・・新撰組のために働けるなら文句は言わん」

 こう出ると、もう先に続く会話は決まっていたので、それ以上近藤はなにも言わず部屋に戻れと告げた。

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