其之二 英吉利
人は人 吾は吾なり 山の奥に棲みてこそ知れ 世の浮沈
高杉晋作
和奈達が新撰組と対峙した五日後の六月二十四日の事、体調も幾分ましになった高杉の所へ、龍馬、中岡らと共に薩長同盟を西郷に説いた一人、薩摩藩の村田新八と伊藤の二人が姿を見せた。
合わせる様に再び桂も山口から駆けつけている。
高杉はそれまで浮かべていた笑みを消し、村田から視線を外さずに言った。
「なんで薩人が今時分ここに来る?」
薩摩が今回の征伐に参加していないとは言え、表立ってはまだ幕府寄りを崩していない。その上今長州はその幕府と戦の最中なのである。高杉の懸念は武市の懸念でもあった。
「じつはお会いして頂きたい人が居り、桂さんに無理を申し参った次第です。ここへは白石さんと伊藤さんの助力を得て渡ってきました」
なにっと、高杉の目が桂に向けられる。
「この事は大久保卿もご存知です」
無言で責めるような目を向けられても、桂はしれっとしている。
「誰に会えと?」
村田がこくりとうなづくと、伊藤が障子へ顔を向け声を発した。
「Please walk into a room.」
「なんだぁ!?」
伊藤の声を受け障子を開いたのは、イギリス公使ハリー・パークスだった。
パークスはかねてより幕府に対して兵庫開港を迫っている人物であり、薩摩の介添えを得てミニエー銃などを仕入れるためグラバーより紹介されたイギリス人だ。
現在両国は、フランス駐日公使レオン・ロッシュが幕府を支持しているのに対し、パークスはあくまで中立の立場を取るという、微妙な均衡を保っている。
薩英戦争、四国艦隊の赤間関攻撃の後、観を決め込んだ幕府の対応に、イギリス政府は見切りをつけ外交政策の変えた。そして薩摩藩や長州藩だけでなく、土佐藩にも接触を図り情報収集を行うようになっていた。
そうしたイギリスの政策転換の起因となったのは、薩英戦争であり、その要因となったのが、薩摩藩主島津久光の行列をイギリス人が騎乗したまま横断した事だ。
大名行列を横断するのは禁忌である。夷人だろうが日本人であろうがその行為を無礼とした薩摩藩士が横断したイギリス人を斬ってしまった。
これに怒ったイギリス政府は、殺害犯を差し出す事と、遺族への賠償金支払いを幕府に突きつけてきたのである。
幕府は、賠償金など支払う金がないと言う薩摩藩の肩代わりをし、この賠償金を支払ったが、もう一つの要求である殺害犯差出しについては、久光が「脱藩した浪士がどこで誰を斬ろうと関係がない事である」と突っぱねてしまった。
困窮を強いられた幕府は、殺害犯の引渡しを拒否すれば薩摩を攻撃するというイギリスに対して、「どうぞ、薩摩を攻撃して下さい」と出たのである。
薩摩がイギリスから攻撃を受け痛手となれば、大人しくなるだろう踏んだのだ。
ところがこの判断が後々幕府にとって大きな痛手となってしまった
薩摩が幕府を仲介しての折衝を嫌がっているだけで、イギリスと友好条約を結ぶつもりがあるとの情報をイギリスは掴んでおり、戦争後に会談を持って薩摩と秘密裏に盟約を結んだのである。
両国が手を結んだお陰で、薩長同盟の前に長州へと銃が渡る事にもなった。
「Nice to meet you by Mr.Takasugi. I visited your name from Mr.Ohkubo of Satsuma Domain.」
伊藤が通訳を務める。
「銃の斡旋に尽力頂いた事に対し、まずは礼を言わせてもらう」
高杉は、決してへつらうなどという態度には出ない。
{礼には及びません。グラバーから紹介を受け、我が国にとって利益となる事をしたまでです}
「英吉利公使が直々にお出ましとは、どんな理由があるのか聞かせてもらいたいな」
パークスは、この度の来訪の目的は長州との交友を深めるためであり、商業において条約を結ぶためだ。そう言ったのである。
{この度の戦争に、我々は遺憾を感じております。下関は我が国の交易にとって重要な位置にある。戦を経て、下関の海峡が日本政府の手に委ねられる事になるのを見過ごせないのです。よって、我々は長門国に対し出来る限りの協力をさせもらうつもりでおります}
村田からの要請を受けた桂が、パークスの入国許可を出したのはそう言う理由からなのだと高杉は理解した。
今後の事を考えれば、武器調達などイギリスと仲良く手を繋いでいた方が何かと有利であると、桂は判断したのだろう。それに、この話が纏まれば薩摩を介さずとも、長州が直接交渉に当たれるようになる。
「武器でも提供してくれるって言うのか?」
{すでに用意はさせております。必要とあらば兵をお貸しする事も可能です}
武器取引には応諾したが、出兵については即座に拒否した。
上海へ渡った折、清国がイギリスとの戦でどうなったかその目で見て来た高杉は、清国の二の舞を自国に味合わせたくなかったのだ。
イギリスが行ったアヘンの密輸を林則徐は強固なまでに取り締まった。そして林が貿易を禁止したため、激怒したイギリスは戦の火蓋を切って落とした。阿片戦争である。
二年に渡る長い戦の後、清英両国は江寧(南京)条約に調印、阿片戦争は終結。
しかしこの条約によって清国は多額の賠償金を要求され、香港の割譲と広東、上海など七つの港の開港を余儀なくされた。
その翌年に締結された虎門寨追加条約では、治外法権と関税自主権の放棄という不平等条約を締結されられた上、最恵国待遇条項の承認を強いられたのである。
阿片戦争が終ってもイギリスは清国に居残り続けた。
そんな清国へ渡った高杉は、町中の至るところに青い目の夷人が徘徊し、清国の人間がそれ怯えながら暮らしている様を日本に置き換えた。
イギリスは先の四国連合艦隊との講和においても、彦島租借を申し出て来ている。そう簡単に、イギリス人に日本の地を踏ます事はできない。
この申し出を高杉と伊藤が強固に退けていなければ、香港と同じく彦浜も植民地として今日まで支配下に置かれていたかもしれない。
「俺達は自分の力で喧嘩をやってるんだ。武器の斡旋は有り難いが、兵はいらん」
{クーパ提督が言っていたとおりの人だ}
パークスは笑みを浮かべながら、少しも態度を崩さない高杉にそう言った。
講和交渉の場に出席し四国連合の代表クーパから、戦争に負けた国の人間とは思えないほど、高杉の態度は鬼気としていたと聞いていたのである。
{我が国は日本政府に見切りをつけています。なぜなら、これからこの国の柱となるのは薩摩や、貴方方の長州のような力強い国であると考えたからです。我が国が長門国と手を結びたい理由は、そういった見解を持っての事なのです}
「ただそれを伝えるために、戦の最中に来たのか」
{先ほども言ったように、長州を潰してしまうのは我が国にとっても不益となります。それを私は避けたい。無論、これは女王陛下より賜った勅命でもあるのです}
幕府の裏にはフランスが居る。このまま幕府が長州を潰しフランスとの交易を大々的に許可すれば、イギリスにとって交易上宜しくないどころか、参入さえ危ぶまれる事態となる。
パークスが日本での交易を広げるため、薩摩や長州と手を結ぼうと考えている事は高杉も桂も承知していた。それを堂々とークスは言ってのけたのである。
{私はこれから下関から小倉へ渡ります}
これには桂も首を捻った。
疑念を感じ取ってか、パークスは、すでにフランスがこの戦の影で動き出していると伝えた。
やり取りを後ろで聞いていた和奈は、ちりちりと肌に痛みが走るのをじっと堪えていた。
(なんなんだろう)
目の前に正座で座るパークスを見てからずっと、全身の毛が逆立っている。
むろん、そばに居る武市も和奈の気配を感じ神経を尖らせていた。吉田松陰の魂を持っているとしたら、夷人を前にして殺気に似た気を放つのは仕方ないと思えるが、武市としては気分のいいものではない。
「最後に念を押す。武器の調達はありがたいが、英吉利の兵を借りて戦争するつもりはない。この戦は自分のこの手で片を付けさせてもらう。それで良ければこの話しに乗る準備をさせる」
{ええ、私としてもグラバーよりその旨は聞いております。兵の件は必要であれば、とだけ今は申し上げておきましょう。この機会によって、良い関係作りができるものと信じております}
そう言い終えたパークスは、立ち上がると胸に手をあて軽く会釈した。
「お送りして来ます」
パークスの前へ立ち、伊藤と村田が先導するように部屋を出て行った。
「ふぅ」
そう吐息を漏らしたのは桂である。
「おまえの考えも解らんではないが、時と場合を選べんのか?」
「そう言われるの承知している。だが、仏蘭西が動き出しているんだ。ここは村田くんの申し出を受けるべきと考えたまでだ」
「仏蘭西が小倉藩に肩入れしてくる、と?」
「陣頭指揮を執っている小笠原殿は譜代大名だぞ。しかもこの戦は幕府が起こしたもの。芸州、石州双方で敗退を記した小笠原殿が、仏蘭西を頼る可能性があると思わないかい?」
「それで英吉利にも腰を上げさせたって訳か?」
「まさか。僕はなにもしていない。今回の訪問はあくまで薩摩からの依頼を受けたものだ」
面白くないと、高杉は鼻息を荒くする。
「商売で付き合うだけなら文句は言わん。が、英吉利が軍を推して来るなら打って出るぞ」
とは言え、長州一国でイギリスと戦争する兵力も武器も、また資金もすでにない。高杉は今回の戦争で、藩が蓄えていた密資金も武器調達にと使ってしまっている。
「おまえの考えは解っている。それに僕も長州に夷人を入れるつもりはない」
桂とて、海外に渡りその近代的な文化を見てきている。その強大さも身にしみて感じているのだが、軍事大国であるアメリカと、占領下に置かれた清国とでは、国民のあり方も都市の様相も異なる。その差が、二人の夷国に対する認識をずれさせているのも事実である。
「俺、これから山縣さんの所へ行ってきます」
ずっと沈黙を守っていた中岡が突然そう切り出した。
「お?」
「英吉利の動きを、そう気にすることはないと思うが」
「念には念を入れろ、です。パークスが九州へ渡ると言ったのも気になりますし、陸援隊と谷も置いたまま来ちゃったんで、そろそろ戻らないとまた拗ねられますから」
二人の返答も聞かずに、そのまま村田も送って行きますからと、中岡は部屋を出で行ってしまった。
「いつも忙しい奴だ」
それが中岡なのだろう。龍馬と同じくじっとしているタイプではない。
「和太郎」
四人になった所で桂が膝を和奈に向けた。
「殺気が出でいたよ?」
「ひやひやするほどな」
高杉も真面目な顔でそう添えた。
「桂木くんも動ける態勢になっていた程だ。さて、どうしたのか教えてくれるかい?」
夢の話しをした時の桂の面影は全くなかった。以前と同じく、優しい笑みを向けてくれている。
「解りません、としか言えません。ずっと落ち着かなくなって。殺気、出してたんだ、私」
「・・・いつから落ち着かなくなった?」
「パークスって人が入って来てからです」
二人は互いの顔を見やった。
「さてはて。当人にも理由が解らないのでは、僕達がいくら聞いたところで答えは出ないな」
「すいません」
「おい、和太郎。おまえ、まだ戦に出る度胸はあるか?」
「晋作!?」
「え? はい。出ろと言うならでますが。でも小五郎さんからは禁止と言われましたし、許可がなければ桂木さんも駄目と言います」
ちらりと武市を見る。
「晋作、どう言うことなんだい?」
和奈を他所に、桂は怒りの混じった声を高杉に向けた。
「小五郎は阿呆だ。こいつの身が心配になるのは判るが、俺は戦に出さなくてはという気がしてならん。なぜだと聞くなよ? これは直感だ」
直感で怪我人を戦に送り込むなと桂が怒る。
「この時代に来たのは理由があるからだと言ったのはおまえだ。都合のいい事に剣を振るえる腕を持ってだ。こいつが先生の生まれ変わりなんぞ、到底信じきれたもんじゃない。いや、信じる信じないなどこの際関係ない。和太郎は、ここで自分がやるべき事を見出さなくてはならん」
「それが戦へ出す理由だ、などと言わないでくれ」
「だから阿呆と言ったんだ。いいか、小五郎。こいつはいつも戦に出たがっているじゃないか」
えっ? っと桂は乗り出した身を沈めた。
「京で人を切り、武市さんを無謀にも助けに行く。それだけじゃない、新撰組とやりあったばかりでなく、長州へ来て挙兵に参戦もする。そして今度の戦への参戦。これが普通の女子の考えることか? 馬鹿言え、こいつはそうじゃないだろうが。自分から戦いに巻き込まれてんだよ」
自分から?
和奈にそんな意識は全くなかった。もちろん、好きで戦に出たいと考えた事すらない。
「なんて・・・おまえは無茶苦茶な推論を立てるんだ」
そう言った桂も、それが全く見当はずれではないと感じている。高杉の言うように、和奈はなんの抵抗もなく剣を振るい戦に出でいる。稽古したからと言って女子が振るえるものではない太刀筋を以って。
タイムスリップという現実離れした事象を、今でも桂は信じるに足りる確証を持っては居ない。加えて吉田松陰の心音を語り出す始末だったが、それも松陰の生まれ変わりだからと言うことではなく、彼が残した書物を和奈が読んだことがあり、知識としてもっていたものを無意識に引用したと解釈できるからだ。
「こいつは俺が連れて行く。武市さんにも納得してもらわねばならん」
和奈が行くのならば武市も無論ついて来るだろうと見越しての言葉だ。
「俺が拒否したとしても、諦めてくれる様子ではないな。致し方あるまい」
高杉の意見に同意した、そう言うことだ。
「おまえ達・・・」
最後まで桂だけは納得した顔を見せずに、その夜はそこでお開きとなった。
パークスが白石邸を訪れた二日後、小倉湾にフランス公使レオン・ロッシュの乗った軍艦が寄港した。
謁見をしたいとの報せを受けた小笠原は慌てて城を出ると、ロッシュを紫川の台場にある常盤橋近くの客館へと招いた。
洋装に顎鬚を蓄えた長身の男が部屋の真ん中に座り、上座には顔も体も小ぶりな小笠原が座っている。
日本式に頭を下げたロッシュは、この度来訪した理由はただ一つ、長州藩主に降伏勧告を行うためだと告げたのである。
これには小笠原も目の色を変えた。
{講和を説く前に、幕府海軍による小倉、下関の制海権を確保する必要があります}
柔らかい口調だが、しっかりとした声色だ。
「先の長州の攻撃で、我が軍は二百隻もの船艇を失った。小倉湾に停泊しているのは幕艦五隻のみ。これをもってして制海権の確保などできはせぬ」
こういうところはちゃんと状況を判断できる男である。
{フランス海軍も助力は惜しみません。そのために軍艦で来たのです。まずは制海権を確保し彦島を制圧します。ここを拠点とし、長州へ渡る武器などの輸入ルートを潰すのです}
確かに戦が長引けば自軍だけでなく、長州も弾薬等の補給が必要になってくる。そうなると不足した物資を仕入れなければならない。その補給経路を断ってしまおうと言うのだ。
補給経路が断たれれば長州とて戦争を続ける事は困難となり、乗り込んで来たロッシュの講和に耳を傾けざるを得なくなる。
小笠原はこの申し出に、島村の意見も聞く事なく飛びついた。
「門司での戦で、我が軍が抱えていた武器弾薬を長州に奪取されいる。その補給をしたいが、江戸に早馬を走らせも時がかかる。ここは貴公に武器購入先の斡旋を願いたい」
{喜んでお引き受けいたします}
フランスがわざわざ出向いて来て、今回の戦に力添えをすると言うのだ。小笠原は好機が巡って来たと内心笑い声を上げた。
だが、次の日。今度はパークスが小倉へとやって来た。
小笠原は客観にて再び夷人を相手に座することになった。
フランスとイギリス両国が日本での商業拠点の確立を目論んでいることは、幕府家老という立場から小笠原も知り得ていた。だが、イギリスから幕府は幾度も辛酸をなめさせられている。幕府の懐具合が厳しいものとなっているのは、外国から再三要求された賠償金ゆえだ。
「ここで通商航行を出されるか」
パークスは単刀直入に小笠原に意見を述べた。
この度の戦は往来する諸外国にとって極めて危険な事であり、万が一戦によって航海中する外国船に損害が出た場合には、国際的に大きな問題に発展すると言い放ったのである。
{兵庫と同じく下関は我々にとって重要な通商海路である。慶応四年一月の兵庫開港が約束どおり行われれば、下関は更に重要な海路となる。イギリスとしては交易の要となるこの海峡で戦争が激化するのを、黙って見過ごすことは出来ないのである}
一喜したのもつかの間、イギリス軍の介入はなんとしても止めなくてはならないと、小笠原は一憂に暮れた。
フランスが彦島を占拠すれば、イギリスも黙ってはいないだろう。そうなれば内輪もどころか両国の商戦争いの舞台になってしまう。そうなればもはや幕府と長州という括りで納める事は困難となる。
{申し上げたいことはもう一つ。この戦争は日本政府が私怨を抱き、同じ国民である長州へ戦争を仕掛けたものだと私は考えている}
「私怨などと! これは我が国の問題であり、他国が口を出すべきものではない!」
{確かに、英国政府が日本政府の執権に口を出す権利はない。だが長州国が戦に出た言い分はよく理解できるものです。ここは日本内々で事を納めるしかないと思います}
小倉湾にはフランスの軍艦が停泊しているのだ。すでに小笠原とロッシュが会談を開き、何らかの談義を行った事をパークスなりに解釈し、そう言ったのだろう。
{私は女王陛下より命を賜って来ている。フランスの介入を認め、我らの介入を認めないのであれば、それ相応の手段を執らせて頂きます}
フランスは幕府寄りを示したが、イギリスは長州を擁護する姿勢を見せたのだ。
これは小笠原にとって厄介な問題となったのである。
九州においてはフランスよりも、イギリスと商談取引を行っている諸藩が多い。ことに薩摩は先の薩英戦争以降、その度合いを深めている。ここでイギリスが長州について動き始めれば、沈黙している薩摩がどう出て来るのか、小笠原とてその位の推測はできる。
苦渋の選択を迫られ、パークスが客館を後にしてからも小笠原はしばらく動けず、ただ呆然と座っていた。
現在小笠原の支持で全軍は待機している状態だ。ロッシュに依頼した軍艦・武器などの到着を待っているのである。だが、パークスの来訪により、彦島を拠点として輸送路を断つ計画は頓挫してしまった。