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幕末奇譚 『志士 狂桜の宴』  作者: 夏月左桜
奇譚十二幕 塞翁之馬
46/89

其之一 再会

 初夏と言えど、野山の夜は地から這い上がる冷気が体か力を奪って行く。

 関所を通れない土方達は、傷の癒えいてない体に鞭打ち芸州を抜け周防へと入っていた。

「朝になるまで我慢しろよ」

 征長軍が芸州・石州で敗退したとは言え、長州兵はまだ陣を解かず関所や宿所に兵を置いている。そればかりか、関所超えを警戒して山岳地帯にも足軽を放っているのだ。おかげで火を炊く事がでぎず、陽が登ってから交代で睡眠を取りながら進まなければならなかった。

 土方は一番後ろからついてくる沖田の体が気掛かりだった。

 健康な体でも辛い夜間の移動ななのだ、寒気は労咳を抱えた体にはさらに辛いものとなっているはずだ。できるなら、少しでも暖を取り休息したいのが本音である。

「どこか宿所に入らんと、もちませんよ」

 そんな沖田を気遣って、大石も小さな声で前を行く土方に言う。

 もう直ぐ二十二番目の宿所、船木だ。赤間関へはあと二つ超えれば着く。

「仕方ねぇな」

 船木は長門国東端の本宿であり、勘場も置かれ宿役人も居る採炭業で栄えている宿場町だ。

 町並みは袖壁の妻入りと、平入りが入り混じっているが、大半を妻入り造りが占めている。その多くは二階建で、その壁には虫籠窓ではなく角型の窓が複数並んでいる。

 こんな時に客が来るとは思って居なかった旅籠屋の主は、怪訝そうな顔付きで土方達を部屋に通した。

「石炭ですか」

「若松へ行く途中なんだが、戦はどうなんだ?」

「筑前へ行きなさるのは無理ですなあ。なんせ肝心の赤間関と門司が使えやしません」

 長州が大挙して赤間関につめ駆けている上に、小倉藩が九州諸藩を門司に兵を置いていると、主が言う。

「ありがとよ」

 背中が曲がった主は、もう土方らに関心がなくなってしまったように、へぇと気の抜けた返事を返すと、さっさと部屋から出て行ってしまった。 

「となると、案外すんなりと下関へ入れるかも知れんな」

 長州一藩と諸藩を引きこんだ幕軍の人数差は、今さら言うまでもない。が、少数だからと油断して芸州では敗退を記し、吉川率いる岩国藩と長州隊が街道を抑えてしまっている。長州も四方面からの進軍に対し、細心の計画を練って兵隊を置いているはずだ。今更大坂や京から密偵を送り込む必要性もなく、周防へ入っても警戒の手も幾分は薄いだろうと踏んでいる。

「油断できませんよ。長州の幕頭はあの桂小五郎なんですから」

 その名前に土方だけでなく、赤井もぴくりと肩を反応させた。

「裂く人数がありゃあな」

「とにかく、今はゆっくり寝てろ」

 連日の強行は体にかなりの負担を与えていたのだろう。その夜は騒ぐ事もなく、四人は少しばかりの酒を飲み、早々に布団の主となった。

 翌日。陽が頂点から傾き出した頃、吉田宿場か小月宿場まで出向くと主に礼を述べた四人は船木を出た。

 暫くは街道を歩いたが、日が落ちると同時に念のためと山沿いに身を隠した。

「近藤さん、上手く会津を説得してくれてますかね」

 大丈夫だ何一つ心配は要らない、と土方は笑う。

 長府へ入る前、着物に土で汚れをつけろと土方がいい出した。

「わざわざなんで・・・」

 赤井の疑問に、戦があった時期に身綺麗にして敵陣へ入るのは馬鹿のすることだと睨んだ。


 龍馬は白石と話しを終え、高杉の部屋へと戻って来た。

「用は済んだのか?」

「ああ。しかっと」

「それで、坂本さんはどうする?」

 高かった熱も幾分ましになり、布団の上で身を起こして意味ありげな笑みを浮かべる龍馬にそう聞く。

「長崎へ戻るがで。みょうに土佐も重い腰を上げて来たき」

 大手を振って長州と仲良くなりましたとは言えない薩摩は、武器等の斡旋を始めとして資金面の融通もつけている。これは会津や幕府とて薄々は察している事なのではあるが、幕府にしてみればここで薩摩を完全に敵へと回すわけには行かない。

 問題は会津藩だ。

 逼迫(ひっぱく)した財政面をおしてこれまで幕府に肩入れして来た。禁門の変でも薩摩と手を組む形で長州を京より払いのけたのだが、今になってその薩摩はだんまりを決め込み、影で長州に力添えをしているのが伺えるのだ。藩主松平容保にとって、腹立たしい、では済まない裏切りである。

 勤王を抱えた薩摩が、一時でも幕府側に付いたのは、なにも幕府のためなどではない。幕府を倒し、政権を朝廷に返すのが本音なのだ。

 そこへ来て土佐藩が動き出した。

 陸援隊を中岡に作らせた乾が薩摩入りした。ずっと幕府寄りを貫いてきた土佐藩を倒幕へと方向転換させる目的である。

 頑なに乾と衝突して来た後藤象二郎も、政権を制御しきれなくなった幕府に、見切りをつける頃合だと考えるようにもなって来ていた。

 長州と手を組み、倒幕へと傾き始めた薩摩藩の動きも耳に入ってくる。となると、公武合体を貫いて幕府に肩入れするよりも、同じく肩を並べて倒幕へと組み入らなければ、政権への参加を失うことになってしまう。そう考えたのだ。

 後藤は事あるごとに、藩主山内容堂を説き伏せにかかっていた。

 土佐勤王党を弾圧した頃と今では、すでに情勢がごろりと変化している。それも、何十年の話ではなく、ここ数年のうちに、である。

「また近いうちに来るき、高杉くんも体にゃ十分気をつけとおせ」

「俺を誰だと思ってる? 天下の高杉晋作様だぞ?」

「そればあ元気なら心配いらんやき」

 労咳の事を龍馬とて知らないわけではない。無論、高杉の命が短いとも知っている。だからと、布団の中でじっと収まっていろとは口が裂けても言う事はできない。高杉晋作という男は自分のためと、布団で寝ていられる男ではないのだ。

「和太郎も無茶はしな。おんしの抱える問題はわしらにゃどうしちゃることも出来んが、武市も、桂さんも高杉くんもおるのやき、血気に逸ってはいかんちや」

「はい。よく判っています、龍馬さん」

「うん、いい子だ。そしたらわしはこれでお暇させてもらうき」

 いつもの調子で、ひょこひょこと龍馬は部屋を出て行った。

 桂からの伝令も逐一やって来る中、半刻も経たないうちに、山縣や原田らが作戦を練りに訪れ、熱も下がりきらないまま、布団の中にうもれたままの作戦会議となった。

 敵軍艦隊が集結しきっていないのであれば、大里を攻める前に、要であろう富士山丸にも先手を掛けるべきだと、高杉は考えた。

「沈められない(ふね)に、なんで攻撃をしかける必要がある」

「戦は、武器だけでするもんじゃない。武器や兵士をどれだけ集めようと、そいつらの心構えがが崩れたら軍隊なんて機能なんぞせん」

 鋼鉄船相手に、丙寅丸(へいいんまる)の砲塔でも太刀打ちできないのは良く解っている。高杉は心理作戦を講じて、相手に動揺を与えようと言うのである。

「奴らの位置なんぞ、こっちはすでにお見通しだと、奴らに教えてやるのも一興だろうが」

 高杉がこれまでに、多様な策をあれやこれや練っていたのは山縣も承知している。

 測量を始めると言い出した時も、兵士を漁師として漁船で出すと言った時も、その奇抜な発想に驚いたものだ。だから、和船を改造しろと指示を出しても、戦に使う道具なのだろうという認識で、山縣はその命令を実行していたのである。

「見事と言うか、よくもまあこれだけの事を短期間でできたものだ」

 高杉という男の戦に対する発想の多様性に、武市も驚くばかりである。

 吉田松陰や久坂玄瑞、真木和泉、大村益次郎など、長州には逸材が多く生まれている。その者ら

と京に潜み倒幕のためと駆け回るばかりでなく、世情というものをちゃんと把握し策を練る。すぐ近くに桂小五郎という策士がいるせいもあるのだろうが、多くのを事を吸収し、それを活用する術を、高杉は培ってきている。

 脱藩して逃げ回る事もしばしばだった。同じ長州藩士からも暗殺の標的にされたこともある。潜伏先で捕まり長州に送還された後、野山獄へ入れられたために同士の決起に参加できず苦渋を舐めもした。

 ただ我武者羅に進んできただけではなく、辛さや悔しさを涙と共に飲み込んできた。そんな高杉を推進(おしすす)める原動力は、時代を変えるという一点なのだ。

「じゃあ俺は隊に戻り、和船を予定どうりの刻に出航させた後、田野浦へ渡る」

「頼む。俺も後から行く」

「・・・ああ」

「桂木さんも山縣と行くのか?」

「そうするつもりだ」


「当たり・・か」

 赤間関を通り、宿場町に入ると町の賑わいに紛れ四方に気をやりながら歩いていた土方たちは、沖田の声で足を止めた。

 土方の顔がゆっくりと動く。

「奴さん達ですよ」

 沖田の静かな声が後ろから漂って来る。

「運がいいらしいな」

 四人はその後を付けるように歩き出す。


 山縣達と共に白石邸を出た武市は、背後に漂う殺気に気付いた。見知らぬものてせはないと、口元が歪む。

 新兵衛と以蔵の足も一瞬とまりかけたが、武市が足を止めないのを見てそのまま足を進める。

「山縣くん、すまんが先に行ってくれ」

 振り向いた山縣が首をひねった。

「・・・上陸時に我々が来ていなければ、そのまま行ってくれ」

 そう言いながら下げた首を少し後ろへやった武市を見て、山縣は事を飲み込んだ。

 人の流れの中で、迷わずこちらへ歩みを進めてくる者たちがいる。

「もてるのも考えものだな」

「そうだな」

 何度も感じた殺気が背中に向けられている。と、和奈は唾を飲み込む。それが誰のものなのか、和奈にはまだわからない。

「諦めるという言葉を知らない連中だ」

 山縣と原田を見送った武市は、通りから道を逸れると邪魔の入らないよう場所を探しながら進んで行った。

「桂木さん、これ・・・」

 最初はどこへ行くのかと思った和奈も、前を行く三人の様子と、後ろからついて来る気配に神経を尖らせていた。

「しっ。向こうもここで斬り合いになぞなりたくはないだろう」

 敵の懐の中だ。新撰組と知れれば、そこかしこに居る兵士が集まってくるのは必至である。

 武市もそれは避けたいところだ。

 長州兵は小倉藩へ戦を仕掛ける二手目に入っている。余計な事でその足並みを乱したくはない。

 町から少し出た人気のない木立の脇にさしかかった所で、武市は足を止めると躊躇なく振り返った。

「そろそろ出てきてもいいだろう?」

 そう、闇の中へと言葉を発する。

 そろりと、四つの影が動いた。

「ご丁寧に人気のない場所へ案内してくれるったぁな。やっと斬られる気になったか?」

 虚勢ではない。

 土方は腰に差した和泉守兼定をすらりと抜いた。

「わざわざ敵陣にまで来るとは、よほどの馬鹿か?」

「うるせぇ。あんだけ隊士斬られたんだ、一つでも首くら取らせろ」

「断る」

 武市が腰に差した剣を抜き放つと、合わせるように和奈も綾鷹の柄に手をやり、以蔵と新兵衛も間合いを取り離れる。

 赤井がぎらぎらとした目を和奈に向けた。

 どういう理由でこんな事になってしまったのか。

 同じ道場に通っていただけだ。自分が幕末へ来る羽目になった理由はまだ解っていない。赤井はただそれに巻き込まれただけだろう。

(でも、それだけの理由なのかな)

 物事に偶然はなく、あるのは必然だけ。

 桂の言葉が頭から離れない。

 もしそれが誠の摂理ならば、赤井が幕末へと来た事にも必ず理由があるはずだ。


 それぞれが地面を蹴った。


 組するのは芸州で剣を交えた相手である。

 土方は和奈に詰め寄りながら右薙ぎを払う。

 抜刀しつつその剣を受け流し、和奈は間合いを詰める。土方に間合いをとらせる余裕を与えてはならない。

「ちっ!」

 剣気は変わらない。芸州で見せたあの狂気は影を潜めているが、いつ顔を出すか知れたものではない。その前に一太刀でも浴びせておかねば、斬られるのは己の方だろう。

「てめぇ、何者だ?」

 (つば)を擂り合わせながら顔を近づけた土方は呟いた。

「前にも・・・言いました。長州藩士、村木和太郎だと」

「ふざけんじゃねぇ、よ!」

 一気に剣を押し出し、後方へ飛び退くと同時に再び前へと地面を蹴る。

 力の競り合いでは土方に分がある。所詮は男と女。腕の力に差が生まれるのは当然だった。

(くっ!)

 剣の押し合いでは、いずれ腕の力を殺がれるのは自分の方だ。

「てめぇ、長州と言いながらその太刀筋、心刀形流じゃねぇか!」

 赤井の太刀を見てきただけあって、悟るのが早い。

 そして土方も、なぜ赤井と和奈が同じ流派を使うのか、この時初めて疑問を抱いた。

 同じ匂いがしたと、感じて赤井に声を掛けた。そして同じ薩摩藩邸に出入りをしていた。

(なんだ、この偶然はよ!)

 ただ違うのは、狂乱した時の和奈の剣術は、心形刀流のそれではない、と言う事だけだ。

 振り下ろされる剣は重い。体格自体、土方と和奈では倍近く違うのだ。武市がいくら体力をつけさせようと頑張ったところで、その差を埋めることは不可能である。

 納刀した和奈は一気に躍り出た。

「たぁ!」

 抜刀は左薙ぎに繰り出す。しかも低位置から払った剣は土方の膝へと狙いを定めている。

「くっ!」

 縦に下ろした兼定で膝への一撃を防いだ土方だったが、すぐさま右薙ぎに転じて振られた剣に、袴が裂ける。

 以蔵をも制しかけた太刀筋だ。

 後ろへ飛び退く間もなく、皮膚が裂けた。

「てめぇの得意は抜刀術か」

 ならば剣を納刀させなければいい。

 間合いを取ろうとしていた土方が、今度は反対に詰め寄って来たため、和奈はとっさの対応を取れなかった。

「ぐぁっ!」

 銃弾を受けた左肩に、土方が手の平を打ち込んだ。

「これで隻腕になったわけだ。さあ、どうするよ、村木?」

 片腕で土方とやりあえるはずもない。


 武市がその二人を見て、駆けつけようとするのを沖田の剣が邪魔をする。

「行かせてあげるわけには、いかないんですよ!」

 間合いを取らせてしまった事を後悔するまもなく、突き出された剣先が武市の喉を捉える。

「くっ」

 反射的に後ろへ身を引いたが、完全には避けきれなかった。

「先生!」

 大石も並みの剣士ではない、そう易々と以蔵を逃しはしない。

 新兵衛が走った。

「てめぇ!」

 赤井の脚力では、新兵衛の足には追いつけない。

「くそぉ!」

 後を追いかけようとした赤井は、背中に鈍い痛みを感じた。

「えっ?」

 背後から切られたと気付くのに時間はかからなかった。

「!」

 まだ、誰か居たのか?

 いや、四人だけだった。

「双方、剣を納めよ!」

 怒声が飛んだ。

 上段から剣を振り下ろそうとした土方の手が止まり、武市と沖田の間に割って入った新兵衛も剣を止める。

「なんで・・・」

 この威圧、この剣気。

 土方は暗闇から、剣を納めながら現われた武士に舌打ちした。

 桂小五郎。長州藩の策士であり、近藤から手を出すなと言われている剣客。

「よもや自分の懐に新撰組が入ってくるなど、あろうはずもないと考えもしなかった」

 もう不要だと言わんばかりに、剣から手を放した桂がゆっくりと歩み寄って来る。

「このまま引き下がるならば、ここは見逃そう」

 にっこりと桂は笑った。

「やっぱあん時の女はてめぇか、桂小五郎」

「さて、何のことやら」

「しらじらしい事言ってんじゃねぇよ」

 くすっと笑う桂に、土方は剣を上げることが出来ない。

「申し訳ないが人を呼ばせてもらった。捕縛されて会津藩へ差し出される方がいいか、それとも、私と一太刀交える方がいいか選ぶといい」

 帯刀している鶴丸に手を添える。そして、その視線を地面に蹲った赤井へと下ろす。

「!」

 斬られる。と、土方は思った。

 赤井は一度、楠に命を狙われているのである。その楠は、桂が放った間者だと言う事は推測ではなく、事実として土方の中にあった。

「待ちやがれ!」

 剣気に飲まれている訳ではない。ただ、太刀を出す隙が桂の体のどこにもないのだ。

「大人しく退散するならば手出しはしない」

 人の声が聞こえてきた。桂が呼んだと言う長州兵だろう。

「くっ!」

 ここで捕まり、会津藩になど突き出され、紀州藩の命に背いて長州へ入ったと知れれば、近藤の立場はおろか新撰組の立場も危ういものとなる。まして副長自ら命に背いているのだ。切腹は間違いなく沖田や大石にも下されるだろう。

「この男は置いて行くといい。この傷では足手まといになるだけだ」

 土方は桂の足元で喘いでいる赤井に視線を投げた。

「はい、そうですかと引き下がれるか!」

「土方さん!」

 沖田の手が、走り出した土方を掴もうと伸ばされたが間に合うことはなかった。

 赤井の腕を取り、背中の傷を確かめる。深手であるのは確かだが、致命傷にはなっていない。

「てめぇ、なんで赤井を狙う?」

「ふぅ。そんな覚えなどないんだけどね。どうしても連れて行くのか?」

「あたりめぇだ! こいつは新撰組だ、死体になっても連れて帰る!」

 やれやれ、と桂は二人から距離を取った。

「君」

 桂は赤井に言葉を投げかける。

「いい男に巡り会ったようだね。大切にするといい」

「その・・・・つもりです・・・・」

 大石が後ろから赤井の体を担ぐように持ち上げると、肩の上に乗せた。

「痛いだろうが我慢しろよ」

 人の気配に気をやりながら、土方は辺りを見回すと木立の中へと顔を振った。

「いつか必ずてめぇの首を取らせてもらう」

「その時は邪魔など入れず、お相手させて頂こう」

 舌打ちとと共に身を翻した土方は、先に走り出した沖田達の後を追って走り出した。


 武市の喉元の傷から血が流れているが、深手ではなさそうに見えた。

 応急にとその喉の止血をした桂は、白石邸へ武市を運ぶようにと以蔵へ言い、肩口を押さえて座って居る和奈の元へと腰を下ろした。

「言ったはずだよ、片腕で剣を握るものではないと」

 よっこらせと、和奈の体を抱え上げる。

「あ、の! 歩けます!」

 か細い体つきだと言うのに、桂はこともなげに和奈を抱えて歩き出す。

「無茶をしたお仕置きだ。大人しく抱えられていなさい」


 白石邸へと取って返して来た一同を見て驚いたのは高杉だった。おまけに桂まで居る。

「医者を呼んでもらった、しばらく辛抱してくれ」

 武市は喉を押さえながら頷いた。

「おいおい、その傷の位置・・・沖田か?」

「船木から斥候が報せに来たんだよ。こんな時だと言うのに、石炭を買いに来た不審な四人組が居たとね」

 その報せを受け、桂は馬を走らせてやって来た。

 山縣と原田達を見送った所に着いた桂は、無論背後にいる土方らに気付いた。

 武市達も知っているのか、人気のない場所へと進んで行くので、その足で手錬な剣士を陣所から選び、半刻後に来るよう命を出して後を追いかけていたのである。

「で、新撰組は?」

 桂は逃がしたと笑って答えた。

「阿呆が」

 桂が無用な殺生をしない事は十分高杉も承知している。が、相手が相手なのだ。今後の事を考えるなら、その場で捕縛でも切り刻むでもしておけと言いたかった。

「なにもおまえが来る必要ないじゃないか」

「なんだい、友の顔を見れて、喜んでくれるものとばかり思っていたのに」

「ふん! おまえの顔なんて、飽きるほど見てるじゃないか!」

 高杉が熱を出した報せも届いていたので、心配になり桂自身がやって来たのだ。

「酷い男だ」

「こっちに出向いてる暇なんてないだろう?」

「病人に心配されるほどではない。さあ、おまえはもう少し体を休めろ。どうせ止めても、戦に出るんだろう?」

「あたりまえだ」

「なら、今は言う事を聞いてくれ」

 白石が呼んだ医者は、武市の喉の傷を見て顔を歪めはしたものの、大事はないと太鼓判を押してくれた。幸いにも、喉骨に剣先が当たった事で肉を突き刺されただけで済んだようである。

 和奈も、再び出血した左肩を別室で手当てしたもらったが、戦への参戦は桂によって禁止されてしまった。

「俺達は山縣さんを追いかけます」

 そう言って、以蔵も新兵衛も白石邸を飛び出して行った。


 翌日、白石邸に一人の女性が訪ねて来た。

「来るなと言っただろうが」

 白石に伴われて入って来た女性は、にっこりと笑うと高杉の傍へと座った。

「身の回りの世話をしようと思い、参りました」

 ちらりと、部屋の端にすわる和奈に視線を向ける。

「ちっ・・・」

 なんだかやけに高杉が大人しい、と小首を傾げながら、和奈は視線を向けてきた女性と目を合わす。

「お初に御目にかかります。私、おのうと申します」

「あ、村木和太郎です」

 両手をついて頭を下げられたものだから、和奈も慌てて頭を下げた。

「旦那様がちっとも大人しくしていないと、白石様が困っておられましたよ?」

 高杉に視線を戻したおのうは、少し叱る口調でそう言った。

「旦那様ぁぁ?」

 おのうの言葉に、驚いたせいで変な声が口から出てしまった。

「高杉さんの、奥さん??」

 ちょっと困った顔をおのうが見せる。


 高杉にはちゃんとした正妻が居たが、奇兵隊創設時に訪れた下関遊郭堺屋で、高杉は此の糸の名で芸妓をしていたおのうと出会った。

 芸妓にしては大人しく真面目で、人の意見をはいはいと聞くおのうに高杉が惚れ、さっさと身請けをしてしまった。


 和奈は複雑な心境になる。

 現代では所謂(いわゆる)【愛人】と言う事なのだ。この時代の愛人と現代の愛人とはまた種が異なるのだが、それでもちゃんとした正妻が居ることには変わりない。

 奥で寝ていた武市も、そろりと顔を出したものだから、余計に高杉はそわそわとしてしまう。

「借りてきた猫を見ているようで、面白いものだな」

「五月蝿い!」

 何を言われても嬉しいのだろう、怒鳴る口元には隠しきれない笑みが浮かんでいるし、帰れの一言も出てこない。

 そう言えば、萩にある桂の自宅で会った松子を、和奈は思い出した。

「小五郎め、京から呼び寄せたな」

 松子も、幾松と言う名で芸妓をしていたんだと高杉は言う。

 京に居た時、幾松に一目惚れした桂は、身請けが決まっていた幾松を掻っ攫うようにして、相手から身請けを横取りしたらしい。

「あいつの事だ。色々裏からやったに決まってる」

 この時代のそういう事情や結婚制度など全くわからない和奈は、ただただ驚くばかりである。

「温厚で物静かな男に見えるが、一度こうと決めたら梃子(てこ)でも動かない、意志を貫き通す、それが小五郎だ。おれより性質(たち)が悪い!」

 どっちもどっちたど武市は笑った。

 それから毎日、片時も離れずおのうは高杉の身の回りの世話や看病と、武市の傷の手当てなどをしてくれるようになった。

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