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幕末奇譚 『志士 狂桜の宴』  作者: 夏月左桜
奇譚十一幕 屍山血河
43/89

其之二 死の影

 芸州から小倉城へと戻った小笠原長行は、海岸各所に設置されている砲台へ緊急の命を伝えさせた。

「小笠原殿」

 城に帰って来たかと思ったら、慌てて各地へ伝令を走らせた小笠原の様子を見て、怪訝に思った島村志津摩が声を掛けた。

 島村は、今回の長州征伐において小倉藩軍の一番備大将の任に付いている家老である。

 嘉永五年に家老となった島村は、佐幕攘夷派として藩政改革に着手していた。

 小倉という土地柄もあり、夷国の最新船の往来を見る機会も多く、夷国の脅威に懸念を抱いていた所へ、先の馬関戦争である。

 四夷国連合艦隊の長州との戦で改めてその脅威を感じ取った島村は、武備増強に腐心すると共に攘夷は成すべきと進言して来た。しかし、その意見に耳を貸す者も理解を示す者も少なく、藩政に反映させる事ができなかった。

 そして二度目の長州征伐発令である。

 同じ国同士が争っている場合ではないと痛感するも、藩命、幕府の命には逆らえない。

「島村殿か。如何致した?」

「それはこちらの台詞にございまする。いきなり帰城なされたかと思えば、伝令を走らせ焦慮(しゅうりょ)されおられるご様子。何事かと危惧を抱くのも当然にございましょう」

「長州だ」

「はっ?」

 其の言葉を口にした小笠原の体が小刻みに震え出す。

「長州の奴らがこの城へ来るのじゃ」

 今は長州征伐中であり、小倉藩もその為に兵を展開させ九州諸藩にも出兵を要請しているのだ。今更そんな事を口にされなくても、周知なのである。

「落ち着かれよ、小笠原殿。唯今その為に兵を田野浦、門司、大里などに兵を敷いているではありませぬか。諸藩の指揮を執られる総大将殿が、人目も憚らずその様に慌てられては今後の士気に係わりますぞ」

 小倉藩は、小倉城主として播磨国明石藩より小笠原忠真が入封し 豊前北部十七万石を領し成った藩である。

 代々に渡り九州玄関口を攻守しながら、九州探題の役目を担い、西国の名外様大名の監視を行って来た。

 非常時となった時には小倉藩が九州に在する藩を束ね、その指揮を執る。 そうなれば必然的に軍の総大将には、小倉城主である小笠原が就く事になる。

「そちは長州を知らぬから、その様な涼しい顔をしておられるのじゃ」

 その物言いは尋常ではない。

 小さな顔が余計に小さく見え、子供の様に怯える男に島村は内心でため息を吐いた。

(軍の総大将がこれでは先が思いやられる)

 その心配は、その後の小笠原の言動に現われ、さらに混迷を来たす事になるのだが。

「九州の征長軍(九州諸藩連合軍)は五万。加え幕府海軍も参戦しております。これから長州へ攻め入ろうと言う時に、総大将が腰を据えなくてどうなされますか」

 五万。そう、五万だ。

 だが、幕艦二十二隻が、たった二隻の長州艦に全滅させられたのを小笠原は知っている。屋代島に上陸した兵も千程の農兵に敗走している。

 今回、幕府は四方面から長州へ侵攻している。その中でも一番の激戦になると考えていたのが関門海峡である。

 長州を攻め落とすには、この関門海峡の制海権を制圧し、周防と長門の両国へ攻め込む必要がある。その為、幕府は他の三方よりも小倉口を最重要視し、小倉城は長州攻撃の本営となった。故に、海岸の防備は強固となっているのだ。小笠原とて、それを知らぬ筈はない。

「貴様は長州を知らぬからそうして、平然と立っていられるのだ」

「ならば此方から討ってでるべきでございます。すでに門司には二百の船を用意しております。これにて赤間関へ攻め込み、長州の首元に刃を立てて見せましょうぞ」

 だが小笠原はこれを渋った。

 長州の艦隊は少数と言えど侮れない。幕府艦隊が集結を終えていないのに、小倉藩兵だけで戦を始める事に、英断すべき勝因を見つけられなかったのだ。

「小笠原殿!」

「開戦は幕府艦隊の到着と、諸藩の兵の集結が終ってからである」

 これ以上食い下がっても、小笠原の小心を振るい立たせる事はできないだろう。

 そう取った島村は、その場を後にした。

(あれが総大将と言うのか)

 母の国と戦になる自分の身にもなれと、叫び出したい衝動が沸き起こる。

 島村の母親は、長府藩家老迫田伊勢之助の娘である。母も島村氏へ嫁いで来た時には、まさか祖国と戦になろうとは思わなかったに違いない。

 これが戦なのだ。

 自分の祖国は長門国ではなく豊前国だ。

 城を後にする島村の拳は固く握られた。

 そして心新たに、小笠原にではなく、背後に聳え立つ城に、この国に忠義を誓ったのである。



 小倉藩へ攻める高杉達は、守る拠点もない事から、赤間関にある白石邸に集まっていた。

「漁船とは、面白い事を考えたものやき」

 一人、また一人と、高杉の所へやって来る漁師に扮した長州兵を見て龍馬はそう笑った。

「敵さんも、まさか漁船が敵情視察をしてるとは思ってなかっただろうな。お陰で砲塔の位置、幕艦の位置は我が手中だ」

 そう視線を落とした先には、測量図が広げられている。

「正確な距離を測ったがかぇ」

丙寅丸(へいいんまる)と言えど、敵の位置が判らんでは当たるものも当てられんからな」

 測量図の横には地図が置かれている。

「この田野浦に、奴らはこちら側への上陸用に船艇を集めている。まずはこれをぶっ潰す」

 覗き込んでいるのは山縣、赤川、長府報国隊の原田である。

「奇兵隊、膺懲隊、報国隊を二つに分ける。一つは丙寅丸(へいいんまる)癸亥丸(きがいまる)丙辰丸(へいしんまる)の三隻で内海方面からと、もう一つは庚申丸(こうしんまる)乙丑丸(いっちゅうまる)で外海方面から上陸させる。大隊の指揮は山縣と原田に任す、頼んだぞ」

 艦が進行して行く海路を指でなぞる。

「で、何時決行だ?」

 山縣が顔を上げると、腕組をしたまま人差し指を動かしている高杉に尋ねた。

「そう焦るな狂介。万策を尽くしてるんだ、得る物を得てから動くのが筋ってもんだろうが」

「ほう、珍しい事もあるもんだ。猪突猛進のおまえが、待つ、と言うとはな」

「おい、まて! 誰が猪だ!」

「あははははっ! こりゃあーいい。猪とは、しょうまっこといい表現をするもんぜよ」

 山縣は先ほどから口も出さず、じっと話しを聞いていた男に視線を向けた。

「おいおい。人を勝手に猪で片付けてくれるな」

「ほきも、例えは悪くないじゃろう。そこが高杉くんのいい所なんやき」

「たぁー! 褒められてるのか貶されてるのか判らんだろうが!」

 両手を突っぱねて龍馬にずいっと顔を近づけると、龍馬は首をすぼめて上半身を後ろへ逸らす。

「時に高杉。その御仁は誰なんだ?」

 山縣のその一言で、赤川と原田の目が龍馬を捉え、ん? と高杉と龍馬の顔が山縣を取られえる。

「ふん! こいつはな、大政奉還をすると大法螺を吹いてる男だ」

 腰に手を当て、もう片他方の腕を上げて龍馬を指差した。

「大政奉還!?」

 本当に長州の男達は一挙一様である。三人が同時に叫んだものだから、周りに居た者達までもが視線を一斉に向けて来た。

「大法螺でもなんちゃーないきね。わしはそれが出来ると思っておるがで」

 原田が何か思い当たった様な顔で、赤川を押し退けて身を乗り出す。

「まさか、坂本龍馬!?」

「こりゃたまげたぜよ。わしはそればあ有名人なんなが?」

 これに驚いたのは龍馬だけである。

「有名人もなんも、そんだけ土佐弁を隠さんで堂々と喋られたら誰でも判ると思うんだが・・・」

「むう。有名人じゃーないがか」

「そこが落ち込むところなんだ・・・」

 口を尖らせで肩を丸めてしまった龍馬を見て、赤川も原田も呆れるばかりである。

「坂本さんにも参戦してもらう。軍義には出てくれよ?」

「難しい話は苦手なんやけど、言われた通りの事をするまでやか」

「・・・よし。皆を休ませてやってくれ。動き出したら当分休めんからな。俺は部屋に戻るが、狂介、赤川、原田も来てくれ。もちろん坂本さんもだ」

 そう言った高杉は足早に広間を出て行ってしまった。

 その後姿を慌てて追いかける山縣。

 龍馬もひょこひょこと後に付いて行き、赤川は兵には俺からと原田を先に行かせる。

「指示が有るまで各個待機していてくれ」

 最低限やらねばならない事を言い残し、赤川も四人の後を追って行った。


 部屋に入った山縣は、感じた不安が的中していた事に歯を食い縛るしかなかった。

 高杉は片手で口を押さえ、止まらぬ咳と共に座布団の上に血を吐いていたのだ。

「無理をするな晋作」

 近寄ろうとする山縣をもう片方の手で制する。

「こほっこほっ・・・」

 続いて入って来た原田も、その光景を見て愕然と立ち尽くしてしまっている。

「高杉くん」

「・・・来るな・・・」

 その言葉が聞こえなかったかの様に、龍馬はゆっくりと歩みを進め、高杉の後ろに回り腰を下ろすとその背中を摩り始める。

「無理はいかんぜよ」

「・・・無理は承知だ。だが、俺はこんなところで止まっている訳にはいかないんだ」

 遅れてやって来た赤川は、立ったままの山縣と原田を見て首を傾げる。

「どうしたんですか?」

 そう視線を部屋の中央へ移した赤川は、重く漂う空気の原因を知った。

「高杉さん!?」

「大声を出すな馬鹿が。他の者に聞こえたらどうする」

 静かな声で山縣が諌める。

「これは我々だけに留めておく。絶対に漏らすな」

「し、しかし」

「赤川」

 そう言われては、もう何も言えない。

「解りました・・・」

「原田も、頼むぞ」

 こくりと頷くだけの原田とて、高杉の体を蝕んでいるモノの正体くらい解った。

 

 労咳は、今では予防接種で防ぐ事の可能な病気だが、この時代では不治の病である。一度発症すると治癒の可能性は零に等しい。この難病は免疫力の低い宿主にほど発症率が高くなり、咳、くしゃみ、唾などで二次感染を引き起こしてしまう。


 咳が収まり、呼吸が楽になった所を見計らい、山縣は血に濡れた座布団を手にする。

「遷るからやめろ」

「このままにはして置けんだろう」

 そう言って座布団を抱え、すたすたと出て行ってしまう。

 口の周りに付いた血を拭った高杉は一同を見回す。

「幕府にこれまでの借りを返す時だ。長州が受けた屈辱の数々、砲弾に込めてそのまま返してやる」

「だが高杉さん、あんたその体で-」

「先が短いなら短いなりに俺は面白く時を行きたい。花火と一緒だ、赤川。夜空に咲く大きな花火を打ち上げ、消えて行く・・・おまえらが花火を見る度、高杉晋作という男が居たのだと思い出すくらいにな」

 その笑顔に堪らず赤川は顔を背けた。背けられずには居られなかったのだ。

 その肩に原田の手が置かれた。

「なら一つ、今生最大の花火を打ち上げてもらおうじゃないか」

 何をどう周りが言ったところで、命を永らえる為に大人しく静養などする男ではない。ならば、共に花火を造り上げて打ち上げるしか、この男と共に歩く術はないのだ。

「高杉くんは、いい男に囲まれちゅうのう」

「! 男に囲まれて嬉しいものか! どうせなら女を連れて来い!」

「・・・おのうさんに会えないから欲求不満なんだよ」

 ぼそっと原田に呟いた赤川の声は高杉の耳に届いていた。

「おまえ! 言ったな! 今、おのうって言ったな!?」

「うへっ!」

「よおし! 赤川、ここへおのうを連れて来い!」

 そんな無茶なと困る赤川に、戻って来た山縣も、いらんことを言うなと困った顔になる。

 やいのやいのと口喧嘩を始めてしまった一同は、征長軍の動きを知らせに来た密偵が走りこんで来るまで、一時戦を忘れて友との団欒を過ごした。



 知らせを受けた桂の指示で三田尻の海軍局を出た和奈と武市は、萩往還を上り山口へとやって来ていた。

 芸州にて、石川達の応援に駆け回っていた以蔵と新兵衛も呼び戻されており、二人が着いた時には既に桂と共に座っていた。

「動かして悪かったね。傷は痛まないかい?」

「大丈夫です」

 自分の事よりも桂の方が気になった。優しく微笑む顔には陰りが出来ており、明らかに疲労の色が出ていたのだ。

「高杉さんは?」

「晋作達は白石さんの処へ厄介になっているよ」

 桂はは山口で各地から送られて来る伝令からの戦況を聞き、逐一高杉に報告をしていた。

「芸州に新撰組が来るのは予想していたが、桂木くんが居るなら心配ないと、高を括り過ぎたようだね」

 そう言われては、桂木は何も返す言葉が無い。

「それが戦です。石川さんや、桂木さんが撃たれていてもおかしくない状況でした。僕が標的になったのは、誰のせいでもありません」

 だが和奈は、割り切った言葉を桂に発した。

「・・・承知で出したつもりだったが・・・桂木くん、失言を詫びるよ」

 桂の言葉に無言で頷く桂木は、背筋をピンと伸ばして横に座る和奈に視線を落とした。

「小倉の戦はまだ始まっていないが、近く動くだろう。おまえ達三人は良しとして、田中くんはどうする?」

「芸州の戦は休戦となっています。石州の戦に増援が必要となれば、石川さん達が動くでしょう。ならば私は桂木さんと共に小倉へ参戦させて頂きたい」

「いや、そう言う事を聞いたのではないんだが」

 桂は、薩摩に帰るか京の大久保の元へ帰るか聞きたかったのだ。

「ああ。桂さんには伝えてなかったが、田中くんが動いているのは個人の意思だ。それは大久保さんも承知している」

「よくあの人が君を自由にしたね」

「京では手配者となりました故、薩摩に戻れとの仰せを頂きました。が、薩摩に戻っても、私が成せる事など今は無いと申し上げると、好きにして良いとの許を下さいました」

 手放した訳ではない、という事だ。

「やれやれ。こちらの内情視察も兼ねていると、僕は取っていいんだろうね?」

「それは命の内にございませんが、聞かれれば答える、とだけ申し上げておきます」

「高杉くんにも伝えてある」

 高杉も承知して芸州に参戦させたのだ。

「解った。一人でも力となる者が増えるのは助かる。桂木くんと同行してくれ。で、おまえは傷が言えるまで留守番だよ?」

 そう言われる事は、呼ばれた時から解っていた。だが、ここでじっとして居てはいけないと、和奈は思うのだ。

「左肩だけでも剣は持てます。僕も、行きます」

「冗談ではない。両手の相手が振るう剣を甘く見るな。しかもおまえは-」

 後に続く言葉を桂は飲み込んだ。新兵衛が居ては、女子たからと言えはしない。

「両手ですら女子の力は弱いのだから」

 武市が代わりに言葉を紡いだものだから、桂の冷淡な目が向けられる。その顔に感情を顕わにして。

「ここに居る者はすべて和太郎が女子と知っている」

 ぱっ、と視線を移した桂に、新兵衛は頷き返した。

 桂は、ふぅ、と肩を落とした。

「見る者が観れば判る事です」

「僕一人、蚊帳の外にやられた気分だよ。で、君は和太郎が行くと言うのを・・・許したんだね」

 武市が反論しないのだ、それは聞くまでもない事だった。

「・・・岩村くん、田中くん。申し訳ないが、武市くんと和太郎の三人だけにしてくれないか?」

 はい、と以蔵は腰を上げ、新兵衛も続くように部屋を出て行った。

 さて、と向き直った桂にどう言う事かと聞かれ、武市は語りだした。

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