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幕末奇譚 『志士 狂桜の宴』  作者: 夏月左桜
奇譚十幕 挙国一致
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其之四 松陰の魂

 闇が躯に纏わり付く。

 そう感じただけで体を認識する事ができない。立っているのか座って居るのか、それすら【形】がないので判断できない。左右上下という立体的な空間がそこにあるのかすらも判らず、ただ意識だけが、漂っている、そんな奇妙な感覚だけだった。 

 何もなかった黒い空間に小さな白い点が見え始め、徐々に大きくなると、それは色ではなく闇に漏れ出た光なのだと認識する事ができた。

 やがて光は濃くなり、曖昧だった境界にはっきりとした輪郭を象り始める。

 ここは何処なんだろう。

 さわっ、と軟らかな風が駆け抜けた。

 映画館のスクリーンに映し出される映像の様に、光りの中の景色が動く。と同時に、諦め、悲しみ、怒り、不安などが一つの感情となって、和奈の心に流れ込んで来た。


【人は人の心あり、己は己の心あり。各々其の心を心として以って相交わる】

 静かで落ち着きの在る深い声色が響いた。


 ああ、この想いを私は知っている。


【天照大御神に願う。森羅万象、八百万の神々に願う。心はもと活きたり、活きたるものには必ず機あり、機なるものは蝕に従いて発し、感に()ひて動くものであれと】


「七たびも生きかへる心を荒魂と共に、今世に持つべき事の意味に従ひて動くもの也」

 頭の中に居る者は驚いた様だった。が、すぐ何かに満足したように安堵の感情を漂わせる。


【暢夫の()れ死生命あり。人生倏忽(しゅつこつ)、夢の如く幻の如し。其の中に就き、一箇不朽なめものを成就すれば足りることなり。挫するなかれ、(くじ)くるなかれ。継ぐ志の道、友の傍らに吾心あらんことを】


 その言葉が終ると、和奈は再び意識を閉じた。


 六月十六日。

 長州軍は、清末藩主毛利元純が陣頭指揮を執った。

 布陣を展開させているのは浜田、福山、紀州、因州、松江藩総勢三万の軍勢で、進軍する長州軍はわずか千名である。

 中立の立場を敷いた津和野藩を通り、大村率いる振武隊と膺懲隊を小川関門から扇原関門へ、佐世率いる干城(かんじょう)隊、太田の率いる斉武隊を仏坂関門から高津へと、徳川慶喜実弟・松平武聰が藩主である浜田藩へと進撃させた。


 石州において戦の火蓋が切って落とされたのは扇原関門であった。

 大村は隊を止めると、敵の配置を探ろうと木立の合間に入って関門へと近づいていた。

 木門の奥に一人、さらにその奥には火縄銃を持った農兵五名が居た。

「六名とはな」

 進軍を阻止するには少なすぎる数である。少ないというよりも、殆んど守備を成さない人数である。

 恐らく本隊は関門を超えた益田に陣を構えている。門を守る者が斥候として関門へ使わされたのか、本当にたった六名でここを守れと命令されたのかは、大村さえも知る由もない事だった。

 自隊に取って返し、大村は隊を関門へと進めた。


  木門の手前に立っていたのは、浜田藩関守の岸静江国治である。

 岸は山間に漂う気配に気付いていた。気配の数が数十人ではすまないと言う事も。

「徳山藩へ伝令をば走らせろ。長州相手に農兵五名では関を守り切る事は敵わぬとな」

 岸の言葉を受け、一人が背後へ消えて行った。

「何としても、ここを通す訳にはいかぬ」

 そして岸は、十字長鑓を手に関の木門の下に立った。


 やがてお互いの姿が確認できている処まで大村隊がやって来た。それを見ても木門に立つ男は動く気配を見せない。

「大村さん」

 育英隊頭取の所が困窮しつつ、前に居る大村へ話しかけた。

「兵と言っても、あれは農兵ばかりですよ」

「たった六人で守り切れるものでないと解っているだろうに」

 すでに援軍の要請は出ていると見ていいだろうが、一番近い益田まで報せて援軍が到着するまでには距離があり過ぎる。

「農兵だからと、退く訳には行かぬ」

 幕兵相手ならば如何様な手を使ってでも強行突破を断行できるのだが、農兵である上、たった六名で進軍を阻もうとする相手にできたものではない。

「狙撃兵を数名選べ。相手が六名で来ると言うのならば、我らもその志に答えようではないか」

 大村はそう言って白い歯を見せた。


 岸は動き出した長州軍に眉を顰める。

 進んで来たのはこちらと同等数の兵士だったからである。

「同じ農兵同士でござるか」

 岸は細く笑んだ。

 浜田藩と津和野藩の領界を示す標柱が、街道を挟んで立っている辺りで大村は足を止めた。

「我は長門国進発、振武隊隊長、大村益次郎! 貴殿の名を伺いたい!」

 そう問われては答えぬわけにはいかぬと、岸も木門の外へと歩みを進める。

「某は浜田藩、関守岸静江と申す!」

 初老の男と三人の銃兵と槍を手にした農兵を前に、仁王立ちで声を上げた。

 長州軍の大半は農民や足軽の者だと聞いている。

 目の前に立つ者たちの中にも農兵がおり、己の志を貫かんとここまで進発して来たに違いない。

 岸は進み出て来た大村を見据える。

「無駄な争いは避けたい。ここを通しては頂けぬか、岸殿」

「出来ぬ相談でござる。拙者は命ある限り貴軍を阻止致す!」

 岸の背後に居た農兵が、銃を構えようと岸の横へと飛び出して来た。

「これ以上出る事は許さぬ! 貴様達は関所より早々に退避致せ!」

 呆気にとられた農兵が、口をあけたまま岸を見上げた。

「それはできません、岸様」

「こが戦に義はあらぬ。なれど君主に背く事は武士でとして出来ぬ事。此処にて長州をば止めるは、御為を受けた拙者一人で良い」

「ならば我らも共に戦ってみせましょう」

 岸はそれでもいらぬと言い張った。

 その遣り取りを見ていた大村は、岸の態度に感心せざるを得なかった。この世に、まだ武士道を知る男が残っていた事に喜ぶと同時に、その相手と戦わなくてはならない時の運に憤りを覚えた。

「貴殿の武士としての志、この大村確かに承った」

 戦とはいつの時代も人の道の理から離れているものである。それは大村とて良く解っている。だからと言って、長州のこれからを担う戦から引き下がる訳にはいかない。

「では、参る!」

 大村が地面を蹴って飛び出すと、双方の銃兵が片膝を付き銃を構えた。

 鑓を相手に剣で向かって行くのは、間合いの違いから容易いものではない。振り回す為の空間が在れば在るほど有利となるのは鑓の方なのだ。

 鑓捌きのなんと見事な男か。

 目の前を穂(剣)が掠めて行く中、大村はそう感嘆する。


 所達は動かなかった。相手の農兵も二人の戦いを前に、足が竦んだように動けないでいる。

 四刻半、半刻と時間が過ぎて行く。

「と・・・所さん」

 命令も出ず、困惑した兵が声を上げる。

「両者とも退かんなぁ」

 さすがに半刻の間、剣を振るい合っていては体の方も疲れが出る頃だ。

 どうしたものかと考えあぐねていると、二人の体が地面へと落ちるのが見えた。


「お主、大した男だ。若いのになかなかの腕であるな」

 四十を超えようかという体に圧し掛かる疲労は半端ではない。

「若いと申しても三十にござる。拙者よりも、大村殿の方が大したお方でござるよ」

「思う存分剣を振い続けられる相手に巡りあうというのは、そう有る事ではない」

「嬉しい事を言って下さる。だが、拙者も存分と戦えた」

 征伐がなければ武芸においては良き相手となった事だろうと、大村は苦笑いを零す。

「しかし、ここで退く訳には」

「参りませぬな」

 そう岸も笑顔を浮かべた。

「拙者どもは見捨てられた様でござる。援軍も無しでは貴軍を一人にて止める事は叶いますまい。と申しても、退く事はできないでござるが」

「ここで足止めを食っているわけには行かぬ・・・岸殿、ご勘弁下され」

 もう二人の腕には余力など残っていない。

「お互い、魂に決めた志をば貫くため、辛くとも通さねばならぬ時がある。唯今がその時、その時が唯今なり。お分かりになりますな? 大村殿」

 大村は立ち上がり、岸との間合いを大きく取る。

 岸は後ろに居た農兵に退却を命じた。

「主らは撤退致せ!」

 銃兵が岸へ向けて銃を構えた。

 それを見た農兵が走り出して行くのを確認すると、岸は口元に浮かべた笑みを消し、顔を前へと戻し叫んだ。

「貴軍をここより先には通さぬ!」

 武士としての言葉を受け、大村は上げた手を振り下ろした。

「撃て!!」

 大村の一声で、銃を構えていた兵が引き金にかかる指に力を込めた。

 三発の銃弾が、鑓を手に仁王立ちしている岸の体へとめり込んだ。

「ぐふっ・・・」

 銃で体を撃ち抜かれる痛みの違いは半端ではないと言うのに、岸は両足を地面にしっかりと付け、眼前に立つ長州軍を睨み返した。

 幕府が起こした戦に、幕兵が出なくてなんとするのか!

 立ったままの岸は微動だにしない。

 ゆっくりと歩みを進めた大村の息が一瞬止まった。

「なんと見事な死に様であろうか。岸殿、貴殿の死は決して無駄な死などではない」

 仁王立のまま目を見開いている岸の息は、既に事切れていた。

 死してもなお行く手を阻もうとするその姿に、己の誠を貫き通した雄々しき死に様に、大村は苦渋とともに涙を流した。

「まこと、これが武士と言うものなり」

 岸の体を丁寧に横たえた大村は、農兵が戻って来た時に埋葬できるようにと、その体を関門の中へと運ばせた。

 福山藩はこの戦に加わる戦意が始めから薄く、岸から援軍を要請されたものの派兵をしなかったのである。万が一、派兵が行われていれば、関門を通過しようとする長州軍の足止めが叶ったかも知れず、また岸が一人死ぬ事にはならなかっただろう。

 大村は怒りと共に、益田へとさらに足を進めた。


 負傷した和奈は応急手当を受け、早馬で周防の三田尻海軍局へと搬送されていた。

「ありがとうございました」

「弾が貫通してくれていて良かった。心配だった失血も、思ったより軽く済んでいる。後は感染が気になる処ですが、幸い熱は出ていません。暫くは投薬で様子を看させて頂きます」

 麻酔も無いこの時代、体内に残った銃弾を摘出するためには、大の男でも失神するほどの激痛を伴う。その痛みは死ぬほうがましと思える程のものであり、事実、痛さに絶えかねで自刃に走る者も居る程である。

「しばらくは安静が必要ですよ」

 憂いを秘めた笑顔を見せ、武市にそう言ったのは、 高杉が功山寺挙兵を決行した折、協力を先んじた丙辰丸の艦長松島剛蔵だった。

 松島は、世子毛利元徳の侍医として務める藩医で、長崎に赴任した時に勝海舟らとも交流を持ち、長崎海軍伝習所にてオランダ人から航海術を学んでいる。

 倒幕運動派の志士として活動していた松島は、第一長州征伐の折、長州藩の主導権を取った俗論党によって萩の野山獄に捕らえられたが、藩医を失う事を嫌った大村によって救出され難を逃れた一人である。

「松島先生、一つ頼みがあるのですが」

 病室を出て行こうとした松島を武市が呼び止める。

「和太郎が女子だという事を皆には伏せて頂きたい」

「事情あって、男子の身なりをしている。と仰られるのでしょう? ご安心下さい。病の種類は勿論、患者の素性などのも漏らさぬのも医者の勤めですから」

「忝い」

 松島が出て行った病室で、まだ目が覚めない和奈の側に腰を下ろす。

 あれは何だと言うのだ?

 人を殺しながら狂笑を浮かべていた和奈の顔がずっと頭から離れない。

「山鹿流と関係があるのか?」

 山鹿流にたどり着いた他の理由がまだ有り、それを桂は解っているのではないのか。勿論、高杉の家で倒れた理由も。

 良く考えれば、なぜ自我を失う事で剣をあの抜刀術が使えるのかも首を捻る事だった。心形刀流を習っていたとは言え、技に特化している訳でも、刺客を育むための流派でもない。

 だが、芸州でやって見せた立ち回りは凄腕の剣客を超えていた。何十回、何百回と死線を掻い潜った者でも、おいそれと身につけ得る技ではない。

 和奈の顔が動いた。

「!」

 血の気を失っていた頬に赤みが戻り、瞼の下で眼が動き、ゆっくりと眼が開いた。

「気がついたか?」

 武市の声が届いたのか、首を声のした方へに顔を向けると今度はしっかりと目が開いた。

「武市さん・・・?」

「気分はどうだ?」

「・・・体が、重いです」

「撃たれたのを覚えているか?」

 えっ? っと不思議そうに首を傾げる。

「撃たれたんですか?」

「俺が駆けつけた時、肩を撃ち抜かれた。覚えてないのか?」

「・・・はい・・・えっと、何処かへ行ってたような気はするんですけど」

「? 撃たれてからずっと意識を失っていたんだ、何処へも行けまい」

「夢、見てたのかな・・・誰かと話しをしていたんです。あれは・・・誰だったんだろう」

 自問自答の様な言葉に、武市は答えを出してやれなかった。

「ああ、そうだ。土方さんを追いかけようとしたら、赤井くんが飛び出して来たんだ。・・・それで斬り合いになって・・・あれ? その後、撃たれたんですか?」

 ふぅ、と困ったように息を吐き、武市は和奈の額に手を当てた。

「まあいい。熱も出ていない様だし、とりあえず安心と言う事にしておこう。数日は動くなと先生から言われている。無理をしようなどと思うなよ」

 痛みを感じ、左肩に手を置くと和奈は顔を顰めた。

「痛みを和らげる薬は飲ませた。しばらくはましだろうが、切れたら今以上に辛いと思え」

「覚悟しておきます」

 そう言いながら視線だけを動かし、部屋を見回す。

 白い壁にガラスの窓。戸口近くに背もたれの無い椅子が一客置かれている他は、とくに何も置かれていない部屋だ。

「ここは?」

「三田尻だ。海軍局に併設されている医療棟に居る」

「三田尻・・・あ!」

「なんだ!?」

「戦はどうなったんですか!? 皆は!? 新撰組は!?」

「驚かすな馬鹿者が。安心しろ。休戦を申し出て来た幕兵も新撰組も芸州から撤退している。赤井も無事だ。石川くん達は事後処理でまだ芸州に残っているがな」

「そうですか・・・無事だったんだ、皆。でも、他はまだ戦の最中ですよ? ここに居てもいいんですか?」

「・・・・ったく。おまえはまずその傷を治すことに専念しろ。いいか、絶対ここから出ようなどと考えるなよ」

 そう睨まれ、ずれた布団を被せ直されてしまった。

「大人しくしておきます」

 と顔の半分まで布団を引き上げる。

「・・・何も覚えていないのか?」

「?」

「撃たれた反動で、記憶が欠落しているか。当たり所が良かったのは運だな。これに懲りて、剣を持つのを諦めてくれると嬉しいのだが」

 そうならない事は武市も解っている。なぜか和奈は自ら進んで戦へと歩みを進めているのだ。その理由を、今一度桂に確かめなければと思った。

「自分でも不思議なんです。人を・・・殺めているのに・・・それはいけない事だと解っているのに、剣を捨てる気が沸いて来ない」

 それもまた、おまえの進めべき道なのだろうと言い、武市は泣きそうな顔の和奈の頭に手を置いた。

 龍馬の手と同じく、暖かい手だった。

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