其之三 芸州口の戦い・後編
玖波に敷かれた征長軍本陣で、赤井が忙しそうに走り回る兵の姿をほんやりと眺めていた。
「心配してるだろうなあお袋」
巻き込まれて幕末へ来る事になったが、和奈に恨みは感じなかった。むしろ、、いい経験をしているとさえ思っている。
人を斬る事に躊躇いはあったが、新撰組で四番隊の頭を貼る以上、避けては通れない道だと覚悟は決めて居る。
「俺も馬鹿じゃないか」
赤井の中にも、帰りたいと言う思いはなかった。帰る術が見つかったとしても、帰る気がない事もよく解っている。
「やっぱ、おかしいよな。もしかして気が狂っちまってるのかな」
和奈もそうなのだろうか、とその太刀を思い出す。
剣術の腕には格段の差が出来ている。水を得た魚のように剣を振るう和奈が、生き生きとして見えたのも事実だ。
(今の俺で、あいつの剣を止められるのか?)
「おい、少しでも寝とけよ」
水浅葱色の羽織が歩いて来た。
「土方さんも昨日から全然寝てないじゃないすか」
近藤の代わりに征長軍の軍儀に参加したり、残った隊士達の世話などに回り一睡も取っていないのだ。
征長軍と合流する前、老中小笠原は小倉城に向かうと、海路で小倉へと向かってしまった。土方は、京へ戻って欲しいと近藤に願い出た。近藤は渋ったが、局長を失う事態になったら新撰組はどうなるんだと言われては、受け入れるしかない。
「俺も残ります」
斉藤がそう言って来たが、護衛にはお前が一番だと土方は譲らず、斉藤も渋々承知してくれ、槍頭隊・小荷駄奉行隊と共に京へと戻って行った。
「阿呆、俺とおまえじゃ鍛え方が月とスッポンなんだ。偉そうに他人を心配する前に、てめぇの心配でもしとけ」
こういう時の土方は容赦が無い。
「ご命令とあらば」
「・・・・命令だ!」
ゴツン! と拳が頭に振り落とされ、赤井は小さな悲鳴と共に頭を抱え込んでしまった。
「加減ないなぁ、もう!」
けらけらと笑いながら、土方は幕兵の中へと消えて行った。
「何しに来たんだよ」
きっと心配して来てくれたに違いないのは、赤井にも良く解っていた。素直じゃないのが土方なんだと、最近ようやく解ったのだ。
石川の声で目を覚ました和奈は、大きく息を吸い込んでゆっくりと吐き出した。仮眠は少しできたが、体が鉛の様に重たく感じられる。下手に寝たのが悪かったのかと後悔した。
「各隊の割り振りだ。銃撃隊は左山岳と右沿岸に分かれ、砲台を持って行ける場所に設置してくれ。山田隊は銃撃隊と共に山間部へ入れ。本隊が交戦に入る前に砲塔と銃にて一斉掃射を開始、本隊が交戦に入ったら砲塔は捨て、銃撃を単発に切り替えろ。但し、同じ場所で撃ち続けるなよ。それと、くれぐれも味方に当てんように頼む!」
「山田隊は銃撃が単発に切り替わったら側面から奇襲を掛ける」
山田は自隊に注釈を入れた。
「本隊は岩国領兵と共に正面から突っ込む。陣は三百名づつ前・中・後に分ける。前の頭は俺、中は佐々木、後は堀。乱戦になるんだ、頭の位置はちゃんと確認しとけ!、すまんが時間は設けない。状況を見て堀は前へ出ろ。堀が出たら俺は下がる。佐々木が出たら堀が下がる。その繰り返しだ」
石川の指示は人伝で後ろへと伝えられて行く。
「残りの百名は、下がった隊に被害が出たら代わってやってくれ。この戦の正念場はこれからだ! いいか、高杉晋作って言う男の受け売りだ! 皆、命を粗末にするな! 生きてこそ活路は見出せる! 無様でも生き延びる事を考えろ!」
石川の言葉が終ると共に、喊声が上げられて行く。
「各陣配置に就け!!」
銃撃隊と山田隊か陣地から出て行くと、岩国領兵の代表が先陣を切りたいと申し出て来た。
「有り難いが、我ら長州も譲れぬ!」
堀がそう答えると、石川と佐々木が進み出て来た。
「吉川殿の意気込みは我らも承服している。岩州だ長州だと言っている場合ではないのだが、ここはどうか、この通り!」
そう頭を下げた石川と佐々木に、岩国領兵は確かに承ったと笑顔を見せ、では共に戦線へと進みます、と言い残し戻って行った。
「主君に似て引っ込まない奴らだなあ」
「なに、それは我らとて同じ事だ。さあ、時間が勿体ない。山間と沿岸へ向かった隊を援護しなくてはならん。進軍を開始するぞ」
山田隊と銃撃隊を除く約千名と、岩国領兵は玖波へ向けて進軍を開始した。
六月だと言うのに今夜は冷えると、土方は腕を摩った。
「ちっ、気にくわねぇ」
さっきから全身を包む空気でちりちりと肌が痛むのだ。戦に参戦するのは初めてだったが、気後れしているつもりはない。これが戦場の空気かと、落ち着かない自分に腹が立っていた。
空を見げると太陽の光りが空を白く染め始めている。
「土方さん」
永倉が配置について聞いて来た。
「指示はもらってねぇから、自由に動かせてもらうさ。始まったら敵の要を探し出せ。寄せ集めの農民が多いんだ、頭がなきゃ烏合の衆になる」
「承知」
ちらりと座る沖田に目をやる。今日は咳き込む処を一度も見ていない。
(こいつも戦の雰囲気を感じてるか)
見廻りの様にはいかないのだ。咳き込んで蹲れば格好の的となる、それは沖田自身もよく解っているはずだろう。
その時、本陣内が騒然とした。
「伝令!!」
土方が騒ぎの元となっている固まりへ走って行くのが見えた。
(なんだかなあ)
戦に参加しているのに、その騒ぎが他人事のように見えた。
「彦根・高田藩が劣勢! 援護を乞う!」
両藩が壊滅に近い状態で悲惨を極め、本陣への合流もほぼ無理な状況となり、長州・岩国領軍の勢いを止める事が叶わず、目と鼻の先まで進軍して来て居ると伝令が報せに来たのだ。
征長軍は全隊に攻撃態勢を取るよう命令を下した。
動き出した征長軍に合わせ、新撰組も移動を開始しする。
「両藩合わせて数万の軍勢だぞ?」
永倉がおかしいよなと藤堂を振り返る。
「禁門の変とか参加してるし、戦には慣れているんじゃなかった?」
「俺に聞くなよ」
「無駄口たたいてんじゃねぇ」
その一声で二人とも静かになる。
剣戟音を裂くように銃声が鳴り響いた。
「なんだ!?」
驚いたのは幕兵だけではなく土方もだった。
規則正しい間隔で銃撃を受けた征長軍は前進を阻まれている。
「どんだけ銃撃兵が居やがるんだ!?」
この戦で長州軍が使用しているのは装填の速いミニエー銃だ。征長軍の使う旧式のヤーゲル銃や和銃がとは撃てる弾数が倍以上も違うのである。
新式の銃を知らない土方が銃兵の数を気にしたとて不思議ではなかった。
「散開しろ!」
叫んだ土方の命令に従う幕兵はいなかった。
「馬鹿野郎が! 死にたきゃ勝手に殺られとけ!」
固まって砲弾の的になってやる必要はないと、土方は隊士達に振り返って叫んだ。
「俺達は側面から海岸沿いに出る!」
水浅葱の羽織の一団が戦場を駆け出して行く。
砲塔が敵陣へ着弾するのが見えると、続いて銃撃音が響いて来た。
「動くなよ! 敵が来るのをもう少し待て!」
地の利がこちらにあるのは、征長軍の陣を見れば一目瞭然だった。
山手側からの奇襲を警戒するならば、本陣の設置は平地にするべきなのだ。だが征長軍は堂々と山と海に挟まれた陣地に固まっている。
「重い甲冑なんざ役に立たんと言うのに」
敵の大半は動きの取り難い甲冑だ。剣での斬り合いならともかく、銃撃戦には不向きな武装なのである。
武士の誉れなど、下士や農兵が中心の長州軍にはない。しかも甲冑陣羽織を着こんで戦に参加するのは、指揮官が誰か直ぐに判断できる材料にしかならない。
武装や武器だけでなく、実戦経験の有無も優劣を分けている。
高田藩は天誅組との抗争や禁門の変で、戦闘を経験して銃撃戦には慣れてはいたが、大群となる戦の資的要素にはならない。地形や戦況を見て指揮官が迅速な命令を出さなければ、一度や二度集団戦を経験しただけでは、大戦の局面で役には立たないのだ。
逆に長州軍は幾度も戦争で得た教訓を元に、軍事力改編に取り組み洋式銃隊化を図って来た。
近代武器のみならず、甲冑や目立つ色の陣羽織など、旧態依然の軍装を踏襲せず、黒い筒袖の上着に立付袴という軽装が全諸隊に支給された。指揮官の区別はフロックコートを用いる事で、戦場での混乱を回避させていた。
無論、洋装の軍装は幕府の歩兵部隊にも取り入れられている。しかし、その数は一部の歩兵に限られいるのが現状だった。甲冑を身に着ける事で地位の確立と、誇りを維持しようとする士官が多かった。
「長州の力、思う存分味わってみろってんだ」
前方から視線を逸らさず、品川がからかい口調で漏らした。
「山谷を走り回るは我らが十八番。味わえるだけでも喜んでもらわないとな」
伊藤が話しに乗ってきたのが珍しいのか、品川がぱちくりと目を瞬かせた。
「和銃を未だに使ってくれているのは有り難い」
和銃・旧式ヤーゲルとミニエー銃では、射程距離・命中精度に格段の差がある。銃の撃ち合いとなれば、有利になるのは長州軍の方だった。
敵陣から、ときの声となる法螺貝の音が上がった。
「そろそろおいでになるぞ」
銃兵が一斉掃射から単発へと変えた事で、征長軍の足が動いたのだ。
「後は味方に撃たれない事を祈れ!」
臨戦態勢を取らせるため、石川が後ろの隊へ伝わるように剣を頭上に掲げた。
「それ自体無茶だよな」
「阿呆! そのための射撃訓練だったんだろうが!」
百名ずつ配置させた隊列は、石川が前進する事で戦線を上げ始めた。
隊列が動き出すと、側面に居た武市達は山側へと動いた。視線を高く取る事で、標的を見つけ易くできると思ったのだ。
「判るか?」
自問自答だったのだろうが、この声に新兵衛が答えた。
「沿岸側に、淡い色の一団が居ますね」
「どんな視力してんだ?」
以蔵も見逃すまいと目を凝らす。
「指揮は土方くんだろう。銃兵からの狙撃を避け、海岸沿いを進んでいるのだろう」
しかし銃兵は山側だけでなく沿岸側にも居る。
「行くぞ。海岸側の銃兵が見つかれば、両側からの銃狙撃陣が崩れる」
頷きあった四人は、歩みを進める兵士の間を縫うようにして反対側へと出て行く。
その姿は後隊の堀にも見えていた。
「奴さん達、標的を見つけたか」
新撰組。と堀はその三文字を思い浮かべた。京で恐れられる人斬り集団が、大きな戦でどう立ち回るのか見たい気になった。たった四人で討ちに行くと言う武市達の戦いぶりにも興味が沸いた。
しかし、今は戦。己の満足を満たしている暇はない。
体を隠すものが無いと言うのに、躊躇いもせず新撰組の一団が突き進んで来る。
「相変わらず恐れを知らん奴らだな」
銃で隊士の数人が倒れて行く中、その先頭に居た男が後ろを振り返って叫んでいる。
「土方くんか」
あの男が隊の後ろなどに居るはずもない。
「止まれ」
制止されて止まった四人は身を低くした。
「石川くんには申し訳ないが、ここから味方に紛れる。新撰組の近くまで行ったら飛び出すぞ」
前隊に居た石川にもやっと新撰組の羽織が認識できていた。
「海岸沿いへは出るな! 新撰組がこっちへ来るのを待て!」
むざむざ殺されに行ってやる必要はない。
目の隅で、黒い影がいくつか動いた。武市達も新撰組を見つけたのだろう。
「目ざといこった」
ならば自分は敵軍に集中するべしと、石川はにやりと口元を上げた。
敵味方が入り乱れている合間には、どうぞ見つけて下さいと誇張するかの様に、ちらちらと水浅葱の羽織が動いている。
ざっと顔を確認した武市は、そこに斉藤が居ない事を見てとる。
「田中くんは大石を」
沖田、永倉の姿はある。そして陣頭で動いている赤井の姿もそこに在った。
「どうやら己の進むべき道を探し当てたか」
武市の言葉に和奈の視線が泳ぎ、羽織を着て剣を振るう赤井の姿を捉えた。
「よし、行くぞ」
和奈達は一斉に地面を蹴った。
長州軍を蹴散らすように剣を薙払って行く。だが、敵を一人斬る度に、味方は三人、四人と銃に倒れて行く。
「くそっ!」
長州軍が銃兵の数を揃えて来たのではなく、最新の洋式銃を携えている事にようやく土方は気付いていた。
「一次征伐で攻めてりゃいいもんを」
だが、もし一次征伐が執行されていたとしても、この機動力に勝る動きはできないだろうと否むしかない。
海岸沿いにも敵の銃兵が配置されている。
山と海の両側から狙い撃ちされていては、被害が拡大する一方だと、矛先を潜伏する銃兵に向けようとした時、背後から剣戟の音と沖田の声が聞こえて来る。
「土方さん! 奴らだ!」
奴ら?
視線を向けると、そこにはあの夜取り逃がした三人と以蔵の姿が在った。
「おいおい。冗談は一回にしてくれねぇか!」
踵を返し、つま先で地面を蹴る。
ギン!
武市に剣が届く寸前、土方の突き出した剣が弾かれた。
「ほう。あん時の続きがしてぇってか?」
和奈が右八相の構えを取る。
「てか、てめぇらがなんでこんな処に居やがるんだ!?」
「答えてやる義理はない」
嘲笑と共に武市が言い捨てる。
ぎりっ、と歯を食い縛って和奈へと視線を戻す。
「手加減なんざしてやらねぇから、死ぬ気で来い」
平突きで剣を顔の横に構えると、八相のまま切っ先を少し前に落とした和奈へと踏み出す。
突き出された剣を横から左外へと薙ぎ払い、そのまま右薙ぎへと転じる。が、土方も並みの剣士ではない。間髪入れずに切り返された剣は事も無げに払い退けられた。
「その構え、自顕流だよな村木。薩摩のおまえが長州に肩入れしてる理由を教えちゃくれねぇか?」
「残念ですが、僕は長州藩士です土方さん」
これだ、この眼だ。
「苛つくんだよ!」
打ち込まれる剣は重い。多く剣を交える程、体力を消耗するのは自分の方だ。
打ち込んで行く剣を下段から上へ擦り上げられ、永倉は開いた懐に狙いを定めて下へと斬り下ろして来る。
「新撰組で沖田が一番と聞いていたが、おまえの方が一段上手か」
「褒めても手加減はせん」
休む事なく向かって来る奴ほど厄介な者はない。
永倉と打ち合って行くうち、その太刀筋から永倉の剣術が神道無念流だという事に気付いた。ならば、攻めに転じるためには。
上段に構え出したその一瞬をついて、横薙ぎが永倉の胴へと入った。
「ぐはっ!」
並みの相手なら、体の半分まで斬り裂かれているはずの太刀は、皮膚を裂き肉を斬っただけに終る。
「だが!」
腹を押さえていては両手が使えないと、以蔵は容赦なく袈裟斬りに転じた。
人斬り同士の斬り合い程、隙が生じれば命取りになる。
「おまえ、俺と同じ人斬りかい」
剣を上段から天に向かって上げ、腰を低く落として対峙する新兵衛の太刀筋に、大石は自分と同じ人斬りの匂いを感じ取っていた。
「しかも薬丸自顕流たぁ、薩摩と長州の繋がりも、まんざら嘘じゃねぇみたいだな」
土方の推測は、当たらずと雖も遠からずと言う訳だ。
「さて?」
剣に曇りがない、と大石は歯噛みした。しかも顔色一つ変えずに太刀をかわされる。余裕が無くなってきているのは自分の方だ。
一瞬の隙。
それを見逃す事無く、大石の横腹から脇へと剣を振り上げた。
「胸の具合はいいのか?」
その言葉に沖田の目が細められる。
「あなたに心配させる謂れはありません」
間合いを取らせてもらえない。この男は自分の太刀を良く知っているのだ。
「貴方、誰なんですか? 死んだはずの岡田以蔵もここに居るなんて・・・まさか・・・」
武市は浮かべた笑みを消すと、狼狽した沖田の胸元へ滑り込んだ。
「くっ・・・」
一瞬の剣気に圧されてしまった。
「私がこうして使う剣も、いずれ無用の物となる」
「!」
「武士の魂だ、誇りなどは口で語るほど容易く持てるものではない。沖田くん。武士とは、志を貫く事ができる者だ。剣が無くとも、立てた志に背く事無く生きる者の事を言うのだ」
二歩後ろに下がった武市は、沖田の腹部へと足を蹴り出した。
「ぐあっ!」
体が飛び、地面に背中を思いっきり打ちつけた拍子に胸へと激痛が走る。
「ごほっ!」
「病を患っている君には剣など無用、胸を一蹴りするだけでいいのだ」
芸州に入ってから落ち着いていた発作が起こり、体を起こし剣先を地面に付きたて膝を付いて咳き込む。
こんな体でなければ!
自分の体が恨めしく、憎く思える。なぜ、僕が! と。
和奈と対峙する視線の先に沖田の姿が入った。
「ちっ!」
こんな時に発作か。
「すまねぇな、ちっと用事ができちまった」
受けた太刀を命一杯押し返し、唐竹斬りで和奈に間合いを取らせた土方は、左へ走り出しながら障害となる兵士を斬って行く。
「待て!」
後を追いかけ様とした和奈の背中に声が飛んで来た。
征長軍は、山間からの狙撃を防ぐ手段を見出せぬまま、次第に兵士の足並みを崩しつつあった。縦横無尽に走り回る敵兵に翻弄されている。指揮が末端まで行き届いていないのも、兵の乱立を招く原因となっていた。
逆に、長州軍と岩国領兵の統率は乱れることを知らず、豪勇無双の立ち振る舞いを見せている。
山に入った銃兵も、石川の指示通り一所には居座らず、敵兵の動きを見ながら頃合を計り移動して行く。征長軍の銃撃兵が山間へと銃弾を打ち込んで行くものの、照準を合わせきれるものではない。反対に狙撃されている始末だった。
優勢だと見た石川は波状陣形を解き、自軍と岩国領軍に征長軍を包囲する半形態勢を取らせた。
太陽の光りが眼に刺さる。
「土方さんは追わせない」
太陽の光りを背に、赤井が立って居た。
「邪魔をするならば、斬る」
「俺とおまえが斬り合う理由なんて・・・本当なら有り得ないんだけどな」
そうをわざわざ口にされなくても解っている。だが、新撰組へ行くと赤井が決めた時から道を違えてしまっているのだ。いつかはこうなっても不思議はない。
「帰らないと言ったおまえを、俺は馬鹿にした」
赤井は平突きの構えを取った。
「その馬鹿に俺もなっちまった。新撰組四番隊組長、赤井修吾郎、参る!」
突きの速度は速かった。一歩半身を取る動作が遅れていたら、胸元に突き刺さっていただろう。
距離を取り、避けた自分の胸元をちらりと見る。
「謝罪の言葉は、いらない・・・・か」
どこでどう間違ってしまったのだろうと、和奈は思った。赤井が新撰組へ行ってしまった事で龍馬を責めるつもりは毛頭なかった。それは、敵として立つ男が決めた事なのだから。
「ごめん」
「謝罪は言わないんじゃなかったのか?」
「いや、その命を私が奪う事になるかも知れないから」
「舐めんなよ!」
重なり合う剣を挟んで互いの視線が絡み合う。
「幕府に楯突いて、こんだけの人数相手てに戦争やってなんになる!」
「赤井くんは、何も解ってない」
「おまえよりはましだと思うけどな!」
大石にしごかれ、沖田にも稽古をつけてもらったと言うのに、和奈はいとも簡単に剣をかわして行く。
「こんな戦争、気が狂った奴がやる事だろ!」
その言葉に和奈の目が見開かれた。
赤井は背筋に走る悪寒を感じて咄嗟に和奈から飛び退いた。和奈の気が変わったのだ。
「組長!」
四番隊の林が駆け寄って来る。
「来るな!!」
赤井が叫んだ時にはすでに遅く、和奈の払った剣が一閃を描き林の首元に走っていた。
「林!」
和奈は一瞥をくれると赤井から矛先を、新撰組隊士達と長州軍とが戦う先へと変えた。
「おい、林!」
倒れた体を抱き起こしたが、すでにその体は息絶えていた。
なんだ、なにが起こった?
顔を上げると、慌てるでもなく隊士の体を切り裂いて進む和奈が見える。
沖田の前で土方と打ち合っていた武市は、異質な気を感じ取った。
「!?」
土方も感じたのだろう。両者が鍔迫り合いのまま、視線を戦闘の激しい方へと向けた。
「和太郎?」
「おい・・・何だありゃあ」
舞いを舞う様に迫り来る剣を、体中に眼が付いているかの様に全ての剣をかわし、相手の体へ一太刀、もう一太刀と剣先を走らせている。
武市はその場から駆け出した。
呆気にとられていた土方は我に返りその後を追おうとしたが、沖田をこのままにしては行けないと足を止めた。
「掴まれ総司。ここから退くぞ」
もう征長軍の劣勢は火を見るより明らかだった。数万の軍勢が、千にも満たない農兵の軍勢相手に手も足も出ていないのだ。
永倉が腹部に手を当て、隊士に支えられながら土方の方へとやって来た。その後から、憤怒の顔を崩さない大石がやって来た。
手傷を負わされた二人の内、永倉の傷が一番酷い。
「後退する。隊士に号令を出せ。あんなのを相手にさせたら、命がいくらあっても足りん」
新撰組だからではなく、切り掛かって来る全ての者へと致命傷となる剣を振るっていた。
和奈の様子は尋常ではない。その気を感じ、既に以蔵と棚かも駆けつけていた。
「和太郎!?」
以蔵の声に顔だけが後ろを向いた。
「おまえ・・・」
その眼に正気の色はなく、白い歯を見せた口元だけが笑っている。
「何をしている!」
背後から駆けて来た武市は、立ち止まる事なく和奈の方へ走って行く。
ガァン!
一発の銃声が響いた途端、和奈の体が後ろへと反り返った。
「和奈!」
膝から崩れ落ちるその体を、地面に倒れる寸前に抱き止める。
「!」
何処だ、何処を撃たれた!?
よく見ると、左肩の少しに生地が外へと飛び出ている。そこに手を当てると、ぬるっとした感触が武市の手に張り付いた。
「肩か」
急いで体を抱き上げ、狙い撃ちされないよう態勢を低く取るとその場から急いで離れる。
「追撃させるな」
すれ違い様、以蔵にそう言った。
「承知!」
影となるものが見当たらない。
「くそっ!」
早く止血しなければ、出血で命を落としかねない。
武市は味方の後方へと方向を変えた。
「撃たれたのか!?」
和奈を抱えた武市の姿を認めた品川が走りながら側へ付く。
「陣地へ戻ってくれ」
「すまん」
「負傷者の手当てが優先だ」
足を止め、品川は再び戦場へと取って返して行った。
一刻も経たないうちに、征長軍の法螺貝が細い音から太い音へ吹き鳴らされた。撤退を報せる合図である。
その音で退却を始めた征長軍を長州・岩国領兵が追撃し、山間と海岸側からも伏兵が戦場に雪崩れ込んで出来たため、征長軍は三方から挟撃される事となってしまった。
玖波村の半数にも上る家屋が焼失し、長州・岩国領軍は大野まで征長軍を追撃したが、勝機を失った征長軍からついに和を乞う伝令が届き、休戦となったのである。
太陽が頂点に差し掛かる頃、長州・岩国領軍は玖波を落とした。
敵陣にて回収確保した兵粮は、この戦で罹災した村々へと分配される事になった。
生け捕りとなった彦根・高田藩兵も、この戦に対して諸藩兵に責任はないと、酒や食事もちゃんと支給され、路銀500疋を与えて国境で解放された。
長州軍の捕虜に対する待遇は決して悪いものではなく、【中々以て敵対すべからず、彼国の武威凛乎、武備充実、軍令行届きたる事は、異口同音に是を賞歎す】と、彦根藩の敗北については語られずとも、敵軍である長州軍に対しては異口同音に賛美する声が彦根城下に広がる事となったのである。
芸州と周防境での戦闘で征長軍が大敗を喫した報せは、瞬く間に巷説によって日本国中へと広がって行った。