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幕末奇譚 『志士 狂桜の宴』  作者: 夏月左桜
奇譚九幕 暗雲低迷
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其之四 兵達との再会

 山口へ入った桂は、和奈達を普門寺へと連れて来た。

「諸隊に兵学を教えている方で大村さんと言う。これからの事もあるから一度会っておいてほしい」

 征伐を踏まえ、仕官教育もそこで行っている、と桂は言った。

「誰が言い出したのか定かではないが、歩兵・騎兵・砲兵を教える事から三兵塾と呼るようになってね。今じゃ普門寺よりそちらの名の方が有名なんだよ」


 江戸で鳩居堂という塾を開いた大村益次郎は、蘭学・兵学・医学などを教える傍ら、本業の医者として過ごして居た。

 桂が大村と出会ったのは、吉田松陰の遺体を受取るため江戸小塚原の回向院に行った時だった。そこで死体解剖を行っていた大村を見て、知った顔だなと思ったらしい。

「気になったので、近くに居た者に名を尋ねたら蘭方医の大村先生だと言う。そう言えば、同郷でそんな名の医者がいたなと声を掛けたんだ」


 桂が、松陰の亡骸を引き取りに来たのだと告げると、大村も惜しい方を失ったと悲しんだそうだ。

 それから江戸を訪れては大村と話す機会を作り、やがて医者である彼が兵学にも精通している事を知る。来訪を重ねる内に、大村も徐々に培ってきた兵学について語るようになる。

 桂はこれほど兵学に知悉している人物はそう居ないと、帰国しては敬親に大村の話しするようになった。


「藩庁が山口へ移った時、軍務に付けたいと江戸から呼び戻してもらったんだ」

 桂から大村がどういう人物なのか聞き及んでいた敬親は、一も二もなく許可を出し、藩命で大村を江戸から呼び戻したのだ。

 帰国した大村が謁見を賜った際、防長二州一和と軍政について敬親に熱く語り、これに甚く感動した敬親は、御用所役として軍政に専任するよう命を下したと言う。

 久坂さんとも懇意にして居たんだよ、と淋しげな表情で桂は言った。

「桂木くんは知らなかったかい?」

「ええ。江戸にはいい思い出がありませんから、足を向ける事も少なかったので」

 小さな門を潜って行くと白壁が途切れ、和奈達は小さな階段を上って行く。すぐ目の前に見える家屋で、大村は講義を行っている。

「ここへ来るのは久しぶりだ」

 正面入口から中へ入ると、桂達に気付いた大村が講義を中断し駆け寄って来た。

「随分と早いお戻りで」

「これからの事を大村さんと相談せねばなりませんし、敬親公からの通達も届いたので戻りました」

「光栄な事です。老士ではありますが、出来うる限りの尽力はさせて頂きます」

 浮かべた笑顔から、人の良さそうな初老の男である事が判る。

「諸隊編成案を見て頂いていたのは正解ですね」

「有る程度の基盤ができて居たのは助かりましたよ」

 内乱沈静後に諸隊を統合整理した桂は、長門国の諸隊配備について大村に相談をしていた。

 編成案を見た大村は、諸隊の配備は征長軍侵攻を想定し行う事と、歩兵・騎兵・砲兵の戦術訓練を徹底させる必要性があると述べた。同意した高杉は、駆け回る自分達の代わりにと指導を大村に一任したのである。

「また忙しくなりますが、よろしくお願いします」

「覚悟はとうにしております」

 佐世と石川も、和奈達の姿を見て駆け寄って来た。

「桂木さんじゃないですか」

 桂に一礼してから、和奈に久しぶりだと嬉しそうに石川は笑い掛ける。

「お元気そうですね石川さん」

「おう! そういうお前も元気そうだな」

「君が居てくれて良かった。石川くんの隊で、この四人を引き受けてくれないかな?」

 四人? と以蔵の横に立っている男に視線を向ける。

「俺は構いませんが、奇兵隊の方がいいのではありませんか?」

「桂木くん達の要望で、芸州へ参加する隊に入れたいんだ」

 その芸州に新撰組が入っているんだよ、とその言葉で石川の顔から笑みが消えた。

「大揉めになりそうな予感がする」

 大村も新撰組の噂を知っていたらしく、だから隊の配置を変えたいのです、と呟いた。

「大村さんに任せて申し訳ないが、晋作が戻るまでに有る程度の配置は決めて頂きたい。細部はその後と言う事で」

「ええ、承知しております。隊士の入れ替えを先に行ったのはまずかった。指揮官の指令系統作りだけでいいと一息ついたところなのに」

 配置を一から考えて練らないと、もう大村の頭の中はその事で一杯になっている様だった。

「あまり邪魔をしては悪い。私はこれで失礼させて頂きます。桂木くん達は大村さんの講義を受けるといい」

「講義ですか・・・」

「おまえも少し兵学を学んでおきない。ああ、医学も教えてもらえるよ?」

「二つも無理です」

 兵学、医学と言われ、大学の講義に参加する気分になる。

「では大村さん、後はよろしくお願いします」

 桂が出て行くと、考え込んでいる大村をそのままに、佐世と石川は四人を各隊の頭取に紹介して回り始めた。

 それを咎める事もせず、正面の席に戻った大村は講義もそっちのけで、何にやら書き始めいる。

「その人は?」

 ずっと気になっていた見慣れぬ男を見ながら、石川は切り出した。

「京に居た私の同士だ。手配が付いてしまったので連れて来た」

 新兵衛は無言で頭を下げた。

「・・・手配されるなら、それなりの腕、って事ですか?」

 佐世の言葉に、武市はただにっこりと笑みを浮かべただけだった。

「段々と桂さんに似て来てないか?」

 石川は小声で和奈にそう囁く。

「それ、高杉さんも言ってました」

 桂さんが二人も居たらたまらんと、石川は泣きそう顔をした。

「ところで、桂木さん達も隊に入るんですよね? 何処の隊に所属か決まっているんですか?」

 所が気になると乗り出して来る。

「俺の隊だ」

 石川がふふん、と笑うと所は慌ててしまった。

「それ、ずるいですよ!」

「なに言ってる。おまえの持ち場には大村さんの隊がいるだろうが」

「それはそうですが」

 挙兵で参戦した二人の腕を見ているだけに、できるなら自分の隊に入れたいと思ったのだ。

「芸州に、恋しい相手が居るらしい」

 井上の言葉に、女か!? と同時に声が上がる。

「井上さんの揶揄だ、本気に取らないでくれまいか」

「新撰組が芸州に居るんだとさ」

 そう言った石川の表情は堅い。

「新撰組!? なんで京の治安組織が芸州に?」

 膺懲(ようちょう)隊頭取赤川敬三が、所の頭を押し退けながら聞いてきた。

「訊問にと、幕府のお偉いさんが芸州入りしてる。その護衛だろうと思うが」

 井上もその推測の域から出れないでいた。征伐の為と参戦せずそのまま京へ帰ってくれれば有り難いが、そうならない可能性は捨てきれないのだ。

「それで芸州組みか」

 なら自分の隊に参加は無理だなと、所は残念そうに言った。

「大村さんも隊を率いて参戦されるのか?」

 武市の感心はどうやら新撰組より、そちらに向いていたらしい。

「ええ。頭取として振武隊を任されています。凄い方ですよ大村さんは」

 井上はちらりと大村に視線を流したが、一向にこちらへ注意を払わない様子なので、今日の講義はもう無いだろうなと内心笑っってしまった。

「高杉さんと大村さんが揃うと、もう大変なんですから」

 どう大変なのかと和奈が聞く。

「起きてから寝るまでずっと講義に訓練!」

「・・・確かに大変だ」

 訓練ならまだしも、講義に参加したいと益々思わなくなってしまった。

「ほら、見てみろ」

 石川が大村の居る方に顎を突き出した。

「指揮系統をどうするか考えているんだろうけど、ああなったら俺達が居ようが居まいが、案が出来上がる迄もう動かない」

「講義は?」

「ない!」

 どんな講義をされるか興味があったのに、と武市は残念そうだった。

「もう講義はないんだし、場所を変えるか」

 戦略構想に没頭してしまった大村は、佐世達が戸を開けても注意を払わず、ただぶつぶつと言いながら首を傾げたり腕を組んだりを繰り返している。これでは何時終るか知れないと、名残おしそうに武市も出て行った。

「ほら、行った行った」

 所に背中を押され、和奈はわいわいと歩いている一団に加わろうと追いかけた。


 石川達は、亀山東麓にある明倫館と呼ばれる藩校に和奈達を案内した。ここには練兵場が備わっているため、子供だけでなく兵士も訓練に通って来る。

 萩城内にも明倫館は在ったが、藩庁が移った際、私塾だった山口講堂を改称し山口の明倫館として開校させたのだ。萩・山口両校は水戸藩の弘道館、岡山藩の閑谷黌(しずたにこう)と並んで、今やこの国の三大藩校の一つとなっている。

 高杉や桂も萩の明倫館を出ており、二人が師と仰ぐ吉田松陰もこの藩校の出身者だと石川が説明した。

「小五郎さん達が通ってた姿を想像できない」

 和奈が真剣に想像しようとしているのを見て、所も赤川も確かにと同意を示した。

 校内では至る処で寝そべっている男達の姿が在った。

 各地から三兵塾に出向いて来る者の多くは、旅籠を利用せずこの明倫館に寝泊りしているのだと言う。旅籠に泊まる賃金を考えると、寝心地は悪くてもただで寝泊り出きるこの場所の方がいいのだ。

「隊所属になると士分扱いされて金三分(約十五万円)が支給されるが、それ以外は給金を貰えないからな。少しでも安上がりになればと、ここを開放してるんだ」

 それでも講義を聞くため、遠くからやって来る人が多いと言う。

「みんな雑魚寝になるがな!」

(修学旅行みたいだ・・・)

 なんだかわくわくして来た。家族旅行とは違い、友人との旅行は親の目がない分楽しみが増える。そういった懐かしい思い出が、学校というみの場所だからなのかふと蘇る。

 どこからか酒が運ばれ、つまみも並ぶと結局宴会になるのがこの時代の男達の習慣のようだった。

「ところで、村木はどこの流派を習ったんだ?」

 話が朱子学と徂徠(そらい)学の難しい話しに及ぶと、話しに付いていけんと酒を片手に所が抜け出して来る。

「山鹿流だ」

 心形刀流と答えようとした和奈より先に、武市がそう口にした。

「山鹿流!? えらく古風な流派を選んだんだなあ」

 と言われても、和奈にはその流派に聞き覚えがないので何とも言い返せず、武市へ視線を向けるしかなかった。

 武市としては余計な詮索をされないために、長州出身の和奈が江戸の四大流派の一つである心形刀流を習っていた事を伏せたのだ。

「流派がどこであれ、剣を学ぶ時に大切なものは変わらぬだろう」

「で、なんで桂木さんが答えるんですか?」

「やぼな事を聞くんじゃない」

「なになに?」

 石川の一言で、難しい顔をしていた者までもが、放置してはおけないと話しに加わって来る。

「やぼ?」

 と佐世が眉間を狭めて意味深な顔を石川に向ける。

「やぼ?」

 そして和奈もつい復唱してしまった。

「え? と言う事は・・・」

 所が恐る恐る武市を見る。

「えええーー!?」

 叫んだ所が武市から少し後ずさりした。

「頼むから、話をややこしい方向に持って行かないでくれまいか」

「そうだ。一々先生の趣向に口を挟むな」

 以蔵の一言が決め手となり、男である和奈と武市の不条理な関係、という図式が出来上がってしまったようだった。

「またそれか・・・」

 反論しても、きっとこの男達は納得しないだろう。下手に言い訳をするより、話しを聞き流す方がいいように思えたので、和奈は何も言わず酒を飲み干した。

「新之助、解っているだろうな?」

 武市が凄んでも、酒の入った以蔵には効かなくなっいる。それどころか、もう諦めて下さいと念を押してしまったのだ。

「確かに村木は優男だしな。そうなっても仕方ないか」

 赤川はにやけ顔で所の脇腹を小突き、新兵衛は後ろで声を殺して笑っている。

 突然足音が響いたて来たと思ったら、斉武隊の太田市之進が血相を変えて飛び込んで来た。

「伝令!!!」

 その緊迫した叫び声に、皆の顔つきが変わる。

「征長軍が芸州に入った!」

「陸からか!?」

「西国街道と山陰街道両方だ! 諸隊はすぐ各方面に配置しろとの命だ!」

 その言葉が終らぬうちに、赤川と所が飛び出して行く。

「海路は?」

「今判らん! 俺は大村さんの処へ行く、後は頼む!」

 太田が大急ぎで出て行くと、石川はその場にいた隊士らに声を掛て行く。

「馬がある、我らも急ぐぞ」

 さっきまでの和気藹々とした雰囲気はもう無くなってしまい、また戦が始まるのだ、と和奈は思いつつ夜の街道に馬を走らせた。

 諸隊が動ぎ出すのに合わせ、伝令が届いた三田尻の海軍局でも、要である下関の防衛を強化させるため軍艦を出航させた。 周防南端沖に在る屋代島の方角へと、富士山丸を先頭に翔鶴丸・旭日丸・雲丸・大江丸を含む幕艦二十二隻が、瀬戸内海の波を掻き分け進んで来ていた。

 そして慶応二年六月七日、四国松山藩を含む幕府海軍は、屋代島への砲撃を開始したのである。

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