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幕末奇譚 『志士 狂桜の宴』  作者: 夏月左桜
奇譚八幕 縷縷綿綿
31/89

其之二 薩長同盟

薩長同盟六か条

一、戦いと相成候時は、すぐさま二千余の兵を急速差登し、只今在京の兵と合し浪華へも一千程は差置き、京阪両所相固め候事

一、戦、自然も我が勝利と相成り候気鋒相見え候とき、其節朝廷へ申上げきっと尽力の次第これあり候との事

一、万一敗色に相成り候とも、一年や半年に決して潰滅致し候と申す事はこれなき事に付き其間には必ず尽力の次第これあり候との事

一、是なりにて幕兵東帰せし時は、きっと朝廷へ申上げすぐさま冤罪は朝廷より御免に相成り候都合にきっと尽力との事

一、兵士をも上国の上、橋、会、桑も只今の如き次第にて、勿体なくも朝廷を擁し奉り、正義を抗し、周旋尽力の道を相遮り候時は、終に決戦に及ぶほかこれなくとの事

一、冤罪も御免の上は、双方とも誠心を以て相合し、皇国の御為に砕身尽力仕り候事は申すに及ばず、いづれの道にしても、今日より双方皇国の御為め皇威相輝き、御回復に立ち至り候を目途に誠しを尽くして尽力して致すべくとの事なり



 肩の傷も塞がり、胸の傷の痛みもすっかりなくなっていたが、赤井が部屋から出ることはなかった。時々大石が気にして障子を開けてくれるが、外に出たいという思いが欠落してしまっていた。

「大石さん、退屈でしょう?」

「そうだなあ」

 監視のためにと、土方かから命令されて見廻りにも出ていないのだ。

「俺のせいで迷惑かけてしまってすいません」

 何回謝ったか。沖田の体調がすぐれず一番隊を任されていたのに、こうして時間を無駄に使わせてしまっている事が申し訳なかった。

「楠との線がなくなったらなあ」

 大石はもう赤井が間者などではないと確信している。理由はと聞かれても、ただ直感だとしか言えないので、沖田もそれでは納得できないと未だ疑惑は晴れていない。

「やっぱり大石さんも、武士になりたくて新撰組に入ったんですか?」

「んー。まあそうだな。俺の父親は一橋徳川家の近番衆だから、武士っちゃあ武士なんだが。ちょいとこ揉め事起こしてよ脱藩してるから武士じゃないな。脱藩てか、家出だな」

「家出ぇ!?」

「おうよ。んで、食わねぇと死んじまうから大工んとこへ転がり込んだ。そこの棟梁の息子が剣術の稽古にと、日野宿の出稽古用道場へ通っててな。ちぃと出向いたわけよ。そしたら土方さんや沖田が居たんだ。池田屋の件があって不足した隊士の募集をしてるから来ないかと、土方さんから誘われたんだ。俺も大工してるより、剣術のが性に合ってると思い始めてたからな、その誘いに乗ったんだ」

 武士になりたいと、皆が新撰組に入って来るものとばかり思っていた赤井にとっては、まさに寝耳に水だった。

「だから俺には土方さんや沖田みたいに武士に拘る事がねぇ。ってか、剣を持ってるのが武士、と思ってたからな」

「違うんですか?」

「ああ。近藤さんは、帯刀なんざ誰でも出来る。武士とは忠義を持って仕える者に尽くし、戦いの中に死ぬ場を見付る者の事だ、って言ってるけどな」

「忠義・・・」

「あの人の君主はは会津藩の松平殿とか幕府の将軍なんだろうけど、土方さんの場合は近藤さんなんだ。人によって主君は変わっても気持ちは同じなんだろうよ」

 ああ、だから土方さんは近藤さんの事を考えて行動するんだ。

 近藤のためなら、土方は命も顧みず危険に身を投じて行くのだろう。それが武士であると言う事。忠義をもって、忠誠を持って仕えると言う事なのか。

「じゃあ俺の主君は土方さんか」

 大石に対しての言ったのではなく、思った事をぽつりと呟いてしまっただけだった。

「やっぱおまえは間者じゃない、俺は信じるぜ」

「信じてくれるのは嬉しいんですけど、証明するのは難しいですよ。沖田さんは完全に疑ってるし、楠くんが狙ってたのは俺に間違いなさそうだし・・・はぁー。どうしていいのかもうさっぱりです」

 外が騒がしくなった。見廻りに出ていた隊士が戻って来たのだろう。

「見廻り・・・そうか! おい、おめぇの嫌疑、晴らせるかも知れねぇ!」

 大石は障子を開けると、戻って来た隊士に土方さんを呼べと大声で叫んだ。

「なんでそこんとこに気付かなかったんだ!」

 どこだかさっぱり判らない赤井は、首を傾げるしかない。

 やがて土方がいつものしかめっ面でやって来た。

「俺を呼びつけるなんざ百年はぇよ」

「見廻りですよ、見廻り!」

「・・・赤井に頭でも殴られたか?」

「殴られる前に斬ってます」

「そうだったな。で、見廻りがどうした?」

「楠は一番隊が担当する見廻りの順路を知っていた。だが、あの晩からの順路は俺しか知らねぇ」

「おめぇ、隊士に順路教えねぇでどうするよ」

 呆れて物も言えないはずだが、土方は呆れて物を言う性格だった。

「忘れて出ちまっもんは仕方ねぇ。だからだ、赤井が楠に伝えるのはできねぇんだ」

「大石よぉ、それが何を意味すんのか、判ってんだろうな?」

「だから、赤井じゃねぇって・・・あ・・・」

 ふぅーっと息を吐いて、土方は部屋に入ると障子を閉めた。

「こいつが間者とは俺も考えてねぇ。だが、それを裏づけするもんが見つからんとどうしようもない。あれこれ考えあぐねてたってぇのに、余計厄介な問題出すんじゃねぇ」

 見廻りがかち合わない様、市中の順路を組長が集り事前に取決めを行う。つまり、大石が隊士に順路を伝えていなければ、知るのはその晩担当に当たっている組長の誰か、という事になるのだ。

「あの晩は一番隊と三番隊、八番隊と十番隊だったな」

「それが、八番隊と四番隊が交代してる。藤堂は伊東さんの用事でどうしても抜けれねぇって、非番だった松原さんが変わったんだ」

「伊東の野郎、俺に断りもなく隊士使うなとあれ程言ってあったのに!」

「なんで、俺も含めて四人が情報を流せる立場にある」

 とんだ事になってしまった。今度は大石が疑われる番になってしまっている。

「大石さんは違いますよ!」

「んな事たぁ、てめぇに言われなくても判ってる!」

 土方の苛立ちは、組長の中に裏切り者が居るためなのだ。

「まっさきに駆け付けたのは原田だったな・・・」

 桂と楠を逃がした時に原田も居た。そして赤井を斬った男を仕留めたのも原田だ。

「そりゃあねぇぜ・・・原田さんが、まさか・・・」

「確認するまでだ。二人とも斉藤呼んで近藤さんの部屋へ来い」

 疑いが晴れそうだったが、代わりに見張りをしていた大石がその立場になり原田が疑われている。今生きて居られるのは原田が駆けつけてくれたからだ。だが、楠が捕まって、情報を漏らしたとばれるのを恐れて口封じに殺したと考えると、つじつまが合ってしまう。

「そんな顔すんじゃねぇよ馬鹿野郎」

 安心しろと言わんばかりに、大石は笑顔を浮かべてくれた。


 渋面の近藤を前に、土方、沖田が戸口に座り、斉藤と原田、松原と大石が向き合っている。赤井は戸口に近い隅に居場所を作った。

「土方から話しは聞いた。赤井くんが狙われたのはほぼ間違いと私も思う。問題は、一番隊が組んだ順路についてだ」

「当日、大石の馬鹿が隊士らに順路を教えてねぇから、赤井から楠に漏れる可能性は消える」

「それで俺達に矛先が向いたのか」

 斉藤は組長格が集められた意味が判ったらしい。

「俺だって疑って呼んだんじゃねぇ。だが、眼前の不可能を取り除くと、それしか残っちゃくれなかったんでな」

 近藤は原田達から当日の行動を聞き出す。

 組長参加の見廻りは、昼と夜の二回に分けて四隊が出る。維新志士の夜襲を警戒するため、順路は定期的に変更していた。昼なら朝、夜なら夕方の食事後に決められ、隊士に伝えられる。隊の数も、長州征伐前は三隊だけだったが、禁門の変の後から志士達の行動が活発になり、組長らからの申し入れで一隊を増やしていた。それ以外の見廻りは、各隊隊士らが当番で担当する決まりとなっている。

 変更された順路が決定した後、斉藤は時間まで隊士の稽古にで居た。隊士から聞けばその時の行動が判るだろう。原田は一人で部屋に、松原は太鼓楼で見張りをしていた四番隊に、交代を伝えに行った以外は何もしていない。大石も赤井と部屋に居ただけらしい。

「原田、大石、赤井が部屋にずっと居たという確証はない。原田は現場にまっさきに駆けつけているし、楠を殺った本人だ。証拠隠滅に動いたって言われても仕方ねぇよな?」

「まあ、そうだ。前回取り逃がした時も俺が居たし、疑われても仕方がない」

「斉藤は、まず外の人間と接触はできねぇ。隊士の居る間者を連絡係にしてたら話しは別だが」

 否定もせず、うんと頷く。

 暫く重い沈黙が流れた。

 息遣いがやけに耳に届くと、赤井は唾を飲み込んだ。

「松原。てめぇ、なんで八番隊との交代の件、俺に知らせなかった?」

 大石が横を向いた。

「太鼓楼へ行く暇があるんだったら、先に俺か近藤さんとこへ来てもおかしくねぇよな?」

「外部と一番連絡を付けやすい・・・か」

 握られた手が小刻みに震え、その顔からは血の気が引いている。

「池田屋ん時、戦功を挙げたてめぇが、なんでだ?」

 当初から新撰組としてやって来た仲間の裏切り。土方はそれがまだ信じられなかった。

「なんか言ったらどうだ!!」

 立ち上がって松原の前へ行くと、その胸倉を掴み上げる。

「言い訳くらい用意してんだろうがよ!」

 土方は誰も疑いたくはないのだ。山南の脱走についても影で苦渋を飲んでいた。加えて組長の反逆行為に怒りを通り越して悔しさしかないのだろう。

「松原、おまえとは精忠浪士組からの付き合いだ。是まで新撰組の一員として、懸命に尽くしてくれたのは私も土方も十分解っている。誤解なら、ちゃんと説明してくれんか?」

 手を離した土方は、その場に座り込んだ。

「・・・楠は・・・・・・俺の息子なんだ・・・」

「なにっ!?」

 その場に居た者全員が聞く耳を疑った。

「ちっょと待て、息子って何時ん時のだよ!」

 松原は今三十一歳だ、どう逆算しても元服(十五歳)前に出来た子と言う事になる。大石はなぜ密偵をしたかより、その疑問に突っ込んでしまっていた。

「播磨を出てから京に来るまで、俺だって知らなかったさ。播磨にいた時、奉公に出て来ていた女と恋仲になって、多分そん時だと思う。目鼻立ちがよく似ていたから、楠から声をかけられた時すぐあの女だと解った」

「で・・・息子可愛さに、仲間を売ったてぇのか?」

「そんな馬鹿な事はせんさ! 前の日の事だ。相談したい事があるから会いたいと連絡が来た。ほら、俺に文が届いただろ?」

「あれか・・・」

 差出人は女で、内容にもおかしな処はなかったので別段気にも止めなかった。

「脱走した身だからな、夜の見廻りの時にと思ったんだ。だが数日は昼担当だ、いつにするか考えてたら八番隊が出れないと・・・丁度いいと思った。あんたに知らせなかったのは、楠が絡んでたからあえて知らせなかった。見廻りの後でいいと、思って」

「だからって、なんで一番隊の順路まで伝えなきゃならねぇんだ!」

「それは俺が悪い。一番隊は出るのかと酷く怯えてたから、沖田は居ないし、高瀬川沿いを四条方面へ抜けるから四番隊とはかち合わないと・・・あいつが赤井を狙っていて、情報を聞き出すために文を寄越したと知ってたら伝えてないさ!」

 土方は顔を押さえた。詳しい順路を口にせずとも、闇討ちするならそれだけで十分な情報と言えるのだ。

「赤井くんを狙うとは知らなくても、見廻り中に会うのは危険と考えなかったのか?」

 近藤も当惑を隠せないようである。

「・・・女の格好で来ると」

 またそれかと、土方はいい加減にうんざりとして来た。

「見廻り中に逢引くらいじゃ、俺に怒鳴られこそすれ、切腹まで行くこっちゃあないからな」

「ああ・・・だが、あんな事になるとは・・・本当にすまん!!」

 後ろへ下がると、松原は両手を付いて頭を下げた。

「すまんで事が済めば楽なんだが、隊士が四人殺されているんだ」

 近藤とて、八月十八日の政変の御所門警備の時も、臆すことなく任務を遂行した松原が、裏切るつもりでした事ではないと解っている。が、策略に嵌ってしまったとは言え、隊に被害が出てしまっているのだ。

「どういう理由があれ、脱走した奴の事を黙ってんじゃねぇよ馬鹿が!」

「脱走は死罪だ! だから俺はあいつを・・・国許の女んとこへ帰してやりたかったんだ」

 父親の情というやつだ。見廻り中に会って帰れと伝えたかったのだろう。だが、結果として逃がしてやりたかった息子の首は晒される事になっている。

「脱走者の隠蔽と、情報の漏洩。もう、言い逃れできんぞ」

「ああ。覚悟はしてた、あいつの首を見た時にな。直ぐに申し出たかったが、国許で女が不自由しないよう知人に頼んでからと思ってな。赤井、すまんな、俺のせいで怪我させちまって」

「松原さんのせいじゃないです。俺がもっとちゃんとしてたら・・・」

 それ以上は何を言っていいのかも解らず、ただ顔を伏せるしかなかった。

 楠の闇討ちについては後味が悪いまま、松原の切腹で幕が下ろされた。

 赤井が間者ではないと疑いは晴れたが、なぜ狙われたのはまでは判明していない。しかし土方は見廻りに戻しても問題ないと、近藤の許可を得て戻すと決めた。沖田は不服そうだったが、手元に置いて見張ればいいという土方に、とりあえず納得したのだった。


 楠に命令したのは恐らく桂のばすだ。あの夜、桂が居たのだから繋がりは明白。そして、自分を殺そうとした。考えられる理由は村木の事だろうか、それとも未来の情報を漏らされると考えたからだろうか。どちらも当たっている気がした。なら新撰組に来た時にどうして動かなかったのだろう。

 関係のない者を巻き込んで命を狙って来たことに腹立さを感じた。

 幕府転覆を狙って動いている維新志士、幕府の命で京の治安を維持しようと日々駆け回っている新撰組。

 今ならはっきりと言える。

「俺は、新撰組だ」

 合わせた手に力を入れ、赤井は額を押し当てて言った。



 慶応元年十月十五日。

 西郷は薩摩へ取って返すと、小松らと共に兵を率いて上京を開始した。幕府に対する兵力に、大坂に駐屯している数では不足と考えたのだ。

 十一月中旬に摂津へ着いた西郷は、兵の半分を大坂に置き京へと入っていた。

「またもや会談を欠席するとは言わないだろうな」

 大久保の前で胡坐を組み、到着してからずっと西郷はだんまりを決め込んでいた。

「筋は通す。おはんは気苦労好きでいけん」

 漸く口を開き、恨めしそうに大久保へと視線を投げる。

「それならいいのだが。何分、気に掛かる事が多様で少々疲れ気味なんだ。そこへ来ての上京の知らせだ。これで薩摩は幕府関係から耳目を集める事になる。本当に動きづらくしてくれたものだ」

「おはんの行動を配慮していては、幕府の馬鹿どもに先を越されていまう」

 はいはい、と大久保は西郷に茶を入れて進めた。

「桂くん達が到着するのは年明けになりそうだ。それまで済ませたい事が山積みなのだが、吉之助さぁが気掛かりでおちおち出歩けやしない」

「ここから動かんと約束すうから、おはんは好きに動けばよか」

「それは嬉しい申し出だ。会談に関しては私は動かんのだから、上手く話しを勧めてくれよ?」

「なぜ、一蔵さぁも来ん?」

「本気で言っているのか? 倒幕派の私で事足りるのならば、すでに同盟は締結しているではないか。桂くんと幕臣のおまえが和議を行う事に意義があるんだ。私の出る幕はあるまい」

「高見の見物か」

「ああ、そうさせてもらう。せいぜいその首落とされんように頑張ってくれたまえ」



 今年ももうすぐ終るのだと、和奈は空を見上げた。

 長州に戻ってすぐ、京から報せが入って落ち着く間もないまま萩を出て居た。

 経路は瀬戸内海に面した西国街道を行く。

「今度こそ、話し合いができますよね?」

 舞いを生業とする桂に同行という形で、高杉が舞の奏者、世話役に御楯隊から品川弥二郎、護衛で和奈と武市、以蔵は今回桂の亭主という役になり京への道を進んでいた。

 足軽品川弥市右衛門の嫡子として萩に生まれた弥二郎は松下村塾の門下生の一人だ。高杉らと共に、イギリス公使館焼き討ちを実行し、禁門の変では八幡隊隊長として参加。その後太田市之進らと御楯隊を組織している。

「行ってもらわんと困る!」

 桂の亭主役となった以蔵は、そう告げられた晩からずっと不機嫌になっている。

 警護なら俺がするから、亭主役は武市でいいだろうと懇願したが、高杉の面白いからいいの一言で却下されたのだ。

「予行演習と思え」

「なに!? おい、その話しを詳しく聞かせろ!」

 これに高杉が食いついた。

「高杉さんの前で余計な事を言わないで下さい!」

「いずれ京に着けば知れる事だろう。それとも、本人の前で喋ってほしいと言うのか?」

 以蔵ばぶんぶんと顔を振るだけで、なんだと問い詰める高杉を追い払う余裕すらなくなってしまった。

「あんまり岩村さんを苛めちゃだめです」

 以蔵の顔が真っ赤に染まっているのを見て、桂は横を歩く以蔵の腕に手を通して言った。

「僕では役不足だろうけど、岩村くんのためなら一肌脱ぐよ?」

「だあぁぁぁぁ! 頼みます、それだけは勘弁して下さい!」

「いかん。この一行、面白すぎる」

 品川は参加するより、皆の掛け合いを見る方に回った。

 桂の舞いも興味あるが、四人の掛け合いを芝居に見立てる方が面白いと言った。

「楽しむな弥二郎!」

 剣術を教えてほしいと部屋を訪れた時の以蔵とは、仕草も言葉遣いも柔らかくなっていると和奈は思った。それはお京と出会ったからか、それとも岡田以蔵の名前を脱いだからなのかは解らないが。

 播磨から摂津に入った一行は、能勢街道との結節点である瀬川で二度目の正月を迎えることになった。

 紅葉の時期だと良かったのに、と桂は残念がっている。

 雪が降り出していた。この分だと明日には雪景色になるかも知れない。

「寒くないか?」

 桂の護衛のため、廊下で見張りをしている和奈の所に以蔵がやって来た。

「死にそうです」

「替わってやるから中へ入ってろ。熱でも出されたらたまらんからな」

「岩村さんも薄着じゃないですか」

「鍛え方がおまえと違う。ほら、とっとと中行って寝ろ」

 本当はもう限界だった。手足の感覚は寒さでなくなり、唇はガタガタと震え出していたのだ。

「ありがとうございます」

 部屋に入ると、気配で起きた武市に詫びつつ布団へと潜り込もうとする。

「こっちへ入れ」

 寝ていた布団を空け、横の布団に移ってくれた。照れつつ武市の布団に入ると、武市の居た温もりが体を包んでくれるようで、直ぐ睡魔は訪れてくれた。


 翌朝、薄っすら積もった雪の町を京へ向けて出発した。

 寒さは和らがず、時々振る雪の中を急ぎ足で進み、桂川、木津川、宇治川が合流する山崎を抜け、西国街道の基点である東寺口へと出た。

 東寺は、新撰組の屯所となっている西本願寺とは目と鼻の先に在る。屯所横の通りを北に進めば目的地へは直線距離となるが、そんな危険は冒せない。

 南北に伸びる千本通に入り、二条城を超えて中立売通を東へと曲がる。堀川を渡るとすぐ筑前藩の黒田家邸があり、その横に薩摩家老小松帯刀の寓居があった。

 文久元年、島津久光の側近となった小松は大久保と共に藩政改革に取り組み、文久二年の久光上洛に随行した後家老職に就いた。京にて朝廷や幕府に留まらず諸藩との連絡や交渉役を務め、参与会議等にも陪席した経緯を持つ重鎮である。禁門の変では、幕府の出兵要請に懸念を示したものの、勅命が下されと薩摩藩兵を率いて幕府側で長州を迎え討った。イギリスから帰国した井上聞多と伊藤俊輔を、高杉が挙兵に出る前々で長崎にある薩摩藩邸に匿っていた。

「遠路が上洛、大義であったな」

 小松は一行を迎えると邸宅の中へと案内した。

 回廊から見える中庭を見ながら、和奈は加茂川館の庭を思い出した。ここの造りは似過ぎている。

「どうした?」

 足の止まった和奈に、武市が気付いて声を掛けた。

「いえ、なんでもありません」

 皆の後を追い、一室に通されると桂がまず挨拶を述べた。

「本来なら西郷が出迎えねばならぬ処、会談が前に済ましめる所要有りにて姿をば見せぬ事、許してやって頂きたい」

「お心使い、ありがたき事にございます」

「まずは、御身をば休められるが良い。部屋をば用意させておるから、そちらへ案内させよう」

 この小松邸には、池田屋事件で新撰組に捕まった古高も出入りをしていた。長州の間者を纏め薩摩藩だけではなく熊本藩や鳥取藩の同志と連絡を付けたりする中、小松とも接点ができたのだ。

 それを知っていた桂は、感慨深げに部屋を見回しため息をついた。


 翌日には小松邸での逗留が始まり、大久保も久しぶりに顔を見せた。

「私の邸宅では手狭だったので茶室もある小松殿にお願いした。むさ苦しい男どもに囲まれるならば、桂くんに茶の一つでもと考えた訳だ」

「むさ苦しいのは西郷だけであろう」

 小松も容赦がなかった。

「お茶とあらば喜んで」

「新撰組の動きが活発化していると言うのに、吉之助が兵を率いてきたから余計にうっとおしくなっている。さっさと会談を済ませてもらい、人心地着きたいものだ。なあ桂くん」

「今度はそうしたいと心から願って止みませんよ」

「で、小僧。少しは成長したか?」

 急に話しを振られた和奈は、取り合えずはいと答えた。

「・・・成長していないではないか」

「そうでもないですよ。ちゃんと育っていますからご心配なく」

 桂の笑顔にふんと鼻を鳴らした大久保は、会談が終るまではもう来ないと告げ部屋を後にした。

「何しに来たんだ・・・」

 以蔵は足を崩しながらぼやいた。

「彼なりの気苦労があるんだろうね」

 大久保がどんな気苦労をしているのか、和奈はこの先も解らないだろうなと思った。


 桂が到着してから四日後、西郷が小松邸に姿を見せると、続くように吉井仁左衛門も駆けつけて来た。

 だが、茶室で向かい会っている西郷と桂は、どれだけ時間が過ぎても口を開く事はなく、時間も遅いと小松が入って来たので、結局なんの話しもなく顔を合わせるだけで終ってしまった。

 茶室から出て来た桂の雰囲気に、和奈も声をかけれなかったし、武市も何も聞こうとはしない。吉井もほとほと困ったという顔で小松と共に部屋へ戻って行った。

 数日おきに何度か顔を合わせていただが、初日と同じ繰り返しで話しは一向に進む気配はなかった。


 長崎から京入りした龍馬は、大久保から会談の結果を聞きに来ていた。

「で、小松殿も困っているのだ。見合いよろしく、お互いを見つめ合うだけでなんの進展もなく、どうしたものかと」

「何をやっちゅうんだ二人とも」

「私に聞いてくれるな。言い出した本人は君だ、なんとかしたまえ」

 大久保とてこのまま会談が進まず終るのは本意ではない。この先、どう考えても長州とは手を結んでおかなければならないのだ。

「ちっくと行ってくるぜよ」

「半次郎を護衛に付ける。気をつけてな」

 龍馬は今出川の大久保邸を出ると堀川通へと向かう。

 まさか会談が進行していないとは、龍馬も面食らっていた。

 小松邸に着くと、和奈との再会を喜ぶ間もなく、背中を向けて座って居る桂の後ろへと座った。

「なんで話しが進んどらせんのじゃ桂さん」

「僕から持ち出せと? 冗談ではない。これ以上薩摩に頭をさげられるものか!」

「俺も何度か言ったんだがな。石頭のこいつはそればっかりで困ってる」

 高杉はもう勝手にしろと桂に言い放った。

「桂さんの気持ちも解るがのう。じゃが、わしも中岡や他のもんも皆、この日のために駆け回った。長州と薩摩が手を握るのは両藩のためだけじゃないき。これからのこの国のためじゃ。それはよう解ってくれてると思うちょったが」

「そんな事、僕だって解っている! だがしかし、僕から同盟の話しを切り出すのは長州が薩摩に助けを求めているようで、武士としてそれが我慢ならないんだ!」

「そこで武士を出してどうするがか。わざわざ京まで来て、西郷さんの面眺めるだけで帰るがか?」

 ようやく桂は向けていた背中を返した。

「同盟が成らず、長州がこのまま幕府の手で滅びても、薩摩が倒幕の意志を継ぐのであれば顔を合わせるだけに終っても構わない!」

「こら小五郎! 縁起でもない事言うな!」

「そうですよ小五郎さん!」

 ずっと不機嫌な桂に、苛々している高杉を見て頭を痛めていた。だからと、国を動かす立場の桂の代わりなどできるはずもない。品川と以蔵も警護に当たる他は術がなく、武市と高杉も説得に当たるしかない。桂が決めなければ事は進展しないのだ。

「高杉くんはどう考えちょる?」

「どうもこうも、小五郎がこれではな。俺が切り出してもこいつは納得せん」

 桂を説得しようがないと思った龍馬は、その足で大久保邸に戻った。桂が無理ならば西郷を説き伏せるしか手立てが見つからなかったのだ。

「まっこと、困ったぜよ西郷さん」

「長州が和議をしたかと申したのなら、先方よい言葉をかけうのが筋だろう」

「西郷さんもこの国の事をよお考えちゅうじゃろ? 桂さんはわしに言うたぜよ。長州が滅きも、薩摩がその後を継いでくれれば本望やき、と。長州から頭を下げられんがは、西郷さんもよお解っちゅうはずだ。これから先を憂いとる二人がいがみ合い続けるのは、この国のためにならんぜよ」

「おいから頭を下げろと言うのか」

「面子の張り合いをしちゅう時じゃーないが。幕府は既に動いちゅう、いつ兵が長州に向かうか解らん。しょうまっことこの国から長州が消えても良いと言ううがかぇ?」

 長州の戦争における熟練度は西郷にとっても失いがたき事である。長州が崩れれば、追従していた諸藩の足並みも乱れ、静観している藩は幕府へ付くかも知れない。

「西郷さん、ここはこの国の先を考えて、薩摩から長州藩に同盟を申し入れてくれんか? どうかこの通りじゃ」

 龍馬が頭を下げる。

「おはんがここで頭を下げてもしよがなかだろう。もう解ったから頭を上げてくれんか」

「じゃー、話ししてくれるがかぇ?」

「ああ。わしからから同盟の話しをしもんそ」

 西郷は明日もう一度小松邸に行くと約束してくれた。

 そして慶応二年一月二十二日。龍馬が立会人として隣席し、薩摩藩と長州藩は政治と軍事面において六つの条件を記し同盟の密約を交わしたのである。


 言葉では足りぬと密約締結後も不信感を抱く桂は、この条約に龍馬の盟約履行の裏書を申し出た。

「わしの署名で桂さんが安心するならさせてもらうぜよ」

「立役者は坂本くんだ。晋作もこれでいいね?」

「おい、俺の意見なんかひとっつも聞いてないくせに今更聞くな!」

「龍馬の保証など、俺にとっては不安しかないが」

 武市の言葉に、そうかも知れないね、と桂は笑った。

「だが、坂本くんならば、薩摩がこれを破ったとしても、なんとか策を考える男だと見込んでいるんだよ」

 それだけ桂の薩摩に対する不信感は根強いものだったのだろう。二回も直前で肩透かしをくらっている、簡単には消せないのだ。

「大船に乗ったつもりで居とうせ。そん時はこの体を張って何らぁするき」

「また沈まなければいいがな」

 それは困ると高杉が突っ込み、小船ではないから安心しろと桂が補う。

「さあ、今夜は是くらいで休むとしよう」

 一安心したと、龍馬は伏見の寺田屋へと戻って行き、和奈達もそれぞれ部屋へ引き上げて行った。

 品川はこのまま小松の家に厄介になることになった。

「人質・・・」

「そんな言い方をしないでほしいな」

「ふん」

「品川くんは監禁される訳ではない。京へ立ち入りを禁じられている以上、行動に制限はつくが、小松殿は大久保さんよりは温和な方。不当な扱いはなさらないよ」

 それでも不満だという顔を桂に向ける。

「僕たちもこれからが、大変なんだ」

「解ってる。まあ、小五郎なら大丈夫だ。桂木さんやチビもいるし安心してるさ」

 自分の背を棚に上げるのかと桂が笑う。

「五月蝿い!」

「しかし珍しい事もあるものだ。俺が、とは言わないんだな」

「阿呆が」

 今こそ元気にしているが、いずれこの男は立ち上がる事もできなくなり、口を開くこともままならなくなってしまうだろう。そうなる前に高杉の念願を叶えたいのが、桂の今の願いだった。

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