其之一 決意
目が覚めると高い天井が広がっていた。
体を動かす事もままならないのに気付いて、辺りを見渡し自分の部屋だと知る。
全身に行き渡る倦怠感、胸の痛みと重石を乗せられたように動かない右腕に、斬られのだと思い出す。そして人の体を斬った感触も思い出した。
「ぐふっ!」
胸の不快感で嗚咽が止まらず、布団に嘔吐物を吐き出した。
「がはっ!」
起き上がろうと右腕に力を入れた瞬間、激痛が肩から四方へ広がり、呼吸が一瞬止まりそうになる。
「くっ・・・・・はぁ・・・・・痛いなぁ・・・」
吐いたお陰で嗚咽が止まり、気分が少しましになった。
天上を見上げる目から涙が毀れた。
斬られる覚悟などなかった自分に現実が圧し掛かる。剣を持つと言う事は相手を斬るばかりでなく、自分も斬られるのだ。その結果がこれだ。
襖の開く音が聞こえ、視線を向けると大石が顔を覗かせていた。
「気が付いたか?」
声に安堵の響きが混じり、大石は布団を見ると苦笑を漏らして赤井の枕元に座った。
「ちっと痛いが、我慢してくれよ」
首の下に腕を通し、ゆっくりと赤井の上半身を抱き起こす。
「っつ!」
「悪りぃな。今布団を替えてやるから」
掛け布団をそのままに、赤井を抱きかかえて体をずらした。
「すみません」
「気にすんなって」
新しい敷布団に取替えてもらうと、赤井は再び布団の主に戻った。
「目が覚めて腹でも空かせてるかと思ったんだが、まだちぃと無理のようだな」
「とのくらい寝てました?」
「二日だ」
「そんなに・・・?」
「おまえ、何やらかした?」
意味が判らず、眉を顰めた赤井に真剣な顔で言う。
「脱走した奴が徒党を組んで奇襲しに来るなんざ、今まであったこっちゃねぇ。それに楠が狙ったのはおまえだ。何か知ってなきゃ命張ってきやしねぇだろう」
「何って・・・言われても困るんですけど。楠くんとは一度しか手合わせした事ないし、次に会ったのはあの女と一緒の所だったし」
「俺もそう言ったんだけどな。沖田さんは桂に狙われるだけの事情があるって言ってさぁ」
桂に狙われる理由ならすぐに思いついた。龍馬達と薩摩、長州の繋がりを知っているからだろう。
「取り合えず目が覚めたって報告してくっから、もう少し寝てな」
また一人となった部屋で天井を見つめる。
龍馬には何も告げないと出て来たが、桂にすればそんな口約束では、信用に値するものではないのだろう。
「入って宜しいですか?」
その声は伊東だった。
「どうぞ」
武士という言葉からは逸脱している男、の一人だと赤井は思う。腰に剣を帯びているが、北辰一刀流の免許皆伝を持つなどとは露ほどにも思えない。
「大変な事になりましたね。まさか新撰組が襲われるとは、私とて考えていませんでしたよ」
「はあ」
「大石くんの話しでは、狙われたのはあなただろうと言う事ですが、本当ですか?」
そこが肝心なのだ。
薩摩出身の人間が長州の間者である楠に狙われた。
犬猿の仲である両藩は反目し合っており、いざこざも耐えない。今に始まった訳ではないが、見廻り中を狙って襲って来るなど、これまでにはなかった事なのだ。
死を覚悟して殺すに足りる理由があるはず、そう土方や沖田が懸念を抱いても無理はない。
「それが解ってたら、大石さんに言ってます」
「ふむ。心当たりは、ないんですね?」
「はい」
「そうですか。しかし、土方くんはそれで収まらないでしょう」
「え?」
「あの人の性格ですから、そうか、と終らないと言っているんですよ」
伊東が何を言いたいのかすらも解らない。
「でも・・・本当に何も知らないんです」
「恐らく彼は、あなたと志士との繋がりを疑っている。表立って聞いてくる事はないでしょうが、気をつけておくといい。彼の性格は表と裏では全く違うんです、見掛けに惑わされないように」
薩摩と長州ではなく、志士との繋がりだと言う。なぜそこに辿りついたのか赤井には分からなかった。
「まずは傷を治す事です」
伊東はそれだけ言うと部屋から出て行ってしまった。
薩摩藩邸に来た時、龍馬が居たのを土方は知っていたのだろうか。ならば薩摩と龍馬の繋がりに気付いてもおかしくない。それで泳がせれていたのかと考えたが、これまでの土方の言葉や行動からはそこへ繋がる要素はない。
沖田でさえ、稽古は真剣に付き合ってくれている。間者だと疑う者にそこまではしないと思うのだが、身内をまず欺く、という手段もある。
何人かの足音が段々近づいて来ると、影の一つが障子を開けた。
「気が付いたか」
土方に沖田、大石と、その後ろには原田が立っていた。
「ご迷惑をかけました」
入って来た土方は、真面目な顔で心当たりはと聞く。
「ありません」
「楠と居た女は桂だ。その線は近藤さんも納得している。桂と繋がりが在る奴がおまえを斬りに来たか、その理由が知りてぇんだ」
「薩摩だからですか?」
「馬鹿言うんじゃねぇよ。そんだけの理由で不逞浪士集めて茶番劇する道理がねぇ。長州には、おまえを消さなきゃならん理由があるってこったろ?」
伊東の言う通り、知らぬ存ぜぬで済む相手じゃない。
「ったく! おい、村木って男の事を知らないって言ってたな?」
そこだったかと、伊東が志士との繋がりを口にした理由に行き当たる。
「はい」
「あいつは志士どもと関係があると俺は睨んでる。坂本が京入りしてのご登場だ、それは間違いない。奴は以前、薩摩に居た。ってことは坂本も薩摩と関わりがあるってぇことだろ。薩摩というより大久保とか」
心から笑っていない大久保の冷淡な顔が浮かんだ。
大津で見た大久保は、武市の救出に出来る限りの手を尽くした。しかし自分が新撰組へ行く時は、たった一言で認めてしまった男だ。武市と自分では扱い方に違いがあるのは当然だったが、それでも理由くらいは聞くのが普通と思えた。
「大久保と坂本が繋がってる。それが俺達にばれたら困る。で、それを知るおまえを桂が消しに掛かった。それ以外の根拠が俺には見つけられねぇんだよ」
土方の顔色は変わらない。裏と表の性格が違うという伊東の言葉が頭の中に反芻して行く。
「喋った方が身のためだと思うけど」
静かに座っていた沖田が優しく言った。
「俺が喋ってるんだ、口出しすんな」
「はいはい。僕だって隊士から間者なんて出したくないんですからね」
「間者? 俺がですか?」
「こいつが来てから薩摩や志士と渡りを付けた事は一度もねんだぞ」
やはり最初から見張られていたのだ。土方は疑いの域を出ていない様だが、沖田はそう思っているんだろう。
「町で村木を見た時、一瞬顔色が変わったよね?」
「沖田! なんでそれを俺に言わねぇんだ!」
「様子を見てからと思ったんです。必要なら僕が斬ろうともね。隊士の反逆は組長である僕の責任ですから」
矛先が沖田に向けられたのも束の間、先ほどとは打って変って冷たい表情を土方が見せた。
「奴を知らないと言ったなら、なんに驚いたってぇんだ?」
「その、女に見えたんで」
「はっ!?」
「なに、それ・・・」
「沖田さん、嬉しそうな顔して仲良く喋ってたし・・・その、男の格好だってんですけど、つい変な想像が浮かんで」
「あのさぁ、今は女に興味を持てないだけ! 男に興味なんて・・・絶対願い下げだ!」
嫌悪感を浮かべて震わせている手を見つめた後、腕を摩り出す。
「そうですよね・・・すみません」
「たぁ! これじゃ阿呆の集まりだ」
土方がいつもの雰囲気に戻ったのが解った。
「とにかく。おまえが狙われた理由が判るまでは屯所から一歩も出さねぇ。部屋からもな。大石、こいつの面倒見とけよ」
一先ずは殺されずに済んだらしい。だが、疑いの念は晴れた訳ではない。と言って晴らせる証拠もなにもない。
土方に誘われ新撰組に来た。そうしたのは土方の考えている事に興味を持ったからだ。自分は志の意味するものさえ未だ解ってない。何を目指して生きようかと考えた事もない。ただ生きている、それだけしかなかった。死を覚悟する志とやらも持ち合わせては居なかった。
(あいつはどうしてここに残るって決めたんだろう)
もっと話しを聞いておくべきだったと後悔しても時はすでに遅い。今は新撰組と倒幕派で道を別れてしまっているのだから。
海援隊が下ろした荷物を引き取り萩へ運ぶため、長府に山縣と石川がやって来た。
龍馬は仕事がまだあると言って長崎へ戻ってしまったので、和奈と武市は山縣達一行の護衛を引き受け、一緒に萩へ向かうことになり山道を歩いている。
「ほんと龍馬さんて、一所に落ち着いていないですよね」
「今に始まったことじゃない」
優しい人。それが龍馬を初めて見た時の印象だ。それは今も変わらなかったが、何を考えているのか今一掴めない人だった。
「桂木さん」
前方を警護する石川が行った道を戻って来る。
「この先の村で野営するんですが、見張りの振り分けにお二方を入れてもいいですか?」
「ああ、無論だ。運んでいる物が物だからな」
「ありがとうございます」
横の荷車のには銃が詰まれている。
銃。と和奈はこの時代に不似合いなそれから目線を外す。剣も武器の一つだが、それよりも持ってはいけない凶器に見えた。
銃七千三百挺を運ぶのは大変な労働だった。一つの荷車に詰めるのは精々百挺~百五十挺。全隊で運搬に当たっても、かなりの大仕事となっている。
山間を抜け、田畑の広がる一角に出ると、二十軒ほどの家屋が密集している小さな村が在った。
一行は、空き地を見つけて荷車を集めると野営の準備に取り掛かる。
兵士達が到着しても、誰も様子を伺いに家から出て来ない。それどころか、畑に出ていた人影が慌てて家へと入って行ってしまった。
村人から、嫌われているのだろうか?
野営の準備が整い、暖を取って火を囲んだ時に聞いてみた。
「農民にしたら、藩に仕える俺達は役人と同じだからな」
「はあ・・・だから嫌われるんですか?」
「毎日汗水たらして働いて得た物を、年貢だと全部持って行かれたらどう思う?」
「そりゃあ、嫌です」
「誰だっていい気はしない。決められた分を納められないと、不足した分を補うのに子供を奉公に出さなくてはならん。これから働き手となる子供を奪われるんだ、恨まれても仕方ないてことだ」
「でも、石川さんは何もしてないんでしよう?」
「・・・おまえ、本当になんも知らんのだな」
「藩に仕えるってだけで、皆同類に見えるんだ。今になって藩が年貢を緩和したって、そう簡単に俺達への対応が変わる訳じゃない。過去はそう簡単に消えないって事さ」
考えてみもしなかった現実を目の当たりにした気分だった。京に居た時も萩に居た時も、その生活が当たり前だと思っていたのだ。それがどうだ、普通の生活を送れない人達が目の前に居る。
「村木は藩士だ」
「はあ、一応」
「藩士はちゃんと身分を証明できる家柄がある。武士以下の足軽や中間、小者は殆んど農家の出だから家柄なんて無いにも等しい。食いっぷちを求めて仕えに来る奴も居たら、年貢の代わりに差し出される奴も居る。理由はどっちあれ里から嫌われちまう。そんな思いしたって武士になれる訳じゃないんだがな。功績を上げたところで、せいぜい郷士に取り立てられるのが関の山だ」
身分といえば武市は上士と桂が言ってた。
「才谷さんも武士なんですよね?」
「ああ。だが下士だ。武士の中にも階級がある」
以蔵は小者だった。騒ぐ三人は仲良しだと言った時、同郷で幼馴染なんだと中岡が言っていた。その時は身分なんて考えもしなかった。龍馬が武市に諂うところなどなかったし、武市も龍馬には普通に接している。以蔵は子弟関係で武市には礼儀正しいが、龍馬相手だと遠慮なく食って掛かる。
「武士の階級って家柄なんですか?」
「は!? おいおい、何処の殿様だよおまえ。生まれた家の格付けで違うのは当たり前だろ?」
そうなんだ。なら武市達は幼馴染ではあるが、置かれている立場は全然違うと言う事になる。
「学不足は桂さんにも指摘されている。つまらぬ質問をさせて申し訳ない」
「いえ、桂木さんが謝ることないですよ」
「弟子の至らなさは師である私の落ち度だからな」
そう言われて、石川は焦って困ってしまった。
「武士は白米を当たり前の様に食べるが、農民の主食は山の幸や小魚、稗粟が出ればいい方だ。白米が全く食べれないという事はないが、年貢の税が高い藩などでは一生の内に一度たりとも白米を口にせず死ぬ者も居る」
ご飯が普通に食べれない国。それが今の日本なんだ。
「これでも昔よりは随分良くなって来てはいるのだが、まだまだ農民への圧力は酷いと言える」
「だからだ、高杉は幕府をぶっ壊すんだよ」
「農民のために?」
「皆のためだな。あいつは武士だろうが農民だろうが身分で人を見る奴じゃない。俺も同じように身分に拘った事はない。その良い例が奇兵隊だ。上士も居れば農民も居る。普通なら、肩ならべて飯食えない奴らが一緒くたになって食べる。無論仕事も同じだ。やれる奴がやる、目付けだろうが小者だろうが関係ない。だが誰も文句を言わない。すごいだろう? だから俺達は高杉に付いて行けるんだ」
武士も農民も身分に関係がない奇兵隊。
そこに山縣がやって来た。
「村の長には渡しておいた」
「あ、手伝わなかった・・・」
「その気が出たら言ってくれ」
山縣は和奈達に一礼して、火の前に座った。
「先の挙兵ではお世話になりました」
「軍監のあなたが、その様に頭を下げるものではない」
「役職はそうですが、目上の方への礼儀は弁えております」
武市の視線が鋭くなり、石川の表情も堅くなった。
「他意はありません。どうか気分を悪くされずに」
「こいつは昔からこうですから」
山縣の気分は石川とて解らないでもなかった。いきなり現れた男が役職を与えられ、桂や高杉の邸宅に出入りしているのだ。変に思う人間は出てくる。武市と高杉の会話を聞く限りでは、武市が上の身分であるのは間違いない。それはつまり、武市が長州の人間ではない、という肯定にも繋がるのだ。
「何を渡したんですか?」
場の雰囲気が重々しくなり、和奈は取り合えず話しを変えようと質問した。
「米だよ」
「米? 村に米を?」
「ああ。高杉流の礼だな。さっきも言ったろ? 農家は年貢として丹精込めて作った米を献上するって。自分の分を確保できる所と出来ん所がある。ましてこんな山ん中じゃ平地より米の収穫は少ない。野営の土地を拝借する礼に米を分けるんだ」
「なるほど」
「倒幕は容易い事ではない。が、やらねば皆が平等に暮らす日など来ない。だから、犠牲を伴おうと、自分が死ぬ事になろうと遂げなくてはならぬ」
そう言う武市の顔には、堅くそう決めた男の笑みがあった。
「人が平等に暮らすため」
龍馬も桂も皆、その為に切磋琢磨しているのだ。
皆を守りたいと言ったのは嘘ではない。だが、それでは駄目なのだ。守るのではなくこの人達と共に在ろうとしなくては、不公平に感じた今の思いを取り除く事は出来ないだろう。
揺ら揺らとしていた自分の心が、今漸く一つの意志に落ち着いた様に感じた。
「僕にも、前が見えてきました」
「それは何より」
ポンと頭に手を乗せる。
「何かを気付けるというのはとても大切な事だ。しかし、おまえは何かと突っ走る傾向がある。くれぐれも私の目の届かない処へは行くな。ああ、もう一つ、勝手な振舞をせぬよう、いいな?」
「あ・・・はい」
「ふーん。桂木さんて、そっちの趣味だったんだ」
ここにもまた一人増えてしまった。
「だから、その趣味は違うって!」
和奈がどうこう言っても、石川はもうその線で片付けてしまったらしい。武市も諦めてしまっているのか、何も言い返えさなかった。
「男ばっかりの軍じゃ、まぁそういう間柄になる奴も出てくる」
「えええっ!? 冗談じゃなく!?」
「冗談ではないな」
山縣がしらっと相槌をうつ。
「うわっ・・」
想像したら気持ちが悪くなってしまった。
「心配はいらん! 大半は女子にしか興味ないからな!」
それが普通なんですってば。
「恋愛の定義など有って無いようなものだ。男女であれ男同士であれ、当人同士が納得してるなら部外者は何も言えまい」
「山縣って、達観してるよな」
「いやだから、そこで片付けないで下さいってば」
後で石川から聞かされた事だが、山縣も武士でなく中間の位に生まれた人らしい。人より学問や剣術に長けており、高杉の信頼も厚いのだそうだ。城で踏ん反り返って武士だと言う奴よりよっぽど武士らしい、と石川は笑っていた。
道中何事もなく荷物を萩へ運び終えるた山縣と石川は、それぞれの隊が宿所としている所へと戻って行った。
「ご苦労だったね」
桂が戻った二人を出迎えに来てくれていた。
「お茶を入れるから着替えて広間においで」
「はい」
高杉は奇兵隊のいる赤間関へ行っているらしく不在だった。
以蔵がそれに同行していると聞き、武市は近況を尋ねる。
「よく働いてくれるよ」
「荒くれ者なので気になったいたが、それを聞いて安心した」
「よく手放す気になったね」
「あれには、これまで過酷な事ばかりを命じて来た。岡田以蔵が死んで良い機会と思った。もう、十分だと」
「そう、か。確かに以前の岩村くんの影は見えないね。剣の腕は変わらないが、そこに込められる思いが変わっていたから驚いたのだけれど。恐らく、君が袂から離した事と守りたい者が出来たせいなのだろうね」
「もっと早くそうすべきだったと、後悔が増すばかりだ」
「人は過ちを犯す生き物だ。大切な事は、その過ちをどう受け止め次に繋げるかなんだ。繋げぬ者は何度でも同じことを繰り返す。それでは、生きているだけ無駄というものだ」
「桂さんは相変わらず手厳しい事を言う」
「そうかい? 僕はただ、無駄に時間を費やすだけの人生など、命に限りがある者に対して無礼だと思っているだけだ」
命に限りがある者。それは、と問いかけようとしたが、障子が開いてその話はそこで終りとなった。
「そうそう。萩の郊外に一軒家を用意させてもらった。桂木くんが萩に帰郷した際は、次からそこを使ってほしい」
「私に家ですか?」
「君の身分なら無くてはおかしいだろう? 何かと不審がる者が居るのでね」
山縣あたりだろうと、武市は苦笑した。
「おや、心辺りがあるようだね」
「悟る者は悟るでしょう。御配意を賜り、忝く存知じます」
「和太郎も使うのだから、面倒をかけるのではないよ?」
「え!? 僕が桂木さんの家を!?」
「ここに居てもいいが、僕も晋作も行ったり来たりの暮らしだ。一人では何かと心配だし、桂木くんとならば安心できるしね」
一緒にって、それってつまりわ一つ屋根の下に住む、ということになるわけで。
「それで長崎はどうだった?」
和奈の当惑を他所に、桂はグラバーがどんな人物だったのかと聞いた。
「腹は読み難いが、恐らく薩摩だけでなく他藩にも武器を調達している、と見ていだろう。仏蘭西が幕府へ肩入れをしているのでそちらへの横流しはないと思う。だが安心は出来ない。夷人にとって幕府だろうが倒幕派だろうが、自分の懐が暖まるのなら何処へ売ろうと関係ないのだ」
「桂木さん、英語解るんですか!?」
「そう言うおまえはどうなんだい?」
「うっ・・・」
文字でなら読み解いて行けそうだが、辞書もないこの世界ではそれも心許ない。会話はとなると、挨拶以外はほとんど解らないと断言できる。
「桂木くんには色々とお願いをしてあるからね。おまえも、もう少し学を磨きなさい。剣だけで生きて行ける時代は遅かれ早かれ無くなってしまうだろうから」
「反省しておきます」
「いい子だ。それで、長州から単独で交渉に当たれそうかな?」
「今は模索までに留めておくべきだ。薩長との和解を前に動くのは得策ではない」
「ああ、承知している」
これまた不思議な関係が出来ていると、和奈は二人を見比べた。龍馬と居る時の武市とはまた別の顔つきになっている。どちらかと言えば、今の武市の方が楽しそうであるのだが。
「僕はいい参謀を手に入れたみたいだ。そう思わないか?」
「参謀がどういう役回りなのかはよく解らないんですが。物の考え方が僕みたいに直線的ではなく、全体の表裏を見て意見を出してるって言うか・・・なんかこう、計画に参加しながら自分の思うように手玉に取ってる? って感じはします。小五郎さんも同じなんだけど・・・」
返答が聞けるとは思って居なかった桂は、自然と人を監察している和奈に驚いた。
「これは意外だね。人をちゃんと見れるのに、なぜ都々逸が解らないのか凄く不思議でならないよ」
「都々逸ですか!?」
「得手不得手があるとは言え、これからも大変だね桂木くん」
「大丈夫です。僕も目指すものが判ったんで、迷惑をあまりかけないで済む? と思います!」
自分の力強く切り出した言葉に首を傾げながら和奈は言う。
大変さに対する答えとは全く異なっているが、それはそれで気になる事ではあった。
「ここへ来る途中、村で野営をしたのだが、そこで何か悟ったらしい」
「で、何を悟ったんだい?」
桂は笑いながら困り顔をして見せた。
「悟ったのかな。僕は今まで、幕府が在り続けるの人々にとって幸せな事ではない、と言う理由が解らなかったんです。だって僕が過ごして来た日々では食事に困るなんて無かったんです。当たり前のように出された物を、当たり前のように食べてました。でも、ここにはそうじゃない人が居る。一日中苦労して働いているのに、豊かになる所か食べる物に困る。それは不自然な事です。その不自然さを、幕府という体制を作り出しているのなら、その間違いは正すべきです」
幕府を覆し、人が平等に生きれる場所を作り上げるための倒幕なのだ。
「僕達の大義を理解してくれるのは嬉しい事だが」
「僕は皆を守りたいと言いました。だけど、守るのではなく皆と一緒に戦って行く、そう決心したんです」
戦うという言葉に絶句し、桂の動きが止まってしまった。
「でも、僕にできる事なんて大した事じゃないと思うので、護衛とかその辺りで出来る事を、でお願いします」
沈黙の後、桂が笑い声を上げる。
「くっくっくっ。まったおまえと言う子は。驚いた後に笑わせられるのは結構辛いんだよ? それにお願いされて動くのでは意味がないだろうに」
「あ、そうか」
やれやれと吐息をはいた武市は嬉しそうだった。その肩に手を置いた桂は頭をくっつけて笑い続けている。
「最近、よく笑うようになったと晋作に言われたけれど、おまえのお陰だろうね」
「また・・・変な事いいましたか?」
「いや、そうじゃないよ。ただね、ここで戦うというのはその剣を使う事と同義だ。それは解っているんだね?」
「はい。でも、できるなら使いたくはありませんが」
よろしい。と桂は目を伏せた。
竹林で見つけた和奈が一つ一つ、この世界に馴染んで行くのに戸惑いを感じながら、その身を案じてきた。いずれ元の場所へ帰ってしまうかも知れないのに、この世界を受け入れさすのは酷な事だと、そう憂惧していたのだ。が、それこそいらぬ心配だったらしい。
「解っているならもう何も言わない。桂木くんも異存はないようだからね」
はい、と静かに言う男が少し羨ましく思えた。
「和太郎、長崎で買って来た物があったんじゃないのか?」
「そうでした!」
急いで部屋に戻り小さな風呂敷包みを持って来ると桂に手渡した。
「長崎の福砂屋で買ったんです」
膝の上に乗せた包みを解いてカステーラだねと喜んでくれた。
「グラバー邸で食べたのが気に入ったようです」
「はい。紅茶も頂きました」
「紅茶か、それは僕も同席したかったね。日本茶とはまた違う味わいだが、結構気に入っているんだよ」
買って来れば良かったと後悔する和奈に、長府へ行けば手に入るからと教える。
「晋作にもあげたいけど、戻るまで待ってたら腐ってしまうから食べてしまおう」
運びこまれた銃の数を確認し、その管理を徹底させるために細い布に数を入れて括り付け、閂と鍵がある蔵へと運び込む。
高杉は運ばれて行く銃の一つを取り上げて構えた。
「本当に撃つなよ」
「弾入れてないだろうが! それに、試し撃ちを誰でするかは俺の勝手だ」
「人で試さないでくれ」
「山縣、施条砲の性能を調べてくれ。条溝(内側の溝)が入ってるが程度がわからん」
「照尺も付いているし、施条砲より銃口も小さい。装弾は滑腔砲のゲベールより手間がかからんだろう・・・高杉、人が説明しているのに口をあけて馬鹿になるな」
ムッと口を閉じて腕を組む。
「後は飛距離を調べるだけだ。滑腔砲より倍は飛ぶと見積もってはいるが、試してみない事にはなんともな」
「おまえ、以外と勉強家だったんだな」
「武器を仕入れるのに必要な事だ。わかっているか?」
「うるさい! 俺は使えたらそれで-!」
くるりと背を向けて銃を山縣に突き出した高杉は、急いで建物の影へと走って行く。
「うっ・・・ごほっ! ごほごほっ!」
壁に手をつき、口に手を当てて咳き込み続ける。
「おい・・・高杉?」
山縣の声だ。
「し・・・んぱい、いらん」
咳を続ける高杉に駆け寄り、大丈夫かと声をかけた山縣の顔が蒼白になる。
「おまえ、それ・・・まさか・・・・・」
「けっ! なに死人みたいな顔してんだ。心配ないと言っただろうが」
口を抑えていた手には血がべったりと付いている。
「桂さんは、知っているのか?」
「・・・ああ。だから心配いらん」
また咳き込み始めた高杉の背中を慌てて摩る。
「いつからだ? 医者には見せたのか?」
「ごほっ・・・ああ。黙ってろよ。大将が労咳なんて、笑っちまうからな」
咳が収まったのか、立ち上がった高杉は懐から布を取り手を拭いた。
「治せないのか?」
「知ってるくせに、言うな」
「そうか・・・解った。何も俺は見てない。それでいいんだな?」
「恩に着る」
胸を張って歩いて行くその後姿が、山縣にはやけに小さく見えた。