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幕末奇譚 『志士 狂桜の宴』  作者: 夏月左桜
奇譚七幕 紫電一閃
29/89

其之四 長崎

 和奈と武市は、大久保から紹介されたグラバー商会を訪ねる龍馬に同行し、長崎へと足を運んで居た。

「和太郎にゃ、一役かって貰いたいんけんど。宗次郎、いいか?」

「交渉になんでこいつが要る?」

「相手は夷人さんやきな。色々と準備がいるぜよ」

「おまえはろくでもない考えしか思いつかん。もしそうだったら、躊躇わずその手を叩き斬るからな」

 肩に手を回しそうとした龍馬が、その手を慌てて引っ込めた。


 宿を取ると、二刻したら山手側の町外れまで来てくれと武市に言い、しぶしぶ顔の武市を残して和奈は龍馬と長崎の町へ出た。

「海風が気持ちいいですね」

「そうだな。京と違って洋式の建物も多いし、わくわくするぜよ」

 ほんとうにわくわくしているのだろう、足取りが軽く進んでいる。

「おう、在った在った」

 ん? と玄関の屋根に掲げられている看板を見上げる。

「ここで、何するんですか・・・」

「気にしやーせんと、はよぅ中へ入るぜよ」


 港に広がる町並みを山手に歩くと、欄干が連なった細い道がある。蛇行しながら頂上へと続くその道を登ると、開かれた門の奥に白い洋館が建っている。


 二刻経って、龍馬に言われた場所で待っていると二人がやって来た。

「・・・・・・」

 武市はおもわず絶句して、龍馬の横に経つ和奈を見つめた。

「おんしが見惚れるのも仕方ないのう。わしも、出て来た時は吃驚したぜよ」

 濃い紫の地に天の川のような銀色の流れが、肩から裾まで斜めに染められ、沿うよう大小の時計草の蔦が花を咲かせた着物に着替えていた。髪も下ろし片側の肩で一つに括られ、胸へと流れている。

「今から和太郎ではなく、和奈じゃ。おい、聞いておるんか?」

 無理も無い、と龍馬は思う。

 少し焼けているとは言え、白い肌に紫の着物はよく映える。白粉を乗せた目尻にも紫色の色が薄っすらと引かれ、赤い紅を塗っている和奈はどこから見ても町の女性だった。

「呆けた男は置いて行くぜよ」

 龍馬に手を取られ、坂になった細い道を登り始める。

「手まで握る必要はあるまい!」

 やっと我に返った武市がそう叫んだ。

「おんしが動かんと和奈も動かんじゃろ? ここからはもう敵陣ぜよ。おんしには悪いが、ぼでぃーがーどになってくれ」

 武市にボディガードとは護衛をする人間をそう呼ぶと説明する。

「和奈はわしのいい人、とい-」

 殺気を感じて龍馬は言葉を止めた。

「解ったき、その面構えはよしとうせ。和奈はわしの妹にしておくぜよ。ほんに冗談の通じん奴じゃ」

「えっと、僕は何をしたらいいんですか?」

「僕はいかん僕は。今は女子じゃ、私でいい。おんしは何もせんでいい、ただにこにこ笑っていたらいいぜよ」

「一役って、それだけですか?」

「着物姿の女性がおるばあで、夷人さんとゆうものは喜ぶもんなちや」

「見世物にするつもりか!?」

「おんしは言葉が言葉がわりぃでいかん」

 ちらりと後ろを振り返り、これは宿に帰ったらまた喧嘩になるなと、武市の顔を見てため息をついた。


 グラバーは、 ジャーディン・マセソン商会長崎代理店の代理人として、グラバー商会を設立したスコットランド出身の商人である。

 拠点が長崎であるため必然に薩摩との繋がりが深くなって行き、薩摩藩士のイギリス留学に渡航手引きなども行うようになっていた。

 設立当初に取り扱っていたのは生糸や茶など武器以外の商品だったが、政治的に必要である武器弾薬の取引に手を出し始めたのだ。その商売先は薩摩だけでなく、土佐や長州などにも及び、互いに悟られぬよう裏で武器を流している。武器取引は居留地以外の商売を制限されてるグラバーにとって、利益が莫大な良い商売だったのだ。


「Welcome it waited.{ようこそ、お待ちしておりました}」

「Thank you for purposely meeting it.{わざわざ出迎えて頂き、ありがとうございます}」

 龍馬が英語を勉強していたのは、最初に会った日に知っていたが、まさか流暢に喋る程とは思って居なかったので、和奈は驚くばかりである。

(は・・・恥ずかしいよね、私・・・)

 外国との交流もほとんどないこの時代で、英語を話せる人間はほんの僅かだろう。和奈も授業で英語は習っていたが、所詮日本人の英語である。本場と授業での英語とは全然違い、全部を聞き取り理解するのは無理だった。

{奥へどうぞ。皆さんが来られると、お茶を用意させていただいております}

 中央の広い階段を上り、右手へ進んだ正面の部屋へとグラバーは案内してくれた。

{改めて自己紹介させて頂きます。私がトーマス・ブレーク・グラバーです}

{坂本龍馬と言います。この度はお時間を頂き、誠にありがとうございます}

 グラバーに促され、龍馬と和奈は給仕に引かれた椅子へ腰をかけ、武市は扉の横へと立った。

{遠路はるばる長崎迄来て頂いて、申し訳ありません}

{とんでもない。長崎に知り合いが居まして、そちらへも顔を出せるので苦労とは思っていません}

{それは良かった。お話しは大久保さんから伺っています。銃がご入用とか}

 いきさつなど詳しい話しをせず、今後の日本のために必要な物と、龍馬は語るだけにした。

{ここは武士の国。心の中に秘められているものは、様々にして難しい問題だという事は熟慮しているつもりです}

{では、ご協力頂けるのですね?}

{ええ。ハリー・スミス・パークスという男を紹介させて頂きますよ。ただ、彼は今出かけていまして、必要な物と数だけお伝えさせて頂く。引渡し等の詳細は後日連絡さし上げたい。それで宜しいでしょうか?}

{パークス殿? 駐日英国公使のですか?}

{名前はご存知でしたか。先の下関砲撃について英国政府は快く思っておらず、その責任を取り前任が解雇されて、その後任に就いた男です}

{兵庫開港に力を入れられている方、としか聞いていませんが。その方が今度の取引をして下さると?}

「Yes!」

 会話に付いて行けず、かと言って出された紅茶に手を伸ばす事も出来ず、和奈は後ろに立つ武市の気配を探るしかなかった。その気で、この外国人が何かすれば即座に斬り出すつもりでいる事は龍馬にも判っているだろう。

{日本政府にはフランスが絡んでいる。レオン・ロッシュ公使が政府への武器調達を行っているのです。英国としては、フランスにこの国での主導権を執らせたくは無い。この点でパークスと私は利害が一致しているのです。ご心配には及びません}

 つまり、幕府も近代武器を仕入れていると言う事だ。

{今パークスがお出しできるのは、ミニエー銃四千三百挺とゲベール銃三千挺でしょう。これを用意させ、薩摩藩名義で購入してお渡しする。それで宜しいですね?}

{注文を付ける立場ではございません、グラバー殿にお任せいたします}

{結構。それでは、今後ともよろしくお願い致しますよ、坂本さん}

 グラバーは立ち上がり、手を差し出してきた。

{あまり頼る事にならず、自国のゴタゴタを治めるのがいいのですが}

 そう言いつつ、差し出された手を握り返す。

{あははは。それはどこの国も同じですよ。この美しい国を大砲などで壊してしまうのは、私も嫌なのです。ですが、時代は常に流れ続ける。どうか良き未来のために頑張って頂きたい}

 グラバーは手を放すと、改めて龍馬の横に座る和奈に視線を向けた。

{とても綺麗な女性をお連れになっていたのに、紳士たるものが放っておく無粋な真似をしてしまった}

 多分、自分に話しかけているのだろうと思うのだが、にっこりと笑うしか和奈には出来なかった。

{彼女は私の妹で、和奈といいます}

「Nice to meet you Miss Kazuna.{和奈さん、初めまして}」

 挨拶くらいなら、なんとか和奈にも聞き取る事ができた。

「Nice to meet you to.Mr Glover{お目にかかれて光栄です。グラバーさん}」

{貴方も英語を話せるのですか? これは驚きました}

{いえ、挨拶程度です}

 グラバーは席を立ち、和奈の横に膝を付い片手を差し出した。

 確か、手を乗せればいいのはずだと、和奈は差し出される手の上に自分の手を重ねた。

{大和撫子にお会いするのは、私にとって光栄な事の一つです}

 手を取ったグラバーが甲に軽く口付けしたものだから、和奈は慌てて出した手を引っ込めてしまった。

「っ!」

 龍馬は腕を出し武市を制止する。

{申し訳ないが、異国の流儀に慣れていないのです}

{これは、また失礼をした。つい本国のクセが出てしまいました。和奈さん、申し訳ございません}

「英国流の挨拶じゃ。驚かせてしまったと謝っとる」

 武市への説明も含め、そう言った。

{すっかりお茶が冷めてしまいましたね。今取り替えさせますから、お待ち下さい}

 その後、とりとめのない会話が続き、和奈はようやく出されたカステラを口にすることができた。

 口の中に広がる懐かしい味に、おもわず涙腺が緩みそうになった。


 引渡しの準備が整ったら海援隊へ連絡を入れてもらう事で商談を終え、和奈達はグラバー邸を後にした。

 前を行く龍馬と、後ろから歩いて来る武市の間で、和奈は生きた心地がしないまま坂を下りて行く。

「幕府にフランスが付いたとなると、厄介な事になるかも知れんな」

「そうなんですか?」

「これで長州にも銃が渡る。薩摩のこの介添えで今後も商談が進めば、大砲でも引っ張りだしかねんぜよ高杉くんは」

「大砲ですか」

「それよりも、その気をどうにかしてくれんか? 落ち着かんでいかん」

 武市が苛立っているのは判っていた。剣を抜かなかったのは武市だからだ。あの場に居たのが以蔵だったらグラバーに斬りかかっていただろう。

「おまえに一太刀入れれば収まる」

「和奈が居たのはわしにとって有り難い事じゃき、斬らせてやりたいが、ちっくと先にしてもらえんかのう」

 坂を下りきった所で、龍馬は海援隊に顔を出さねばいかんと町へは入らず、別の道へと小走りに駆け出して行ってしまった。

「あの・・・」

 ずっと不機嫌な顔のまま、龍馬の向かった方向を睨んでいる。

「やっぱり、これは不味かったでしょうか?」

 そのお陰でグラバーには手に口付けされるし、武市は怒ってしまうしと落胆する。

「荷物を呉服屋さんに預けたままなので、取りに行って来ます」

 背を向けて歩き出す和奈の手を慌てて取る。

「・・・そうそう女子で居るのを、見れるもんではないな」

 やっと笑みが浮かび、ほっと胸を撫で下ろす。

「和奈・・・が本当の名か?」

「あ、はい」

「そうか・・・くそっ、龍馬め」

 目の前には、武士ではなく女子の姿の和奈が立っているのだ。自分で決めた自制心が、脆くも揺らいでしまいそうになるのを必死で堪える。

「必要だったんですよね? その、この格好。だから、その、喧嘩はしないで下さいね?」

「ああ、約束しよう」

 武市は再び仮面を付け直し、和洋折衷が見せる町の不思議さの中、しばし男女で歩く気分を味わう事にした。



 グラバーとパークスはも薩長の間に入り武器を横流しすることで、幕府を後押しするフランス政府の排除を目論んでいた。よって、今回の商談はそういう思惑があった両者にとって関係作りをする上で好都合なものであり、パークスはすぐ伝令を出し英国より銃を取り寄せたのである。

 ハリー・パークス公使から銃を仕入れた龍馬は、薩摩名義で購入された英国製蒸気軍艦ユニオン号を使い、長府で高杉の元へと引き渡した。

 その際、入港という一つの難問にぶつかった。ユニオン号の運営と所有は海援隊にあるが、薩摩の船で長州に入る事ができなかったのだ。

 苦慮した挙句に、薩摩に寄港する時は薩摩藩の桜島丸とし、長州へ寄港する際は高杉が付けた長州藩の乙丑丸とする事で、長州との取決めを交わしたのだ。



 それから一ヵ月後の慶応元年九月になって、パークスは兵庫沖に英仏蘭米の四国連合艦隊を進め、兵庫開港か条約勅許を求めたのである。

 安政条約に明記されていた兵庫開港を巡っては、未だ朝廷からの許可が下りていなかった。

 兵庫港開港については、は安政五年に締結された日米修好通商条約及び他諸国との条約、安政五カ国条約により文久三年から開港が予定されていた。しかし夷国人嫌いである孝明天皇は、京に近い兵庫開港に断固反対を通していた。


 薩摩の依頼で長州に武器を渡した時点で、両藩が主でだって攘夷政策に乗り出さないと考えてのパークスの行動である。幕府に対しても両藩が攘夷策へは介入しないと言い切れたのも、龍馬との交渉成立が影にある。

{兵庫開港の許否について確答を得られないのなら、今の幕府に条約遂行能力がないと考えねばならない。そうなれば英国は幕府とも以上の交渉は行わないでしょう。私が直接京都御所に参内して、孝明天皇と直接交渉するまでです}

 そう主張してみたが、それでも幕府からの答えがない事に、パークスは関税の引き下げという譲歩案を提示してきた。


 幕府老中は、これ以上の引き伸ばしは無理であり、要求を呑まざるを得ないとして開港方針を決めた。

 たが一橋慶喜としてはこれには黙って居られない。朝廷の許可が下りてもいないのに、幕府の独断だけで外交を進めようとする老中らに難色を示したのだ。朝廷との連携を重視する慶喜は、朝廷へこの独断専行とも取れる決定を伝えた。

 これにより、開港を推し進めた老中阿部正外と松前崇広に、罷免の令が出される事態となる。

 この朝廷による実際の幕政介入に、慶喜と幕臣の間に溝が生まれる事となり、家茂が将軍職を辞職すると言い出し、さらに混迷を極めることになる。

 長州への再征伐を前にして、家茂の将軍辞職だけは避けなければならず、慶喜はその説得に当たるとともに、在京している諸藩を召集し、朝廷に条約勅許だけ認めさせるよう提言すべしと働きかけたのだ。

 押し切られるように、朝廷は慶喜と諸藩からの進言を飲んだのである。


 開港については、幕府が開市開港延期交渉使節を派遣、英国とロンドン覚書を交わし、開港の日程を慶応四年の一月一日となった。兵庫開港許可は先送りになったが、条約勅許と関税の改正の両方を認めさせたパークスは、四国連合艦隊を兵庫沖から撤収させた。

 パークスとしては、英国が目的としていた関税改作の改税約書を手に入れれば、武力を推してまで早急に神戸開港を求めるつもりなど最初から考えていない。

 他の三夷国にしても、開港に関する覚書と関税改正があれば、無理強いしてまで開港を求める必要性はなかったのだ。なぜなら、幕府も各藩もすでに黒船を購入しており、いずれは開港の方向に向かう算段をつけていたのである。


 慶応元年九月二十一日。武力を盾にし長州再征伐の許可を求めていた幕府に、朝廷はとうとう勅許を下したのである。


 これを聞いた西郷は憤りを覚え、改めて薩摩藩と小松に対し働きかけた。

 西郷の、長州再征は幕府と長州の私闘である、とする意見は小松も同じ思いであり、藩論を出兵拒否に纏めたのである。

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