表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
幕末奇譚 『志士 狂桜の宴』  作者: 夏月左桜
奇譚七幕 紫電一閃
26/89

其之一 刹那

 赤間関から門司(もじ)へ渡った和奈達は、小倉から大宰府路へ入り、筑前内野宿で泊した後、大宰府へと入った。

 

 筑紫大宰(おおみこともち)の名で日本書紀に現われる。大和朝廷は九州北部の支配を強めるため、官家(各地からの食料を保管する)を置く。中国や朝鮮との交流が始まると、百済との交易がより盛んとなり、国土を守る重要な役割を担う要地としての役割を担うことになる。

 唐津、新羅と百済の戦争に於いて、敗北した百済に加勢した大和朝廷は大敗を記す。

 百済に組した事で、両国が軍を送り込んでくるのではないかと危機感を抱いた朝廷は、官家(みやけ)を五キロほど奥地へ移動させ、那の津の海に「水城の堤防」を築いた。

 長州だけでなく、海路上異国船の往来がある薩摩や、大宰府を抱える筑前が異国に対して警戒心を持つのは、南西諸国古来の歴史ゆえとも言える。


 龍馬が逗留している宿へ着くと、どてらを着込んだ龍馬が胡坐(あぐら)をかいて、二人を出迎えた。

「まっこと、久しぶりやき。和太郎も元気にしよったか? おんしは・・・相変わらず無愛想な男で安心したぜよ」

 一気に喋った龍馬は、はやく入れと二人を促す。

「龍馬さんも元気そうですね」

「ちっくと風邪をひいたみたいけんど、この通り五体満足ちや」

「それでどてらを着込んで、達磨みたいに座っているのか」

 確かに突けばコロンと倒れてしまいそうなほど、体を丸くしている。

「近寄るなよ和太郎。馬鹿も一緒にうつってもらっては手に負えぬからな」

 いつものように、口の中でぶつぶつ言いながら口を尖らせる。

「桂さんの命で共に来た者がいるので呼んでくる。さっさと用事を済ませてしまうぞ、龍馬」

「おんしはせっかちもんだ。久々の再会を、はやちっくと堪能できんがか」

「堪能して、何か得があるならばそうもする」

 そう言うと、別の部屋で待たせいる佐世と所を呼びに立って行った。

「なんちゃーじゃ変わっちゃーせんな、あいつは。どうだ、厳しいのも相変わらずか? 苛められちゃーせんじゃろうのう」

「厳しいのはいつもの事ですし、苛められるのは、ないと思います」

「ほうかほうか。じゃったらいらん心配をしのうていいな」

 丸めた体を和奈の方へ向け、指で鼻の下をこする。

「高杉くんの挙兵に参加したと聞いたがよ」

「はい」

「まっこと、おんしはなき、ほがな危険な所へ飛び込んで行くんだ?」

 胡坐のまま擦り寄ってくると、よしよしと和奈の頭を撫でる。

「・・・何かというと直ぐ頭を撫でるんだから。子供じゃないんですよ?」

「阿呆ゆうがやない。これは特権ぜよ」

「なんのだ!?」

 所と佐世を後ろに連れた武市が、龍馬を睨みながら部屋へ入って来る。

「失礼します」

 遠路を来てくれた二人に礼を述べた龍馬は、才谷を名乗った。

「私は長州干城隊軍艦の佐世と申します」

「同じく遊撃軍軍艦の所と申します」

「早速だが、桂さんから書簡を預かっているゆえ、先に渡しておく」

 書簡を受け取り、中を確認した龍馬は悄然(しょうぜん)とした表情を浮かべた。

「桂さんの懸念はなかぇか拭えないようじゃの」

「一度肩透かしをくらっている相手だ、当然だろう」

「才谷さん。今回の和議については桂さんだけでなく、我々も一抹の不安を抱いているのが本音です。先日長府にて、大目付役の春山と石川殿と薩摩の方と席を共にし、会談への方向性は一致していると確認しましたが、それは藩の上方での一致ではない。下方がいくら和解を考えていたところで、肝心な人間が動かなければ無理な話しであります」

 そう言う佐世だけでなく、長州藩の多くが同意見であるのは武市も承知している。ゆえに、中岡の根回しと、龍馬の根回しが上手く交差しないと、更に両国の亀裂が深まる危険性も孕む和議となる。

「西郷さんが実際に桂さんと膝を交えない事には、我々としても安心できるものではないのです」

「ほりゃあ、よう解っちゅうぜよ。両藩のこれまでを考えると、すんなり事が運ぶとは考えちゃーせん。じゃが、足踏みしちゅうだけでは何も始まらん。やき、わしは頭と足を使っちゅう」

「大久保さんにも再度頼みの手紙は出しておいたが、西郷さん本人が腰を上げない事には、ここで論議を重ねても仕方ないと言える」

「桂木さん、大久保さんとも知り合いなんですか?」

 凄腕の剣客が現われたと思いきや、桂のお墨付きで遠近附士として召抱えられ、薩摩との会談の橋渡し役を務めている。加えて大久保と顔見知りであると聞かされては、佐世も桂木に対して疑念を抱かざるを得なかった。

「仲が良い、とは言えぬがな」

「宗次郎よりも、和太郎の方が気に入られちゅうな」

「えっ! あれって、気に入られているんですか!?」

「村木もなのか・・・二人は一体何者なんだ?」

 佐世はそう聞いたが、答えが返ってくるとは考えなかったので、横で呆けている所を肘で小突いてみる。

「俺に聞かれてもなあ」

「桂さんと高杉さんが京におった時やき、なんちゃあ不思議じゃーないがよ」

「梅太郎、世間話はそこまでに。肝心の話しが進まないだろうが」

 また口を尖らせてぶつぶつ文句を言う龍馬を諌め、桂から指定された日を告げた。

「宗次郎はすっと怒るでいかん。ほいたら閏五月二十一日に、西郷さんを長府に連れて来るよう清之助に伝えるき、桂さんにもそう伝えとうせ」

「承知しました。では我らはこれにて」

 龍馬が一日ほどゆっくりして行けば言いと勧めたが、すぐ戻るよう言われて居るからと、佐世と所萩に戻って行ってしまった。

「くっしゅん!」

 ずるっ、と鼻の下を指で擦る龍馬。

「昨日裸で寝たのがいかんかったか」

「阿呆が・・・」



 閏五月一日。

 風邪気味ながら、なんとか五公卿や児玉へ挨拶に回り終えた龍馬と共に、和奈と武市は長府へと戻った。

「真剣に風邪だな」

「ですね」

 だが長府へ到着するなり、無理が祟ったのか龍馬は熱を出し寝込んでしまっていた。

「桂さん達が到着するまでに、何としてでも治せ」

「うつせば治りも早いとゆうろう」

「誰にだ」

 睨まれて不服そうに布団に潜り込み、その日から丸二日、龍馬は熱にうなされ、布団から出れなくなってしまった。

 三日目の朝になり、漸く熱が下がった龍馬は、茶だ、めしだと駄々を捏ねていた龍馬の頭に拳が落ちた。

「おんし、今、本気で殴ったろう!」

「無論。熱だとは言え、我儘を並べてたんだ、斬られなかっただけましだと思え」

 そう凄む武市から、横で苦笑する和奈に悲しそうに視線を移す。

「貴様、懲りないのか」

「阿呆ゆうがやない! のう和太郎、わしは病人じゃきのう?」

「はあ、一応は。でも、それだけ元気ならもう大丈夫ですよね」

 にっこりと笑いながら、額に当てていた布を取り、桶に浸す。

「おう。まっこと、和太郎は優しい子じゃ。それに引き換え、この男は病人の扱いを心得ておらんぜよ」

「っ・・・・今夜から気をつけて寝ろ。朝になって首と胴体が離れていても化けて出るな」

「おんし、それ真剣に言うちゅうやろ!」

「龍馬さん、まだ寝てないと・・・」

「俺はいつでも真剣だ」

「受けて立とうやか!」

 布団を跳ね除け、枕元に置いてあった鞘に手を伸ばす。

「ったくもう! また熱出たらどうするんですか!? 暴れないで大人しく寝て下さい! 桂木さんも喧嘩吹っかけずに隣の部屋へ行く!」

 とうとう和奈が切れてしまった。

 怒鳴られた武市は阿然とし、龍馬もすごすごと布団の中に隠れる。

「・・・解った」

 そう言い立ち上がった武市は、ぴしゃりと障子を閉めて出て行ってしまった。

「あいつに怒鳴るのは、大久保さんと桂さんだけと思うておったが」

 布団から顔だけ出した龍馬が笑う。

「あ・・・勢いでつい・・・うわぁ、どうしよう、やばいやば過ぎる」

 後悔先に立たずとはこう言う事を言うのだ。

「機嫌を損ねた武市は手に負えんき」

 龍馬の言葉通り、部屋に戻った武市は夕食も取らず、翌日の朝になっても部屋から出て来ず、和奈が困るっているのを見かねた龍馬が謝りに行き、漸く部屋から出てきたのである。

「どくれるのも大概にせんといかんぜよ」

「だれが拗ねた?」

 また言い合いが始まりそうな雰囲気に、和奈は困るしかない。

「失礼するが、いいかい?」

 天使の声と、急いで立ち上がった和奈は障子を開けに駆け寄った。

「小五郎さん!」

 半泣きに近い顔で出迎えられた桂は、大方の予想をつけたのか、きょっとんとした表情から真顔になって二人を見下ろした。

「君達、仲がいいのは結構だが、和太郎を困らせるのは止めて頂きたい」

 頼み事や説教の場で桂が笑う時は、反論や抵抗を拒否させる気迫を放つ。半ば立ち上がりかけていた武市は座を正し、龍馬は頭を掻きながら席へ戻るしかなかった。

「いや、まっこと恥ずかしゅうていかん」

「面目ない。この馬鹿が何かと絡んでくるもので・・・大人気なかった」

「反省しているのなら結構。和太郎、すまないが僕の食事も頼んできてくれるかな?」

「はい!」

 場が収まって安心した和奈は、足取りも軽く廊下へ消えて行った。

「桂さんだけで?」

「晋作は後から遅れて来る。あれも駄々を捏ねてくれたが、色々と片付ける事もあったので先に出て来た」

「新之助に、桂さんの護衛をしろと申しつけて出たのだが」

「なんじゃ、あいつも長州に来とったがか?」

「申し訳ないが、岩村くんには隊士達の稽古をお願いして来た」

「・・・無謀ぜよ桂さん」

「いや。荒さは目立つが、良い師に仕込まれただけはある。問題も不便もないよ」

「恐縮です」


 白石という商人を紹介したいと、桂は食事を済ませた後、和奈達を連れ竹崎へ出向いた。

「お久しぶりです白石さん」

「これは桂様。ご無沙汰しております。ささ、どうぞ皆様も遠慮なく中へお入り下さい」

 来訪を受けた白石は、中岡を出迎えた時のように満面に笑みを浮かべ奥へと入って行く。

「あなた様が坂本様ですか。お噂は色々と耳にしております」

「どんな噂か聞きたいね」

 楽しそうな桂、眉間を狭める武市、うきうきとした表情の龍馬に、和奈は必至で笑いを堪えなくてはならなかった。

「今晩はいかがなさいます?」

「近くに宿をとっておりますから、ご心配には及びません」

「それはいけません。折角御出で下さったというのに何の持て成しもできぬのでは・・・逗留先をここに変えては如何でしょうか? 面白い者達が出入りしますゆえ、退屈はしないと思います」

「この人数では返ってご迷惑と言うものです」

 断りを入れる桂に、宿には連絡を入れておくのでと言い、さっさと出で行ってしまった。

「ある意味、龍馬と同じだな」

「こうと決めたら、他人の意見を聞かないところは特に」

「酷い言われ方やか」

 白石の言ったとおり、程なくして大宰府に居た土方が姿を見せた。

「下から話しを推進めてくれるのは有り難い」

 土方は、先日中岡達とこの白石邸にて和解につて談義した事を伝えると、龍馬は長崎や薩摩にて話しを進める手筈だから、長州との架け橋になれと土方に話した。

「海援隊?」

「おう。表向きは貿易会社じゃが、薩長を繋ぐ組織と考えてくれたら良か。ちょうど白石さんという心強いお人も出来たき、わしも張り合いが出るちゅうもんぜよ」

「君の腹案するところさっぱり解らないよ」

「なに。商売絡みで両藩の間を行き来する方が、話しも通りやすいと考えたんぜよ」

 桂は海援隊の創設を疑問に思った。確かに商売での交流は、ただ話しを持って行くよりは取っ掛かりが出来るという点で納得するところだが、和議のために会社を組織する必要性は感じられなかったのだ。



 閏五月九日、家茂は勅書を無視し、紀州藩主以下十六藩の兵約六万を率いて、西下を開始した事に憤った大久保は、すぐさま鹿児島へと伝令を走らせた。

 中岡と共に鹿児島から佐賀関経由で長府へと向かっていた西郷は、船上の人となる前、大久保からこの報せ受取っていた。

「えええっ!?」

 この何ヶ月の間、何度そう叫んだことだろうか。

 出航後、西郷から長府へは向かわず、大坂へ行くと告げられた中岡は、その理由を尋ねて顔色を青くした。

「六万・・・」

「長州との対話も必要と思っとう。が、今はそれよか、幕府を止めなくてはならん」

 二度目の長州征伐。先の征伐で、長州が幕府への恭順を示したも関わらず、江戸から兵が出た事に西郷は怒りを覚えていた。

「だったら尚の事、長州との和解を得て、足回りを固める方が先決ではありませんか!?」

「今は征伐を止むう方が先だ。信服しての同行誠に忝いが急を要すう。一蔵も駆け回っとうだろうが、長府へ寄っとる時間はない。朝議が再征伐に傾く前に阻止せねばならぬ」

 長州征伐を止めるからとは言え、西郷が来ない事を知った桂は激怒するだろう。龍馬が一緒だとしても、二度目の肩透かしに桂がどう出るか解ったものではない。必死に説き伏せようと試みたが、西郷が決定を覆す事はなかった。

 佐賀関に寄港して船を下りた中岡は、陰鬱としたまま一宿すると、船を乗り継ぎ、二日後、長府へと着いた。

「元気ないですね」

 迎えに来ていた和奈と共に、桂達の逗留する白石宅へと向かうその足は重い。

「俺、今度こそ本当に切腹させられるかも」

「切腹!?」

 只ならぬ言葉に驚きながら、意気消沈の中岡になぜだと尋ねた。

「西郷さんが居ないんじゃ、切腹しかないよ」

「なんで西郷さんが居ないと、切腹になるんですか?」

 はぁ、と俯いて前を歩く中岡から、大きなため息が聞こえた。

「和太郎は気楽でいいなあ」


 暗い顔をし、和奈と共に中岡が入って来ると、西郷が居ない状況に桂は肩を落とした。

「申し訳ありません!」

 土下座した中岡から事の次第を聞いた高杉は、おまえが謝る事ではない、と言ったが、桂は収まりが着けず立ち上がった。

「最初からこうなるのではないかと思って居たんだ。僕はこれで帰る!」

 桂の剣幕に、高杉も慌ててその袖を掴む。

「俺は今日着いたばかりなんだぞ!」

「おまえは休んでおればいいだろう!」

 龍馬と武市の言い争いより、怒った桂を止めるのはさすがに無理と、和奈も止めに入れずに居る。

「ちっくと待っとうせ桂さん。なにも西郷さんは和解が嫌で来なかった訳じゃないき。そこんとこをくよーく考えてほしいやか」

「坂本さんの言う通りだろうが、少し落ち着け!」

「朝議が傾き、幕兵の進軍が始まれば和解どころの話ではない」

 高杉と武市からも諌められ、仕方なくその場に座りな直す。

「長州旗頭が二人も来ていると、西郷さんもよう解っちゅうぜよ。それを後にしてまで大坂へ行ったゆうのは、それだけ事態が悪いちゅう事やき」

「そんな事くらい僕も判っている」

「俺としても、このまま和議を進める気はないぞ?」

 あら、っと高杉の発言に龍馬が目を向く。

「西郷さんが執った行動の理由は解った。しかしな、それで、そうですかと笑い返す事などできん。何かしら手土産一つでも持ってこさせてくれ」

 手土産? と一同の視線が高杉に集まる。

「それはいい。たまには良い事を言うじゃないか晋作」

 何か思いついた桂は、憤怒の形相から一転して笑顔を浮かべると、龍馬に向かって口を開いた。

「恭順を示したとは言え、逆賊という立場は変わってはいない。その証拠に、幕府は我々の武器弾薬の取引について国内外に対し禁止令を出したままだ。尊王攘夷を掲げる長州が、大人しくその旗を降ろすと考えていない証拠だよ」

「小五郎の言う通りでな。白石さんを通して武器を仕入れたくても出来ないのが現状だ。そこでだ。海援隊とかの初仕事に、動いてみる気はないか?」

「つまり、武器を手土産にと、そう言うがか?」

「どう取って頂いても結構」

 ふむ。と龍馬は顎に手をやる。

「じゃが、和議を蹴ったちゅうだけでは、薩摩に武器を手土産させるのはずるうない。薩摩にも何かしらの手土産は必要ぜよ」

「なら、この話しはこれまでに。中岡くんにでも切腹してもらって、事を済ませるまでだ」

「やっぱりそうなった」

 ほらな、と苦笑いを和奈に見せる。

「はやちっくと話しを聞いとおせ。まっこときおうでいかん。何もできんとは言うちゃあせんぜよ」

「なら、何をすると言うんだ?」

「今、薩摩は兵糧米の調達に苦慮しちゅうぜよ。薩摩名義で武器を調達させる代わりに、長州は薩摩へ米を回送してやればええがよ。白石さんにも一肌脱いでもらう事にはなるが、橋渡しはわしら海援隊がするき。ほき手を打ってはくれやーせんか?」

 桂と顔を見合わせ、口元に笑いを浮かべた高杉は、手を龍馬に向けるとその手の平に反対の指二本を当てた。

「仕入れるのは、銃七千。それでどうだ」

 それだけの銃が手に入るのならば、全ての隊に回すことが出来る。

「七千と来たがか」

「江戸から来る幕兵の数を考えたら、多い数とは言えん」

 西郷が大坂へ戻り朝議に掛け合っても、征伐が無くなるという保証はないための策、高杉はそう言いたいのだ。

「承知したぜよ」

 橋渡しをする事で、中岡が切腹せずに済むのなら、仕方がないと笑った。



 閏五月二十三日。

 大坂へ着いた西郷は、兵を駐屯させるとその足で京都へと入った。

 家茂が朝廷に参内し長州再征を奏上したのには、長州に対する処分が甘いと、幕府内から声が出始めていたからである。未だ降伏条件の全てを実施しておらず、幕府に対して恭順を示すだけで、なんら事は進んでいないとの批判も相次いだ。

 六万の兵を上洛させたのは、朝廷に対し武力で持って、二度目の征伐地勅許を得ようという幕府の思惑があっての事だった。しかし、京と大坂に幕兵が滞在する事となっても、朝廷は勅許を下さなかった。

 幕軍を目の前にして勅許を下さないのは、再征伐は断固断るべしと西郷から伝えらた大久保が、朝廷への裏工作に奔走していたからだった。

 ここで勅許が下れば、再び幕軍は長州を目指すだろう。大久保も、今回の征伐に対して幕府に義を見出してはいない。幕臣達が身の保身のため、幕府政権の回復確保に走っているとしか受取れなかったのだ。


 和奈は八ヶ月ぶりに京の土を踏んでいた。

「なんか、懐かしいです」

 昭和から江戸時代に来てしまって、もう一年になろうとしている。

「あまりきょろきょろするな。新撰組に目を留められたらどうする」

「おんしはこうもっと、柔らかい頭にならんがか?」

 肩を窄めて和奈と顔を合わせて、のう、と呟く。

「五月蝿い」

 武市の手配書は無くなっているし、別人の様になっているのだからそう心配するなと龍馬は言う。

「だからおまえは馬鹿だと言うんだ。顔を見知った奴ならば、例え片目であってもすぐに判る」

「そん時はそん時ぜよ。おんしは和太郎を抱えて逃げればいい」

 何を言っても堂々巡りになると解っていたので、武市はそれ以上言い返さずにおいた。

「岩村さん、じっと待っててくれますかね」

 京に武市が向かったと知れば、岡田の事だ、長州を無断で飛び出して来かねない。そうなれば、藩籍を貰っている藩士の身分では、脱藩罪に問われ獄送りとなる。

「それならなんちゃーがやない。側にゃ桂さんと高杉くんが居てるんやき、動きとうても動けんぜよ」

 二本松藩邸が近くなってから、和菓子を買いに行きたいと和奈は二人に手を合わせて頼んだ。

「大久保さんへの土産か?」

「はい。いつもお世話になりっぱなしだし、お茶には甘いものが必要だと思うんです」

 拳を握り締め、うんうんと頷く。

「・・・・・・」

 無言で拒否を示す武市を見て、龍馬は苦笑する。

「顔を知られちゅうとゆうたち、まだわしらとの繋がりまで知られちゃーせんからなんちゃーがやないろう。めっそう縄をきつくし過ぎると、嫌われるぜよ」

「だれが縄を絞めている」

「道の真ん中で堂々と喧嘩する方が危ないです」

 うっ、と二人は辺りを見回す。

「先に行っている」

 お互いに、お前が悪いと言いながら、二人は藩邸へと歩いて行った。

「仲がいいんだか、悪いんだか」

 二人を見送り、滞在中に用事で出かけた茶屋へと足を向ける。その横に並んで甘味屋が在ったのを覚えていたのだ。

「すいません」

 暖簾に顔を突っ込んで、中に居る女中に声を掛けると、四人分の団子を持ち帰りたいと頼む。

「少しお待ちになっておくれやす」

 外に戻り、店先に置かれている椅子へと腰を下す。

 賑わいは以前より少なくなっていたが、やはり京の中心だけあって人通りは多かった。

「あれ? 君は確か」

 どこかで聞いた声だと、横へ顔を向ける。

「!」

 その顔も、全身に感じた剣気も忘れた事はない。

「ああ、やっぱり。あの時の」

 沖田総司が目の前で笑っていた。

 一瞬氷を踏んだ様に足元からぞくっと背筋に冷たいものが走る。

「へえ、君も甘いもの好きなんだ」

「いえ、届け物にと。確か、沖田さん、でしたよね?」

「おや、覚えてくれていたんだ。ああ、そうか。あんな事があったんじゃ、忘れたくても忘れられないよね」

 沖田は出て来た女中に団子二皿を注文する。

「一人じゃつまらないし、一緒に食べよう」

 断りたいのに、理由が思いつかない。

「君、薩摩藩の人だよね」

「え・・・」

 なぜ知っているのだろうと考え、あの時後をつけられたのだと気付く。

「一応それも仕事だからね」

 心を見透かしたように沖田が言う。

「おまっとうさん」

 和奈の頼んだ団子よりも早く、女中は沖田の注文した団子が持って来た。

(早く団子をくれないかな・・・)

 本当に困る状態だった。

「遠慮しなくていいよ、僕のおごりだし」

 諦めた和奈は席に座ると、差し出された団子に手を伸ばした。

「剣が変わっているね?」

 どきっ、と胸がなる。

「頂き物です。前に使っていた剣は・・・ぼろぼろになってしまったので」

「まさか、稽古で真剣を?」

「いえ!」

「ふーん。じゃあ、人を斬ったのか」

 答えられなかった。

「あ、ごめん。なんか質問ばかりになってしまったね。女子相手なら、もっと洒落た言葉が出るんだけどなあ」

「女子・・・」

「と言っても、僕は興味ないんだけど」

「え? 女子にですか?」

「どうも苦手なんだ、女子の扱いは。剣なら慣れているから不自由しないけど」

 沖田は新撰組で一番の腕を持つと桂は言っていた。

「ん? もしかして」

 ここで武市らと関わりが有ると知られることはできない。もし斬り合う事になってしまったとしても、到底自分では歯が立たないのは解っている。

 言葉が上手く出て来なかった。

「・・・・・」

「僕、まずいこと言った?」

「と、とんでもないです。ただ・・・その」

「ああ、君もか」

「僕も?」

「新撰組に居るとどうしても嫌われるんだよ。とくにほら、僕は沖田だし」

「嫌いというか、そんなんじゃないです」

 早くここから逃げたいだけですとは、言えなかった。

「お侍さま。えろうお待たせして、申し訳おまへん」

 やっと女中が団子を持って来てくれた。

「あの、今日はご馳走さまでした」

 立ち上がり頭を下げて礼を言う和奈に、沖田はどう致しましてと笑顔で返した。

「沖田さん!」

 横を向いたその目に、新撰組の羽織を来た赤井が映る。

 赤井の視線も、沖田から和奈へと向けられた。

「・・・・・・」

「どうした?」

 はっ、と視線を戻す赤井。

「土方さんが至急呼んで来いと。会津藩から使いが来て、土方さんも近藤さんも大慌てになってるんです」

「解った、すぐ戻る。えっと・・・そう、村木くんだったよね?」

「あ、はい」

「付き合ってくれてありがとう」

「こちらこそ、ありがとうございしまた」

 沖田が駆け出すとその後を追いかけるように駆け出し、一度も振り返る事なく赤井は走り去って行った。


 手に団子をぶらりと持ち、和奈は心ここに在らずと藩邸にやって来た。

「何か、あったのか?」

 部屋に入って来ても、ただぼうっとしているだけで返事もしない。

「小僧、久しぶりだというのに挨拶はないのか?」

 部屋の奥の上座から大久保がそう言うが、反応はない。

「おい、こら」

 武市の手が軽く頬を叩いた。

「おんし、なんちゃーじゃ殴らのうてもかまんわんじゃろ」

 頬に手を当てて、ようやく和奈は顔を上げた。

「赤井くんが居たんです。新撰組の・・・羽織を着て」

「なに?」

 龍馬が膝を叩いた。

「こりゃあー参ったぜよ。桂さんから聞いてなかったがか?」

「そう言う坂本くんも、話してなかったのか?」

「知っていたのか龍馬? 大久保さんも?」

「ああ」

「すまん!」

 ぺこりと頭を下げて、赤井が新撰組へ行った日の事を語った。

「私にも止める理由はなかったのでな」

「・・・・・・沖田さんにも、会いました」

「!」

「!?」

 三人はどういう事かと訪ねる。

「甘味屋で会ったんです。そこに赤井くんが来て・・・なんで新撰組なんかに・・・」

「その理由を問うて、おまえはどうすると言う」

 武市の声は冷たかった。

「とうする? どうするって、新撰組ですよ? 僕達と・・・敵になるんですよね? なんで、そんな事になったんですか!?」

 赤井は自分のせいでここに来てしまった。その赤井が敵として今、新撰組に居る。どういう理由があったとしても、このまま放っておく訳にはいかないように思えた。

「愚か者めが」

「大久保さん」

「坂本くんは黙っていろ。いいか小僧。己の意志で決めた事を、他人のおまえが口を出すものではない。それこそいらぬ世話と思え。例え新撰組から連れ出そうとおまえ一人が躍起になったところで、相手にその意志がなければ無駄な努力だと知れ」

「敵となると解った上で出て行ったのだろう。おまえはそれを受け入れなければならん」

「・・・だけど、放っておけないです!」

「武市くん、もう少しこいつの躾をちゃんとしておきたまえ。これではこやつの命が幾つあっても足りぬぞ」

 もう泣き出さんばかりに肩を震わせている和奈を、武市は部屋から連れ出して行った。

「まったく!」

「そう怒らきやっとおせ。あの子は自分のせいと思うちゅうんぜよ」

「別にあやつが何かしたのではないだろう? 勝手に出て行ったのはあの男ではないか」

 大久保にも和奈が桂の親類などてばなく、別の時代から来たと伝えておくべきか迷った。

 だが未来から来たと知れば、政にかかわる大久保がこれから起こる事を知る二人を知って巻き込む可能性もある。そう思う反面、今後自分達の身に起こった時に和奈を任せられるのも大久保しかいないと思うのだ。伝えておく方が得策に思えたが、桂の意見を聞いていない。が、聞いたとて反対されるのは必至だろう。

「ふん! 含むところが有る様だが?」

 大久保に下手な言い訳は出来ない。

「まっこと、わしも未だに信じられんのじゃが。和太郎は・・・未来から来たんぜよ」

「・・・? 今、何と言った?」

 大久保の気が抜けたこんな顔が見れるのは、この時一度限りだろうと龍馬は苦笑する。

「未来から、と言ったぜよ」

「坂本くん。とうとうおかしくなったか?」

「いや、正気ちや」

 そうして桂が和奈を見つけて来た時の話しをした。

「・・・桂くんは、それを信じたのか?」

 あの日、桂に龍馬がした問いだった。

「どうじゃろう。同じ事を聞いたが、答えは貰っちゃーせんよ」

「まさかあの男もなのか? と、聞くまでもないな」

「こん事は、桂さん高杉くんとわし以外にゃ知らん。武市にすら教えておらん。大久保さんやき話した。たがこればあは覚えておいて欲しいぜよ。もし、未来の事を聞こうかとしたり、あの子を利用しようなどと考えようもんなら、わしもそん時は黙ってはおらんぜよ」

「ほう。この私を斬るか?」

 カチャリ。

 龍馬が鞘に手を掛ける。

「本気、か。それはそれで面白い事になりそうだがやめておけ。この私を見縊(みぐび)ってもらっては困るぞ。そんな器量の小さい男と思われていたと言うのも心外だ。どこぞの官僚風情ならいざ知らず、相手は馬鹿娘ではないか。そんな奴が持ち得る情報など、それ程重要かつ膨大ではあるまい」

「失礼仕りました」

 鞘から手を放し、土下座して後もう一度念を押す。

「こん事はどうか、わしと大久保さんの内に納めて頂きたい。武市や和太郎にも言わんでほしいやか。勿論、西郷さんにもじゃ」

「心得た、と言っておこう。それより、赤井とか言う男の方はどうなのだ?」

「ここを出る時、なんちゃーじゃ語らんと約束しちゅうぜよ」

「呆れた男だ。人を信用し過ぎては、何れ寝首を掻かれる事になるぞ」

「よう解っちゅうがよ」


 部屋を連れ出したはいいものの、座り込んで庭にある池を見つめたまま、いくら声を掛けても返事もしない和奈に、武市は弱り果てていた。

「いい加減、こっちを見てくれないか?」

 すくっと、いきなり立ち上がった和奈に、思わず体を反らす。

「桂木さんと大久保さんの言う事、解ります」

「あ、ああ」

「自分で選んだんです。僕と同じく」

「そうだな」

「なら、仕方ないです・・・よね」

 少し悲しそうに目を細める。

「そう言うことだ」

「それが赤井くんの志と言うのなら、僕も僕の志を貫く」

 ふっ、と笑い和奈の頬に手を当てる。

「叩いてすまなかった」

「いえ、僕が悪いんですから」

「おまえは一人ではない。この俺が居る事を忘れるな?」

「はい」

 では戻るぞ、と部屋の方へと戻って行く。


 そこには真面目に見詰め合っている二人が居た。

「男同士で見詰め合うのは、如何かと思うが」

「お。どうだ、ちくたあ落ち着いたか?」

「ああ。大久保さん、お騒がせ致し申し訳ありません」

「納得したか、小僧?」

 こりと頷く和奈に、早く団子を出せと大久保は笑った。

「いらん事に時間をかけてしまったな。本題に入るぞ。桂木くんまで来たと言う事は、西郷の件なのだろう?」

「大久保さんは、まだ和解を行う意志はありますか?」

「無論だ。吉之助が長府へ行かずに帰って来た時は驚いたが、場合が場合なだげに止むを得まいと思っている。長州征伐は私も望む所ではない。吉之助からも、再征伐は断固として断れと伝言を受けている」

「長州も和解を進める意向です」

「それは良かった。と、笑って済むとは思えぬが?」

 含み笑いを浮かべ、ちらりと龍馬を見る。

「怖いお人やき」

 長州が欲っしている銃七千挺を薩摩名義で購入してもらう事、対して薩摩には不足している米を長州から回す事を条件で、今回の件を納めたいと龍馬は伝えた。

「そう来たか。が、損のない申し出ではある。いいだろう、その話しに乗ってやる。銃七千三百挺だ。そう伝えてくれ桂木くん。銃の購入先は私が手配しておく。ついでに、海援隊には軍艦をくれてやるから有り難く思え」

「軍艦!?」

 三人は揃って声を上げた。

「物を運ぶ物がいるだろう? その後は坂本くんが好きに使いたまえ」

「太っ腹すぎるぜよ」

 これにより、海援隊は初仕事を軍艦で行う事になり、大久保が出兵を拒否する意向だと長州に告げるよう託された。


 そうして大久保は西郷に宛て【至当の筋を得、天下万人御尤もと存じ奉り候てこそ、勅命と申すべく候得ば、非義勅命は勅命に有らず候故、奉るべからず所以に御坐候】との書簡を送った。

 適正な筋を得て、世の中の人が道理に適うと納得してこそ勅命と言うのであり、その道理から外れた勅命は勅命ではないのだから、従う必要はないと念押しした形となった。



 龍馬達に四条通りに在る錦小路藩邸での逗留を許可した大久保は、自室へと戻って来た。

「居るか? 新兵衛」

「これに」

 障子の向こうで声が答えた。

「新撰組に居る赤井修吾郎、こやつを消せ」

「御意」

 大久保は、未来の情報が新撰組に渡るのを懸念し、龍馬には内密で命を下した。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
■登場人物前半 ■登場人物後半 ■役職 ■参考資料 ■本小説と史実の相違

  幕末奇譚 『志士 狂桜の宴』 イメージソング
『Recollection』ambition song by Alternative Letter
※オルレタのメンバーの許可を得ております。
著作権は「Alternative Letter」にありますので、無断使用は固くお断り致します。
Alternative Letter Official site
小説家になろう 勝手にランキング  更新通知を登録する

オンライン小説検索・小説の匣
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ