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幕末奇譚 『志士 狂桜の宴』  作者: 夏月左桜
奇譚六幕 鳩首凝議
24/89

其之三 屯所移転

 長州に舞い戻った桂は、高杉と共に軍政改革と藩政改革に走り回っていた。

 戻った時に諸隊の編成が行われたが、大雑把に分けられている名簿を見て、桂は再度編成し直すと高杉に伝えていた。

「おまえに任せる」

 それだけ言った高杉はその編成に加わる事はせず、そう言うだろうと承知していたので参加を強要せず、御用所役についている大村益次郎を呼び寄せ、編成についての意見を聞くことにした。

 大村は周防国の医師の子として生まれ、三田尻の梅田幽斎に蘭学、医学を学んだ後、二十三歳の時に大坂へ出ると緒方洪庵から適塾を学んだ。その後、江戸で幕府の講武所で教授を務め、敬親の命で帰藩していた。

 今は鴻の峯の麓に在る普門寺で、歩兵・騎兵・砲兵を長州藩士に教えている男である。

 正規軍を始め、奇兵隊など挙兵前から在る諸隊と、挙兵により各地で結成された諸隊を書き出したものを、二人が覗き込んでいる。

「数があれば戦に勝てると言うものではない。要は質です。質が良ければ少数精鋭にて十分隊として機能します。それには縦を流れる命令を、横の繋がりへと広げる迅速さを求めなくてはなりません。加えて、各個独自で動く際の判断能力も必要不可欠となりましょう。何時如何様な事で変わって行く戦況を見極め、臨機応変な対応をしなくてはなりませんからな」

「十分でしょう」

 大村が書き出した諸隊一覧を持って、桂は高杉の元へと急いだ。

奇兵隊 総監 山縣有朋、隊士五百名。宿所、赤間関赤間神社。

膺懲隊 総監 赤川敬三、隊士四百名。宿所、徳地。

遊撃隊 総監 石川小五郎、隊士三百三十名。宿所、高森。

鋭武隊 総監 堀真五郎、隊士二百八十名。宿所、小郡。

整武隊 総監 伊藤俊輔、隊士四百四十名。宿所、萩。

振武隊 総監 佐々木男也、隊士二百二十名。宿所、生雲。

干城隊 総監 佐世八十郎、隊士三百十名。宿所、萩。

斉武隊 総監 太田市之進、隊士四百名。宿所、三田尻。

浩武隊 隊長 品川弥二郎、隊士百名。宿所、周防国熊毛郡岩城山。

育英隊 隊長 所郁太郎、隊士七十五名。宿所、船木。

衝撃隊 総監 山田市之允、隊士二百名。宿所、須々萬。

市勇隊 隊長 楢崎新七、隊士百二十名。宿所、船木。

狙撃隊 総監 井上聞多、隊士三百三十五名。宿所、岩城山。

<長府藩>

報国隊 総監 原田順次、隊士二百五十名。

<徳山藩>

敬威隊 総督 寺田良輔、隊士約百名。

<編成>

南奇兵隊 鋭武隊として再編成。

御楯隊・鴻城隊・勇力隊 整武隊として再編成。

南園隊・義昌隊一部 振武隊として再編成。

集義隊・八幡隊 鋭武隊として再編成。

義昌隊・支藩徳山藩山崎隊 斉武軍として再編成。

<編入>

正名団 奇兵隊と鋭武隊に編入。

精鋭隊 干城隊に編入。

真武隊 鋭武隊に編入。

浩武隊 奇兵隊へ編入。

酬恩隊 干城隊へ編入。

奇兵隊から六十名、膺懲隊から七十五名を狙撃隊へ編入。

<解散>

先鋒隊

金剛隊 隊士八十名。

屠勇隊 隊士百五十名。

小野隊(民兵隊) 兵員百五十名。

自力隊(民兵隊) 兵員約二百名。

エレキ隊(民兵隊) 兵員八十名。

東津隊(民兵隊) 兵員百五十名。

佐分利隊(民兵隊) 兵員二百五十名。

義勇隊(民兵隊) 隊士五十名。

良城隊(民兵隊) 兵員百三十名。

維新団(民兵隊) 兵員三百~四百名。

 先の戦で諸隊と敵対した先鋒隊は、一部は主体へ編入されたものの、事実上解散とした。また、挙兵時に結成された農民などの民兵隊も、自主的に解散している隊もあるが、混乱期のものとして解散させる予定で大村とも合意していると高杉に説明した。

「和太郎達はどこへ入れるんだ?」

「馬鹿を言うな」

「石川達も腕は認めてるじゃないか。隊へ入れても問題ないだろうが」

「そう言う事を言っているんじゃない。編入には戦という前提がある。長州で預かった二人を戦場に出さねばならない理由などありはしないと言っているんだ」

「戦となれば、長州に居る以上出ると言うに決まってるだろう。なら先に隊へ組み入れ、隊士と慣れ親しませるのが良いに決まってるじゃないか」

 高杉も断固として譲らない。

「百も承知しているよ。その時になって桂木くんに聞くさ。ここで隊に組み入れる事で、二人の行動を制限するのが僕は嫌なんだ」

 そう言われてしまうと、これ以上の無理強いはできない。

「しかし変わったなぁ」

 嬉しそうに笑う友に、何がと訊ねる。

「損得で動いていた男が、得になる二人を外すなんぞ、以前のおまえなら絶対にしないじゃないか」

「まったく。和太郎が本当の甥ならば隊に入れてるさ」

「ふん! そう考えるってのはなぁ、おまえが本気であいつを受け入れてないって事だ」

 えっ? と桂は顰めた顔を上げた。

「自分で言ったばっかりだろうが、本当の甥ならと」

 あっ、と気まずそうに高杉から視線を逸らした。

「そう言う事か・・・僕は、心のとごかで他人と位置づけているのか・・・いや・・・そんな事は・・・」

「二人を蚊帳の外に追い出したまま、ここで俺達が問答しても仕方がない。今すべきなのは、二人の意見もちゃんと聞くって事だ。違うか?」

「ああ、そうだね。二人にちゃんと聞こう」

 なら早速行くぞと、木太刀の交わる音が響いてくる庭の一角へと二人は足を向けた。

 

 真正面から打ちに掛かってくる和奈を見て、最初の頃より随分と上達したと武市は感心していた。岡田ともう一度真剣に手合わせさせたら、軽く一本取ってしまうのではと思うほどである。

「脇が甘い。剣を振り切った後すぐに腕を戻すようにしなければ、そこへ斬り込まれてしまうぞ」

 これならば並みの剣士相手なら引けは取らないだろう。問題は剣豪を相手にした場合だ。

 抜刀術は初撃が運を分けるといってもいい。初太刀をかわされたらよほどの手錬れでないと隙を突かれニ太刀目に転じる前に斬り込まれる。だから武市は抜刀術に頼らない剣術を教えなくてはならないと、稽古はもっぱら組太刀を用いていた。

「おまえら、そろそろ休憩にしろ!」

 桂の腕を掴んでやって来る高杉の声に、二人は手を止めて振り返った。

「あれ、高杉さん、今日は奇兵隊に行ってるんじゃなかったんですか?」

「小五郎が隊の編成でごちゃごちゃ煩いから、わざわざ戻ってやったんだ」

「酷い言われようだ。そもそも僕が戻る前に勝手に隊を変えてしまったのは誰なんだい? お陰で余計面倒な事になっているんだ、少しは責任というものを-」

「解ったからそのお小言をやめろ!」

 いつも説教が始まると、高杉は話しを途中で遮ってしまう。

「ほんと、羨ましいほどお二人は仲がいいですね」

「いいもんですか。この男は最初に会った頃とちっとも変わらず僕の手を煩わせてばかりなんだよ?」

 そして桂は、ああと二人が初めて会った頃の話しを始めた。

 桂が二十歳の時である。身分は同じく中級藩士だったが、七つ年下である高杉と言葉を交わすような接点もなく、顔を合わせることがあったが年長であるという理由で挨拶をされるだけで、桂は特別感心を示すことは無かった。

「酷いと思わないか?」

「暴れまわる小僧が居ると聞いても、それがおまえだとは判るはずもないじゃないか。話す機会も殆んどなかっただろ?」

「小僧ってなんだ! 小僧って!!」

「元服前の小僧を小僧と言わずして何というんだ」

「大人と子供ですね」

 話しを聞きながら想像を膨らませていた和奈は、つい言葉が出てしまってから、しまったと手を口に当てたが遅かった。

「おまえまで言うか!?」

「あはははっ。和太郎はよく解っているね。でも、あることがきっかけで僕は晋作を気にし始めたんだ」

「あること?」

「他藩と剣術の試合があってね」

「あっ! まて小五郎! それは言うな!」

「いいじゃないか、別に恥ずかしい話しをするわけではないんだ」

「嫌な思い出もあるだろうが!」

「あ、はい。聞きたいです」

 にこっと笑った和奈がそう言ったので、高杉は真剣に焦ってしまった。

「他藩から来た武士に長州の武士が総負けしてしまったんだよ。それもたった一人の相手にだ。それに怒りを見せたのが晋作だった。負けたのは腕の差だ。だが、晋作はそれを自分の腕の恥とせず、長州の恥辱だと受け取った。敵と斬り合った先に、自分の死があるとこの男は思っている。幼い頃から剣術一筋だった晋作らしい考え方だね。だからか人一倍負けを嫌う。その事があってさらに剣術の稽古に没頭するようになった」

「負けて武士の花が咲くものか!」

「まだ話しは終ってないよ、晋作」

 そう言い楽しそうに首を傾げた。

「僕は元々武士ではなくてね。父からはよく、武士たる者より人一倍稽古を積み、本当の武士になるよう粉骨精進せねばならぬと説かれたものだ。だが僕はどちらかと言うと学問の方に興味があった。それに晋作ほど剣へ打ち込むことへの意味も見出せなかった。それが、長州が総負けしたと聞いた時は腹が煮え返るほど腹が立ち、怒りに体が震えた。おかしいだろ?」

「小五郎も武士の端くれだったてことだな」

「そうかもね。で、その腹立たしさは僕が剣術にのめり込む要因となり、晋作の気持ちを理解する機会を作った。それから話す機会も増え、付き合いが始まった。八年後に晋作が免許皆伝を得る頃には、掛け替えのない友となっていた」

「喋りすぎだ!」

 話し終るまで素直に突っ立っていた高杉は、最後の言葉で顔を真っ赤にしながら桂の首を絞めにかかった。が、伸ばされた腕は避けられてしまい宙を描くだけに終ってしまう。

「避けるな!」

「首を絞められる覚えはないよ? いいじゃないか、おまえの昔話は本当に楽しい事ばかりなんだから」

「だからってなぁ! なにもこんな時にそんな話しをする必要はないだろうが!」

「もっと聞きたいくらいです」

 くすくす笑う和奈に晋作が呆けた顔を向ける。そして、何か気付いたような顔をした後、桂を指差した。

「はん。小五郎も悪戯好きの悪童だったじゃないか」

 にやりと笑みを浮かべた高杉は上得意の顔になっている。

「悪童!? 小五郎さんが?」

「ほう」

 これには武市も興味を示したようだ。

「額の傷、なんで付いたか知ってるか?」

 傷? そんなのあったっけ、と桂の額に視線が行く。

「ああ、これかい?」

 和奈の方へ少し屈んで前髪をさらりと掻き揚げて見せる。そこには小さな三日月形の傷がうっすらと残っている。

「どしたんですか、これ?」 

「誰でも小さい時は悪戯をするものだろ?」

「おまえのは半端ないだろ! こいつはな、川を往来する船を転覆させては大喜びしてやがったんだ」

「転覆って、それ悪戯を通り越してますよ!」

「だろ? それも船頭ごとだぞ? まあ、大人も馬鹿じゃない。で、やられてなるものかと、小五郎が水面から顔出して、船縁に手をかけたところを櫂で殴った」

「殴ったって、死んじゃいますよ!」

「俺に怒るな!」

「役所の荷物なども運んでいたから、沈められたら怒るだろうね」

 他人事のようにあっさりと桂はそう言う。

「岸に泳ぎ着いた小五郎は泣くどころか、額から血をたらしてニタニタ笑ってやがったんだとさ」

 笑顔を浮かべて話しを聞いている桂が、ニタニタ笑いを浮かべている顔など、和奈には想像できなかった。

「頴敏な方も、子供時分は変わらぬ、という事か」

 愉快そうに武市の視線を受け、桂は、そうだよ、と返す。

「まったく。なぜ青空の下で長々と昔話などしならんのだ!」

「僕の話しを持ち出すから長くなったんじゃないか」

「おまえが最初に持ち出したんだろうが!」

「そうだったか?」

 次の言葉を言いかけた高杉をそのままに、桂は二人へと向き直る。

「稽古を中断させてすまなかったね。昔話しをしに来た訳ではなく、二人に話しがあって来たんだよ。おい晋作、そこで拳を握っているより君から伝えたらどうだい?」

「俺に振るならいらん事を喋るなってんだ!」

 桂に勝てるはずもなく、握った拳をそのままに和奈の前に立ち腕を組んで頭を少し前へと屈めた。

「小五郎が隊を編成してるって言ったろ? おまえ達はどうする?」

 直球だった。話しの筋道を考えて喋るのは、高杉にとって大の苦手とすることである。その、なんの前置きもない質問に武市は笑みを浮かべるしかない。

「俺と和太郎が、長州軍に参加するか、しないか、かな?」

「おう、それだ」

「俺が断ったとしても、和太郎は参加すると言い兼ねんな」

 細めた目でちらりと睨むように和奈を見下ろす。

「う・・・その通りです」

 桂も武市も、お互いにため息を掛け合い、やはりと肩を落とした。何をどう言ってもここに居る以上、意見は変わらないだろう。

「そらみろ。俺は最初から隊に入れると言ったんだ。小五郎が変な気を使うから昔話まで出す羽目になるんだろうが!」

「それはそれ、これはこれ。おまえも僕の話しをしたじゃないか、お相子だよ。では、おまえも桂木くんもそれでいいんだね?」

「はい」

「断る理由はない・・・・申し訳ないが、あれも一応追加しておいて頂けると手間が省ける」

 武市が指差した方向に、駆け足で走って来る岡田の姿を見つける。

「厄介者がまた一人増えそうだが、いいだろうか?」

 四人の側で息を整える岡田に、高杉は歓迎だと握ったままの拳を頭に振り下ろした。

「いったぁ! なんですか高杉さんいきなり!」

「五月蝿い、歓迎だと言ったんだ。有り難く思え!」

「そんな無茶苦茶な歓迎はないだろう。すまないね岩村くん。少々恥ずかしい話しをされたもので、君に矛先が向いてしまったようだ」

「恥ずかしい話?」

 実はと、桂が先程の話しを始めようとしたものだから、高杉は後から皆で来いと言い、その腕を掴んで慌てるように屋敷へと戻って行ってしまった。

「なんなんですか?」

「気にするな。それより、どうして戻った?」

「薩摩藩邸へ行ったら、慎太郎も龍馬も居なくなったと・・・俺一人薩摩藩邸に厄介になる訳にもいかず、で、先生の所へ戻るほうがいいと」

「龍馬が動いたのは桂さんから聞いている。西郷さんと会うまで我慢できるかと心配していたが、こうなっては仕方があるまい。おまえも当分ここに厄介になるといい。いや、待て。京へ戻って所帯を持つ、という選択肢もあるぞ?」

「なぜそういう事になるんですか・・・」

「薩摩藩邸にはお京さんも居るんだ。龍馬が動かなければわざわざ戻って来たりはすまい」

 岡田の顔が真っ赤に染まった。

「そう言えば、お京さんはどうしたんですか?」

「薩摩藩邸にちゃんと戻した! 何もしてないぞ!」

「別に何かしたのかと聞いてはいまい。が、おまえが気に入った相手に手を出さんとはな、本気で惚れたか?」

 口を魚のようにぱくぱくさせた岡田をそのままに、和奈に戻るぞと言い、武市は屋敷へと歩き出した。

「・・・桂木さんと小五郎さんて、やっぱり似てると思う」

 会話で疲れてしまった岡田と共に、和奈は武市の後を追いかけた。


 屯所を移転させる許可が松平から下りた元治二年三月十日、壬生から西本願寺への引越しで新撰組は大騒ぎとなっていた。

「長い間、ありがとうございました」

 大方の隊士が屯所から出た頃、近藤は八木邸の主源之丞の元を訪れていた。

「お忙しい中、ご丁寧にありがとうございます」

「とんでもありません。これまで本当にありがとうございました」

「幕府の御用達です、お気になさらず」

「いえ。荒くれ者ばかりが集まり、昼夜問わずご迷惑をお掛けした事と思います。少しばかりですが、お納め願いたい」

 座した八木の前に、懐から白い紙を取り出し置いた。

「いえいえ。何かとご入用の事でありましょう、お心だけ頂戴しておきます」

「本来でしたら、これ位の礼ではすまぬ所です。どうか、お受け取り頂きたく存じます」

 八木はそれならばと、礼を受け取ると申し出た。

「京の町も本当にさらに物騒になっております。皆さんの活躍は、西本願寺へ移転されても期待をしていますよ」

 八木に礼を述べた近藤は、引越しを手伝わねばと八木邸を後にした。

「やれやれ。これでここも静かになるだろう、すっとすると言うものだ」

 そう言いながらも、礼として受け取った五両を使い、八木は西本願寺に酒を送る手配をした。


 西本願寺を新撰組の本陣とするにあたり、境内北側に位置している北集会所を屯所とした。

 北集会所は、畳三百畳もの広さがある講堂を、二段に作られている縁側が取り囲む建物であるが、そのままで使うのは不便だと引越しの前に大工に幾つもの小さな部屋に仕切らせていた。時を知らせる太鼓が設置された太鼓楼も、内部が三層に分かれており、隊士の寝泊りにも不便はなく、警戒にも便利と見張り台として使う事になっている。

 荷物を運び込む姿を見ても、僧侶らは遠巻きに見るだけで誰一人手を貸そうというものは居なかった

 西本願寺の僧侶の多くは尊王派である。

 文久三年八月十二日、佐幕派浪士によった奉行の松井中務が暗殺された上、晒首にされた事で、新撰組を毛嫌いする者も多くいる。

 禁門の変の時、逃げ込んできた長州藩の品川弥二郎と山田顕義らを匿っていた。

 京から出る事は不可能と考えた品川らの切腹を止めたのが、浄土真宗の僧であり西本願寺の二十世 宗主廣如だ。廣如は坊官の下間頼和に、彼らを僧形にして逃がすよう指示し、長州藩士を京から出した。

 そう言った長州志士の援護をするだけでなく、裏で資金を出しているのではという懸念を持たれている。僧侶の一人、大洲鉄然も長州藩出身の尊王僧だ。彼ばかりでなく僧には長州出身の者が多い。加担していると思われる要因はいくらでもあったのだ。

 土方が山南や伊東の反対を退けてまで、西本願寺への屯所移転に拘った理由である。

「賑やかだよなあ」

 他の宿所から移ってきた隊士を含め、大所帯となった。

 赤井は大石と二人で一つの部屋を与えられていた。六畳に五人が寝起きしていた壬生を思えば、大石と二人でも居心地は良いと言える。

「おまえ、(いびき)はかかんだろうな」

 大した荷物もない二人は、早々に片づけを終え、新しい部屋で気兼ねなく寝そべっていた。

「かきません。そう言う大石さんはどうなんですか?」

 背中で大石の躊躇を感じ取り、赤井は体勢を変えて大石を見た。

「かくんですか?」

「心配するな、そのうち慣れる」

 慣れるほどの鼾ならばいいがと、寝不足になる予感を感じた。

「引越したはいいが、こう大所帯になると返って居心地が悪いもんだな」

「知らない人も一杯だし、洗濯物も増えるんだろうなあ」

「そんなもん、おまえには関係ねぇ事だ」

 自分は下っ端だからと赤井は言った。

「馬鹿かおまえ。羽織着て一番隊に居るんだ。その意味が解ってるのか?」

「意味って、羽織なら皆持ってるじゃないですか。それに一番隊だからって俺が下っ端なのは変わりないですよ」

「やっぱ解ってねえなあ。沖田さんがおまえの腕を認めて、土方さんまでご執心とくれば、他の奴はおまえを下っ端とは見做さねえって言ってんだよ」

「は? ご執心って、土方さんが俺を?」

「何かあるとおまえに用を言いつけてるじゃないか。それに、あの人が自分から話しかける相手は限られてんだぜ? とくりゃあ、他の奴からは別格扱いされるってもんだろうが」

 そんな事にいつなったのか、赤井には全く検討などつけれない。

「雑用は当番じゃないですか」

「けっ。新しい当番表を見やがれ。雑用についちゃあ、おまえの名前は出てねえからよ」

「まじっすか?」

「あ?」

「いや、本当ですか?」

「西の縁側に張り出されてるから見ておけ」

 赤井はそそくさと部屋を出ると縁側を歩き出した。

 二段作りになった縁側は壬生屯所の三倍近い広さになっている。よく磨かれた床に旅を履いた足元はよく滑る。

 ぞくっとした感覚が足元から伝い身体を振るわせた。

 角を曲がると人だかりが見えた。そこに当番表が張り出されているのだろう。

「赤井じゃないか、おまえも見に来たか」

 塚本が山野と一緒に人だかりから出てきた。

「ええ。初っ端から遅刻できませんし、ちゃんと確認しとかないと」

 そう言いながら、爪先立ちになって紙を覗き込もうとする。

「俺らは当番に割り振られてないぞ」

「あら。山野くんも?」

「隊固定の者は入ってない。他の宿所から来た奴らと持ち回りなんだろうよ。こんだけ居るんだ、屁でもねえって」

 新撰組に入ったのは最近なのに、良いのだろうかと塚本に尋ねた。

「最近でも昔でも、能がありゃあ上へ行ける。気にするこっちゃない」

 上へ行くなど考えていた訳ではないのに、勝手に周りがそういう判断をしている事に驚いた。

 土方や沖田と関わりと持っているとは言いがたい。ほとんど一方的に用を押し付けられるのだし、幹部の会議に参加する身でもないのだ。

 ふと、当番表と並んで貼られている紙に目が止まる。よく見るとそれは手配書だった。

(これって!)

 その手配書には武市半平太と岡田以蔵の名が書かれており、朱色のばつ印がつけられている。

「塚本さん、あの二人の手配はなくなったんですか?」

 聞かれて手配書を見た塚本は、死んだから不用になっただけだと教えてくれた。

(ほんとは生きてるんだけどなあ)

 名前を変えて長州に居るのだから、なんとも不思議な気分だった。

「そう言やおまえ、桂小五郎と会ったんだってな」

 楠と一緒に居た女が桂ならと赤井は答えた。

「女装かぁ、そんなに綺麗な男か?」

「服でも脱がさないと一目じゃ男だと解りません」

 最初に会った時も、しばらくは女だと思っていたのだ。

「かなりの腕前らしいな。こりゃあ怖くて女と言ってもおちおち近づけんよなあ」

 話題を振られた山野は、嫌そうな顔で塚本を睨み返した。

 この山野とて、化粧をして女の着物を着たらさぞ見栄えの良い女になる事は間違いない。と赤井も想像してしまった。

(いかんいかん)

「坂本でも見つけて首とりゃ一気に出世なんだが。相当の腕前らしいから望みは薄いよな」

「伊東さんと同じ、北辰一刀流ですよね」

「ああ。免許皆伝だって噂だ。剣を交えた奴はいないから、どこまで本当かは判らんがな」

 桂に龍馬、それに武市とも皆伝の腕前だ。以蔵は人斬りという異名を持つ手錬であるし、中岡もそこらの藩士より腕が立つと思える。皆、新撰組の組長格と同等に渡りえる剣客には違いない。

(あいつも、そこらの隊士より腕がたつだろうなあ)

 大津での立ち回りを見れば、組長格を相手にするのは無理としても、他の者と遣り合うのに問題ないと見ていた。

 師範級の剣士がごろごろいるのかと、赤井は深いため息をつかざるを得なかった。

「さてと、俺は部屋へ戻る。おまえらも早く休んだほうがいいぞ。とくに赤井、大石の鼾は壮大にして半端な音じゃないからさっさと寝ちまえよ」

「・・・今日はとっとと寝ます」

 それが利口だと、塚本は反対側へ歩いて行った。

 大部屋では、八木が引越し祝いと送ってくれた酒樽で隊士達は宴会を始めていた。飲んで行けと土方に進められだが赤井は断り部屋へと戻った。

 大石はどうやら宴会に行っているらしく、部屋に姿はなかった。

 布団を敷いて潜り込むと睡魔は直ぐに思考を停止させてくれ、鼾に邪魔されることなくその夜は早々に寝る事ができた。

 

 幕府は武力で勅命の引き出しに成功し、四大隊を率いて江戸から上洛していた。

 長州藩主の父子を出府させ、五卿を江戸に差し立てる事と参勤交代の復活を行使する論議が始まると、大久保は薩摩に居る西郷にその内容を伝えた。

 薩摩から京へと戻って来た西郷は、藩邸で大久保の前に座って出された茶を飲んでいる。

「どうする、吉之助」

 長州が三條ら公卿を匿っていたのは、長州藩が尊王藩として働いてきた象徴だったからである。五卿の身の安全を保障し、大宰府へ移転させる事を長州に承諾させたのは尊王派だという理由ばかりでなく、今後薩長双方にとってその存在が有意義になり得ると考えたからだ。それを今になって勅命が下りたからと江戸に差し出す事はできない。

「応じられうものじゃなか」

「そう言うと思ったから、拒否する勅書を送っておいてやったぞ」

 西郷は、なに? と目を見開いた。

「ついでに、将軍を上洛させろと付け加えてやった」

「・・・一蔵、おまえ自分が何をしたか理解しじぁのか?」

「あたりまえだ、解らずにやるのば馬鹿のすることだ。なんだ、この期に及んでもおまえは佐幕を通すと言うのか? ならば呆れてものも言えぬぞ」

「そうじゃなか。事はそげんに簡単じゃなか」

「それはおまえの立場でだろう? 私は尊王倒幕派だ、忘れるな。会津藩と手を結ぶ事によって京での勢力回復を目論んだのはいいが、八月十八日の政変で幕府側という立場になってしまった。それが逆効果だったのは今の情勢をを見れば一目瞭然であろう? 私だけではなく、我が藩も元々は尊王派なのを思い出してもらいたいものだ。佐幕派寄りという立場を返上し、藩論を統一させ、諸藩同士の諍いをなくさなくてはならん。そういう時に差し掛かっているのだ、いい加減にその頭を切り替えないか」

 幕臣の自分を前にして、はっきり倒幕派だと断言してしまうのが大久保だ。その気性はよく理解していたが、性急に事を進めては上手く運ぶものも頓挫してしまう恐れがある。西郷にしては珍しく慎重な考えだった。

「いけんして臆さずにやって退けられうのか」

「ふん! それは簡単な理由だ。吉之助、周りをよく観よ。幾数多の者が命を張って志を遂げようとしているではないか。だから私も今の立場を存分に利用させて貰うのだ、倒幕のためにな。討ちたければここで討て。さもないと、佐幕を通すと言うおまえをいずれこの手にかけるかも知れんぞ?」

 端で第三者にそんな話しをしたら冗談では済まない。相手が西郷だから大久保は隠しもせずに自分の考えを口に出す。それは西郷にとっては有り難いわけだが、だからと藩論を変える事を急がせるとなると簡単に事を進められない。

「おまえの言いたかちゅうこつは、ゆうと解っとう。おいとて、こん状況が良かとは思っておらん」

「さてはてどうしたものか。立場がいつもと逆になるとは考えもしなかった事だぞ」

「いけんもこうも、おまえはおまえの考えた道を進めば良か。おやおいの考えでこれからを考ゆっだけだ」

 この男は、と大久保は笑いを浮かべた。

 ここで斬れば簡単に事は済むのだが、それをしない西郷とて、現状が幕府にとって悪いものになっているのは理解しているのだ。大久保が帰りを待たず、幕府からの勅命に返答を出したのは、退嬰的な西郷の尻を叩く意味も含まれている。

「長旅で疲れているだろう。この話しの続きはまた後日するとして、今日はゆるりと休まれるが良い」

「難題を吹っかけておいて、ゆっくい休むう訳がないだろ」


 時代の流れが変わりつつある事を感じながら、西郷は奇策縦横なまでの大久保との今後に、頭を痛めて行く事になるのである。

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