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幕末奇譚 『志士 狂桜の宴』  作者: 夏月左桜
奇譚六幕 鳩首凝議
23/89

其之二 奔走

人を相手にせず、天を相手にせよ

天を相手にして、己れを尽くして人を咎めず

我が誠の足らざるを尋ぬべし

                     西郷隆盛



 元治二年二月。

 五公卿三條から京の情勢を調べるよう頼まれた中岡と土方は、護衛を終えて帰る吉井の好意で薩摩の蒸気船に乗り、大坂へ向かっていた。


 途中寄港する赤間関で会いたい人が居ると、中岡は二人を連れ竹崎にある萬問屋を訪れていた。

「寄り道してて、ええがか?」

「機会があるのに逃す手はないと思って。まあ、損はないですから」

 玄関へ出て来たのは、腰が低く愛想の良い初老の男だった。

「私が白石正一郎にございますが、あなた様は?」

「お初に御目にかかります、私は石川清之助と申します。突然の訪問、誠に申し訳ございません。白石さんの事を聞き、無礼とは存じましたが一度お会いしておきたいと参りました」

 丁寧に頭を下げると、白石も同じく頭を下げて挨拶を返した。

「土方楠左衛門と申します」

「薩摩の山科兵部です」

 薩摩藩の者と聞いて白石は大層喜んだ。

「ここ最近、物騒な事ばかり起きて商いも暇になってましてねぇ。ちょうど退屈しておったところなので大歓迎ですよ。さあさあ、ここではなんですからお上がり下さいませ」

 長州藩商人の白石正一郎は、御用聞き問屋として古くから薩摩藩と交流を持っている人物である。

 長州と薩摩が険悪になってからも、周辺の諸藩との商いに徹する事で幕府の目を欺き、その裏で薩長との間に立ち商いの橋渡しを続けていた。

 白石は奇兵隊の創設に尽力しており、次弟である廉作と入隊して後も会計方務める一方、商人という立場で資金面から奇兵隊を支えている。

 そんな白石の事を聞きつけた中岡は、長州と薩摩の和解を推し進めるため協力して貰えるよう話しをしに来たのだ。

「それは願ってもない申し出です」

 一も二もなく白石は快諾してくれた。

「喜んで引き受けさせて頂きます。と言いますのも、夷人との戦闘や内乱によって長州軍にもかなりの損失が出てしまい、それを補えない現状なのです。私個人としても、長州藩と薩摩藩の関係が改善されるのなら嬉しい限りでございますから」

 薩摩との貿易がなくなり、大きな痛手となっている今日。私利私欲だけでなく、奇兵隊の会計職という立場からも、中岡の齎した和解案に賛成しても白石に損はないのである。

「丁度良い時にいらっしゃいましたよ。紹介したい者が居りますので、是非とも会って行ってくださいませ。なに、そう時間はかかりませんから、少々ここでお待ちになってて下さいませ」

 愛想の良い顔がさらに明るくなると、三人の返事も待たずに部屋から急ぎ足で出て行ってしまった。

「問屋の主人っちゃあ、誰でもああ愛想がええがか?」

 顎を摩りながら、土方は予想以上の待遇に目を細める。

「あの人は特にじゃないですか?」

 商人という職柄に就く者の殆んどは誰もが愛想のいい顔を見せる。中岡の話しにいちいち頷き、ごもっともです、と頷く姿は心底人が良い男の様に伺えた。

「けんど、大久保さんはまっこと顔が広い人やき」

 胡坐をかき、品良く整えられている部屋を見回す。

「でも本心が読み取れない人だから、下手な行動には出れませんよ」

「確かに。ああいう類の人間は絶対敵に回したらいかんぜよ」

「敵でも味方でも、大久保さんに対抗できる奴が居たら顔を拝みたいですよ」

「俺は弟子入りするね、その人に」

 吉井がそう言うと、それなら俺も弟子になって、一度でも言い負かしてやりたいと土方は袖を捲り上げた。

「そう言えば。大久保さんを知らずに噛み付いた奴が居たな」

 中岡は大津での事を思い出した。

「ほう! で、大久保さんその時どうしたちや。激怒したがが?」

「斬られる覚悟はあるのかって、剣を抜きましたよ」

「・・・わしは絶対あん人に反抗しやーせんと誓う」

「反抗なんかできるわけない。しかし、大久保さぁが剣を抜くとはなあ。いや、是非見てみたかった」

 雑談が大久保談義になり、それもネタが尽きて退屈を持て余しそうになった頃、白石が数人の男を連れて戻って来た。

 白石の後ろからそれぞれ頭を下げた男達の中から、一人進み出た者が居た。

「土方やなかか!」

「お! おんし、ここにおったんか」

 出た来た男は名を黒岩直方と言う。土佐を脱藩しており、禁門の件の折に土方と共に三條ら七公卿と長州へ落ちた一人である。 

「お知り合いでしたか、それは良かった。私はここで退散させて頂きますので、何か御用がある時はご遠慮なくお申し付け下さい」

 白石はそう言って、その場から立ち去っていった。

「石川もおるんか」

 中岡は苦笑しながら手を上げた。

「とにかく中へ入りませんか?」

 四人は部屋の中へ入ると、中岡達の前に腰を下ろした。

「初めまして、私は長州藩の春山花輔と申します」

 春山と名乗った男は、長州藩大目付役井上聞多である。

「長府藩報国隊隊長の原田です」

 二人はもう一度頭を下げた。

「山科さん、こちらは安芸守衛さん、我々と同郷の者です」

「ああ、失礼しました。訳あって長州に居座っております 」

 安芸守衛は黒岩の変名で、長州落ちした頃からこの名で通していた。

「薩摩の山科です」

 薩摩と聞いて原田の目の色が変わった。

「なぜ薩摩の方がここに?」

 疑いの眼差しは隠し切れない。

「大宰府に石川くん達と同行させて頂く機会を得て、色々と談義を重ねております」

「原田、そうなにも喧々囂々としなくてもいいだろう。長州の者は皆血気盛ん過ぎて、少々落ち着きに欠ける者が多くて困っております。無礼は私が後で咎めておきますゆえ、この場は咎めずにおいてやって下さい」

 井上は流暢な物言いで、原田を諌めつつ吉井に詫びた。

「いえ、原田さんの疑念は解る所であります。こういう状況下ですし、薩摩で長州の者が居合わせたら、やはり同じように懸念を持った事でしょう。ただ、尊王倒幕を志す者として、薩長の和解を望む者の一人であるとご理解頂きたい」

 尊王倒幕の志し、と井上はそこで少し顔を緩めた。

 井上は攘夷倒幕派であったが、高杉と上海を訪れた際、近代化した洋式の船や建築物を見て、攘夷から開国洋化へと思考を転換させていた。

「その和解だが。石川くんは、本気でできると考えておられるのですか?」

 原田の矛先が中岡へと変わる。

「勿論。両藩もそれぞれの立場があり、割り切れない部分もあると十分承知しております。ですが、四国連合との諍いにて長州が孤立していたのは確かではありませんか? この度の長州征伐についても然り。もはや一国を持って倒幕を進めるのは至難の業と考えています」

「それは私も同意するところだ。長府藩も薩摩との和解を推し進めて行きたいが、親藩である萩藩が藩論を倒幕に転換させたとは言っても、反対派すべてを排除した訳ではない。加えて幕府に恭順を示した妥協案の執行も、まだ問題として残っている。だからなのだ、その中で早急な和解は難しいとしか今は申し上げれん」

 井上はそう説いた。

「いま直ぐ動く状況ではないのは石川も承知している。山科さんとて、それは同じでしょう。だが、動くとなった時、幹部だけで推し進めたものでは意味が無い。上下共に意見を揃えなければ、上だけが推進めた打開策と終り兼ねません」

 黒岩が援護に回るが、井上と原田の表情は変わらず暗いままである。

「ふむ。しかし、なぜ石川くんはそこまで薩長の和解に拘る?」

 原田が横槍を入れてきた。

 それは井上とて同じ疑問だったのだろう、咎めるどころか中岡の返答を待つように視線を向けた。

「俺は長州藩の庇護を受けております。禁門の件でその恩に報いもできず、おめおめと生き残ってしまっている。受けた恩を返せるなら、死ぬ事になっても貫き通すのが俺の信念なんです」

「お二人の疑念は至極もっともです。だが、石川はこういう奴なんです。思い立ったらまっしぐらというか、ただの馬鹿と言うか」

「馬鹿はないですよ」

「信用の置ける奴なのはわしが保証します。長州に身を寄せている他の土佐脱藩士達も同じ気持ちなのはご存知でしょう?」

 中岡について言葉を捜している二人に、黒岩はそう太鼓判を捺した。

「安芸さんがそこまで言うなら・・・」

「心配せんで居とうせ。石川の馬鹿は坂本さん譲りじゃき」

 また馬鹿とは酷いと、中岡が土方にくってかかる。

「坂本さんか。噂に聞いて、一度会ってと思っているが」

「まあ、あいつの事はおいといていい。会合で二人揃うのは、わしが困る」

 それほどですか、なるほど。と原田は真剣な表情で訳のわからない相槌を打つ。

「こうして薩摩の方も居るんだ、強ち夢物語という訳ではないだろう。うちの大将も薩長の和解には同意しているし、桂さんもその方向で動くのは間違いない。で、山科さん、正直なところ、薩摩の意向はどうなんですか?」

「我が藩もすべての者が和解に同意かと言うと、否、としかお答えできません。事実、西郷さんは征伐に幕府として参加しておりますので。だが、和解に向け動ぎ出す者が居るのも確かと申し上げておきます」

 吉井が五公卿に同行したのは大久保の命だ。和解に賛成する者と繋がりを持たせようと画策したのは間違いないと中岡は確信している。

「それは長州も同じ。しかし、な。和解を進め成したとしても、俺は・・・」

 原田はそう言い、後に続ける言葉を飲み込んだ。

「薩摩に対する怨恨は山科殿もよくお解かりになっているだろう。それを超えて事を成そうと言っておられるのだ。長州が得る利得を考えるなら、因縁を小さきものと成さねばならん。そう思えんか、原田よ」

「この期に及んで何を言うかと思われるかも知れませんが・・・薩摩藩全ての者が、長州を京より退けたのを良しとしているわけではない。なぜなら、幕府が諸藩に対し強気に出ているのは、薩長二強のうち長州が京都から追放され、幕府寄りである会津藩がその力を増しているからに他なりません。そんな事態となっている中、、薩摩としても幕府寄りだと思われている現状を苦慮しております」

 吉井の語る事を原田はじっと聞いている。

「土佐藩も藩論にて公武合体を掲げています。尊王攘夷へ藩論を固めようと動いていた土佐勤王党は弾圧を受け、多くの者が捕縛され断罪に処せられてしまいました。それが現状です。だからこそ、薩長和解の実現は欠かせないんです。両藩の和解は、土佐藩や、静観を執り中立の態度を貫く諸藩に対し、倒幕へ動かす原動力になると信じております」

「石川くんの意見も良く解るが」

「白石さんの所へ伺ったのは、薩摩と交流を持たれていると聞いたからに他なりません。それを斡旋してくれたのは薩摩なんです」

 うーん、と中岡の言葉に二人が考え込む。

「逆賊となった長州を政権へ復帰させるのも、幕府に対し武力をもって相対するにも、両国の協力がなくては難しいと存じます」

 長州の内乱は収まりつつある。その後、幕府に恭順という形を示しつつ防備を固め、武装恭順で幕府に対抗したいのは長府も同じだ。藩論が統一したからと、一藩だけで幕府に相対し、朝廷に働きかけるには無理がある。原田も、薩摩との同盟は欠かせないとの意見を頭では解っているのだ。

「薩長の連携・・・白石さんもご助力して下さるなら、動いてみるのもいいだろう」

 井上が結論を下すと、横にいた原田は、納得できないまでも、同意を示すように頷いた。

「薩摩の者として、和解へ繋がる事ならば私も動くとお約束致します」

 中岡は、ほっ、と一息ついた。

 幹部だけでなく下からも和解への足がかりを持てたのは、大きな収穫と言えた。

 頃合を見計らって、白石が部屋へ入って来た。

「硬い話しはお済になられたようですね。晩酌をお勧めしたいところですが、石川さん達はお急ぎとの事ゆえ、次の機会にお持て成しさせて頂くとしましょう」

 白石はにニコニコと言いながら、女中に軽い食事を出させます、と去って行った。

「先の挙兵、俺も知っていたら参加したかったんですが」

 足を崩した黒岩の元へ、四つん這いになった中岡が這って行く。

「五公卿の護衛も立派な参加じゃろ。それにほれ、あの桂木さんも居たらしいから、おんしが来んでもなんちゃーないき」

「やっぱり参加してたんだ」

 武市は名前を変え、和奈や岡田と共に長州へ行ったと大久保からは聞いていた。

「びっくりする事ばかりで、身が持たんぜよ」

 黒岩は桂木が武市だと知っているようだった。

「会ったんですか?」

「気になったがで、人相やらなんやら調べさせたら、みょうに一人は岡田やか。とくれば、付き従うのはあん人しかおらんやか」

 小声で聞こえぬよう、中岡の耳元で黒岩はそう説明した。

「あの腕ですからね、噂になんない方が変か」

「桂木さんですか? あの人なら、挙兵の時に俺も会ってますよ」

 しまった、と原田の言葉に中岡は片目を瞑った。

「長州に縁ある人と聞いたが、あんな剣客が居たなんて今まで見たことも聞いた事もない。色々と噂になっているが、 高杉さんと桂さんが身元を保証してるんで、大きな問題とはなってない。しかし、突然出て来た得体の知れない人間を、疑問に思う者もおるのも事実」

 桂木の名前が耳に届いたのか、井上も体を回して話しに加わって来た。

「大田での合戦の時一緒だったが、いや、大した腕ですよ。あの小さい奴の腕もなかなか」

「おお、大将が言ってた奴か」

 黒岩が話しを逸らしにかかったてくれたので、中岡は話しを蒸し返さないよう、それ以上話には加わらなかった。

「石川さんも伊藤も、偉く気に入っていたなあ」

 疑いの念を持たれているが、他藩の者をあまり信用しない高杉が受けて入れている以上、周りの者が口を出す事はない。

 ここから萩は近い。時間があれば行って話しを聞きたいとも思うが、三條の命を受けているのではそれは無理だと中岡は諦めた。

 白石の用意してくれた膳をよばれ、井上らと和解に向けての結束を約束を交わした中岡らは、再び大坂への航路を上って行った。


 長州討伐に参加命令が下っていたにも関わらず、幕軍が撤兵したため新撰組の討伐出陣は空振りとなっていた。

 山南の脱走事件の後、近藤は屯所移転に多忙を極め、副長である土方が新撰組の行動を指揮している。

「調子はどうだ?」

 山南の件があってから沖田の病状は芳しくない。

 本人は平気だと見廻りへ出ていたが、赤井からの報告でも咳き込む回数が増えているとあった。

「心配いりません。最近はかなり落ち着いてきましたから」

「嘘つけ」

「それより、屯所移転、どうなりました?」

「近藤さんが伺いに行ってる。決まれば忙しくなるんだ、おまえもそれまでは動かずじっとしてろ。副長としての命令だからな」

「都合のいいときだけ副長になるんだから」

 稽古に出ている時からは想像できないほど、沖田は弱々しく見えた。この男は剣を手にしていないと駄目だと知っていたが、今無理をさせる訳にはいかない。

 屯所移転の問題と、伊東派の動きも気になっていた。

 山南の切腹の後、今度は近藤と伊東が揉め出したのだ。隊の方針を統一化させるため、伊東は精忠浪士組時代の攘夷佐幕を断行する路線を勧めてきた。攘夷を貫いていては発展はないとする近藤は頑なにそれを突っぱねているが、いずれ双方の間で一悶着が起こるのは目に見えていた。

 加え、志士の動きも活発となってきている。見廻り中の斬り合いも多く、隊士の負傷が相次ぎ、欠員補充にも頭を痛めなければならなくなっていた。

「嫌な時代になったもんだ」

 今夜の当番を伝えてくると土方は部屋を出た。

「あ、土方さん」

 伊東の用事で出かけていた戻って来た赤井は、沖田の部屋から出て来た土方を見つけて走り寄った。

「ご苦労だったな。で、伊東の用向きは何だったんだ?」

「あれ、聞いてないんですか? いくつか上げられていた屯所移転先、それを見に行ってたんですよ。広さとか、家屋の部屋数とか」

 伊東も、西本願寺への移転に反対を出しているのだ。

 土方はぎりっと歯をすり合わせた。

「下っ端にでも任せてやればいいのに、おまえががするこっちゃねぇよ。次は断っとけ。文句言われたら土方の命だからと言ってやれ」

「はあ」

 本当に苛々する事ばかりだった。

「そうだ、土方さん。さっき斉藤さんが捜していましたよ」

「おう。で、斉藤はどこだ?」

「多分、自分の部屋に戻られてると思います」

「そうか。これから見廻りだったな、注意して行けよ。志士どもが過激になって来てるからな」

「はい」

 土方を見送った赤井は急いで部屋に戻り羽織に手を通した。

 数日前、近藤の許可が下りてこの羽織を貰ったのだ。もう、新撰組の立派な一員、という証だった。

 ため息が出た。

「俺、なにやってんだか」

 土方も近藤も悪い人間には思えない。その志を貫こうとする気構えは、坂本や桂と変わらないのも解っている。だが、何かが違うと心の中で別の自分が囁いてくるのだ。

 自分の意志。毎晩床につくと、そればかり考えていた。突発的な事故で、この時代に来てしまい、帰れる宛などまったくない状況で、生きる道を探す羽目になっている自分が滑稽に思えた。

 見廻りに出ると、隊士達は周りを注意深く見ながら歩き出す。

 先日も隊士二名が、志士と路地の出逢い頭で斬られたばかりだ。注意が増すのは当たり前である。

「怪しい奴を片っ端から捕まえたらいいんだよ」

 諸士調役兼監察に就いている大石鍬次郎がそう毒づく。

 大石は池田屋事件の後、江戸にて隊士の募集をかけた時に入隊した。その腕は沖田も斉藤も認める剣客である。

「志士がそうそう怪しい素振りなんて見せます?」

 一番隊で、沖田の次に大石の話しに入るのは、この塚本善之助と赤井だけだ。他の者は顔色を伺うだけで、話しかけようとすらしない。

 大雑把で判りやすい性格の大石は、赤井を気に入ったのか何かと世話をやいている。

「だから不意打ちされるんだよ。志士の中には、どうぞ斬って下さい、って顔で睨む馬鹿も居るんだぞ?」

「そんなのどうせ下っ端でしょう? 坂本や武市あたりだと平気ですれ違って来ますよ」

 二人の名前が出で、赤井は一瞬体を硬直させた。

 土方や沖田に悟られないよう、名前が出ても挙動不審にならないようにと、自分に言い聞かせてはいるのだが、いまだに慣れないでいた。

「いちいち調べてたらきりが無いって言ってんだ。剣持った奴全部調べっちまえばいいんだよ」

「またそんな無茶な・・・呆れて返す言葉がないです。会津藩なんかしょっ引いたら、それこそ切腹もんですよ」

 切腹で済めばいいが、と赤井は苦笑した。

「おいこら、おまえ今馬鹿にしただろう!」

「してませんしてません。大石さんらしいなと思っただけです。だけど、塚本さんの言う事も一理あります。沖田さんが不在なんですから、厄介事だけは起こさないで下さいよ」

 大石は赤井の言葉に目を見開いた。

「それを、おまえに言われるか!」

「塚本さんと俺以外、誰が言うんですか?」

「はいはい、大石さんの負け。さあ、ちゃんと見廻り済ませて帰りましょう。こう寒くっちゃあ、凍え死にますよ」

 屯所から町の中心に出るまでにはかなり距離がある。移転候補となっている西本願寺が屯所になれば、見廻りの順路もこれまでより整然と纏められるいい機会なのだ。

 屯所移転について、幹部達が揉めている訳だが、隊士にとっては、長州の拠点だ僧侶の移転だ、幕府だなどという諸事情など感心は然程ない。さっさと引っ越してしまえばいい、そう思っている隊士がほとんどだろう。

 店先で喧嘩をしている店主と客の仲裁に入った他は、目だった出来事もなかった。

 伏見薩摩藩邸が近くなり、まだ坂本はここに居るのだろうかと考えていた赤井は、目先に見知った顔を見つけた。

 中岡慎太郎である。

(やばいんじゃないか?)

 このままだと中岡とすれ違う事になる。

 手配書には中岡も名を連ねていて、似てるとは思わない顔書きもある。

 大石は気付くだろうかと赤井は不安になった。例え大石が気付かなかったとしても、誰かが気付くかも知れない。

 言うべきなのだ、新撰組隊士となったのなら、中岡が居ると。

 だが、薩摩藩邸を後にする時、何も語らないと坂本に告げた。その約束を違えたくなかったし、未だ倒幕派佐幕派という括りで人を見ることができない。しかし中岡は違うだろう。新撰組に居るのを知られたら、きっと敵味方の線引きをするに違いない。

 どうするべきか迷いながらも、顔を見られまいと大石の影に入る。

 顔を少し伏せたまま視線を斜め前へ向けると、中岡が立ち止って人垣の中からこちらを見ているのが見えた。

 互いの距離はもうそれほど離れいない。早鐘のような鼓動が耳の内側で騒ぎ立て、緊張を解くことができないまま赤井は足を進めた。

 大石や隊士たちも、手配書の人物が側に居るとは気付いていない。 刻々と時間だけが過ぎて行き、長い時間をかけて中岡の前を通り過ぎたような感じがした。

「どうした?」

 ほっと安堵した直後、大石が振り返った。

「え?」

「顔、真っ青だぞ?」

「えっ?」

 手を額に当てると、大石の顔が覗き込んできた。

「ちゃんと飯、食ってるか!?」

「風邪でも引いたんじゃないか?」

 そりゃ大変だと大石は大慌てとなった。

「大丈夫でっ-うわっ!」

「おいてめぇら、先を急ぐぞ!」

 肩に担がれてしまった赤井が下してくれと懇願するのをそのままに、大石は塚本に後を任せると大急ぎで走り出して行った。

「あーあ・・・組長代理が先に帰ってどうすんだか」

 塚本はやれやれと、残る隊士を急かし、通りを屯所へと急いだ。


 新撰組が通り過ぎるのをじっと待ち、かなり距離が離れてから中岡は薩摩藩邸へ急いだ。

 それぞれ散って情報を得るのがいいと、吉井と土方の二人と大坂で別れ、中岡は龍馬に長府での一件をまず伝えようと京へ入った。裏道を行こうかと迷い、不審を招いてはと大通りに足を進めたが、それが裏目に出て見廻りにかち合ってしまったのだ。

 幸いだったのは土方や斉藤ではなかった事だ。土方は勘の鋭い男だと聞かされていたし、斉藤ならば間違いなく注意を向けられていた。事実、長州藩から寺田屋へ行く途中、運悪く斉藤に気付かれた事があり、撒くのにかなりの時間を費やしたのだ。ある意味、土方よりも厄介な相手と言えた。

「出で行ったあぁ!?」

 藩邸に着いた中岡は、龍馬が大坂へ行くと、出て行ったと大久保から聞かされていた。

「吉之助はすぐに京へ戻って来ると言ったのだがな」

「入れ違いとか・・・もう、あれほど動くなって言ったのに」

 肩を落とした中岡は、それは無理な命令だと大久保に言われさらに落ち込む。

「君も我慢しきれず出たではないか。坂本くんに言えた義理ではない」

 確かにそうだったが、龍馬を一人で動かせたらとんでもない事をしそうで、いや絶対しそうだから帰るまで待たせておきたかったのだ。

「赤井くんに監視を頼んだのは失敗だったか。ちゃんと龍馬さんの手綱、執ってくれてるといいんだけど」

「そいつの事だがな、中岡くん」

 いつもなら、必要な事を聞くとさっさと自室に戻って行く大久保が、困ったと言わんばかりの表情で腕を組んで座り込んだ。

「坂本くんと行動を共にはしておらぬ」

「はい?」

「新撰組へ行った」

「ええっー!? どうして、なんでそんな事になってるんですか!? 龍馬さんはなにやってたんですか!? もうぉぉぉ! どうしてそんな事になんってるんですか!?」

「五月蝿い奴だな、そう何度も捲くし立てるな。私とて、どういう理由でそうなったかなど知らん。突然、土方くんがやって来て、あの馬鹿の身柄を預かりたいと申し出てきたのだ」

 頭を抱えて混乱してしまっている中岡に、大久保はどうでもいいという表情を浮かべて言った。

「止めなかったのか、龍馬さん」

「その様だな。生意気な小僧が何をとち狂ってそう決めたのか、わざわざ私が詮議するまでもなかったゆえ、私も止めずにやった。いずれ我々と刃を向ける事になろうが、決めたのはあ奴の意思だ。仕方ないと諦めたまえ」

 大久保らしい、と中岡は笑う。だが、長州藩の人間が新撰組に入るなど予想もしていなかっただけに、その衝撃は大きかった。

「あ! 大久保さん!」

「なんだ」

「桂さんにはこの事を?」

「私が知らせるまでもなく、桂くんはすでに知っておる」

「たぁっ。だとしたら和太郎にも伝わるか。ああもう、俺知らない!」

「私も、これ以上おまえには付き合う義理はない」

 大久保は寝泊りが必要なら好きな部屋を使えと言うと、立ち去ってしまった。

「龍馬さんてばもう。今度あったら拳骨の一つでも落とさんと、やってられん!」

 今は潜伏する志士の間を回り、薩長和解への地盤固めをしなくてはならないのだ。しばらく薩摩邸へ逗留すると決め、赤井の事は龍馬に合うまで置いておかなければならなかった。

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