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幕末奇譚 『志士 狂桜の宴』  作者: 夏月左桜
奇譚六幕 鳩首凝議
22/89

其之一 山桜

 年が明けて元治二年元旦、京の町に雪が降った。

 長州と幕府がいくら揉めていようと、町人や商人が気にする世情に至っておらず、各地から初詣目当てに入洛する者が増え、正月らしい雰囲気に皆が浮かれていた。


 最近姿を見せなくなっていた山南も、この日ばかりは広間に顔を出していた。

「起きて来ても大丈夫なんですか?」

 顔色がすぐれない山南の元に、永倉が席を移してきた。

「心配をかけてすまないね、永倉くん。私の事はいいから楽しんできなさい」

「そうは行きません」

「では、一席付き合ってもらうとしましょう」

 永倉は斜め向かいに座ると、差し出された猪口を受取る。

「近藤さんと土方さんは横暴過ぎる」

 注がれた酒をあおり、今度は自分で酒を注ぐ。

「山南さんの意見も取り入れるべきなんです。ここの総長はあなたなんだから」


 新撰組は羽藩士清河八郎が建言して集められた者の烏合の衆と言える。同士とは言うが、誠の旗の下、幕府の御命を遂行しているだけで皆の結束が固い組織ではない。隊士同士の反目も珍しくなく諍いも多々起きている。

 芹沢の暗殺以来、近藤は事あれば粛清と隊士を斬り、意に沿わぬ者は家来同然に扱うばかりか、夜な夜な遊郭に通っては女を懐に酒に溺れたりと、その横柄は日増しに酷くなっていた。

 元治元年八月下旬。

 これ以上近藤の我儘を許せば、新撰組は私設組織に成り下がると考えた永倉、副長助勤の斎藤一と原田左之助、伍長島田魁、尾関政一郎、葛山武八郎らと共に、切腹、脱退覚悟で会津藩へ建白書を提出した。

【これにあります五ヶ条について近藤が一つで申し開きできるのであれば、我ら六名は切腹も持しませぬ。故、近藤が申し開きできぬ場合は切腹を仰せられたく、会津候に然るべくお取次ぎ頂きたい所存にございます】

 その訴状に驚いた松平容保は、事の次第を確認するため近藤に訴状の内容を問質した。どれも事実であり相違ないとの答えが返ってくると、そこで始めて永倉達が自刃覚悟で陳情して来たが、如何すべきものかと問いかけたのだ。これに驚いた近藤は、今後は態度を改め、お役目に尽力すると覚書を容保に出したのである。

 近藤の陳謝もあって、新撰組に助力を惜しまんとする容保にこれ以上の迷惑は掛けれないと、他の五名も和解に賛成し事は収まった。

 しかし、永倉らの不信感を増長させる事態が起こる。

 九月六日。近藤、武田観柳斎、尾形俊太郎と共に、将軍上洛要請と隊士募集のために永倉が東下していた時だった。土方がとして、葛山に切腹を命じたのだ。

 建白提出は永倉、斉藤、原田による主導だと聞きいた土方は、三名を失うのは隊にとって痛手となると考え、近藤に最も不満を募らせていた葛山に上長批判の罪で切腹を命じたのである。一罰百戒の処分としたいと土方が願い出て、近藤が出立前に許可を出しての処罰だった。

 翌十月に江戸から京に戻っった永倉は葛山の切腹を聞かされ、他の二名と共に謹慎処分を言い渡された。

 壬生屯所を不在にしていた山南は、なぜ永倉達が謹慎となっているのか不思議に思い、土方らに問質して初めて事件を知ったのである。自分の不在をいい事に勝手な処分を下したと二人を呼びつけ罵声を浴びせたのである。

 いつも温厚である山南の激怒ぶりに、土方と近藤は処罰について伺いを立てなかったのを詫び、以後重要な課題については必ず話しを通すと誓った。


「移転は賛成なんだ。屯所が手狭になっているのは、私も苦慮するところだからね。ただ、移転先が西本願寺に絞られて話が進む事に、そうですかと納得できないだけなんだ」

「そりゃあ、俺だって長州志士の拠点を減らせれるならば、とは思いますが」

「・・・まだ松平殿から許可が下りた訳ではない。説得は続けるつもりだ」

 隊士だけでなく屯所の周辺に住む者からも慕われるほど、山南は人柄の良い男だった。隊士達の争いも殆んど山南のお陰で大事にならずに済んでいる。だからか、規律で隊を纏め上げようとする近藤と土方とは、必然的に折り合いが悪くなるのだ。

「皆、新撰組を思う気持ちは一緒だと私にも解っている。近藤くんも土方くんも、少しばかり手法が荒いだけなんです」

「あなたって人は」

 山南がもっと強引であれば、と永倉は思う。

「いけませんね。正月なのに暗い話しをしては興が覚めてしまう。さあ、君もそろそろ皆の所へ戻りなさい」

 はい、と永倉は苦笑して席を立って行った。



 それは突然の事だった。

 二月に入ったある日、手紙を残して山南が屯所から消えたのである。

「まさか、総長自ら脱走とは」

 総長職にある自分の意見が反映されない事に遺憾を覚え、松平容保に直訴を申し出ると書かれた手紙を手に、土方は苦渋を隠せない。

「俺とて山南さんの意向を無碍にするつもりはなかったんだがな。西本願寺への移転は立地的に見ても良い場所だし、分宿してる隊士が移っても余りある広さだ。そこんとこを判ってくれればなあ」

「今更言っても仕方ないだろう。総長だろうと隊士だろうと、脱走は死罪だ」

 考え込む近藤に土方は容赦なく言う。

「追っ手を出す。直訴に行くってんなら行き先は江戸に限られる。足を掴むのはすぐだ」

「伊東さんにも一応話してくれよ」

「また伊東か! 近藤さん、あんた何時からそんな腑抜けになった!?」

「慎め歳三」

「伊東も尊王思想があるってえのは判ってるよな?」

「落ち着けと言っているぞ土方!」

 手にした紙を投げ捨て、ぐっと拳を握り締める。

「追っ手を出す前に、参謀にも意見を聞かなければならん。いいな土方」

「くそっ! なんでちゃんと断って行かねえんだ!」

「言えば邪魔をされると思い、止むに止まれず出たんだろう」


 事情はどうあれ脱走は脱走、他の隊士への示しもあると、渋々伊東が承諾し追っ手は出される事となった。


 山南の脱走は隊士の間にも動揺が走った。

 沖田も、山南の行動を予測できなかった。反発はしても、屯所を無断で出るとは考えてなかったのだ。

「どうした沖田」

「僕を追ってとして出して下さい」

 山南との親密な間柄を知っていただけに、この申し出に近藤は驚きを隠せない。

「しかしな」

「説得して連れ帰ります。山南さんは脱走なんてする人じゃない」

「気持ちは判るが、その身体じゃ-」

「他の者には譲りたくないんです!」

 駄目だと突っぱねれば、無断で出て行くかも知れない。これ以上幹部の脱走が重なれば、規律が乱れるどころか追従する者が一段と増える危険性があると、沖田に追っ手として出る許可を下した。


 赤井を連れた土方が、沖田の部屋へとやって来た。

「どうしたんです?」

「赤井も連れて行け」

 要りません、と沖田は即答する。

「そんな身体で山南さんとやり合う事になったらどうする」

「大丈夫です! 山南さんが・・・もう剣を握れないと・・・土方さんだって知っているじゃないですか!」


 文久三年七月の事だった。

 高麗橋傍の呉服商岩城升屋に、不逞浪士数名が押し入ったとの報せが入り、屯所に残っていた土方と山南が現場に駆けつけた。

 この時の打ち合いで、愛刀【播州住人赤心沖光】の切っ先を折られた山南は左腕に深い傷を負い、剣を持つ事が儘ならなくなり、日常の生活に於いても左手を使う事ができなくなっていた。


 武士として、剣を自在に操れなくなる悔しさは土方とて良く解かる。剣に執着する沖田は尚更であろう。

「いいか、これは副長命令だ。赤井を連れて行け」

「・・・解りました」

 それから三日後、正式に追手の命を受けた赤井と沖田は、山南が向かったであろう大津へと出立した。


「近藤さん」

 赤井と沖田が立った日の夕刻、永倉は部屋へ戻ろうとしていた近藤を掴まえた。

「もし山南さんが戻ったら・・・切腹ですか?」

「・・・・・・伊東さんとも話したが、まずは話しを聞いてみる。それからだ」

「頼みがあります」



 もうすぐ大津宿に着く。村木と再会した地であり、別れた地でもある。

 あれから四ヶ月が過ぎた。

 新撰組に入ってから何が変わったのだろうかと自問自答する。剣の腕は他の隊長格に退けを取らないと沖田からお墨付きを貰った。勿論、そう言う沖田に敵うものではない。斉藤然り、永倉然りだ。原田相手なら、互角とまでは行かないがそこそこ打ち合いは続けられるようになっていた。だが、信念とか志となると皆目検討が付かなくなる。

 土方が話す新撰組としての心得なら規則として納得できはしても、それに命を懸けられるかとなると話しは違って来る。武士の志と言われても、武士になるために剣術を習っていたのではない。松平容保の庇護があって新撰組が成り立つと聞いても、会津藩に恩恵を感じる事もない。要するに、宙ぶらりんなまま根本的な思想は何も変わっていないのだ。

(情けない。村木に偉そうな口を叩けたもんじゃない)

「どうした?」

「いえ、少し考え事を」

「嫌な仕事だ、付いて来なくても良かったんだ」

「副長命令ですし、身体も心配でしたから」

「ふん。剣が握れなくなった訳じゃない。身体だってこの通り動く。土方さんは気を使い過ぎなんだ」

 しかしここへ来るまで、沖田は数回激しく咳き込み、その内の一回は吐血している。

「こき使って下さい組長。そのために俺が居るんです」

 沖田は悲しげな顔でそうするつもりだと微笑んだ。


 大津宿に着くと、休む間もなく宿を当たりながら、山南の背格好を知らないかと町人に尋ねて回るが、皆首を振るばかりだった。

「ここで宿を取ってないのなら、近江から出てしまってるな」

 宿場の外れの茶屋で手掛かりが得られなければ、次の宿場に向かうと沖田は言った。

 少し落ち着こうと団子を注文し、焦る気持ちを隠せない沖田を席に座らせた。

「団子食ったら、俺もう一度聞いてきます」

「店も当たったんだ、もうここには居ないよ」

 居たほうが良かったのか、それとも居なくて安心したのか。赤井は聞けなかった。

 団子を持って来た男に聞いてみたが、やはり見たことはないと首を振られてしまった。

「追っ手が付くのは山南さんも承知しているんだ、先を急いだと考える方が道理に適う」

 すっかり団子を食べ終えた頃、話しを聞いた女が店の奥から出で来て、山南に似た武士が立ち寄ったと言った。

「優しい顔をなさったお侍さんでしたから、覚えているんですよ」

「まだここを出てない」

 沖田は立ち上がり、来た道を駆け出して行ってしまった。

「ありがとうございました!」

 勘定を済ませ、後を追いかけて走り出す。

 宿をもう一度回る中、小さな旅籠屋に入った沖田は、続くように入って来た気配に振り返った。

 そこには、驚きもせず立っている山南の姿があった。

「山南さん!」

 沖田に駆け寄られ、驚くでもなくその顔を見つめる。

「まさか総司が来るとは思わなかったよ」

 追いついて来た赤井も姿を見せると、君も一緒か、と山南は笑う。

「ここではなんだ。部屋へ上がろうか」

 そう言いながら、手にした酒を女将に渡し晩酌の用意を頼んだ。


 落ち着いて座る山南を前に、沖田だけは姿勢を崩さず正座している。

「総司、なにも逃げたりしないからそんなに気張るのはやめなさい」

「何をしたか、解ってるんですか?」

「ああ、勿論。気が触れた訳でも、自暴自棄になった訳でもない。ただ、どうしても我慢できなかったんだ」

 屯所移転の事かと尋ねると、それだけではないと山南は首を横に振った。

「尊皇攘夷の目的で集められたと言うのに、今の新撰組は不逞浪士の取り締まりに走り回る毎日。それがいけないとは私も思わない、会津藩から頂いた仕事だからね。だが、志を見失った者が何をもって武士と言うのか。魂をなくして何をもって生きると言うのか。皆が今に囚われすぎ、考える事すら止めてしまっているを見て居られなくなった」

「武士として僕達は働いています」

「おまえは自分には剣しかない、そう思っているだろうが、剣がなくても武士は武士である事ができるんだよ?」

 だん! と畳を蹴って立ち上がった沖田の顔は怒りで真っ赤に染まっている。

「剣を振るえない僕は沖田総司ではない! 剣を取り上げられた僕に何をしろと言うんですか!」

「時代は移り変わるものだ。いずれは剣を必要としない時代が来る。そうした時、剣だけに頼って生きた者達が辿る末路は悲惨なものでしかない。だから私は、剣以外に生きる術を、皆に持ってもらいたかった。勿論、おまえにもだよ、総司」

「・・・解らない、解らないよ山南さん!」

 立ち上がった沖田の手を取り、山南は静かに座らせた。

「会津公へ移転は許可を出さぬよう陳情したかったが・・・明日、屯所へ戻ろう。私は新撰組総長として、ちゃんと処罰を受ける事にするよ」

 脱走は切腹。戻ったとして、山南に待つのはそれしかないと沖田には解っていた。

「これも一つの運命なんだろうな」

 

 山南の逃亡を図らないように、部屋の中には沖田が、外の廊下で赤井は見張りをしていた。

 剣がなくても武士は武士であることができると言った山南、それが解らないと泣いた沖田。

 同じ事を聞かれたら自分はどう答えるだろうと考えてみる。

 形式的に言うならば、剣を持たない武士など居ない。武士の魂も、剣を手に志を貫く事が出来て意味を成すもねのではないのだろうか。

 だが、山南は違うと言った。

 武士とは何なのだろう。武士道は、主君の御為には死ぬことも厭わぬ覚悟をしなければならない。剣がなくとも主君に仕える事はできるだろうが、剣を持つ者から主君を守るためには、剣を持たなくてはならない。

 武士道など、この時代に来るまで真剣に考えた事などなかった。いや、考える必要のない世界に生きていたのだ。剣など不要になった時代、武士の居なくなった昭和の世だ。

「はあ~っ。わかんね」

 白いため息が目の前に広がった。


 次の日、太陽が頂点に昇っても沖田は宿を発とうとはしなかった。

 山南は発つなら早い方がいいと言ったが、それでも何も言わず、膝を抱えたまま部屋で座り込んでいるばかりなのだ。

「沖田さん」

 赤井は堪り兼ねて声を掛けた。

「戻らなくてはいけない」

 弱い声が沖田の口から漏れた。

「・・・はい」

「戻らなくては・・・」

 でも身体が動かないんだと、沖田は泣いた。

 そんな姿に山南は笑みを浮かべると、明日の朝ここを発とうと告げた。


 翌朝早く、山南と共に大津を出発し、道中殆んど会話もないまま、夜には屯所に着くことが出来た。

 八木邸の屯所内に入ると、三人に気付いた隊士が我先にと顔を出して来た。 

「おまえらは仕事に戻れ」

 近藤は、後ろ手に縛られたまま玄関へ入って来た山南を出迎えた。

「お騒がせして申し訳ない」

「・・・手縄を外せ。逃げはしないだろう」

 赤井は脇差を抜くと、山南の縄を切った。

「ここでは隊士が騒いでしまう、前川邸の奥座敷へ行って下さい」

 永倉と六番隊組長井上源三郎に連れられ、分宿先の八木邸から通りを挟んですぐ東隣にある屯所の本陣となっている、前川荘司の屋敷へと連れられて行った。


 近藤は伊東、土方と永倉、井上と見廻りに出いる谷、松原、井上を除く組長を集めた。

「脱走については私も遺憾を覚えるところです。が、松本先生から伺っているように彼は精神を病んいる。その原因をここで追求するつもりはございませんが、他の脱走者と同じように扱うのは如何と思うのですが」

「伊東さんが言いたい事はよく解る。だがな、どんな理由があったにせよ、脱走した事実は曲げられん」

 土方はあくまで切腹を要求した。

「近藤さんも、同じ意見ですか?」

 伊東はずっと黙っている近藤に尋ねた。

「病気の事は、私も聞いていた。脱走するまで追い詰められていたと気づかなかったのは、私の落ち度だ」

「隊のあり方と移転問題。土方くん、君はもっと総長である山南さんの意見を深く考えるべきだったのではありませんか?」

「どんなに考えても、俺と山南さんの考えは平行線を辿る一方だ。どこで折り合いをつけりゃいいって言うんだ」

「屯所の移転先を西本願寺だけではなく、別の候補地も挙げて討論していたならば、脱走など起こり得なかったと、考えられませんか?」

「俺は・・・」

「西本願寺移転については私も賛成だ。勿論、山南さんもその重要性について理解してくれていたと思う。しかし、反対をし続けた」

 ふう、と伊東は吐息をついた。

「ともかく、私は切腹以外の処罰で済ませたいと思っています」

「・・・・」

「他の組長の意見は如何でしょうか?」

 沖田はずっと下を向いたまま、話しを聞いているのか居ないのか判らず、藤堂と原田も、顔を背けたまま口を開こうとしなかった。

「新撰組として考えるなら」

 斉藤が口を開いた。

「切腹以外の方法はないと思います。しかし、他の奴の脱走とは内容が違う」

 他の者も同じ気持ちで居るだろうと、伊東は考えて居る。

「新撰組を脱退したい為に屯所を出たのではない。移転問題について会津公へ嘆願しに出ただけでしょう? 勿論、断りもせず出た山南さんに非がないわけではありませんが」

「・・・沖田も大津から戻ったばかりで疲れているだろう。話しの続きは明日すると言う事で、今夜はここまでにしましょう」

 近藤は決断を下す事なく、沖田達に部屋へ戻るように言った。


 だが翌日になっても意見が纏まる事はなかった。隊士の脱走でなく、総長の脱走に、幹部以外から同情する声が上がり出したのである。

「どうなるんでしょうか」

 縁側に座る土方に呼び止められた赤井は、所在なげ横に座って居る。

「伊東は病気を理由に引き伸ばしているが・・・それがなくても俺だって頭を痛めてるんだ」

 粛清は隊規を破った者には必ず下されなければならない。新撰組に於いて脱走は死の意味を持つ。

 死を持って償うべき規則に赤井は納得できなかった。新撰組を抜けたいのなら理由を立ててればいいだけと土方は言ったが、間者という存在が実際に居る現状では、判ったと脱退を安易に容認できないのも頷けるのだ。

 隊規もよく知らず、いともあっさりと入隊したものだと、赤井は今更ながら思う。抜けようなどと考える事はなかったが、もしそうなる日が来たらと今から不安が広がるのも確かなのだ。

「土方」

 近藤が廊下の角から声を出した。

「山南さんの所へ行く、おまえも来てくれ」

 近藤の横には伊東の姿もあった。

「決めたんですか?」

「とにかく、向こうへ行こう」

 三人は前川邸へと足を運んだ。


 山南は奥の一室で静かに正座していた。

「音沙汰がないので気になっていました」

 三人が座ると、少し経ってから座したまま身体を動かした。

「松本先生から病の事は聞きました。この度の脱走について、隊規を当てはめて処分を考慮するべきか否か、伊東さんとも-」

「近藤さん、私は病気ではありません。己の意思でここを発ったのです」

「!」

「脱走する者は如何なる理由があっても死罪とする。私の病気がどうであれ、それを曲げる事は今後の士気に影響します。だから隊規に従わさせて頂きたい」

「山南さん、あんた・・・」

「近藤くん、土方くん。最後の願いを聞き届けて頂きたい」

「・・・・・どのような・・・」

「介錯を総司に頼んでくれませんか?」

 こうして山南の脱走は、切腹という形で取り決めとなった。


 部屋に残った伊東と山南は無言で向かい合っていた。

 そこに永倉が現われ、伊東から切腹の処分に決まったと聞かされる。

「山南さん、なにも自分から切腹を申し出なくても」

「もう決めた事です。永倉くんも仕事に戻りなさい」

 はい、解りましたと出て行ける訳がなかった。

「お願いです。見張りは俺がなんとかしますから、ここから・・・逃げて下さい」

「君ほどの男をこのまま切腹させてしまうのは惜しい、私も助力させて頂く」

「何事に於いても引き際は肝心です。ですから、私は武士として潔く最後を迎えたい」

 二人は顔を見合わせた。

 これ以上なにをどう解いても山南の意志は変わらないと、二人は後ろ髪を引かれる気分のまま部屋を後にした。


 山南の切腹は元治二年二月二十三日と決まった。


 太陽が頂点へと達する頃、八木邸分宿に一人の女性が駆け込んで来た。

「どうか、山南様にお目通りをお願いします!」

「ここには居ない」

「どこに、山南様はどこに!」

 庭に居た土方が、その声を聞きつけて玄関先へとやって来た。

「どうした」

「土方さん。どうもこうも、山南さんに合わせろとこの人が」

「あなたは?」

「明里と申します。報せを頂き参りました。どうか、山南様に会わせて下さい!」

 野次馬がぞろぞろと庭先に集まって来る。

「おまえらは仕事に戻れ。赤井、この方を本陣に連れて行ってやってくれ」

「あ、はい」

 赤井は女性を伴い、分宿を出ると屯所本陣へと入って行く。

「明里さん」

「永倉様・・・山南様が脱走したと言うのは本当なのでございますか?」

 顔を曇らせた永倉を見て、明里は我慢していた涙を零した。

 山南の脱走を知った永岡は最悪の事態を考え、明里に報せをだしてほしいと近藤に頼んでいた。その報せを受けて急いで来たのだろう。

 間に合ったのが良かったのかどうか、永倉は複雑な心境で明里を見つめた。

「・・・こちらへ」

 永倉は山南が居る部屋の裏へと明里を連れて行った。


「山南様」

 しばらくして、格子窓がすっと開いた。

「明里・・・」

 涙を目に一杯浮かべた明里に、山南は哀しげな目を向ける。

「どうしてこの様な事に」

「すまない、明里。あまり会いに行けず、淋しい想いをさせ続けてしまった」

「私は・・・山南様が生きておられるだけで、それだけで・・・」

 格子戸を掴むその手に、山南の手が添えられた。

「私は隊の規律を乱してしまった。総長としてその責を取らねばならない。解ってくれるね?」

「・・・解りません、解りたくありません。私は、ずっとあなたのお帰りをお待ちしていたのに!」

「明里。私はこれからずっとおまえの傍に居て、おまえの幸せだけを見守る。だからもう泣かないでくれ」

 頭を振り、山南の手を両手で掴む。

「永倉くん、明里を連れて行ってくれないか」

「いいんですか?」

「嫌です。お傍に、お傍におります」

「永倉、頼む」

「山南様!」

「幸せになれ、明里」

 赤井と永倉に連れられて行くその姿を、淋しそうに見つめていた。


 程なくして、沐浴を済ませ髪を結い直して白い裃に着替えた山南が、部屋へと戻って来た。

 介錯を務める沖田は、姿を見せた山南をしっかりと見据える。

「総司、恙無く務めを果たしてくれ」

「・・・はい」

 隊士達の見守る中、山南は白絹の布が敷かれた場所へと座った。

 その前へ、盃二組と湯漬け、香の物三切れに塩と味噌の肴、逆さ箸の添えられた膳が置かれる。

 最後の食事を取り終え盃を手にすると、永倉が銚子を持ち酒を左酌にて注いだ。

 山南は静かにそれを二回に分けて飲む。さらに注がれた酒をまた二回に分けて飲み干した。

 盃が置かれ膳が下げられると、今度は短刀を乗せた三方が山南の前に置かれた。


 これ以上見ていられなかった。

 その場から立ち去ろうとした赤井の腕を土方が掴んだ。

「土方さん・・・」

 その手は微かに震えていた。

「ちゃんと見ておけ」

 小さな声でそう囁やかれ、赤井は腕を掴まれたまま座敷へと視線を戻した。


「沖田総司、介錯を務めさせて頂きます」

 名前を告げ、山南の背後へ行き手にした剣に水を掛け清めてから、八双に構えた。

 右腕を懐から出し、左手で三方に乗せられた短刀を取り上げ、白い奉書紙が巻かれた刃を右手で掴むと、山南は自分の腹へと突き刺した。

「ぐっ・・・」

 力を込め、一気に左から右へと腕を動かして行く。

 沖田は山南の腕が完全に右へと動いたのを見届けると、自分の顔面のやや右上げていた剣を振り下ろした。


 全ての音が無くなってしまったかのように、屋敷中が静まり返っていた。

 すっと歩み出た近藤は、永倉達に山南の身体を丁寧に運んでくれと言葉を掛けた。

「沖田、ご苦労だった」

 運ばれて行く山南に、泣きながら抱きついた一人の女性が居た。

「僕は・・・」

 沖田はその姿に顔を歪めた。

「浅野内匠頭でも、こうは見事にあい果てはしまい。本当に見事な最後だった」

 そう沖田に言葉を掛け後ろを振り返ると、拳を握ったまま縁側で肩を震わせている土方の姿が在った。



春風に吹き誘われて山桜 散りてぞ人に惜しまれるかな

吹く風にしぼまんよりも山桜 散りてあとなき花ぞ勇まし

                     伊東甲子太郎

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