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幕末奇譚 『志士 狂桜の宴』  作者: 夏月左桜
奇譚五幕 星火燎原
20/89

其之三 掌握

 元治二年一月元旦。

 長府に戻った高杉は、正月もあったもんじゃないと忙しく動き回っていた。

 大田に進軍した諸隊軍からは、斥候が逐一戦況を伝えに来る中、正規軍が会所を占拠したとの報告が入って来た。

「武器弾薬を持って来てくれたのは有り難いな」

「と言う事は」

「行くに決まってる!」

 石川は、はいはいと答えると遊撃隊へ命令を伝えに行った。

 軍資金は狙えずとも、銃器を奪うには格好の的となった新地会所再占拠に、高杉の苛立ちが向けられたのだ。

「前回の様にはいかんだろうから、おまえも腹括って出ろよ」

 腰を曲げ、支度を進めていた和奈に顔を突き出した。

「括ります括ります。だからそんなに顔を近づけないでください」

「お? なんだ、照れてるのか!?」

「違います!」

 これも二人きりの状況になるんだうかと、焦るのは和奈だけだった。

「何かあったのか?」

 高杉の言葉に、どきっと胸が鳴る。

「あったんだな?」

「特別な事はなかったです!」

「ほう。普通の事はあった訳か、そうか」

 ニタニタと笑う高杉に、和奈の動悸は一層大きくなった。

「からかうのはその位にして、高杉くんも自分の用意を整えろ」

 背後から影が落ち、顔たけを後ろへ向けた高杉は、これまたニヤリと笑いを浮かべた。

「大方の予想はつくが、細かい心配などいらん」

「そうならば、こちらとしても安心だ」

 二人の会話の意味するところを悟れず、ハラハラしながら二人を交互に見る。

「相手にも銃兵が居る」

「心得た」

 もう一度和奈を見た高杉は、良かったな、と笑顔を見せた。

「何が良かったんだろう」

 離れていく背中を見ながら呟いた和奈に、知らん、と武市はそっぽを向いた。


 新地会所に着いた遊撃隊・勇力隊は、待つ事なく正規軍に戦闘を仕掛けた。

 武市の後を取り、会所の中へ走り込んだ和奈は、勢いを止めず銃を構えようとした一団へ斬りかかった。

「先走るな!」

 叱咤を受け、武市が来るのを待つ。

「殺さず手負いにしておけ」

 地面に転がる体を見た武市がそう命令する。

「はい」

 手負いにさせる事ほど容易いものでない。乱戦では相手の一挙一動が気になる一方で、加減を考えて剣を振るのは至難の業だ。

 和奈は懐から手足を狙い的を絞った。

 八双から晴眼の構えを取り、打ちかかって来る相手の剣を流しながら、すれ違い様に脹脛へと剣を滑らせる。

 武市の剣がなだらかに弧を描く。

 重心の移動も少なく、片足を引き、半身で剣を避けてはその懐に柄を突き出し、崩れた背中に太刀を放つ。深手ではないが、戦意を喪失させるには十分な刀傷を付けて行く。

 いつの間にか斬り合いの中心となっている二人を見つつ、石川と伊藤は驚きながらも高杉の姿を捜した。

「高杉のやつ、何処行った!?」

 立場に関係なく、この混乱の中を突っ走っているのは間違いないのだ。

「伊藤、外は任す!」

「はい!」

 予想通り、平屋に圧し入った高杉は、降伏を叫びながら走り回っていた。

 正規軍の一人が高杉の名を叫んだ。

「高杉晋作だ!」

 視線が高杉へと向けられると、我先にと斬りかかって行く。

「そうとも、俺が高杉晋作だ! 命の惜しい奴は退け! いらん奴は遠慮なくかかって来い!」

 その声を聞きつけた石川は慌てて走り寄った。

「正気か、高杉!」

 斬りかかって来る敵兵の剣を弾きながら、石川は高杉の背に背を着けて言った。

「俺はいつでも正気だ!」

 反対側から入って来た和奈と、高杉に挟まれる形になった敵兵は、分が悪いと取ったのか、矛先を和奈に変えて走り出した。

「阿呆め。そいつが居るって事はだ」

 和奈の後ろから出てた武市が、斬りかかって来た敵兵の剣を薙ぎ払った。

「俺より怖い奴が居るって事だ。よーく覚えとけ!」

 笑いながら、双方に向き直った敵兵に剣を振り下ろした。

 高杉が降伏を口にしつつ駆け回っていた事もあり、劣勢を打破できないと見た正規軍は次第に投降し始めた。そこへ隊頭山脇勝五郎が残りの勇力隊を伴い加わるった事で、白旗を掲げての完全降伏となり、新地会所は高杉達によって占拠された。

 新地会所を勇力隊に任せた高杉は、押収できる武器などはすべて奪取すると、遊撃軍を率いてその足を大田へと向けた。

「おまえの言った通りだが」

 歩きながら、石川は後ろから付いて来る二人を一度振り返った。

「長州にあれほどの剣客が居たなど、聞いた事がないぞ?」

 初めて会った時に抱いた疑問である。

「能ある鷹は爪を隠すって言葉があるだろうが。心配はいらん」

「心配している訳じゃない。あれほどの剣客ならば、一度くらい名を耳にしてもおかしくないと言ってるだけだ」

「正直、手合わせしたくない相手ですね」

「俺から言えるのは、おっきいのもちっこいのも怒らせるな、それだけだ」

「答えになってない」

 高杉が側に置くなら間者の可能性は無いだろう。ただ、その存在が疑問なのだ。

 石川も伊藤も剣については達者な方ではない。それでも太刀筋を見れば、武市が桂や高杉に並ぶ剣客であろうことは判る。和奈にしても、抜刀の速さと詰めの速さでは、そこらに居る剣士以上の腕と見て良かった。

 疑念はどうしても沸いて来る。

「京へ出てみろ。あんなのがうじゃうじゃ集まってるんだ」

「虫じゃないんだから」

「新撰組も兵揃いだ。二人位目にしたからと驚いてるんじゃない。まあ、俺が一番怖いのは小五郎だがな」

 うじゃうじゃと剣豪に出て来られるのも、桂が出て来るのも願い下げにしたいので、石川も伊藤もそこで詮索を止めた。



  一月三日の武器引渡しの期日を過ぎ六日になっても、正規軍からの指示は来なかった。

 これを逃す手はないと、絵堂に陣を構える粟屋隊へ、山縣は闇夜に紛れて奇襲をかけると決定した。

 その数二百名。対する松堂陣は壱千近く。

 眼前に前軍の陣が見えて来ると、隊を止めた山縣は、敵陣に斥候を走らせ戦線布告を唱えた。

 書簡を届けた斥候が戻って来たのを合図に、砲撃を開始する中、一斉に栗屋陣へと雪崩れ込んだ。

 夜襲に不慣れであった栗屋達正規軍は、陣形を整える間もなく交戦となったが、右往左往するばかりでまともに戦う事が出来ず、その戦線を後退させ始めた。

 剣戟(けんげき)の音と銃の音が混じり合い、敵味方双方とも負傷者が出始めた頃、中軍陣から別働隊を率いて来た財満が栗屋に合流して来た。

 形勢の巻き返しを謀ろう奔走するが、浮き足立った正規軍の足並みを揃える事が叶わず、諸藩の狙撃兵が奔走している財満を撃つと、栗屋はこれまでと兵の撤収を余儀なくされた。

 諸隊軍は死者二名を出したが、松堂の占拠に成功したのである。


 伊佐から大田へ到着した佐世達が松堂へと到着した。

「地形が悪いぞ」

「今それを考えてた。大田で陣を敷いて構えるべきだと思う」

「異論はない」

 攻めるよりも、守りに入った場合地の利が悪い事は、栗屋との戦闘を見ても判ることだ。自分達の先方が奇襲を主としたものであるから、考えれられる決断だった。

 八日の朝。

 大田金麗社に本陣を置いた山縣は隊を三つに分け、松堂へ続く本道の長登口へ八幡隊・膺懲隊を、長登に下る呑水峠に南園隊・御楯隊を向かわせると、奇兵隊・干城隊を大田川沿いに進軍させた。


 中軍と共に松堂へ到着した宣次郎は、長登口方面に先鋒隊を進軍させ、やって来た八幡隊・膺懲隊と衝突した。

 程なくして、先鋒隊の別部隊二百名が諸軍右翼に攻撃を開始し、劣勢を強いられた八幡隊の堀は、大田方面の川上へと後退し始めた。

 隊を後退させ、地雷火を設置すると等間隔に伝令を置き、先鋒隊が来るのを待った。

 やがて追撃して来る先鋒隊が見えると、木陰に潜んでいた伝令の一人が走り、次のに旗を振る。それを見た伝令が次の伝令へと走り、地雷火の上を通る頃合を計った太田は、導火線に火を付け、隊を配置させた。

 しかし、先鋒隊は地雷火に見舞われることなく通り過ぎて来た。

 地雷火で戦局ほ変えようと目論んだ太田の策は失敗し、大田本陣まで迫られる事になってしまった。

 本陣が崩れれば呑水峠に進軍した隊が挟まれる事になると苦慮した山縣は、奇兵隊を二つに分けると一方を先鋒隊側面へ回した。

 奇兵隊の攻撃を予測し得なかった宣次郎は、側面から攻め込まれた先鋒隊は混乱の中総崩れとなり、大田本陣を前にして退却させられてしまったのだ。


 四日後の十二日。

 諸隊軍の側面へと攻撃に出ようと、三隅より嘉万村へと進軍していた後軍は、逃れて来る児玉領農民から、情勢が当軍の劣勢である事を耳にした。

 これを聞いた児玉はこのまま進軍すべきかどうか迷い、一旦秋吉宿まで軍を後退させた。

 本陣へ戻り指示を仰ぐのがいいと判断した児玉は、運んでいた銃器などを嘉万村に置くと、三隅陣へと向かった。

 入れ替わるように、遊撃軍が嘉万村へ到着した。

 児玉軍が装備を置いて行った事を知った高杉は、大した土産だと言って置かれていた武器弾薬を奪取すると自軍へ運んでしまった。

「まるで山賊ですよ、これじゃ」

「何を言うか。使わない物を頂いているだけだ。これも兵法の一つ!」

 悪びれる様子もなく高杉は言う。

 兵法と言われても、軍もなく、徴兵制度もなくなっていた世に生まれた和奈には、それが戦の方法だろうという位にしか理解できなかった。


 諸外国との戦争を敗北で迎えた後の日本は、アメリカの監視下に置かれた。

 復興を始めた日本に、色々西欧諸国の文化があふれ出した。代わりに、古き良き日本の風習や文化は徐々に無くなって行ったのである。

 近代化の波を受け商業が盛んになり、経済が国の基盤となって行った。それから日本国民は、仕事に追われる時間との戦いを始め、政治家は汚職にまみれ、国家のためと謳いつつ私利私欲に帆走し、ゆとりが欠落した国民はただ不平を言うばかり。自ら行動しようとする者は、変わり者と称されてしまう嫌な世界に変貌を遂げている。

 道徳を失った母親は、教育こそが価値あるものと言わんばかりに学歴を優先させ、個人の精神的教育を置き捨てた事で、再び日本は迷走を始めたのだ。

 礼儀を重んじ、人一人が国の未来を真剣に憂う国であった時代は、明治を境に終わりを告げた。

 そして再び、幕末の混迷を昭和と言う時代から繰り返す事になる。


 日本人の心に在った、大切なものが失われてしまった。

 ふと和奈はそう思った。

「どうした、気になるのか? 正規軍とて立場が同じなら、置かれた装備をこれ幸いと喜んで持って行ってしまうぞ?」

「そういうものなんですか」

 戦とはそう言うものだと武市は苦笑した。



 十四日。

 福岡藩の周旋で九州五藩に分移されるまで、筑前国大宰府延寿王院預かりとなった五卿達は、薩摩藩から警護に派遣された大目付の吉井仁左衛門、土佐藩浪士土方久元と共に長州を発っていた。

 京から長州入りしていた中岡もこれに加わっている。

 土方は七卿落ちと共に長州へ下った志士で、そのまま三條の許で色々な活動に手を貸していた。その為惨状からの信頼も厚く今回も三條の希望によって随行している。

 中岡が三條らと接触が出来たのは、この土方の随行があったからだ。

「土方さんが居てくれて助かりました」

「役に立てて良かった。おんしにとって都合のいい奴もおるしの」

 そう言って吉井の後姿を指差した。

 吉井は西郷や大久保と共に精忠組を創り藩政に関わって来た。二人とは幼少期からの親友で、禁門の変では土佐藩士乾市郎平、久留米藩士大塚敬介らと合議し、長州藩とは話し合いによる和解をと意見書を朝廷に建白した一人でもある。

「都合良過ぎますよ」

 薩摩と長州との同盟を前に、吉井が居るのは中岡にとっては有り難い事と言える。西郷と桂の会合だけでなく、薩摩藩の下からも同盟を盛り立ててくれる存在は必要と考えていたのだ。

 長州へ行くと告げた時、助力を申し出てくれた大久保は、長州征伐において西郷が考えた妥協案を知っていたのだ。だから吉井を同行させ、三條との繋がりを得る事で、薩長の和解に波風が立たぬよう動ける場面を作ったに違いない。

「吉井さんも大久保さん寄りなんですか?」

「ああ。倒幕思想では意見を一致させちょると聞く」

 土方は、確かに都合が良すぎる組み合わせだなと笑った。

「わしが何を知ちゅうのかって顔をしちゅうな」

「いえ・・・」

「三條殿は高杉くんと懇意の間柄だし、尊皇攘夷派だ。少なからず情報は入ってくる」

 萩入りを拒否されて和奈達の動向も探れない中、高杉が挙兵したと土方から聞かされた中岡は、今自分に出来る事は戦へ赴く事ではなく、先を見据えて動く事だと考えた。

「土方さん、ご助力願います」

「そのつもりでおるき、心配しな」

 雲が広がり始めた空を見上げた中岡は、動き出した時代の様だと思った。



 同じ十四日。

 松堂から退却した栗屋は軍を建て直すと、捲土重来を期して長登口から呑水峠に布陣する諸隊軍へと進軍を開始した。



 遊撃隊と共に大田へ着いた高杉は、各隊総監を集めると、それぞれから戦の経過を尋ねた。

「呑水峠は苦戦したか」

「回収した地雷火を見たが、導火線の途中で水に浸ってた」

「川から侵食した水か」

 雨は降っていない。ならば原因はそれしかなかった。

「山縣の機転でなんとか後退させられたが、すまんとしか言いようがない」

「結果が良ければ全て良しだ。大きな被害も出なかったんだ、そう気にするな」

 伝令が栗屋隊の進軍を知らせに駆けつけて来た。

「おいでなすったな。奇兵隊は間道に、遊撃軍は峠東の山中に潜伏、交戦が始まったら側面から打って出る。残りの隊は正面から堂々と正規軍の相手をしてやってくれ」

 語られた戦法は、野山の地形に長けた者の多い諸隊側ならではものだ。功山寺で高杉に地形を覚えろと言われたのを和奈は思い出し、周囲の山々を見回した。


 山縣は導火線の配置に気をつけながら、正規軍と戦闘になるだろう箇所に地雷火を仕掛けた。

 正規軍の前衛が仕掛けかかると、爆発音を合図に諸隊が斬り込んで行き、潜伏していた二軍は予定通り両側面からの奇襲に出た。

 激戦となり、先鋒隊を二分されられ栗屋は、各個応戦を叫んでいる。

「命の惜しい奴はどけ!」

 先陣を切って進む高杉の足は先鋒隊本体へ向かっている。

「だから無茶はやめろと・・・ああもう!」

 伊藤は観念すると、隊に号令をかけ高杉を追いかけて行った。


 銃声が飛び交い、地雷火が轟く中、戦場はさらに混乱を極めた。

「石川さん、何なんですかあの二人は!」

 所が指差した先に、慌てふためくでもなく、敵兵を斬り伏せて行く武市と背後で剣を振るっている和奈の姿があった。

「俺に聞かれても困るんだが。桂さん並の剣客だとしか言えん」


 剣を受け、鍔迫り合いになった和奈は、力で張り合うのは不利と力を抜いて刃を横に流して後ろへ間合いを取った。

 その直後、右肩に痛みと熱さを感じた。

(斬られた?)

 視線を後ろへ逸らした瞬間、体勢を立て直した兵が懐へと飛び込んで来た。

「くっ!」

 脇差を左手で抜き、身体を傾けて剣を防ぐと、焼けるように痛む肩を下げ相手の足目掛けて右手を振り下ろした。

「あう!」

 膝を付いた男の首筋が眼に映る。

 その首元に突き刺さった剣を思い出した和奈は、一歩後ず去った。

「無理をするな!」

 腕を垂れて立ち尽くして居る和奈に斬りかかった兵を一刀両断に斬り捨てた武市は、その腕を取り上げた。

「肩を斬られたか?」

 我に返った和奈は、痛みを感じる肩を見た。

 血が滲んでいる。

 ざわりとした気を感じ、慌てて首を振る。

「大丈夫です、傷は深くありません」

 見ると、着物が裂けた合間から覗く皮膚は赤く染まっていた。が、この状況では傷を心配して手当てにかかる暇などない。

「俺から離れるな。左側をおまえに任せる」

 潰れた左目は視野を狭くし、死角となる範囲を増やしていた。正直なところ、銃声や怒声のお陰で音を察し、人の動きを捉えるのは至難の業となっている。

 敵の間を縫うようにして、石川と所が二人のと所へと駆けつけて来た。

「下がれ!」

 敵兵をやり過す石川達の周りに味方が集まってくる。その中を和奈と武市を連れ後方へと退いて行く。

「あんたら、無茶し過ぎだ」

 そう言った石川は、負傷者の座る場所に二人を連れて来ると、近くに居る兵に手当てを命じた。

「村木くんだったな。心意気は十分だが、周りを見て戦うのも重要だ。乱戦では孤立が最大の危機と心されよ」

 所が真剣な顔で和奈に言い捨てた。

「はい、申し訳ありません」

「助力忝い。俺の指導不足だ」

 手当ては自分がすると兵から包帯を受け取った武市は、皆とは反対の方へ和奈を向かせ、片身を脱がせた。

 赤い筋が右肩の端から肩甲骨へと伸びている。

「皮一枚程度で済んで良かった」

 肉を深く斬られれば縫合が必要となる。男でも、用意のない縫合は激痛どころの話しではないのだ。いくら和奈が気丈だと言っても、それに堪えられるとは思えなかった。

「一瞬、気が乱れたな」

 武市の胸中に嫌な予感が広がる。

「斬られて、焦りました」

「和太郎、やはりおまえは剣を-」

「大丈夫です」

 そう言いきった和奈に迷いは見えず、武市はその後の言葉を飲み込んでしまった。 


 戦局は、正義派が次第に栗屋を追い詰める形となって行った。

「農民の寄せ集めに、こうも圧され続けるとは、武士としてなんと情けない事か」

「しかし劣勢なのは確かであります。ここは本陣と合流するのが得策かと」

 側面からの奇襲が栗屋にとって痛手となっていた。

 野兵ごときに負けぬと言う自信が、そうならず翻弄され続けている局面を見て崩れかけていた。

 武士の意地と、このまま戦を続行する事も考えたが、優勢に転じる策も兵もなくては、無謀と判断する外なかった。

「退却させよ!」

 栗屋がそう叫ぶと、脇に待機していた伝令が戦場へと飛び出して行った。

 そうして、正規軍は深追いしてくる諸軍を牽制しながら、本陣へと撤退したのである。


 木立の脇に火を焚く周りで、その明かりを頼りに負傷者の手当てが行われている。

 和奈も、応急処置で済む怪我人を探しては手当てし、また次をと隊士達の間を駆け回っている。

「何やってんだ」

「見たら判るじゃないですか、手当てです」

「おまえはこっちに来て大人しく座ってろ」

 高杉はやれやれと言いたげに睨むと、陣の真ん中に焚かれた火の所へと和奈を引き連れて行く。

「桂木さんもどうか休んでいて下さい」

 別の方向から来た所は、給仕を手伝っていた武市を見つけて連れて来たのだ。

「働いてくれるのは嬉しいが、それぞれ役回りがある。戦う奴が今する事は、疲れた身体を少しでも休める事だぞ」

 真冬の野山は痛いほどの寒気に覆われている。その寒気も体力を奪って行く。無駄に動くと余計に疲れが増すだけと、高杉は体を摩りながら言った。

「本営でも構えられれば、寒さもましになるんだがな」

 それには莫大な費用が掛かり、宿営に使う部材を運ぶのにも人手が掛かる。軍資金が乏しい諸隊では、正規軍の様に設営できるものではないのだ。

「大田川沿いは迂回している上に蛇行が多いし、進軍するのも守るものも難しい。恐らく敵本陣は、長登から下の峠を行った赤村辺りで陣を取っているはずだ」

 絵堂が初戦でもある、高杉は枝で地面に地形を書き出してばつ印を付けていく。

「こっちの負傷兵はかなり多いぞ。それとは反対に奴さんには後ろに無傷な軍が控えてる」

 佐世は高杉の書いたばつ印の後方に二重のばつを付けた。

「奇襲に継ぐ奇襲で、阿呆な奴らも、さすがに警護を強化しているだろうしな」

 佐々木が敵本陣の地形に、奇襲できるルートを書き込みながらそう言った。

「それなら堂々奇襲で行く」

 はぁ、と石川と所は大きなため息を吐き、佐世はそっぽを向いてしまった。

「おいおい、おまえら」

「いいよいいよ、もう何も言いません」

 堀も高杉に呆れ顔を見せると手を振ってそう言った。

 堀真五郎は万延元年に中国諸藩を遊歴後江戸へ出で、高杉晋作らと共に品川御殿山のイギリス公使館を焼打ちに参加。翌年帰国し八幡隊を結成し自ら総監に就いた。

 その四人とて無傷ではないし、高杉も足に包帯を巻いていた。戦況を優勢に保っているが、負傷と疲労困憊がすべての者の身体に圧し掛かっている。

 それでも誰一人、疲れたという言葉を口にしなかった。

「正念場だ。皆、すまんがもう暫く頑張ってくれ」

 そう頭を下げる高杉に、佐世と佐々木が口の端を上げ、石川らも嬉しそうに頷いた。


 翌日、斥候が敵陣の情報を持って戻って来た。

 高杉が推察した通り、正規軍は赤村に留まり正岸寺に陣所を構えている。

 負傷者で動けない者は、大田に残る指示を出し、残る諸隊を三軍に分けると、持ち場を伝える。

「火を焚くのは正面から向かう遊撃隊のみ。他の隊は左右から火を焚かず正岸寺へ向かってくれ。火を目印に、俺達が敵本陣に入ったら突入してくれ」

 一人が二つの松明を持ち、こちらの数を二倍で在るかの様に見せ、正面から全軍で来たと敵を撹乱させる。それにより、奇襲を想定し配置している兵士を集め、側面から奇襲をかける策だった。

 悪戯っ子が悪巧みをするように、高杉は楽し気な顔を見せた。


 一月十六日深夜。

 呑水峠を後にした諸隊は、正岸寺に陣を構える正規軍を眼下に見据えた。

「行くぞ」

 山間を駆け下りた高杉は、松明に火を灯し肩幅より外側へ掲げ、隊を前進させた。

 高杉の思惑通り、正規軍は揺らめく火を見て諸隊全軍が攻めて来たと勘違いし、夜襲を警戒してい配備を解いて隊を集め始めた。

 左右に潜伏していた諸隊軍は、松明の火が慌しく動いたのを確認して一気に右往左往する正規軍の中へ突入した。

 伏兵を予期しながら裏をかかれた正規軍は、抵抗し切れず正岸寺から木間へ後退を始める。

「こうも攻められるものなのか!」

 粟屋は中軍の陣がある明木へと撤退せざるを得なくなり、またしても敗退を記したのである。



 度重なる勝利に諸隊軍の士気は高まっていた。

 明木の中軍へ即座に攻め入り、萩へ進軍するべきと堀や石川が詰め寄ったが、高杉と武市、佐世の三人は難色を示した。


 挙兵から一ヶ月余り経っている。諸隊軍は各地から集まってきた有志により、数を増やしたが、負傷兵の数もまた比例するように増えている。

 士気高揚の中、突き進む事も戦においては欠かせぬものだが、明木の中軍はまだ無傷な上に、秋吉から退却した後軍も加わっている。その全軍を相手に、負傷兵を抱えての進軍は、例え正攻法であろうと奇襲であろうと大きな犠牲を伴うと考えたのだ。

 疲労と負傷者を抱えて進軍するよりは、山口、小郡、海軍局のある三田尻を拠点とし、地盤固めを行って萩へ向かうのが理に適うと判断し、高杉は撤退を決定したのである。


 惨敗を記した正規派軍も、諸隊が進軍して来ないことを見取り、それ以上の進軍はせず萩へと撤退した。

 しかし、正規軍の敗戦に敗戦を重ねるだけに終った進軍は、藩全体に影響を及ぼす事になった。

 二十七日になって徳川慶勝は、西郷の提示した妥協案を長州が受け入れ恭順を示したとの知らせを受け、正規軍の敗戦を知らされぬまま出兵諸軍を撤兵させた。

 この撤兵により、長州征討は収束を迎える事となったが、長州の内乱は収まる所を見せなかった。


 高杉は癸亥丸を萩沖向かわせ、昼夜問わず空砲を打ち鳴らさせた。

 諸隊が体勢を整え終えた頃、呼応し参戦してきた有志を加えて篠目口、佐々並口、西市口から進軍を開始した。

 先鋒隊を含む正規軍の敗戦はさらに続く事になった。


 藩庁内では有志による鎮静会議員の集団が組織され、山口、小郡、三田尻に拠点を構えた諸隊と提携を図り、藩論統一を唱えて動き出したのである。

 この悪状況に業を煮やした椋梨は、これ以上鎮静会議員達と諸隊が繋がるのを恐れ、藩論が固まらぬ中、反対の態度に出た議員達の暗殺命令を出した。

 だが、暗殺が漏れると俗論派は藩政を追われる形となり、椋梨らは萩を脱出し岩国へ亡命を図ったのである。

 俗論派の逃亡により、正義派が藩政を掌握し漸く内乱は終息を迎えた。


 敬親は沈静化した藩内の混乱を避ける為、まずは藩を静定するよう正義派に命を下し、命を受けた高杉は、潜伏してた桂に伝令を送り萩へと呼び戻した。

 ため息と共に現れた桂を、満面の笑みを浮かべた高杉が出迎える。

「藩の行く末を左右する戦だと言うのに、声もかからず仕舞いとは」

 切迫した情勢を杞憂しながら長州を発った。何事か起これば高杉に呼び戻されるだろうと安心していたのだ。そんな桂が内乱を知ったのは、撤退する幕軍の情報が舞い込んだ後だった。

 報せを貰い戻ってみると正義派が陣頭し、解体となった正規軍は遊撃隊と干城隊に編入され、奇兵隊や御楯隊が長州陸軍の最たる隊となっていた。

 狐に抓まれた様だと、笑顔を絶やさず座る友の傍らに腰を落ち着けた。

「桂木くんにもご助力頂いたとか。本当に、ありがとうございました」

 恭しく手を付いて頭を下げる。

「この身はすでに長州の者です、どうか礼など無しに願いたい」

 そう言ってもらえると心が楽になると桂は笑った。

「しかし、役に立てなかったのは本当に心苦しい限りだ」

「まあそう言うな小五郎。ぶっ壊すのは俺の大の得意とするところだが、何かを作り上げてくってのは大の苦手ときてる。だからだ、ここからがおまえの出番だ。お殿様から加判役として藩政に従事するようにとの仰せも出ている」

「それがいかに大変か、おまえには解っているのか?」

 途方に暮れそうな問題を、目の前に積み上げられた気分だった。

「なあに、困った時は桂木さんに泣き付けばいいんだ。心許ないが、ちっこいのもいるんだなにも怖くは無いだろうが」

「ちっこいって! てか、僕も入ってるんですか?」

「決まってるだろうが! 薩摩との話し合いも止まったままだ。大久保さんに気に入られているおまえが手伝うのは当たり前だ」

 気に入れられているとは思えないと否定したが、それでも問題はないと片付けられて終った。

「今一番頭を痛めているのはそれなのに、おまえだけ一人さっぱりした顔して」

 剛と柔、明と暗。

 そんな言葉が似合う二人だと、和奈は二人を見て思った。

 お互いの信頼が確かなものでなければ、同じ方向を見据えて意見を合わせて行くのは難しい。表裏の対を成している二人だからこそ、お互いが居ることで初めて一つとなれる。

「悪いな小五郎。後はおまえの好きにしてくれ、俺は疲れたから寝る!」

 納得した顔で立ち上がった高杉は、桂の返事を聞く事なくさっさと出て行ってしまった。

「まったく」

 困っていると言う顔は笑顔だった。

「ああ、坂本くんだが」

 中岡がまず京を発ち、しばらくは藩邸で大人しくしていた龍馬も痺れをきらせたのか、京を出たと伝えた。

「じっと収まっている男ではないからね」

 今度は武市が頭を抱える番となってしまった。



 逃亡を図っていた椋梨は、津和野藩士によって岩国へと向かっている途中に捕縛され、長州へ送還されて来た。

 萩に送り返された椋梨は、幕府軍との折衝について取調べを受けた。三家老の切腹と、周布の自刀を招いた責任を追及されたのである。

 取調べが行われる中、椋梨は、すべては自分一人の罪であり、自分だけを罰するようにと鎮静会議員に懇願し、その要望どおり椋梨一人の処刑で済ますことで、内乱は完全に終息を向かえたのである。

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  幕末奇譚 『志士 狂桜の宴』 イメージソング
『Recollection』ambition song by Alternative Letter
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