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幕末奇譚 『志士 狂桜の宴』  作者: 夏月左桜
奇譚五幕 星火燎原
18/89

其之一 訃報

内憂外患我が州に迫る。正に是れ危急存亡の秋。

唯邦君のため邦国のため。降弾名姓また何ぞ愁えん。

                      高杉晋作



 季節は師走。

 萩から筑前国にある平尾山荘へと居を移して来てから一ヶ月が過ぎていた。


 馬に乗れるよう稽古をつけておいてほしいと頼まれた高杉は、自分がすべき事をそっち退けにして毎日和奈の乗馬に付き合っていた。

「そんなにきつく手綱を持つな!」

「きつくって、言われても」

 どこまでがきついのか、その力加減が掴めないのだ。

「こうだ、こう! 判ったか!?」

 見よう見まねで馬に乗れる様になるなら苦労はないと、端で見ていた武市は笑った。

「もう! それで判からないから苦労してるんじゃないですか!」

「逆切れするな!」

「してません!」

 侍姿の役者が馬に乗って浜辺を駆けるシーンをテレビで見たことがあったが、実際にそれをやれと言われても出来る訳などない。

「面倒だな」

「え?」

 手綱捌きと(あぶみ)の扱い方を教えた高杉は、和奈の乗る馬の尻を思いっきり叩いた。

「え! うわっ!」

 慌てたのは武市もだった。

 急いで繋がれている馬に駆け寄り、和奈を乗せて走り出した馬を追いかけた。勿論、高杉も自分の馬を走り出させている。

「無茶苦茶な稽古だな」

 馬を併走させた武市は苦笑交じりにそう言い、手綱を打って前に出た。

「説明するより身体で覚え込むのが一番手っ取り早い!」

「まったく・・・和太郎、鐙を確り踏め!」

 和奈が足に力を入れたのを確かめた武市と高杉は、同時に手綱を引けと叫んだ。

「手綱を放すなよ!」

 上体を嘶かせて止まった馬の上で、馬の首に抱きついた和奈は大きな息を吐いた。

「やれば出来るじゃないか」

「そう言う問題か?」

 これではおちおち見学していられない、と武市が不安気に言う。

「心配はいらん!」

「心配してください・・・」

 高杉の容赦ない指導はその後も続き、事あるごとに武市が飛び出す羽目になったのは言う間でもない。


 数日の間は足腰が笑い続けてたが、四日も過ぎる頃にはこつを覚え、自由に手綱を操れるようになった。

「馬の扱いには慣れたようだな」

 横でがつがつとご飯を食べていた和奈は、箸を銜えたまま振り向いた。

「待て。いいから、ちゃんと飲み込んでから答えろ」

 物を食べながらでも喋るのは大津で経験済みだったので、武市はそうする前に釘を刺した。

「片手で馬を扱えるようになったんだ。特訓のし甲斐があったってもんだろ?」

 大飯を食らいながら、対面から高杉が楽しそうに声を上げた。

 口いっぱいに頬張っていたご飯を飲み込んだ和奈は、茶碗を胸に抱え込み身を乗り出す。

「特訓って、身体は一つしかないんですから、壊れたらどうしてくれるんですか!」

「阿呆! 小五郎みたいに、優しい口調で細かく丁寧になんぞやってられるか!」

「丁寧はいいとしても、説明だけはして下さい!」

「和太郎」

 その声に振り向いた和奈の顔はしかめっ面のままだ。

「・・・・・」

「なんでしょう?」

「喋る前に、ちゃんと茶碗を置け」

 はたと、手を見下ろす。

「あ、すいません」

「だあぁ! せいせいしたと喜んでも、桂木さんがそれじゃあ小五郎が居るのと同じじゃないか!」

「さて、そう言われても困るしかないが?」

 矛先が高杉に向いたと胸をなでおろしながら、和奈は残っている食事を片付けにかかった。



 萩をたつ前の夜。

 食事を終えた桂は、寝る用意を済ませてから部屋に来るように和奈に告げた。

「なんの因果か」

 浪士を斬り捨て、関わる事無くその場から立ち去れば良かったのだ。そうすれば池田屋に遅れる事もなく、宮部達を救い出せたかも知れない。

 だが、桂は和奈を放置しなかった。因果と言わずして何を以って説明すべきか、桂には見当すらつかない。

「未来か」

 この時代で生まれたのではないと和奈は言った。荒唐無稽なその事柄は、今でも心の底に引っかかったまま残っている。

 真実か虚偽なのか確かめる必要があるにも関わらず、多忙さを理由に考える事すらしなくなっていた。

 その原因は和奈にもあった。

(彼女は、一度たりとも帰りたいと口にしてない)

 思えばおかしな事である。

 家族の元へ帰りたいと、原因を探すのが普通であろう。だが和奈は不安に駆られる様子も見せず、以前から居たかの如く平然と共に暮らして居る。

 未来から来たと言うのは戯言と、桂が思っても仕方が無かった。

「桂さん」

「お入り」

「失礼します」

 寝衣に着替えて座って居る桂は、入って来た和奈に敷かれた布団を指差した。

「えっと、あの?」

 二つの布団がある。

 と言う事は、ここで寝ろと言われたのだ。そう思った途端、顔が赤くなった。

「ぷっ!」

「か、桂さん?」

「いや、すまない。焦っている顔が面白くて、つい」

「面白いって・・・」

「ゆっくり話したいと思ってたんだが、機会がなかなかなくてね。こういう形になったが、どうこうしようとは考えてないから安心おし」

 話をしながら寝るだけと、和奈は用意された布団に入れられてしまった。

「ここでの生活は慣れたかい?」

「はい。薪割りも、風呂焚きも楽しいものです」

「そんな事をしているのか!? 藩士がいるだろうに、晋作は何をやっているんだ」

「いえ。僕、腕に筋力がないし、すぐ息があがるんで鍛錬にと」

「・・・女子だと言う事を忘れてはいまいね?」

「あ・・・考えてませんでした」

「あの時も、無謀な人間が居るものだと呆れたものだが、どうやら君は、後先を考えない性質のようだね」

「そうみたいです、すいません」

「今更蒸し返しても仕方がないが、それでは心配が尽きないよ」

「反省しても仕切れません」

「僕のためを思ってくれるなら、少しは自重も覚えてくれると助かる」

「努力します」

 忠告の言葉だけで和奈を抑制するのは無理だろう。何事か起これば駆け出して行ってしまうのは目に見えている。

「坂本くんに預けたのは失敗だった。袂で面倒を見てあげていたら、楽しい日々になって居たと悔やんで仕方がない」

「迷惑をかけまくってる姿しか思い浮かびません・・・」

「あははっ。確かに教育も要るだろう。それも含めて楽しいだろうと思うんだ。気遣う身内がいるというのは良いものだよ」

 布団を引き寄せると、和奈は半分だけ顔を隠した。

「血生臭い現実に泣いてやしないかと心配していたが、ちゃんと進むべき道を見つけて歩いてくれている」

「こんな私の事を真剣に考えてくれて、本当に感謝してます」

「それは僕も同じだ」

 にっこりと桂は笑った。

「僕は早くに家族を亡くしていてね。優しくて、体の弱い僕をいつも気にかけていてくれた長姉が亡くなった時は、僕も逝くと言って皆を困らせた。死に取り付かれた様に、義母が亡くなり、実の母も次姉もこの世を去ってしまった」

 今は独りなんだと笑う顔を、和奈は直視できず目を閉じてしまった。

「家族という繋がりに執着している訳ではないが、心のどこかでは憧れていたのだろう。だからおまえを甥として皆に紹介してしまったのかも知れない」

 行き場もない和奈を家族に仕立て上げ、側に置いて家族としておきたかったのではと、桂は話しながら自分の心に気が付いたのだ。

「利己主義と言われても仕方がないが、こうして過せる時間がある事を本当に嬉しいと思っている」

 利己主義などではないと和奈は思う。

 桂はいつも真剣に怒ってくれる。その理由は道理を得たもので、身内に対する愛情に他ならない。

 自分にとっても桂は家族同然の存在になっている。

「僕も、桂さんの家族で居られるのを嬉しく思ってます」

「だが一つ、気掛かりな事がある」

 それは和奈の素性だ。

 未来から来たと、和奈は告げた。本当に時を渡ったのであれば、いずれ和奈は元の時代に帰ってしまうかも知れない。

「おまえは・・・帰りたくはないのかい?」

「え?」

「やれやれ。自分の言った事を忘れたのか? 未来から来た、そう言ったじゃないか。ならば、帰りたいと考えても不思議はないだろ?」

 改めてそう聞かれ、和奈は思案に暮れた。

「聞かれるまで、忘れてました」

「は? 忘れてた?」

「はい」

「これは困ったな」

「自分でも驚いてます。ただ皆さんと一緒に居たい、それしか浮んでこなくて・・・」

「そう・・・なら、帰るまでで良い。正真正銘、家族になってもらってもらおう」

「え?」

「桂木くん達の事もあって、僕と晋作の親類を頼ろうと言う事になってね。色々と調べていたら、母方の遠縁に村木氏があるのを思い出して。便りを出したら嫡子になれる養子を捜していると言う。女子でも良いと返事が来たから、おまえを養子に迎えてほしいと頼んでおいた」

 ぽかんと口を開けてしまった和奈に笑みを浮かべる。

「優しい方達だよ。今は津和野へ逃れているから会えないが、萩へ戻って来たら連れて行くからそのつもりで」

「養子ですか」

「長州で庇護するにしても、身分どころか素性さえ知れないんだ。いらぬ詮索を避けるには確りとした家が必要になる」

 この時代での身分がどういうものなのか、和奈にはまだはっきり解らなかったが、桂が手を講じると言う以上、断る事はできない。

「解りました」

「聞き訳がよいのは助かる。また当分、会えなくなるが、命を粗末にする行動は謹むと約束しくれるかい?」

「はい」

「・・・桂木くんの身に何があっても?」

「それは、その・・・」

 からかう様に笑った桂は、困った顔でいる和奈の頭に手を乗せた。

「常に後先を考えてから行動する事は大事だ。ああ、自分の太刀をもっと理解する事。これも追加しておこう」

「うっ・・・」

 桂は楽しそうに、うんうんと納得してしまっている。

「いいね?」

「はい。無茶な行動は慎むようにします。大津でも龍馬さんに叱られましたから」

「ほう」

「簡単に命を捨てようとするのは、それまで生きて来た意味を無駄にすると同じだから、絶対にしてはいけない事なんだと」

「その言葉、大切にしなければね。ああ、それからあと一つ追加だ。これから僕の事を桂さんではなく、小五郎と呼んでほしい」

「え? いあ、あの、それは・・・」

 困った表情を浮かべたのは桂の方だった。

「ずるいじゃないか。坂本くんは龍馬さんなのに、身内の僕が桂さん呼ばわりだなんて」

「へっ?」

「前から言おう言おうと思ってたんだ。いいね、これは絶対命令だ」

 思わず和奈は噴出してしまった。

「解りました。じゃあ、そう呼ばせて頂きます」

「うん。そうしてくれると嬉しい。さて、時間も遅いし、そろそろ寝るとしよう。いつかまた、話し相手になってくれ」

「はい、もちろんです!」

 桂と言う家族を得て、その存在がどれほど心を落ち着けてくれるものかを知った和奈は、時の彼方に居る父や母の事も思い出していた。

(私は元気でやってるからね)

 桂が先ほど問いかけた質問は、すでに和奈の頭から消え、懐かしい母の笑顔を最後に眠りへと落ちて行った。



「箸が止まってるぞ?」

 武市は、茶碗を片手に箸を持ったまま、動く気配を見せない和奈を覗き込んだ。

「むぅ。おい和太郎!」

「は、はい?」

 我に返ると、目の前に武市の顔があったので驚いて上半身を後ろへ反らした。

「あの夜、小五郎となんかあったな!?」

「えっ!?」

「あったのか!?」

 手を振りながら、ないない、と否定する姿に、高杉は疑いの目を向けて逸らさない。

「いや、絶対にあった! なんで気付かなかったんだ、出かける時のあの嬉しそうな顔が証拠だ!」

 激しく誤解して想像を膨らませてしまった高杉の言動が、段々と激しくなって行く。

「・・・まさか桂さんに限ってとは思うが」

「馬鹿野郎、小五郎が一番危ないんだ!」

「ちょ、ちょっと待ったぁ! なんで勝手に二人してそういう方向に進めるんですか! 小五郎さんは叔父さんですよ? 僕、男ですよ!?」

「ぬぅ。小五郎さん・・・だったらあいつのあの顔はなんだ! 甥も叔父も男も女もへったくれもない! くそっ、なにが一晩過ごすだ。俺とどこが違うっていうんだあの野郎!」

「まさか、桂さんの志向って、先生と同じなんですか?」

 以蔵の発言に武市と高杉が顔を見合わせた。

「志向? あっー! 違う違う、それも絶対違う! もう高杉さん、変なこと言うから岩村さんまで誤解してるじゃないですか! 小五郎さんに言いつけますよ!」

「もういい、小五郎も変態にしておけ!」

「待て! 俺は変態などではない!」

 龍馬達とのやり取りに似ていると、誤解を解かなくてはいけないのに、和奈はつい笑ってしまった。

「ほら見ろ。和太郎も喜んでるし、もうそういう事でいい! いいか、昼餉までたっぷりしごいてやるから覚悟としけよ!」

 誤解を解きたかったし、しごきも遠慮したいと思ったが、こうなってはそう簡単に高杉を説得できたものではない。

 以蔵も一人顔を下に向けてぶつぶつ何かを言っているし、武市も困り果ててしまっている。

「もう、なんだってそっちへ話しが行くかなあ」

 ここで女だと知っているのは桂と高杉だけだ。以蔵が変に誤解するのは仕方ないと言える。だからと武市を変態にしておくのも心苦しく思うのだが、解決策など浮んできはしなかった。

「それだけ元気なら、風邪はもういいですね」

 だから、和奈は話しを変える事で逃げに回った。

「あ? なに変な心配してんだ、見れば判るだろう!」

 ここに来てから来高杉が咳き込む姿は見かけなかった。海風に当たって風邪を引いたのは本当だろうと、安心してしまった和奈は、武市が一瞬、気鬱な表情を浮かべたのに気付かなかった。

「片付けてきますね」

 お京の居る台所へ皆の膳を持って席を立った。


 二つ口のへっついに乗せた茶釜の中を見ていた京は、和奈に呼ばれて顔を向けた。

「お知らせ下されば取りに伺いましたのに」

「いや、僕は下っ端だからこれくらいはやらないと」

 膳を受け取り、揃えられた皿や箸を桶へと移し変える背中を見つめる。

「小五郎さんと一緒に、京へ帰れば良かったのに」

「京に帰ってもする事は一緒です。女中さんも減ってらして、色々な事に手が回らないのに、帰るなんててぎません」

 手際よく片付け物を整理し、水瓶から水を組んで桶に入れる。

「今度は、ちゃんとお京さんを守る」

 柄杓を持つお京の手が止まった。

「やっぱりずっと気になさってたんですね。実は、私もなんです」

 その言葉に息を飲んだ。

 目の前で同じ女中が斬られて死んだのだ、忘れられる筈はないと、お京から視線を逸らした。

「私が気をつけていれば、和太郎さんは人を斬る事にはなりませんでした」

 検討違いな事を口にされ、和奈は次の言葉を必死に探さなくてはならなかった。

「だからお相子です。お宮ちゃんが・・・死んでしまったのは私のせいです。今でも時々、哀しくなる事があります。でも、私はお宮ちゃんの分まで、辛くても生きなくちゃいけません。そう思えるようになって、やっと笑えたんです。だから和太郎さんも、もう自分を責めないで下さい」

 お京を見る度に罪悪感を抱き、避けて来た自分とは違って、お京は一生懸命前へ進もうと、悲しみや辛さを乗り越えて来ているのだ。

「和太郎さんに伝えたいとずっと思ってたんです」

 和奈は、そう笑ったお京の頬に手を当てた。

「今度は僕がお礼をいう番だ。ありがとう、お京さん」

 そう言った後、気配を感じて振り返った先に、眉を吊り上げた以蔵が立っていた。

「あ、新之助さん。お茶の用意できたので、運ぶのを手伝ってくれますか?」

(はい?? 新之助さん?)

「なんだ? 和太郎」

「い、いえ。なんでもないです」

 大津では夫婦として町へよく出かけていたなと、おもわず和奈はにやりと顔を崩してしまった。

「なんでもない顔には見えん!」

「本当にないです、はい!」

 差し出されたお盆を受取り、連れ立ってお茶を運ぶ以蔵が別人の様に見えた。

「あ! 岡田さん、完全に誤解したよね」

 以蔵にとって男である自分がお京の頬に手を添えた。怒り顔の原因はそこかと解ったが、笑いを止める事ができず、暫くその場で座り込む事になってしまった。



 風が冷たくなり、時折雪が舞い散るようになった頃、萩から火急の用と、勇力隊総督伊藤俊輔、干城隊(かんじょうたい)頭取佐世八十郎が高杉の所へとやって来た。

 伊藤俊輔は足軽身分だったが、桂の手附として江戸に詰めになり、安政の大獄以後、桂や久坂玄瑞や高杉晋作、井上聞多らの攘夷運動に加わっていた。しかし文久三年に入り、突如イギリス留学を考え、賛同した井上ら四名と共に、井上の金策によって渡英が実現したのだだ、元治元年に、米英仏蘭四夷国連合艦による長州報復が近い事を知った伊藤は、井上と共に急遽帰国し戦に参戦した。高杉の決起を知り結成された隊を勇力隊とし、馳せ参じて来たのである。

 大組佐世彦七の長男であった佐世八十郎は、文久二年の直目付長井雅楽の暗殺を計画に参加するが、翌年に入って情勢が変転し、藩主の命で長井が帰国謹慎となった事で未遂に終った。それ以後は右筆役として藩政に携わりながら干城隊の頭取を任されていた。

「なんだと!」

 二人が持って来た報せを聞いた高杉の怒声が響いた。

 稽古の途中だった和奈も、何事かと武市らと共に部屋に詰め掛けた。

「岩国にて協議の場が設けられ、交渉役に吉川経幹殿が当られました。提示された幕府の妥協案を、長州藩が受け入れれば幕軍を撤兵させるとの内容を、椋梨殿が受け入れ、長州藩は幕府に恭順する事に・・・決定しました」

「っ! で、妥協案はなんだ!?」

「山口城の破却。これを受け、毛利両公は萩城へすでに居を移しています。長州に留まって居る五卿に対して大宰府移転が命ぜられ、期日が決まり太宰府へと出立されます・・・・・国司殿、益田殿、福原殿三家老に対して・・・幕府は禁門の件の責任者として切腹を申しました!」

 立ち上がって聞いていた高杉は拳を握り締めた。

「そればかりじゃない。椋梨は政敵と称し、妥協案にないにも関わらず、倒幕派の者の処刑を行った。無論、高杉と桂さんの捕縛命令も出した」

 佐世が涙を滲ませながら語った。

「事態の収拾を図ろうと、周布さんが奔走してくれたんですが、吉富宅の・・・」

 伊藤はそこで言葉を詰まらせた。

「おい、周布さんがどうした!」

「・・・・・松の木の傍らで・・・・・切腹されているのが見つかりました!」

 怒りで真っ赤になった顔を伏せ、肩を震わす姿に誰も声を掛ける事が出来なかった。 

 政に携わる才を持つと吉田松陰が太鼓判をおした桂と、松下村村塾の高杉を藩に登用したのは、財政改革と軍政改革に当たる事になった周布政之助である。

 一度は長井雅楽の航海遠略策を受け入れた周布だったが、一方的な開国は日本を外国へ売り渡すものでしかないと説得く久坂玄瑞らの説得により、攘夷論へと思想を転換させた。

 京への出陣にも意義を唱え、久坂達を止めようと長州で駆け回って日々説得にあたったのも周布だった。

 しかし謹慎となって抑える事が叶わなかった進発で、禁門の変が起こり、長州は朝敵とされてしまい幕府の征伐を受ける事となった。

 周布の傍らにおかれていた書には、長州征伐となったのは己の不徳の致す所であり、その責任は自分にあると記されていた。

 脱藩を繰り返す高杉を見捨てず、支えてくれた恩人でもある周布の死を、一番受け入れたくないのは高杉だろう。

「くそっ! どこまで馬鹿が揃ってる! もう我慢ならん!」

「我慢ならんて、どうするって言うんです?」

 高杉が出すだろう答えを判っていて、伊藤はそう聞いた。

「打って出る! これ以上長州を幕府のいい様にされてたまるか!」

 佐世も驚いてはいない。伊藤と同様、高杉がそう言うと確信を持って萩から出て来たのだ。

 剛毅果断な姿を見せる高杉に、伊藤と佐世は互いに顔を見合わせ頷き合う。

「俺達も行きます。幕府に恭順するなど以っての他ですからね。集められるだけ有志を集めます」

「すまんが、力を貸してくれ。決起の場所は追って伝える」

 伊藤と佐世は、時間が惜しいと直ぐにその場を後にした。

 桂にも伝えねば、しかし待つ時間がない、と言いながら部屋をうろうろと歩きだした高杉に武市が歩み寄る。

「我々も行く」

 和奈も以蔵も、話しを聞く途中からそう決めていた。

「命の保証はできんぞ?」

 そう脅してたとしても、臆さないと判っている。

「微力だろうが、少しでも役に立つならば」

 高杉はにやりと口端を上げた。

「新之助。おまえはお京さんを連れて京へ戻れ」

「はっ? 冗談じゃない。俺も行きます!」

「私の命が聞けぬと?」

 押し黙る以蔵に、武市は変更はないと言い、直ぐに発てと命令した。

「師として最後の命だ。おまえはもう人斬り以蔵ではない。己が頭で考え動いてゆけ」

 それでも、和奈を行かせるべきだと以蔵は食って掛かった。

「問答無用だ。さあ行け」

「心を汲んでやれ」

 動こうとしない以蔵に、静かに高杉が言葉を添える。

 高杉の視線を受けながら、背を向けてしまった武市の姿に、以蔵は膝を崩して畳に座り込んだ。

「俺は・・・」

「心配するな。そう簡単に命をくれてやるつもりはない」

「先生・・・」

 しばらく肩を振るわせていた以蔵は、深く一礼すると振り返る事なく部屋を出て行った。

「さて、俺達も行くか」

 以蔵とお京が発った翌朝、和奈達も長府へ向かうため筑前を後にした。

 


 十一月十一日深夜。

 支藩である岩国領に身柄預かりとなっていた三家老の切腹が執行された。

 惣持院において益田が、その後、澄泉寺(ちょうせんじ)にて国司が、総大将であった福原は周防国岩国領の龍護寺(りゅうごじ)にて、それぞれ萩藩と岩国領の役人が見届ける中、切腹した。

 三家老の首は、安芸国広島藩へと護送され、征長総督府において検分された。


 高杉が立つと報せを受けた諸隊は、武器等の消耗が激しく補充もままならない現状での決起は無謀との意見が上がっていた。

「これは命令じゃない。意に沿わぬものは参加しなくていい」

 佐世は集まって来た者達にそう告げる。

「俺は行く。遊撃隊にも声をかける。ああ、太田さんにも」

 最後の部分だけ小さく佐世の耳元で囁いた石川小五郎は、周防国に生まれ萩の明倫館で学んだ後、文久二年まで先鋒隊に所属したが、元治元年に高杉らによって結成された御楯隊へ入隊する。禁門の変では蛤御門に進撃し、その時に闘死した来島又兵衛の後を継いで遊撃隊総督となっていた。 

「ありがたい」

 正義派とて、このまま俗論派が藩政を掌握するのを良くは思っていない。しかし、時期早々なのは誰の目にも明らかな挙兵に、我もと腰を上げるのを戸惑っているのだ。

 駆け回る佐世も石川も、無理強いを敷かず、賛同する者だけを集める形を取った。

「参加せぬ者はくれぐれも捕まらないようにな」

 佐世はそう言い残し、別れを告げて萩の町へと戻って行った。



 椋梨は、目の前に迫る幕府軍との折衝で藩内部の粛清を続ける一方、主格となる桂と高杉の行方を必死に捜させていた。たが、長州を出て二人が何処へ向かったのか、その足取りはようとして知れなかった。

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