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幕末奇譚 『志士 狂桜の宴』  作者: 夏月左桜
奇譚四幕 烏兔怱怱
17/89

其之四 離別

 三条へと使いに出て来ていた赤井は、この時初めて新撰組の一行を見た。

 水浅葱の羽織を纏い、町人らから冷たい視線を受けながらも、堂々たる振舞で道の真ん中を歩いている。

 じっと見ていると、一団の先頭を歩く男が振り向いた。

(やばっ)

 しかし、足は凍りついたように動かなかった。


 殺気を感じてではなく、視線を感じて顔を向けた先に、一人の男がこちらを見て立っていた。

「どうしたんですか?」

「いや、ちょっとな」

 目が合っても、動揺もせず、逃げる様子も見せない。

 浅葱色の羽織を見て、なんの感情も表していない。それが気に障った。

「皆もう行きましたよ?」

「ん? ああ」

「いい女の人でもいたんですか?」

 くすくす笑う沖田を睨んだ土方の足は、前ではなく横へと動いていた。

(あれは・・・夏だ。初めて人を斬った奴がいたな)

「沖田、先に行ってろ」

「やっぱり女の人なんだ」

 黙ってろと、踵を返し、人だかりを見回す。

 もう男の姿はそこになかった。

「ちっ」

 急いで近くの路地へ駆け込んだ。

(女でもねぇのに)

 と、誰とも知らない男を必死に捜す自分が滑稽に思えた。

 幾つか角を過ぎた路地の先に、捜していた背中を見つけた土方は、駆け寄り様にその肩を掴んで引っ張った。

「おい」

 振り向いた男は驚いていたが、恐怖の色は浮んでいなかった。

(あの時の男に似ている)

 土方はそう思った。

「さっき、俺達を見てただろう?」

 土方と目が合い、一瞬だが体が縛られたように動かなくなった。威圧、と言うのだろうか。初めて体験した感覚に、背筋が凍る思いがした。

 視線が逸れた隙に、その場から急いで離れたのたが、通り過ぎるまで待てば良かったと後悔する。

「新撰組の人を見るのは初めてだったので・・・失礼だったのなら、謝ります」

「見ただけで斬る訳じゃない。お前、どこのもんだ?」

 薩摩は幕府側だったな、と思いながら、薩摩の者ですと答える。

「薩摩訛りがないが、京へは出て来たばっかりか?」

「え・・・あ、はい。剣術詮議の許可を貰って来ました」

 嘘を付いている様には見えない。しかし、土方の中で何かが引っかかった。

「あの、用事を言い付かっているんで、もう、行ってもいいですか?」

「ああ、呼び止めてすまねえな」

「いえ、俺の方こそすみませんでした」

 ぺこりと頭を下げ、身を返した後姿に、土方はもう一度声をかけた。

「そうだ、おまえさん名は?」

「赤井修吾郎といいます。」

「赤井か。剣術詮議で出て来たって言ったな。にら、うちにも師範格が居る。これも何かの縁だ、気が向いたら屯所へ来るといい」

「え?」

「土方の知り合いだと言えば待たせてくれる」

 追いかけられた相手が、よりにも寄って鬼の副長の異名を持つ土方歳三かと、また疲れを覚えた。

 新撰組は幕府側であり、龍馬とは敵対の位置にいる。関わり合うべき相手ではないのに、関わられてしまった。

「顔色が変わったってことは、俺の名前は知ってるって事か」

「噂では・・・その、なぜ俺に?」

「稽古をする場所がないから、使いっ走りなんぞに甘んじてるんじゃないのか?」

 そう言って、満足したのか土方は返事を聞く事なく来た道を戻って行った。



 好きで使いをやっているのではない。居候でただ飯を食べているのは気が引けるので、できる用事は引き受けているだけだ。

 その生活が退屈に思えてきていた。土方の登場は、赤井にとって新鮮な気持ちを抱かせるのに十分だった。

「新撰組か」

 会津藩のお抱えの組織。京の治安を守っているのに、人斬り集団と恐れられている。

「土方さんて、若かったんだな」

 テレビや映画の土方歳三はどれも四十を越した俳優が演じている。龍馬にしても、桂にしても同じだ。そんな印象が映像で記憶に刻み込まれている。

 酷い詐欺だと、赤井は笑う。

 治安を守るべき新撰組が、どういう理由で人斬り集団と呼ばれているのか興味を覚え、その理由を知りたくなった。

 龍馬達との繋がりも知られていないし、鬼の副長直々に屯所に来いと言ってくれたのだから、一度くらい覗きに行くのも悪くないだろう、そう考えた。


 藩邸に戻ると龍馬の姿はどこにも見当たらず、大久保も今日は出かけてしまって不在だと言う。

 都合がいいと、おみつに頼まれ物を渡した赤井は、町へと取って返した。

「あの、すいません」

 屯所の場所がどこに在るか土方に聞きそびれたので、軒先で箒を片手に掃除をしていた男に聞こうと近づいた。

「なんでっしゃろ」

「新撰組の屯所へ行きたいんですが、道がわからなくて、教えていただけませんか?」

 男は新撰組の名を聞いた途端、顔を顰め、じろじろと赤井を見た。

「すんまへん、角の店で聞いておくれやす」

 そう言い、あたふたと家の中へ入って行ってしまった。

 仕方なく言われた店で道を聞き、忘れないよう反芻しながら歩き出す。

 町人に嫌われるほどの集団なのかと訝しんだ。

 土方と話したが、悪評に繋がる言動は出て来ない。

 屯所まではかなりの距離があり、途中何度も道を尋ねたのだが、どの町人の反応も似ていた。中には新撰組に入りたいのかと、喧嘩をふっかけて来る者までいたのだ。

「もしかして俺、行かなくていい所に行こうとしてるんじゃないのか?」

 【新撰組 壬生屯所】と書かれている札の掛かった門を見つけ、足を止めた赤井は一瞬迷った。

 ここまで来たのだからと門の脇に立ち、様子を伺おうと中を覗き込んだ。

「何か御用ですか?」

 息が止まる思いで後ろを振り返ると、人の良さそうな男が笑顔で立っていた。

「ええと、俺、赤井って言います! その、土方さんから来るよう言われて」

「土方くんの知り合いですか」

 男は不思議そうな顔で赤井を見た。

「土方くんはまだ戻っていませんから、中で待ったれるといい」

「ありがとうございます」

 屯所内に入ると、正面に大きな家宅があり、左右に小さな建物がの建っていた。左手前には大きな蔵がある。門も騎乗したまま通ることが出来るほど大きく、敷地もかなりの広さがある。

 客舎となっていた右家屋の一室に通された赤井は、しばらく待つように言われた。

「はぁ~」

 とうとう来てしまったと、部屋を見回すうちに不安が徐々に沸き始める。

(帰る・・・のは今更できないよなあ)

 人斬り集団と呼ばれるからには、剣を持った者が大勢いるはずだ。やっぱり帰りますで済むかどうかも解らない。後戻りはできないと、腹を括るしかなかった。


 半刻ほど経った頃、土方と案内をしてくれた男が障子を開けて入って来た。その後ろから土方がのっそりと姿を見せる。

「待たせたな」

「知り合いなのは間違いないようですね」

「すいませんでした、山南さん」

 新撰組の総長山南敬助かと、その姿を見上げた。

 紺色の着物に同色の羽織を纏っている姿は、剣を振るうような猛者には見えなかった。どちらかと言うと学者の風貌を備えている。

「では、これで失礼します」

 山南はそう言い、障子を閉めた。

 土方と二人になると、静まった空気が一気に身体を硬直させた。

「そう堅くなるなって、今から詰問責めにしようって言うじゃないんだ」

 口から覗く白い歯が笑っている。

「すいません」

「剣術の修行だったよな。で、腕前はどうなんだ?」

 切紙ですと告げると、伝書を貰っているのかと目を見開き、流派を尋ねられた。

「心形刀流です」

 ほうっ、と土方は顎に手をやった。

「薩摩は薬丸自顕流(やくまるじげんりゅう)と聞いている」

 しまった、と悔いても遅かった。

「なら、伊庭八郎は知ってるよな?」

「会ったことはありませんが・・・」


 伊庭八郎は心形刀流宗家伊庭家の御曹司である。

 元治元年、幕府に大御番衆として登用されるとその腕を買われ、奥詰となった。その後、講武所が創られて直ぐ伊庭はここで教授方を務めるようになり、幕臣師弟の武術指導を執っていた。


 薩摩者にも幕府に使える者が居る。江戸へ上った折、心形刀流を習っていたとしても不思議ではない。だからか、土方はそれ以上詮索しなかった。

「新撰組の主流は天然理心流だが、神道無念流も居れば北辰一刀流の奴も居る。流派は違うが、支障はないだろう」

「はあ」

「今、隊士達が稽古してる刻だ。一緒に来い」

「参加するんですか?」

「修行しに来たんだろう?」

 にやりと笑うと、返事も待たずに腰を上げた土方は、稽古場となっている棟へと赤井を連れて行った。


 土方が入ると、一瞬で稽古場の空気が冷えたのが解った。

 畏怖の眼差し、恐怖の眼差しが一点に集中している。土方歳三と言う男、一点に。

「楠」

 名前を呼ばれて、広間の隅に居た男が振り向いた。

「こいつの相手をしてやれ」

 やって来た楠は、その相貌からは新撰組隊士には見えず、女性だと紹介されても、納得してしまう程に華奢な体で美麗な顔立ちをしていた。

「この人は?」

「剣術修行に出て来たらしい。使いっ走りやってたから拾った」

「入隊希望者ですか?」

 いいから相手してやれと土方が再度言うと、楠はめんどくさそうに、解りました、と竹刀を取りに行った。

「あの、入隊希望って・・・」

 いつ誘われて、いつ承諾したのかさっぱり検討が付かなかった赤井は、顔面を強張らせて尋ねた。

「まだ隊士に誘った訳じゃないから安心していい。だが、ここで稽古したって事は、そういう扱いを受けるかも知れない、とだけ言っておく」

 嵌められたのだと、この時になって漸く解ったがすでに遅かった。もう、新撰組の稽古場に立っているのだから、どう言い逃れをしても、土方の追及を受けずここから出て行くのは不可能と思えた。

「楠小十郎といいます、よろしくお願いします」

 竹刀を赤井に手渡しながら名乗った楠は、すたすたと広間の中央に歩いて行った。

「赤井修吾郎です、よろしくお願いします」

 対峙した楠は、どう見ても十五、六くらいの若者にしか見えなかった。

「!」

 楠の踏み込みは早く、交わすのが少し遅れていたら、打ち合う事なく面を一本取られていた。

 今は余計な事を考えている場合ではないと晴眼に構え、間合いを保ちながら相手の隙を探す。

 一瞬、楠の立ち姿に朔月が重なる。

 主格は天然理心流だと土方は言った。構えね楠はどうやら神道無念流の様だ。力の剣法であるなら手加減はして来ないだろう。かと言って、力で打てば相手の思う壺になる。

 赤井は懐へ踏み込む手前で利き足を軸に左へずれると、一気に薙ぎを払った。

「ぐっ!」

 えっ? と振り返ると、楠が腹を抱えて蹲っていた。

 今の踏み込みならば、中段で構えた楠にも受けて交わす余裕はったはずだ。交わせなかったとしても、打ち込みを受け流す事くらいでそうなものだ。

 楠を見ていた土方も、赤井と同じ疑問を持っていると、その横顔を見て思った。

「だらしないな、楠」

 土方は腕を組み、唸る楠を心配するよりも、そこに居た隊士全員に罵声を飛ばした。

「だらだら竹刀を振るだけじゃ自分の命なんざ守れん!」

 鍛錬が足りなければ、それだけ自分の命を縮める事になる。相手が手練れとなれば尚更である。

「一瞬の隙、気の迷い、躊躇は己を滅ぼす要因だ。志士を斬る前にてめえが斬られるような恥さらしは、新撰組に必要ないと思え!」

 痛みを堪えながら立ち上がった楠は、土方に一礼すると脇へと下がって行った。

「どうだ赤井。しばらく食客として扱ってやるから、来るか?」

 静まり返っていた稽古場に、竹刀をあわせだした隊士達の掛け声が響き渡る。

「俺に、志なんてありませんが」

「じゃあ、なんで剣術の修行に出て来た? なにか思うところがあって上洛しようと決めたんじゃないのか?」

 巻き込まれてこの世界に来たから、志とか聞かれても困るしかなかった。

「ぬくぬくとした藩士のお前には、ここの生活は辛いだろうけどな」

 その言葉の意味を理解できず、赤井は首を傾げた。

「なんで僕を?」

「・・・さあな。気が向いただけだ」

「やっぱり入隊・・・しなくちゃ駄目でしょうか」

 それはお前が決めればいいと土方は言った。

 汗を流し稽古に励む隊士達に、心惹かれている自分が居る。塾生達との稽古では感じなかった気迫は伝わって来るのだ。

 死と生の(せめ)ぎ合い、それがここにはある。

 赤井は心が沸き立つのを感じた。

「・・・屯所へ行くと、誰にも告げずに出て来たんです。お世話になるにしても、一旦戻ってちゃんと話して来たいんですが」

「逗留先は薩摩藩邸か?」

「はい」

 少し考えるように腕組みをすると、俺も付いていくと顔を上げて稽古場から出た。

「え!? 一人で大丈夫です」

 慌ててその後ろを追いかけた。

 藩邸には龍馬が居る。来られてはまずいどころか、厄介な事になってしまう。

「今薩摩藩邸には大久保が居るんだろう?」

「え、ええ」

「薩摩の大久保は厄介だと聞いてる。会津公だけじゃない、うちの大将の面子もある。義理を欠くより筋を通しておかないと、後が面倒なんだよ」

「大久保さんは出かけてます」

「そうか。なら謁見の願いをしに行こう」

「それなら俺からしておきます」

「行かれたら困る事でもあるのか?」

 観念するしかなかった。

 これ以上食い下がって疑われたら、この場で斬り捨てられる確立は高い。

「行くぞ」


 町に出ると、道を聞いた時の反応以上に冷たい視線が突き刺さって来た。

 羽織を着ていなくても、土方自身が新撰組の看板なのだ。だが当の本人は意に介す事なく、淡々と歩みを進めている。

 町の治安維持と不逞浪士排除は、町人にとって都合が良い事であって悪い事ではない。現在にある警察機構と役目は一緒なのだ。それなのに、町人の大半は新撰組を毛嫌いしている。

 その理由が赤井には判らなかった。

「なんだ、さっきからきょろきょろと。町人が気になるのか?」

「屯所の場所が判らなくて、聞きながら来ました」

「ほう。で、喧嘩でも売られたか? お前も新撰組かと」

 土方は他人事の様に笑った。

 判っていて無視しているのだ。

「隊士の殆んどは農民の出だ。身分なんざあったもんじゃないが、帯刀を許可された俺達が幕府の為と働くのは当然の事。志士どもが会合を開くと密告があれば、時間なんざ気にせず殴り込んで捕まえる。まあ、殆んどが斬り合いになっちまうがな」

 そう語る顔は、どこか凛としたものを感じさせる。

「奴らを匿ったり、俺たちの邪魔をする奴が居たら、誰だろうが遠慮なく斬り捨てる。それがお構いなく人を斬っていると、町人どもの目には映るんだろうさ」

「斬らずに、捕まえる事はしないんですか?」

「そいつが重要な情報を持ってるなら、捕縛して屯所へ連れ帰るさ」

 幕府が新撰組を容認している以上、町人は何も言えず現状を受け入れるしかないのだ。

「町人はどいつもこいつも目先の事しか見てない。だが俺達は少なからず政に携わっている。幕府に反抗する奴らを取り締まり、京の、この国の明日を守るために命を賭けて走り回ってんだ。不平不満を並べる立てるしか能のない奴らの罵声なんぞ、一々気にしてられん」

 新撰組の副長に就いているだけあり、臆するところは一つもなかった。

 話しを聞く限り、義は新撰組にあると思える。

 とするならば、政府の正式機関である新撰組に狙われている龍馬達は、治安を脅かす"犯罪人"の位置にあるのだ。

(違う)

 志士達の志が途絶えなかったからこそ、昭和の世があるのだ。この時代の悪は、自分の知る悪とは性質が異なる。現代に当てはめて道理を考えるのは間違いだ。


 藩邸が見えて来ると、心臓の鼓動が一気に速くなった。

 龍馬がうろうろと歩き回って居ない事を祈りながら、木門の前に立った赤井は門番に扉を開けて欲しいと頼んだ。

 いつもは声を掛けなくても直ぐに扉を開けてくれるのだが、赤井に一瞥をくれただけで門番は動こうとしなかった。

 後ろから赤井を押しのるように出て来た土方が門番の前に立ち、頭を軽く下げた。

「私は新撰組副長土方歳三と申します。大久保様に御目通りしたく参りました」

「生憎、お屋方様は不在にしておりますゆえ、日を改めてお越し下さい」

「留守なのは存じ上げております。ご許可を頂きたい件があり、お目通り願いたいと大久保様にお伝え願えるでしょうか」

「確かに承った」

「では、夕刻にまた尋ねさせて頂きます」

 土方は、それまでに荷物を纏めておけと言い残し、もう一度門番に頭を頭を下げるとくるりと向きを変えて歩いて行ってしまった。

 とりあえず、中に入らずにすんだと安堵の息を漏らす。

「中へどうぞ。ご自分の部屋からは出られないようお願いします」

 門番は笑うでもなく、いつもと様子が違う門番の脇を通り、潜り戸抜けて中へ入った。


 藩邸内は静かだった。

 夕刻まで聞こえている稽古の掛け声は聞こえてこず、不思議に思いながら廊下を行くと、静けさの原因を見つけた。

 大きな広間に塾生らが集まり座禅を組んで居たのだ。

 剣術には精神の鍛錬も必要となるため、禅を取り入れている道場も少なくはない。幕末であろうが現代であろうが、それは変わらないらしい。


 龍馬の部屋を通り過ぎようとした時、中から声がした。

「戻ったか」

 足を止め廊下に座ると、障子が開いて龍馬が顔を見せた。

「ちっくと中へ入らんか」

「はい」

 障子を閉め、難しそうな顔つきの龍馬の前へ座る。

「おんし、新撰組に行っちょったがか」

「えっ?」

 土方は門を潜っていない。潜ったとしても、この部屋からは門を見る事が出来ないため、土方の来訪を龍馬が知る事はできないのだ。

「おみつさんが、土方くんと歩いちゅうおんしを見たと、さっき知らせにきたちや」

「おみつさんが・・・」

 おちおち歩く事もできないと、ため息を吐くしかなかった。

「話そうと思って来ました」

「ほうか」

 しばしの沈黙の後、胡坐をかいた膝の上に頬づいた龍馬は、厳しい目線を赤井に投げた。

「おんしが新撰組に行っちょったが理由はあえて聞かん。ほりゃあ自分の意志ろう?」

「はい」

「なら、わしはなーんも言わん」

 双方の立場を知っているだげに、詮索を受けるものとばかり思っていた赤井は、肩透かしをくうことになった。

「土方くんと知り合いじゃったがは吃驚したぜよ」

「知り合ったのは今日なんです。使いの途中、新撰組を見つけて・・・土方さんと目が合って、まずいと視線がそれた隙に逃げたんですけど、後を追いかけられ呼び止められたんです。話しの流れでつい、剣術の修行に出て来たと言ったら、屯所に来いと言われたんで、その、興味半分で」

「行ったかが」

「はい。龍馬さんに言ってから出るべきかと思ったんですが、返って心配をかけそうだったんで、黙って出ました」

「ほれで、おんしは新撰組に行くがか」

「・・・成り行きでそうなりましたが。行ってみたいと思います」

 龍馬がにっこりと笑顔を浮かべ、赤井の膝に両手を乗せた。

「わしらが正しく、新撰組が正しくないとは言わん。どちらも自分で決めた志を通そうと必死になっちゅうき、おんしも信じる道を進めばええと思っておる」

「はい」

「けんど、あえて止めさせてもらうぜよ。今一度、よおく自分の心と相談するがじゃ」

 

 荷物をまとめると言っても着替えしかないと、部屋を見回して苦笑する。

「驚くだろうな、村木の奴」

 新撰組に行ったと知ったら怒るだろうか。それとも、選んだ道ならと納得してくれるだろうか。

 と、片付ける手を休めず考えた。

「あ・・・」

 赤井は、まず先に考えるべきだった事を、行くとなってから思い出してしまった。

 新撰組に行けば、龍馬達とは敵対の立場になる。必然と志士側に居る和奈とも敵対関係になる。

(あいつとやり合う・・・のか?)

 新撰組としての自分が目の前に立てば、間違いなく和奈は剣を抜くと思えた。

 武市を救いたいその一心だけでは、無謀な救出に飛び込んで行けはしない。和奈にもなにかしらの志があるのだ。

 だが自分はどうだ。土方の志を理解した訳でもない。かと言って、龍馬達の志も同じく理解していない。

 どちらの意見が正しいのか判断もできず、宙ぶらりんな状態で道を選ぼうとしている。

「いや」

 どういう経緯であれ、新撰組へ行くと決めたのは自分の意志だ。それに、土方の語る言葉が、龍馬が口にした言葉よりも心に響くものがあった。それだけで和奈の様に命を張れるかと聞かれても、判らないとしか答えられない。

 判るのは、土方の志をもっと聞いてみたい、ただそれだけだった。


 風呂敷に纏めた荷物を手に、つかの間の自室だった部屋を見回した。

「ほんと、何にもないな」

 朱色に染まった障子を閉め、龍馬の部屋へと向かった。

「やはり、行くのか」

 優しい声が中から聞こえたが、障子が開けられる事はなかった。

「はい。皆の事は何も話しません。桂さんと約束した通り、未来の事も語りません。一から、始めて見たいと思います」

「淋しくなるな」

「色々とお世話になったのにお礼もできず、こういう形で行く事を許して下さい」

「死ぬなよ修吾郎。生きて、生きて生き抜いてくれ。それだけがわしの願いぜよ」

「才谷さんも、どうかお気をつけて」

 両手を付き、深く頭を下げてから、赤井は部屋の前から立ち去った。


 玄関に出ると、運悪く戻って来たばかりの大久保と鉢合わせしてしまった。

「お帰りなさい」

 不機嫌そうに上がって来た大久保は、何を言うでもなく赤井を一瞥すると廊下の奥へと歩いて行った。

「相変わらず無愛想だな」

 玄関で座って待って居ると、門番に連れられて来た土方が姿を見せた。

「唯今大久保様にお伝えして参りますので、暫くここでお待ち下さい」

 出迎えに出て来たおみつはそう言うと、踵を返して廊下へと消えた。

「豪勢な屋敷だな」

 ぐるりと玄関を見回した土方は、吐きすてるように言った。

 仮住まいである屯所と比較するのは間違って居るとは思いつつも、豪勢な欄間や磨き上げられた床、玄関から内部が見えないよう置かれて居る屏風等で、格の違いを見せ付けられている気分になった。

 暫くしておみつが戻って来ると、土方に軽く頭を下げて手を斜め下に差し出す。

「大久保様がお会いになるとの事にございます」

 失礼する、と上がった土方と赤井を、おみつは大久保の待つ部屋へと案内した。


 通された部屋に入ると、下座に座して手を付いた土方が、腕組をしたまま座って居る大久保に向けて頭を下げた。

卒爾(そつじ)お伺いした非礼をお詫び申し上げます。私は新撰組が副長を務めさせて頂いております、土方歳三と申します」

 丁寧な言葉だったが、大久保の表情は変わらない

「こが度は、如何ような用にて参ったのか」

「はっ。後ろに居ります赤井修吾郎を、私ども新撰組にてお預かりしたく、お許しを頂きに参りました。局長近藤勇からもその旨許可を得ております」

「その者が行くと申すなら、止める由はないと申し伝える」

「ありがとうございます」

 顔を上げた土方は、大久保を視線で捉えた。

 たた座って居るだけなのに、何をも言わせぬ気迫が全身に纏わり付いて来る。

(これが、薩摩の大久保一蔵か)

 幕府寄りを示す薩摩の中に在って、尊王攘夷派である各藩士との連絡密度が高いのはこの大久保である。潜伏している志士達とも交流しているのではと懸念を抱いているが、確たる証拠がある訳ではない。会津と手を組み、長州を京から追い出した相手だ。探りを入れたくとも、早々下手な動きなど出来ようもない。会津との繋がりを退けても、幕府と朝廷両方に人脈を持つ大久保が相手では、藩邸周辺に密偵を置くだけに圧し留めなければならないのが現状だった。

「それでは、確かに赤井修吾郎をお預かり致しました」

 あっさりと許可された赤井は、呆気に取られ、土方が立ち上がっても動こうとしなかった。

「おい、なに呆けて座ってるんだ?」

「えっ、あ!」

 肩を叩かれて漸く我に返り、腰を上げようとして動きを止めた。

 座り直し、両手を畳に付けてゆっくりと大久保へ頭を下げた。

「色々とお世話になり、ありがとうございました」

「・・・堅忍不抜の心にて、日々精進するがいい」

「ありがとうございます。では、これにて失礼仕ります」

 赤井はもう一度頭を下げると、土方と共に薩摩藩邸を後にした。


 陽が落ち、夜の闇が幕を下ろしている。

 龍馬の所へとやって来た大久保は、縁側で一人ぽつんと座るその姿にため息を吐いた。

「小僧が選んだと同じ、これもまた人の道の一つだ」

「行ってしもうたがか」

「ああ。願わくば、若者には未来に生きてもらいたいものだ。なあ坂本くん」

 その為に、日本を洗濯しなければいかんのだと、龍馬は背中越しに言った。

 洗濯かと大久保は笑った。

「時は止まってはくれぬ。ゆえに、我らも足を止めてはおられぬ」

 龍馬は、大久保の言葉に何度も頷いてから、庭に影を落とし始めた月を見上げた。

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