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幕末奇譚 『志士 狂桜の宴』  作者: 夏月左桜
奇譚四幕 烏兔怱怱
16/89

其之三 接点

 夏が終わり、季節は秋へと過ぎようとしていた。

 長州征討の勅命が出されて間もなく、幕府は前尾張藩主徳川慶勝を総督に置き、福総督に越前藩主松平茂昭、参謀に薩摩藩士西郷吉之助を就かせた。


 決定を受けた西郷は、征伐前に勝海舟に会う意向を固め、九月に入って神戸へと出向いた。

 勝は薩摩のみならず、土佐やその他多くの脱藩者を塾生にし神戸で海軍塾作った幕臣だ。

 神戸海軍操練所を設立させ、神戸を東洋で一の湾港にと画策した。しかし、勝を好まない幕臣からの横槍が入り、軍艦奉行を罷免されて今は蟄居(ちっきょ)の身となっている。


 奥座敷に通されている西郷の所へ、勝海舟が遅くなったと姿を見せた。

「よう来なすった。某が勝海舟と申しやす」

 畏まり頭を下げる勝に、西郷は起立し同じく頭を下げた。

「私は西郷吉之助と申します。こん度は是非ともご意見を拝聴致しと、ご無理を言うて時間を作って頂き、ありがとうございます」

「良かったら、堅苦しいのは抜きにしましょうや」

 参謀として薩摩を率い長州へ向かうのだと西郷は言った。

「あんたが行かれるのかい。で、こんな蟄居者になにが聞きてぇと?」

「いけんお考えになっておいでになるか、です」

「考えねぇ。なら、ちっと聞いてもらおうかね」

 勝は腕を組み、目の前の巨躯な男に笑いかけた。

「おいらは、このしらけて来た国をなんとかせねばと考えてるんですよ」

「それはおいも同じです」

「幕府が夷国からの圧力を受け、対外政策の意見を諸藩に求めなかったのが、そもそもの間違いだったのよ。あれからこの日本は混乱を始めた、違うかい西郷さん」

 井伊が起こした安政の大獄のことである。

「その国内の混乱を収むうが幕府と考えもうす」

「この期に及んで、権勢を取り戻そうと躍起になってみても、国内在藩一致の協力なくして事態の収拾は図れねぇとおいらは思ってる。倒幕に傾く藩も出ているのは事実だろう? 長州討伐は火に油を注ぐ事にしかならねぇ」

 長州と薩摩の密約を知っているのか、意味ありげな眼で西郷を見る。

「小せぇ事にいちいち拘っているようじゃ、幕府も先が見えると言うもんだ。幕府だ、薩摩と言っても所詮同じ日本という国が在ってのものじゃないか、違うかい? 長州との戦は夷国が介入する口実をあたえるだけだ。そうなったら、それこそ一大事というもんだ」

「仰う事はゆうと解いもうすが、幕府の建て直しを謀うのが目下の課題だと思っておいもうす」

 それも間違いじゃないがと、勝は目を伏せ腕を袖に入れる。

「平和呆けした幕臣は役になんざ立たないよ。国政そっち退けで、手前勝手な身の保身に走るばかりの馬鹿揃いときてる。倒幕と諸藩が騒げば、怠慢が過ぎたのを棚上げし戦をおっぱじめる。そんな役人が国を台頭してるのが今の日本なんだ。まったく、いつからこんな情けない国になっちまったんだろうなぁ」

 幕政批判を平然と言ってのける勝に、西郷は何と言えばいいのか判らなかった。

 だが、不思議と嫌悪感は沸いてこない。道理を考えれば、勝の喋る内容は間違っていない。幕臣として真剣に国の行く末を憂いている勝に、西郷は好意を抱いた。

「馬鹿共の為に命差し出すなんざしたくねえ。したくねえが、日本という国は守りたい。だから、長州を敵に回さず、話し合う余地があるなら説得し、他の諸藩も巻き込んで政を運び国を強くしなくちゃいけねぇ。それがおいらの本音だ」

 諸藩による議会政治確立の必要がある、と勝は言ったのだ。

「話しはゆうと解いもした。おいに今回の討伐は回避しろと、勝さぁは仰るのでしょうか」

 勝はそうではないと笑った。

「西郷さんも持論はお持ちだろ? 意見を聞きてえって言うから喋ったまでだ。おいらの意見とおまえさんの持論がどう噛みあうかなんざ解らねぇが、一番いい解決策を考えてもらいたいんだよ」

 西郷は考えを巡らせている。

「こんな機会なんてそうそうあるもんじゃない。西郷さん、あんたを見込んで言うんだが、一つ頼みごとを聞いちゃくんねぇかい」

「勝さぁがおいに頼み事ですか」

「なにね。征伐とは関係ないんだが、操練所がなくなったのは知っていなさるよな?」

「ええ」

「行き場をなくしちまった奴らが出てるんだが、そいつらの身を頼まれてやってくんねぇかい」

 海軍操練所には脱藩者が多いと知っていたが、薩摩の者もかなり在籍していた。

「頼みでなくとも、お引き受けしもうす」

「助かったよ。どうしたもんかと考えあぐねちまってたところなんだ」

「しかし、勝さぁは多き事を考えとうんですな」

「やるだけの事はやって、後の事は心の中でそっと心配していたら良いんだよ。どうせなに考えたって、なるようにしかならないもんだ」

 そう言い、冷めたがお茶の一つでも飲んで行ってくれと湯飲みに手を出した。

 暫くはとりとめのない話をしてから、そろそろ帰りますと西郷は席を立った。

「色々とご意見を賜れたのは、こん西郷、本当に嬉しかちゅうこつでした。これから、いけん行動すうかはおいの考で決め、日本のこれからを考えて行きたいと考えもす。今日はありがとうございました」

 それがいいよと勝は首を鳴らし、西郷を見送りに玄関へと出て行った。



 幕府は諸藩に対し、出兵要請を含む御布令を出した。

 いくら命とは言え、藩財政に圧迫をかける出兵要請と参勤交代、それにに加え妻子の江戸在籍復活に腹を立てる諸藩が大部分であり、財政難を圧してまで出兵に応じ、長州討伐を断行して幕府の権勢を回復させてしまっては、更なる無理難題を押し付けられかねないとの懸念もある。

 この状況下、将軍自ら兵を率いて出陣すると聞いて、士気を上げる藩は少なく、反対に、芸州や因州などからは、日本へ攻撃を開始した四国艦隊相手に長州藩のみが戦い、日本を守らなければならない幕府がこれに助力もせず、討伐に赴くとは仁後に落ちる愚行だと避難の声を上げていた。


 薩長の同盟を一刻も早く締結させたい龍馬だったが、肝心の西郷とは長州征伐直前もあり会う事が叶わず、焦燥感にさいなまれながら薩摩藩邸に居座っていた。

 西郷と会えるまでは動くなと釘を刺し、中岡が京を発った数日後、藩邸に神戸海軍塾の塾生達がやって来た。

「なぜ海軍塾生がここへ来るんですか?」

「吉之助が引き受け、私に押し付けたからに決まっているではないか」

 難儀だと言いたげな顔で、大広間に居並ぶ男達を見回す。

「西郷さんが? なんでまた」

「薩摩出身の者も居るからだろう。脱藩している訳ではないゆえ、無下に断る事もできん」

 それだけ言うと、むさ苦しい男の顔はもう見たくないと、自室へ引き上げて行った。


 塾生が来た日から、龍馬は変名を通し土佐弁も使わなくなった。どこから情報が漏れるか判らないためである。

 塾生の中には見知った顔も居たが、様様な者達が集まる場所で龍馬の名を口にする者は居なかった。土佐から塾に入っている者のほとんどは脱藩者だ。その変の配慮は心得えている。

「才谷さん」

 赤井が廊下をやって来ると、縁側に足を下ろし、ぷらぶら揺らしている龍馬の横に腰を落ち着けた。

「修吾郎か、どうした?」

「塾生の方達とは知り合いなんでしょ? いいんですか、こんな所で油売ってて」

「油を売るなら長崎の方がいいに決まっとる」

 赤井は、これは駄目だと肩を落とした。

 気抜けした龍馬は性質が悪い。いつ何時自分の目を盗んで藩邸を飛び出して行くか知れたものではない。

 実際に二度、龍馬は逃走を図っていた。いずれも藩邸の監視に付いていた新兵衛によって発見され、未遂となってはいたが、三度目が無いとは言い切れない。

「西郷さんも戻って来ないしなあ」

 事あるごとに、大坂へ出向くから会ってくれるよう伝えて欲しいと大久保に詰め寄ったが、西郷から会うとの返事が来なければ無理だと突っぱねられていた。

「慎太が消えて、おまえも暇になっただろ」

「稽古と読み書きを覚えるので手一杯なんです、暇なんてありませんよ」

「ほう」

 最初に会った時より、幾分物腰が柔らかく丁寧になったなと龍馬は思った。同年代の者達と接することで、馴染み出しているのは確かだろう。礼儀作法も、大久保が近くに居るせいで、必要と覚えたに違いない。

「悩みといえば、大久保さんに啖呵切ってしまったじゃないですか。嫌われるのは解ってるんで、正直ここにいずらいと言うか」

 廊下ですれ違って、挨拶をしても大久保は視線を合わせる事みなく素通りする。大広間に姿を見せる事はないが、その存在自体が赤井にとって悩みの種となっていた。

「あの人は誰にでもああだから、気にする事はない」

 そんな事はないと、赤井は思った。

 現に、和奈に対する態度は自分に対するものと違う。もちろん、龍馬に対しても同じだ。

 大久保は自分が認めた者には誠意を持って事を運ぶが、関心のない者に対しては感情を見せないどころか、相手にすらしない。

 それが赤井の抱く大久保像だった。

「いっそ、和太郎んとこへでも行ってみるか」

「駄目ですよ。ここから動かすなと慎太さんからきつく言われてるんです、見逃したとなったら、俺ぶっ殺されます」

 泣き顔そうな顔でそう訴えられた龍馬は、ぶぅと口を尖らせた。

「そんな顔しても駄目なものは駄目です」

「むぅ。しかしのう、柳川が気になって仕方ないんだ」

 間崎らに下された処罰について、すでに長人の手で桂にも知らされているだろう。事を知った後、武市がどう動くのかが気掛かりでならなかった。

「心配ないですよ。あの桂さんも居るんですから」

 それはそうだ、と龍馬は笑った。

「才谷様」

 客が着ていると、おみつが知らせに来た。

「俺に?」

「はい。才谷様に会いたいと、勝海舟様がおいでになられております」

 おみつは小声で耳打ちした。

「先生が!? 」

「先に大久保様へは伺いを出しています。こちらにお通ししてもよろしゅうございますか?」

「おお、早く通してくれ!」

(勝海舟!? また大物がでて来たよ)

 次から次へと歴史上の偉人が現われる。

 大業を成した男達が生きた時代で、その中心となった坂本龍馬の側に居るのだから仕方ない事ではあるが、赤井にしてみれば雲の上の人ばかりなのである。

(あいつには解らんだろうなあ)

 勝と聞いても、誰? と和奈は首を傾げるに違いない。剣術を習っているのに、半次郎の名前を聞いても驚く素振りを見せなかったのだ、歴史などとんと覚えていないのは明らかだった。

「久しぶりだな」

 部屋に入って来た勝に、お久しぶりですと、龍馬は頭を下げた。

「ああ、やめてくねえか、こそばくっていけねえや」 

「あはははっ。先生は相変わらずですね。しかし、またなんで京へ?」

「いやなにね。西郷さんにちっと頼みごとをしたもんだから、気になってよ。おまえさんもここへ厄介になっていると聞いて、居ても立っても居られなくなって来たんだよ」

 嬉しそうに身を乗り出して頷く龍馬は、まるで子供の様に見えた。

「ああ、塾生の件ですか? なぜ西郷さんがって思いましたが。会われたんですね」

「一度ね。いい男じゃないか」

「一度? それで塾生を引き受けたんですか。即断実行とは、さすが器の大きい人は違いますね」

 何かを思い出した勝は手をぽんっと叩いた。

「そういや、西郷さんて人はよくわからん人物だと、おまえさんは言ったね。もし馬鹿なら大きな馬鹿で、利口ならば大きな利口の男だと。なんてことはない、利口の方の男だったよ。ちゃんと自分が進むべき道が見えていなさる。いや、なかなか大したものだよ」

 そうでしょうそうでしょう、と肩を揺らして喜んでいる龍馬を見て、ふっ、と笑った後、視線を庭へと投げた。

「・・・間崎さん達の事は聞いたよ」

 顔から笑みが消え、強張った体で悲壮に暮れた龍馬を見て勝は眼を細めた。

「ほんに、わしは力がのうていかん」

 呟いた声は、その風体に似合わない弱い響きだった。

「大事を成すには命が長くなくてはだめだ。おまえ達はその肩に死んだもんの想いを背負ってるんだろ? 落ち込んで足を止めてては、先に逝った者達に申し訳がないじゃないか」

 それは解っているんですと、いつになく意気消沈している龍馬に、勝はいけねえいけねえと繰り返した。

「落胆するよりも、次の策を考える方の人間だ。そう言ったのはおまえじゃなかったのかい?」

 はっ、と頭を上げて勝の顔を見た龍馬は、悪戯を見つけられた子供の様に頭を掻いて笑った。

「ええ、そうでした。申し訳ない」

「まあ、こんな世の中だ。知った顔が明日にはもうな居ないなんざ、ざらにあるこった。哀しい事だけどな。だが、おまえさんはそれを変えたいと言ったんだ。なら、(つまづ)いてちゃあいけねぇよ」

「ぞうでした。まっこと、お恥ずかしい限りです」

 幕臣である勝と、倒幕を目指す坂本龍馬の関係が赤井には不自然に見えた。敵同士である立場でどうやって信頼関係を保っているのか、それが理解できなかったのだ。

「ん? その後ろの坊主は誰だい? そう言や、慎太の顔も見えねえが、居ないのかい?」

「ええ、慎太は京を出ました。この男は赤井修吾郎と言って知人から預かってます」

 ほう、と赤井へ向く。

「初めまして、赤井修吾郎です」

「おいらは勝海舟ってんだ、宜しくな。こいつとは海軍塾からの腐れ縁なんだ」

「海軍塾、ですか」

 歴史を知っている。とは言え、細部に渡って学んだわけではない。大まかな流れと、大きな事件、それに関わった人物しか知りえていない。海軍塾と言われても、龍馬と勝の繋がりを連想させる知識はなかった。

「懐かしいねえ。あの日の事は、今でもよおく覚えているよ」

 何を言い出すのかと、龍馬は慌てた。

「べつに疚しいことじゃないだろう」

「塾生だったんですか?」

「それはそうなんだが。最初はね、おいらを斬るつもりでやって来たんだよ」

「えっ? ええ? 斬りに!?」

 斬りに来た相手とこうして談笑する仲になる経緯を、上手く片付けて収める事ことができない。

「なぜ、斬りに行ったんですか?」


 遣米使節の一員として海外に渡り、情勢を実際に見聞きした勝は、国内に広がる平明な攘夷論を批判した。列強国に対するには海軍創設の必要性と軍の強化、開国が必要であると説いていた。

 勝の噂を聞きつけた龍馬は、交流のあった越前福井藩主松平春嶽に話しを是非とも聞きたいと、紹介状を書いてもらい勝を訪ねた。

 話しを聞いて、日本を外国へ売ろうとしている幕臣であれば、斬ってやろうとの心構えを持って。


「松平殿の紹介とあっちゃあ、会わないわけにはいかねえ。だから家に通した。話しを聞きたいと切り出したが、斬るつもりがあるのはすぐに解ったよ」

「ばればれじゃないすっか」

「阿呆いうな。気構えを見せただけだ、気構えを」

 大きな笑い声が響いた。

「いい目を持ってる男なんざそうはいない。だからよく覚えるのさ」

「でも、どうして勝さんを斬ろうとしたんですか?」

「相手を調べもせず、攘夷断行を国是にしようと動く者は、相手が如何に強大であるのかが解ってない。こいつもそんな一人だった。攘夷と駆け回る中、おいらの事を聞いて、西洋に骨抜きにされた幕臣と思って来たんだ」

「もうええ、よしとうせ」

「いいじゃねえか。ここに、おいらの話を聞きてぇって奴がいるんだからよ」

 そう言って、興味津々になっている赤井に笑いかけた。

「今の日本は海外に餌をタダでくれてやってようなもんだ。海外で金や銀と言えば驚くほどの価値がついてる。幕府や諸藩相手に商売をして金銀を手に入れ、海外で売る。奴らにとっちゃ、これほど旨い商売はない。その利益で奴らは新しい武器や軍艦を作り、国を強くしているんだ。なら日本も貿易を発展させ、日本を強くするために沿岸の強化、海軍の増強を必要不可欠な課題として見なくちゃならねぇ。いい例が亜米利加だ」

 渡米した時に見た大陸の近代化、沿岸に敷かれた砲台の堅固な砦は、勝にとって衝撃でしかなかった。アメリカに攻め込まれれば、江戸も京も、一日として持ち堪えられないだろう。結果、日本は清国のように占領されてしまう。

 勝が帰国後、富国強兵を基盤に、海軍強化に奔走したのは、至極当然の事だが、幕臣の多くは、絵空事として本気で知り合おうとはしなかった。たった一人、家茂だけは勝の意見を重要と考え、勝の望むままにさせた。

 それも過去の話しである。既に海軍局は閉鎖となり、勝が目指していた日本海軍は夢と消えた。

「意見の食い違いなんざよくあることだ。肝心なのは、掛け違えたもんをどう上手く元に戻すのかって事なんだよ。だが、それができる者が少ねえ。少ねえから揉めちまって、諍いが起きる」

 それがこの幕末を二分する事態を生んでいるのだと、勝は嘆いた。

「一時の気紛れで来たんじゃないと解ってたから、話しても通じない時は、斬られてもいいさと思った」

「直心影流皆伝なのに、簡単に切られてどうするんですか」

 もう勘弁と、手をすり合わせて懇願する龍馬を笑い飛ばした。

「その・・・」

 赤井が何か言いたそうにしているのを、楽しそうな顔で見る。

「えっと、才谷さんは、その、敵側なんですよね?」

「敵? ああ。幕臣のおいらがこいつの所へ来るのが不思議なのかい」

「はい」

「おいらの敵は、志士でも倒幕派でもない」

「えっ?」

「外国さ」

 若い者が増えるのは、おまえにとってもいい刺激になるだろうと、勝はそれ以上語らなかった。

「おまえさん達とゆっくり酒でも飲みたいところだが、おいらもやる事があるんで今日はこんくれえで失礼させてもらうよ。時間を取らせてすまなかったな」

 海軍塾はもう解散になったのに、何を急ぐのかと聞く龍馬に、いちいちおまえに教える必要はないと勝は部屋を出て行ってしまった。

 二人が消えた部屋で一人、赤井は父親の事を思い出し、深いため息をゆっくりと吐き出した。



 長州では、内政の混乱を収めようと俗論派が躍起になり、藩政を抑えたい桂達と対立する様相を見せ始めていた。

 藩庁から戻って来た高杉は、桂が沢山居て意見が纏まらず困ったと愚痴を吐いた。

「そこまで僕は堅くなどないよ。一緒にされるのは、どうも気分が悪い」

 桂はぼやいた。

「今回の惨敗で、椋梨が政権を持って行くのは間違いない」

 すでに松下塾系の下級藩士らはその圧力に押され、藩政から後退させられてしまっている。

「俗論派の擡頭(たいとう)は幕府に恭順する事になりかねん。そうなれば幕府軍の進軍にどう出るか解ったもんじゃない」

 薩摩との密約も、幕府軍参謀に西郷が就いているのでは会談どころの話しではない。

「あの時に会合が成っていれば、強硬手段を強いて藩政を手中に収められた」

「今更言ったところで、どうにもならん。俺はしばらく様子を見る。という事でだ、萩を出るぞ」

 出てどうするんだと、気抜けした表情を浮かべる。

「機を待つ。お前もどこかに潜伏していろ。幕府が動き、戦を回避しようと椋梨が幕兵を受け入れれば、俺とおまえは斬首だ」

「縁起でもない」

「俺も斬首なんか願い下げにしたい。椋梨の出方によっては、奇兵隊を使ってでも藩を取り戻す。それまでの辛抱だ、小五郎」

「奇兵隊ね」

 この男の頭の中には、何か策が構築されつつあるのかも知れない。が、何も考えていない、という厄介な可能性もあるのは事実だ。

「俺が伝令を送るまで戻って来るなよ」

 高杉の体調が気掛かりだったが、何かを決めて動き出した男に、何を言っても無理だと承知している桂は、言われた通りにすると答えた。

「そうだ、和太郎達は俺が連れて行くぞ」

「どうしてそうなんるんだ!」

「荷物が居ては厄介だろう? お前の事だから、情報収集に駆け回らんと気がすまんだろうから、面倒は俺が見てやると言っているんだ」

 そう言われしまっては、沸かした湯を冷ます他はない。

 確かに、情報は集めておくに限る。

 高杉の言うように、和奈が居たのでは思うように行動できないのは確かだった。

「逃げの小五郎の異名、存分に見せてもらうぞ」

 高らかに笑う声に、庭で稽古に励んでいた和奈と武市が動きを止め、二人の方を見た。

「その言い様だと、すぐなのか?」

「ああ」

「解ったよ。晋作のしたいようにするといい。今夜は和太郎と過ごすいい口実ができたと、喜んでおく」

 おまえ、それは駄目だと慌てる高杉に、それくらいの配慮はしてくれと突っ返す。

「おまえじゃないんだ、とって食おうなんて考えてない」

「あのなぁ!」

「そろそろ、おのうさんに会いたくなったんじゃないか?」

「くそ! 変な所で思い出させるな!」

 そう言えばも幾松にも会っていないなと、桂は京に置いてきた女を想った。

「悪いけど、僕はそうさせてもらうよ。さあ、和太郎に話ししに行こうじゃないか」

 けっ、と不貞腐れ、飯の後にすると自室へ引き返してしまった。

「馬鹿な男だ、まったく」

 風邪だと言ったが、咳の感じから労咳を患っているのは間違いないと思えた。でなければ、おのうを遠ざけてまで一人で居る理由が見当たらない。

 労咳なら、数年後以内に高杉の命はこの世から消える事になるだろう。

 踏み留まってはいられないないのだ。ならば、せめて高杉の志が叶うその日までは、病に息を静めてくれと、桂は願うしかなかった。



 征伐を前に、征長総督に就いてた徳川慶勝への目通りが叶った西郷は、芸州や因州を始めとする西国の諸藩から、不満の声を伝える機会を得た。

「乍恐、この度の討伐に於いて、如何したものであるか艱苦(かんく)致しており、ご説をば賜りたく、参上仕った次第にございます」

「して、我に口述をし、お主はどう挙止したいと申す?」

「是迄が経緯もあり、長州藩に恩顧(おんこ)する諸藩も数多く出ております。加え先の攘夷討の折、幕軍が上洛しておるにも関わらず危急にと出兵も致さず、無勢となった国へ大挙強行するのは、仁厚(じんこう)凋落(ちょうらく)す行為であると諌言(かんげん)して来ております」

「お主は討伐をするなと申すのか」

「そうではございません。なれど、今一度、存念致し諸藩の説をば吟味するのも大切と申し上げております」

「諸藩の意向を汲めということか」

「幕政の回復に、寛大な措置も必要かと存じ上げますれば、長州への降伏提言を行って後、進軍の是非をご考慮致されるのも戦法の一つかと」

 慶勝は思案に暮れた。

 西郷の言う道理も確かだが、ここで逆賊となった長州へ恩情をかけるのは、諸藩の増長の原因になるとの危惧の念も捨てられない。もしそうなるなら、このまま幕兵を進軍させるべきではないかと思案に暮れた。

「進軍にて情勢を悪化に導くより、降伏させた後、事態収拾を謀る方が西国諸藩の誹謗(ひぼう)も収まり尊厳も保たれましょう」

 長州藩を取り潰す事には反対を提示し、降伏させてそのままの現状維持をと考える諸藩も多い。

 攘夷遂行の為には、長府の地理的要所も必要なのである。西郷にとっては廃藩させるより攘夷戦略に取り込む方が、策も多種になるのだ。

「言い難い事を言いよる。よかろう西郷よ。お主に長州への降伏の交渉を任せよう。言うて(かしず)くならそれも良し、断れば即座に攻め入れば良し」

「寛容なるご配慮、恐縮にございます」

 とりあえず開戦を回避させた西郷は謝罪を引き出すべく、藩主毛利敬親に書簡を送る準備に取り掛かった。

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