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幕末奇譚 『志士 狂桜の宴』  作者: 夏月左桜
奇譚四幕 烏兔怱怱
15/89

其之ニ 戦の影

 武市の目に出来た傷も塞がったので、いつ長州へ発つか相談しているところへ、大久保の命と半次郎がやって来た。

「その節はご尽力頂き、ありがとうございました」

 丁寧な挨拶をされ、困った表情(かお)のまま、半次郎はこれまた丁寧にお辞儀をして礼を返した。

「皆さぁが長州へ発たれるなら、必要だろうからこれを渡して来いと仰せつかって来もした」

 そう言い、懐から出した手紙を武市に差し出す。

「忝い。必ずこのご恩はお返し致すと、大久保さんにお伝え下さい」

「頼まれてした事ではあいもはん。そげん心配は無用にございもす。道中、恙無い道にないもすごと、おしも祈っておいもす」

 夕餉を共にと勧めたが、長居せず戻るよう言いつかっているからと、茶を一杯啜っただけで早々に帰ってしまった。

 お京が茶を入れ直してくれている間、手にした手紙の封を開けた武市は、中に折り畳まれていた紙を取り読み始めた。

 横に座っていた和奈は、興味をそそられ紙を覗き込んたのだが、書かれているのはミミズが這った様な字だったので読むのを諦め、お京が持って来た茶に手を伸ばした。

 武市がくすりと笑う。

「字は苦手か」

「はい・・・」

 この時代の文字が読めないんです、とは言えず苦笑を返すしかない。

 挟んであったのは手形だと武市は言った。

 関所を通過する旅には手形の携帯が必須となる。これは旅人とんる者の身分を証明するもので、名前の次に旅の目的を記す。書き付けて交付するのは、藩士ならば上役が、庄屋なら店主、僧侶なら高位僧といったように、いわゆる上司となるものが手形を書き、最後に印を押す。この印がなければ、署名があっても関所を通過する事はできない。よって、関所の役人は旅の目的よりも印の有無と偽造ではないかを厳重視し目を通す。

【手形の事 

一  山城国紀伊郡伏見桂木宗次郎、桂木京、同岩村新之助、村木和太郎出願御座候に付 

   此の度諸国神社へ参詣仕り候。往来の儀を願出し候

   此の者共薩摩藩紛れ御座なく候、所々御関所異議なく御通し下さるべく候

     伏見薩摩藩 薩摩藩徒目付 大久保一蔵

     元治元年七月

                       所々御関所 御役人衆中】

 武市が声に出して内容を読んでくれた。

「神社巡りするんですか!?」

「時期が時期だからな。剣術指南よりその方が注意を向けられにくい」

 武市達は帯刀の身であるため、庶民の使う往来手形ではなく関所手形が大久保より交付されていた。しかも、堂々と自分の名を書き、印を押して保証人となっている。

「長州へ行くというのに、肝が座り過ぎだろう、これは」

 道中騒動を起こすなと釘を刺しているのは明白だが、禁門の事件後に薩摩藩の者が長州へ行くとなれば、悶着を起こそうと思わなくても起きる可能性はある。

「桂さんに伝聞も出せたものではない」

 大久保と桂が既知なのは一部の限られた者しか知らない。わざわざ桂が関所に出向いてくれても、良しと通すのもこれまた問題と思えた。

「あれやこれやと考えて疲れるより、その場になって考える方が良い」

「僕はそのままだけど、武市さん達は名前が違いますね」

「武市と以蔵はもう使えぬからな」

 手紙を読みながら言った武市の顔が険しさを増して行く。

「武市さん?」

 しばらくの間黙って読んでいた武市の両手が、紙を持ったまま膝の上に落ちた。

「予想はしていたが・・・」

「先生?」

 脇へと腰掛けた以蔵は差し出された手紙を、不安そうに師の顔を見てから受取った。

「俺と以蔵はすでにこの世の者ではなくなった」

「えっ!?」

 意味が解らず、中腰で武市の方へ身を乗り出しす。

「言葉通りさ」

 悔しいそうに小さな息を吐いた以蔵は、すいませんと呟いた。

「おまえのせいではない。運が悪かった、それだけだ」

 しかし、以蔵はその言葉を受け入れることが出来なかった。

 自分の注意不足で捕縛されたばかりか、武市の体に鞭の跡を残してしまったのだ。悔いても悔い切れぬと歯を食い縛った。

「取り逃がしたと、御触れを出せばいいものを」

 手配者が死罪となれば、幕府の出した手配書から名が削られる。後藤象二郎が命を下しての土佐勤王党弾圧だったはずだ。それなのに虚偽を申し立て死罪と公表した。その真意が、武市には解らなかった。

「間崎さん達も、死罪でしょうか」

「恐らくな」

 囚われた三人が逃れられなければ獄門死するか、土佐へ送り返され、拷問されて自白すれば死罪は確定される。

「本当に申し訳ありません」

「今後悔したところで、仕方あるまい」


 暁七つ(午前四時)に大津を出た和奈達は、凸凹した小道を抜け街道を黙々と歩いた。

 手甲と脚絆を付けるのは慣れていた以蔵だが、穿き慣れない切袴が落ち着かず、度々立ち止まっては草鞋と脚絆の紐を結び直している。

 背負っていた大きな風呂敷包を掛け直し、駆け足で追いついて来た以蔵は頭を掻きながら頷いた。

「申し訳ありません、旦那さま」

「そこまで従者に徹っしなくてもいい」

 この時代、武士は一人で旅をする事はせず、必ず従者を伴う。

 武市が従者になれと言うより前に、以蔵は用意された荷物を背負って歩き出したのだ。自然と自分の置かれている立場を判断し、勝手に体が動くのである。

 大津宿から峠を越え逢坂辺りに差し掛かると、街道沿いに並ぶ茶店や土産物屋が目立つようになった。

 追っ手を警戒していたが、同行するお京を気遣いながらの出立に自然と足が遅くなり、三条大橋に着いけたのは昼八つ半(午後三時)を過てだった。

 加茂川に出て下鴨神社の方角へ足を進めて行くと、風に乗って煤けた臭いが鼻を突いて来た。その臭いの元が焼けた家屋であるのは、眼前に広がる光景で否応なく知る事が出来る。

「酷いな」

 暗い表情も晴れぬまま、京都丹波口から山陰道へ入った。

 夜五つ(午後八時)迄に亀山宿へ着くのは無理だろう。そう判断した武市は、一つ目の宿場樫原宿で宿を取った。

 どの宿場でも門限があり出入りは意外と厳しい。町の外にある木門が閉じるのは夜五つ、門が開くのは暁七つが通例である。入るのも出るのも、例え参勤交代で往復する大名行列と言えど例外ではないのだ。その為、野宿となった場合に備えて、行列には料理の材料・道具一式から風呂桶、藩主用の便器など必要な物が全て整えられ荷物に必ず加えられている。

「夜は出歩かんと、部屋でゆっくりとしったほうがええですよ」

 宿屋の主人が部屋へ案内してくれながら、そう小さな声で囁いた。

「何事かあったのか?」

「知らんのですか?」

 辻を警備する小浜藩士によって、京から落ち延びた長州藩士を討ち取ったのだと主人が耳打ちした。

「それでこの物々しい雰囲気か」

「へい。ああ、これを差し上げましょう」

 懐から(きわまり)(ほん)しらべ(かわら版)」と書かれた紙を武市に手渡し、食事の用意をさせて来ると一階へ下りて行った。

「京中の半分が焼亡したそうだ」

 行灯の火でかわら版を見ていた武市は、はらりと畳に投げ捨てた。

【朝五ツ時川原町二条下長州御屋敷より焼失同四ツ時 堺町御門より出火いたし折節北風はげしく夫より四方へさかんニ広かり 東は上にて川原町、下は加茂川、西は堀川、北は中立売南は野限り焼ぬけ申候。漸二十二日暮時火鎮り申候。又二十日九ツ時分、嵯峨天龍寺山、崎天王山両方共焼。遠国為御知らせ委敷相印候。凡家数二万五千計、凡かまど四万七千計、凡土蔵落千百ケ所計、神社仏閣五百ケ所計】

 禁門の変に単を発した戦火によって木造の家は軒並み焼失。その数は二万八千件に上った。

「長州屋敷って、三条の・・・」

「ああ」

 初めて武市達と会った屋敷が焼けたという喪失感より、郷愁を抱いた場所が無くなった事に悲哀を感じた。そう想った原因を知る事はもうできないのだ。

「鷹司殿の屋敷から出た火が風に煽られ、市中に広がったようだ。藩邸の火は逃げる時に火を放ったに違いない」

 藩邸には藩士だけでなく、京で活動する浪士達の出入りもあったのだ。万が一屋敷を探されてそれらが幕府の手に渡れば、長州の立場はますます悪くなる。

 沈んだ顔で手を握り締める和奈の頭を、武市はぽんっと叩いた。

「長州は、これからどうなるんでしょうか」

「わからん。今しなければならんのは、一刻も早く長州へ入ることだ」

「そう、ですね」

「ならさっさと寝ろ」

 武市の一言で行灯の火が消された。

 幕吏が居る夜だけに油断はできないと、外の様子を気にしながらの夜明かしとなり、眠気が冷め切らぬ中、朝靄の立ち込める樫原宿を後にした。

 道は至って単調だった。野山を歩く苦労もなく、宿を取りながらの道中だったので、歩ける距離は長くなった。とは言っても、和奈とお京が武市達の足に合わせて昼夜歩き詰めるのは無理がある。

 山陰道と北浦街道の分岐宿場である益田宿に着いたのは京を出て十四日目だった。

 町に入り宿を探して歩き回ったが、どこの旅籠屋も一杯という状況だった。仕方ないと旅籠屋に頼み込み、納屋を寝る場所に提供してもらい、その夜は雑魚寝となった。

「せめて屏風を借りてこよう」

 だがお京は必要ないと断り、以蔵の横に寝転がってしまった。

「なにもここで寝てなくてもいいじゃないか」

 腰に伝わるお京の温もりに、ただ慌てるしかない。

「あら、夫婦なんですから隣でもいいじゃありませんか」

「おま・・・あれはだな」

「五月蝿い」

 横になっていた武市の顔が振り向いたので、以蔵は口を閉じてお京を背に身体を横たえ、まんじりともせず夜を明かすことになった。

 翌朝、和奈達は山陰道へは下らず北浦街道へ入った。一つ目の須佐宿を過ぎれば次は萩だ。

 須佐でも益田と同様、旅籠屋は殆んど満員の状態だった。また納屋で寝るのはかなわんと以蔵が駆け回ったお陰で、小さな旅籠屋を見つけ雑魚寝には変わらなかったが、窮屈な思いをせず夜を明かすことができた。

「皆、早起きなんですね」

「だからと、こうも大勢が朝一で出るのはおかしい」

 急ぎ旅でもない限り暁七つに出立する者は多くないというのに、宿の外には旅支度を調えた人の往来を見ている武市の顔は曇っていた。

 不安を抱きながら街道を進んで行くと、萩が近くなるにつれて東へと歩みを進める者が増えてきた。中には農民らしい者も混じっている。

「先を急ぐぞ」

 何事があったのではと、聞くまでもなかった。

 長門国へ入る関所の木門が見え始めると更に人が増えた。進む先の門の奥には沢山の人影が見える。

 関所は京から下って来る者達よりも、反対に上る者への方が厳しい検問を受ける。手形に書かれた内容を確認する時間も違う。

 禁門の変で京から戻る者が多いのなら説明も付くが、門を潜った先には出国の順番を待つ長蛇の列しかない。

 出国者の対応に追われている役人の顔は、そのどれにも疲労の色が伺える。中には怒気交じりで対応している役人も居た。

 入国をと手形を出した武市達に、じろりとした目が向けられる。

「通っていい」

 入国の検閲に時間を割いている余裕がないのか、役人は手形を流し読みしただけで通してくれた。

「危惧するまでもなかったが」

 何事もなければ良かったと安堵するのだが、この状況を前にしては胸を撫で下ろせない。

「何か、あったんですよね?」

 言わずとも、間違いないことだろうが、和奈は口にせずには居られなかった。

「そうとしか言えんな」

 関所を抜けたところで、和奈の横から突然ぬっと影が出て来た。

「ひぇっ!」

 叫び声ともつかない声を上げた和奈は、剣に手を伸ばしながら横に視線を向ける。そこ立って居たのは、ニコニコと笑顔を浮かべて含み笑いを零す桂だった。

「桂さん!」

「よく来たね」

「びっくりしたぁ」

「伝令が来てね、そろそろ着く頃だろうから脅かしてやろうと待っていたんだ」

 悪戯っぽく笑っているが、その顔には疲れが見て取れた。この出国騒ぎが関係しているのは間違いなと思えた。

「酷いですよ」

「ごめんごめん。晋作も来たがっていたんだが手が空かなくてね。皆が来るのを心待ちにしていたよ」

「わざわざ出迎えて頂き忝いが、桂さんも多忙を極めているのではないのか?」

 その話しは着いてからと、桂は馬が繋いである場所を指差す。

「俺は徒歩で行きます」

 小者の身分で馬には乗れぬと、以蔵は断りを入れた。

「関係あるまい、気にせず乗れ」

 武市に言われては断り通すこともできず、以蔵は素直に馬上の人となった。

「乗れって、言われてもなあ」

 大きな足の栗毛の馬に近寄った和奈は、漆黒の目を覗き込んだ。不安を抱いた心を馬も察したのか、鼻息を荒くすると和奈から数歩後ず去ってしまった。

 その様子を見ていた桂が側に馬を進めて来る。

「乗れないのかい?」

「その通りです」

「おいで」

 手を差し出し、和奈を引っ張り上げると後ろへ座らせた。

「振り落とされないようしっかり掴まっておいで」

 横を見ると、以蔵が慣れた手つきで手綱を捌きお京を前に横座りさせていた。

「へぇ、しっかり乗れるんだ」

「おまえも練習しなくてはね」

 剣術でも一杯一杯なのに、馬術まで追加されては寝る時間がなくなると泣き言を吐いた。

「コツを掴めば簡単だ」

 さらっと言う桂は、簡単に乗りこなせたのだろうなと思う。

 手綱を取った桂は、馬の腹を軽く蹴った。

「武市くんから文を貰った時は驚いたよ」

「た、大変そうですけど、来ないほうが良かったでしょうか」

 回した両腕に桂の体温が伝わってくるのが気になってしまい、答えになってない答えを返す。速くなった鼓動を悟られないようにと、和奈は後ろへ少し体を離した。

「いや、京に居る方が危険だろうからね。良い選択だと思うよ」

 変なところで女性に戻ってしまう和奈に気付いたが、桂は素知らぬ振りで馬の速度を上げた。

 萩城下町の馬屋で馬を下りた和奈達は、町中のそこかしこに怪我をした者を見て息を飲んだ。

「これはなんと?」

 まるで戦をした後だと言わんばかりの光景である。

「落ち着ってから説明するよ」

 桂の家は白壁が連なる城下町東側の江戸屋横丁に在る。その通りを西側に二本戻った通りに高杉の家が在ると桂が説明した。

 床の間の在る庭に面した部屋に通され、人手がなく茶の一つも出せずすまないと桂は謝った。

「私で宜しければ用を申し付けて下さい」

「君は、確か大津で」

「はい。女中をしておりますお京と申します」

「帰れと言ったのだが、女手がなくては困るだろうと付いて来てくれた」

「そうか。だが長旅で疲れているだろう。茶は我慢できるから、まずは体を休めなさい」

「お茶を入れた後でそうさせて頂きます」

「なら、頼もう」

 お京が出て行くと、桂は疲れた顔を一層暗くした。

「折角来てくれたと言うのに、ちゃんとした持成しもできずに申し訳ない」

「気持ちだけ頂いておきます。それより、関所や町の様子はどうした事なのかお聞かせ願いたい」

「うん、そうだな。私が京から戻った翌月の事だ」 

 元治元年八月四日。

 イギリス・フランス・オランダ・アメリカの四国連合艦隊の来襲が近いことを知った藩主毛利敬親は、海峡の通航許可を出して戦争を回避しようと、伊藤俊輔を交渉に向かわせたのだ。しかし時はすでに遅く、四国連合艦隊は陸軍千三百五十名の戦闘態勢を整えており、交渉は受け入れられず、翌日になって艦隊は長府城山から前田砲台、壇ノ浦砲台へと砲撃を開始した。

「応戦も空しく、上陸した敵兵に各地の砲台が占拠され数時間で陥落してしまった」

 四国連合艦隊の砲撃と新式銃の威力を初めて知った、と桂は肩を落とした。

 二箇所の砲台を占拠した艦隊は、次に赤間関へ兵を上陸させた。結果は同じ。劣勢を強いられた長州軍は高地へ撤退し、彦島砲台は艦隊からの砲撃で壊滅に追い込まれた。

「夷国を追い返した経験もあり、藩庁は今回も勝てると高を括った。その結果がこの始末だ」

 語る言葉に、いつもの覇気は感じなかった。

「高杉くんは用があると言っていたが」

「うん。状況の不利を見て取った重鎮らがね、晋作を呼び戻して四国との交渉に当たらせたんだ。尻拭いに担ぎ出されたと知っているだろうに、文句一つ言うでもなく嬉々として出て行った」

「高杉くんらしい」

「僕も共に行くと言ったんだが、こんな状況では君達が気を使い帰ってしまうと、追い返されてしまった」

 それも理由だろうが、第一に桂の負担を少しでも少なくしたい高杉の配慮が大きいだろう。

「関所の騒動は、戦で逃げ出した者達のものか」

「うん。京や江州から来た商人が大半だ。店が閉まってしまい城下町に混乱が生じているが、出て行く商人から敬親公が物資を買い上げて下さったから、しばらくはなんとかなる」

 大変でしたね。頑張って下さい。どんな言葉を口にしても気休めにすらならないだろう。だから和奈は目を閉じで話しを聞くしかできなかった。

「砲塔の火力、飛距離、蒸気船の速度。どれをとっても凄いとしか言えない相手に、長州海軍も奮闘した。しかし敵艦を沈めるどころか撤退させる事も敵わなかったのに、我が方は一隻を沈められ、残る二艦も大きな損傷を受るに終った。上陸戦も内地まで攻め込まれ砲台は破壊後に占拠された。そればかりか、奴らは民家までも(ことごと)く焼き払った。これを惨敗と言わずして何と言おうか」

「同盟を急いだ訳はこれか」

「夷国からの攻撃はある程度想定していたからね。一端だったのは確かだ。だが、薩摩が援軍をと兵を出してくれたとしても敵う相手ではなかっただろう」

 たった四日間でと、桂は悔しそうに呟いた。

「後は交渉結果を待っての対応になる。だから晋作が戻って来るまでは、僕もここでゆっくりさせてもらうよ」

 そうそう、と桂は懐から紙を取り出すと武市の方へ差し出した。

「早速で申し訳ないが、これの説明を願えるかな?」

 渡された紙に目を通した武市は、震える手で紙の両端を握り締めた。

「ここまで我らが憎いか」

 土佐勤王党が辿った末路は哀れなものだった。

 勤王運動のためだけに藩政改革を企てた罪で拷問された間崎哲馬、弘瀬健太は罪を認めて獄内に於いて斬首され獄門となった。その他二十二名も、それぞれ言い渡された罪状を認め上河原で斬首となり獄門の刑に処せられてしまっていた。

「郷士の者は・・・切腹すら、させてもらえなかったか」

 唇を噛み締め拳を震わしている武市を見るに堪えなくなり、桂は視線を畳みへと落した。信じて進んできた道が悲惨な結末を迎えるのは、自分が死ぬ事よりも辛い。その辛さを桂は痛いほど理解できた。

「君の名もあったから肝を冷やしたよ」

 武市は君主に対する不敬行為という罪状で、自白無しで南会所大広庭にて切腹。留守居組で上士に取り立てられていたため、一人だけ切腹となったのだ。以蔵は他の者と同じく河原で斬首と書かれている。

 何故二人は逃げ出せたのかと問うと、武市が事の顛末を語って聞かせた。

「大久保さんが動いたか」

 和奈が半次郎と共に救出へ出向いた事は、取りあえず端に置いた。今回ばかりは良くやったとしか口にできず、そう褒めてしまうと今後の行動を容認する切欠となると思ったからだ。

「後藤殿が勤王党を弾圧し、反政派を一気に締め出しにかかったのだろう」

「そう考えるのが道理だね。ともあれ、君達が無事だったのはせめてもの救いだ」

「片目となったのは幸いだった。追っ手を撒くには都合が良い」

 幸い、という言葉で和奈は息を飲んだ。自分のせいで片目を失ったのだ。責められこそすれ、幸いだと言われる事ではない。

 和奈の顔を覗きこむ様に桂が体を前へ屈ませ、武市も下を向いた顔を見下ろす。

「そんな顔をするな。おまえの命の代わりだと思えば安いものだ」

「安くなんてないです!」

「甘やかしてもらっては困る。君が斬られたのは誰のせいでもない。和太郎の腕が至らなかったせいだ」

「そうです」

 なにを言うのかと武市が桂を睨む。

「血気に逸って行動するのがおまえの欠点だ。大久保さんが助力がなければ彼を助ける事も叶わずに、おまえは闘死していた」

「はい・・・」

「そこを良く考えなさい」

 小さく笑った桂は武市に向き直った。

「君達二人に提案があるんだが、聞いてもらえるかな」

「提案?」

「無事だと判った後、二人の身柄を長州で預かってはどうかと晋作と話をしたんだ」

 土佐で人望を集め、策士として頭角を現した武市を抱えられるのは、これからを考える上で桂にとって得策以外のなにものでもない。

「長州で?」

「ああ。だが見ての通りこんな状況だ。付け加えるなら長州は朝敵となったままだ。だから君達の意見を聞いてからとまだ事を進めていない。安全を考えて大久保さんに頼む手もあるからね。どちらにせよ、尽力はさせて頂くよ」

「征伐を前にして薩摩には付きたくはない。長州には縁ある者も多いゆえ、これからを生きるに不便もなかろう。桂さん達の申し出に甘えさせて頂きたいと思う」

「存分に甘えてもらって結構だよ。和太郎も居ることだしね」

 武市は顎を引きながら、ちらりと横を見てから桂に視線を戻した。

(なにを言い出すのやら)

「あの」

「ん?」

「西郷さんって人と、大久保さんて同じ薩摩なんですよね?」

 幸い和奈は他の事を考えていたようで、武市の言葉には気づかなかったようだ。

「敵同士なんですか?」

「敵、とは少し意味合いが違うな。どこ藩でも身内に保守派や改革派、過激派などと言った思想を違える派閥ができるものだ。長州も俗論派と呼ばれる保守的思想を持つ派閥と、革新を考える者が集まる正義派とがある。思想が異なると言っても互いに敵だとは思っていない。薩摩も同じだ。西郷さんは倒幕には消極的意見を持つ佐幕派で幕臣だが、大久保さんは倒幕派だ。意見の対立もあるだろうが、二人は大の親友だと噂に聞こえてきている。ただ、自分の抱く意見が異なるだけ、互いに切磋琢磨しているだけだ」

 国会でも幾つかの党があり、異なった主義主張を掲げ国政に携わっている。それを藩内部に置き換えて考えてみるとすんなり理解できた。

「なるほど」

 意見の相違を力で解決するのではなく、話し合いの場を持って互いの意見を受け入れ、最善策を導き出すのが大切なのだと説く。

「同じ日本人同士で争っている時ではないと、判る者が少ない現状は悲しむべきものだ」

「だから、人が沢山死んで逝く」

「そうだね。僕達か目指す国作りは、地位身分を気にする者にとって不安材料でしかない。刀に頼って生る武士も然り。反感を抱くのは至極当然のことだろう。それが争いを生む要因となっているのも確かだ」

 どちらが悪い訳ではない。命を懸けて自分が決めた志を貫ぬいて生きているだけなのだ。

 少しずつではあるが、この時代の情勢が何とか見え始めた和奈は、自分で大した進歩だと嬉しくなった。

「さて、身の振り方も決まった事だし、硬い話しは是までにしておこう。お京さんに食事の用意を頼んでくるから待っていてくれ」

 桂は、ポンっと武市の肩を軽く叩いてから障子を開けに立った。

「ああ、そうだ。お二方の名はどうすればいい?」

 武市は手形に記された名を伝えた。

 ありがとう、と返すと障子を閉めて行った。

「変名は使わないんですか?」

「変名で俺達だと知る者もいるからな。わざわざ危険の種を撒く必要もあるまい」

「ああ、そうか」

 進歩したと自分で思ったのは束の間だったと、今度は肩を落とす。

 その様子を見ていた以蔵は、気付かれないように笑いを零した。

「長州から再出発も悪くないと二つ返事をしてしまったが、おまえも依存はあるまい?」

 先ほどから様様な面相を作り出して居る和奈をそのままにして、武市は後ろで笑っている以蔵に確かめた。

「あなたの袂でこれからも刀を振るえるなら、依存などあろうはずもありません」

「棲めば都。骨を埋める場所があるのは嬉しいものだ。とは言え、郷里でないと悔やむ心も捨て切れぬのも本音だがな」

 眼を失ったあの日、どこでどう間違ったのかと真剣に考えたものだ。

 己が信じて貫いてきた道は、土佐勤王党の壊滅よりも前に違えてしまっている。土佐から離れられない者に何を説いても、それは裏切りでしかない。だからと足を止めることはできなかった。

 今回の事で死んで逝った者たちに報いるためには、足掻いてでも歩み続けて行くしかない。それが供養になり罪滅ぼしになると信じて。

 日が沈み、薄闇が空を覆い出した頃、夕餉の支度が整った。

 忙しく動き回るお京を、以蔵がおまえもここで食えと袖を引っ張って座らせた。

「隣家の方が手伝いに来てくれてますし、私は台所ですませますから」

「手伝いが来たからいいと言ったんだけどね」

「旅の疲れもあるだろう。体を休める意味で、客人に甘んじではどうだ?」

 武市も進めたが、お京は被りを振って断りを入れた。

「とんでもございません。お言葉だけ頂戴させて頂きます。あ、ご迷惑でなければですが」

「それこそとんでもない。人手がないから助かるよ」

 それならと、お京は持って来た膳を皆の前へ並べ始めた。

 膳には山の幸や魚、煮物など十分な料理がこしらえられていた。材料も揃い難いのによく作れたものだと桂も感心している。

「これはりっぱなお嫁さんになるな。ねえ、岩村くん」

「なんで俺に聞くんですか・・・」

 顔を真っ赤に染めた以蔵は、茶碗と箸を持つと黙々と食べ始めた。

「おやおや」

 人斬りの異名を持つ男の姿ではない。初めて以蔵と会った時の棘棘(とげとげ)しさも今はすっかり消えている。武市にしても、天誅と反対勢力である幕臣の暗殺を企てた頃の面影はなくなっている。

 小鉢の並んだ膳を二つも出され、残さずに全部食べた歯和奈は、箸を置くと根を上げた。

「もう、食べれません・・・」

「小食だな。しっかり食べないと育つものも育たないよ」

「もう無駄だと思います、はい」

 食事が終ると今度は酒が膳に並び、和奈もたまにはと出された酒に口を付けた。

「賑やかな酒もいいが、知れた者だけで飲む酒もまた美味いものだ」

 酒が苦手な武市は舌を濡らす程度に留め、代わりに以蔵が水の様に銚子を空けていった。

 長旅の疲れと、久しぶりの酒で心地よくなった和奈は、半刻(一時間)も経たないうちにうつらうつらと船を漕ぎ始めた。

「もう部屋へ行って休みなさい」

 肩を揺すられ、どうにも眠気を払えないと思った和奈は桂の言葉に素直に従い、一礼してから覚束ない足取りで部屋を出て行った。

「俺もこれで下がります」

 以蔵もそう言って部屋から出て行くと、急に静かになった席で武市と桂は膝を付き合わせて口に酒を運ぶ事になった。

 武市は困った。酒の席とは言え相手は桂だ。気軽に談笑できる関係でもなく、かと言って時勢を論じ合えば夜が明けてしまいかねない。

 桂も同じ事を思っていたのか、しばらくはどちらからも口を開かなかった。

 手元の銚子を覗き込んだ桂が、くくっと笑った。

「大津での件で危惧を抱いたが、あの子はちゃんと自分の進む道を選んでいるようだね」

「そうしなければならないと思ったのだろう」

 そうか、小さく呟くと止めた手を下ろした。

「だが、君が側に居てくれるのなら安心だ」

「私は-」

「女子だと、君も判っているんだろう?」

 その問いに、武市は桂から視線を外した。

「あの子も、君が気になって仕方がない様だしね」

「あれにとって、俺は師ですから」

「おやおや。そんな言い訳で誤魔化せると思っているのかい?」

 前にも思ったが、やはりやりにくい相手なのは変わらないと苦笑する。

「君に指南を願い出たのは良かった。そう思う事にしておく。あとは」

 細めた目を武市に向けて、桂は静かに頭を下げた。

「桂さん!?」

「新しい時代を向かえることができた暁には、あの子を別な道へ導いてやてくれ」

 言葉の意味を即座に理解した武市は、そ知らぬふりで何の事だと尋ねた。

「この僕が頭を下げているというのに、素直ではないね」

「心はすでに決めている」

「そうか。なら、要らぬ世話をやいてしまったようだね。すまない」

 そう言って困り果てている武市をそのままに、桂は手にした酒を飲み干した。


 翌日の朝早く。四国連合艦隊との講和会議を終えた高杉が桂の家にやって来た。

「おう、元気だったか和太郎」

 変わらぬ様子で入って来た高杉は、武市と以蔵を見て幽霊じゃないだろうなと喜んだ。

「事情は後で小五郎にでも聞くとして、とにかく誤報で良かった」

「色々と手間を掛けさせ、申し訳ない」

「気兼ねなどいらん。幸い、藩内はゴタゴタ続きなんだ。二人分の身元くらい小五郎が誤魔化してくれる」

 それは戸籍を捏造すると同意である。公文書偽造に当たる事をやるにはそれ相応のリスクも伴うはずだと和奈は不安に思ったが、武市や以蔵は平然と座っているので問い詰めるのはやめにした。

「よく獄から出られたものだな」

「それよそれ。俺も今度こそ獄から出れんと腹括ってたんだがな。夷国と幕府を前にして、大殿様も困り果てたんだろう」

 征伐は回避できない所まで来ており、幕軍を迎え討つなら諸隊を動かすのに欠かせぬ高杉を、獄に留めておくのは得策ではないと判断した重鎮達が恩赦を出したらしい。

「で、どうだったんだ?」

「どうもこうもないさ。最終的に彦島の租借を持ち出してきやがった」

「それ見たことか! 領土が夷国の手に渡る政策はもっての他と注進したと言うのに!」

「俺に怒るな。下関海峡の通航と許可、船舶の安全の保証を確約したんだ。一部とはいえ、日本の土地を夷人にくれてやる道理なんぞない」

「で、どう交渉したんだ?」

「ふん。聞きたいか? よく聞いとけよ」

 ニヤリと高杉が笑う。

「臣安萬侶(やすまろ)言す。夫れ混元既に凝りて、氣象未だ(あらわ)れず。名も無く(わざ)も無し。誰か其の形を知らん。然れども乾坤(けんこん)初めて分れて、參神造化の(はじめ)()り、陰陽(ここ)に開けて、二霊群品の祖と爲りき。所以に幽顯(ゆうけん)出入して、日月目を洗うに(あらわ)れ、海水に浮沈して神祇身を(すす)ぐに(あらわ)れき」

「ちょっとまて・・・」

 額を押さえた桂が朗々と語る高杉を止めた。

「おまえ、それ古事記だろう・・・」

「いかにも」

「本気で語ったのか?」

 武市もあきれ果てている。

「俺はいつも本気だぞ!」

「・・・どうなったんだ、結果は」

「有耶無耶になった」

「だろうな・・・」

 会話に付いていけない和奈は、とりあえず桂と高杉の位置と長州藩の現状を把握しようと思考を巡らせていた。

 京都市に天皇が居て、東京都には総理大臣が居る。天皇を主とする新国家を作るために、山口県は鹿児島県と同盟を結んで、国会を潰そうとしている。その一方で外国を追い払うための努力をしたが、四外国相手に戦となり、一県で立ち向かった山口は結果、負ける事にになった。そう置き換える事で、流れが掴めた。

「おい、なんて(しか)めっ面してるんだ」

「えっと、頭を色々整理してました」

 何を整理するのかと問いかけようと、顔を和奈に向けた高杉は体を曲げると咳き込み出した。

「高杉さん!?」

 口を押さえ、止まらぬ咳に付いた腕を折り前屈みなった高杉の脇に、血相を変えた桂が駆け寄って行く。

「大丈夫か?」

「・・・ああ・・・海風に・・・当たり過ぎた・・・」

「風邪を引いたんだな、阿呆が」

 風邪にしては桂の慌て振りは普通ではないと、武市は顔を強張らせた。

「もう休め、晋作」

 心配気にしている和奈に、大丈夫だよと言い、桂は高杉を連れて部屋から出て行った。

「風邪なら、数日安静にしていれば治る」

 和奈の不安を和らげようと言ったが、桂の様子からではただの風邪ではないと判る。

 咳を伴う病で、桂が慌てる程のもの。武市が思い当たる病は一つしかなかった。

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