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幕末奇譚 『志士 狂桜の宴』  作者: 夏月左桜
奇譚三幕 驚浪雷奔
11/89

其之ニ 千変万化

 西近江に居を移し一週間が過ぎ、和奈は薩摩藩邸と居た時と同じく、稽古に明け暮れる日々を送っている。

 昼の稽古を終えて皆が集う部屋に顔を出したが、誰も居らず肩を落とした。

「龍馬さんてば、また町へ出かけたんだ」

 大久保が用意してくれた屋敷に落ち着くことになった翌日から、龍馬は何かしら理由をつけては町へと出かけている。何処で何をやっているのか武市も知らないらしく、夕暮れ時になっても戻らない事も度々だった。

 心配になり、外出はするなと龍馬に頼んだが聞き入れられず、武市に相談したものの、人気の少ない村だろうが町だろうが落ち着く男ではないと笑われてしまった。

 長州軍が京に入っているのは間違いない事実で、中岡も参加するために久坂達と行動を共にすると出て行ったのだ、報せが届いない状況でじっとして居られるはずもない。

 共に時を動かそうとした久坂、門弟の中岡までが動いているのだ、武市とて心中穏やかではない。焦燥に駆られるものの、自分ひとりが加勢に出た所で久坂達の思惑通りに事が運ぶわけがない。

 それに和奈の件も武市を押し留めている。大久保や龍馬の前で責任を持つと断言した以上、浅はかな行動はできない。

(俺はただ逃げているだけではないのか)

 同じ質問を自分に何度も繰り返しかけるが、答えは出せない。何かしらの手を講じなければならないが、名案などすぐに思いつくものではない。

 気配を感じ、閉じていた目を開けて廊下を見ると、和奈が不安そうな顔で座っていた。

「どうした」

「龍馬さんがまた居ないんです。探しに行った方がいいんじゃないかと思って」

「何時ものことだろう。夕刻になれば腹が空いたと戻ってくるさ」

「でも、大丈夫でしょうか」

「おまえが心配してどうなるものでもあるまい。それより、夕刻までに体を休めておけ。龍馬が戻らないからと、稽古を中止することはないぞ」

「はい」

 武市の言葉通り、座敷に膳が並ぶ頃になり、何食わぬ顔で龍馬が戻って来た。

「腹が空いてはなーんもできやーせん」

 がつがつと出されたご飯を、ただひたすら腹へと収めて行く。

「飯くらい行儀よく食べれないのかおまえは」

「飯くらい好きに食べさせとおせ」

「おい龍馬」

「ん?」

「何か判ったのか?」

「・・・飯がすんだら話するがで、ちっくとまっとうせ」

 皆が食事を食べ終えてお京が酒を運んで来ると、いつになく沈んだ顔で銚子に手を伸ばし、湯飲みに注いだ酒を喉の奥に流し込んだ。

「なにかあったんですか?」

 酒となるとはしゃぐ龍馬が大人しいので、和奈も落ち着かない気分になる。

「京から逃げてきたとゆう商人に話しを聞いたき」

「で?」

「京の町半分が、戦火による火事で延焼してしもうたらしい」

「長州軍はどうなったんだ?」

 以蔵が苛々とした口調で訪ねる。

「・・・三方に陣を敷いた後、御所に進発した軍は禁門で幕兵と戦になり・・・敗退したとゆうことだ」

 鎮痛の面持ちで語る龍馬も、訪ねた以蔵も皆が口を閉じた。

 静かになった部屋に、駆けて来る足音が響く。

「何事か」

 片膝を立てた武市も以蔵も手を刀へと伸ばす。

「失礼致します」

 困った顔で障子を開いたお京は、玄関に見知らぬ男が訪ねて来たと告げた。

「男?」

 自分達がこの屋敷に来て居るのは大久保しか知らない。訪ねて来るなら大久保が寄越した者に違いないはずだが、お京は男を玄関に待たせた。大久保の使いではないと言う事だった。

「身なりは町民の様だったので、一度は誰も居ないと申し上げのですが、石川が来たと伝えてくれと仰って。まだ玄関に待ってもらっていますが、どう致しましょう?」

「石川?」

 和奈には初めて聞く名前だったが、武市達は石川と言う男を知って居るらしく、ここへ通してくれと笑顔を見せた。

「はい、畏まりました」

 しばらくして、石川と名乗った男が部屋の前の廊下に座った。

「確かに、その格好ではおまえだとお京さんも気付くまい」

「町人とゆうより、物乞いも同然なが」

「物乞いはひどいですよ。大久保さんからここだと伺って急いで来たのに」

「和太郎、よおく顔を見とうせ」

 龍馬が歯を出して笑う。

 男に近づいた和奈は、ほっかむりの下に見える顔を見て思いあたった。

「中岡さん!?」

 頭にほっかむりをし、着物の左右の裾を端折って帯に挟んで、顔も腕もドロだらけとくれば、和奈やお京が判らないのも当然だった。

「まずはその顔をなんとかして来い」

 武市に手拭を差し出された中岡は井戸で汚れを落とし、お京の用意した着物に着替えてから改めて皆の前へと座った。

「中岡慎太郎、唯今戻りました」

「よく無事でもどってくれた」

「幽霊じゃないだろうのう」

 体中をぱんぱん叩いて行く龍馬の手を、中岡はひっしと掴む。

「傷が痛むんですから、叩かんで下さい」

 うんうんと頷きながら、五体満足じゃと龍馬は笑い声を上げた。

 一息つき、膝を正した中岡はゆっくりとした口調で、朝廷が嘆願書を受け取らず長州への追討を命じ、久坂達も軍議を経て挙兵の意を固め、三方から進軍して禁門の警護についていた藩と激突し、圧倒的な数の幕兵を前に大敗を記したこと。久坂が向かった鷹司邸での経緯、禁門から敗退した長州軍のその後を語った。

 長州の惨敗。その一言で片付けられる戦ではなかった。

 薩摩と長州の同盟が先に成っていたらと、龍馬は歯を食いしばる。

「今言ったところで後の祭りだろう」

 そけはそうだがと肩を落とす。

「しかし、よく逃げ出せたな」

 以蔵が珍しく弾んだ声で中岡に声をかけた。

「久坂さんの・・・頼みだったし、屋敷の戦に皆が集っていたお陰だよ」

 入江の体を抱えた中岡は、幕兵に見つからない様、時間をかけて大久保の元に逃げ込み、傷の治療もそこそこにやって来たんだと笑みを浮かべた。

「急をと、ここへやって来たのは顛末を語るだけではあるまい?」

 武市の言葉で、中岡の顔が一層暗くなった。

「御門での発砲に激怒した孝明天皇が、長州藩を逆賊とし追討の勅命を出したんです」

「逆賊じゃと!?」

 それにより、桂と高杉も手配書に名を連ねる事になったと付け加えた。

「勅命を受けた幕府は、二十一藩に対し出兵命令を出したと、発つ前に大久保さんから聞かされました」

「!」

 理由はどうであれ、幕府にとって長州の挙兵は尊攘派の討伐を断行するのにうってつけの事件となってしまったのだ。

「久坂さんの頼みとはいえ、俺だけ・・・生き伸びてしまって・・・」

 中岡の言葉に、龍馬と武市が顔色を変えた。

「あほうをゆうがやない! 生きてこそ次があるろうが!」

「久坂くんが逃げろと言った意味を汲み取れ、馬鹿者が!」

 膝の上で握り締めた手の甲に涙が落ちる。

「・・・入江さんの代わりに・・・俺が長州へ行きます」

「久坂くんの頼み、恙無く果たして来いや」

 俯いていた中岡が自分の両腕を抱え込み、額を畳に付け嗚咽と共に震える声を上げた。


 薄い光が障子を隔てて部屋を照らす中、鳥の鳴き声で和奈は眼を覚ました。

「ん・・・」

 目が開けると、思い思いの場所に寝転がっている皆が見える。

 お京達が膳を綺麗に片付けてくれており、布団も皆の上に掛けられている。

(あのまま眠っちゃったんだ)

 昨晩は中岡に言葉も掛けられず、ただ側に居る事くらいしか思いつかなかった。

 中岡が一頻り泣いた後、武市達は酒を浴びるように飲んだ。そうでもしないと、どこへ向けていいか判らない怒りを納められなかったのだと思う。

 幕府が悪いのでも長州が悪いのでもない。皆国を良くしようと必死で自分の成すべき事をしているのだと、悔しそうな顔で龍馬は言った。

(桂さんの泣き顔も、中岡さんの泣き顔も見たくない)

 皆が進んで行く道を見たいと、この時代に来た理由を知りたいと和奈は願い、龍馬もそれを受け入れてくれた。それなのに何の力にもなれない自分が情けなくなった。

 時を越えて来て途方に暮れるどころか、桂達の配慮で安心して眠る場所を得て、龍馬も武市も精一杯の気遣いを見せてくれている。何が自分に出来るのか今はまだ解らなかったが、なにか役に立つ機会を探さなくてはならないと、和奈は心に決めた。

 もぞもぞと一つの布団が動き、中から目を覚ました中岡の顔が出て来た。

「おはようございます」

 バツが悪そうな顔で頭を掻いた中岡が、ずりずりと布団を被ったまま和奈の横へと這って来た。

「まるで芋虫ですよ、それじゃ」

 戦に参加すると、藩邸を飛び出して行った人と同人物には見えない。

「一緒に長州へいぬるか、和太郎」

「えっ?」

「桂さんも心配しちゅうやろうし、国に戻って安全な所へ行く方がいいがよ」

 寝ぼけているのか、中岡が土佐弁を喋っている。

「すいません。僕、帰るつもりはありません」

「えっ? なき帰らん?」

 そう言った瞬間、中岡の頭が後ろへ反り返った。

「あたたたっ!」

 布団から伸びる手が、中岡の後ろ髪を引っ張っている。

「なにするがか!」

 髪を押さえ、後ろの布団から手を出している武市に怒鳴る。

 中岡の声に驚いた龍馬が飛び起きると、以蔵も置いてあった刀に手を伸ばして立ち上がった。

「いったたたたたっ!」

 髪を引っ張り続ける武市の手があり、その手を振り解こうともがく中岡を見た龍馬は、大きな欠伸をした。

「朝っぱらから何をやっちゅうんじゃ」

 あほらしいと、龍馬はまた布団に潜り込み、以蔵は唖然とした表情で二人を見下ろしている。

「武市さん、髪引っ張るのるのやめとおせ!」

 いきなり髪を放された中岡は、頭を押さえたまま勢いよく後へと倒れ込んだ。

「和太郎がどうするか、おまえがとやかく言う事ではない」

「このまま俺達と一緒に置けないがやないかね」

「いらぬ世話だと言っている」

 武市に凄まれた中岡は、ごくりと唾を飲み込んだ。

「武市さん、一体何なんなが。俺は状況を考えてその方が良いと言うただけやないかね」

 確かに中岡の言う事は最もだと、自分の行動に武市は内心驚く。

「武市は和太郎を帰したくないんじゃ」

 布団から這い出して肌蹴た着物を直した武市は、意味深な笑いを浮かべる龍馬に何を言うかと睨み返した。

 中岡がはっとした顔で武市から距離を取る。

「武市さん、ほがな趣味があったがか?」

「はっ?」

「個人的志向をとやかく言うつもりはないがよ。けど、やっぱりほりゃあいかん」

「ちょ、ちょっと待て! 何を誤解をしているか! おい龍馬! なぜいつもややこしい言い方をするんだおまえは!」

 正直者は辛いわいと、どうしても話をややこしい方へと持って行こうとする龍馬を他所に、話しが理解できない和奈は動揺している武市を見上げた。

「えっと、僕を帰したくない理由って・・・」

「!」

「なに、武市はのう」

「黙れ龍馬!」

「武市さんが男好きだったなんて、ああ、俺どうしよう」

「えっ・・・えええっ!?」

 桂が甥と皆に紹介しているのだから、女子と知らない中岡が誤解するのは仕方ない。中岡の誤解よりも、武市が男である自分を帰したくないと思っていることに和奈はうろたえた。

「いい加減にしないか! 本気で斬るぞ!」

 布団を蹴飛ばし、脇に置いてあった鞘を取る武市に、相手になると龍馬が立ち上がる。中岡も間違いは正すべきですと武市に詰め寄り、以蔵は呆然と武市を見つめていたが、慌てて武市を庇うように前へと立った。

「先生の趣向を、おまえらごときが意見するな!」

「以蔵、おまえまで!」

 今度は以蔵の髪を引っ張っぱる武市。

「いったたっ。先生、髪引っ張らないで下さい!」

 必死に笑いを堪えていた和奈は、ついに我慢しきれなくなり笑い出してしまった。

「すいません・・・笑っちゃたけなんですが・・・だめ・・・」

「ほれ、笑われてしもうた」

「おまえが言うか!」

 笑いを収めた和奈が膝を向けると、中腰となっていた姿勢を正した中岡が座り直した。

「武市さんの趣味? というか、それは誤解だと思います」

 和奈自身、そう思いたかった。

「そうながか?」

「あたりまえだ!」

 武市が胡坐をかいて座り、つまらなさそうな顔で龍馬もその場に落ち着く。

「長州へ行くのなら言伝を頼めませんか? 色んな事があり過ぎて上手く説明できないんですけど、暫く皆さんと居たいと小五郎さんに伝えてほしいんです」

「ほりゃあいいけど・・・色んな事って何なが?」

「人を斬った上に、その際、土方と沖田に顔を見られている」

 新撰組の言葉に中岡が眉を顰めた。

「何でほがな事になったがなが!? じゃったら尚更やか、長州に連れて行くほうがいいがやないかね!」

 安全を考えるなら、それが一番いい事くらい武市にも判っている。

「僕は残りたいんです!」

「なき残りたいんだ?」

 皆と居たいからと口を開きかけた時、障子が静かに開けられた。

「えっ?」

 にこやかだが、有無を言わせぬ顔の桂が立っていた。

「朝から賑やかだが、何かあったのか?」

「桂さん!?」

 部屋に入った桂は、真っ直ぐ和奈の元へ歩みを進め、膝を付いてからその頭に手を置いた。

「皆に迷惑をかけているのではあるまいね?」

 今の状況をつくっているのは自分が原因なのだから、桂の言葉に戸惑いを隠せない。

「勝手に上がらせてもらったぞ」

 龍馬達の間を通り過ぎた高杉は、和奈の横に座って和奈の首を小脇に抱え込んだ。

「元気だったか小僧!」

「ちょっと、小僧って! 年変わんないじゃないですか!」

 首を抱え込まれ、三つしか変わらないのに小僧扱いされてはたまったものではないと、高杉を見上げながら怒鳴る。

「はん! 小僧で十分だ」

 口元を上げてにやりと笑う。

 桂はあえて二人に割って入らず、龍馬に体を向けると手をついて頭を下げた。

「甥が迷惑をかけていたようで、申し訳ない」

「いや、違うんじゃ」

「この子の事で揉めていたのは、廊下にまで聞こえていたんです、隠さなくて結構だよ」

 龍馬は苦笑とともに頭を掻いた。

「和太郎が残りたいと言うなら止めはしない。厄介者になるとは思うが、宜しく頼みたい」

「ほりゃあ構いやーせん。のう、武市」

「あ、ああ」

 場を掌握した桂は、布団を片付けておいて下さいと言うと和奈を連れて出て行ってしまった。

「くそっ。なんで俺にも布団を片付けさすんだ小五郎の奴」

 一緒に片付けろと言われた高杉が呟いた。


「馴染めている様だね」

「馴染んでると言うか、迷惑をかけていると言う方が正しい気がします」

「それでも、残りたいんだろう?」

「はい。皆さん、本当に良くしてくれるんです。最近は岡田さんも話しかけてくれるようになったし、龍馬さんは楽しい人だし、武市さんも色々な事を僕に教えてくれます。ちゃんと勉強して、迷惑をかけなくてすむように頑張るつもりです」

「そうか。実はね、おまえを長州へ連れて帰るつもりで来たんだが、残りたい聞いた時、その方がいいと思った。僕としては淋しいことだけどね。危険となければ、嫌でも長州に連れ帰るつもりだから、今の内に皆と楽しんでおいで」

 今が危険でないとは桂にも言えない。龍馬にしろ武市にしろ、幕府から目を付けられているのは同じなのだ。ただ、朝敵となった長州に連れ帰るよりは安全な場所と言えるだろう」

「ありがとうございます」

 桂は、少し下げられた和奈の頭をぽんと叩いた。

 台所へ連れ立って入って行くと、お京とおみつが忙しそうに食事の用意をしていた。

「人は居たか」

「え? はい」

 二人に気付いたお京は、濡れた手を拭きながら慌てて駆け寄って来た。

「御出でになっているとは存知上げず、もうしわけございません。直ぐにお茶の用意をいたます」

「玄関で声を掛けたか、誰も出て来なかったので勝手に上がらせてもらったよ」

「え? 入り口の小部屋に、誰か来たときのためと、藩邸から来た方が居るはずですが」

 お京は後ろにやって来たおみつと顔を見合わせる。

「部屋を空ける時は、必ず声をかけるようお願いしていたのですが」

 おみつの言葉で笑みを消した桂が踵を返し、玄関脇の小部屋へと走った。

 お京達に何も告げず姿を消した藩士。ここには京で手配となっている龍馬達が居る。もし姿を消した藩士が誰かにそれを伝えに行ったのだとしたら、やがてここへ招かざる客が来る。

「桂さん?」

 襖を開いた部屋には何も残っていなかった。

「和太郎、皆に間者が居たと知らせておいで」

 後ろへ来た和奈に背を向けたまま言う。

「間者?」

「早く!」

「は、はい!」

 緊迫した言葉に、和奈は慌てて部屋へ取って返し、布団を片付けて落ち着いていた武市に間者が居たと告げた。

「ぬかった」

 武市は舌打ちをして立ち上がった。

「高杉くんが勝手に上がったと、その時に気づくべきだった」

「まさか大久保さんが間者を?」

「ほがな筈はない」

 和奈が置いてあった自分の刀を取り、中岡と以蔵も手にした刀を腰へと納めて立ち上がる。

「大久保さんの線は無いと思うよ」

「か、桂さん?」

 女物も着物を纏い、帯を巻きながら入って来た桂の姿に視線が集る。

「町と反対の道は何処へ?」

「山岳に続いとる。京から来るなら町を通らんとここへは来る事をようせん」

 龍馬は京の噂を聞くためだけに出かけていたのではなく、周辺の状況も色々と調べ回っていたらしい。

「ここへ来る途中、僕達は誰ともすれ違わなかった」

「ならば町へは戻ってないな」

「ちっくと行った先の横手の山に、捨てれた寺が一つ在るな」

「様子を見てくる」

 桂が出ると言う事に、武市が難色を示した。

「桂さんと高杉くんが狙いでなければ、慎太郎が付けられたとしか考え難い。俺が出る」

「藩邸から出たのが知られちゅうことじゃの」

 立ち上がった二人を、桂は待てと制する。

「君達が出ては、薩摩との繋がりを肯定する事になる。それは僕らにとっても君達にとっても得策ではない」

 帯を器用に締め、袖口から板紅を取り出した桂は、馴れた手つきで小指の先に紅を取ると唇へと這わせた。

「まさか、その格好で行くんですか?」

 中岡は女性にしか見えなくなってしまった桂に聞いた。

「女子なら相手も少しは油断してくれるだろう?」

 邪魔になるから預かっててほしいと中岡に板紅を差し出す。

「僕も行きます!」

「足手まといだ」

 即答だった。

「足手まといにはなりません!」

「・・・和太郎の腕は私が保証する」

 武市の言葉に、桂ではなく龍馬が何を言うかと怒鳴る。

「相手が何人なのか判らぬだろうが。桂さんの腕は承知しているが、安全を取るに越した事はない」

 冷たい目で武市を見ていた桂は視線を流し、引く様子を見せない和奈を見てため息を吐いた。

「数が僕の手に余るようなら、和太郎を言伝に戻す」

「武市の阿呆が・・・桂さん。左へ少し歩いて行くと、素通りしてしまうくらいの細い道があるき。そこを上って行った所に廃寺が在る」

「わかりました」

 

 屋敷を出て町と反対の方へ暫く歩いて行くと、山の上へ続く細い道を見つける事ができた。

「藩士が接触するのは、会津、大垣、桑名藩あたりの間者とみていいか」

 桂は急な坂道だと言うのに、息一つ乱す事なく登って行く。

「なぜですか?」

「藩邸を出た中岡くんが付けられたとしたら、薩摩藩の失脚を目論む藩の線が濃くなる」

「失脚・・・」

「新撰組の手の者でなければいいが」

 脳裏に土方と沖田が浮かび、その剣気を思い出す。笑ってはいたが、二人の放つ剣気は体を竦ませるのに十分だった。

 和奈はごくりと生唾を飲み込んだ。

【強くなれ】

 その言葉に責めたてられる様に稽古を続けているが、二人を前にして剣を抜く事ができるのかと自問自答する。

「京が落ち着いていないこの時に、新撰組が出て来る事はないと思うけどね」

 桂の言葉は耳に届いていない。

「強くならないと」

 あの剣気に対峙しても竦まない様にもっともっと。

「・・・何があったのか、戻ったらゆっくり武市くんに聞くとしよう」

 何かを心に決めたのであろう表情に、桂は不安を覚えた。


 和奈と桂が部屋を出てた後、武市と龍馬は睨み合ったまま座っていた。

 龍馬には、行くと言う和奈の後押しをした武市の考えが判らない。行くと言い張っても、これまでの武市なら止めていた筈である。

「二人とも、もういい加減にしてください」

 耐え切れずに中岡が声を上げた。

「なんで止めんかった」

 中岡の言葉が合図となった。

「あれは行くと言ったら聞かぬ。おまえもそれはよく解っているだろう」

「わざわざ人を斬らせに行かせたがか、おんしは!」

 険悪の様相を作り出した二人をどうやって宥めるべきか検討が付かず、中岡は高杉に救いの眼を向ける。たが、高杉もぶんぶんと首を振るだけで仲裁にはいる様子はない。

「桂さんの言う通り、薩摩との繋がりを知られるのは得策ではない。慎太郎は脱藩しているとは言え土佐の人間だ、必然的に我々との繋がりに気づく輩も出てくる。和太郎が長人と間者に漏れていたら、長州藩との繋がりまで知られる事になる。そうなれば長州と同じ道を薩摩も辿る事になるかも知れんのだ」

「ほれと、和太郎を行かせた事となんの関係がある!」

「好きで出したと思うのか!」

 いつものじゃれあう喧嘩ではない。これでは中岡も笑いながら仲裁に入って行く事はできない。以蔵も武市の後ろに座ったまま動く気配を見せない。

「手配書に桂さんが載ったのは和太郎も知っているだろうが! もし万が一、桂さんが捕縛されるような事になってみろ! あいつは行くべきだったと絶対に自分を責める!」

 龍馬はしまったと顔を顰める。

 和奈はこの時代に生まれた者でもなく、桂の甥でもない。そう伝えるべきだったと後悔の念に駆られたが、ここでそれを口にすれば武市は飛び出すに違いない。桂が出た以上、そんな事はさせられないと、龍馬は立てた膝を下ろした。

「まっこと、わしは頭が悪うていかん! おんしも腹を括った、わしも括った。けんど了見が狭すぎたがか」

 何が辛いのか武市はよく解っている。だから和奈が負うだろう辛さを考え、その時に最善である手段を選んだだけなのだ。

「桂さんが一緒だ。大事にはなるまい」

「おんしの言う通り、わしは馬鹿もんだ」

「おまえが馬鹿なのは今に始まったことではあるまい。が、龍馬。おまえは今のままで居てくれ」

「変われと言われても、わしはなんちゃー変わらんぜよ。この先もずっとな」

 それが武市の救いになるならば守り通し、同じ道を行くと決めた和奈の事も変わらぬ思いで見守ろうと決めたのは、龍馬なりの思いやりだった。

 その様子を羨ましそうな表情(かお)で二人を見ていた高杉に、誰一人気付く者はいなかった。

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