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実験場

俺が、女子高生になっている

掲載日:2026/07/25




 俺の名前は、丹羽アキラ。

 ごく普通の男子高校生、だったはずだ。


 目が覚めた瞬間、違和感があった。


 身体が軽い。

 そして、胸のあたりに説明しづらい『存在感』がある。



「……は?」



 声を出して、さらに固まる。


 高い。

 柔らかい。


 明らかに自分の声じゃない。


 慌ててベッドから下りる。

 俺の部屋にあるはずのない姿見の前に立つ。


 そこにいたのは、見知らぬ女の子だった。


 長い髪。

 細い手足。

 寝ぼけた顔。

 薄いピンクのパジャマ。


 でも目の奥だけは、間違いなく『俺』だった。



「いや……。いやいやいやいや!」



 理解が追いつかない。

 だがそんな俺の混乱を無視して、母の声が飛んでくる。



「アキラぁ~! 遅刻するわよぉ~!」

「ちょ、待っ……。」



 返事をしかけて、止まる。

 どうやら、名前と母の声は俺の認識と一緒らしい。


 壁に掛けられている制服を見る。


 紺のブレザーにチェックのプリーツスカート。

 紛うことなき、女子の制服だった



「えっ!? ……それに着替えろと?」



 思わず声が出る。


 俺は男だ。

 少なくとも、目が覚める前まではそうだった。


 なのに、当然のようにそれが用意されている。

 部屋そのものが、まるで最初から『女の子の生活』だったみたいに。


 机の上の小物も違う。

 カーテンの色も、『恰好よさ』から『可愛い』に変わっていた。



「待て待て待て!」



 クローゼットを勢いよく開ける。


 体操服。

 部屋着。

 外出着。

 鞄。


 全部、違和感なく揃っている。


 男として、興味は下着に向かった。

 最下段の引き出しを迷うことなく開ける。



「女の子のパンツって、すげえ伸びるんだな」



 畳み丸められたそれを広げた瞬間、手が止まる。



「……は?」



 これ、『俺のサイズ』だ。


 だが、待ってくれ。

 俺は、女装する趣味なんて持っていない。



「もう七時半よ! 早く食べちゃいなさい!」

「は、はーい!」



 しかし、混乱している暇はなかった。

 母の急かす怒鳴り声に、俺はとりあえず流されることにした。




 ******




 制服はぴったりだった。

 着替えも手間取らなかった。


 学校も、クラスも、席も一緒だった。

 友人たちが自然に話しかけてくる。



「おはよ、アキラ」

「……おはよ」



 俺は反射的に返事をする。


 普通に会話が成立している。

 そのことに、少し遅れて違和感が追いつく。



(いやいや、何で?)


(俺……。女友だち、いなかったよね?)



 だが、その疑問すら周囲に溶けていく。


 誰も気にしていない。

 誰も止まらない。

 世界だけが、当然の速度で進んでいる。


 さらにおかしいのは、この『アキラちゃん』の記憶が、頭の中にあることだ。

 昨日の授業、友達関係、メロンパン大好きまで。


 それは『思い出している』というより、『最初からそこにある』感じだった。

 だが同時に、俺自身の意識も確かに存在している。


 二つの視点が、同じ場所に重なっている。

 二重人格みたいな気持ち悪さだった。




 ******




 四時間目の授業中、最大の試練が訪れた。


 トイレだ。


 黒板を見て、右手ではノートを取っているふりをする。

 だが集中しようとすればするほど、意識は尿意に引っ張られる。


 椅子の上で、姿勢が少しずつ落ち着かなくなる。


 貧乏揺すり。

 ほんの小さな動き。


 それすらも抑えきれないまま、呼吸が浅くなる。



「ぅっ……。」



 歯を食いしばる。

 アキラちゃんには申し訳ないが、左手で発生源を強く押さえる。



「はい、先生!」



 教室の空気が一瞬だけ動く。

 俺は、動けない。



「佐々木、どうした?」

「丹羽さん、具合が悪そうなので保健室に連れていきます」

「……えっ!?」



 思わず声が出る。

 その拍子に、さっきまでの辛さが少しだけ引いた。



「ほら、行くよ」



 腕を取られて、立ち上がる。

 友人の肩を借りながら歩く。



「……う、うん」



 助かった。

 正直、まともに歩くのが厳しそうだったから。




 ******




「はぁーーー……。」



 開放感がすごかった。


 極楽だ。

 最高だ。


 張りつめていたものが、一気に抜けていく。

 アキラちゃんも、話せばきっと分かってくれるはずだ。



「どんだけ我慢してたのよ」



 扉の向こうで、友人がくすくすと笑う。



「……というか、音姫くらい鳴らしなって」

「あっ!?」



 一瞬、頭が真っ白になる。

 丸聞こえだった。


 慌てて、音姫のボタンを押した。

 アキラちゃんは、許してくれないかもしれない。


 擬似的な水流の音の中、まだ笑い声が残っている。


「リアクション、分かりやす~」


「かわいすぎでしょ」



 顔が熱くなる。

 思わず俯こうとして、慌てて天井を見た。


 アキラちゃんのアキラちゃんを見てしまったら、俺は本当に殺されてしまう。




 ******




「……やっと帰ってきた」



 スクールバッグを放り、制服のままベッドに倒れ込む。



「明日の体育はプールとか、無理ゲーすぎるだろ」



 枕に顔を押し付けながら、ばたばたと足でベッドを叩く。

 スプリングが弾み、部屋が少しだけ騒がしくなる。



「でも、その前にお風呂……。

 ダメだ、ダメだ、ダメだぁぁ~~~っ!」



 枕を両手で掴み、ぐりぐりと頬ずりする。

 足で再びベッドをばたばたと叩く。


 スプリングがギシギシと鳴る。

 ベッドが軽く揺れる。



「何やってるのー?

 早く、夕飯を手伝ってちょうだーい!」

「は、はーい!」



 母に怒られ、身を起こす。


 せめて、両親には事実を打ち明けたほうがいいだろうか。

 そう思った、そのときだった。



「……あれ?」



 机の上のノートPCが目に入った。

 電源ランプが点きっぱなしになっている。


 近づいて、マウスをいじると、省電力モードから回復した。



「何だろう?」



 画面に表示されたのは、再生途中の動画。

 思わず再生ボタンを押す。



 パチンッ……。



 乾いた指の音が部屋に落ちる。

 その瞬間、頭の奥に詰まっていた霧が一気に引いていく。



「あっ!?」



 画面の中の、サングラスの男が淡々と言う。



『催眠を解除しました。

 さあ、あなたはあなたに戻りましたよ』



 私は、毎月の『お勤め』が重いほうだ。

 昨日、そのお勤めが明け、こう思った。


 男に生まれたかった。

 生まれ変わったら、次は絶対に男だね、と。


 その果てに、出会ったのが目の前の動画だった。



「……あ、アホすぎる」



 私は、へなへなとその場に崩れ落ちる。

 今日一日の気疲れは何だったのか。


 アキラちゃんって、私じゃん。

 高校生にもなって、危うくおもらしをするところだった。



「アキラー、まだなのー?」

「はーい、今いくー!」



 でも、さっきまでの重さは、もうどこにもない。

 軽い足取りで、キッチンへと向かった。




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