俺が、女子高生になっている
俺の名前は、丹羽アキラ。
ごく普通の男子高校生、だったはずだ。
目が覚めた瞬間、違和感があった。
身体が軽い。
そして、胸のあたりに説明しづらい『存在感』がある。
「……は?」
声を出して、さらに固まる。
高い。
柔らかい。
明らかに自分の声じゃない。
慌ててベッドから下りる。
俺の部屋にあるはずのない姿見の前に立つ。
そこにいたのは、見知らぬ女の子だった。
長い髪。
細い手足。
寝ぼけた顔。
薄いピンクのパジャマ。
でも目の奥だけは、間違いなく『俺』だった。
「いや……。いやいやいやいや!」
理解が追いつかない。
だがそんな俺の混乱を無視して、母の声が飛んでくる。
「アキラぁ~! 遅刻するわよぉ~!」
「ちょ、待っ……。」
返事をしかけて、止まる。
どうやら、名前と母の声は俺の認識と一緒らしい。
壁に掛けられている制服を見る。
紺のブレザーにチェックのプリーツスカート。
紛うことなき、女子の制服だった
「えっ!? ……それに着替えろと?」
思わず声が出る。
俺は男だ。
少なくとも、目が覚める前まではそうだった。
なのに、当然のようにそれが用意されている。
部屋そのものが、まるで最初から『女の子の生活』だったみたいに。
机の上の小物も違う。
カーテンの色も、『恰好よさ』から『可愛い』に変わっていた。
「待て待て待て!」
クローゼットを勢いよく開ける。
体操服。
部屋着。
外出着。
鞄。
全部、違和感なく揃っている。
男として、興味は下着に向かった。
最下段の引き出しを迷うことなく開ける。
「女の子のパンツって、すげえ伸びるんだな」
畳み丸められたそれを広げた瞬間、手が止まる。
「……は?」
これ、『俺のサイズ』だ。
だが、待ってくれ。
俺は、女装する趣味なんて持っていない。
「もう七時半よ! 早く食べちゃいなさい!」
「は、はーい!」
しかし、混乱している暇はなかった。
母の急かす怒鳴り声に、俺はとりあえず流されることにした。
******
制服はぴったりだった。
着替えも手間取らなかった。
学校も、クラスも、席も一緒だった。
友人たちが自然に話しかけてくる。
「おはよ、アキラ」
「……おはよ」
俺は反射的に返事をする。
普通に会話が成立している。
そのことに、少し遅れて違和感が追いつく。
(いやいや、何で?)
(俺……。女友だち、いなかったよね?)
だが、その疑問すら周囲に溶けていく。
誰も気にしていない。
誰も止まらない。
世界だけが、当然の速度で進んでいる。
さらにおかしいのは、この『アキラちゃん』の記憶が、頭の中にあることだ。
昨日の授業、友達関係、メロンパン大好きまで。
それは『思い出している』というより、『最初からそこにある』感じだった。
だが同時に、俺自身の意識も確かに存在している。
二つの視点が、同じ場所に重なっている。
二重人格みたいな気持ち悪さだった。
******
四時間目の授業中、最大の試練が訪れた。
トイレだ。
黒板を見て、右手ではノートを取っているふりをする。
だが集中しようとすればするほど、意識は尿意に引っ張られる。
椅子の上で、姿勢が少しずつ落ち着かなくなる。
貧乏揺すり。
ほんの小さな動き。
それすらも抑えきれないまま、呼吸が浅くなる。
「ぅっ……。」
歯を食いしばる。
アキラちゃんには申し訳ないが、左手で発生源を強く押さえる。
「はい、先生!」
教室の空気が一瞬だけ動く。
俺は、動けない。
「佐々木、どうした?」
「丹羽さん、具合が悪そうなので保健室に連れていきます」
「……えっ!?」
思わず声が出る。
その拍子に、さっきまでの辛さが少しだけ引いた。
「ほら、行くよ」
腕を取られて、立ち上がる。
友人の肩を借りながら歩く。
「……う、うん」
助かった。
正直、まともに歩くのが厳しそうだったから。
******
「はぁーーー……。」
開放感がすごかった。
極楽だ。
最高だ。
張りつめていたものが、一気に抜けていく。
アキラちゃんも、話せばきっと分かってくれるはずだ。
「どんだけ我慢してたのよ」
扉の向こうで、友人がくすくすと笑う。
「……というか、音姫くらい鳴らしなって」
「あっ!?」
一瞬、頭が真っ白になる。
丸聞こえだった。
慌てて、音姫のボタンを押した。
アキラちゃんは、許してくれないかもしれない。
擬似的な水流の音の中、まだ笑い声が残っている。
「リアクション、分かりやす~」
「かわいすぎでしょ」
顔が熱くなる。
思わず俯こうとして、慌てて天井を見た。
アキラちゃんのアキラちゃんを見てしまったら、俺は本当に殺されてしまう。
******
「……やっと帰ってきた」
スクールバッグを放り、制服のままベッドに倒れ込む。
「明日の体育はプールとか、無理ゲーすぎるだろ」
枕に顔を押し付けながら、ばたばたと足でベッドを叩く。
スプリングが弾み、部屋が少しだけ騒がしくなる。
「でも、その前にお風呂……。
ダメだ、ダメだ、ダメだぁぁ~~~っ!」
枕を両手で掴み、ぐりぐりと頬ずりする。
足で再びベッドをばたばたと叩く。
スプリングがギシギシと鳴る。
ベッドが軽く揺れる。
「何やってるのー?
早く、夕飯を手伝ってちょうだーい!」
「は、はーい!」
母に怒られ、身を起こす。
せめて、両親には事実を打ち明けたほうがいいだろうか。
そう思った、そのときだった。
「……あれ?」
机の上のノートPCが目に入った。
電源ランプが点きっぱなしになっている。
近づいて、マウスをいじると、省電力モードから回復した。
「何だろう?」
画面に表示されたのは、再生途中の動画。
思わず再生ボタンを押す。
パチンッ……。
乾いた指の音が部屋に落ちる。
その瞬間、頭の奥に詰まっていた霧が一気に引いていく。
「あっ!?」
画面の中の、サングラスの男が淡々と言う。
『催眠を解除しました。
さあ、あなたはあなたに戻りましたよ』
私は、毎月の『お勤め』が重いほうだ。
昨日、そのお勤めが明け、こう思った。
男に生まれたかった。
生まれ変わったら、次は絶対に男だね、と。
その果てに、出会ったのが目の前の動画だった。
「……あ、アホすぎる」
私は、へなへなとその場に崩れ落ちる。
今日一日の気疲れは何だったのか。
アキラちゃんって、私じゃん。
高校生にもなって、危うくおもらしをするところだった。
「アキラー、まだなのー?」
「はーい、今いくー!」
でも、さっきまでの重さは、もうどこにもない。
軽い足取りで、キッチンへと向かった。




