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夜会の会場となる侯爵家の邸宅に着いた時、辺りは燃えるようなオレンジ色に染め上げられていた。
レオニスはこの日のために新調したベルトゥリー伯爵家の家紋を入れた馬車からゆったりと降りると、エナに向けて手を差し伸べる。
その手を取って、エナがドレスの裾をフワリと揺らしながら馬車から降りる。
彼女の表情は緊張でやや強張っていたが、招待客を迎える門番は彼女を見て軽く感嘆の吐息を漏らした。
無理もない。
今の彼女はとんでもなく化けた。
元の薄く地味な塩顔はどこにもない。
どこにでもある栗色の瞳だというのに、キラキラとした桃色のアイシャドウで彩られたそれはパッチリと愛くるしく、まるで人形のよう。まばたきする度に長いまつ毛が揺れるのがまた目を引く。
目だけでなく鼻立ちもくっきりとしており、肌は色白なのに淡い桃色に血色づいた頬がそそられる。
眉は細く軽やかな形をしていて、綺麗に整っていた。
貴族淑女にしては髪は短いがそれでも丁寧に梳った艶やかな亜麻色の髪にはブルーダイヤモンドのあしらわれた銀の髪飾りが光って、よく似合っていた。
とんでもない美少女だ。
そんな美少女が纏うドレスもまた美少女に相応しい逸品。
淡い水色をしたドレスは色白の彼女の華奢さを際立たせる形で、儚くも可憐な妖精のように魅せる。
チューリップを逆さまにしたような幾重にも重なって膨らむスカートは彼女が歩く度に揺れ、スカートに施された巧みで繊細な刺繍へと視線を誘う。
淡い水色の布地から抜き出るように縫い付けられた藤色の糸は躍動感に満ちた魚の尾とゆらゆら揺れる水泡、そしてクラゲと二枚貝をかたどる。
一枚絵のように目を引く涼しげで麗しいこの刺繍は、今レオニスが連れ歩く美しい少女がたった三時間の突貫で仕上げた代物とは誰も思わないだろう。
「お疲れ様です」
レオニスが渡した招待状を確認する間もエナにぼうっと見惚れていた門番へ、エナがにっこり微笑んで労った。
それだけで門番がキュンと胸を高鳴らせる音が聴こえた気がして、レオニスは密かに苦笑する。
正直、エナがここまで目を惹く存在になり得るのは誤算だった。
ウィスタリア男爵邸を出る前まで、エナは徹夜明けの仕事人の顔色をしていた。
目をシパシパと瞬かせ、ぐったりと身を投げたその姿は実年齢から何十も歳を取ってしまったような土気色の顔色だった。
無理もない。
たった三時間という時間制限のある中で、その間ずっと根を詰めて血痕を隠すドレスの刺繍に挑んでいたのだ。
オーダーメイドの麗しいドレスに見劣りしない美しい刺繍を入れるのはさぞ難題だったろうに、けれども彼女は見事にやり遂げた。
「君はその体たらくで夜会に行けるのか?」
床に仰向けに倒れ伏したエナが心配になって思わずそう問いかければ、彼女は弱々しく親指を立てて笑った。
「イベント前の修羅場は初めてじゃないので」
そんな風にいつもの訳のわからないことを告げたエナはしばらく床に倒れ伏したまま休憩を取り、いよいよ夜会に出る支度を始める時間になると使用人の持ってきた強壮剤を一気に飲み干して自室に籠った。
それからきっかり一時間後。
彼女は今の姿となってレオニスの前に現れた。
当然のように「誰だお前は」とレオニスがつっこんだのは言うまでもない。
「女は化粧で化けるとはいうが、ここまで化けるとは恐ろしいものだ」
顔つきまで変えてしまうようなこのメイクは、使用人が施せるようなメイクではない。
エナが自身でやったものだという。
元々マンガや刺繍などの天才的なセンスを見せつけてきたエナではあるが、この化粧に至っては今まで屋根裏に閉じ込められてろくな世話もされてこなかった貧相な少女が身につけているにはあからさまに異質な技術だ。
とはいえそこを問いただそうとしても、きっと彼女はまた訳のわからない言葉で返してくるのだろう。
だから今はそれだけの言葉に留めておく。
「可愛いは作るものなのですよ」
ふふん、と自慢げにエナが胸を張る。
「オシャレとは女の子の武装ですからね。こういう特別な場所では戦闘力は特にマシマシで行かないと!」
「頼もしいことだが、そろそろ口を閉じろ。会場に着いたらわかっているな?」
「はい、お話はレオニス様にお任せして私は黙ってニコニコしてます。レオニス様も私に絶対話振られないようにしてくださいね。絶対にボロが出るんで」
と自慢にならないことを、何故か自信満々で言うエナに軽くため息をついて、二人で夜会の会場に踏み入れた。




