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鳥のさえずりが聞こえる。
カーテンの隙間から差し込む日差しに太陽がすでに昇ったことを知る。
薄暗い部屋の中でぱちりと目覚めたエナはしばらく頭が働かずにぽけんと天井を見上げていた。
昨夜、なんだかとても重大なことが起こってしまったような。
「ん……」
と、そこで隣で誰かが小さく寝息を立てる声が聞こえてハッとした。
そこにレオニスがいる。
眉間にシワはなく、あどけない寝顔を見せる顔はいつもより幼く見えるのだなとぼんやりと思った。
掛布のかかる彼の肩は何かを纏っている様子がなく、エナはそこで思考を止める。
だめだ。理解をするな。理解をしたらきっと終わる。
私は何も見なかった、と彼から視線を背け、ベッドから抜けようとする自分も一糸纏わぬ姿だと気がついた。
肌寒さを堪え、下半身の違和感も気が付かない振りをし、状況の理解をすることを拒み、エナは自分の服を探す。
早く。早くここから抜け出して何もなかったことにしなくては。
エナは茹だりそうになる頭を必死に誤魔化しながらキョロキョロと辺りを見回して、
「……服を探しているのなら、チェストの中にバスローブがある。それを着ればいい。どうせすぐに風呂に入るだろうしな」
「あ、それはどうも……」
ふとかけられた声に思わず返事をして、それから沈黙。
状況の理解を拒むのに振り返らないわけにはいかなくて、エナはギギギと油が切れたブリキのようにぎこちない動きでそちらを振り返った。
「おはよう、エナ」
「オ、オハヨウゴザイマス……」
むくりと起き上がったレオニスにエナはぎこちなく言葉を返す。
彼が起き上がった瞬間にはらりと掛布が落ちて、彼の上半身が顕になる。
耐性のない喪女にはあまりにも刺激的な光景に、エナは思わず目を覆う。
くあ、と大きな欠伸をする声が聞こえてもエナは目元を覆った両手を外せずに固まる。
と、レオニスがベッドから降りる気配がした。
それからチェストを開く音。
バスローブを取り出しているのだろうか。
と、
「わぶっ」
「それを着るといい。これから侍女を呼ぶ」
ばさりと投げつけられたものを顔面で受け止めたエナは慌てて自分に投げつけられたそれを手に取った。
それはバスローブで、予想通りレオニスはチェストからそれを引っ張り出したようだ。
彼を見れば、彼もまたバスローブに袖を通しているところで、エナも慌てて投げてよこされたバスローブに腕を通す。
レオニスが卓上の鈴を鳴らせばすぐに侍女が現れる。
「水差しを先に。それからすぐに風呂と朝食の用意を」
「かしこまりました」
レオニスの端的な指示に侍女は一礼をし、それからすぐに立ち去る。
それを見送り、ややあってすぐに侍女は水差しとグラスを持参した。
レオニスがそれを受け取ると、彼女はまたすぐに部屋を出てしまう。
「喉は乾いていないか」
「え、あ、えと……」
彼らのやり取りをぼんやりと見ていると、水差しの水をグラスに注いだレオニスから冷たい水を差し出される。
咄嗟に答えることもできず、差し出されるがままに彼から水の入ったグラスを受け取った。
彼を真正面から捉えるのは昨夜のことを思い出して気恥ずかしくなり、エナは頬を染めたまま水をひと口飲んだ。
火照った顔に冷たい水が染み入るようだった。
こくり、こくりと水をゆっくりと飲んでいれば、レオニスがいつもの様子でこう言う。
「今日一日、君の方に予定はなかったな。ゆっくり体を休めておくといい。明日にはチャリティーのイベントが控えている。主催の伯爵が当日体調不良というのも格好がつかないからな」
いつもの事務的な口調に昨夜の余韻の欠片も感じられない。
甘いピロートークなどされてもこちらの心臓が持たないが、これはこれで色々と台無しな感じがあってモヤモヤしてしまう。
レオニスがエナから飲み終わった後のグラスを取り上げた。
は、と彼を振り返れば、レオニスはそのままそのグラスを水差しの置かれた机の上に置き、そのままその傍らの椅子に腰掛けた。
わざとか、と思うくらいに意図的に自分と空けた距離をほんの少し不満に思う。
レオニスが水差しからグラスに水を注ぎ入れ、その水に口をつけた。
その様子を眺めながら、エナはふとボソリと呟く。
「……隙間を意識したら埋めたくなったと言ったのはそっちのくせに…………」
その呟きは本当に小さくか細いものだったけれど、レオニスに届いたらしい。
彼はぴくりと反応をして、エナを見た。
エナはその視線にぷいとそっぽを向く。
甘えたことを言ってしまった自分が恥ずかしいが、今更弁明するのも癪だ。
頬に熱が集まるのを感じながらも、彼の視線をやり過ごすためにそっぽを向いているとレオニスが動く気配がした。
それでも彼を見ないように視線を背け続けていると、彼が自分の隣に座るのを感じた。
「ーー……」
無言のままの彼を訝しげに思ってエナはそっと隣のレオニスを盗み見る。
レオニスもまたエナから顔を背け、腕を組んでエナに触れようとする様子は見せなかった。
どこか憮然とした様子が初めてで、エナは怪訝に眉をひそめて彼を振り返った。
「…………レオニス様?」
どこか不機嫌そうな様子が不思議でエナが思わず呼びかけると、彼は気まずそうに一度エナに視線を流し、それからまた明後日の方を向いた。
「……昨晩のことを意識するのは自分だけと思わないことだ」
そう告げるレオニスの耳がほんのり赤いのを見て、エナもまたボッと茹蛸のように真っ赤になる。
改めて沈黙が降りる。
どちらも何も言わず顔を背けたまま、気まずい雰囲気ではあったけれど、結局侍女が来るまで互いに隣から立ちはしなかった。




