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「っ……!」
慌ててレオニスは腕を伸ばして彼女の体を支える。
胸に飛び込む形になったエナが息を呑む。
「大丈夫か?」
そう問えば、腕の中のエナが恐る恐ると顔を上げた。
そうしてレオニスの顔を見て、その顔を朱に染める。
ぽうっと頬を染める表情はレオニスは幾度かエナでない娘で見たことがある。
だから彼女が今どんな感情を抱いているのかはっきりと察してしまい、それからその感情に嫌悪を抱いていない自分へ少し戸惑いを覚えた。
いや、彼女を“家族”として欲した時から薄々はわかっていたが、こうして自分の気持ちを改めて突きつけられると胸の奥がずくりと疼く。
「す、すみません……ちょっと酔ったみたいです」
真っ赤な顔を伏せ、エナが慌ててレオニスの胸を押して離れた。
ふ、と腕の中から逃れる重さが名残惜しく感じる。
「って、あああ、す、すみません、私のせいで……!」
と、体を離したエナが不意に悲鳴をあげた。
「わ、ワイン、こぼしちゃってる……!」
エナの言葉にレオニスはは、と自分の手元を見た。
エナを咄嗟に支えた時にこぼれたのだろう。ワイングラスを持つ自分の手元はワインで濡れ、袖口からポタポタと滴が滴っている。
レオニスはそれを見て「ああ」と頷き、ほとんど空になってしまったワイングラスをそのまま盆の上に戻した。
「気にするな。着替えれば済むことだ」
「でも」
「いいから」
言い募ろうとするエナを遮って、レオニスはワインで濡れた手元を軽く拭う。
「……いいから、今日のところは君は自分の部屋に戻るといい。何か間違いが起きてからでは遅い」
「…………間違い」
エナが戸惑うように繰り返して、レオニスは言葉選びを間違えたことを知った。
「間違いって、何ですか」
その問いは彼女の色んな感情がないまぜになったような声音をしていた。
男女の行為を想起した羞恥。
レオニスが自分に対してそういう欲を抱けるのだと認識した期待。
“間違い”という言葉に突き放された落胆。
揺れるエナの瞳を見返して、馬鹿正直に彼女の瞳を見返したことを後悔した。
薄桃に染まる頬にどことなく潤んだ瞳。どことなく期待と不安が入り混じる表情は男の情欲を煽るものだ。
「だって私たちは……ーー」
エナはそこまで言いかけて言葉を詰まらせた。
彼女は視線を落として唇を震わせ、それから頭を横にブンブンと振った。
「すみません、私、やっぱり酔ってますね。今日は帰ります。おやすみなさい」
それから顔を上げた彼女は困ったように微笑んで、レオニスの横をすり抜けようとした。
レオニスはその腕を反射的に捕まえる。
エナがハッとレオニスを振り返り、レオニスはそんなエナを自分の腕の中に閉じ込めた。
小さく華奢な体を壊さぬように慎重に抱きしめ、酒で火照った熱い息を深く吐く。
エナの体が腕の中で固くすくみ上がっている。
抱き止めた背中に触れた手が彼女のドクドクという早い鼓動を感じていた。
多分、自分も同じくらい早い鼓動をしている。
グラグラと茹だりそうな熱が理性を焼いている。
自分にこのような欲が燃やせることに他人事のように驚いた。
「……これだから酒は嫌なんだ」
独白のように吐いた言葉に、エナが腕の中で小さく身じろいだ。
「情けない話をするとあまり酒には強くない。すぐに酔いが回って、判断力が鈍る。だから普段は避けている」
「……い、意外、です」
緊張に強張ったエナの声が耳元に響く。
「レオニス様、てっきり、ブランデーとかワインとか、お好きとばかり」
「置かせている酒は大抵は来客用だ。自分で飲むために置いているものじゃない」
エナの言葉にそう返し、レオニスは深くため息をつく。
「それでも今日、晩酌に応じたのは君が俺に言いたいことがあるのかもしれないと思ったからだ」
「わ、私……?」
「それが言いにくいことなのだろう、とも。誰の差金か知らんが、酒の力があれば少しは口も緩むと考えたんだろう」
エナが戸惑うようにまた身じろいだ。
そんなエナを抱き止めたまま、レオニスは言葉を続ける。
「無論、君に言いたいことが何もなくて、ただ俺たちの間を邪推した輩の発破である可能性も考えた。結局、君は何も言わずに去ろうとした。どちらにせよ、君をそのまま帰すつもりだったが」
「だ、だったが……?」
上擦るエナの声に言葉を返せない。
彼女の感情を知り、自分の感情を知り、その上で理性が弱ってしまった。
それでもギリギリのところで踏みとどまろうとしているけれども、どうにも思った以上に燃える欲の勢いが強い。
あとひと押し。その危機感を覚えながら、そのひと押しのきっかけを探している自分に嫌気がさす。
「ーー……嫌なら拒絶してくれ。今、自制が難しい」
「ぁ、ぇ、え……」
欲の自制を諦め、言い捨てたレオニスにエナが戸惑いの声を上げる。
抱きしめた彼女の頬に触れる。こめかみに唇を触れさせる。
途端に石像のようにカキンと固まってしまう彼女に苦笑をして、こめかみに触れさせた唇を頬に触れさせた。
茹蛸のように真っ赤になった頬は見た目通りに熱い。
改めて硬直するエナの顔を覗き込めば、エナは見開いた目でレオニスを見返して唇をわななかせていた。
小さく震える唇を指先で緩くなぞる。
緊張に強張った唇は少し固い。
「……拒絶しなければ、このまま最後までしてしまうぞ」
改めてそう告げる。
エナがびくりと体を震わせ、瞳を揺らした。
けれども、それだけだ。
彼女がレオニスを拒絶することは、その後もなかった。




