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 ドレッサーの前でエナはぼんやりと鏡を見つめ返す。


 世話役の侍女の仕事は完璧だ。

 いつも通りに髪をまとめ上げ、ささやかな髪飾りを挿す。

 纏う衣装は普段着のドレスだ。

 見目よりも機能を重視し、着心地と軽さのあるそれは使用人のお仕着せに見えないように飾りとしてささやかなレースや刺繍が施されている。

 顔に施されているのは薄い化粧。外出の予定がないために肌への負担を最小限に抑え、急な来客時に対応できる程度には整えてもらったものだ。


 いつも通りの自分。

 けれども今はそのいつも通りの自分が少しばかり頼りなく感じて心細い。


 そう感じる原因をエナはわかっている。


 今日、レオニスが王都にあるこのタウンハウスに戻ってくるのだ。

 あの告白をされる前ならばエナはこの状態でも何ら問題ないとレオニスの前に出れただろう。

 けれども今はこの自分で会うことが少し恥ずかしいと思ってしまう。


 何せ好きな人になったのだ。彼から少しでも好意的に見てもらいたいと思うのが乙女心というものだ。


 だがその一方で急に彼を意識して着飾ることにも抵抗がある。

 今までずっと意識してこなかった彼。格好悪いところも情けないところもすっかり晒した後で、今更急に着飾ったところで滑稽なのではなかろうか。


 ましてや向こうはいつも通りに過ごしているのだ。

 あからさまに意識をしています、みたいな装いをして「何をしているんだ、こいつは」という視線を向けられたら立ち直れない。


 いや、彼もあのような形でプロポーズをしてきた以上、エナに好意はあるのだろう。

 あるとは思うのだが、エナはそれをどうにも信じきれていなかった。


「奥様」


 部屋の扉が軽くノックされ、世話役の侍女の呼び声がした。

 意識の外からの急な呼びかけにエナは飛び上がりそうなくらいに驚いたが、なんとか取り繕って「どうぞ」と声を出すことはできた。


「旦那様がお戻りになりました」

「そう、わかった。ありがとう」


 彼女の言葉に改めて心臓がどきりと鳴る。

 その高鳴る心臓を捩じ伏せて、エナは平静を装ってドレッサーの前から立った。


 部屋を出て玄関に向かえば、レオニスが侍女に外套を預けているところだった。


 たった三日。されど三日。


 会っていなかった期間はほんのわずかだけれども、前の時と比べて三割り増しほど男前に見えてしまうのは恋心というフィルターがかかっているせいか。


 元々が良いだけあって、そこにさらに三割り増しも男前に見えてしまうとうっとりを通り越して腹が立ってくるのは何故なのだろうか。


 顔が良すぎて人の目を潰しかねないからか。ぜひ逮捕されてほしい。


 そんな取り留めもないことを考えながら、エナは努めていつも通りに彼に声をかけた。


「おかえりなさい、レオニス様」

「ああ」


 エナの言葉に彼は短く応える。

 それもいつも通りではあるのだが、その短い返答に少しだけ寂しさを感じる。


 恋する感情の厄介な部分を感じながら、エナは話題を探す。


「……ルルちゃんは元気でしたか?」

「ああ。薬によってだいぶ体質が改善されてきた。体力もずいぶんとついて、今は杖をついて歩行の練習をしている」

「それは良かった。社交シーズンが終わる頃には一緒に歩いてお出かけできるかもしれませんね」

「そうだな」


 短い返答で会話が終了してしまう。


「そういえば昨日、お茶会をしてきたんです。そしたら絞り染めを使ったドレスを着ている人が何人かいて。その人たちに生地をすごく褒められたんですよ。今後も絞り染めの生地でドレスを作りたいって。ちょっとずつ流行ってます!」

「そうか。君も上手くやれているようで助かる」

「い、いやー、営業って経験なかったんですけど、マリーナさんやアクアヴァリー侯爵夫人の助力を得られてなんとか……本当、あの人たちには頭が上がらないです」


 その会話も後が続かない。

 レオニスは商人のくせにこういう時、余計な話をしようとしない。


 それはいつも通りといえばいつも通り。前ならばエナも特に気にしなかった。

 けれども今はその口数の少なさは不安に思うし、不満にも思う。


「旦那様、奥様、お食事の準備ができております」


 と、侍女頭が呼びかけてくる。

 ちょうどいいタイミングでエナは何となくホッとした。


 いつものようにレオニスと夕食を取る。


 会話は相変わらず少なくて、互いのことを報告しあうようなもの。

 以前は気にならなかったそれがどうにも居心地が悪くて、エナはただ悶々としたまま食事を口に運ぶ。


 いつもの美味しい食事が味気ないと思ってしまうのは致し方のないことなのだろう。


 食事が終わればレオニスはさっさと席を立って、自分の部屋にこもってしまうのもいつものこと。

 それが寂しいと思いながらも、エナは彼を呼び止めることもできなくて食後のハーブティーを口にする。


 この後をどうしようか。原稿をする気にもなれないし、手慰みに裁縫をするにしても気がそぞろ。

 レオニスと話をするにしても無理に彼の部屋に押しかける勇気もない。


 ぼうっとしたままハーブティーが空になっても食堂に居座っていると、ふと世話役の侍女が酒を乗せた盆を携えてやってきた。


「奥様、不躾を承知ですが、ひとつお願いをしてもよろしいでしょうか?」

「……? 何?」

「こちらは旦那様へ届ける晩酌なのですが、お届けしていただいてもよろしいでしょうか? 今、厨房の方でネズミが出たようで我ら使用人総出で探さねばならなくなりまして」


 彼女の言葉にエナはぽかんと呆ける。


「ネズミ」

「そう、ネズミが出まして。明日の朝食に備えた肉や野菜を齧られてはたまりませんし、何より変な病気を持っていたら目も当てられません。早々に駆除せねばならないのです」


 そう言われて思わず厨房の方へと視線を向ければ、キッチンメイドや料理人が慌てて首を引っ込めるのが見えた。

 周りに控えていた家令や侍従たちを見回せば、家令は咳払いをひとつしてそそくさと退散するし、侍従も大慌てで厨房へと駆け込んでいく。


 その様子から気を使われたことを悟り、エナは改めて世話役の侍女を見た。

 彼女はいつもの笑顔よりもずっとニッコニコの笑顔でエナに晩酌の乗った盆を差し出す。


「奥様、どうぞお願いいたします」


 そう言われて、エナは断ることができなかった。

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