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 どうやら聞き覚えのある声が騒いでいるのが聞こえて様子を見に来たのだろう。


「エナ! 帰るぞ!」

「ひゃ……! ちょ……っ!」

「お前をこいつに嫁入りさせるのは取り止めだ!」


 ほんの少しだけの隙間を開けていた扉を思い切り開き、デーニッツがエナの腕を捕まえて引きこむ。


 途端、エナはたたらを踏んで膝から転ぶ。

 だというのにデーニッツは唾を飛ばして怒鳴り、エナの腕が(ねじ)れたまま引きずろうとした。


「おい」


 その様子にレオニスはデーニッツの肩を掴んで引きとめる。

 そして、


「ふべらっ!」


 彼が振り返った瞬間にその鼻面に拳を叩き込んだ。


 鼻が折れ、鼻血を撒き散らしながらデーニッツが仰向けに倒れる。

 レオニスが殴った拍子に吹っ飛んだ歯がかつんとロザリーの靴に当たり、恋人の窮地にも関わらず彼女は「ひっ」と悲鳴をあげて後ずさった。


 レオニスは無作法者を順繰りと見た後で、静かに言う。


「お前達は本当に話を理解しないな。彼女はお前達が足元にも及ばない身分だと言ったことをもう忘れたか」

「き、貴様……! 子は親の所有物だ、如何様にしようとワシの勝手だろうが……!」

「所有物? それを俺に売っておいて、まだ自分の所有物だと思っているのか。甚だしい厚顔、恐れ入る。勘違いするなよ、すでに彼女は俺の妻だ」


 レオニスの冷え冷えとした視線を刺すように向けられた三人が身を竦ませる。

 人に怒りをぶつけることに慣れているようだが、その逆にはまったく慣れていないことが笑わせる。


「さてそろそろお引き取り願おう。せいぜい死罪にならないことを冷たい牢の中で祈るがいい」

「………はっ?」


 唖然と固まる三人にそれ以上の説明をしてやる義理はない。

 何せずいぶんと優しく何度も噛み砕いて説明した話だ。


 使用人を呼んで彼らを捕縛すれば、彼らはようやく自分たちの置かれた立場を自覚したらしい。


「ま、まま、待て、エナ!」


 顔色を真っ青に染め上げたデーニッツが叫ぶ。


「エナ……悪かった! 今までのことは謝る……! だから執り成してくれ!」


 彼がそう叫べば、ロザリーもマリオンもハッとして追随する。


「そ、そうよ、私が悪かったわ! これからは心を入れ替えるから……!」

「そうだ、謝る! だから助けてくれ……!」


 口々に命乞いを叫ぶ三人に、エナはぽかんとした顔をする。

 膝をついたまま彼らを見るエナをレオニスが手を差し伸べて助け起こすと、彼女はレオニスの顔を見上げた後でもう一度自分の家族三人の顔を見た。


 縋るように自分を見つめる三人と、見定めるように静かにエナの返答を見守るレオニス。

 彼らの視線を集めたエナは、やがて場違いなへらっとした笑顔を浮かべた。


「うーん、そう言われても無理かなあ」


 あっけらかんとした返答にその場の誰もがぽかんと呆気に取られた。

 エナは指先で頬をかいて、言葉を続ける。


「だって私、あなた達のことめっちゃ嫌いだもん」

「き、きらい……」

「というか嫌われないと思ってたの? ごめんね、私、物語のヒロインみたいに天使のような優しさを持ち合わせてないのよ。心の中では毎日ずっと『地獄に堕ちろ』って親指下に向けてたよ。ははっ、ざまあ!」


 そうして彼女は本当に親指を下に向けて振る。

 今までは大人しく従順にしていた娘に侮辱され、三人は唖然としていたがやがて顔を真っ赤にして憤った。


「こ、この親不孝者が……!」

「親らしいことしてないのに親名乗るのやめてもらっていいですか?」


 彼の怒りをさらりとかわしたエナがこれまたあっさりと言う。


「ええと、レオニス様、私なんかが出しゃばってすみません。どうぞ、警察に突き出すなりなんなりとしてください」


 お返しします、と言わんばかりに両手でこちらへ譲る仕草をするエナに、レオニスは軽く顎をしゃくって使用人達に連れていけと示す。

 それを合図に使用人は三人を引っ立てる。

 彼らは最後まで「親不孝者!」「不出来な娘!」「裏切り者!」と騒がしくしていたが、しばらくするとそれも聞こえなくなる。


 しん、と応接間が静かになって、ふとエナが居心地悪そうにレオニスを見上げる。


「あの、レオニス様……」

「うん?」

「たいへんお騒がせいたしました……私の身内が」

「構わん。どうせそのうち来るとは踏んでいた。こんなに早く来るとは思っていなかったがな」

「はわわわ……っ、本当にご迷惑を」

「君が謝ることじゃない。それ込みで君を買ったんだ」


 恐縮するエナにそれだけ言って、レオニスはエナへ視線を巡らせる。


 今日夜会で着るはずのドレスが転ばされたせいで埃に塗れ、レオニスがデーニッツを殴った時に近くにいたせいで血痕も付着している。

 せっかく仕立て上げたというのにこれでは着て行かせるわけにはいかない。


 まったくもったいない。

 ドレスの代金を頭の中で弾きながら、レオニスは口を開く。


「ところで君は怪我をしていないな?」

「え、あ、はい。レオニス様が助けてくださったおかげで何ともないです」

「そうか。なら部屋に戻って着替えていろ。俺はこれから新しいドレスを手配する」


 ありがとうございます、と続けようとしたエナを遮って、レオニスは応接間を出る。


「え……でも、あの、今からっ? このドレスじゃダメなんですか?」

「そんな汚れたドレスで夜会に出てみろ。いい笑いものだ」

「でも夜会までまだ時間ありますし、洗えば……」

「やってみろ、染色が落ちる。その手のドレスは一度しか着ることを想定していないものだからな」

「これだから金持ちは!」


 早足のレオニスを駆け足で追いかけながらエナが叫ぶ。


「……で、でも、今から手配して間に合うんですか? 既製品じゃダメなんですよね?」


 エナの声にレオニスは渋面を浮かべる。


 そう、そこだ。

 そのドレスを仕立てるときにオーダーメイドを恐縮するエナにも説明したが、既製品のドレスは金のない貴族が買うものだ。

 少なくとも王国屈指の金持ちであるウィスタリア男爵の伴侶が既製品のドレスを着ているなどいい笑いものになる。


 だからといって今からドレスを仕立てるにはどんなに急がせても時間が足りない。

 どうこの窮地を切り抜けるか、と頭を巡らせていれば、


「レオニス様!」


 不意にエナが自分の行く手を阻むように前に躍り出た。

 何だ、と眉根をきつく寄せて彼女を睨めば、彼女はまっすぐとレオニスを見据えてこう問いかけた。


「夜会まであと何時間です?」

「は?」

「埃ははたけば落ちます。血痕だけ目立たなくなればこのドレス、着れますよね?」


 ぐ、と拳を握りしめてエナは訴える。


「四時間……いや三時間、私にください。私、コスプレ衣装にも命賭けてきたんでやってやりますよ!」

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