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「いやでも結局養子でいいぢゃん、このまま石女貫いてムーンランド子爵の孫息子養子に取るでいいぢゃん、あ゛ーーーーーいきなり不妊にならねっかなぁあああああ! そしたらこんなに悩まないのになぁああああああっっ!!」
と、不意に叫んだエナの声にレオニスは白々とした目をそちらに向けた。
壁に頭をつけ、壁に向かって叫ぶ姿は奇行と言うほかない。
彼女の奇行は今に始まった事ではない。締め切り前などのストレス過多の時は大体こうなのだと使用人から聞いている。
とはいえ叫んだ内容が内容のため、レオニスは反応せざるを得なかった。
「別にそうしたいのなら、それでも構わないが。言い訳くらいはどうとでも考えておく」
「知ってますぅー、わかってますぅー。レオニス様にこうしたいって言えば大体そういう風に動いてくれるんだろうなーとか思ってましたぁー。AIかよ、全肯定BOTかよ。今求めてるのはそういうんじゃなくてさぁああああ」
早口で捲し立て、エナはそのままワンピースが汚れるのも構わずに床に伏す。
まるで子供の駄々だ。いや、これは“まるで”ではなくて本当に子供の駄々だった。
「【急募】ベルトゥリー伯爵家の後継者」
「納得できるまで悩め」
「チックショーーーー!」
レオニスの言葉にエナはやたらに甲高い声でそう叫んで動かなくなった。
レオニスはため息をひとつ吐き、そのまま執務机に広げた書類へと臨んだ。
彼女がここに何をしにきたかというと、単に愚痴を吐き出しに来ただけなのだろう。
やかましいことこの上ないが、それでも書類を横から奪われたり突然のしかかられたりしない分、孤児院で仕事をしている時よりはマシだ。
レオニスの弟妹たちはそこら辺、容赦がない。
「…… …………本当、養子でいいんですよ」
ふと地面に付したままのエナがぽつりと呟く。
独白のような声音を聞きながら、レオニスは書類を書き進める。
「本当は悩むことなんてなくて、今まで通り、前世の通り、“結婚まだか”“孫を抱かせて”コールなんて笑ってやり過ごして、自分の好きなことばっかやってればいいんですよ。子供なんて私には荷が重いんだし」
ぽつ、ぽつ、と呟く声は小雨のようだった。
レオニスは何も応えず、仕事を進める。
「…………なのに。そう思うのに、こんなに悩むのって私、“家族”が欲しいんだなって気がついてしまって」
サインをしていた万年筆の動きが止まる。
ふとエナを振り返れば、彼女は相変わらず地面に付したまま起き上がる気配を見せなかった。
彼女がどんな表情をしているのかはレオニスの席からは見えない。
「家族同然の人はいますよ。使用人のみんなは一つ屋根の下に住んで一緒に生活して、楽しくやってくれます。ムーンランド子爵だって親戚のおじさんらしく私のこと気にかけて可愛がってくれて、お父さんみたい。レオニス様だってそうです」
でも、とエナは続ける。
「“同然”がつくんです。だから“同然”じゃない家族が欲しいんだなって……随分とわがままなことを言ってるのはわかってるんですけど」
止まった万年筆のペン先からインクが滲んでいる。
じわじわと書類に染み込む黒のインクが紙に緩やかな速度で広がっていく。
けれどもレオニスは手を動かせない。
「レオニス様とルルちゃんみたいに、ムーンランド子爵一家みたいに、私だけの家族が欲しいなって」
そこでエナは深くため息をつくと、ようやく伏していた地面から起き上がった。
床に伏して汚れたワンピースの埃をはたき、彼女はこう続ける。
「でもそこに至るための道を私は知らないんです。前世でもまともに恋人も作らなかったから。子供が欲しいなって思っても、まず男性へのアプローチがわからない。ワンナイトとか爛れたこともできると思えなくて。ガブリエルが来てくれたらいいのになぁとか切実に考えてるくらいですよ」
「…誰だ、そのガブリエルとやらは」
「前世の世界で有名な天使です。受胎告知っていうのがあって」
そうしてエナがつらつらとガブリエルという天使のことを語るが、その内容はほとんど頭に入ってこなかった。
つい反射で聞き返してしまったが、本当はそんなことどうでもよかったのだ。
“同然”じゃない家族が欲しい。
そのエナの告白は思った以上にレオニスに動揺を与えた。
おそらくエナが告白したのが「恋人が欲しい」や「誰かを愛したい」「誰かに愛されたい」だったのならば、レオニスは動揺しなかっただろう。
けれども彼女は「家族が欲しい」と言ったのだ。
自分だけの家族が欲しいとそう言ったのだ。
その言葉に彼女が抱えた寂しさが、孤独感が透けたようで妙に胸が詰まるような息苦しさを感じたのだ。
家族“同然”。
“同然”とは同じではないのだろうか。
けれどもエナはどうしてか“同然”というその言葉ひとつ分の距離を感じており、レオニスも彼女の言葉でその隙間に気がついた。気がついてしまった。
書類が吸ったインクのシミはさほど大きくはない。けれどもシミは周りの文字をすっかり滲ませてしまって、もうこの書類は使い物にならなかった。




