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 エナと挨拶回りを終え、レオニスはひと息ついてシャンパンに口をつけた。


 エナは今、マリーナやアクアヴァリー侯爵夫人たちコスプレ茶会で仲良くなった貴婦人や令嬢たちと話に花を咲かせている。

 女の話に水を差すほど野暮ではなく、レオニスはひとりぼんやりと目立たない壁際で佇んでいた。


 エナが彼女自身の友人たちと盛り上がっているのだから、レオニスも自身の人脈を辿って話をしにいくべきなのだろうが、今は少し休みたい気持ちが勝っていた。


 シャンパンを舌先で転がすように含めば、甘酸っぱい味が口の中に広がり、爽やかな香りが鼻を抜ける。

 さすが王家主催の夜会だ。シャンパンひとつとっても最高品質のものを揃えている。


 レオニスは飲み終わったシャンパンのグラスを通りがかったボーイに渡す。

 その際にボーイが盆の上に携えていた新たなシャンパンを勧められたが、それは固辞した。


「ウィスタリア男爵、こちらで休憩ですか」


 と、ふとそう声をかけられて、レオニスはそちらに視線を向ける。

 そこにいたのは白銀の髪にサファイアのような青い瞳の貴公子。レスター・アクアヴァリー小侯爵だ。


「お久しぶりです、アクアヴァリー小侯爵。挨拶回りもひと段落したので、今はひとりの時間を楽しんでいるところです。アクアヴァリー小侯爵は?」

「貴婦人の会話に入ってくるのは野暮だとマリーナと母に追いやられまして」


 レオニスの言葉にレスターが苦笑をし、自分の婚約者のいるグループに目を向ける。

 彼の婚約者のマリーナや母であるアクアヴァリー侯爵夫人がいるグループにはもちろんエナもいた。

 ここまで話は聞こえてこないが、楽しそうに笑っている様子からずいぶんと話が盛り上がっているようだ。


「女性陣に倣って友人のところに行かれないのですか?」

「そうしてもいいんですが……マリーナのそばを離れがたくて。母もいるので何かが起こることはないとわかってはいるのですが……」


 レオニスの問いにレスターはそう答え、じっと自分の婚約者の姿を見つめる。

 瞳を眩しげに細めていたレスターはやがて気恥ずかしそうに微笑む。


「はは、お恥ずかしい。僕はあれから全然成長をしていなくて……ずっとマリーナの後を追ってばかりです」

「そうなのですか? 妻から話を聞く限り、お二人はずいぶんと仲睦まじい様子なのだとばかり」

「そうだったらいいんですが……実際は相変わらずです。僕の方ばかり愛が重くって……いつマリーナに幻滅されないかと冷や冷やしています」

「案外、思っていることはお互い様かもしれませんよ」

「そうかなあ……アプローチをしてもマリーナにかわされたり逃げられたりして……嫌われてはいない、とは思うのですが……マリーナから向けられるのは親愛というか、家族のような情ばかりで」


 と、レスターは深いため息をつく。

 そのため息の深さに、レオニスは思わず近くを歩いていたボーイを呼び止めてシャンパングラスをレスターへと渡してもらう。


「…………ウィスタリア男爵とベルトゥリー伯爵こそとても仲睦まじいですよね。いつもお二人で寄り添って、それこそお二人の間で通じ合っているようで羨ましい」

「俺と彼女の間で通じ合っているように見えますか」


 シャンパンをひと口して、気を取り直したレスターの言葉にレオニスはそう返す。


「多分そう見えるだけで、俺たちはお二人の仲と比べたらまだまだ何も通じ合っておりませんよ」

「そんな、またまた」

「いえ、謙遜ではなく本当に。何せ俺たちはまだ出会って一年ほどしか経っていませんから」


 そう告げるとレスターは驚いたように目を丸くした。

 一年、と言葉を舌先で転がすように反芻するレスターへ、レオニスはこう続ける。


「彼女のことはまだまだ知らないことばかりです。紅茶より麦の茶が好きだと知っていても、好んで食べる菓子が何かは知らないし、どんな食事を好んでいるかも知らない。裁縫と絵を描くことが好きで、自分の創作物にどれほどに情熱を傾けているのかは知っていても、彼女が好む色も好きなドレスの形も薄っすらとしかわからない。宝石に、高価なアクセサリーに気後れすることを知っていても、彼女が好きな花のことは何も知らないでいます」

「それは……ーー」


 レスターが言葉を探して、結局見つけられなかったのだろう。気遣うようにレオニスを見つめてくる。

 そんな彼に苦笑を返し、レオニスはさらに続ける。


「よほど彼女の世話役の侍女の方が彼女のことを知っている。けれど、それはおそらく向こうも同じでしょう。彼女は俺がダンスが得意でないと言うと“意外”と言いました。乗馬もできず、剣を握ったことがないこともおそらく知らないはずです」


 レスターは何も言えず、ただただレオニスを見つめるばかりだ。


「この通り、俺たちはまだまだこれからの仲なんです。仲睦まじく見えたと言うのなら、それは互いがそう見えるようにしていたからです。ちゃんと夫婦らしく見えていたようで、安心しました」

「お二人の仲は見せかけ……ということですか?」

「そうですね、“まだこれから”……と言えば聞こえはいいのですがね。実態を伴わない今はまさにその通りです」


 そう告げるとレスターが何か言おうとして、結局言葉が見つけられなかったように申し訳なさそうな顔を向けてきた。


 しょんぼりとした子犬の耳が見えそうで、レオニスはますます苦笑する。


「俺と彼女の結婚は政略でした。そこに愛というものを伴う必要はなかった」

「それは……そう聞くと寂しく聞こえますね……」

「そうかもしれません。ですが俺たちと似たような夫婦はたくさんいることでしょう。けれども幸いなことに、彼女は愛はなくとも俺との関係の継続を願ってくれました」


 レスターがきょとんと瞬く。

 不思議そうにするレスターの顔から、向こうで歓談をしているエナに視線を向ける。


 前世とやらがあるせいか。彼女の価値観は年頃の貴族淑女からは逸脱している。

 結婚というものに夢を持たず、愛のない結婚を受け入れた。

 けれどもそれで没交渉というわけではなく、愛とは別の形で互いの関係を構築した。


 正直、レオニスからすれば予想外ではあったのだ。

 彼女とこれほどにも穏やかな関係を築くことになるとは、彼女を妻として迎え入れた時には思いもしなかった。


「俺もそれを望んでいます。今はそれだけで十分でしょう」


 と、ふとレオニスはレスターが何かを言いたそうに自分を見つめていることに気がついた。


「……ウィスタリア男爵は自分たちの間に愛はないとおっしゃいましたが、もう十分にお二人は想い合っているのではないでしょうか」

「…………?」


 彼の言葉にレオニスは首を軽く捻る。

 レスターは当てられたように頬をほんのりと赤く染めて深くため息をつく。


「少なくとも、ウィスタリア男爵はベルトゥリー伯爵を愛してらっしゃるでしょう。そうでなければそんな瞳で彼女を見つめたりしないと思いますよ」


 そんな瞳、と言われてレオニスはますます怪訝に眉をひそめた。

 自分はどんな目をして彼女を見つめていたのか。まるで自覚はない。


 いや、だが、けれどもだ。


「ーー……ああ、でも、そうですね。彼女を愛しているかと問われれば、確かに俺は彼女を愛しているのでしょう」


 世間一般的な恋情とは少し形は違うかも知れないが、確かに自分はエナを愛していることに違いなかった。

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