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目の前に差し出された手を取り、ふわりとドレスの裾を揺らして馬車を降りる。
それからそのまま手を差し出してくれたレオニスの腕に手をそっと添えるように置いて、エスコートされるがままに隣を歩く。
前回の社交シーズンにも何度か行った行為だが、ご無沙汰の距離感にエナはほんの少し緊張をみなぎらせていた。
隣を歩く男は相変わらずだ。
人目を引く端正な容貌を品よく最大限に見栄えする礼服を着こなし、涼しげな顔をしてエスコートをしている。
そんなところを少し恨めしく思いながら彼を見上げれば、こちらの視線に気がついたのかつと視線を流されて何故か少し心臓が跳ねた。
カフェテラスでマリーナとあんな会話をしたせいだろうか。
なんだか変に意識をしている自分がいる。
男性免疫のないヲタクであったことをこういう時、すごく後悔する。
向こうは何とも思っていないんだから、と内心でため息をつきつつ、彼から視線を逸らして前を向く。
本日の夜会は王家が毎年社交シーズンの頭に恒例として催している大規模な夜会だ。
今まで家族に虐げられて閉じ込められ、レオニスと結婚したばかりの前年は栄養失調だったがためにエナがこの夜会に参加するのは初めてだ。
王家主催とあって国王陛下や王太子殿下も参加される。
トライウィール辺境伯やその夫である王弟殿下も来ているだろう。
そう考えるとやはり緊張に竦むというものだ。
夜会のホールはいくつものシャンデリアや壁掛けランプによって昼間のように煌びやかに明るいというのに、憂鬱な気持ちがむくむくと湧いてきてしまう。
唯一の希望はマリーナを含むコスプレ茶会で仲良くなった令嬢たちもこの夜会に来ていることだろうか。
挨拶回りを速攻で終わらせて彼女たちとのお喋りをするのだと自分を奮い立てながら、レオニスと共に挨拶回りをしていると、
「やあ、こんばんわ。ベルトゥリー女伯爵。ウィスタリア男爵」
よく通る女性の声にエナはハッと顔を上げた。
艶やかで真っ直ぐな黒髪に大振りのエメラルドの嵌った銀細工の髪飾りを飾った美女がそこに立っている。
光の加減で緑に艶めく黒いドレスを纏った黒百合のような美女。
その隣には彼女のドレスの色と同じ礼服を纏う燃えるような赤毛に翠色の瞳の男が立つ。
「これは次期トライウィール辺境伯、王弟殿下。お声がけいただき光栄に存じます」
レオニスがすかさず紳士の礼をし、エナも倣ってスカートをつまんで淑女の礼をする。
そんな二人の姿に彼女たちは鷹揚に笑った。
「中冬の季にはずいぶん世話になった。あれから体の調子はどうだろうか?」
「その節は大変ご心配をおかけいたしました。この通り、妻の体調もすっかり良くなりました」
レオニスの言葉に次期トライウィール辺境伯ーーマリアナが「それは良かった」と微笑む。
「奥方の体調が良くなって本当に良かった。あの時のお前は万一奥方が亡くなっていたなら後を追うんじゃないかというくらいの勢いだったからな」
「そうですね。あの時は余裕がなく、見苦しい姿をお見せしました」
「いいんだよ。そこまで想える奥方を迎えられたんだ。そのまま大事にしていけ」
レオニスの言葉にエルンストがケラケラと笑う。
「それでどうだ? お前たちもそろそろ結婚して一年だろう。子供はそろそろじゃないか?」
続けてエルンストが口にした言葉にエナは思わずレオニスの腕に添えた手に僅かに力がこもる。
「妻は元々体が弱く、中冬の季にもあんなことがあったばかりですのでなかなか」
エナの代わりにレオニスがさらりと言い訳を口にする。
その言い訳にエルンストとマリアナの二人は「ああ」と納得したように頷いた。
「確かにそれもそうか。お前は本当に奥方を大事にしているなあ」
「ええ、俺にとって代え難い大切な妻ですので」
さらりと告げられた言葉にエナは再度、レオニスに添えた手のひらに力がこめてしまった。
きゅ、と自分の袖にシワが寄った感覚を察しただろうが、レオニスは気にせずエルンストたちへと向いている。




